17日で発生から24年となる阪神大震災の追悼行事を取りやめる動きが、兵庫県内で相次いでいる。背景には被災者の高齢化が進んだことに加え、夜明け前の行事に出席する身体的負担も。行事の減少傾向は近年続いており、関係者からは「震災の風化につながる」と懸念する声も上がる。(林信登)
「百万ドルの夜景」を一望できる神戸市中央区の諏訪山公園・ビーナスブリッジで、震災翌年から毎年行われてきた「早朝追悼のつどい」。実行委員会は昨年11月、震災24年となる今回での終了を決めた。
つどいでは毎年、震災発生時刻の午前5時46分に追悼の鐘を鳴らし、遺族らが黙祷(もくとう)。トランペット奏者、松平晃さん(76)=川崎市=が犠牲者に向け追悼の音色を響かせてきた。平成19年の十三回忌でいったん終了となったが、存続を望む市民の声を受け、翌20年以降も被災者ら有志の実行委で続けてきた。
しかし、実行委のメンバーの多くが80~90代と高齢になり、健康面に不安を抱える人が増加。冬は路面が凍ることもある暗い山道を登ることも危険なことから、今回で区切りとする。実行委の委員長を務める安田秋成さん(93)は「街の明かりとともに犠牲者をしのぶ貴重な式だった。追悼の場が減るのが残念だ」と肩を落とす。
高齢化などを理由に取りやめるケースは、兵庫県内で相次いでいる。神戸市の市民団体「市民による追悼行事を考える会」の調査によると、今年1月17日前後に予定される追悼行事は昨年12月時点で計53件。昨年よりも3件減り、震災20年の節目だった27年の110件からは半減した。
1月17日に鐘を鳴らす寺院などもここ10年で半減し、近年は正午に遅らせるケースも目立つ。同会の世話人、計盛(かずもり)哲夫さんは「この傾向が震災の風化につながらないようにしたい」と話している。
夜明け前の追悼行事は身体的な負担が大きいとして、開催時間を見直す動きもある。
神戸市長田区の復興住宅「フレール・アスタ若松」では毎年、震災発生時刻に合わせ、敷地内の復興記念碑前で追悼行事を開催してきた。しかし、参加者の大半が80歳を超え、数年前から「寒さの厳しい夜明け前に集まるのは体力的にきつい」との声が上がった。自治会は昨年11月、役員会で行事の取りやめを提案し、全会一致で承認された。
一方で、復興住宅内で毎月開いている交流会「ふれあい喫茶」を初めて17日朝に開催する。住民や若い世代に向け、震災当時や復興の道のりを語り継ぐ内容という。実行委副委員長の船引康義さん(53)は「時刻にこだわるのでなく、あの日を思い出し、犠牲者をしのぶことが大切だ」と強調している。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000534-san-soci
阪神大震災から24年。高齢化による身体的負担と、風化の懸念。ネットの声
それに風化と危惧されている方々は何を持って風化というのでしょうか、私達の心の中で今でも当時の事は忘れません。
震災後に生まれている方も増えています。
街中も大きく変わってきています。
今年で24年ですし、来年25年目で終わっても構わないと思います。
冬の早朝に参加するのも大変だと思うので、発生時間は自宅などでそれぞれが追憶すれば良いと思う。
人間はとても辛い事、苦しい事も忘れたり風化する事によって生きていける側面が必ずあると思います。
世間が忘れようが風化しようが貴方の中で風化しなければ良い。
私はそう思います。
追悼式は時間を変えればいいだけ。苦しんでまでその時間にやらなくても良い。
追悼の時間は早朝にやる必要はないかもしれませんが、
早朝に地震が来たことは忘れてはいけないと思います
忘れてはいけない事だと、きちんと伝えていきたいという気持ちはわかるし是非そうして欲しいです。でも大丈夫。昼でも構いません。正午に汽笛でも鳴らして追悼すればみんな喜びます。
取りやめてほしいのは、現在では地域住民だけでなく
周辺店舗でさえも、年末の儲け時の稼ぎの邪魔になる
常連さんの来店意欲を拒む
失礼ですが来てもらっても邪魔なだけの存在にしかならない
観光客に振り回されるルミナリエの方でしょう。
今でも風化防止の様に被災者にとっても意義が有る追悼式は
もう既に20年以上も経過したのだから
高齢になった被災者さんが参加し易い様な考慮としても
被災時間への固執はやめて、参加が容易になる様な
柔軟な対応での継続を切に望みます。
しかし、これから数年後被災現状を映像やデータ等で
しっかり保存出来る事で風化が防げ
多くの市民が民意で取りやめを望むならば
発展的解消という選択肢が有っても良いと思います。
震災後に生まれ、これから未来が有る若者に
負担を強いる様になる様な事は
私達や故人になった人達も望んでいないはず。
たとえば我が家は阪神大震災後の新耐震基準によって建てられたので、震災より大きな地震が来ても倒壊しない、それどころか地震が来ても一番安全なのは家の中、という絶対の安心感をもって暮らせています。それも阪神大震災による大きな犠牲が礎にあるからだと思っています。
先の東日本大震災でも阪神大震災の教訓が生かされていなければもっと多くの犠牲者を出していたことでしょう。
追悼の形にこだわるのではなく、私たちの普段の平和な生活が、先の震災による犠牲と教訓の上に成り立っていることを思い起こすことだけでも十分な弔いになるのではないかと思います。
わが自治体では、毎年1月17日には大規模図上訓練を実施して、その年度1年間の防災訓練の総仕上げをしている。
毎年重点項目を変えて防災対応の検証と防災力の向上を図っている。
災害の教訓を生かす方法にはさまざまなやり方がある。
形式や精神論にこだわるのではなく、災害の教訓を生かすための工夫を続けていくことが大切だ。
ただ、1月17日という日にはこだわった方がいいと思う。
それは精神論ではなく、あの災害をリアルに感ずることができる日だからだ。
その日が休日だった場合は、日をずらしてもいい。
成人の日が毎年変わるのと同じことだ。
少しずれた日に訓練等をやっても、あの日のことは十分に思い出せるし、その後生まれた人は、あの災害を十分に想起できると思う。
自分は東日本大震災の被災者ですが、こちらは3月の午後ですから、そう言う意味では追悼に関する面では負担は少ないのですが、逆に職場での黙祷、と言う事で終わるケースが多いと思います。何せ基本的に勤務時間中ですから。
それにしても実行委員長が93歳ですか。それはもう、ゆっくりされても構わないと思います。
責めたり非難したりするつもりは全く無いけど、後30歳くらい若い方々がその思いを継いで、音頭を取っても良いと思うのですが。
恐らく被災された方にとっては特別な日、特別な時刻であると思うので、何らかの形で追悼式を続けて欲しいという思いはあると思うのですが。
何はともあれ、風化させないと言う事、亡くなられた方への哀悼の意を表すこと、重要で立派な事だと思います。
やはり生きてる以上は、年齢を重ねていくし体力も衰えていく。
風化をさせないことは大事かも知れないが、自分の体のことも心配しなきゃいけないでしょう。
他の方も書いているように、必ず発生時刻に合わせて何かをするのではなく、その日を「追悼の日」としてみんなで犠牲者を偲んだりすることが、無理をせずに続けられることではないでしょうか。
無理をするから続かなくなって、止めていく人が増えていくんだと思う。
その日になって、「あ~、今日は阪神大震災があった日だ」って心の中で思うことも、充分意味があると思う。
何か行事をすることが全てじゃない。
それよりも、人波が激しい時間帯に注目度のある場所で、大人数が黙祷することの方がいいと思う。
小中高の生徒会が一箇所に集まるのもいいでしょう。
語り受け継ぐという事が、風化をさせない事だと思います。
しかも、それは追悼式の準備をし実際に行い式に毎年参加する方々の意見でもないのではないでしょうか。
その日、その時だけ、その時間に式典をしないからといって「風化」と言っているのは一体どなたなのでしょうか。
私も当時被災し、友人も倒壊した家屋の下敷きになってなくなりました。
取材と称してメディアの記者もたくさん来ましたが、下敷きになっている人々を助けようと奮闘している市民に話を聞こうとしていましたが、実際に救助を手伝うことはありませんでした。
そんな人たちが「風化」などと騒いでいるのか、と思いました。
他人事ではなく、自分たちのことだと思って考えて行動することが風化させないために大切なことと思います。
あのとき取材をやめて、目の前の人々を助けるために体を動かし汗を流したメディアの方がいらっしゃったのならお詫びいたします。
確かに、これ以上の存続は難しいのでしょう。だけれども、1年に数回、地震について
防災について考える良い「機会」迄もは風化させるべきではないでしょう。
目的と手段の優先順位が逆になっているというか
目的は追悼ですからそれぞれが思い巡らし、
実際の時間に縛られずに昼前の9時や11時からでも良いと思いますよ
集まりやすい、やりやすい時間に始めれば良いんですよ
なぜ実際の時間にこだわるのかわかりません
本末転倒という意味で考えるなら、
実際の時間に頑張ってやったところで形だけの黙祷をして、
それで終わるなら、それこそ悲しいことでしょう
目的は追悼です
慰霊式や追悼式は方法であって目的ではありません
目的を達成できるように方法を調整すべきで、
方法にこだわりすぎて目的をないがしろにしては何のための方法かわからなくなってしまいます
正午に黙祷を捧げるとか、日中に炊き出しをするとか。
私は今年神戸を離れてしまったけど、毎年東遊園地へは行っていたので17日は5時半ごろには起きて、46分に黙祷を捧げようと思います。
式典やその時間にみんなで集まって黙祷を捧げなくても、あの震災を経験した人たちがそれぞれに亡くなった方への追悼をし、
若い世代に震災の教訓や、経験談を17日に限らず日々伝えていけば風化はしないと思う。
形ではなく一人一人が忘れない事が大事。
だからこそ記憶のリレーは、大事だと思います。
セレモニーにこだわる必要は、あまり無いと思います。
より重要なのは、未経験世代に大災害の記憶を繋ぎ続ける事。防災アプリに同日の過去の大災害名の自動表示機能を付けて、
詳細をクリックすれば、その時の被害状況や対策の手段等を表示出来る様にするとかがあれば良いと思います。
それと過去の大規模地域(県レベル)災害表示機能があればと思います。昨年7月の西日本各地の大水害も数十年前に同様の地域で発生したケースも多かったのに、遠い過去の記憶になってしまって伝承されていなかったのは事実です。
今は防災の意識が高まってるから心配はいらないし、これを継続していく運動が大事だよね
犠牲者を追悼する気持ちはもちろんあるけど、今の人達の負担になってるならそこは配慮してあげないとかわいそうだよ
この行事を違った意味で前向きにすることも大事ではないかなと思う。
人はつらい経験を忘れずに、それでいて前に進んでいかないとならないから。
人間の特徴でもある「忘れる」と言う思考は時として未来に進むべき課程では大事な思考だから。それでも後世の人達に震災の教訓は伝えないとならない。それは時がだいぶ過ぎた時には何も真冬の夜中に行う事が最善ではないはず。
鎮魂は各々がすれば良いと思うし語り部が今後も言い伝えていけば良いのではないか。
その思いが、如何に継承されていくか、という事が大事だと思うし、今後地球上では自然災害増えてくると思うので、全てを考えていると、一年中追悼していなければならなくなる時代も来るかもしれない。
上手く計らっていければいいですよね。でも、そのタイムリーな想いは大事だと考えますけれどね。
親御さんが高齢になって定期的なお参りに来られなくなった…という話を人づてに聞きました。
追悼の気持ちは決して変わらないし、何より高齢の親類縁者が無理して体調を崩したり怪我をするのは
他ならぬ故人が一番悲しむ事なんじゃないでしょうか。
無理のない範囲での追悼行事への切り替えや一区切り、元被災者の一人としてもまったく問題ないんじゃないかと思います。
地震発生の時刻に拘らずとも、追悼は行うべきだと思います。
大々的にやる必要はないと思いますが、取りやめるのはどうかと。
実際、遺族の方の意見はどうなんでしょうか?
思い出すことが苦痛になるのでしたら、やめるべきなのかも知れない。
当事者の意見を尊重すれば良いかなと思う。
神戸の地元民ではありませんが、たまたま仕事で、通行していた阪神高速でちょうど摩耶インター付近を通行中に震災に遭遇しました。あれは、忘れられません。地震が発生して15分〜20分くらいの間の空気感というか、経験の無い静けさ。
あれはあの場に居ないとわからないと思います。
後世に伝える事は大事だと思うが、正直、伝わらないと思います。戦争と同じでしょう、ピンと来ないが現実な気がします。地元民で無い人間が言うのは失礼かもしれないが、時間等にこだわらず、語り伝え繋いでいく。でいいように思う。
あの日、多くの方の人生を奪った地震。
そこから学ぶ教訓。亡くなった方への想い。様々にあると思う。
風化とは何をもって風化なのか難しいとこではあるが、子や孫に、震災後に生まれてきた子供達に語り継がれ来るであろう次の震災の備えとなれる様に、この日だけでなく常日頃から防災意識を持てる様になれば、良いと思う。
この阪神淡路大震災があったからこそ、耐震構造・強化の見直しや、災害の恐ろしさを知った人が沢山居るのでは無いでしょうか?
確かに、明け方の地震で色々な事が後手後手になり被害も広がった部分はあると思います。
ただ、大切なのは…この時間にこだわる事では無く『忘れない様にする事』なのでは?
阪神淡路大震災からまだ24年。忘れるのも風化させるのも早すぎると思います…。
たった24年で失われた命の供養や悲しみ傷付いた人を救えるとは思えないのです。
このような『慰霊』は無理なく続け、語り継がれてこそ、やっと意味が見いだせるのでは無いでしょうか?
最近、大切な事も、そうではない事も何でもスピードが1番の世の中の風潮。
もう少し、命や本当の意味での平和(ゆとり)と意味を考えませんか?
「風化を懸念する関係者」とあるが記事中には、追悼の時間を変える団体の代表が「この傾向が震災の風化につながらないようにしたい」という切実な思いが述べられているだけ。
どんな災害や事件、戦争ですら記憶は薄れ風化は避けられない。
しかも高齢者の方々が主催する団体やイベントを、そのまま継続させることの困難さは文中からも伝わってくる。
それでもそうした出来事を被災の若い方々や次世代、専門家や関心の高い方がつながって忘れないようにしよう、記憶を伝えようとしていることが書かれていないことが残念だ。
この記者が生きているうちは、彼らのような団体がなくなったり、高齢の被災者が亡くなっていくことで、「風化」してしまうことはない、と言いたい。
形として続けたい。でも体力的に難しくなっていても、本心を言えない人がいることも知るいい機会ではないかな?
場所・時間が違ってもあの日に想いを届けたい気持ちで十分では?
想いをはせることが大事だと思います。
多くの人にとって大切なのは同じような震災が発生した時にどのように対処すれば被害を少なく抑える事が出来るかです。
いつまでも悲しみを引きずる事ではないと思っています。
時間は進みますから当時の被害者を知る人が少なくなって行くのは自然の流れです。
そもそも論点がずれていると感じています。
大変結構な事だと考えている 重要なのは教訓の継承であると言える
そういう意味では行事を簡易化しかつ容易化することで
参加者を増やして大震災を知る人を増やした方がいいのではないか
ぼちぼち阪神大震災も歴史の列に加えていく時が来たのでは
一度は参加したかったのですが・・・時間帯が不便で諦めています。
その代わりにルミナリエに最初の頃は行っていましたが、お祭り?クリスマスイルミネーション?に変化している気がするので行かなくなりました。
今出来るのは身近に居る人に話しをする事です。これはいつでもどこでも出来る事だと思います。
地域にかかわらず、地震の被害のニュースを見聞きすると改めて地震について家族でどう行動して何処に避難するのか・・・話し合い確認しています。
生き残った方の健康が第一だし、追悼の行事を続けたいなら時間帯をズラしたり、催し物の形を変えたり色々工夫出来る。
時間帯にこだわるのではなく、追悼行事が長く続けられるように、時代に合わせて変化していくのも必要かもしれないですね。
亡くなった方も、追悼してくれる気持ちがちゃんとあれば十分なんじゃないかな。
ただ、こちらは阪神淡路や東日本と比較して犠牲者が限りなく少ない事、復旧が思いの外早かった事等から忘れ去られる方が懸念されます。
特に深夜って事でも追悼式まではやらないでしょう。
でも、風化させたらダメなんだよね…
震災当時に産まれた子供だって成人になってるんだから受け継いでいこうよ…
時間に拘らなくたっていいんだから、続けなきゃダメだよ…
思い出したくない気持ちも少しは分かるけど、無かった事には出来ないし先の人間にもしっかり伝えてかなきゃならない事だと思うから。
現在は他県で生活していますが毎年1月17日には当時の状況に想いを馳せ発生時刻には黙祷しています。追悼行事の場所には行けませんが自宅で
続けています。そういうのでは駄目なんでしょうか。負担に感じるようになるなら個人個人で
冥福をお祈りすればいいと思います
その上で、こういう行事を否定するつもりはありませんが苦しい思いをしてまで実施するのは如何なものかと思います。
その時間じゃないといけないのなら、例えば法事は3回忌でも10回忌でも命日のその時間にやってるのかって話です。
大事なのはその記憶と記録、思いをはせる事だと思います。極端な言い方ですが命をかけてまでやらなければいけない事ではない。それこそ故人の方々はそんな事を望んでいないでしょう。
自分達が時の移り変わりに置き去りにされてしまうのが怖い、という気持ちの表れであることは理解できます。
やるべき事は形式だけ残る行事ではなく、次の災害に備えたインフラの整備や毎年の避難訓練、災害時の様子を映像と共に語り継ぐことです。
つい最近まで阪神間に住んでたが、ワシの子たちは保育所時代から震災について勉強し、そして防災のこともしっかりと聞いて帰っている。
少なくとも関西在住で、阪神淡路までは関西には地震がないと信じ、防災訓練のときにふざけていたワシの世代より、震災以降の子どもたちのほうがよく学んでいる。
強制されるものではないよね。
忘れてはいけない記憶だけど、
戦争もそう、語り継がれてそこに思いを馳せることが大切だと思う。
ごく限られた人だけになってしまうのかもしれないけど、本当にその時間に拝みたい人がすればいいと思う。
あの震災のあと、検証が各分野でなされなければ熊本での被害はもっと甚大で大変なものになっていたと思います。
風化されているわけではなくきちんといかされています。
被災したのと同時刻にやることだけが全てではないし、同時刻にやり続けたからといって風化しないわけではないとおもう。
大事なのは質では。
震災を体験した人は年々減っていきますから。
神戸在住という漫画にも描かれてましたが震災後10年くらいは
あの出来事って震災前だった?あとだった?と言う会話がよくありましたが
今ではあまり言われなくなったようです。
震災を知らない人がもう成人しているんですから。
どんなに説明しても疑似体験しても共有することは難しいですから。
ならばせめて何か別な形で残せるようにした方が良いと思います。
被災者の高齢化や、被災した街が復興したからではなく、国の激甚災害に対する保証のあまさ、国民一人一人の災害に対する危機管理が、その場しのぎだからだと思う️
国は災害が起きれば、被災者数や被災状況に応じて保証内容を決める、それはある意味仕方がない事だと思う…
自衛隊の派遣、仮設住宅の設置を行い、ある程度復興したら終了…表向きはそれで終わったかに見える。
しかし、今も元の生活に戻れず大変な方、心的ストレスに悩んでる方が居る️
震災から24年ですがまだ終わってない…
だからこそ、未来永劫に伝えなければならないのでは。
国が主となり、地方自治体、そして国民一人一人が、追悼式典は正午に行い国民全員で黙祷する、震災がおきた日の事、今も苦しんで居る人の事を思うだけでも良い。
そうすれば、東日本大震災で原発被災者に対する心無い発言も無くなる筈️
今こそ民度が試される…
亡くなられた犠牲者の方ももう充分と思ってるんじゃない?
でもこの出来事は絶対に忘れるべき事ではない。
被災した人からすれば昨日の事のように思い出す出来事だと思う。
今は動画で残る時代だから風化はしないと思う。
でも人は忘れやすいから、その日は動画を視聴し教訓として見ることをお勧めする。
それに、継続が必要だと考えるならば、その時間に拘ることなく、やればいいだけのこと。
もうすでに、「お祭り化」してる感もある。
ここらで一度リセットして、「本当に必要なこと」をやればいい。
だた、記事中にあるように高齢化が進み未明の式典はつらいから、当人たちが決めたのなら仕方がない。
しかし、過去の記憶は同じようなシチュエーションのなかで思い起こされるということがあるので、同じ時間で行っていたことも意味はあったのだろうと思う。
自分もあの震災を体験したけど、追悼の場には一度も行ってない。
でも、普段能天気な投稿ばかりしてるSNSには、毎年何か一言を添えて震災を思い出す投稿をするようにしてる。
追悼式に出るために事件事故に巻き込まれ、亡くなったり怪我や病気になるのでは話にならない。
各家庭各個人でその時を迎え、追悼式は改めてでいいのではないかと感じます。
出来ないことは思い切って止めたら良いのでは。
確かに色々な意見が有るとは思いますが、永久的に続けることはできません。
追悼はあくまでも当事者がやるものです、外部の人間がとやかく言うことは出来ません。
この際思い切って時間を変えてはどうですか?
遺族の方の健康を損なっては、本末転倒では無いですか。
何が何でも発生時間にやらなければならないわけではないと思う。
何の為にやるのかをよく考えてもらいたいな。
目的と手段を履き違えている状況になっていると思う。
時間ではなく、日で区切るという発想の転換が必要。
良かったけど、西日本、東日本をはじめ、全国各地で地震災害が多発
したのは痛ましい。災害は忘れたころにやってくるという格言を忘れないようにしたいし、そういった取り組みがなされることが、弔いになる
のではと思います。
全体として大きな被害が出なかったのは、
阪神大震災が教訓になっているからだと思った。
家具の固定や非常食の準備といった意識は、被災地域に根付いている。
それは追悼行事のおかげもあるだろう。
もちろん、これだけ年月が経ち縮小は仕方ないと思います。
今まで続けていただいたことに感謝です。
ルミナリエにしても1/17にしてもイベント化しているように思う。災害の備えについては神戸でも随分風化している。
25年以上も経過したら当然なんでしょう。人間が忘れないとフラッシュバックが終わらないのもあるが。辛いとか悲しいとか被害の多さだけに着目されて、被災者は今。と言うような扱いはやめたほうがいい。ワイドショーでしかない。地震のメカニズムとか準備を学ぶなら意味あるが、インチキの預言者や占い師を絡めるようなイベントはやめたほうがいい。宗教も同じ。
家具は、ペットは、子供は、避難所では、行政は、、、
どんな問題があって、どうやってしのいだか、日々どう備えるべきか、とか。
悲しいイメージ映像ばかりではなく、今後につながるよう具体的な情報がもっも欲しい。
それを一方的に「残すべきだ」というのも「やめるべきだ」というのも、どちらも相手のことを思いやれない勝手な言い分に聞こえてしまう。
ただ、追悼行事が義務になってはいけないのでは?とも思う。
教訓として忘れてはならないと思うけど
続けていきたいなら発生時刻に拘らず、誰もが参加しやすい時間帯にした方が良いと思いますし
誰も追悼する気持ちがなくなった時が風化する時だと思います。
だって、亡くなってしまった方が戻ってくる事は無いし、今、生きている人の命を守る事の方が大切ではありませんか。
残されている人達、未来ある人達が、歴史を教訓により良い未来を作って行く事で亡くなってしまった方々への供養に繋がると思います。
震災関連で親族を亡くした者としての気持ちです。
確かに大惨事の震災被害は後世に伝える大事な歴史と言えます。
しかし震災同時刻に行う意味は?大々的な追悼式を未だに行う意味は?
人間過去を忘れたり否定したりする事は非常に愚かな事です。
しかし人間は過去に生きるのではなく、現在と未来に生きるものです。
追悼式も継続させる為に、やり方を変える必要があるのでは?
しかし来年が25年ならそのあたりを機に震災発生時刻のセレモニーを終了してもいいかと思う。確かに冬の朝の寒い中の緊張感でより震災への想いは伝わるけれど大変になってくるのもわかる。それによって震災の衝撃が風化するということは無い。
こんなに暗かったんだ、まだ寝てる時間だって
後世の人たちが実感しやすい面とか災害への対策を具体的に考えやすい面があるとは思う。
でも続けられるやり方じゃないと残らないから、
無理のないやり方で本質を伝えてほしいな。
厳密には亡くなった時間も大切だけど、その時間にもよるのではないのか。
それよりも、地震が発生した時間は同じでも亡くなられた時間はそれぞれ違うのだから、発生時間にこだわるのはおかしい面もあるのではないのか。
地震の恐怖はみんなわかってると思う。
25年がいい区切りだから、来年まででもいいと思う。個人個人でも追悼のお祈りはできるし。無理がないところで各々続けていけぱいいと思う。
亡くなられた多くの人の分、生きてる人達が未来に繋げて生きていく事が供養にもなるんじゃないかなっと思います。
夜明け前という事で体力的にも、参加しにくくなった人も多くいそうですね。
とはいえ、追悼行事に携わってきた人の並々ならぬ思い、この日を大切な節目の日にしてきた人の思いは軽んじてはいけないと思う。
追悼行事の在り方を変えていけばいいだけじゃねぇか。
震災時まだ幼稚園児だった自分でも揺れている最中の記憶ははっきりあるし
あの地震を体験して心に傷を負った方はかなり多い。
そんなすぐに風化するようなもんじゃない。長田は焼け野原になったんだぞ?
風化する風化するって騒いでる奴らが一番あの地震を忘れてると思う。
被災したあとの数年は県外でも影響が出て
気持ち的にも辛いこともありました。
そして度重なる震災や豪雨が来ると
あの時の気持ちを思い出してこころが痛みます。
あの時あの場所に拘らなくとも風化は防げると思います。
夜景を見下ろすのではなく人工島から六甲を見上げるのは駄目なんでしょうか。
人が亡くなって命日はあるけど時間にこだわる人は少ない。
震災は大勢亡くなり追悼も必要だと思うが、追悼の意を持ち続けることが一番大事かと
船ごと沈んでしばらく行方不明になり、秋になって船を浅瀬に移動し捜索し先生や同級生の遺体が発見される、という事故が起きた。
同じ野球部の友達の幼馴染だったり、親友だったりが亡くなって
田舎町には暗い影を落とす出来事となった。今でも唯一、中学時代
学業優秀だったがイジメで不登校になり、出席日数の関係で進学校に行けずその水産高に行った彼は見つかっていない。
そんな事件もだんだん悲しみが風化し、当事者以外からは
忘れ去られようとしている。それはいつまでも悲しみに囚われず前を向こうということでもある。あの時幼馴染二人、生死を分けて生き残った横山はショックが大きかったが今、船に乗っているという。なくなった幼馴染、野本の分まで。
本来の目的からすでに逸脱し商業ビジネスと化したルミナリエで、行政も恩恵を受けているのだから、これくらいは気持ちを込めて未来永劫続けていけばよい。
今後の教訓として、震災の恐ろしさを忘れないため。
犠牲になった方々への、心の悼魂。
後者の場合、どんなに辛くとも、その時間に行いたい、という意志を持つ人もいるはず。決して、意味がないわけではない。
むろん、その人たちも、「時間を合せることだけが大事なのではない、寒い朝に追悼する生き残った自分たちが健康であることを、犠牲に会われた方々も望んでいるはず」とわかっているだろうから、私も取りやめ自体には賛成する。
でも、その時間に行い続けることが、生き残った人たち、亡くなられた方たち、双方にとって「意味がない」わけではないことは、分かっておきたいと思う。
一神戸市民
地震発生後数日経って亡くなった方もいらっしゃいます。大事なのは発生時刻でなく、犠牲になった方を追悼する気持ちと、地震の教訓を風化させまいとする行動そのものだと思います。
でもこれがもし自分の家族が犠牲者となればきっとその場所に行きたいと思う。
なので大きな式典にしなくても個々で行くのがよいのでは…
北海道出身だけど、数年に一度、大きな地震災害があって犠牲者もいるが、追悼式なんて聞いたことがない。
たくさんの方々が犠牲になられたのは分かりますが、もし教訓として行っているなら時間にこだわらずにしてもらいたい。
大都市のどこかで夜中の1、2時にあったらやっぱり追悼式なんて行うだろうか?
しかも寒いこの時期ならば…
と考えてしまいます。
明け方の暗い中、ドーンと突き上げる縦揺れとそのあと続く横揺れに、なすすべもなかったことを思い出す。
最初は近所のガスタンクが爆発したと思った。
外に出るとガスの臭いと、強い余震の揺れで再び家に閉じこもるしかなかった。
向かいの地主の古い木造の蔵が倒れて部屋の前の道を塞いでいた。もう少し蔵がでかければ、部屋の半分は被害にあっただろう。
しばらく経って大学の片付けに六甲に行った。帰り道の山手通りの沿道の光景は忘れられない。あちこちを怪獣か巨人が面白半分に捻り潰したような被害がみられ、大阪市内よりもうんと深刻な京阪神地帯の被害の実態を見た。
帰り道に通らざるを得なかった潰れた木造集合住宅の傍にいた住人の方々の視線の厳しさ。別に覗きにきたわけでないのだが、彼らには余所者はそう見えたのだろう。
追悼は地震発生時刻でなくても。それに簡単に風化出来るとは思えない、あの日を。
入り口でハガキを持っているか聞かれたので、「神戸を出てしまったので…」と言いました。その時点ではシステムも分からず、後ろの方に入れてもらえるのかな…くらいの気持ちでした。すると市役所の職員の男性が「住民票のない人まで探してられませんので!」と追い払われたのです。
私は聞かれたことに答えただけで、文句を言ったわけではありません。そんな人が追悼式典を主催しているなんてと泣きながら駅に向かったのを覚えています。
追悼は形でなく心です。
限界と言うよりは長く続けるための方法を検討する時期が来てるのだと思います。
発生した日にちはもちろん、時間も、恐ろしさも忘れてはいけないけど、その時間にこだわる必要はないと思います。
東日本大震災や、熊本、北海道でもありましたし、中越地震などもありました。
大事なのは、地震を忘れないこと、地震から得たものを忘れないことだと思います。
去年、台風や地震の影響を同じ地域でなってしまい阪神大震災を忘れてしまう傾向にある
だからこそ風化してはいけないし、若い人は知らないわけだからその時の様子を伝えることができれば無理に式典をするよりも講演などで伝える方が大切だと思う
発生時刻に拘る必要もないと思うが。
早朝に人を集めなくても
その日に何らかの形で震災を思い出すことが各自で出来るだろうし
それで良いのでは?
追悼行事の開催時間を発生時間にこだわりすぎるのは現実的には難しいでしょう。
無理にこだわると風化を早めることに繋がりかねません。
気持ちのある人は毎年、この時期には心の中で追悼していると思います。
負担になるのは、追悼する側が拘りすぎているからだと思います。
私は、被災者ではありませんが、神戸の街のあちこちに炎や煙が上がるニュース映像や屋根だけになった生田神社の映像など鮮明に覚えているし、この時季になると震災のことを思い出します。
大切なのは日頃の万が一の心構えと災害発生時にどう動けばいいのか、震災や災害に直面しなければ分からない人達へどのように伝えていくかだと思います。
刻み込まれてるから世間から記憶が
消えても記録には残ってます。
風化させたく無い気持ちは分かりますが
時代は進みます。
時間に拘る必要は無いと思います。
何年何日の何時ごろに〇〇震災が
ありましたとニュースや新聞で流すだけではダメなのですか?
再度言いますが、
当事者の方々が各自追悼し風化させたくないという思いは分かりますが時代は進みます。
当事者の方々が亡くなったとしても
無理に追悼式をしなくても、
歴史書や教科書に記載すれば日本人の記憶に残ります。
それではダメなのでしょうか?
東日本の時、「この下に家を建てるべからず」の石碑の下に多くの被災した町や村を作ってしまったことこそが風化なのです。
そして、風化させてはならない対象を見失うことも風化なのではないでしょうか。
小規模になってもいいじゃないですか。だけど追悼の気持ちは、絶対になくならないしこの震災も人々の心に残っています。
それだけ大きな出来事。忘れないようにすることは大切かと。
追悼式などは、なにも発生時刻にこだわらなくてよいのでは?
負担に思いながらやるのは違うと思うので。
あの震災をきっかけに防災意識が高まった事は事実です。
自治体によって対応の差異はありますが、少なくとも消防自衛隊医療機関は災害後の事態に備えを高めているのは事実。
ただ1.17の場合震災の起きた時間が分かっており、震災発生時に止まった時計などもそのままの状態でモニュメントとして保存されているものも多い。
そう考えたら早朝でもやる意味はある。
その一方でサラリーマンは仕事もあり参加するのは難しい一面もある。
震災が起きた時間も風化させない為にも式典自体はとても大切なことに変わりはない
その日その時間に限らず、追悼の方法はあると思うのです。
そして、次の世代に引き継ぐこともありじゃないかと思いました。
追悼方法は、他の形でも色々ありますよ。
個人的には、無理せず多くの人が関われる方法がベストだと思います。
追悼式って必要なのか?って疑問に思うし主催者側の自己満足でしかないのでは?
ルミナリエも来場者減って期間も短くなり、それって鎮魂ではなく商売的要素がまさってますしね
管理人の率直な感想
僕も時間にはこだわらなくていいと考えている一人です。
ですが、東日本大震災の時もそうでしたけど、壁掛け時計や学校の校舎の時計などが震災の発生時間で秒針が止まってるんですよね。
あの映像を見ると、当時の被災者の方々の中に、発生時間に重きを置いている人がいるのも分かります。
時間が時間でしたしね。
24年も経つんですね。
風化は避けなければいけませんが、当時の被害状況をそのまま伝えるだけではいけない。
震災は時として予測を大きく上回るものだからです。
東日本大震災だって千年に一度の未曽有の災害と言われていますが、本当に千年に一度かどうか怪しいものです。
あれが震災の最低限の姿だと心構えをする必要がある。
油断して多くの方が亡くなりました。
亡くなった方々が悪いわけではありません。
全員が全員あんな災害が起こると考えていなかったのです。
これから起こると言われている首都直下巨大地震や南海トラフ地震、そして津波。
「なんだかんだで来ないだろう」と考えている人がまだいるかもしれません。
震災は時と場所を選んではくれません。
事件や事故で亡くなる方がいるのも悲しいですが、「自然には勝てない」と言ってしまうのは物凄く悔しい。
生きてやりましょうよ。
噴火による災害もそうです。
日本にそういった歴史がある限り無視はできません。
しちゃいけない。
震災によって亡くなられた方々を悼むと共に、残してくれた教訓を忘れず生きるんです。
二度目になりますが、自然には勝てないなんて言葉はもう誰の口からも聞きたくない。
負けなきゃいいんです。
生きればいいんです。
百歩譲って自分ならまだしも、大事な人を亡くしてからでは遅いですから。
僕は西日本の人間ではありませんが、遠くから追悼の意を込めたいと思っています。
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