生徒に挑発された教師が生徒を殴ったニュースを見て思う。
40代以上の男性で、過去、学校の先生に殴られた経験のある人って何人くらいいるのだろうか?
放送作家・鈴木おさむ氏が語った「クラス内でのイジメ」
僕は中学1年のときに一度ある。僕のクラスではいじめがあった。
A君という男子がいつの間にかいじめられていることに気づいた。
休み時間、プロレスごっこ風だが、明らかにA君が一方的にやられている。
倒れたA君の上にどんどん人が乗っていく。
肉体的なことだけではなく、A君を無視したりする生徒も出たりして。
そして、ある生徒は、休み時間、A君の机の上に、バケツを持っていき、鉛筆でバケツをたたき、葬式ごっこを始めた。
A君が泣いていた。
僕は学級委員長だったが、いじめを止めることもできず、一緒に笑っていた。
しばらく続いたイジメ・・・そして変化
最悪だ。いじめはしばらく続いた。
担任の先生は女性だった。多分、どこかで気づいたと思うが、自分では止められないと思ったのだろう。
ある日突然、別のクラスの男性教師、B先生が、教室にやってきた。顔つきが違う。
「男子生徒、全員、職員室に来い」
行くと、他の先生は誰もいなくて、A君だけがいた。
おそらく担任の先生か誰かがB先生にA君のいじめのことを相談し、怒ったB先生が僕らを職員室に呼び出した。
B先生は「お前ら、Aのこといじめてたらしいな」と怒鳴った。そして、B先生はノートを出した。
そこには、A君に事情聴取したことが書かれていた。
誰にどんないじめをされたのか書いてあった。B先生は「おさむ、来い」と言って、最初に僕を呼んだ。
何をされるんだろうと思って、ドキドキした。B先生は言った。「お前、学級委員長だろ?」と。僕は恐怖のあまり「僕はいじめてません」と最低のことを言った。すると、B先生は「学級委員長でありながら、いじめを見過ごしてるのが一番の罪だろうが」と言って、僕の右頬を激しい力で一発殴った。
熱血教師による「イジメ」への対応と対策
そこから、始まった。
体のでかい生徒のC君は、A君にプロレス技をかけていた。
B先生は言った。「お前、ラリアットがどんだけ痛いかわかってるのか?」と。
C君が笑いながら「はい」と言うと、B先生はC君にラリアットをした。
C君は吹っ飛ばされて、途端に泣きだした。
みんな、自分のやったことをB先生にやられた。
職員室に、男子全員の泣き声が轟いた。
回想
あれから30年以上がたち、たまにあのときのことを思い出す。
そして、もし、あのままいじめが止まらなかったら、A君は……。
もしそうなっていたら、僕らはいまだに、そのときの罪を背負って生きていかなきゃいけなかった。
時代が違うと言われればそれまでだが。僕たち男子の中で、あのときの先生が僕らにしたことを暴力だと思っている人はいないと思う。……と、そんなことを思った。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00000012-sasahi-life&p=1
鈴木おさむ氏が自ら語った「中学時代のクラス内いじめ」熱血教師によるイジメの解決と、その時の対応・対策を考える。ネットの声
世の中の先生がこんな人ばかりなら良いのに。
人の痛みがわかる人が増えますように。
今ならモンスター親子に退職に追い込まれるんだろうねぇ。。
私は、この先生は、自分のこととして考えることを伝えたかったんだと思う。いじめられた子は、これでスッキリと感じたのかな?それも大事なこと。やっつけてくれた先生がヒーローに感じられたら、自分が逆の立場になった時相手のことを守ってあげようと思えるかもしれない…
相手の気持ちを「おもんばかる」ってことは、大事なことだと思う。私は、今の時代に忘れられた感覚な気がしてる。し、私自身どうなのかな?と思う。
新しい感覚を否定しないけど…古いけど大事なこともあると思うんだけどね…
これを何が何でも暴力といいたい人間とは、絶対に分かり合えそうにない。
暴力、はいけない事だが、このケースは暴力ではない。指導であり愛情だと思う。
イジメの加害者は恐ろしく想像力がない。
だから同じ目に合わせるのが一番良い。
生徒に規則を守らせる立場の教師も、規則は守らなければならない。力を振るえば体罰扱いとなる。 際限ない、例外もない。
だから、いかなる力の指導も、したくてもできない。
そうさせてるのは、学校ではない。
どんなにいいだろう。
これは暴力とは言えない。
もし我が子がそんないじめをしていて、先生に同じことをやられてもありがたいとさえ思うと思う。
もしくは、加害者の一人と被害者を目の前で握手させて『対応しましたよ』って顔して終わる、って感じだと思う。
体当たりで指導してイジメを完全に止めた先生ももちろん素晴らしいけど、『無理して自分で手を出さず、きちんと対応できる先輩先生に任せた担任の判断力』も素晴らしいんじゃないかと思う。
もしも『これは私のクラスのことだから、私がやらなきゃ』とか思って担任が説教して終わったらむしろ悪化していたかも知れないから。
【自分の今の指導力】を客観的に見ることができたからこそ、自分は一歩身を引くことが出来た。これは担任教師としてのプライドが邪魔してなかなか出来ない人が多いと思う。
これは暴力ではない。
今も昔も、その時代で許される範囲で、教師が真剣に向き合ってくれたらいい。
モンペも居るけど、教師だけが校内では頼り。
先生、頑張れ!
こういう先生は存在するんだよな。
体罰ではないしね、これ。
Aくんが仕返しとして彼らにはできないことを
その先生が体を張ってやってくれた。
Aくんの親御さんにしたらどれだけ有難いことか。
直接手を下すことは賛否あるが
「いけないことをした者にくす」時には必要だと思う。
そうしなければ、体感しなければ当人の気持ちを理解できない奴もいる。
ひとの痛みがわからないからいじめをするのだから、殴られる事はどれくらい痛いのか身を持って教える必要がある。
我が子の学校でもいじめがあり、校長が怒鳴ろうと、加害者はツラっとしている。
大人をなめてる子供もいる。
保護者も保護者で、いい年して数人で悪口や噂話をしている人達もいる。
そういう姿を子供達がみているんでしょうね。
大人の世界でいじめが無くならない限り、子供のいじめは無くならない。そういう大人が子を育てているのだから。
被害者側の意見で、こういう解決方法は望んでいないと言う方がいましたが、どういう解決方法が良いのでしょうか?
子をもつ親として知りたいです。
記事とは少しズレますが以前、いじめをした子どもの親に事実を報告すると、その親は「家ではいい子なんです」と子どもを庇う親が多いという話を聞きました。何だかなぁ…とモヤモヤした気持ちになりました。
その生徒達は今、しっかりと生きています。
昭和世代は多いと思う。
いじめや
不良行為も大なり小なり
確実にあった。
でも、それが長く続く学校は
教師、学校、親、含め
問題を見つけた時初動できちんと対応できなかった学校なのだと思う。
鈴木さんの学校は
それをきちんと対応した
最近あったキレた先生の件
生徒は主張する責任、情報を発信する時の
リスクを身をもって学んだはず
先生も手を出した事で、
結果、生徒へ効果的指導ができなかった事
またなんらかのペナルティを課せられるはず
この問題
時代とか関係なく
当事者達がやりすぎてしまった事
互いに認め悪かったと反省して
腹を割って話し合えば済む事。
終わったら
SNSの授業として
大変お騒がせしまして申し訳ございませんと
動画アップで幕をけばよい
問題はいつの時代でも起こる
起こった後の行動や指導も教育
鈴木さんの話も含めて改めて
思う。
これをやったら、どうなるか、人に嘘をついたらどうなるか、人を殴ったらどうなるか、無視をしたらどうなるか。
当たり前のことが出来ない子供が多すぎる。
これは、暴力じゃない、教育だ。
ただ、その、線引きをする方法がない。
今年、還暦です。色々ありましたが毎日小さな幸せを感じています。
ささやかな夢を持ち少しずつ叶えてきました。
まだ叶えたい夢があります。寿命が尽きるまでささやかな夢を叶えていきたいと思っています。
「普通に出来る事が出来ない、自分(達)より何かが変」ほんの些細な目立つ部分がやる側の「何かに」に触れて、それに感応しやすい人間が集まる。途中で「いけない」と思っても自分がやってきた事を考えると抜け出す事が出来ない。
鉄拳制裁が良いとは思わないけど、それによって抜け出せたのなら良かったと思いたい。
わたしの中学生時代は荒れていて鉄拳制裁されても悪いとも何とも思わない人達もいましたから…
大事だと思う。今は悪いことが良いことだと思え、
冷たさが優しさだと思え、と感じてします。
日本人って、成長するごとに感情障害になっていくのでは。暴力は許さんという人は、違う手段で人を追い詰めるすべを
持っていると思う。暴力を肯定する人もする人で。
アナグラム社会で、生きづらい。
ソーシャルスキルトレーニングを行わないと、社会人になれない
というのは、生活環境として好ましくないと思う。
いい先生に巡り会えることはとても幸運なことです。
保護者の手で良い教師を潰すこともある昨今です。
いじめを無くそうと思うなら親が変わらないとね!他力本願、責任転嫁を自覚してほしいね。
逆に相手の気持ちを考えるといういい機会だったんじゃないかな、と思ってしまうのは世代なんやろうね。
暴力反対なのは分かるけど、この前の生徒が炎上させようって動画なんかは完全に先生をナメてるし、大人より知恵が働くのもいるから子供によっては必要な時もあるなーと思ってしまう。
ただ、今は厳しい指導に対してはそこに至る事情を無視してクレームをつける親が多い
先生たちの生徒を大事に思う気持ちが、もっと当人たちに届きやすい環境になればいいなといつも思う
居なくなった。昔は悪いことをする奴がいると
先生が叩いたりして、そして厳しい先生が
居ることで、悪さをする人間が減れば良いことだが。
今は先生が暴力すると怒られるとは。
生徒側も悪さしても、守られると思うなよと
言いたい。
口で言っても聞かない奴は体罰により
人の苦しみを理解出来ないとだめだ。
自分も今いじめられていますがここまで酷くはありません
全く話したこともない人にからかわれ、ネットで悪口を言われ、しまいにはなりすましアカウントまで作られました
今は多少おさまったのですが、廊下などですれ違うたびからかわれます
毎日何処かで会わないかとビクビクしながら過ごしているが嫌です
本当に辛いです苦しいです
自分はプライドが高く、男なので親にも先生にも友達にも相談できず、一人で抱え込んでしまっています
いじめてる人達には絶対にこの気持ちは分からないでしょう
自分はいつか強くなりたい等の思っています
今はいじめに負けず辛抱強く頑張りたいと思います
大人になり、教師ではないが今なら小中学校のいじめっこに言えることがある。人生は上手く出来ていて、必ず他人にしたことはかえってくる。いじめてたなら将来モラハラやパワハラに苦しむだろうし、良いことをしてたならいずれ周囲に同じ事をしてもらえる。
いじめ側だったイケイケのクラスメートがまさかの教師になり、モンペかわからないが保護者達からつるしあげのように詰められてノイローゼと聞いたときは、おおかたいじめ問題にKY対応しかできず(指導がわからず)、保護者怒らせたんだろうと思ったら、まさにそのようでした。子供の頃に解決してこなかったツケは大人になるとキツいですね。
A君も、いじめをしていた男子も、見て見ぬふりをしていた子も、愛のある先生に皆救われた。
自分の幼少期のいじめは未解決で終わってしまった。今も、時々思い出して、いじめっ子達をどうにか殺せないか、いじめっ子達の家族を苦しめる方法はないか、と考えてしまう。もういい大人なのに、どうしよう。
中学のとき似たような先生がいた。
不良ぽく規律を守らない生徒が何人かいた。
何回も注意を受けても直らなかった。
最後は先生から何人も殴られて
生徒は顔を真っ赤にした。
先生は立場の弱い生徒を助けてくれて
道をもひらいてくれた。
今でもその先生は本当の恩師です。
でも私がした事?は、彼を含めて前後左右の皆でお喋りだけ。
親しくない大人しい男子だったけれど、隣の席だったので毎日話振ってた。
彼がいじめられてたとか辛い状況にあったとか全く気付かなかったので(部活中心の生活してたから)こちらこそ申し訳なく思った。
大人になった今、無意識だったけれど彼の助けになれて良かったと思います。
それは過去の話。今は、
殴られた本人が納得しようが、
親に感謝されようが、
いじめをストップさせようが、
周りのだれもがいい指導だったと言おうが、
100%愛の鞭だって言おうが、
殴る、ラリアット。やっぱりそれはアウトです。体罰です。だって法律だから。
場合によっては体罰をしてほしいって思うのであれば法律を変えなければいけない。
それと、学級委員なのに見て見ぬふりってとこがどうも納得いかない。見て見ぬふりに学級委員も何もないんじゃないかな。学級委員じゃないから見て見ぬふりしてもしょうがない?
そんな強い正義感を中1の学級委員に求めてはいけないでしょう。
今なら暴力教師で問題になり、
イジメ問題はそっちのけになりそう。
自分がされた事をされて
初めて痛みが分かる、
って言うけど、分かるの遅すぎるわ。
こんな事されたら、悲しい気持ちに
なるだろうな、っていう想像力が
働かない子供が多すぎ。
子供って残酷だから、大人が
教育しないとダメ。
特に親が。
こういう暴力を認められない現代の学校では、監視カメラなり指導員なり、生徒を管理する手段を新たに導入するしかないのでは?
動物園でも猿が酷いイジメをしてたら、飼育係が止めるんじゃないですか?w
いい時代だった。
加害生徒も先生に殴られて痛くて怖くて泣いていじめも無くなったなんて、加害生徒も含め、まだ子供も純粋な時代だった。
教育はこうでないと。
人に与えた痛みは身をもって経験しないとわからないし、この先生の行為は加害生徒のためにもなったと思う。
そしてこの時代の後に出てきたのが、今度は手加減を知らなくて生徒に怪我をさせる先生、そしてモンスターペアレント。生徒も今どきそんな先生に殴られたら、すぐにとんでもない陰湿な仕返しを考えたりと恐ろしい時代になった。
豊かになって恵まれ過ぎて、全てのものに対してありがたさを感じにくくなっている日本。
当時の私にとっては衝撃であり心を痛めていたんだと思う、かなり鮮明に記憶しているからだ。
いじめとは当事者でなくても子どもの心を傷つける状況だと思う。
私は虐めたし虐められもした。
虐めた時は殴られたし、虐められた時はひどく反省した。人権に関わることの指導には、一点のスキもあってはならないと思う。
なぜ助けなかったか、今考えると自分もイジメられる危険と仲間ハズレが怖かったんたんだろうと。
だか大人の社会でもイジメはある。
その人を今大人になって助けてあげられるかと
思うと、疑問がのこる。
人は弱い
何歳になっても弱い
心の中でいまもブルブル震えてる自分がいる
弱い自分に出来ることは、人に優しく親切に思いやりをもって接することだけだ
表に出ていないだけで隠れイジメは沢山ある。
虐める側は特になんとも思っていない。ただ遊びやイジリの延長で、ちょーっとエスカレートしてるけど楽しいしいっかー!って思っているだけ。
一方イジメを受けた側は辛い嫌な思いを一生引きづります。
今回の話を読んで、今もこんな先生が必要であると思った。イジメた側は痛みが分かり、イジメられた側は凄く救われただろう。
最近は先生への尊厳がなさすぎではないでしょうか。モンペの言い分に言い返せるくらいの学校や教育委員会であってほしいです。
親は心の痛みの分かる子に育てなきゃだめ。
感謝される案件だ。
志しをもって教師になったのだから、貫いた。こんな、先生に会えてよかった。私が加害者の親ならお礼をいいたい。口で言ってわからぬ輩には必要な制裁はあると思う。
大らかな時代はその闇の部分を誤魔化して躾として暴力を肯定し、現代では全否定したが為にそれを逆手にとる時代になってしまった。もっと後の時代ではより良い方法が見つかるのかな?
こんな時代だと教師になりたい子供も減っちゃうね。
悪いことは悪いと体を張って教えたB先生素晴らしい!きっと生徒を叩いたB先生は手が痛かったはず。生徒だけ痛かったわけではない。
こういう先生はすたれないで欲しい。
叱られて心から改心した生徒と納得いかず表面的に変わっただけの生徒に分かれたと思う。
数ヶ月後の記事を受けた事だって皆が皆鈴木さんのように受け止めているとは思わない。
人に期待しすぎちゃいけない。
あと自分の頃もギリギリ先生の体罰ってあったけどちょっと忘れ物しただけでぶん殴られたりって感じの事も多かったし教師の体罰を良しとするのはあんまり良くないと思う。やり過ぎちゃう先生って全体いるからね。
体罰なんかしなくても、いじめが発覚した段階で加害者の生徒を登校禁止にしたり転校させたりできるような仕組みを整えていけば劇的にいじめは減ると思うけどな。
この辺にも、今の教育を取り巻く環境に対する歪みが感じられるね。
昨今の、何かすれば「パワハラだ!」「セクハラだ!!」「◯◯ハラだ!!!」といわれる風潮も、悪いものは悪いと断言できない萎縮した社会づくりの形成に寄与してしまってると思う。
でも、今これやったら、
先生の方が問題になる。
僕も1968年生まれなので、
似たような世代ですけど、
どのクラスにも何人か、
いじめられっ子はいました。
そして、いじめてるのは、
大体不良。
僕たち一般の人間は、
鈴木さんのように笑ってみてるか、
僕のように怖いから関わらないようにするか。
どちらかでした。
でも、巻き込まれないように見ない振りしてた、自分を責めることは出来ない。
やはり、
自分がターゲットにはなりたくないから。
でも、こういうきちんとした先生が、
しっかり叱ってくれていたら、
いじめはなくなっていたのかも。
今、うちの母校は当時より荒れているらしく、
自分の子供は入れたくないので私立に入れました。
あの時止まっていたら、
自分の子供も安心して入れられたんだろうな。
こんなところでも、因果は巡る。
これは必要だと思う。
忘れ物をしたとか部活の試合でミスをしたとか部活サボったとかでボコボコ殴ったらそりゃ体罰だけど。
人のものを盗むとかイジメをするとか人の尊厳を傷つける言動や行為をするとかは見逃しちゃダメでしょ。
中学に入りいじめられていた子は楽しく学校生活を過ごしていたみたいだが自分は引き続き
先生にわからない程度にやられていた
毎日憂鬱だったがあちらこちらに友人がいたお陰で何とか乗り切ることができた
いじめられていた彼女が死を選ばないでくれてよかった
積極的に荷担することはなかったけど、流れでその子とは口を聞くこともなかった
大人になって自分の子が同じ遭遇にあったらと思うといたたまれない
B先生みたいな人を心から尊敬する
今は、生徒と保護者による弊害も多々あり事なかれ主義になってしまいがちで色々と難しいのでしょうけど、受け持った生徒の将来を考え、人として指導してくれる、そんな『先生』がいてくれた自分の学生時代は、今の子供達より幸せだったのかもしれませんね
なんでもだけど、慣れによってどんどんエスカレートしていく。
暴力はいけないけど、時には痛みのある指導も必要。線引きは難しいけどね。
今の世の中だとイジメや先生への挑発は増える一方だと思う。
うちの子供もこんな先生に当たればいいのになってつくづく思います。
誰かに教えてもらわないと、その子死んだとしても自分が悪いって思わないでしょうし。
いつも挙動不審で吃り症で教室や廊下も角を歩くような子でした。
先生方も注意して観察していたのでおおごとになるようなことはありませんでしたが、時々からかわれているのが気になっていました。
イジメ問題のニュースを見るたびに
彼はどうしているだろう?と思い出します。
はっきり言えば、子どもの将来よりも我が身が可愛いくて開き直り、こじつけ、人のせい、そんなモンスターがいっぱい過ぎて、学校の先生も気持ちはあっても出来ない、そんな世の中に。
私の頃もいましたよ。
本気で叱ってくれる先生や大人が。
大人になってから度々思い出します。
本気で向かい合ってくれた大人たちのことを。
有難いと思っています。
しかし今現代、子どもに優しく出来ないなんて最低とか、我が子じゃないんだから本気で怒られてもねぇ、なんて言う親が実際にいるんです。
それなら我が子を他人に迷惑をかけないように、自分が育てれば良いことなのにそれもしない。
無責任、この言葉は存在しないのだろうか。
でも、減らすことはできる。
大切なのはマインドコントロール。
ひとりひとりにはびこる自信のなさを取除けば、いじめの必要はなくなる。
芸能人の方々がこういうスタイルで過去をカミングアウトするのは、とてもいい流れだと思う。
B先生が暴力事件とか暴力教師なんて言われて
退職せざるを得なくなったとしても
ずっと尊敬するだろうな…
自分が学生だった時は担任の先生も他の先生も
見て見ぬふりされたから
どう考えても気付く状況ですら無視されたもの
余談ですが
それからというもの
人を信じなくなったり、関与される事を
異常に嫌いになったのは何かしらの
関連性があるのか…否か
その先生が悪いことをしたとゆう人はいない。
いたらその人は子供のことを思っていない親だと感じる。
どうか、暴力はだめだけど、時と場合によるとゆうことをわかってほしい。
我が子にも、そんな先生に出会ってほしい。
今はもういないんだろな。。。
ただ、思い返すのは、恩師は1人もいなかった。幼稚園の時、先生に脅されて怖かった思いから、含めたら、幼、小、中、高、いろんな先生に教えをだけど、恩師は1人もいなかった。もちろん、自分が悪いからなんやろうと、いつも思ってたんやけど、40才になって、ウイクスクかな心療内科にもいって、診察し検査したら、ADHD、アスペルガーって、言われて納得したんやけど、悪いのは自分なんやけど、しんどかったよ。先生は万能の神じゃない。1人の人間なんよ。だから恨んではないです。僕に運がなかっただけなので。
でも残念なことに今はその当たり前が当たり前ではなくなってる。
自分も小学生の時に母親が先生に「この子が言うこと聞かんかったり悪さしたらバチバチにシバいて下さい」って言うてた。
それは暴力ではない。
親も世間ももっと色々考えないと。
体罰につき懲戒免職なんですよ。
それは、体罰の基準が、いじめと同じところで判断されるからなのです。
受け身の側が体罰と訴えたら犯罪になる。
それが例え、体を張っていじめを阻止する行為であったとしても。
指導法によってはターゲットがかわるだけで、いじめそのものは無くならないけど、痛みを身をもって知ったらなかなかできないよね。
今で言う体罰もありだと思う。何があっても絶対やめさせないといけない事だし。
最悪の事態になる前に手をあげてでもすぐにやめさせないと。いじめられてる子の命にも関わる問題だし。どうしてもすぐにやめさせないといけない緊急事態で話し合いとか言ってられないでしょう。それ以外の事では体罰は反対。
自分の中学時代にもいたが、彼は正しくなかった。ただの暴力教師だった。
なかなか難しい。
結局、どこかで線を引くしかない
どこで線を引くかと言えば、やはり「学校で体罰は無くす」としか線を引けないと思う
昔はこれで終わらせられた。
今のイジメは、この指導では終わらない。
むしろ悪化する危険性がある。
新しい指導が必要だが、
まだその方法は発明されていない。
思いもよらない方法で世界は変えられるんだ
SMAPの曲
槇原敬之さんはSMAPが歌うから意味になると言ってくれました
流れて欲しい届いて欲しい
イジメは犯罪なんです。
悪口も犯罪なんです。
今ならとかそれを聞いて学校へクレーム行く
モンペとかいるだろうな…
なんか涙が出た。
ありがとう
俺は学生時代、本来守られるはずの教師に暴力や差別を受けていた。そういう体験してる人間は理由はどうであれ体罰は許さないわ。相手は未成年の子供で法律的にも守られる年齢である。そこらへん考えてない奴らが最近多すぎ。
ある日同窓生が職場に来たから
久しぶりだね、と声かけたら
あなたは私をイジメてたよね
だから話をしたくないと銀行の窓口で
言われたそう
そんな返答されると思ってなくて
ショックだったと話してた
私もあなたに背中を蹴られたこと
あったよ、と伝えてもよかったけど
今はどうでもいいと思ってるから
何も言わなかったけどね
どうやったらこんな性格の人に
分からせることが出来るのか
悩むよ
この先生は今では問題になるんだろうね
おかしな世の中
それにたとえ有効な体罰があったにしても、逆に多くの無意味な体罰があったのも事実かと
つまり全ての体罰を肯定できない以上、否定するしかない
人を叱る、指導する、そして身体で教える。厳しい先生ほど気苦労が絶えなかったのでは。
以前の先生には優しさがありました。
立派だと思う
今更だけど
この教師は良い教師だとは思うし、現実に解決したのだから結果オーライだとは思うが、「暴力ではない」は間違いだ
確実に暴力である
ただおそらくこの教師はクビ覚悟でやったのだと思うし、クレームが付いたとしても謝罪はしなかったのではないかな
それだけの覚悟と情熱が見てとれる
この前の挑発されて感情的になって殴り、その後謝罪した教師とは肝の据わりかたが違うだろう
それでも自分は暴力には反対だがね
あの生徒は殴られたからといって恨みに思うだけで理解なんかしないし反省もしない
今まで普通に通えた学校に行くのが嫌になった
担任の先生との交換日記にその思いを書いた
だが、ランドセルに隠していたその交換日記を無視グループに荒らされ読まれてしまった
更に無視の輪が広がった
無視の理由が自分ではわからない
悔しくて辛くて死にたいと思った
その時、担任がイジメっ子達を集め、無視を止めるよう諭してくれた
ほんの数ヶ月だったがとても辛かった
暴力でない精神に追い込む無視
あれから数十年
自分の本心を人に伝えることが今でもできない
人間不信は今でも続く…
子供の教育が出来ずにモンスターペアレントみたいになってるのはどうしてだろう・・
忘れ物した→とりあえず殴る
掃除をサボった子がいた→クラス全員正座1時間。
授業中、ちょっと遊んでいたらしい(静かに)→背負い投げ&頬を殴る。更に親なんか怖くないと怒鳴る。
忘れられないのが、真面目に自習をやっていたのに、字が小さくてノートがあまり埋められていなかった子を問答無用に殴った事。
いずれも20年以上前の中学での話。
今の若い子は信じられないだろうね。
どこの学校にも、組織にもいじめのようなものは存在する。
止められる人が止めないとエスカレートしてしまう。極力早い方がいいけど、わかりづらいよね。後悔はみんなしているはず。誰もが見て見ぬふりを一度はしているはず。
私もそうです。
先生のビンタ指導のおかげで、自殺の罪を背負わなくて済んで良かった!、と読めてしまった私は、やはり未だに心に闇があります。。。
やり方は少し強引にも思いましたが、これでみんな、我に返ることができた。悲惨ないじめを食い止めた。
こんな先生、もっともっといてほしいです
実際こっちの方がずっと多いし、多くなくちゃいけない。先生は正しかった。引き継いでいかなきゃいけない何かがある。
20分以上組み合いツッパリを畳に沈めた。
クラスの周りの全員が黙ってしまった。
何が起きたのか暫く理解できなかった。
いじめ指導は難しいから、見て見ぬふりをする先生多いと思う。
体罰は駄目と言っても時と場合による
これでも武井やオギは体罰許さん!と叩くのか
無茶振りする動物愛護団体とかわらねーや。
40年ぐらい前だがスカートめくりする男子たちにスカートを履かせスカートめくりやられる側にたたせた。男の先生だったが「少しは女子の気持ちが分かったか」と叱咤したのを思い出した。
幸い、自殺などと言うことはなかったが、今の時代なら大問題になってたと思う。
管理人の率直な感想
傷害ですけどね。どっちも。
暴力は反対です。
ただしこのケースは「感情的な暴力」なのか「理解させるための暴力」なのかというところが着目すべき点だと思います。
絶対的に後者です。
「今は」とか「昔は」というのもあるでしょう。
さも美談のように捉えている方が多いですが、この先生が「昔だからこそ」自分が教職を追われる可能性を考えていたか否か。
覚悟を持って生徒にこういう暴力対応をしたのかどうか。
僕は疑問に感じます。
だってそういう時代だったんでしょう。
いじめは収まったが、根本的な解決にはなっていない。
確かにA君は不登校になることもなく自殺することも無かった。
それは結果論。
「いつの間にかいじめられていることに気づいた」と言っているし、A君自身も何故いじめられているのか分かっていなかったでしょう。
そのA君にとって中学時代は思い出したくない過去だろうし、思い出しても未だに何故いじめられていたのか分からないでしょう。
同窓会にも行けやしない。
ただB先生が怖くていじめが終わっただけ。
臭いものに蓋をしただけです。
いじめがなくなったのは素晴らしいことだし、A君が死を選ばなかったのは何より。
僕としては、いじめられた過去は消せなくても、何故いじめられたのか、そして何故いじめたのかを全員が心をもって理解反省し、少しでもそれからのA君の学校生活に笑顔を与えてほしかったと思う。
欲張りですか?
今どき「俺が仕事を辞めることになっても絶対にいじめは許さない!そのためだったら暴力だって振るう!」という熱意を持った先生がどれだけいるでしょうか。
おそらく限りなくゼロでしょう。
そんな先生ばっかりだったら先生なんていなくなってしまう。
そもそも僕はそこまで教職者に期待なんてしていない。
これはあります確かに。
裏切らなければそれでいい。
他人に抑圧されたり、強制されて収まるいじめよりも、加害者たちが自ら省みて心から決めた自主的ないじめの終焉の方が圧倒的に強い。
そしてそれは、その後のいじめ被害者の人生にも必ず影響してくる。
例えそれが理想論だと言われようが、ほんの少しでも多くいじめ被害者に笑顔を。と考える。
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