ピン芸人No.1決定戦「R―1ぐらんぷり2019」の予選結果にキートンが怒りをぶちまけ、インターネット上で話題になっている。
ウケたのに通らない――。
ツイッターで「あれだけウケて落とされたら誰でも怒ります」「私は意図的に落とされたと思っている」「R―1詐欺」などと運営側を批判するツイートを投稿した。
会場も舞台袖も大爆笑のキートン「敗退の謎」
関係者によると、キートンは3回戦にバドガールの格好で登場し「千の風になって」を歌いながら生ビールを飲むというエッジの効いたネタを披露した。
舞台袖で見ていた芸人は「会場はメチャクチャ、ウケていた。お客さんは大喜び。舞台袖も大爆笑でしたよ。ただ、ネタとしてはふざけた感じもあってジャッジが難しいなとは思いました」と説明。
舞台上で参加者の真面目なネタが続く中、ハリを振り切ったキートンの登場で一気に空気が変わり、盛り上がったという。
落選理由としては、スポンサーの絡みもあり、テレビ向きではなかったという判断だった可能性がある。
難しいお笑いの数値化・・・
お笑いのコンテストは本当に難しい。
笑いの量を数値化できないという課題はついて回る。
先日、ビートたけしが開催した「ビートたけし杯 漫才日本一」は、その日一番ウケていた「マッハスピード豪速球」が優勝した。
審査員のジャッジと観客投票も一致。シンプルで分かりやすい構図だった。
お笑いグランプリの疑惑審査に対策はないのか?
参加者の不満を解消するためには予選会から審査員を随時入れ替えることも必要だろう。
少人数で何年も同じ顔ぶれだとマンネリ化しやすく、基準も曖昧になりがちだ。
人数を多くして、最高点と最少点をつけた審査員の点数を省いて平均値を取るなどして公平性を保つのもありだ。
ここ数年「審査員の〇〇が好き嫌いで決めている」「審査員が、仲の良い女性芸人に肩入れしている」などと、根も葉もないウワサ話まで聞こえてくるほどだった。
昨年のM―1グランプリでは、とろサーモンの久保田かずのぶと、スーパーマラドーナの武智が泥酔して審査員の上沼恵美子に噛みついた動画をネットに投稿し大炎上した。
人が人を判断するのだから演者としては納得いかないことがあることも理解できる。
「芸人」と「大会」
芸人は2000円のエントリー料を払ってR―1に参加する。
チャンスを掴むためにネタを作る。
今回の予選でガリガリガリクソンが自身の“替え玉”としてリー5世を送り込み、見事に散ったのも一つネタとして考えると大アリだ。みんな面白いことを世間に届けるために芸人をやっている。
そもそも演者の誰もが納得して笑える大会を実現するのはハードルが高い。
だからこそ私情を挟まない厳正なジャッジを望む。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190131-00000162-spnannex-ent
大爆笑のキートンが疑惑の敗退で運営陣を批判。「芸人は面白ければいい」という時代ではないのか。ネットの声
勝ち上がる人はそういう常識をわきまえてるんだと思うけどね。
笑いはどうしたって人それぞれの好みが出てしまうからある程度の枠はあった方が良いと思う。
テレビ放映するならそれを想定したネタ、その場の舞台だけで笑いをとるならそこの空気を読んで…とか、臨機応変にそれをするのがプロなんじゃないのかなぁ。
そんなのはコンテストに参加する者のほとんどが思うことだし、そういう気概がない者はコンテストに出る意味さえないだろう
現場にいなかったから、ウケたとか審査がおかしいかとかは判断できない
しかし、落ちたからといって、審査員をこき下ろしたり出来レースだと騒ぎ立てるのは見苦しい
もしキートン氏の想像通りならば糾弾されるべきことだが、その確証もなく決めつけて一方的に罵るのはだめなことだ
裏で何があろうと、出場者はあくまで審査される側でしかない
それでも納得できないのならば、ツイッターやインスタグラムなどで一方的に罵るのではなく、主催者や審査員に直接言うべき
直接言えないのに一方的に罵るとか、自分の品位を下げるだけで何も得しない
R1の格にもドロを塗る行為だ
M1の騒動があったばかりなのに、なぜまた同じことをする?
あの騒動で誰かが得をしたり何かが覆ったか?
お笑いにも各々好きなタイプがあって、一番って思う人が一般人で多くても、最終的には審査員の独断と偏見。
文化系の絵とかも一緒。最終的にみんながいいと思っても順位は審査員が決めるからねー
得点のスポーツでない限りここの勝敗は難しい!
M-1、R-1くらいの、誰でも出られる上に日本中で有名と言える大会には、エントリーフィーが発生するのは当然かと。むしろ2000円は良心的と言っていいのでは。
残念ながら、この方の発言は全く共感できません。周りの芸人やその舞台を観た人から、そんな意見が出てくるならまだしも、本人でしょ?
みんな「オレが一番」と思ってる人が出てるんだからね。
ここまで言って、自分が正しいと証明できる方法はただ一つ、売れることしかないでしょう。
売れなければ、審査員は見る目があったってことで。
キートンが披露したバドガールの格好で「千の風になって」を歌いながらビールを飲むネタって、いわゆるキワモノだろう…。
その場では受けたかもしれないけど万人受けするようなネタには思えない。現場で観ている人とテレビで観ている人の温度(笑いの)差が全く違うようなネタに思える。
審査も受けた順なら審査員なんていらないし、集音機で笑いの量を測れば良いだけになる。そうではなくネタの質・構成という別の評価基準があるなら、その場の笑いの量と審査結果にズレが生じるのは仕方ない。
ピン芸人のNo.1を決め次代のスターを送り出そうというなら、最大公約数的に多くの人に笑ってもらえそうなネタを披露した人を次のラウンドに進むように判定するのは当然だと思う。
キートンが今回披露したネタを多くの人が見たいとは思えない。場合によっては悲鳴が上がりそう…。
エントリーフィ¥2000とかも暴露してますが、それを払ってでも出演希望した理由は何でしょうか?
売れたいからじゃないですか?
ゴールデンタイムに全国ネットで放送される番組に出演したいからじゃないですか?
会場でウケたのに審査員の目に留まらなかった要因がなんなのかちゃんと検証して次に向けて頑張って下さい。
日本エレキテル連合がテレビで見かけなくなった理由は?
彼女達は劇場では爆笑をさらってますよ!
記事読む限り、著作権の切れていない歌詞ありの楽曲をネタとして使う時点でハードルは上がってると思うし、この写真の時の浅田真央さんのモノマネとか確かに似せてるのかもしれないがテレビ向きで無いっていうのは当然かと思う
芸人さん本人は自分が一番面白いって思うのは
当たり前じゃないですか。そうでないと芸人にはなりませんよね。
どんな状況でも
第三者に評価されて初めて一流の芸人だと思います。
芸人受けするか一般受けするかが分か道なのかとは思います
バイキングがキングオブコントで優勝したときは審査員が芸人さん達では無かったかな?
芸人さん達が評価してあれだけの点数を叩きだしたのは、ほぼ無名の芸人ながら本物の面白さを見せたからではないでしょうか。
ただ、前提として彼の実力がその程度だったともいえる。ネタを見たことあるが、仮に決勝に行ったとしても今年の覇者である濱田には勝てなかったと思う。
個人的にはやはりお笑いは話せてなんぼ、しっかりとしたネタがあってなんぼだと思っているから、正直一発芸の何が面白いのって立場からすれば、今年の優勝者は例年以上に妥当だったと思う。所詮運営の意図もあるわけだし、故・桂歌丸氏が言うようにお笑いは常に芸を磨いてなんぼなわけだから、文句を言う暇があるならもっと受け入れられる芸を身に着けた方がいいと思う。
気持ちはわかるけど芸人さんが一番見せたらアカン部分を見せてしまったら結局今後その芸人さんのネタを笑えなくなる事もある。
なんか今年がラストイヤーとか今までの苦労話とか最近のM1とかでもやたらと言いますよね。
あれ、良くないと思います。格好悪いしね。
大衆は「笑い」に、ストレスからの解放や、周囲との「面白さ」を共有する連帯感を求めてるのであり、はっきり言って演者を取り巻く裏側の醜いドタバタなどどうでもよい。
それは純粋な「笑い」の邪魔である。
ネット社会になったために、芸人側から発信できるようになり、そういった「知る必要のない」情報がバンバン飛び交い、中には芸それ自体より、そういう「枝葉」で生きてるとしか思えないのが多々見受けられる。
「笑わせる力」というのは、非常に高度な能力であり、そうあちこちに転がってるものではない。
つまり今「芸人」が多すぎるのだ。当然「イスに座れない」のが出てくるし、自分は実力あるけど運が悪いと思うなら、圧倒的な腕を磨いてリベンジすればいい。
見苦しい言葉はいらない。
ただ笑わせてくれ。
今売れてないってことは何かしら理由がある訳ですよね。
テレビ向きではなかった事も影響云々と記事にありましたが、それが本当かどうかはともかく、スポンサーがいてテレビ中継されるということは、テレビ中継のない劇場でやる場合と当然違うでしょうから、面白さとは別にそれが大事な基準の一つとなるなど、はっきり伝えておけば良いのではと思います
それが気に入らない人は申し込まないでしょうし、それでも自分達のネタは大丈夫と思えば挑戦するでしょう
その上での結果であれば普通は納得するでしょうし、それでもまだ文句を言う人が出るのなら、その人が単に自己主張の激しい自分勝手な考えの人間というだけの事かと
笑いは、その場の雰囲気に影響されます。
芸は人に、感心や、心の中での感動や、成る程凄いと思わせる事です。
会場での雰囲気に流され、ギャグ、揚げ足で笑いを取っても、それがイコール芸ではない。
芸のない芸人が、爆笑したから評価が良いと思う事自体、自分には本当の芸がないのが分かっているはずです。今の若手は芸の有る先輩を尊敬しないです。
原因は、芸のない芸人が人気者になり番組の司会をしている事です。
今は低レベルの、芸のない芸人ばかりが顔を効かせています。
結果、爆笑ぐらいで芸人振る若手が増えすぎです。
残念です。
スケートや体操なんかもそうだけど、基準や客観性、透明性の確保なかったらこういう不満が出てくるのは当然だと思うし、客席が受けていたのなら尚更不満だろう。
基準等を明確にして、どうしてそういう判断をしたのかという理由をきちんと伝えた方がいいと、そこから学ぶことがあるかもしれないし、次に活かせると思う。
基準も公表されず、客観性も透明性も確保されず、審査結果の理由も知らされず、客席が受けてるのにダメとかだとわけわからんと思う、真剣にやっている本人たちは。
クローズドの中でならば題材も自由だけれど、波に乗る事を考えたらある程度の制限はかかってくるでしょう。
その辺りは素人では無いのだから解っていないと。それでクレーム付けるならば参加しなければ良い。
面白さなんて個々彩々で、自分などは一発芸とかは面白いと思わない。矢張りウイットに富み
言葉のセンスを求めるものです。なので、演者の価値判断と見る側の判断は違うし、一度だけと云うのも違うと思う。
グランプリとは矢張り安定的な技術を得た者に与えられるのではないだろうか。
M1、R1、キングオブコント、それぞれあるけど、決勝の会場ではウケてるけど、テレビで自分が見る限り、そんなオモロイか?ってのもチラホラある。
予選まではテレビ的に面白そうな芸人を審査、決勝はその場の雰囲気も含めて芸人審査員が決めるイメージかなと思う。
そこいくとキートンさんはテレビ的にイケてなかったんだろうよ。
ましてや、R1優勝者で数年に渡り活躍してる芸人、どれだけいるよ?
博多華丸ぐらいじゃない?
他のコメントでも見たけど、本当に面白いけりゃ、R1で勝とうが負けようが売れっ子になってる。
そうでないなら推して知るべし
世の一般的な摂理として、選ぶ側と選ばれる側との明確な立場の違いがある場合において、
「選ぶ側の意図」を汲み取ってそれを実現した者が、選ばれるのです。それ以上も以下もないです。
もし選ばれたいと思うならば、選ばれる側の努力おいて、何が求められているのかを探知し、選ぶ側の意図や要求に合わせるほかありません。
上手にそれを実現した順に、受かります。
これは試験、選抜の類に限られず、あらゆる競争における、根本的な摂理です。
キートン氏の存在すら私は存じ上げませんが、彼はまだお若いのでしょうか。このようなことを人生において一つ一つ学んでいくほかありませんし、人生をやってりゃ、否応なく思い知らされることです。
いい歳こいてその思料にすら至っていないなら、誰にも救えないと思いますけど。
負けた事自体が悔しいと言うのなら、審査員を見て勝つ芸を出すのも芸の内と言う事だ。
こういうコンテストに落ちても売れてる芸人はゴマンといるだろう。キートン氏に実力があれば世間が放っておかない。
「わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。私の欲しいのは大衆の喝采だ。大衆が私の仕事を賞賛してくれるならば、それで十分だ」
とはチャップリンの名言だが、芸は権威ではない。キートン氏はもっと視野を広げるべきだ。
演者側は当然として、開催側の選別・モラルにまで問題が広がるのは想定内では。
手間は掛かるけど、審査側から「今回なぜ残せなかったのか?」の説明が一言でもあると、こうやって後から一方的に文句を言う人(個人的にこのやり口は卑怯だと思っている)が減るのではないかと思う。
それでも文句を言う人はいるだろうけど、そういう人はテレビ向きでないということで、その人に向いた場が居場所になるだけかと。
厳正な審査をしたところで、新しい才能を発掘できるわけでもない。
一般の観客と、プロの芸人では見ている基準が根本から違うんだから一致する方が珍しい。
コンテストなんてチャンスの一つであって、そこに芸人人生の全てを賭けるなんて間違ってる。
ある程度の年齢なら諦めるキッカケにするか、売れなくても芸人をやる覚悟をするかなんじゃないのかな?
そんなことできるのか?
厳正て何をもって厳正なジャッジなのかわからない。
私情を挟まないなんてできないでしょ。
上沼さんの件と言い、お笑いや芸事まで統一した基準を設けて審査をする必要あるのだろうか?
様々な人がそれぞれの基準で審査するからお笑いや芸事は多様であり、エンターテイメントになるじゃないのかな?だから、その基準と言うものは、審査する人の私情などが入ることはあるでしょうし、逆に私情を入れずに審査するという人もいるでしょう。
芸人さんだから自分の芸で会場の客がウケたのだから間違いないと思うことや自信は大切だけど、こと審査について発言するのはどうかと思う。
腹が立つのも分かるが、十分会場の客にはウケたのだから、次は審査員にも評価されるような芸を披露して欲しいなと思います。
だから、勿体ないのです。
最近、似たような事が続いてますね。
一般的に考えると、コンテストや試験に挑んだけど入賞しなかったり不合格だったから、世間の人達に大々的にコンテストや試験のシステムに文句を言うみたいな事ですかね・・・
お笑いとか芸術は評価基準は捉えどころない部分があるから・・・評価されなかった人は色々思うところもあるのは分かります。
でも、それも含めて承知の部分もあって評価されに行くのではないでしょうかね…?
気持ちも分かるけど…ちょっと見苦しいかな。
一言で面白さと言ってもギャグや喋くり、爆発、祇園、風刺、、、などの面白さがあるから、それぞれに採点基準をもうけ、複数項目で採点し、その上で審査員の人数を増やし、最高点と最低点をのぞくなど公平かつ合意出来るシステムを構築すべきだ。
運営側にはその責任があると思う。M1もR1も同様。審査員任せのえこひいきまがいな審査では人生をかけて頑張っている芸人さんたちに失礼だ。
ましてや予選でキートンさんのようなウケけたのに落ちる方が居たのならば、それは審査でもショーレースでもなくただのオーディションでしょ。
運営側に文句を言うくらいならでない方がいいのでは?
実力があれば売れる世界
テレビで売れないのであれば売れる要素、需要がないのでは?
テレビの賞レースなのでテレビ映えを考えるのは必然かと思います
テレビで売れてても営業ではただ滑りな人はいますし
審査基準を出せばこういう文句も減るのではないでしょうか。テレビ向けの芸としてどの時間帯でも放送できて、老若男女万人に適切かも審査ポイントにするとか。スポンサーの意向があるならあるって言えばいい。
あらゆる賞にはそれぞれカラーがあるものだし、R-1にもカラーがあるならそのカラーを研究するのも参加者には必要だと思います。
「何故か分からないけどウケる」は一番判断しにくそう。仮に冷静な目で見たら評価すべき部分がないとも言える。“あらびき団“なんかは面白い番組だったけどコンテストなら1、2回戦レベルの笑いかもしれない。
でも準決勝ぐらいまでは現場でウケた者は通すの基準ぐらいはあっても演者の為にはいいのかな。
昨年のM-1最後の3組のように『ウケる・笑える・面白い』の違いを審査するにはどうしても審査員の主観は避けられないし。
スポンサーの意向もあれば、主催者の意向もある。審査員自身も好みがある。
不満を不満として言うのではなく、不満をある種のネタとして、笑いを追求するくらいの芸人になってほしいですね!
そういう人がトップに君臨するのだと思います。
世の中のほとんどの人は、自分に対する不公平な評価に甘んじながら生きている
別にこの人だけじゃない
どうしても公平さを求めるならサラリーマンか公務員でもやったほうが、芸人に比べれば少しは公平に近いんじゃないのかね
それか、他人の評価を求めず自給自足で生きるかだね
何より、注文付けるにしても面白オカシク言って笑いを取るならいいけど、あまり正論ど真ん中だと、次にテレビで見ても笑えないよ
審査員無しだと観客の投票?それだと有名なほど有利になるでしょうね。成り上がりのチャンスはさらに減るけど(まだ売れてもいない)R1出場者の大半もそれがいいのならそうすればいい。
視聴者とすれば満足さえ出来れば良いんだから。スゲー面白いネタだろうが。今絶頂の定番だろうが。
観客投票でなく審査員制度って、芸人側のためだと思うけどなぁ…
違和感しかない。
そのコンテストを選んだのは自分だし、そのコンテストのルールに乗るしかないのではと思う。
自分の評価と他人の評価が違うのは仕方のない事だし、裏で何かがあっても主催者のやる事なので仕方ない。
納得出来なければ出なければ良い。
出なくても笑いで商いをしている人は沢山いる。
参加費だって少年野球でも出している。
運営にはお金が掛かるので今後の為への寄付みたいな物かと。
落とされてから影でグチグチ言うのはみっともない。
ちなみに自分は男がバドガールの姿をしたのをテレビでは見たくない。
それこそ視聴者だってテレビを見るのにお金を払ってるよ。
けど、それを出場者が言う事は
厳しいと思う
コンテストは、主催者側のものだし
嫌なら出るなってはなし
出てるやつもそのタイトルと名声欲しさ
その利害関係がある以上文句を言うていっても
意味がないとおもう
ただ、お金を取ってるとなると
一つ間違えると詐欺となりうるだろうな
主催者はお金とらずにした方が自由にできるのに!この人もビートたけし杯 漫才日本一にでればよかったんじゃないの?優勝できる実力か知らんけど
ならば予選でずば抜けてうけた枠があっても良い。バランスの良い決勝を見たい。コンプライアンスに引っかからない芸人ならお願い致します。
因みに2016のM-1の準決勝では司会の方がだれが一番面白いのかを決めると言っていた。見る側も分かりやすかった。
どちらかといえば、オーディション的な感覚で運営しているのかね。本命は決まっているけど、建前的にやるとか他に良いのが見つかったらキープしておこうとか。
どちらかといえば、オーディション的な感覚で運営しているのかね。本命は決まっているけど、建前的にやるとか他に良いのが見つかったらキープしておこうとか。
ただ敗退したら批判するのであればコンテスト等には出ないほうがいいと思います。あれだけ年末に荒れたのに同じことをすると炎上商法と思われ自分が損をするだけです。
数学じゃないので、数値化は無理でしょう。
本当に面白い芸人なら誰かの目に留まり、いずれは公の場で活躍できるでしょう。
運も実力のうちと言います。その時の審査員があなたのネタを面白いと感じるかどうかは運もいるかもしれません。小説などのコンクールでも審査員の感性次第です。
でも、私ならこういう運営を批判するような輩を使いたくはないですね。
お笑いを目指したり実践するでもなく、その番組やらを観て、専門家ぶる素人がいちばん面白くない存在ではある。
全員が納得できるシステムがあるかは微妙だが、審査員票、観客票、それに参加者票を総合して評価したら納得するのかな?
ここまで公然と批判するからには、参加者票は厳正な評価にならなければおかしいし。
色々あるだろうが、工夫できるところはありそう。
ショーステージとレースステージを同じにしてはいけない。
ショーは今、それを見ている人たちを楽しませればいいけど
レースではこれからその人を知る人たちが「また見たい」「足を運んで見たい」と思うようにしなきゃいけない。
自分が評価されなかったからってシステムを批評する人に、自分を知らない人たちを納得させられる芸ができるとは思えない。
これこそ落とされた理由だと思うけどね
記事の画像でそうだが、浅田真央へのリスペクトを感じないネタは金輪際やらないで欲しい
見る人を楽しませることの本質が分かっていないと思う
「一生懸命」とか「命を懸けて」という言葉を使えば、何やっても良いのかと
ただ一部スポーツの世界でAIを導入して審査の数値化によって公平性を保とうという試みがあるが、お笑いこそ完全に感性によっても環境や時代の流れによっても、同じネタの評価が全く違ったものになる可能性もある。
お笑い審査に関しては、昨年のM-1で物議を醸した件があったばかりだし、事前に基準をしっかり設けてはいると思う。例えばより普遍的で時代に左右されないネタを優先するとか。
数えきれないくらいの先輩たちも同じような忸怩たる思いを抱きながら仕事をしてきたはず。ネタ的には自分の方が上なのにどうしてあいつが売れて俺が売れないんだって芸人の日常会話だと思うよ。
普段やってる事や、色々考えてTV側もゴールデンに出すわけだから、結局TV向きじゃなかったって事だろう。
だから、キートンが、R-1で一発狙うなら、テレビ向きにやっていくしかないな。
それは、他のお笑いの大会どれも同じだと思う。
M-1も、敗者復活がよく優勝してるの見たらわかるよ。
俺が一番ウケたのに何で認められないんだと思っているのかも知れないけど、過去のR-1優勝者のネタの傾向を調べたのかな?
審査員受けしやすいネタ、一般ウケしやすいネタを提供するのもこういった大会で高成績を上げるテクニックだと思うが。
日曜チャップリンは審査員4名と観客96人で得点を出す方法をとっています。
一番しっくりくる得点が出ている感じを受けます。
M1で敗者復活組が毎年活躍しますが、そもそも準決勝の審査で落ちているコンビです。
それが、観客が審査をする敗者復活戦で再審査をされ、決勝で審査員が評価した人達より高評価を得る。
M1やR1のようなメジャーな大会は準決勝から観客採点方式を採用して欲しいです。
テレビで放送するなら自分は見ます。
結果が出て主催側に文句言うのは、やはりなんか問題がある人なんだろう。
悔しかったのも分かりますが、本当に面白ければR1じゃなくても売れます。R1に固執し過ぎな気もします。
R1は自分のスタイルに合ってなかっただけ。
今回のような発言は決してプラスにはならないでしょうね。勿体ないなあと思いました。
受験や国家試験などそういった基準を確保しなければいけない選別は当然に存在する。
しかし、入社試験やコンテストなど主催者の趣旨や意向が優先されることになんの問題もない選別も存在する。
そのニーズを見抜いて挑むのも挑戦するものに必要なスキルだと思う。
世の中の多くは不平等であり理不尽なことで成り立っている。それを受け入れ対応出来ない人が、不満ばかりを抱えて前に進むことから遠ざかっていると思う。
逆に審査員だって、通すからには責任が生じるでしょう。
筆記で高得点取っても人間性に問題があれば会社も採用しないのと同じだと思います。
これは自由と無秩序の区別が付かないタイプかな
自分が一番というのはほぼ全ての参加者全員が思っているし、むしろ前提でしょう
下品なネタや、実在する人を弄るネタ、時事ネタ、政治ネタや、その他のセンシティブなネタもメディアに出る以上は不特定多数の老若男女が見るわけですから一定の配慮は必要です
この人は舞台などで自分の信者を集めて荒稼ぎを目指すほうが良いですね
ハコモノで自分のファンだけが見る形にするのであれば、際どいネタでも問題ありません
エロ系や政治系の演劇や、ヘビメタや叫ぶだけの音楽はそうしていますよね
メディアでは扱えませんが、好きな人だけが集まりふつーに商売として成り立っています
単独で人を集める力がないのに、大きなものには媚びたくないというのは弱者の我が儘になりますよ
メディアで活躍する人たちは能力が秀でていることも当然ですが、きわどいと言われる人たちでも配慮があります
お笑いコンテストで一生が変わるかもしれないけど、やはりお祭り的なもののひとつでしかないということを、運営側も出演者もある程度認識する必要ごあるのだと思います。
面白い芸人は、劇場で見ればやはり面白いので、じわじわでも売れるものだと思います。頑張って!
確かにお笑いの審査は難しいですが、フィギュアスケートがただただジャンプが凄いだけの選手が優勝できないように(スケーティングや曲への理解度等)、近年では一定の選考基準が出来つつあると思います
最も重要なのが笑いの量であることは間違いないと思うが、ネタの中身(新鮮さ(斬新さ)、ボケの数、間の使い方、表現力、話術など)色んな多種多様な笑いが日々どんどん生まれている中で、ネタの中身にも多くの要素が芸人には求めれてる時代に入ったと私は思います。
それにしてもキートンが決勝狙っていたとは(笑)
逆に審査なんてクソくらえ、これが俺のオモロイことじゃって感じのツッパッた気持ちでやってると思った。
なぜこんなので笑うのか?と思う芸人もある。(笑い足してるだけかもしれないけど)
ゆりやんレトリィバァの面白さも
バカリズムが優勝しなかったのも
R-1の優勝した人達の笑いも
個人的には分からない。
阿佐ヶ谷姉妹は面白くて好きだけど
優勝するほど面白いのか?とも思う。
好き嫌いは個々で違うし
テレビで使うんだったら
テレビ向きなネタの芸人など加味するだろう
スポンサーとの絡みもあるだろうし
(M-1でも内容の規制はあるそうですし)
審査員は総合的に見て決めてるでしょ。
キートン嫌いじゃないけど
どう考えてもゴールデンのテレビ向きじゃない。
審査員にも様々なタイプがいて、客席の反応を重視する人もいれば、自分の感覚を大事にする人もいる。中には将来性を考える人もいるだろう。
その日、自分が一番ウケた!と言うのは自由だ。
ただその日の審査員にハマらなかっただけだし、そいつをいつか笑わせてやる!と思って精進したら良いだけのこと。
メディアの多様化の現在、動画サイトや個人のチャンネルを作り
人気になりお金を稼ぐ事も出来ます。
人気者の定義も変わりつつあるし、
ちょっとづつ
お笑いやテレビと芸能のあり方に疑問を持つ
芸人さんが増えてきている気がしますし
堂々と意見を言えるのは好い事です。
テレビに依存しすぎている
芸能の時代の変わり目を凄く感じます。
ウケてても、落とされることはあるし、それが現実。
笑いの数の多さでの勝負なら、M-1はノンスタでなく、
オードリーかナイツが優勝していた。
単純に、視聴者投票なり、観客投票にすればいいと思う。
何キロバトル的な。
そうすれば、落ちる方も納得だろう。
特にR-1は、ただおもしろければいいという定義なので。
あと、M-1みたいに敗者復活があればいいのでは?
ただ、R-1優勝者で売れた人っているのか?
何とか100%しか思い浮かばないが、その人もどうだろうか。
まず、会場の笑い声のボリュームは数値化できるよね。
あるいは観客にボタン持たせれば観客の支持率も数値化できるよね。
これらと審査員の印象とを併せて総合的に判断すれば良いだけ。
あとはR-1がお笑いに貢献するつもりがあるなら、芸人を育てるという意味で、なぜ落ちたか、なぜ合格したかもコメントすれば良い。
年齢によっても、立場によっても同じ内容を笑う人もいれば笑えない人も出る。
R-1の運営の中身など知らないが、そもそも「笑い芸」に順位をつける事ってかなり難しいと思うが・・・
ましてや数値化なんて「元となる基準」がないのにどのようにするのか??
審査員など不要。
テレビのDボタンから視聴者に判断してもらうのが一番いい。
その場合は「生放送」でないと出来ないかも知れんけど。
昔のバラエティとか、スタッフや身内で受けてはいるが、視聴者はシラけているとかありましたね
ドラマや映画のキャスティングも演技力で選ばれる場合もあるし人気や事務所の力の場合や、単に監督さんの好みで選ばれる場合もある
だからこそ使えるネタ、使えないネタを決めて使えるネタで勝負する必要がある。
でも、『バドガールの格好で登場し「千の風になって」を歌いながら生ビールを飲むというエッジの効いたネタ』は表面的な笑いは得られるのかもしれないけど面白かったかというとそうでもないかもって感じだと思う。
このネタを見たことがないけど、もしこのネタを見たらどこが面白いの?と思いそうな気がする。
例え主催者側に様々な意図や、諸事情が有り、参加者に不利益が生じようとも、そこは甘んじて受け入れるべき。
参加者が主催者を攻撃し始めるとつかなくなるよ、怒りで冷静な判断ができなくなってるのかもしれませんが、それは決勝に残った芸人を敵に回すということだよ、「おまえらよりおれのほうがおもしろいんだよ」ってね
決められた枠の中で結果を残すのがプロのお笑い、それができないのは面白い素人です
大会側は、「スポンサー付いてるよ。気を付けてね」くらいは告知するべきであろうとも思う。気にし過ぎても面白くはないが。
それは仕事上のプレゼンでも、スポーツでも、コンテストでもありうる
意図的だと思うならそういう審査方法をする大会には出なければいい
だが、世の中はそういう仕組みばかりだ
知名度のある大会などに頼らず、自分の力で売れる方法を探した方がこういう人にとってはいいと思う
観客や審査員の顔色を窺って一喜一憂し、結果に納得いかないとSNSで愚痴って留飲を下げる。自意識過剰な素人芸人が最近多いように感じる。
立つべき舞台に立ち、完成された芸を披露し、客を魅了する。結果は甘んじて受け入れる。それがプロじゃないかと思う。そういう本物の芸人さん、ホント少なくなったなぁと思う今日この頃。
舞台笑いR-1なら通っていたかもしれないが、テレビ放送でのR-1なので地上の電波に不向きなら落とされていても仕方がないかも。
そのネタを見てはないが今の地上波のコンプライアンスを読んだネタにしなかった本人の落ち度はありそう。
もしかしたらそこを読めないからテレビで売れないのかもしれない。
これは以前からキングコング西野さんが言っている「ひな壇芸人やめます」と同じことである。
RIで優勝したいならTVやスポンサーのことを考えたネタも作るべきである。
結局プラットフォームを作っている(RI、M1)などで戦うなら、戦い方も勉強する必要があるのかな。
それが嫌なた自分自身がプラットフォームになるかだね。
もちろん批判するのも自由だから今良い意味で注目されたからここで「上手くお笑いで終わらせたら」株上がるんじゃないのかな(笑)
それはさておき、やはりちょっと見苦しいかな。思うところはあるにせよ、皆んなその厳しい土俵で縁と運と実力を賭けて戦ってるわけで。そこを斜めから指摘した時点でもう〝笑い〟からどんどん遠ざかってくのを感じる。
運営側もプロ。様々なしがらみの中、出来るだけバランスを考えベストなものを選ぶのは当然。
いかなる結果でもやはりここは、ありがとうと、自分が楽しめたことと、次また頑張りますの笑顔にきっと未来がついてくるかと…
気持ちは分からなくもないけど、いくら実力があっても、そんな攻めや必死まみれを纏っていては、ステージに上がる者として、芸人としての華は半減してしまうと思いますね。
にゃんこスターのようにとんでもないのが出てくれば
そりゃその場はウケるだろうが
それを勝ち抜けさせるのはどうかと思ってしまう
まあキートンさんのネタを見たことあるけど
そこまで飛びぬけた感じではなかったがテレビ向きではない可能性がある
そういうのは早めに落としておく方が良いと判断したのかもしれない
ウケれば何でもよいわけではない
面白かったり一芸に秀でていることと、TVに出演できることは違う
いい大人ならそれくらいは自分で考えられないとな
大人の世界は思考力や立ち回りも必要であることは40も過ぎてるのだから理解しないとな
現実に真っ白な世界などないのだよ
感性は人それぞれだからなかなか公平公正にってわけにはいかないんじゃないの?
それは芸なの?みたいのでブレイクする芸人さんもいるからなんで自分はダメなの?と思うのかもしれないけど時代の流れや運もあるんだろうし、何より浮き沈みの激しい世界なんだから理不尽なことなんてあって当たり前だわな。
要はそういうことに対する覚悟が足りないんじゃないの?
つか頑張ってるのになかなか評価されなくて埋もれてる人なんてたくさんいるっての、芸能界に限ったことじゃなく。
手応え通りの評価が得られなくて腐るてことはほんとに好きでやってないってことなのでは?
なんでも声を上げればいいってもんじゃない。
むしろやっちまったねって感じかもね。
客にウケた=お笑いのセンスや将来性がある
って言うことではないからね。
審査員は人を審査するなんていうエラソーなことをしているわけで
そのプレッシャーを背負ってガチガチになりながら仕事してるんだから偉いんだよ。
文句があるならショーレースに出ないで
小屋でコツコツ地道に笑いを取ってれば良いんだよ
そういうタイプの芸人さんもかっこいいと思う。
エンタの神様でとりあえず人気あったけど
いなくなった人いっぱいいるし。
ぶっちゃけ女子供が飛びつく
即効性のあるギャグでブレークした人で
長く活躍した人を見たことがない。
まぁ長く活躍すれば偉いってわけでもないけどね・・・。
真に面白くて実力があれば、賞を取らなくても皆んなが認めるしテレビなどの出演機会も自然と増えるはず。
ひと通り愚痴をぶちまけたら、気持ちを切り替えて頑張りましょう。
公共の電波を使った番組なので、ウケだけでは評価もできない。
言いたいことはわかるが、出場者が批判すると遺恨を残す。
上手に視聴者が審査を批判する方にもっていくぐらい、周囲に気を使えないと、上が詰まっている芸能界ではのし上がれないのでは?
現にお笑いのライブを観ていると、同じネタでもかなり突っ込んだ表言をしています、テレビの何倍も面白い場合もあります。
その辺の大人の事情も考えなければならない時代ではないでしょうか。
厳正なジャッジなんて出来るわけがない。
そもそも競争する事自体ナンセンスだし、大衆が面白いと思えばライブ参加者増なりフォロワー増なりで現れるでしょ。
M-1もR-1も興業の一つであって競技ではないから、その辺りは履き違えない方が良いと思うね。
そのネタが不快と思う人もいるでしょう。
キワモノネタでは審査員は認めなかっただけ。
審査員も人。好みがあるから仕方ないでしょ。
万人受けするネタをしないと上には上がれないのでしょう。
悔しければこんな批判するより、売れて見返しましょう。
どんなものにも審査員がいれば好みで審査あるのは当たり前。
不満があるから文句言うのは違う。別の伝え方あるだろうし。
この芸人を庇うとかではないけど、運営側が全て正しいというのもどうなのかなと思う
数値化は難しいとしてもその辺を明確にした方が良いのでは。
そして一番になれば最高に面白いってものでもないのだろう
ただそこを目指して R-1という催しとルール ジャッジがあるのは確かだろう
今後も改善は 改悪になることもあるかもしれないけれど続けていってほしい
ちょっとフィギュアスケートなどのスポーツと似ているかもね
キートンは批判ではなく、何故ダメなのかをもっと考えないと
ここまで批判して下手するとここで終わりだぞ
観客を笑わせたから勝ちなら、コンピューターで音量測定を審査員にすればよい
誰もが言いたい事はたくさんあると思う。
絶対勝ちたい、自分が1番と思って熱意がある訳だし、負けたら文句言いたくなると思う。
でも、決めつけは出来ないですね。
手応えあったのはこの人だけじゃないかもしれないし、こういう事をSNSで言っちゃうと負け惜しみ感が出てしまうような…。
誰かさん達みたいに個人を示す悪口じゃないからまだいいけれど。
スポンサー的ってのはよくわからんが、ビール会社がスポンサーつけばOKになるってこと?
昔よりテレビの規制が厳しくなったからね、すぐBPO出てくるしね。
ただ、節度を知らない芸人が増えたのも確か。
悪乗りしてまわりがもてはやして現場はおもしろいかも知れないけど、視聴者的に笑えないことも多くなってきた。
TVの世界じゃスポンサーとか大人の事情はあって当然だと思う
この人が何を求めているのか知らんけど
優勝する人は商品になる人であって一番面白い人じゃ無いだろうし
優勝したらそういう大人の要求にこたえていかなきゃいけない訳で
そういうスタンスに意義を唱えるならこういう大会に
そもそも出るべきではないのではないかと思うわ
そういうのやりたいならお金取らないで人前で芸をして
満足したほうがストレスなくていいんじゃないのかね
どこの業界でもこういうジレンマあるけど大体20代とか
そういう年代であたる壁で、それが嫌な人は好きなものを
趣味にして仕事は別で探すよねって言う
バドガールの格好でビール飲んで歌うのって、芸なの???
側から見て、面白いと思うかもしれないけど、
それにお金を払って見ようとは思えないけど
全て平等に審査する事はまずあり得ないと思う。
芸のジャンルまで統一すれば可能かもだけど…
よほど面白さに自信があるみたいなので別のお笑いの場で全国区のTVに出るのを楽しみにしてますね
キートンの過去のネタ、検索したら出てきたので見てみたけど好みのネタではなかった。1人芸は難しいと思う
良い時代になったものだ
昔なら拡散する手段も無かったし、師匠とか先輩芸人に怒られるんだろうけどね…
ですが、それだけで果たして売れるんでしょうか。
ネタ自体も大切ですが、その場所を代表して評価している審査員の評価も大事です。
就職活動時、面接が終わり不採用となった時に
審査員が悪いと言いますか。
売れてる芸人さん達すべてとは言いませんが、
やはり、どこかにそれらを受け入れて対応していると思います。
それが現実の業界だと思います。
一番ウケていて不合格なら、どうすればいい?
せめて優先順位でもあれば。
基準が曖昧なのもね。
それに売れていない芸人の2000円はとても高いだろうし。
ウケていて、不合格は、笑えないと思う。
R-1はテレビで放送するのだから
3回戦ともなるとテレビ向けかというのも
審査されるんじゃないでしょうか
会場受けは良くてもテレビ受けはしないネタとかあるしね。
出場者はそこも加味してネタ見せしなきゃいけないと思う。
全てそこの会場だけで完結する大会だったら
問題なかったかもしれませんけどね。
審査員を批判しても、何も変わることはないし、批判したことでかえって自分達が望む将来への「大きな壁」を自分自身で築いてしまいました。
管理人の率直な感想
スポーツとは違うので明確な判断基準は無いですよね。
審査員は審査員であって、審判員ではない。
スポンサーの兼ね合いは確実にあるでしょう。
審査員の方々はそれを重々分かっている。
そういった意味では審判員の要素もあるのか・・・。
お笑いに限らず、音楽だって絵だって、何かを表現するならそれは「限りなく自由であるべき」だと僕は考えます。
しかし、そうはいかないのが現実。
言葉や表現の条件が暗に限られた中で人を笑わせる。
それがテレビでのお笑いだし、それは他の芸人さんも同じ。
同じ条件の中で最大限に笑いを生み出したものが勝つ。
テレビでのお笑いショーレースってのはそんなものでしょう。
昨日今日デビューした芸人さんじゃないんだから、分かってて然るべきだと思うのですが。
いや、キートンさんは面白いですよ。
好きです。僕は馬鹿が好きなので。
一番はRGですけど。
あの髪型。
細川たかしさんを模したあの髪型。
あれこそ芸人ですよ。
細川たかしさん公認らしいので問題もない。
テレビに出る時に問題があるとすれば、やはりスポンサーに毛髪関係の会社が入ってる時でしょうね。
そのスポンサー側が、あの髪型を逆手に取るならば素晴らしいと思います。
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