ある日突然、事件に巻き込まれ、「被害者」あるいは「加害者家族」になった人たちは何に困っているのか。
被害者と加害者家族の支援にかかわるNPOの代表者らが3月23日、東京都内で開かれたシンポジウム(主催:NPO法人「WorldOpenHeart(WOH)」)で、率直な思いを語った。
この日、被害者支援をおこなう片山徒有さん(「あひる一会(あひるのいちえ)」「被害者と司法を考える会」代表)と加害者家族を支援する阿部恭子さん(WOH代表)が対談した。
阿部さんは「加害者家族も被害者の状況と似て、蚊帳の外に置かれている。何が起きているか分からず、情報も十分に貰えていない」と問題視。犯罪被害者や遺族、加害者家族の支援を通して、みえてきたことを語った。
ひき逃げ事故によって8歳の息子を亡くした被害者支援の片山さん「同じ思いをする被害者をなくすために」
犯罪は、事件の直接的な被害者だけでなく、遺族にも深い傷を負わせる。しかし、被害者、遺族ともに支援は薄い。2000年に設立された「あひる一会」は、遺族を含めた「被害者」を支援する団体だ。
片山さんは1997年、ダンプカーによる横断歩道上のひき逃げ事故で次男の隼くん(当時8歳)を亡くした。当初、運転手は不起訴処分になったが、片山さんが検察に処分理由を聞いても「答える義務はない」と取り合ってもらえなかった。冷たい対応に、片山さんは強い不条理感を抱いたという。
「当事者が頑張らないと、つぎに続く人が同じような辛い目にあってしまう」。
そう思った片山さんは、被害者や遺族を支援するための活動を開始した。一方で、「被害者の視点を取り入れた教育」として刑務所や少年院などで入所者に向けた講話や指導などもおこなっている。
長年、被害者は司法の場で「蚊帳の外」に置かれていた。事件の当事者であるにもかかわらず、裁判で意見を述べたり、知りたい情報を得たりすることはできず、支援も整っていなかった。
片山さんら被害者が声を上げるようになり、2004年には犯罪被害者等基本法が成立、2008年には被害者が裁判に直接参加できる「被害者参加制度」が始まった。
被害者支援は進んできているが、今も被害者が知りたい情報は十分に得られないことがあると片山さんはいう。さらに、被害者参加制度にはある問題があると指摘した。
「被害者、遺族はさまざまな思いを抱えて生きています。裁判に参加できるのは、極めて強い応報感情を言葉にできる『強い被害者』のみです。
公判で最大限の求刑かそれを上回る刑罰を望む被害者は少なくありません。しかし、その通りの判決が出ることは少なく、ストレスを感じてしまうこともあります。
また、傍聴席からは被害者の一喜一憂すべてが晒しものになってしまいます。これは苦痛が高まるだけです」(片山さん)
犯人の家族の支援は必要なのか?「悪」とみなされる加害者家族
阿部さんが加害者家族の支援を始め、WOHを設立したのは2008年のことだ。これまで加害者家族から受けた相談は約1500件にのぼる。
しかし活動に対しては、一般の人から「被害者のことを考えると、加害者家族の支援が本当に必要なのか」という疑問をぶつけられることもある。
阿部さんは、こうした声について、加害者の家族は「悪」というイメージが社会にあるからではないかと指摘する。
「加害者にならないように気をつけても、いつ加害者家族になるかは分かりません。他人事ではないのです。
事件の背景に、親の虐待やDVがあるなど、加害者家族も『隠れた加害者』というケースもあります。しかし、加害者が事件を起こした原因を突き止めるのは時間がかかることで、捜査段階ではまだ分からないことです」(阿部さん)
被害者の怒りが加害者家族へ「被害者と加害者の対話」
加害者に対する被害者の怒りが、加害者家族に向かうことも少なくない。そんな時、被害者と加害者が対話することで、被害者の怒りが和らぎ、心から悲しむことができるようになるなど、よい方向に向かうケースもある。
「対話をするにあたっては、なるべく多くの人に関わってもらいます。1回の対話で終わることはありませんし、時間はかかります。ただ、続けることで被害者側も視野が広くなり、加害者側も内省が深まります」(片山さん)
被害者から加害者家族に対する圧力が強すぎるケースについて、阿部さんが片山さんに相談し、両者の対話が実現したこともある。
「まわりは事件のことをどんどん忘れていきます。対話につなぐことで、事件のことを誰かと一緒に共有することができます。人生の中に、事件が深く入ってしまった人ほどいろいろな人と関わっていくべきです」(阿部さん)
阿部さんによると、被害者が事件のことを忘れたいと思っていたり、事件にこだわっていなかったりする場合もある。そんな場合には、必ずしも対話が必要とはならないという。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00009432-bengocom-soci
ネットの声『加害者家族は決して悪ではない。怒りの矛先を犯人に向けられない被害者遺族の思いはどうすればいいのか』
この国は加害者を守るように守るように法律を作っているから加害者が守られすぎてる。
加害者に被害者が納得するような厳罰が降れば少しは変わってくると思う。
許せない気持ちがその家族に向くのもそこに一端があるんじゃないかな
難しい問題ですし、個々で事情も違うと思いますが、司法も含めて納得感の増す方向に進めばと思います。
一生懸命真面目に子育てしたつもりでも子どもが真っ直ぐ育つとは限らないし正解がないのが子育てだけど、やっぱり犯罪を犯すような人間になってしまったっていうのは何かしら、どこかしら親の影響はあると思うから親は被害者に憎まれるのは仕方ないかと。
それは他人事ではなく、自分も小さな子を持つ親としてやっぱりちゃんと子育てしてるつもりだけど、何かあったら私の責任だという覚悟は今から持ってる。
その、事件から10年の特集記事等の中で知ったことですが、被告の兄弟(確か弟さん)が数年前に自殺した、と。『同じ親に育てられたけれど、自分は事件を起こした兄とは違う』という思いを遺しながら。
犯人の親が悪い、育てた環境が悪い。そのような論調にも一石を投じるものだと思う。
親が悪い、環境が悪いという場合もあるのだろうし、悪くない場合もあるのでしょう。
どちらであっても「加害者家族」となってしまう可能性はある。
でも、加害者の親は、子どもの言動や表情の変化に気づくとか、必要なら精神病院に連れていくとか、できることはあると思います。
例えば仕事に就かずにぶらぶらしていて、世の中への恨みを募らせていたり、動物を虐待していたり、女性にストーカーっぽくなっていたりしていたら、見て見ぬふりしてはいけないと思います。
そしてそんな危ない兆候がでたら、親はまず、ちゃんと子どもと話をし、自分が味方だと伝え、子どもの奇行が無くなるよう寄り添ってあげてほしい。
もし、既に子どもが親にも心を開けない重い状態なら、専門機関に相談することが必要だと思う。相談を受けた専門機関は、必要に応じて強制的に入院させるくらいしてもいいと思う。
わが子が危ない状態なのを知りながら、野放しにしない・・・という責任を親がもつことは必要だと思います。
客観的に個人的には、家族に罪はないと基本的には思う。けれど、未成年だったりすると管理責任はあると感じる事件もある。
でも一方で、未成年でもなくても、ある意味家族は被害者だなとは思います。その後の人生、本人は自業自得だが家族も肩身の狭い思いをしてるんだろうなと…。どんな過酷な思いをしているか想像もつかない。
難しい問題だなと思います。
自分の周りにそういう立場の人がいたらどうするだろうと自問自答です。
必要以上に攻撃するのはいかがかと思っていますが。
加害者家族の中には、長年胸を痛め、自殺する人も少なくない。
親と子は、別人格です。
もっと言うなら、先祖の罪を子孫が負うべきでもないと思ってる。
別人格が勝手に犯罪犯したことに対して、
なんで子孫がその責任を負わなきゃならないのか、自分には理解できないです。
子供が犯罪犯した場合、たしかに幼少期の子育てで間違っていた部分はあるかもしれない。
でも犯罪を誘発する要因としては、友人関係だったり、社会の中での立ち位置だったり、
そういうことが影響してることのほうがはるかに大きい。
親や兄弟は関係ないです。
加害者親子を標的にして、加害者本人の分まで攻撃批判するのは、どう考えても間違ってますよ。
学校のイジメ謝罪もそうですよね。
関係ない校長が謝るのではなく、加害者本人がテレビカメラの前で謝罪すべきなんですよ。
やったのは加害者本人なんだから。
しかし、故意とそうじゃない場合とでは見方が一気に変わる。
事情が事情なら、加害者もある程度は守られなければならない。やるせないだろうが、悪にならざるを得なかった加害者、及びその家族は憎悪の対象になってはいけない。
しかし故意の場合、加害者が守られる必要は無いし、家族(ただし、本当に無関係な兄弟姉妹、親戚に限る)の責任を問うても良い場合も少なくない。
難しい問題だが、今の司法と周りの人は加害者は加害者とどちらにせよ一緒くたにする傾向が強い。
偏向報道とかも問題になるかもしれない。
犯罪を犯した以上、罪を償わなければならないが、バックグラウンドがどうなってるかわからないのに安易に決め付けるのもオカシイ。
要はケースバイケースなんだよね。
敢えて言うなら、加害者家族は『悪』ではない。
これは確かだ。
しかし、『善』とも言い切れない。
自分がやった訳じゃないから関係ないとは言えないだろう。
加害者の親族として、被害者家族に向き合うしかない。
問題なのは当事者間ではなく、それを取り巻く社会の在り方だと思う。
必要以上に加害者を擁護する法律もおかしいが、必要以上に加害者家族まで差別するのもおかしい。
まずは法改正を実施し、加害者の更生を中心にするのではなく、被害者側の経済的支援や心のケアなどに重点を置くべきと思う。
現状でも起訴判断はほとんど検察の独占。
容疑者の保釈判断もほとんど検察のいいなり。
証拠に関わるルールも、
検察は弁護側に対して圧倒的に有利なものになっている。
実は、被害側の不満も被告人側の不満も、
その原因となるものはこの検察の独占性にあることは珍しくない。
なお、加害者の家族の問題はちょっとレヴェルが違う問題。
ハッキリ言ってしまえば、彼らは人々の優越感のための犠牲者だな。
「特に事情がない限り、加害者家族に罪はない」
という答えはアッサリと出るが、
人々による「正義」を笠に着たいじめを防ぐのは極めて難しい。
あまたの問題はありますが、結審までの異常に長い裁判期間の短期化、
未成年保護法の廃止、まずはこの2つだけでも実現できたら、流れや見方は変わると思います。
被害者の家族が悲惨なのは勿論だが、ある意味加害者の家族と言うのは誰からも同情されず、被害者家族より悲惨かもしれない。
家族で有りながら、被害者、加害者とその家族は同等の扱いを受ける事が多い。
かと言って、「自分がやった犯罪でも無いのに責められる謂れはない」と開き直る事が善では無い。難しい問題だな…
加害者に対して被害者やその家族の方が憎しみを持つことは当たり前。被害者参加制度により直接裁判で訴える事が出来るようになったが、判決は望む量刑より低い事が多い。被害者と加害者(家族)が会う事はよいが、まず被害者(家族)が望む量刑を裁判で下した後でよいと思う。そこから被害者(家族)が量刑の減刑を提出できる制度を設ければよい。
理屈ではなく感情の問題。
被害者の事を思うとまずは、刑罰を重くして欲しい。
量刑が犯罪撲滅に繋がるとは思わないが抑止には繋がる。
ただし、偶発的に起きる交通事故死については考える必要がある。被害者家族には申し訳ないが、通行人などの急な飛び出しや高齢者のフラフラ自転車走行については、運転手側の注意では防げない。加害者も被害者だと思う。
世間の好奇の目や怒りに晒されて、
世間から後ろ指さされ、石を投げられる。
それじたいは理不尽なことかもしれない、
けど、
加害者本人が、
じぶんの親兄弟や子や伴侶が、
世間から石を投げられて苦しむ姿を知り、
じぶんの親兄弟や子や伴侶から、
「おまえのせいで!」と恨まれ憎まれる、
そのことによって、
被害者の痛みや、世間の怒り、罪の重さを、
思い知るのであれば、
それも「加害者への罰」の一つのように思う感情がある。
そうなって、思い知ればいい、
と思ってしまう感情がある。
間違いなのかもしれないけれど。
被害者の痛みを顧みなかった加害者も、
じぶんの身内の痛みや怒りには、
罪悪感を覚えるかもしれない、そうなって思い知ればいい…と。
間違い、なのかもしれないけど。
個人的には加害者への刑罰が軽すぎると感じる、刑量にも被害者側の意見もっと組み入れるべきだと思う、報復感情でかなり重い刑罰になって当然じゃないか?
それが認められないなら江戸時代の仇討ち容認すべき。
が、大多数の加害者の親には責任があると思います。重大犯罪を犯した人間は育成環境に問題がある、又はその前兆を放置した責任があるのではないでしょうか。
成人した子の行動の「責任」は本人にあり、親や家族にはありません。
そしてそれをそのままひっくり返せば「成人」という概念の定義のはずです。
要するに「責任」や「成人」というのは「原因」とは違って、人間の想像力の産物であるだけに、元来ある程度「理不尽」なものです。
間違いなく「原因」はあるのに、「原因」が数限りなくあり、しかも複雑な因果関係のなかで絡み合っているので個々の「原因」を測量し、そこに「責任」を追求していくことは不可能なので、そうしないことに「決めてある」わけです。
しかし、多かれ少なかれ家族に、とりわけ教育係である両親との関わり方のなかに「原因」が存していることはみな経験上知っているので、白い目で見たりもするでしょう。これは不可避です。
そう出来れば理想形かもしれないけど、自分がどちらかの当事者に成ったとき、そんなに冷静な判断というか感情を保てるのかどうか、全く自信は有りません。
一般論で言うなら、他の方みたいにああだこうだ言えるけど、ある日当然当事者に成ったら…、そんなに軽々しくどちらの側にも立てないよね…。
日本より犯罪が多いアメリカではいつ自分の身内が犯罪を犯してもおかしくないという考え方があるから、加害者家族を叩く気にならない人達が日本より多いんだろう。一方日本では、比較的犯罪件数が少ない事もあり、自分の身内が犯罪を犯すとはまず考えないし加害者家族を異常だとする考え方が主流。
国の状況で考え方が異なるんだろうな。
お尻に空気を入れられ亡くなった人の裁判判決。
裁判長は、
この事件を「からかい」であり「反省している」と言う理由で
求刑すら「5年」なのに、判決は「4年」です。
人の命を奪った罪が、たった4年で終わりです。
法律が、厳しく裁かなければ、
被害者家族や被害者の知り合いは、悲しみ・怒りを持て余してしまう。
その持て余した負の感情が
加害者家族に向かうのは必然と言えば必然。
被害者と関係ない第三者も、
社会不安を強く感じて、負の感情が湧いてきてもおかしくない。
法律を見直さないと加害者家族への偏見は、
なかなか改善されないと思う。
人間、みんな同じ状況で生まれてくる訳ではない。
日本みたいな国に生まれる人もいれば、運悪くテロの多い国に生まれてしまう人もいる。
かわいがってくれる親の元に生まれてくる人もいれば、運悪く虐待するような親の元に生まれてしまう人もいる。
人間、虐待されれば、性格に影響を及ぼし、犯罪を犯してしまう人も出てくる。
それは、生まれてくる本人には決められない。
結局のところ、人生なんて、運次第。
だから、被害者、加害者以外の第三者がすべきことは、被害者と同じように加害者を責めることではなくて、いかに被害者をケアしていくか、それを考えていくことが大事なのでは?
兄弟や親戚に関しては、責任は全くありません。
もし、一緒に育った兄弟との関係で云々、という考え方があるとすれば、それは友人や学校の同級生、会社の同僚などにも当てはまるでしょうし、「責任」という意味では、問われるものな何もないでしょう。
中傷すべきではないと思う。
ただ、親となると、どういう育て方をしたんだろうと思ってしまう。
加害者が若いと尚更。
日本は加害者家族いじめが陰湿かも。特に当事者でもないのに。
それはおかしいと思う。
でも、自分や、身内が被害にあったら、加害者家族全部許せないかな。
逆に加害者家族になったら、引っ越し、隠れて生きていくしかないと思う。
兄弟や親戚に関しては、責任は全くありません。
もし、一緒に育った兄弟との関係で云々、という考え方があるとすれば、それは友人や学校の同級生、会社の同僚などにも当てはまるでしょうし、「責任」という意味では、問われるものな何もないでしょう。
同様に殆どの加害者家族が他人事のように無関心で反省がない。むしろ逆ギレなど悪質が多い。
この子にしてこの親あり、この親にしてこの子ありが実態で、このような問題が発生する。
保護者や兄弟姉妹である以上は被害者の気持ちを深く受け止めるのは当たり前だと思います。
辛い想いをした被害者が泣き寝入る世の中にしてはならない。
加害者が数年で出所し加害者家族と楽しく生活していたら
被害者やその家族の気持ちは踏み躙られたままである。それはあんまりじゃないか
家族に関しては線引きが難しい
親がモンスターを育んだ環境の明らかな提供者であるなら悪であると言えるけど、弟や妹までが同じ目で見られるのは違うと思う
被害者家族がもう十分だと思えて初めて再チャンスでしょ。
こんな加害者有利な法律だったらいつまでたっても同じ事の繰り返し。
現に4回目の逮捕とかニュースで耳にすることがあるけど、人生で4回も逮捕されることが
むしろ可能なんだ?
って呆れちゃう。
個人的には加害者側の家族は加害者の場合も巻き込まれただけの場合もあると思います。
家族一人一人、状況や立場で違うと思います。
このようなときには、怒りの矛先を向けるべきではない。
加害者が及ぼしたことへの補償を加害者に代わって、行うことはあるが。
被害者側、加害者側の双方で、困っていることへの対策を考えることは重要だが、この対談は言いっ放しに思える。
自分が不運にも犯罪被害に遭ったら、加害者家族に対しては悪い感情を持ってしまうかもしれない。自分で書いていてワガママだなぁとは思うけど、これも正直な気持ち。
被害者からすると悪では、ないが賠償や謝罪などは、するべきだと思う。
特に加害者が未成年の場合。
自分の経験から言わせてもらうと子が子なら親も親。
何の責任も落ち度も無いケースは多い。
だけどな、
被害者の家族はソレ以上に
何の落ち度も無く奪われるだけなんだよ。
ある日突然、一方的に。
被害者側のケアが不十分なまま、
加害者側に手を伸ばす事に、
納得出来ない善良な市民が多いのだよ。
隼君の事故は鮮明に覚えています。
加害者家族も被害者…?
では被害者の家族はどう呼べばいいんですかね。
いつ加害者の家族になるか分からない?
確かにそうですね。
でもその確率は極めて低いので
念頭に置いている人なんて少ないと思います。
加害者家族も被害者だと守られたら
被害者も被害者家族(遺族も)も
誰も恨めず、憎めず…その感情を
どこにぶつければいいんでしょうか?
加害者家族が世間から白い目で見られても
辛い思いをしても被害者家族よりはマシでしょう。
隼君のように落ち度が全くないのに
一瞬にして命を奪われてしまった…
無差別殺人、飲酒運転による死亡事故も同じ…
本当に許せないと思います。
加害者はもちろん極刑にし、
家族が起こした罪を償うために
加害者家族も頭を下げ続けるべきでしょう。
もちろん事件.事故の内容にもよりますが…
そんな加害者を生み出した家庭環境にも一因が、と思うと当然の帰結。
もしこれで、被害者は泣き寝入りしときなさい的な話になったら、究極、被害者家族が仇討ちすると思うけどな。
というか、被害者家族にしたら、加害者家族はもう、幸せになってはいけない、とすら思うけど。
被害者参加制度ができて、良かった、と思っていたのですが。
確かに自分がその立場になったら、辛いですね。
その人たちも刑罰を受けてほしいと思う。
でもその家族が「悪」かと言うと少し違ってくる。(まともな考え・教育が出来てないのなら良くないが)加害者が何をしたか・してきたか知らない場合でとばっちりで非難されるのは昔からあるがそれはそれでたまったもんではない気もする。
最近も殺人犯の家族が自殺した記事を読んだ。
せめて海外での仕事を紹介する人がいれば、と思った
意味不明の不起訴に対して「答える義務はない」という検察の役所対応が、それを物語っている
家族に迷惑かけられないって気持ちも犯罪抑止としては大きいと思う
できないだろう。
あくまでも本人が一番悪く全責任を背負うべきだと思います。
加害者家族への『犯罪防止』に動くのは致し方ない。
守られているのは『怒りに我を忘れて犯罪に走る人』であり
一定の『被害者・被害者家族 の保護』でもあると思うが、
そうは受け取れないのが、
それだけだとは言えないが、被害者感情の1つなんだろうねぇ。
偏見なんてあるのは当たり前。
偏見を持つ者からしたら加害者家族に対する信用がないから。
結局問題は加害者家族を知ることなく偏見を持ってしまう事。
何も知らない輩があれこれ偏見でモノ申す事が無ければいいだけ。
ですから必ずしも悪とは言えないまでも、責任はあると思います。
それを無責任に自分たちこそ被害者だと騒ぐ人がいますが、あれはちょっと同情できません。
加害者自体にもっと被害者側の納得のいく厳罰を処すべきだと思う。。罪が軽すぎませんか?どの時間においても。
個人的には充分に成人した大人の責任はその個人にあると思ってる。
それは戦争でも74年も前に終わっているのに、当事者でも加害者の家族でもないのに、日本人だからと謝罪を要求されるのに似ている。
どうしたら、当事者ではない人へのいわれのない敵意や偏見を無くせるのだろうかと悩むところです。
被害者にとっては悪なのですから情状証人にならない方がいい
だって、育て方に間違いがあったからそんな子を世に送り出した製造責任ってものがあると思うから。
司法の判決にあまりに解離があるので
その矛先が加害者家族へ向かうのも当然と感じます。
家庭、学校、職場、友人関係などですね。
で、一番使われるのが不幸な生い立ち、つまり家庭環境です。
そう考えると加害者家族に厳しい目が向くのは一般的な弁護士活動のせいともいえますね。
他人に暴力を振るう人は、家族にもそうしてる可能性高い
子供が学校でイジメのあったんだって。
被害者家族に恨まれるのは、私は当然と思うけど
関係ない人まで悪者扱いしてくるからね。
加害者の家族がそれまでと何も変わることなくというのは無理でしょ。
罪悪感もなく「家族が犯罪をおかした訳じゃない!」って言われると、「罪悪感もないのか?」と憤りを感じる。
小さい話しだけど、電車でベビカーが当然のように通勤ラッシュの電車に乗ってくるのと、かさばって申し訳ないって態度じゃ受け手の方心情が変わるのと同じ。
たとえ家庭環境が原因でも、兄弟には非がない場合がほとんどなんじゃないかな…。
上の兄弟が事件を起こしたとき、赤ん坊だったりまだ生まれてない兄弟でも、ずっと犯罪者の弟、妹として生きていかなきゃならないのが現状。彼らにも責任を、というのはあまりに酷だと思う。
社会でどんなに裏切られても人を殺そうとは思わない。それは親の教育あってである。派遣会社に社員といて長くいるけど、やっぱりいつまでたっても派遣から抜け出せない子は親子関係うまくいってない子が多い。親がちゃんと育ててるつもりでも子を囲ってしまったり、自分が気づいてないところで過度にストレスを与えていたり。親は関係ないは曲がり通らないよ。
悪ではないと思うが、自己中心的な重大犯罪の場合、
親にも責任の一端はあると思う。
加害者の側にいた人間も一網打尽に!
報復されたくなければ、加害者の側と見做され、罰せられたく
なければ、引きこもっていればよい。
加害者の子供は、親が罪人という意味では気の毒ですらあるけど、コンクリ事件の犯人の親なんかは今からでも八つ裂きにしたいぐらいだよ。
弁護士やマスメディアが取り上げて議論したふりをするべきではない。
家族まで罰していたから。
さすがに現代ではそのような事はないが、家族の社会的生活に大いに影響を与えるからね。
昔からすれ違いだったし、もし兄弟が犯罪を犯しても叩かれる筋合いは無い‥。それでもこちらの私生活が晒されたり、「悪の一因」として後指を指されるのは納得できないな。
身内に迷惑をかけるくらいなら‥‥と思う。
とりあえず未成年とか関係なく、悪質なイジメ等の犯罪、加害者の名前報道はして欲しいな。そして、マスコミの過剰なでっち上げにも気をつけて下さい!!
不起訴の理由くらい教えてほしいよな。
義務はなくても教えてほしいわ。
でも未成年とかならやっぱり親には責任あると思うよ
オリンピックのメダリスト、ノーベル賞受賞者、俳優として評価されてた人間の家族は彼らの偉業ゆえに「お宅の〇〇は素晴らしいですね」と誉れにあずかれるけど、本人が不倫や薬物を使用したりしたら一気に非難される。
社会からの評価も信賞必罰でさ、それの何処が不思議なんだろう。当たり前じゃん。
成人してたら知らんけど。
やはり罪人を育てた、もしくは見て見ぬフリをした結果なわけ。職場にはその血族には入って欲しくないかな。
あくまでドラマだけど、この記事のような問題に関心を寄せるきっかけになったのは確か。
だって途中からいきなり遺族と言う言葉が出てくるんだぜ。記事の冒頭で殺人や死亡事故の前提を明示しなよ。
だが、事件の内容によっては、やはり心情としてはその家族も憎んでしまうのは自然かもしれない。
欧米では「あの子の犯罪と私たち家族は関係ない」と関係を断ち切る態度を貫く。
核家族の世の中でも、加害者と家族関係が断ち切れないと血のつながりに悩むのは日本的なのかもしれない。
刑法が軽すぎる。被害者側の立場に立ってるとは到底思えない。
賠償は免れたら駄目だと思う。
法的には賠償義務は負わないようだけれど。
これは検察のおごりだよ。腹立つな。
例えば、不意の交通事故とか、そういうのなら、悪でも善でもないですが、殺害意思のある殺人だと、家族も悪だと思ってしまうし、思ってしまう被害者の気持ちは十二分にわかる。
それをまた声にして立ち上がるのも腹立つと思います。
育児の一般レベルは犯罪者を生産しなかった事でギリギリ許される程度であって、そもそも自己実現の為に子供を作るんだから保護対象に選定するのは疑問。
育児に関して親の自己責任を問いたくないのは人口増加を目論む国策的な考え方であって、本来は、人間の生涯を左右する育児クオリティに対しては徹底的に議論した方がいいでしょう。
社会の偏見なんて”犯罪を犯した当事者は塀の中で保護されてる”し
いけないんだけど怒りの矛先を加害家族にむけてしまうのも
わかる、他にぶつけるところが無いのだから
人の噂が消えるのを耐えるしかないのだと思いますよ。
一族郎党が赤子まで全て断たれています。
理由は源頼朝が再興したことに遡ります。
家庭で虐待されていたり、誰からも愛情を受けていなかったり、親に自分の所有物のように扱われて変なプレッシャーを背負っていたり、学校でいじめられていたり…。
子供のときの親や学校の影響は絶大です。
それを乗り越えていなければ、どんなに年をとっても続く…
管理人の率直な感想
僕がこのニュースを見て最初に頭に浮かんだのが秋葉原連続通り魔事件の加藤智大です。
加藤智大が犯した「無差別殺人」という凶行の根源にあるのは奴の『母親』です。
まちがいなく。
加藤は、教育熱心という名目で『虐待』を繰り返した異常な母親を持った。
その歪んだ教育思想と恐怖支配によって加藤智大の人間性は出来上がった。
極寒の中で薄着で外に立たせられ続けられたり、風呂に頭を沈められたり、泣くと激昂してタオルを口に詰め込みガムテープでぐるぐる巻きにした上で屋根裏に放り込んだり・・・挙げればキリがない。
そんな狂った母親に育てられたのが加藤智大。
その反面、加藤智大の弟は真っ当な人間でした。
事件から6年後、加藤智大の弟は自殺しています。
実弟です。
「自分はやはり犯人の弟だ。加害者の家族は幸せになってはいけない。生きることを諦めた。生きる理由がない」
この言葉を残して。
事件当日に、会社に迷惑をかけまいと職場を辞め、引っ越し、バイトを始めたが「いつ素性や身元がバレるか」という不安が付きまとい、それと同時にネット上では自分のことがあることないこと書かれていた。
引っ越しを繰り返しても、すぐに住所はマスコミにバレて押し掛けられた。
インターホンが鳴りっぱなし、昼夜問わず乱暴にドアを叩かれる。
結果「加藤智大という兄を持つ自分は幸せになってはいけないんだ」と自殺を選んだ。
彼は加害者家族でありながら被害者に他なりません。
加藤智大と弟の違いは何だろうと考えると「長男ということの重責」だと僕は考えます。
期待過多。過剰で歪んだ教育。
兄に向けられた母親の歪んだ感情と虐待の陰に弟がいた。
「兄の陰に隠れられたおかげで人格形成を作りあげていく上で助かった」と言っていい。
当の殺人者と自殺者を作り上げた母親は勝手に精神を崩壊させ入院。
退院後の現在は引きこもり。
なんだそりゃ。
こういったケースもある。
じゃあ、池田小児童殺傷事件の宅間守はどうか。
あれは家族の環境とかそんなもんは皆無の忌子です。
生まれた時から悪人。
産声を上げたその瞬間から悪魔。
少年時代からそうですし、池田小の事件を起こす前に兄も被害に遭ってます。
他の家族もいまだに「宅間守の家族」として偏見を持たれ苦しみながら生きている。
一概に「加害者家族」=「悪」とは限らない。
多少長くなりましたが、結論で言うと「加害者家族と被害者遺族との対話は必要」だと考えます。
加藤の母親のようにぶっとんだ人間だと話になりませんが、父親はまともな人間なので。
加害者家族の中に、または親族の中には必ずそういった対話ができる人間がいます。
加害者を憎むのはごもっともなのですが、加害者家族にも目を向けるべき。
憎しみの他に、知らなければいけない、または知りたいと思っていた大事な何かがそこにあるはずだから。
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