「俺が自由な世界をつくる」。自由を求めて学校に通わない選択をした中村逞珂(ゆたか)さん(10)=宜野湾市=が「少年革命家 ゆたぼん」と名乗り、ユーチューバーとして活動している。大阪生まれ、沖縄在住のゆたぼんは「ハイサイまいど!」で始まる楽しい動画を提供しつつ、いじめや不登校に悩む子や親に「不登校は不幸じゃない」と強いメッセージを発信している。
ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。
配信する動画は歌やお笑い系が多い。パワフルに熱唱する姿は、父親の幸也さん(39)の影響で好きになったブルーハーツをほうふつとさせる。
人気作家や編集者、お笑い芸人などと共演を重ね「ノートに書くだけが勉強じゃない。いろんな人に会うことも勉強だ」と、学校ではできない学びに自信を深めている。
活動をしていると「死にたい」という子どもから相談が寄せられることもある。そういう時は友達になり「死ぬな。苦しむな。学校なんて行かなくてもいい」と言い続けている。
夢は子どもだけが乗れるピースボートで世界中に友達をつくり、戦争をなくすこと。子どもの自殺が増えるとされる夏休み明けの頃には、子どもを集めたライブを開催する計画も練っている。
4日にインターネットラジオ「ゆめのたね放送局」の最年少パーソナリティーに就任。毎週土曜午後8時から30分番組「自由への扉」を放送している。
ラジオでは苦しんでいる子に向けて勇気を与えるメッセージを発信するつもりだ。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190505-00000002-ryu-oki
ネットの声
そして不登校からどういう経緯でこうなったのかな。プロパガンダの為に担ぎ出されてる様にも見えるのだけど。
宿題をやらないから怒られた、周りがロボットに見えるから、って理由で不登校ならそれは無いでしょ。親が不登校の理由として間違っていると教えてあげないといけない。周りをロボットと見下すのもおかしい。
そもそも10歳の、そんな子供が安易に嫌なら学校行かなくていいって何様?責任取れますか??
親も彼を支援してる人も問題ありますよ。こんなことしてる暇あるなら義務教育受けさせなさい。
うちは中どの発達障害で公立の支援学級に本人の意思で在籍してたけど、2年でギブアップした。三学期、最後は不登校。本人も頑張って限界で落ち込みもそれなりで、親子で苦しんだ。先生や対人で色々あったし不安もあった。支援学校に転校して頑張ってる。学校は勉強するだけの場じゃない。将来、働けば対人や適応や我慢や忍耐、協調性はどうしても必要になる。そこでやれる土台作りだと思う。必要だから義務教育になるんだし。不登校でも勉強や経験をさせて支えられる親ばかりじゃない。片親、共働きであれば仕事で子供に平日在宅されたら困る場合もあるし、虐待隠しに登校させないとか誤解されたり負担がかかる。病気や怪我とかいじめならまだ親も納得いくけど、好きなことや興味があること以外嫌だからやらない!じゃダメだ
不登校は不幸じゃない
かもしれないけどそれなりの
代償はあります。
ちょっと見通しの甘さを感じます。
でも、この子の理由はちょっと意味分からないね。宿題を拒否?やるべき事をきちんとやる事を学ぶのは大事。
みんながロボットに見える?たかだか小3の子が先生の話聞いて宿題してるだけで?低学年なんて基本バカだよ。授業中だってコソコソ話したり、休み時間は遊びまくってるでしょ。高校の進学校じゃあるまいしロボットみたいに見える小学生なんていないよ。
「みんながロボットみたいに見えて。」使ってみたかっただけの言葉っぽいね。
ルールや規則から逸脱する人がいても社会が成り立つのは、ルールや規則を頑張って守っている人たちがいるからだということに。
この子の言う「ロボット」が、日本の社会を支えているということに。
そういう人たちを見下さない大人に成長してほしい。
物珍しさに多少注目されているだろうが、
彼が20代、30代と年齢を重ねていくとどうなるだろう?
その年齢で同い年の他者と比べられ、
他者よりも成功していなければ説得力も皆無で
見向きもされなくなる。
そして最終的に彼の言うロボットの下で低賃金で働く事になり、
その時に勉強しておけば良かったと後悔するのだろう。
でも、彼の親も今を後悔していないようだから後悔する知性も持てないのかな。
不登校の理由は様々だと思いますが、これはちょっと違うと思いますね。
なんか、地域の特性もあるのかな?と記事を読んで思うこともあり、『でしょうね~』納得です。
その選択肢はいいと思う。命を絶つくらいなら学校なんて行かなくていい。
けれどそういう人達はフリースクールや分校、タブレット学習とかで学校に行かない分、生きるための選択肢を増やす為にある程度の知識を蓄えて高認試験受けるなり、大学行くなりしている人が多いと思う。今はいいかもしれないけど正直20、30、40と歳を重ねていく度に漢字の読み書きが出来ない、簡単な計算が出来ないのは恥ずかしいよ
不登校が記事の内容だけではないのかもしれないけど、親が宿題させない、ロボットは嫌だから学校行かないを認めているんだからもう仕方ないですが。
10歳ではまだまだ読めない漢字や出来ない計算、日常生活に必要な知識も得られていない段階。
小学生が何故「義務」教育なのか親自身がまず一度考えてみるといい。
自由と放置を履き違えては不幸しかない。
これはこの子が悪いというよりは、彼を指導すべき親の方に重大な問題があるのだろう。
安定して供給される食料など、全てあなたが言う
ロボットのような人間たちが作りあげているものです。
親も子供にYouTubeなんてさせてないで、きちんと教育して。
この子が不登校の理由は、この記事の内容だけではないのかもしれませんが…
学校の世界しか知らない子供にとって、空を見上げてた世界は広い。学校だけが全てではない。
それでも、この子に窮屈に学校で机に座り、嫌々しながら宿題をする楽しさを教えてあげられる大人が周りにいないのは悲しい。同じ歳のロボットに見えるお友達の良い所、素敵な所を見つけられる目を身につけて欲しい。
でも、先生の言うことをきちんと聞いている子をロボットとか、学校なんてとか、真面目に頑張っていることをわざわざ蔑むようなことを言わなくてもいいのでは?とも思う。
自分に何もなくて絶望するか、そのまま開き直って周りのせいにするか。はたまた、どこかのポイントで普通になるか。
いい観察対象では?いつも、このタイプの子供は一時的に取り上げられて、噛みすぎて味が無くなったガムみたいにポイ捨てされる。そこでバイバイが多い気がする。人生を終わるまで継続して観察して欲しい。こういった子がどんな人生を歩むか、いろんな意味で楽しみだ。
ただ、このお子さんんお場合は不登校になることで自分とは違う価値観の人と出会うチャンスを失ってしまっているのでは、と感じる。
自分の意志を貫く事も大事。でもロボットのように学校に通う(と感じた)同級生、宿題をやらせた先生の考えや価値観をどこまで理解しているのだろうか。
自分とは違う考えを拒絶するのは簡単。他人を理解し、許容し、寛容さを身につけてこそ初めて人の心に響くのではないかな。
まだ10歳で自分の人生を決めつけずに、いろんな人と出会って勉強もして、嫌な事も我慢する事も経験していってほしいです。
自分を守る為に不登校を選ぶというならアリやと思うけど
不登校でユーチューバーは何の為に不登校してるの?と思ってまうよな。
不登校してるって事は他人とうまく折り合えないって部分があって
それは相手が悪くて仕方なくって事なら仕方ないと思うけど
それなら中学進学とか環境が変わった時に普通の生活に戻れる様に訓練すべきやと思うけど
この子はただ学校休んで自分がやりたい事やってるだけやからそれを許してしまったら一生嫌な事から逃げ続ける人生になると思う。
一生他人と接せないなら他人に迷惑かける事もないかもしれんけど
どこかで他人と接する必要があると思うしその時に我慢の1つもできなければ絶対迷惑かけると思うからこれは許したらアカンと思う。
自由を履き違えてる典型例やと思う。
宿題が嫌で不登校かぁ
うちの息子、二年生だけど公文の割り算の宿題とかイヤイヤでも頑張ってるなぁ
これ見て、息子をたくさんほめてあげようと思いました
教育ってこういうことの積み重ねなんだよね
親も勉強しないといけないなと毎日考えさせられるな
死にたいと考えるくらいなら学校は行かなくていいと思うけど今のうちから適応力を持っていないと大人になった時に本当に困ることになると思う。
自分が小さい時に周りの大人が言っていた事は概ね間違っていないと自分が大人になった時に本当に痛感したのでそうなって欲しくはないなぁ。。。
多様な思想がある社会だけど本当に革命的な事をする人は周りを納得し得る教養が基盤にある人がほとんどだけどね
勿論死ぬぐらいなら、そこから避難するほうを選ぶべきではある。
単に楽したいだけ、個性をいかすとかで安易な選択するのは単なる逃げ。楽したいだけ。
10歳と言えば色いろ学ばなきゃいけない時期。
勉強だけがすべてではないが、それも含め、いろんな可能性を求めないと。
ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。
のようなしょうもない理由とは。いじめで学校に行けないとかではなく、宿題したくないという義務教育放棄なら日本からでていけばいいだけの話。親も宿題しない子をしかり、ある程度のルールを学ばせないと十年後、この子がかわいそうになる。
宿題をやらずに怒られたから行かないなんて、世の中を舐めすぎだしそれを許す親もどうかしてる。今は良くても、子供はいずれ大人になり嫌でも社会に出なければならない。その時に困らないように、多少のことで潰れてしまわないようにと大人は時に厳しく接する必要があるのだと私は思います。子供の意思を尊重することは良いことかも知れないけど、言いなりになることとイコールであってはならない。
新聞の発行編集のみならず、道路の維持管理、電力の供給、商品の流通・・・等々、「上司の指示を理解して任された役割を履行する能力」「一応の学力(自国語能力、計算力、社会への理解)」が前提となっている職種が圧倒的に多数かつ社会の要部を支えている訳ですから。
自分の為にやる学校の宿題すら出来ない人間が新聞社の多数になったら、業務も何もあったものではなさそうですが。
不登校な子供でも周りと一緒に成長していくのです。
親がいるうちは自分は何もしなくても生活できますが、親だって歳を取ります。親が働けなくなったら、大人になっている子供は自分の力で生活していかないといけません。ユーチューバーはいつでもなれるけど、歳を取ってからでは学べるべきものが学べなくなる。子供の時代だからこそ学べる事がある。この子自身が不幸な子だと思う。
本当に世の不登校な子供に訴えかけたいのなら、自分自身が他人を納得させるだけの人生を送ったらどうですか?
この子の親は恥ずべきだと思うね。この子の人生をどれだけ思ってるんですかね。
未来は誰にもわからないものです。
最新情報を集め常に勉強を続けていけば、少し先の未来はわかるかもしれませんが簡単なことではありません。
人とは違うことをすれば一時的には注目され動画閲覧数やチャンネル登録者が増えるでしょう。
でも流行り廃りは突然起こることもありえるのです。
不登校は不幸じゃない学校に行かない、それは単純に一つの選択ですよね。
・学校で嫌なことがあって辛いけど将来のために嫌々ながら行く。
・学校で嫌なことがあって辛いから学校に行かない。
単純に一つの選択です
笑いだけでは戦争はなくならないし不幸をなくすこともできない。
本気で世界平和を願うのなら誰よりも勉強して、誰よりも人の気持ちを理解して世界に目を向ける必要があるよ。
希望願望を主張するのはいいと思う。
両親が責任を持って後悔のない人生を歩ませてください
過ぎた時間は二度と戻らないよ。小学校の6年間なんて、土台作りにはとても大切な6年間だと思う。
はっきり言ってしまうとYouTuberと知った時、”ああ、今時の子ね”と思ってしまった。ある意味今の時代の量産型ロボット。
まあどんな子がいても良いと思う。
でも自分の子が、不登校やその他いろんな理由で壁にぶち当たった時、この子の動画は見せないな。
学校行きたくなければ行かんでも良いけどそれが素晴らしい事のように言うのは間違っている。
不登校でも自ら学習し、常識や生きる知恵を学ぶ事はできる。しかし、一番困難な道を選択している事を知っているのだろうか。
行きたくても行けずに悩んでいる子供に死ぬなと勇気づけるのは何もしないより良いと思う。
だけど特別な理由なく学校に行かない選択をする子供を増やしてしまう可能性もあることをきちんと考えないといけないね。
ロボットというけど、人は組織になれば誰かが誰かを指導しまとめることが必要。
一人で出来ることは限られているから、組織が必要。
学校に限らず何かを習う時は先生を敬う気持ちも必要。
学校は勉強だけでなく人として学ぶことが沢山あるし、社会に出るまでの訓練の場でもある。
酷いいじめにあっている被害者であるなら行かない選択はあっていいと思うけど、学校生活が自由じゃないから行かないっていうのは我儘では。
義務教育はやっぱり受けたほうがいい。
このような主張があることに大変驚いています。
まず、不登校になってしまう人は間違いなく何かしらの問題点があり、それが自分も他人も不幸にしてしまいます。扱いも一般人とは離れた繊細なものにしなければいけません。それを解決してくれるかもしれない学校に行かないことをこんなにも堂々と主張するとは…未来を見据え、教えてもらうことはもうないと超一流大学を中退するFacebookの創始者とはちがうのです。
何か嫌なことから逃避してるにすぎない少年世代での学校への自主的不介入はよい結果を残すとは思えません。勉強もできなければ、人としても信頼のない孤独な人生を歩むことが不幸と思わないならいいんじゃないでしょうか。
学校って勉強だけを学ぶ場所じゃなくて社会に出たら誰もが経験するであろう「理不尽さ」を学ぶ場所でもあるからね。彼は宿題に理不尽さを感じたのかもしれないけど、それならその問題と戦わなきゃ。それで不登校を選択って、、、彼と、それを選択させてしまう彼の親は自ら不幸になる道を選択しているように見える。社会に出たら理不尽なことだらけだからね。
そもそも小3の子どもに自己決定する力はないから、これは親の意思でしょう。彼の人生は親が死んでも続いていく。子育ての最大の目標は子どもの自立。早く軌道修正することを願ってます。
みんなと一緒に体を動かし、頭を使って、そうやって切磋琢磨する、同じ時間軸で共感し合う機会は、この小学時代に集中していると思う。
中学、高校と年齢が上がるに連れて関わる周りの友達、人間関係も変わり、その度に自分が順応しながら、社会に出るまでには節度ある行動を身に付けて行く。そうやって人としてある程度常識的に活動出来ると思う。
創意工夫し、創造していく事は素晴らしいし、大人では発想し得ない事を発信するのは貴重な時間だと思う他方、日本含め世界では同じ十歳でも学校に行き、遊ぶ時間に創造活動して動画配信している事を、しっかり視野を広く持って学ぶ姿勢を考えては如何かと思う。
学ぶべき事は人との関わりあいだとか、社会を学ぶとかあると思う。
沢山の人が居てその中で生きる必要を学ぶ事も大切。
学生時代に不登校を選んだ人はウチの会社にも居るが、世間知らずで、知識不足で、自分勝手で、先輩の言う事を理解しようとしない。
イジメ等で不登校を選ぶのは悪い事では無いが、集団生活をして、周りを知る為にも学校には行った方が良いとは思う。
しかし、これは違うと思います。学校で学ぶのは点数がつく勉強だけではありません。それを説明できない保護者にも問題があると思います。
この彼が家でお勉強を自主的にやっていることを願います。せめて基礎知識だけは身につけて大人になって欲しいものです。
でも、学校に通うことは学ぶというだけでなく、あらゆる体験ができる場でもあるし、社会性や忍耐の気持ちを習得できる場であることも忘れてはならないと思う。
この子の年代では、将来のことも見据えて判断できるはずもなく、結局は親が子の主張をどうとらえるかによると思う。
学校の勉強だけが全てではないけど、10歳でそれを放棄するのはあまりにも早すぎると思う。
親がそれをカバーして教育できるのならよいが、子供が嫌なことをさせたくないというだけでは、将来社会に出て必要な常識的なことも身についてないであろうし、社会の出てから周りの人に迷惑かけることにもなると思う。
個人のことは自己責任という事でよいかも知れないが、それに巻き込まれる人はたまったものではない。
もし将来、責任を取る判断をしたい時ややりたいことができたときにまず発言することもできないことや誰も聞いてくれないことになる。
高校は進学校に行ったのに自由を求めて遊びまくり、留学もしたけど何とか卒業して、そのあとそれを思って遅れて進学した。
あの時に「選択肢は多く持つほどいい」と言われた意味を理解して嫌々ながら卒業までしておいて良かった。
人より遅れた分、よく考えて選んだ将来だからやりたい仕事にもつけて満足した環境にいれるけど、あの時に説明する大人や考える基礎があったから。
まだ小学生なら少しやって飽きたら学校生活に戻ったらいい。
子供だからこそまだやり直ししやすいから。
これで学力つけたら大物になるかもしれない素質はある子だと思う。
学校は行った方がいいし、学校に行ってる人にしか学べないこともある。そのほかの経験はながーーい人生、ある程度大きくなってからでもいいし、小学生が1人では生きていけない。
辛いなら行かなくてもいい選択肢はあると思うけど、なんでも嫌ならやらなくていいとは違うと思う。
つらくて苦しくて死にたいって思うくらいなら逃げていいと思います。が。
この子は宿題やらずに逃げた…。これは違います。ただめんどいからとか、上から支配されたくないから逃げた。それだけにしか見えません。
小、中学校は義務教育です。なぜ、義務教育なのかといえば、将来、社会でやっていくための必要最低限の大切な土台を作るためにあるからです。
それは勉強だけでなく、友達や先生とのやりとり、集団生活からも学びます。
この子はそれを放棄してます。必要最低限の知識すらない。それなのに、自由だ!とか言うのは違いますよ。
せめて、中学を卒業してからやりましょう。それなら応援します。
今のままでは、ただのわがまま少年です。世界は自分だけのために回っていない。
不登校が悪い事ではないけど、それを当たり前に考えるのは良くない。
学校に行く努力、悩む。少なからずそういった苦労も経験しないと、社会に出たら相当苦労すると思う。
不登校を貫いて、大人になった時にうまく生活出来ればいいけど、そうならなけば、社会に馴染めず悲惨な目に合う事も想定して、親は子を育てるべきだと思う。
不登校をしていた経験者より。
若いうちに学んだ方が現代社会では個人も社会もメリットがあると考え義務教育を成り立たせているわけだから、歴史の流れに逆行した挑戦とも言える。この事に賛成や反対の問題ではなくあくまで選択の問題であり、結果がどうなるかを見てみたい。
もちろん、不登校になるべく原因や経緯はあったのだと思うが、このこうどうがそういうものを解決したというわけではない。
「できないからしなくていい」という思想は大きく見れば逃避行動なだけで、苦労はあってもそれを克服していける者、大変だけどやれる者と比べれば行動力や思想がまるで違う。
子供である今はいいかもしれないが、やがて大人になって辺り前の常識や知識、集団の中での社会性が培われたない人間は結局周りから取り残される。
ぶっちゃけいえば、自分の思い通りにならないからやんない、ただそれだけを飾り立てて正当化しているだけに見える。
この不登校という問題の真の解決策はそこにはない。
「学校で学ぶこと」を幸福か不幸かの二極化でのみ考えてしまうことが、とても不幸。
自分も小中高とイジメ不登校してた時期があったけど、勉強は好きだったから独学でも何でもして最低限の出席日数で卒業し、大学からは好きな勉強を好きなだけして院卒です。親には学校に行けと怒られ、部屋に閉じこもってたときもあるけど、自分で自分の今後の人生のことをまじめに考えて進学したかったからそうした。
その子にはその子なりの生き方はあるんでしょうし、集団行動が果てしなく苦手という気持ちもわかる。でもまあ大人になった今は、この子の言葉を借りれば、学校にいる自分をただただロボットだと感じているうちは本当には自分がわかってなかったなとは、思うよ。ロボットの時期を経ないとわからない人間らしさの醍醐味っていうかね、そういう経験からくる実感。
この記事の子はどうだろうか?きちんと学習はできているのだろうか?読み書き計算の力は身につけておかないと困るのは自身であること、親や本人は気づいているのか?
もしこの子が成功して上の立場に立ったとして、彼は部下を彼のロボットとして指示することが必然となる。成功しなければ彼の言うロボットとして働くことになるがそれを拒否するなら彼はニートにでもなるつもりなのか?
これからの長い人生を考えてみてほしい。
でも、これから社会がそれに対応出来るか、本人も対応出来るかはわからない。
それで幸せと思うならかまわないでしょう。
一方で何も社会を見ないで自分だけの狭い世界でしかもYouTubeだけで物を図るっていうのはちょっと違和感はあります。
日本は教育は義務になってます。諸外国ではまともに教育すら受けられない所もあります。
ある不登校の娘さんを持ったお父さんがホームスクールと称して、社会を学ばせる為に自宅で所定の授業して体育も公園で鉄棒したりかけっこしたり。修学旅行代わりに親子で自転車旅行したり。進学の為に教育委員会にも掛け合ったらしい。その甲斐あって大学卒業までした。
そんな人もいる。
この10歳の子の親は責任取れるなら最後まで見て欲しいな。
一つ言えることは、好きにして良いけど後で私達に迷惑をかけるなという事です。
もしかしたら、とてつもない人物になる可能性もありますし、まるっきり反対のみんなのお荷物になるかもしれません。
だから私たちは彼の行動や動画を保存して、将来もし彼が落ちぶれて生活保護のようなことになった時に、他の生活保護者とは区別して扱えるよう準備すべきでしょう。
同じ年頃で嫌なことから逃げずに成長した子供達が馬鹿を見ないように、その時こそ彼には子供時代のツケを払ってもらわなければいけないでしょう。
そうならない事を祈ります。
勉強もフリースクールや家庭教師などで補えるとは思うけど、社会人になったとき同じように逃げの人生では生きていけないと思う。
自分が選んだ人生だから自分で責任とれば良いけど、他人に口出した時の責任は取れるものではないので、自分だけで留めておくべきだと思いますが。
苛められた訳でなく、先生の言うことを聞くことがロボットみたいという所には驚いた。
生活していく上で、最低限の協調性は必要だし、我慢を覚えるのも1つの勉強。
必要以上の我慢は要らないけど。
私は同じ年の人と触れあわないで、いつか子供だけのピースボートって所を読んで、甘い考えだと思うわ。
学校で上手くやっていけないのに、沢山の子供を引っ張っていくリーダーシップを発揮できるのか?
思い通りに事が進まないとどうするのかな?
子供の好きなことをさせるのは良いことだとは思うけど、せめて中学生位までは子供どおしの体験は、とてもその人を作っていく大事な部分だと思う…
行きたくても行けない子供や頑張って行こうとしている子供もいる。困難に立ち向かおうと努力している子供を応援するならともかく、自分と同じ仲間を増やすのは間違っている。同じ年の友達と遊んで学ぶ大切さを学校に通った多くの大人たちが実感しているのだから、学校は意味があるものなんだと思う。
学べる場所にいる幸福を忘れて、「行かなくてもいい」と世界に発信するなんて世界を知らないからできること。他の国では、ペンもノートもランドセルもなくても「学校に行きたい」って思っている子供もいるのに。
親はなぜ諭さないのか…自由を履き違えていないか?
宿題を拒否して、やらされて、周りがロボットに見えて…不満を抱き、理不尽を感じ、違和感に苛まれることは誰にでもあることだ。
しかし、そこでルールや協調性を学び、優先順位や妥協も知る。
義務教育の9年間には色々なことを体験し学ぶ期間だ。
多くの人と出会い、そこから学ぶことも多いのは事実だが、ベースとなる知識が無ければ学べないとまでは言わないが、時間がかかり回り道をするだろう。
また、将来、彼がどんな仕事につくかわからないが、ルールを守れず、協調性や妥協を知らず、世間を渡ってゆくことは困難ばかりだろうと容易に想像がつく。
一時的にもて囃され、新しい学びを形作ったパイオニアのような気でいるだろうが、大人になれば社会に適応できない生きにくい日々を迎えることになる。
他の方も書いているように、勉学だけでなく協調性や社会性を学ぶのも一つではないでしょうか。
この歳で、しっかりとした考えに基づいて、不登校の子や親を励ますのは立派だと思います。
ただ、宿題拒否やそれで不登校をしている自分の状況は、その子達とはまったく違うので。
余計な事ながら、この子の考え方がこの先より極端な方向にいかないか心配なのと、親御さんの考え方が聞いてみたいところです。なんとなく、中東から拉致で帰ってきた安田さんと、あまり良くない意味でダブって見えました。
毎日じゃなくてもいいから登校して勉強して最低限の知識はないと生きていけない
まだ10歳だからよくわからないかもしれないけど将来絶対に困るよ
それに10歳の子供が発信するべきことじゃないと思う。不登校を経験した大人が言うなら全然いいと思うけどさ
子どもの頃に学んだことの積み重ねは、大人になり社会に出たときに必ず役に立つ。
その事に気づくことが出来るようになるための経験も大切。
もしこの子が今行なっていることで、何かを成す事が出来ればそれは一つの成功の形で賞賛に値すると思うけれど、そこに至るまでのリスクだとか、本当に1人の力で行動しなければならなくなった時の重圧だとか、総合的に見て親御さんはどこまで考えているのか疑問を持ってしまいます。
親御さん自身、義務教育を受けてきた事がそれほど無意味だったのでしょうか?
よくよく考えた方が良いと感じます。
意思を伝える姿がそれだけで美しい。
これで心安らぐ人もいると思うと学ばさせてもらう部分も大きい。
経験や情報、知識が足りないと批判する人もいるだろうけど、それこそ稚拙な大人なので気にしないで突っ走って欲しいと思う。
こうやって前向きを行動に移す事が出来る大人の少ない事。
子供の純粋さにはこうやって気付かされる事が多い。
他人の気持ちを考えて行動するというのは本当に素晴らしい。
そんな行動を全員が出来るようになると本当の意味での平和が現実になるんだろう。
良かれと思って悪い事をしてしまう人もいるけれど、そんな例外を気にしていたら行動が出来なくなる。
賢者が行動してくれるのが1番いいんだろうけど。
ただこれからも頑張って思いを伝えて欲しいと思う。
今だから10歳だから注目されているだけで、2年後には需要はないでしょう。
「俺が自由な世界をつくる」と言うけれど、数年も経てばいずれAIに立場を奪われてしまう時代がくる。
その時、知識も社会性も協調性もコミュニケーション力もない、自分から発信するだけしか知らないこの少年がいったいどう生きていくのだろう。感情や相手を思う気持ち、相手の心を読み取って感動する、言葉にする、涙する。そんな事が出来るのが人間の良さでしょう。
周りの子供をロボットと思うなら、この子は井の中の蛙。
今はそんな世間の言葉も「ほっといてくれ」って思うでしょう。
でも大人になった時には嫌でも「放っておかれてしまう」
大人になる為の階段って大事なんだよ。
だが、この場合はどうだろうか。
不登校になった理由が、あまりにも浅はか。
特に義務教育段階で、親には教育を受けさせる義務があるのに、これを容認しているというのはただ義務を果たしていないだけ。
ただのわがままに付き合って、学校は行きたい時に行く、それで本当に義務教育修了相当の教養が身につくのだろうか?
子供がその重要性を理解出来ないのは当たり前として、親がそれを正してあげないと、親としての責任を果たしているとは言えない。
子供のために不登校の選択肢を提示する事も重要だけど、これほど子供のためにならない不登校を容認している親のケースがあるのは初めて知った。
アンチコメント含め、対応や怖さも学び、そこから転校という手段を家族と団結して新しい世界へ飛び込んで、不登校克服した子供が身近にいます。
不登校は確かに不幸ではないとの考えもなくは無い。
でも、、、、。
たくさんの選択肢をもっとあることを知り勇気を持って、最後は自分自身の持つ壁が必ずあるから、そこを見ることが出来るか出来ないか。
難しい問題だけど、これでいいのだ、という答えは自分にしか無いのだけれど、固定した結論を出すには早すぎる年齢でもあり、判断能力はまだ未熟、未発達である成長過程での通過点として認識させる大人の助言が必要。
知識や人格の土台を作り、協調性を学ぶのが学校であり、何かのきっかけで将来に繋がる出会いがあるかもしれない
それは誰もが平等にあるはずの権利なのに、運悪く虐め等の環境に出会ってしまい、その環境を潰される事は不幸以外何物でもない
その不幸をバネにして自身を変化させ対応していく人、逃げ出す人、記事のような新たな世界を切り開く人と様々であっても良いとは思うが一つの進路を正解のように広めるのは決して良くない
今後の見通しも浅はかに感じるし、その決定をした自分に責任をもつ力も身についていないと思う。そしてこんなに早く自分の価値観を固めちゃったら、もっと生きづらくなると思う。
ただ、なかなか強気なお子さんに感じるので、学校に行きたくない理由を強がってそういう表現をしてしまっているのかな、とも思う。
本当は学校での生活が息苦しく、頑張ったけどできなかったのかもしれない。分からないけど。
生きづらい気持ちというのはすごく分かります。
ただ、その気持ちとどう付き合っていくかが今後の人生で大切になってくると思うので、本人の気持ちのケアや、まだ自分で十分な判断ができないうちは、正しい方向へ導いてくれる大人がそばにいることを願います。
いいじゃん!本人が意思を持って何かやるなら。それが少年野球クラブでも、ピアノでも、プロ棋士でも、芸能界でも、オリンピック選手でも、不登校でも。
なぜ、子供のスポーツ選手や芸能とかは許せて彼は許せない?それ自体が自分の偏狭じゃないかな?
彼なりに色々やって、成功しても失敗してもいいじゃない、それは最終的に彼の人生を熟成させるエッセンスだと思うよ。
ただ、好きな事をするのには2つ、絶対に背負わなければならない物がある。
1つは、自分から抜け出した世界、戻るにはそれ相応の苦労が伴う事。
2つは、何事も後悔してはいけない事。
自分から選んだ人生、10歳だろうが20.40.60歳だろうが、自分の人生に責任を持つ必要がある。
それができないかなら、やめたほうがいい。
俺は応援してるよ。頑張れよ!
まず、小中学校は義務教育ですから、親御さんは子供を学校へ行かせる「義務」があります。正当な理由がなければ、就学義務違反になります。
この子の登校拒否の理由は、
>宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。
ということですが、宿題をしなかったらほかの時間にやるしかないです。正当な理由にはならないでしょう。
義務教育を放棄された子供は、ある意味で被害者なのです。
賞賛するような記事を読んだ人が「素晴らしい」と思っているとしたら、かなり危険な思考になっていると思います。大人が義務を守らなければ、子供も法律違反をするようになりますよ。
無理して学校に行くことが良いかと問われればそれはもちろんそうではないという答えが出るのは大前提で。
学校に行かないことを正当化してYouTuberになる?これはおかしい。学校に行けないから悩んでいるという子はたくさんの人に救われるべきだとは思うけども。
学校に行けない何かがあるなら、周りの大人が(特に親が)行ける環境を作ってあげなきゃいけない。先生に掛け合うでも、カウンセラーを付けるでも、極端な話転校も視野に入れていいと思う、親なら。子供に対して教育を受けさせなければいけませんから。
100歩譲ってYouTuberになれるとしましょう。だとしても最低限の知識は必要です。
そしてラジオでは苦しむ子達を励ますとありますが、人間関係で悩む子達とこの子の不登校は意味が違うし根本の問題も違います。何を励ますことが出来るのでしょう。それはいつか大人になったらやってください。
知識、常識、義務。
君は、集団生活の中での知識と常識と義務を放棄している。
今の世の中は情報が正誤含めて混在している。それを判断するために正しい知識と常識が必要で、最後には義務と責任が付いてくる。
不登校は善悪ではなく法律や、社会通念を放棄している事にならないか?。
不幸ではない…幸、不幸の問題ではなくて不登校の原因が大事でその問題を解決する事が肝要ではないか?。
極論かもしれないが、親の考えを聞いてみたい。
いじめられても、最大限の努力をして、卒業式まで学校へ通い続けた、外国人女児の記事を、親子揃って読んでみたら良いと思います。
この男児は、宿題をしたくないと言う理由で、不登校とは…意味不明。
分からなくて、宿題をしなかったのか?内容や量に納得出来なかったのか?いずれにしても、きっと、担任の先生は、授業の復習として宿題を出していたのでしょう。そもそも、この男児は、学力的に授業についていけていたのか?と疑問に思います。
大きな夢を掲げるのは良いのですが、なぜ、世界で戦争が無くならないのか?社会科(歴史)のお勉強をしている子どもなら、この「なぜ?」が分かるはずです。
親亡き後に、子どもが困らないように、責任を持って育てていく事が、親の務めなのでは?
大人は仕事をした対価としてお給料が出る。
子供は勉強をした対価として知識を得て、子供時代にしかない「自由」を謳歌するんだと思う。
宿題を拒否して、周りの頑張ってる人を自分の狭い価値観だけで否定して、好き勝手に振舞うことを「自由」と勘違いしてる。
基本的な知識も常識もない人間に、頑張ってる人間を否定したり、批判する権利はないと思う。
行く行かないを決めるのは勝手だとは思うよ。
でも、努力してる人を同じ物差しで測ってはダメじゃない?
親も同じような考えなんだろうね。
それでこの先、いろんなことに躓いたらまた周りがロボットだの何だなと、自分ではなく周りがおかしいと言うのかな?
努力した対価を不公平だと騒ぐのかな?
それくらいの覚悟があるかどうか。
他の子も不登校で死ぬくらいなら、彼の生き方を真似すれば良い。
問題は、彼を言い訳にする子供だろう。
この道は何よりも危険であり、難しいのを理解しないと。
親は子供とよく話し合って、今の日本の現状、世界各国の学校の話、未来について等、考えないといけない。
ガチンコで話し合うためには、親もそれ相応の努力が必要。
子育てって真剣に向き合う、人生最大級のミッションですよ。
生活を保障して生かすのが必要最低限。
それだけじゃ足りない…。
そして、教育を受けさせる義務を履行していない。
権利を主張するなら義務を果たしている必要があることを親が教えなければいけない。
宿題は教育カリキュラムの一つで授業の復習を行うのだから、わからないは仕方ないがやらないのは親が叱る必要がある。
やるべきことをやらないで叱責を受けることを問題とすることが問題。
年齢と設定はキャッチーですから
その手の悩みを持つ人に需要はあるでしょう。
この子自体はお金も稼げるし、
事情を抱えてるわけでもないなら、やりようはあるでしょうが。
これを信じてしまった事情を抱えた子や保護者には、
何の救いにもならないどころか、
悪化させることになるでしょうね。
自己啓発やカルトが形を変えただけのもの、
人の弱みに付け込む商売ですよこれは、
もちろん子供ではなくやらせている親が悪いですが
そういう意味では悪質で怒りを覚えます。
本来学ぶべきものを、学校という組織以外でね。
学校以外で学ぶものを得ていることはいいこと。
でも、学校で学ばないといけないものも、学ばないといけない。
今後、当然既定路線外を歩んでいくんでしょうけど、それも1つ。
色々な生き方があっていい。
ただ、ベースがまったくなく、聞きかじりのつなぎだと、ゆくゆく苦しくなる。
今は、それがわかっていない。
でも、いいんですよ。
それがわかったときに学んで、挽回すれば。
そのときに、パワーで壁をも乗り切る精神的パワーがあれば大丈夫
もう、大人が作った楽な線路にはのれない。
苦難の連続
それがはっきりわかっても、人のせいにせず自分の力だけでのし上がってほしい。
大人が作った楽な線路にはもう乗れないんだから。
友達がお気楽路線にのれても、君は乗れない。
でも、それはそれで面白い人生
それが人生最後にそう言えればOKだ!
今は子供の発信で、自由に発言できるが年齢を重ねていけばそれなりの知識、教養が必要になってくる。
ネットで発言するのであれば、なぜ宿題をやらねばならないのか、どうすれば宿題をせずに済むのかを学校へ発言してはどうだろう?
不登校の理由がそれでは学校も行きたい時に行くのは無意味な気もする。
一生懸命に頑張っている子供たちに悪影響を及ぼしそう。
宿題が嫌だ、ロボットが嫌だ、、
という甘い考えとは違う不登校の子供達もちゃんとそれを理解してはいるのではないかな。
でも、敢えてその子供達に不幸だ、不幸ではないと指摘したり煽るのは不要なこと。
親や回りの大人は身体の健康を一番に考えて「ではどうすればいいか(勉強できるか)」と道を考えてあげるべき。
10才の子供がyoutube等を使って助けてあげるというのは表面的には優しいことに(特に子供には)見えるかもしれないけれど、心から悩み苦しんでいる多くの子供達の10年先も寄り添ってあげる心構えはあるのかな。それには勉強が大切なのではないかな。
一時的な事で無責任さを感じるけれど、その一時的な光でさえも輝きになる子供達がいるのかとも考えさせられたニュースだった。
私も学校嫌いだった。先生も嫌いだった。高校もほとんど行かなかったから、そのあとやりたいことを見つけて大学に行くために勉強するのに苦労したよ。金銭的には親には頼らなかったけど、バイトしながら予備校通って、、って言うとすごいねとか努力したねって言われるけどただ適応能力がなかっただけ。世間では落ちこぼれなだけ。適応してストレートに大学行く方が親孝行だと思うよ。
適応できないのは、不幸じゃないけど学校に行かない選択をするには覚悟が必要だよ。まだ小学生、、、誰か身近な人が救い出してあげてほしい。
中村くん、その親御さんともども自身や周りに対してそう発信して
いるのだろうと思う。
個人的には命ある事が幸せであると思っている。
不登校に至る経緯として宿題、家でやるべき事を何度もせず、教師
がついに休み時間や放課後にさせたのでは・・と邪推する。
書くこと
自体は記憶の整理・長期の定着に欠かせない作業なので、変な
言い方であるが、本人がその様な事があまり必要ない職業に就く
ならばその大切さを痛感する事もない。
人の生きる意味の一つは人を助ける事であり、中村くんがその
様な活動をしていくという点は素晴らしい。一方でアドバイスや
ものの言い方によっては人を傷つけたりもすると思う。それらに
ついては学校で学ばない、とある種宣言したわけで、自分や親、
仲間から学習して、がんばってほしい。
動画投稿サイトが「この子」の居場所になっているのなら、それも良いと思う。
ただ他人にも安易に不登校を推奨しているなら問題だと思う。
保護者が情報を発信する側の責任について早急に教えるべき。
それを考慮していない、指導していないなら、保護者に問題がある。
この子の場合、このままいくと、やらなきゃいけないことをせずに注意されたら周りのせいにしていきそう。
学校に通ってる人のことを「ロボットみたい」って他人を批判するのも、ちょっとね。彼には本当にロボットのように見えてるのかも知れないけど。
ロボット、と批判する前に、何の疑いもなく普通に学校に通えてる、この環境は一体誰のお陰で成り立ってるのか、そういうところもご両親は教えてあげてほしい。
もちろん、不登校が悪い、いいといっているのではなく。そして、物事を違う角度から見ることも必要だと思う。
でも、学校いかずに好きなことやって歌って、説得力はないね。今は注目されてるだろうけど、彼もあっという間に大人になる。YouTuberとして売りがなくなったとき、自力で生きていける力がこの子に備わるのだろうか。r
ただし、それが他人にとって正しい方法な訳ではないので自分たちだけでやって下さい。
そしてこれが正しかったのか、結果が出るのはこの子が大人になってからでしょう。
結果が出る前から、自分たちが正しかったように世間に広めるのは胡散臭い新興宗教のようですよ。
学校の宿題は学力だけを成果として求めてません。
毎日コツコツ積み重ねる努力や忍耐力を養う為だったり、自分で物事を深く考えたり自分と向き合う事ができるようになるために座って机に向かう時間を習慣付けているんです。
運動会や発表会、郊外学習や子供会、他人と譲り合い、時には妥協点を見つけ、人と関わって生きていくための人生の勉強をする場所でもあると思います。
そこから逃げると言うことは、自分が困難に直面した時に考える力を持てず、何でもすぐに諦めて好きな事や楽な事だけをする人間になってしまうと思います。
ただ、義務教育の義務とは子供が学校に通いたいといったら親が行かせなければならない。
つまりは、保護者の義務。
子供にとってはあくまでも教育を受ける権利がある。
権利を放棄することに対し周りの大人が無理やり義務教育だから学校に行きなさいと押し付けるのはどうかと思う。
子供7本人に意思を尊重すべきだと思う。
今の時代、不登校に対して不幸だとか、ありえないとか言う声って若い世代にはほとんどないでしょ。
自由にやりたいっていうけど、高校卒業すればみんな自由に選択肢広がるよ。
ただそれは、学力なり、自分で生計立てるだけの力をつけるなり、色々必要になる。
それをつけるために、社会で人との付き合い方や、理不尽なことがあってもそこでどうやって折り合いつけるかとか学んでいくのでは?
もちろん、いじめなんかで不登校になるのは緊急避難として間違った行動ではないが、安易に煽るものではないと思うよ。
不登校の子って、学校に心底行きたくない子と、行きたいのにいけない理由がある(いじめっ子がいるなど)子の二通りがあって、後者の子の場合は行くことを前提に解決策を提示してやるのが本当だと思うんだよね。10才の上に不登校という道を選んだ人間にはそれはできないと思う。
あと、未成年は広告収入は得られないとユーチューブの規約にあるので実質親が収入は得ているんだろうけど、先駆者のヒカキンさんらは苦労してあの地位に立ったわけで、社会からの逃げの手段として動画クリエイターになったわけじゃないということは、子供たちは勘違いしないでほしい。
ただ今この現状で満足してはいけないだろうなと思う。まだ10歳。これから本来であれば中学、高校、大学に行くはずの年齢になった時、この子自身が自分の人生をどう考えて進んでいくのかをこの子の周りの人間は見るべきだと思う。自分の世界だけに目を向け続けて盲目になりきらないことを祈る。そしてこの子の選択だからと放棄しないことを願う。
人により価値観は様々ですし適応力も様々です。一概に不登校=この子と理由が一緒、ではないでしょう。同じことができる訳でもない。
学校は教えてもらうだけではないんですよ。
学ぶ場であり、学ぶべきことは様々あります。
教科書以外から学ぶことの方が多いんですよね。でもそれは毎日通ってないと見つけられないものもあります。
うーん。格好良く聞こえるが・・・
・・・行きたい時に行かせてもらえる環境が有ることが不幸じゃない事が分かって無いのかな?
この先、Youtuberで食べて行ければ良いのだろうが、一般社会に出ざるを得なくなった時「行きたい時に行く」なんてスタイルは誰も受け入れてくれないと思います。
勿論、仕事もクビになるでしょう。
その時に社会に文句をつける様な大人には成らないなら、この生き方も有りだと思います。まだ10歳なので解らないかも知れませんが、この先まだまだ大変な事、辛い事、勿論嬉しい事や楽しい事が沢山出てくると思います。
その時の為に、ある程度の我慢を学ぶのも大事だと思います。
Youtube頑張って下さい。
一次関数が出来なくても基本的な加減乗除とか、おおまかな社会の仕組みとか、昔で言う基本的な「読み書き」が出来ないと、その内にやり直しをしなくてはならない時が来ると思う。
それに学校というのは勉強の為だけに行くのではないと思う。無人島に住んでいる訳ではないんだから、どこでも他人との関わりが有る訳で、基本的な対人関係の作り方や、苦手な事への対処の仕方を学ぶ場だと思う。
いま、たまたまYouTuberが職業として確立しつつある。しかしそれは曲がりなりにも皆、義務教育を受け社会とは何かを学んだ上で成立しているものだと考える。
再生回数を稼ぐ為にワザと白い粉落として社会に迷惑をかけ逮捕されたり、バイトテロで食の安全を脅かしたり、放火したり…
しかし物事には必ず終わりがある。いつか近い将来、YouTuberなんて昔流行っていたよね!?なんて時代もくるはずである。
自分も子供の頃イジメによって不登校になりかけた事も辛かった事もあったが逃げずに頑張ったから今の幸せがあると思っている。
いまやらなければいけない事、逃げずに頑張ってほしいと思う。
ただ、大人になった時に絶対後悔する事の方が多いような気はする。
みんな大変な思いをして大人になる。いじめにあってとかとは違う、ただの不登校の同級生が自分にもいるけど、好き勝手気ままにやり、学校には来ないけど楽しいイベントや、友だちの家には遊びに来る。辛い事やみんなと協力してやらないとならない事になると参加しない。
それで、学校に通うのなんて高々12年、そこから先の人生の方が長い訳だから、少しは我慢も覚えた方がいいと思う。
いじめなどの特殊な事情があり、本人が激しい拒絶反応を示す状態や、心身の危険を遠ざけるための緊急措置として学校から遠ざけるのは仕方ありませんが、記事の子は単なる甘えのような印象を受けます。
たしかに、教育は紋切型というか、平均化を志向してます。現代的教育が徴兵制や、工場労働者養成という社会的要請に応えて発達してきた結果です。しかし、第三次産業革命を経て久しく、第四次産業革命に当たるものが齎す2045年問題も鑑み、各国で教育は変わりつつあります。日本も例外ではありません。社会から見ると学校は閉鎖的ですので変化に気付きにくいですが、緩やかに変わりつつあります。
件の子どものように学校批判を行う大人は、まずは今の学校を見てください。ご自身が受けた教育とは違うはずです。
基礎的な勉強や、社会性を身につけることはとても大事だけど、教育を受ける権利と機会を用意した上で、それをやらないと選択することは本人と家族が納得するならありだと思います。確かに、そんな人ばかりでは社会は中々成り立ちませんが、社会を成り立たせる(それも、成り立たせたいと多くの人が考えるだけです)と個人の生き方の自由は分けて考えるべきです。
しかも、この子はつらい境遇の子を支えるという形で、他の人にはない価値を発揮しているわけですから、「多くの人が社会的通念通りに少年期を過ごす」よりももう少しマクロな視点に立って、自由な生き方を肯定的に捉えても良いのではないでしょうか。
新しいこと・今までと違うことをすれば反対や批判は当然おこるし、リスクもある。
『不登校は不幸じゃない』ということは一理あるし、実際アメリカの発明王トーマス・エジソンも小学校を辞めさせられてながらもなお、あれだけの功績を残しているから、学校だけがすべてじゃない。が、小~高校まで卒業・進学or就職が一般の考え方だから、それから外れた道を進むなら相応の険しさもある。
元の道に戻るなら早いほうがいいが、親が公認しているのなら自分の道を進めばいい。が、失敗やトラブルの責任は自分以外は誰も取らないことはしっかり考えてほしい。
息子のクラスに不登校児がいました。皆でフォローして一年後に登校できるようになりましたが…その後もトラブルが絶えず「オレは学校に来れなかったんだぞ」「あんなに辛い目に遭ったのにオレを大事にしない」etc不登校だった事を印籠のように振りかざし、思い通りにならないといじける、泣く、先生に言付ける…頑張ってみたけどどうしてもダメなら学校に無理して通う必要は無いと思いますが、少しでも自分が気に入らないから行かない!と言う場合はその子の我儘を助長するだけで何の解決にもならないと思います。
自分の弱さを克服する為の努力を一切しないまま、すぐに逃げ道を作る事に疑問を感じます。
不登校は不幸ではない、それはそうだと思うし、そうなる結果になるよう、今出来ることをする努力はしてます。
彼は10歳にして、ロボット化される日本の教育に嫌気がさし、自分だけでなく、世の中の苦しんでいる子供たちも救おうとしている。
素晴らしいことだと思う。
ここで、コメントをして、否定的な意見を述べている人で、ここまで世の中の人のことを考えて、行動に移している人がどれだけいるのかと問いたい。
一応義務教育かそれ以上の教育を受けて、人並みに人生を過ごしている人が大半だとは思うが、果たして世の中のためになっているのか?
10歳の子に批判できる人間が果たしてどれだけいるのか?
おそらく本人も気づいてないだろうな。
平均的な生き方しか、良しとしない教えを受けてきたから。
ある意味、それが正しいと認識されていることに怖い気もする。
基礎的な勉強や、社会性を身につけることはとても大事だけど、教育を受ける権利と機会を用意した上で、それをやらないと選択することは本人と家族が納得するならありだと思います。確かに、そんな人ばかりでは社会は中々成り立ちませんが、社会を成り立たせる(それも、成り立たせたいと多くの人が考えるだけです)と個人の生き方の自由は分けて考えるべきです。
しかも、この子はつらい境遇の子を支えるという形で、他の人にはない価値を発揮しているわけですから、「多くの人が社会的通念通りに少年期を過ごす」よりももう少しマクロな視点に立って、自由な生き方を肯定的に捉えても良いのではないでしょうか。
地に足のついた人生設計を共にしてあげるのが親の役目だと思います。YouTubeに動画上げるのが悪くはないですが、それで全てではない。肝心なことから逃げていては子供は大人になれないのだと親御さんが気づいてほしい。親は先に死にますから。切実です。
この子が家で勉強していない、とは書いてないし、ロボットは語彙の選択の問題かもしれないが、盲目的に先生の言葉を信じない、とした比喩だけのこと。
義務教育とは、子供が教育を受けられる権利を大人が守るべき義務で子供が学校にいく義務ではない。
落合陽一も子供の頃勝手に週休3日としていたと書いていたけれど、それでも成り立つ。今の学校教育なんて、そもそも戦後作られた比較的新しいシステムだし、戦前は戦争に行くためにの思想を教育する場としても使われたもの。学校という存在が正義ではない。
これからの時代、自分がどう生きるのか、どう社会に貢献するのかを第一に置くのは賢いと思う。
だっていくらでも修正のきくものだから。
この子も真似て欲しいのではなく、それぞれの生き方を選ぶヒントにしてほしいだけだと思う。
でも、この子のことは周りが担ぎ上げすぎ。親も子も、気づいてないんだろうな。今は持ち上げられて、周りからも支持され、自分達が正しい、間違ってない、と思ってるかもしれないけど、興味本位で近づいてきた人たちなんて、離れていくのもあっという間。
勉強より大切?それは勉強した人が、その学びの上で言っていい言葉。ろくに学びもしていないのに、言うべきじゃない。
この子がラジオやイベントで、他人に学校にいかなくてもいいって言ってあげるのは簡単。でも問題は、不登校になった人が、その後自分自身をどう確立していくかだと思うけどね。
しかし下らない理由で教育を受けることができる権利を放棄するのは頂けない。
大体の大人はあの時もう少し頑張っていれば…と後悔する人が多いのだよと大人が教えてあげて欲しいね。教えても無駄そうだけど…
今の日本は人と全く違うレールを走ると批判と嫉妬の対象になりやすい
自分の中の知識に偏りがあることを知った時のダメージはなかり大きいものとなる
そのダメージをものともしない専門知識を身につけてほしいと思う
一言頑張れと言いたい
その間、学校に就学している者は、何らかの教育を得ているので、
それを得られていない部分を、得なければ、落第生となり、
更にリスクは増える。勉強はやりたくなったらでも良いと思いがちだが、
幼少期間、学校と言う牢獄で我慢してやる事も、
大事だったり感じる事も後々ある。
学校でいじめ等あるのならば、
その学校生活はあきらめて、新たな場所で勉強する事を進める。
夜間学校で勉強するのも良い。”youtuber”は、あくまでパフォーマーなので、
深入りせず、まずは他人と同じ事、基礎を身につけながら、
考えてながら生きてみてほしい。その様子をyoutubeで。
これは確かにそうかも知れない。
虐められて苦しんでいるような子の助けになる言葉かも知れない。
でもこの子はやるべき事をやらずに怒られてツケを払わされただけ。
この行動自体もやるべきことを後回しにしてるだけに思える。
というか大人の世界で仕事するようになったらもっとやりたくないことが出てくるのでは?
やりたいこと以外は断る?
まぁ自由にすれば良いと思うけどね。
権利訴えるには義務を果たさないといけないと思うし、親は義務を果たせてないけど。
単に不登校の言い訳にしか思えないんだけど。
確かにイジメが辛くて登校したくないとかの気持ちは充分解りますが、宿題をしたく無くて、それを理由に反抗的な考え、行為に移すのは大間違いだと思います。
これは屁理屈に元ずく不登校で不幸です。
彼がどれだけの才能がある人物かは全く知りませんが、『わずか10歳で何を言ってるか』が率直な意見です。
小学校は生活していく為の最低の基礎を学ぶと共に、みんなと一緒に遊び、その中で協力、自己主張、相手の気持ちを理解すると云うような人としての基本を学ぶ場所なのに、それを自らキャンセルするのは将来とんでもない人間を生み出す事になると思います。
そして、この子の親も『うちの子はは他の子とはチョット違っていて、凄いんだぞ』と思っているかも知れませんが、将来必ず後悔する時がくるでしょう。 でもその時は既に手遅れです。
いじめに遭い、心身を守るために不登校を選ぶのとは違う。
~ノートに書くだけが勉強ではなく、色々な人に会うのも勉強~
この部分には賛同しますが、それはきちんとする事をした上での話です。
何のために義務教育があるのか?
勉強だけではなく、社会に出た時の為に、協調性だったり様々な事を身につけるためでもあります。
大人になり、働いた時に「行きたい時だけ行く」は通用しません。
そういう事を身に付けないまま大人になった時、手遅れだったりします。
今しか学べない事が何なのかをもう一度親子でしっかり見つめ直した方がいいのでは?
まだ間に合います。
私はこれは駄目だと思います。
人の子ですからいろんな言う筋合いはない、と言われてしまえばそれまでです。
でも。
私が親なら、と考えます。今のユーチューバーを職業の選択として良しとする30代の親世代の考え方なのでしょうか?
いや、少数派だと思います。
時代と言ってしまえばそれまでですが。
うーん
先ずこの子、そしてこの子の親御さんに考えて欲しいのは、“学びたくても学ぶ事すら出来ない子供達が世界中にワンさといる”って事実。普通だと思って思っている事かも知れないけど、本当はとても幸せな事なんだね。
日本ってさ、何事においても“恵まれている”からさ。食い物一つ、携帯一つ、電車に乗る事一つだって、当たり前みたいだけど、世界から見ればそれは凄い事だろう。
“あの震災”の時を思い出して欲しい。
店からは食料品が消え、電気は停電、ガソリンも満足に入れられず、電車はストップ。どれも今までは“当たり前”の様に享受出来ていた事なんだけどね。
件の記事のこの子にはまだ分からない事かも知れない。だからこそ親御さんが“当たり前の事が如何に幸せか”ってのを教えてあげるべきだと思うよ。
今のままこの子が大人になったら、ヤバいんじゃないか?って思わざるを得ないですね。
ということがどれだけ贅沢なことか。
「読み・書き・そろばん」が当たり前にできる環境にいるだけで、
どれだけ人生のスタート地点に恵まれていることか。
ぜひそれを自分のため、未来のために生かして欲しいね。海にボートを出したいのなら、
「ボートの作り方」「地図の見方」「天気の読み方」とか色々な事を勉強しないとね。そのときに昔の勉強や宿題が多分、役に立つよ。
直接的ではなくても、調べ方・思考力・応用力とかでね。
そしてその時に協力してくれて、励ましてくれて、お金のやりとりをするのは周りの「ロボット」たちだよ。人生の中で「学ぶことができる」のは一番の贅沢だよ、本当に。
その深く学んだことを生かして人に貢献したらよろしい!
ちなみにバンドマンやヒップポッパーは意外と高学歴な人が多いよ笑
それだけ意思の強い子供ならば、矛盾を感じても学校に通ってほしいし宿題もしてほしい。
同級生からしたら、なんであの子だけスペシャルなの?となる。
まぁ親がここで、どこまで子供と会話してこの子はスペシャルではないという説明ができるのかにかかっていると思う。
この子を否定も肯定もせず説明するのが難しいし、先生も大変だ。
この親には、学校にどのような対応されようとクレームとかは絶対言わないでほしい。
それが自由の代償だから。
管理人の率直な感想
こういった、所謂「普通じゃない子」というのは否定されがちです。
煙たい目で見られがち。
僕は人間関係が起因している不登校は否定しません。
いじめが問題視されていますが、それで心を病むようなら行かない方がいい。
この子。
中村逞珂くんですか。
本当は尊重してあげたい。
学校に行かない理由としては「宿題拒否」と「同級生がロボットに見えた」ですよね。
宿題なんてほとんどの子はしたくない。
僕だってそうでした。
しかし同級生がロボットに見えたことなんて僕は一度もありません。
中村逞珂くんは「死にたい」と言っている子たちと友達になって助言をし、世界中に友達を作り戦争をなくすと掲げています。
一番近い同級生という友達がロボットにしか見えない人間に、本当の友達なんてできません。
宿題さえ向き合えない人間に、戦争という事実と向き合うことなんてどてもじゃないけど出来ない。
これが現実です。
別に義務教育だから学校に行くのが義務だとか言いませんし、今掲げている理想論だって自由なので、自由に発言したらいい。
10歳といったら、本人はまだまだだと思ってるかもしれないし、もしかしたら親御さんもそうかもしれませんが、すぐに今の「自由」は世間に全く通じなくなります。
あと5~6年もすれば中卒で社会に出る人間は世の中に沢山出てくるし、そうなったら同列です。
それまでに実現は無理でも、実績を残さなければいけない。
世間にああだこうだ言われないためには。
ラジオのパーソナリティーや、芸人などとの共演は『10歳という今だから』ということも理解しなければいけない。
求められているのは本質ではなく話題性です。
そんなところです。
否定はしたくなかったのですが、結局否定になっちゃいました。
10年後、ぶれずに今の理念を持ったまま更に成長し、ちゃんと食べられる収入を得られているのであれば、今日書いたこの僕の考えの方が間違っていたことになります。
そのときは「ごめんなさい」です。
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