5月8日、滋賀県大津市でまたもや保育園児の列にクルマが突っ込み、園児2人が死亡するという痛ましい事故が起きた。ただ歩道を歩いているだけの人が次々にクルマにはねられるという現実の裏には、歩行者軽視の交通政策がある。
ドライバー厳罰化では 痛ましい事故は減らない
クルマの安全技術をもっと進化させるべきだ。いや、それよりもまずは危険運転の厳罰化と、高齢者など危なっかしいドライバーの規制も本格的に検討すべきではないか――。
議論をしている間に、またしてもクルマによって、何の罪もない人々の命が奪われてしまった。
昨日、滋賀県大津市で、散歩中に交差点で信号待ちをしていた保育園児たちの列に、普通乗用車と衝突した軽自動車が突っ込んで、2人の園児が亡くなり、9人が重傷を負ってしまったのである。
少し前に、87歳の元通産官僚の「踏み間違い暴走」によって31歳の母と3歳の娘が亡くなって、日本中が自動車事故の恐ろしさを思い知ったばかりだろ、とドライバーに激しい怒りを抱く方も多いかもしれない。
ただ、このような事故を起こしたドライバーを社会でボコボコに叩いて厳罰に処したところで、しばらくしたら同じように子どもを巻き込むような事故は起きるだろう。この何十年、何度も繰り返されてきたことである。
「官民が一体となってクルマの安全技術を…」
その素晴らしい技術が日本中の車に搭載されるまで、あと一体どれだけこのような犠牲者を出さなくてはいけないのかという問題がある。
安全技術を確立するのは当然としても、まずは1人でも犠牲者を減らすため、長らく放ったらかしにしている問題に手をつけるべきではないか。
その問題とは何かというと、「歩行者軽視」だ。
実は日本の歩行者は、他の先進国より自動車事故の犠牲になりやすいという事実がある。
ほかの先進国に比べて ダントツに多い歩行者の死亡事故
クルマに乗っている時に亡くなる「乗用車乗車中」は、死者数の少ないスウェーデンで55.6%。フランスや英国、ドイツなどもだいたい50%くらいとなっているのだが、なんと日本の場合は、それらの半分以下の21.4%に過ぎないのだ。
実はこの低い割合は、日本のクルマが素晴らしいからだけではない。
別のシチュエーションの死亡率がダントツに高いのだ。他でもない「歩行者」だ。
日本で歩行中に事故に巻き込まれて亡くなったのは37.3%。これがいかに「異常」なことなのかということは、他の先進国の割合を見ればわかる。スウェーデンは10.8%、ドイツは15.5%、英国でも23.7%なのだ。
このデータからもわかるように、道路がしっかりと整備され、歩行者の安全も確保されているような先進国の場合、自動車事故とはハンドルを握るドライバーや同乗者が亡くなるのが一般的だ。
しかし、日本ではどういうわけかそうなっておらず、自動車事故というと、人を跳ね殺す、轢き殺すというパターンがメジャーになっている。なぜかというと、クルマに乗る人の安全確保や、自動車道路の整備ばかりが注力され、歩行者の安全対策がないがしろにされてきたから。要するに、「歩行者軽視」という悪習が続いてきたのだ。
訪日外国人が怒りを覚える 「クルマ優先社会」日本
「日本は欧米のような車社会じゃなく、公共交通機関が充実して歩く人の割合が多いから死亡率も多くなっているだけだ!」と、どうにかして、自動車事故で歩行者の死亡率が高いことを正当化しようとする人たちがいるが、日本も地方へ行けば、すぐ近くのコンビニへ行くのもクルマという、かなりのクルマ社会である。
日本が他の先進国よりも歩く人の割合が多いのなら、他の先進国よりも歩行者が優遇されなくてはいけない。しかし、現実はどうか。
自動車道路は広くて3車線あっても、歩道は狭い。すれ違うと肩がぶつかるし、ベビーカーを押していると急いでいる人に舌打ちされるほどだ。しかも、自動車の往来を邪魔しないように、歩行者は歩道橋を渡ることになっている。
外国人には、これはかなり「異常な光景」である。ニューズウィーク日本版でコラムを執筆するコリン・ジョイス氏もこう述べている。
「歩道は狭過ぎて混雑し過ぎ。そして、なぜ道路を渡るのに、僕が階段を上らなければならないのか? 車が優先されていることに、僕は憤りを覚えた」
多くの日本人が抱くセルフイメージでは、日本社会は歩行者優先で、歩道や横断歩道を歩いていれば100%安全。クルマのドライバー側も、歩行者の安全をいつも気にかけている、という世界一交通マナーの素晴らしい国ということになっているからだ。
だが、残念ながらこれもデータを見ると、「妄想」に過ぎない。
子どもが犠牲になる事故は 過去数年で何件も起きている
2016年、JAFが各都道府県で2ヵ所ずつ、全国合計94ヵ所で信号機のない横断歩道を通過する1万26台を対象に調査をしたところ、歩行者が渡ろうとしている場面で止まったのは757台(7.6%)だった。
厳しいようだが、これが日本の現実なのだ。
だからこそ、歩行者軽視を変えなくてはいけない。歩道の広さを見直し、ガードレールを整備する。子どもの多い通学路などは、時間帯によって進入制限や速度制限を設けることも必要だろう。
日本が「歩行者軽視」であることは、歩行者の中でもっとも弱い立場である子どもの犠牲が後を断たないことからも明らかだ。
これらを一部のドライバーのせいや、安全技術の未整備のせいにしているだけではこれからも何も変わらない。
では、変えるためにはどうすればいいのかというと、まずは歩行者軽視という現実を認めなければいけない。
日本は、歩行者に厳しいという事実を受け入れて、それなりの対策をとるべきだ。これ以上犠牲者を増やさぬためにも、いい加減そろそろ、このあたりの耳の痛い話と本気で向き合わなくてはいけないのではないか。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190509-00201713-diamond-soci&p=1
ネットの声
「事故を減らしたいのか?」「違反を増やしたい(罰金が欲しい)」のかわからない交通ルールも多い気がします。
加害者が悪くないという意味ではなく、加害者を叩くだけでは解決しない。というよりも解決なんてする気もなく、ただただ叩きたいから叩くんだと思いますが…
普通に行き来してる分には十分な広さかもしれないけど、車道を自転車1台走ってるだけで対向車に気をつけて追い抜かなきゃいけないような道路幅多くないですか…
何かあったとき歩行者が巻き添えになりやすい造りになってしまってる気がしますが。
あと1メートルでも道路幅に余裕があれば結果はまた違ったかも。入れる隙間があれば人のいるところを自然と避けたハンドル操作をするだろうし、反応するための余裕も生まれるでしょうし。もちろん状況や技量にもよりますが…
広げたら無理な追い越しや違法駐車が増えるのであればこういう部分を今より厳罰化で。造りの意味を分かってないし安全侵害。
日本の道路は歩行者と車の距離が常に近い。これできる限り遠い方がいいのでは。でも日本じゃ絶対改善できないと思うけど。
またこういう事故起きると思います。
自宅の前に信号のない横断歩道があるのだが、そこを渡る時車が止まって譲ってくれたことは一度もない。しかも横断中の自分をひき殺そうと言わんばかりの速度で、右左折してきた車も多い。
そして、そんなに急いでた車がどこに行くか横断後に見ていると、300m先のスーパーに入っていった。
今、日本はそういう世の中なんだよね。滅茶苦茶急いで、歩行者ひき殺してでも買い物に行こうとするんだ。それが日本の車社会の本当の姿だと思ってる。
こう言う事に対して、車社会で日本社会を支えてるはずの自動車メーカーは、全く我関せずの姿勢だし、免許取得の為に教えている教習所も生徒数減少対策の為に内容は緩々甘々だし、将来的に今出てきている以上の危険な車社会の状況になり得るポイントがたくさん存在する。さらに悪くはなるだろうが、良くはならない、それが今の日本の車社会だと思う。
道路を広げようとすると反対する人いるし、車を運転するにしても自分はどういった事が不得手なのか真剣に考えて注意してない人が多いんじゃないんでしょうか。
同じ事を言ってました。
日本では歩行者よりも車が優先で
道路や信号などの交通設備は全て
車の渋滞緩和目的を意識した作りに
見え、とても歩行者を守る為の作り
ではないように思えると。
理由を聞くと都心以外でも土地が
広くある地方などでも道路は
広く確保され、整備されてるのに
歩道は狭く、1人が1人通れる
程度の幅やガードレール未整備などが
目につくと。信号がないと横断歩道が
あっても車は停止しないし渡れない。
日本ではドライバーが
気をつけていると言うよりは
歩行者が外出時は車に気をつけて、
止まる歩くものと言う社会認識が
構築されている。でも本来、歩行者の命を守るのは、
ハンドルを持つドライバーの責務。
気をつけて外出すべきはドライバーの
はずでは。
都市部は日本も同じく入り組んでいるがアメリカなどは住宅街に塀が少なく人が歩いていても見通しがいい。日本の場合住宅の塀をギリギリまで出しているのでセダンなんかだと歩道の人や自転車に対して非常に危険。後は、看板!日本は路上看板の規制が緩く、地方のバイパス沿いも店舗の敷地内の歩道側に太い支柱を立てて高い看板を上げているが、地震の時の耐久性もさることながら支柱の陰で車が見づらい。
後は意外と、幟。量販店の駐車場に歩道に沿って無数の幟を立てているがそれが陰になって自転車や車が見えづらかったりする。
大型トラックの背が高いので後ろに着くとまず信号が見えない。対向車側の信号で判断する。道路状況は昔のままだが車だけがどんどん大型化していきインフラが追い付いて無いんだと思う。
更なる安全対策をする必要はあると思いますが、日本の国土を考えると
歩道を広くとるがために、車道を2車線から1車線にするとか、簡単には
いかないのでは?
車を運転するドライバーのマナーも相当に悪いと思います。
歩行者が犠牲になる事故を、他者のせいにする事は簡単ですが、一方で、今すぐにでもできる事があるとすれば、歩行者が歩いているのを見かけたら無理な運転は絶対にしない。一番即効性があり、有効かと思います。
歩道がなかったり狭すぎたり一車線とかこの辺は変えられると思う。
日本全国?って言われるかもだけど、キチンとしたアセスメントをして危険なとこから手を付けてはどうかと思うが。
その調査にまた時間がかかるかもしれないが、うちの近所でもここは危険では?という場所がたくさんある。例えば警察で調査する場所を地域の声で公募するとかしたらどうかと。
うちの会社は通勤事故防止で会社周辺の危険道路をデータ化してるがおなじことしてる会社もあるだろう。そういうところに協力を求めるのもアリでは。
日本の子供達の通学は徒歩が一般的なので、そこでも比率変わるので、一概に%で語るのもどうかとは思いますが、歩行者に対して安全を確保すべきとの考えは同意します。
どうにかして、自動車事故で歩行者の死亡率が高いことを正当化しようとする人たちがいる≪
この考えにはどうにも納得がいかないですね。歩行者が死亡する事故は、運転手の過失が主な原因だと考えています。飲酒運転、速度超過、信号無視、最近だと認識障害や対向車を無視した運転による事故も起こってきてます。
根本にあるのが、事故中心的な運転によるものからのような気がします。それが出来ない人の為に全国の道路を整備するのに掛かる税金は如何程のものか、車に掛かる税金如何程になるだろうかも鑑みなければならないでしょう。だから、亡くなっても良いとは考えていません。
ずっと言われている事だがオービスは、
欧米では狭い裏通り(抜け道)などに設置している。
ハイウェイは高速で走って当たり前、
そんな所に罠を仕掛ける様に設置し点数稼ぎをする警察のセコさ。
自分達まで捕まる可能性が高くなると途端に設置を躊躇し、遅らせる。
警察のフザけた体質を改めない限り悲惨な事故は減らないでしょう。
一方で歩行者にも問題がある。
今回の事件は関係ないが、ガードレールが設置してあるのに内側を歩かない、
整備された歩道があるのに歩道上を歩かない。
田舎の方が車の運転は荒っぽくて危ないと思うんだが、
どういう訳か都会で守らない歩行者は、その田舎者が多いよね。
道路の真ん中を歩いていたりする事も多いし。
何にせよ免許更新時に適性検査を厳しくやらないといけない時期に来ている。
直ぐにイライラする様な輩には交付しなくて良い。
建設業が一番安全に特化して注意しているにもかかわらず死亡者が多いのはそこだろう。
歩行者は車を軽視し私を認識しているはずと思い込んでいるし、運転手は歩行者は車を確認しているはずと思い込んでいる。
結果、双方の思いは思いだけで、まさかと言う結果だけ残る。
ぶつからない車、人を判断し緊急ブレーキがかかる車を買えば、保険の認識を通り越し歩行者に鈍感となりクソみたいな運転手ばかりになるし、歩行者は勝手に車がブレーキで止まってくれるという人が増える。
安全装置が増えれば増える程厄介だろう。
常に歩行者は飛び出す、運転手は実は周りを見ていないから注意と思うくらいの考えが事故を減少させる上で必要な考えでは。
そのため十分に歩行者のための幅も取れていないのが現状。それを改善するためには区画整理を進め、道路の引き直しをすることが不可欠だが、そのための費用も膨大なものになる。言うのは簡単だが、時間がかかることも事実なので、目先の損得で考えず、長い目で見通して話を進めていく必要がある。名古屋市の100m道路は都市計画の良いお手本だと思う。
ドライバーは、人(歩行者)のための道路を借りて今運転させてもらっている。と、謙虚な心を持つことが大事である。
税金を投じて整備された道路。私だけの納税の全てを道路財源に当てても、道路1メートル作れるのだろうか?つまり、自分以外の方達の納税で整備されているのであり、ほぼほぼ借りて使わさせて頂いているのである。
せめて道路の分離とガードレールの設営はお願いしたい。
又、無駄な道路工事が多過ぎる。
何度も同じ道を掘っては埋めて…
必要な工事は是非お願いしたい。だが、現状は
歩道の確保は後回しだし、工事中の道路は運転手だって運転し辛い。
日本は自動車産業の発展と道路を初めとしたインフラ整備で潤った国だけに、各業界への忖度かと思う程歩行者は無視されている。
然し、1番は運転手のマナーだろう。
チョット視点を変えた見方だが、昨今の自転車運転の無謀さを見ると考えてしまう。
自転車には免許制度無いし違反時の厳格な処罰も無い。死亡事故で高額賠償金支払の判決が出始めたが浸透はしていない。
昨今の自動車事故を見ると、車も自転車感覚で乗っていないか疑問を感じる人が居る。
不注意、高齢者運転、過信等、人命を奪う凶器を操縦する感覚が無さすぎる。
開かずの踏切や歩行者から見えないカーブ、ミラーの設置されていない為ドライバーが歩行者確認できない道、そもそも車ギリギリでしか通れないような狭い道を歩行者と車が通る道。
考えの足りない交通整備や道の作りも事故を作っている。
また、そんな道を通らせながら守れない、時によって判断が変わる交通ルールも問題。
そして、警察の得点稼ぎ為にあるような物差しの定かでない取り締まりや罰則。
問題は挙げればきりがない。
車は日々の生活の中で突然最恐の凶器になる。車の安全性向上や運転技術モラルの向上や車道の整備や刑罰の厳格化も絶対大切だけど、狭い日本で「被害者となりやすい無防備な歩行者」の保護をまず最初に置きその為に何を変えていかなければいけないかを国を挙げて考えなければならないと思う。
財政難というが公共事業の予算を消化するために意味のない車道工事を繰り返す事や無駄無能な議員削減や無駄な箱もの建設や皇族への税金過剰投入を止めるだけでもかなりの予算が取れるはずです。
交通量に応じて特定のレーンで左折のみ出たり、右折のみでたり、いろいろありますがその時も歩行者は赤のまま。
結果歩行者も結構待つことになろうとも安全です。
これは日本も徹底したほうがいいとおもいます。
そうじゃないところもたくさんあるから。
日本ですが、うちも近所で最近左折巻き込みで自転車の小学生が死にました。
国道の大きな交差点です。
あと記事にあるように、信号機のない横断歩道、渡ろうとしてる人がいたら厳格に一時停止します。
日本だとそのまま渡ろうとしても車はスピードも落とさず、そのまま渡れば轢き殺されそうなシチュエーションもある。
偶然かなと思っていましたが、結構、そういう場面に。
駅でよく見る光景です。若い人が、ベビーカーを運ぶのを手伝っていたり。小さな子供がいると、どんな人でも地下鉄や電車で席を譲ってくれます。だんだん自分もそうなりました。
さて帰国して残念に思ったことは、自分の権利ばかり主張して、弱者を思いやる気持ちが薄いな、ということです。
大津市に住んでいますが、歩道にガードレールはほとんどありません。
その歩道を小さな園児たち小学生低学年の子供たちが歩いていても、猛スピードで車が通っていきます。それがここの通学路等の実情です。
この記事を読んで、本当に、日本で、特に大津市では歩行者が軽視されていること、改めて認識しました。
まず歩行者の安全を一番に考えて設計すべきでは!
信号のない横断歩道もそうだが、道路整備自体も歩行者のことを全く考えていない整備が目に付く。某1桁国道の沿線の地方都市在住だが、
片側2車線(中央分離帯あり)で片側の歩道が唐突になくなり、横断歩道もないところを対向車線まで渡らなければいけなくなったり、
歩道もあり車道用の信号もあるのに交差点には歩行者信号も横断歩道も無かったり。
片側2車線(中央分離帯あり)で横断歩道に信号がないため、対向車線のバス停に行くのに数分待たざるをえなかったり。
交差点に歩道橋しかなく、自転車で渡れないので数百メートル離れた別の交差点まで大回りせざるをえなかったり。
歩行者・自転車にとって非常に危険な道路整備になっているのが地方都市の実情。
PTA役員として横断歩道の整備を行政に要請しても死亡事故・重傷事故が起こらない限り整備されたためしがない。
駅の近くの細い抜け道の為、交通量が多く、急いでいる人も多い為、車のスピードも出ていました。
痛ましい事故が起きる前に対策して欲しいのですが、「周辺住民の不動産価値が下がる為」出来ないと回答を受けました。
小さな命より、自分の資産が大事な方が多いのかと、愕然とした事を思い出します。
ガードレール設置、速度制限や走行制限等、最低限、子供を守るような道路にしてほしいと思います。
それに比べると、自動ブレーキなどの義務化は、10年もあればかなり行き渡ります。20年でほぼ完全になるでしょう。
10年20年かかる対策を、時間がかかりすぎるとしつつ、もっと時間がかかる対策を推す理由が私には分かりません。
障害物を避けるために確認もせず車道に出る歩行者や自転車、3m先に歩道があるのにわざわざ危険な路側帯を歩く人、左右の確認をせず横断するなどなど死んだり怪我をするのは自分なのにそれを想像する能力が欠落している人間の多さには呆れるほどです。なぜ赤の他人の運転をそこまで信じられるのでしょうか?
そしてそれを助長しているのが弱者保護という名の過保護なんじゃないでしょうか。
そういう不注意が原因の事故の比率は分かりませんが、少なくとも都市部の歩行者の無警戒ぶりは目に余りますから皆無ではないはずです。
そもそも歩いて学校には通わせないし、スクールバス停車中の追い抜きは禁止。
国土の広さが違うとか、多民族であるといった文化の違いはあるにせよ、そうしなければならないニーズがあるからこそのルールなのでしょう。
将来のある子供たちを我々大人が皆で守っていく為に、日本でもそろそろ上記のような取り組みを考えなければいけなくなったと切に思う次第です。
日本は、徒歩で自力で学校に行く。
その差だよ。
それに現在の道路事情は、高度成長期の交通行政
の影響だよ。
自動車業界と運送事業に配慮して、道路網の整備
を優先にし、歩行者保護を後回しにしたツケだ。
うちの近所では、狭い街道に普通の路線バスが
朝の通学路一杯に往き来し、そこに通学の
自転車、学童、中高生、並びに大学生で
ごった返している。
何十年も危険地帯と指摘されても、市行政や
教育委員会は、通学路の見直ししない。
その理由は、迂回路出来る道路が無く、住宅地
にすれば、学童達の声が五月蝿いとクレームが
来るからと話だと聞いた。
本末転倒な話だ。
今になって、歩行者優先に道路行政を舵を
切っても、道路拡張事業自体が何十年単位の
話となり、対象地域の住民は高齢者が多いので、
初めから話が噛み合わないし、自己中心的な人
が多いので進まない。
単純な比率の比較は意味がないように思います
日本は本当に子供が守られてない。
通学路は時間帯で厳しい速度制限があり、住宅地や通学路の至るところにハンプというなだらかな出っ張りが作られ、それが車の速度を強制的に促す。
子供のシートベルト着用率は100%、自転車等の乗り物のヘルメットも当然のごとく大人も子どもも被ってる。
子供番組では安全に対しての刷り込みが常にあり、小さい頃から親に言われなくても当然だという感覚がある。
イギリスなんかの田舎道の交差点はラウンダバウトと言って、一方通行の周回する作りになってることで交差点で車は必ず減速しないといけない。仕組みはすごく単純ですが、とても効率的かつ安全です。
多様な対処法を取り入れて、数少ない子供達の安全を国と国民で守っていかないと日本の未来はないですよ。
道路事情の改善、交通法規の改善も急務だと思いますが、万が一歩行者と衝突しても歩行者への衝撃を最小限に食い止められる車の普及も必要だと思います。
自分はドイツ車に乗っていますが、万が一歩行者とぶつかった場合にフロント部分が作動して歩行者への衝撃を和らげる設計になっています。
この前も幹線道路で横断歩道以外の場所を、しかも信号無視で渡った人が車にはねられたけれど、歩行者や自転車のマナーもかなり悪い。赤信号でも気にせずに横断する人、左右を確認せずに飛び出す人なども多い。交通事故処理において、もっと歩行者側の過失を認めたり賠償責任を負担させるようにしたら、歩行者側のマナーも良くなって事故が減るんじゃないの。
狭い道では歩行者が小さくなって、車に道を譲っている。
なぜそんな風になったんだろう?
車が普及していった過程の日本人の意識の中にも原因があるのだろうか?
歩行者優先、歩行者の安全を守る義務が運転者にはあることを意識するだけでも、助かる命があるように思う。
毎回同じ場所でそこ以外は速度を上げて走ったり携帯いじったりし、ひどい人は飲酒しながら検問場所を避けて運転している。
どうせならランダムに時間や場所を変えて取り締まって欲しいものです。事情はあるとは思いますが事故を無くす為に。
無事故無違反の特典もあっていいと思う
例えば税金を低くするとか、事故処理する経費考えたら還元できそうですね。
横断歩道で渡ろうといている人がいても止まらない。
生活道路を歩いていても、歩行者すれすれに車が走る。
歩行者優先がわかっていない馬鹿が多すぎる。
技術のある人間が高速を300kmで走るより、誰も来ない林道でドリフトするより事故の確率は段違いに高いのに。
自分たちは普通に運転していると勘違いして歩行者をないがしろにしている人間が多すぎる。
皆がやってるんだからではなく、鉄の塊を動かしている以上、歩行者にとっては少しのミスでぶつけても命に関わる事故になるいうことを肝に命じるべきである。
区画整備された箇所を除いて昔ながらの細い道が多いことが理由だと思うが、
これをすぐに変更する事は難しい。
すぐに実践することが出来るのはドライバーが事故を起こすかもしれないと意識を持ってルールをしっかり守ること。
トンネルが橋が水道管がと、老朽化とコストの話題も頻繁に聴く中で、ではどうするのが良いのだろう。全ての道路にガードレールをなんて不可能だし、そもそも狭い道路の多いことよ。
外国と大きく違う「狭い」という点と、「充実した交通網による拗らせ」も考えるべきでは?
都心なんか見てると、人の移動で成り立っているのが日本なんだと思わされる。近所に勤めるしかないという訳では無いのはメリットだが、それを支える満員電車と交通網がデメリットで、最近は問題になってばかりな気がする。
歩行者優先というのだって、「次の車の切れ目を狙おう」としている人が譲られたら慌てて「どーもすいません」って渡るのが日本人ではないだろうか。そして「かえって悪いことしたかも」とドライバーは思うと。
つまり、もっと日本的な、日本に合ったやり方って無いのだろうかと思うわけよ。
言いたい事も分かるけどさ。
免許持ってるけど信号なしの横断歩道手前で停止しようとすると後続が突っ込みそうになることが何度かあった。車間距離あげて欲しいのと、視野を広く、車の三台先の光景も気にして欲しい。
自分がベビーカー押しているときは信号がある横断歩道まで遠回りしてた。必ず歩道の淵から離れ、ガードレールや棒の後ろに立っていた。日本で動いている車は信用ならないから。歩行者信号が青になっても、向かってくる車の減速を確認しなきゃ渡れない。
できるだけ全ての横断歩道に車よけの棒やガードレールを設置してほしい。
1.走る時間を少なくする。
2.速度を上げない。
3.運転手の意識改革。
4.歩行者の安全確認。
5.運転能力を厳格にする。
6.全てを人の判断に依存しない車。
思いつくままに5項目挙げてみた。
1~5は今までも行なわれてきたが、
項目「6」がやっと最近の車に安全サポートとして搭載されるようになった。
この6が、もっと早くに搭載されるようになっていると良かったのだが。
カーメーカーも順(?)加害者と言っても過言ではないだろう。
高額な車を買わせて、翌日衝突事故を起こすかも知れない車。
使い方によっては、凶器で有り棺桶だ。
購入者のそういうリスクをなんとも思わないのだろうか?
それって事故の際の罰のレベルだけでなく、歩行者が基本、車の動きを信用していない、それが当たり前な価値観があるから。
親たちは小さな子供に「車じゃなくて運転手を見ろ」と教えて育てますし、老若男女本当に車(運転手)のことは良く見ている。
日本人は良くも悪くも「信号を守ればいいんだ」ということだけに集中しすぎかもしれないと気付きました。それはもちろん良いことだけどそこに集中しつつも、常に自分のほうへ向かってくる車はないかを注意する感覚があれば、人身事故はだいぶ減ると思います。左折時の巻き込み事故などもそうです。せまってくる車がいたら逃げて欲しい。
でもこの事を日本人に言ってもすごく評判が悪いんです。なんでだろうといつも考えています。
ばかりで原因や何が問題か、対策はどうするのかにまでは踏み込まず、次の目新らしいものを報道する
浮気ゴシップと同じ扱い
受ける側も他人事で、自分が加害者になんて微塵も思っていないから、同じ事が繰り返されていく
やっぱりまずはガードレールや今回みたいな横断歩道周りで縁石が無いところにクルマ進入防止の杭を設置することだろうな。
あとは新車へのクルマの安全装置の義務付けと高性能化を加速させることかな。これも行き渡るまで時間はかかるがやっておくに越したことはない。
あとドライバー個々にできるのは、当たり前すぎるけど歩行者への安全意識を上げることですね。
まず、自転車・歩行者のマナーの悪さから発生しているケースも少なくないと言うところから考えた上でその様な方向で進んでいるのか考えて欲しい。
車は便利だが、1つ間違えれば凶器になると言うの誰しも知っている話なので、いくら車が注意していても避けられない事故も少なくないでしょう。
運転手だって大半がしようと思って事故を起こしているわけではないので、原始時代の法律をマイナーチェンジするのではなく、根本から考え直した方が良いのでは?
欧米はもともと馬の文化。馬が通るのが道。
つまり、道路は車(馬)のもの。歩行者は、場所を借りて歩いている。だから、気をつけるのは当然だ。
変わって日本は、歩行の文化。
道は、人が通るもの。
なので、道路が車が通るように整備されていない。
整備されていない道路を人が歩けば、当然車と人との事故が起きる。
事故が起きれば、人が犠牲になるのは明らかだ。
日本も、そろそろ「道路は自動車が通るもの」と言う概念に切り替えないといけない時期だと思う。
その時のその速度で
どの位で、止まれるか訓練されていない日本のクルマの多くは
重いクルマでも、発進加速力がムダに多い
短時間での試乗で
良く見せようとしたメーカーにも問題がある止まれるハズのない速度を
自然と認識しているかぎり安全は存在しない
青信号を渡るルールを守っていればよい
歩道を歩いていれば問題ない
周りになんの注意もはらわないのです
問題はそこだと思いますよ
ルールでがんじがらめにしないと従わない
モラル意識の低い民族だから仕方ないけど
過保護すぎですよ
長い歴史の上に成り立った日本のシステムですから
そう簡単に変わらないと思いますけど
自分の命は自分で守りましょうね
この問題は日本固有の問題として、比較ではなく、独自で考える必要があるのではないでしょうか。
今回の事故では、右折しようとした車の運転手が第一責任を取らねばならないが、報道をみると、以下の問題も浮かび上がる。
・ガードレールが整備されていなかった。100%とはいかないが、ガードレールがあれば、かなりの確率で犠牲を生まなかったのではないか
・速度制限が50km/h。あの道路ではせいぜい40km/hがいいところではないか
やはり日本の交通行政は先進国でもかなり遅れているように思う。
仮に歩行者の飛び出しで事故が発生した場合でも、歩行者は弱者として保護されていますので車側の過失が問われます。
歩行者に非がある場合、歩行者とは言え加害者にもなり得ると言う教育を子供の頃から受ける様にしなければならない。
「MTだと踏み間違いはない」
「踏み間違えても空ぶかしになる」
「だからMTには自動ブレーキは不要」
「高齢者にはMT強制」
という意見を多く見ます。
自分も10年以上MT乗りですがMTでも踏み間違いは起こりうるし、自動ブレーキ不要の理論も破綻してるし、こういった意見が公然と出てくる以上はいくらインフラ整備したり厳罰化しても現状から大きくは変わらないと思います。
田舎の広い敷地に住んでいながら、塀を取り回して道路拡張に抵抗する公共心の無い人達には固定資産税を割り増ししたら良い。
『圧倒的に歩行者が多い』
からじゃないの?海外に詳しくないが、
子供に自分達だけで歩いて登校させられてる国は少ないと聞く。買い物に歩いていくとかね。
歩行者が多いエリア自体少ないから整備が進みやすいとか。例えばワシントンと永田町でそんなに歩道の整備違うと想像できないけど…違うのかな?
一つは自動車学校で容易に運転免許証が買えるシステムで、免許取得も更新も敷居が低すぎます。もっと難しいものであるべき。
もう一つは安全を名目にふんぞり返って片手で運転できるように間違った進化をした自動車が原因。現在の自動車は運転に必要な集中力が不要になっている。
他人の命を奪えるものを使っているのに制度も自覚も御粗末過ぎます
右折なのに直進車より先に行こうとする車の多さに驚く。右折だと永遠に待たないと行けないのに右折信号がないということもあるのか。
横断歩道がある所の右折、左折は、そうやって急いで曲がった先にあるので止まらない人が多い。また信号が長すぎてドライバーを苛つかせるということもあると思う。
改善していってほしい。
ですが、それまでは仕方がないで、諦めるわけにいにません。
やはり、先ずは加害者をボコボコに叩き、人を殺してはダメなんだ、車の運転は人を殺してしまうかもしれないんだ、という事を、関与していない人に知らしめ、日々の運転に注意してもらう、高齢者は免許証を返納してもらう事が大切です。
加害者叩きは全く無駄ではなく、それなりの効力もあります。実際、渡し自身も、最近のニュースやネットの反響を見ていて、安全に運転しようという気持ちは高くなりました。
加害者叩きは何も解決しないと綺麗事を並べる人は、一度辛い目に有ってみれば良いさ。
ドライバーの自分優先の気持ちもあるから
事故は減らんのやと思う。
横断歩道を渡ってるのに、スピードを落とさずに
走ってくる車って居るし、人のことを考えない人が
増えたんやろうな。
これから更に少子高齢化になるので歩行者が「歩行者様」になるんじゃなくて誰もが歩きやすい歩道を増やしていくのは大切だと思います。
運転される方ももちろん気をつけてもらって、歩行者も横断歩道以外は渡らない、歩行者優先と思い込みすぎないというのも必要です。
歩行者優先。でもお互いの思いやりも大事!が素敵です。
車優先みたいな思考が少なからずあり、抜け道と称して生活道路に入り込む事を賢いドライバーと勘違いしている人が少なくないですし、それを助長する出版物も多く存在します。
日本人の傾向として行政や機械に頼り切る傾向が強いのも原因だと思いますね。
全く遮るものがない交差点の止まれ表示や右折の車線があるのに右折の信号がない交差点とか意味がわかりません。
運転手側も交通ルールとマナーを徹底的に重視する運転教育ができれば事故やあおり運転もすくなくなるんじゃないですかね。
免許更新で違反運転者は1日がかりで面倒くさい違反教育をすればいいのでは。
一つの意見ですが。
地方では公共交通機関の廃線、廃業が増加して自家用車なしでは移動手段がないです
自動車が増えれば渋滞が起こる
渋滞が起きれば運転手は時間に追われイライラする
抜け道を使う
抜け道は歩道のない路地が多い
事故が起こる
歩行者を巻き込む
悪循環しかうまない気がする
都市中心型の国のやり方に私は疑問を持ってます
ある程度スピードの出る道はそもそも歩道が無く、ちょっとした高速道路みたい。二車線しかない道路も真ん中に頑丈なコンクリートバリヤーを置いて今回みたいな安易な右折(アメリカなら左折ね)は出来ないし、可能な場所はセンサー付きの信号で制御されてるところがほとんど。とにかく交通の分離はきちんとした方が良い。
こういうこと書くと妬んだヤフコメ民に青ポチ押されるけれど…自分は米国で5年間運転していたが、ドライバーの歩行者に対する姿勢には大いに見習うものがあった。西から東まで。都会から郊外まで。
方や、日本の交通マナーの悪さは、無信号の横断歩道で歩行者が横断しようとしているのに、止まらない車の異常なほどの多さを観ても明らか。止まった場合の後続車の振る舞いを観ても、如何に民度が低いかがわかる。まあこれは県民性が出るのかもしれないので、一概に日本全部とは言えないのかも知れないないが。
その他のアジアの国々の事情はよく知らんが、もっとひどいのかな?
海外は道を歩いてる人からして少ない印象だった。パリやニューヨークは歩いてる人が結構いるが、それでもと東京より遥かに車、人密度が少ない。少し中心部を離れるとガラガラ。誰も歩いてないくらい。日本くらい地方まで密度の高い国も珍しいと思う。
田舎じゃないけど、歩道が狭いことはもちろん、歩道がない場合も多い。
横断歩道があっても車は止まらないし、なんなら横断歩道を渡っている時に曲がろうとしている車が煽ってくる始末。
あと多いのが曲がる時に自分が進む方向を一切見ずに、後ろだけを確認して進んでくる車。
何度ひかれそうになったことか。
しかもそういう車のドライバーって絶対に自分の方が優先みたいな顔してこちらに対して嫌な顔をしたり、文句つけてきたりする。
一時期自転車の事故が頻発していた時に自転車が危ない、マナーが悪いと叩かれていたけど、個人的には車の方がよっぽどマナー悪いし危ない印象。
ドライバーのマナーの悪さははっきり言って日本人は悪い。アメリカにも悪い奴はいるけど(そういうのに限って黒人だったりする)、比じゃない。お互い工夫すれば効率よくスムーズに交通が流れるのに自分勝手でどうしようもない。例えば右折車が一番手前の車線に入って、左折車も自分の手前の車線に入ればお互い止まることないのに右折車が好き勝手に車線を選んでいる。これで流れが遅くなるのは自業自得。
かといって、歩行者のマナーも悪い。横断歩道で赤信号でもたらたらと渡る奴がかなりいて、渋谷付近の道路はいつも渋滞。
もうちょっと日本人が自分で頭を使うようになって周りの事を考えるようになればもう少し変わると思う。
管理人の率直な感想
日本の道路整備事情は確かに歩行者に気を使っているようで使っていない、穴ぼこだらけな場所が多すぎる。
痒いところに全く手が届いていないのが現状。
そこにプラスされるのが、屁理屈のようですが「安全運転の概念が欠落した運転者」による「歩行者軽視」でもあると僕は考えます。
死亡事故が起こると、どうしても運転手に責任を追及する傾向があります。
それは至極当然のことであり、全く間違ってはいない。
これからもどんどん追及するべきだと思います。
しかし今回のこの記事。
歩行者軽視と言える道路整備の現状は無視できません。
酷いところになると交通量があるのに歩道すらない場所もあります。
僕の実家付近もそうです。
歩行者用のガードレールはもちろん、縁石すら無い。
結構、世田谷方面の住宅地に見られますよね。
杉並とか練馬もそうかな。
全国的にも道路が狭い住宅地にはそういう傾向があると思います。
歩道の広い狭いを議論することすら贅沢と思えるほど酷い歩行者軽視ぶり。
ガードレールは設置しましょうよ!
がっちり歩行者を守るように設置していただきたい。
それで助かる命は沢山ある。
それと、これも個人的な愚痴になりますが、毎日通勤で青山通りを渡るんですよ。
読者さんの中にも「俺も通る」「私も歩いてる」という方もいらっしゃると思います。
あそこ横断歩道が無さすぎやしませんか!?
赤坂見附駅から出てきた場合、246沿いの歩道は広いものの歩行者が多すぎるし、歩道橋があるのはいいのですが狭すぎる!
駅からじゃなく横断歩道を渡ろうとすると、結構歩かなきゃいけない。
あまり横断歩道を設けすぎると車を運転する人のストレスになるからでしょう。
結局、車優先なんですよ。
というか赤坂見附から赤坂方面に向かおうとすると、すぐに歩道が無くなりますよね。
何ですかあれ。
車は徐行するものの普通に通るし。
こういうことを書き始めるとキリがないのでここらへんにしておきますが、「歩行者優先とは名ばかりでは?」と考えざるを得ない現実を今回は取り上げました。
みなさんも一度、一緒に考えてみませんか。
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