東日本大震災、母親は娘の骨を探し続ける『守れた命』宮城県石巻市立大川小の賠償訴訟確定も「胸張って報告なんてできないよ」

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東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は11日までに市と県の上告を退ける決定をした。10日付。防災体制の不備により児童を安全な高台に避難させることができなかった過失を認め、計約14億3600万円の支払いを命じた2審高裁判決が確定した。津波被害を巡り、震災前の防災体制の不備による賠償を命じた判決が最高裁で確定するのは初。裁判官5人の全員一致の結論だった。

幸せな地域を襲った地震と津波…犠牲になった子供たち

まだ会えない娘を、判決が確定したこの日も捜していた。8年7カ月の月命日。大川小周辺を重機で掘削した土に目を凝らし、鈴木実穂さん(51)は小4だった長女巴那(はな)さん(当時9)の骨を見つけようと必死だった。

緑と人々の笑顔あふれる幸せな地域だった。今は茶色だけの世界。小6だった長男堅登(けんと)くん(当時12)も失った。

捜索合間の昼休憩。自家用車の中で一息ついていると同じ原告団の仲間から、最高裁上告棄却の一報が入った。「(14年3月の)提訴の時から最高裁まで戦う覚悟だったけど、判事の皆さんが分かってくれたのかな。でも私は巴那を捜さなくちゃいけない。冷静でいなきゃ」。

車を出て大川小にある祭壇に向かい、手を合わせた。「巴那、出ておいでよ」。

原告団の今野浩行団長(57)は弁護士から一報を聞き、小6だった長男大輔くん(当時12)の祭壇に淡々と結果だけを報告した。

「最高裁が『守れた命』と判断した。助かる命だったんだと。だから大輔はね、『なぜ僕は死ななければならなかったの』と思っていると思う。胸張って報告なんてできないよ」

遺族としても長かった。「8年7カ月、苦しかった」。この判決で学校防災体制の一層の充実が急務となった。ただ、グラウンドに約50分間も待機し続け、裏山に逃げられなかった理由は分かっていない。今野団長は「原告団は解散するかもしれないが、真実を知るための検証は続けていくつもりです」と話した。

参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191011-10110741-nksports-soci

ネットの声

名無しさん
災害時は常に最悪の事態を想定しなくてはならない。あの災害で学ばされました
遺族の思いは確かにわかるが、誰が想定できただろうかあの津波、揺れを
名無しさん
未曾有の災害でした。
私の親戚も、岩手県の山田町に沢山いたので、当時、連絡が付かず、混乱状態だったことを覚えています。
遺族の皆さんには申し訳ないと思いますが、「あの時、こうすればよかった、ああすればよかった」は、言うべきではないと思います。
大川小だけはなく、当時の三陸の人たちは、過去の経験から、最良だと思われる選択をしたはずです。チリ地震の津波も知っている人たちです。
しかし、残念ながら、多くの犠牲者が出てしまいました。
想定外だったと思います。
残念、と言う言葉がふさわしくないことはわかります。
人間は、100%ではないのです。
最良と考えて、判断し、行動したのに、最悪の結末を迎えてしまった・・・
学校に責任転嫁したい気持ちもわかりますが、当時の教員達は、最良だと思った選択をしたのです。許してあげて欲しいです。
名無しさん
こういう記事を見るたびに、この方々に国は払えるだろうけど、よく犯罪にあって亡くなった人で、犯人などに支払い能力がないので、本当に泣き寝入りになることが多いと聞く。一部を回して、そんな人に払えるような仕組みにならないのだろうか。
名無しさん
批判は覚悟で。
訴えるなら、過失があると言うなら地震が起きた時点で何故全てを投げ出して子供を救いに行かなかったのか?
いや、分かります。ここまでの被害は想定してなかったのでしょう。それは教員の方々も同じでは無いでしょうか。
被災者の気持ちが分からない訳ではありません。自分は石巻から命からがら生き延びた身ですから。
名無しさん
最高裁が『守れた命』と判断した。
それは結果論であって、先生達も子供を守ろうと必死だっただろうに。
実際、あの日のあの場所で的確な判断なんて誰が出来ただろう。
裁判がどっちに転がろうと、なんか胸が苦しくなる。


名無しさん
東京大空襲を11歳で経験した母が言ってました。「自分の命を守るのは最後は自分の判断。」
名無しさん
この学校の先生って、保護者とうまくやってなかったのかなぁ。
亡くなった子供も先生も気の毒です。
名無しさん
誰もが事件や事故に巻き込まれる可能性があるのに、その時最善の結果にならなかったからと言って犯人扱いされるようでは何もできなくなってしまう。
学校はどんな未曾有の災害があろうと予測不能な事態になろうと必ず児童の安全を守らねばならない。児童に危険が及んだ場合は全て学校の責任という判例が出来た。
これによって学校防災は大きく変わると思う。
悪い方に。
名無しさん
この判決を下した方々には是非とも、明日の台風で起こりうる全ての被害を予測して対応してもらいましょうか。
もちろん、彼らにその力があるからこそ、この判決が出来た訳なんですから、無理難題でないはず。
名無しさん
60歳を越える従兄弟が石巻で働いてますが、幼い頃から津波の教育なんて一度も受けてないと。
遅い昼飯食べていたそうで、津波が家に入り、驚きようやく2階に避難したと。
1000年に一度の人知を超える津波災害で、予見可能って言えるのかな?被害者には先生もいるし、子供達がかわいそうは当然ですが、釈然としない部分があります。ならば、東電も有罪にすべきですね
名無しさん
他の51人の生徒、10人の教員の遺族は、どう思うのだろう。亡くなられた、先生方も、一生懸命に、やってくれたと思います。


名無しさん
遺族の一部が起こした裁判。
起こした遺族と起こさなかった遺族の違いはなんなんだろうね?
初めは同情できたけれど、ね
教員も亡くなっているというのに、それが置いていかれているよね
死者が生者の邪魔をしてはいけないし、死者を使って儲けてはいけない
名無しさん
不謹慎な言いたかもしれませんか、学校側は突然の出来事に最大限の対策の判断をしたと思います。子どもさんのご冥福は祈りますが、それを理由に裁判して金とる行為には違和感があります。
名無しさん
遺族の皆様はこれを機会に県や市、学校を悪く言うのはやめて前向きに未来のことを考えた方が良いと思います。津波が学校まで来ると思っていなかったのは遺族の方々も同じだったのではないでしょうか。これから未来の人たちへ津波は到達すると伝え続けることが亡くなられた方々へ胸を張れることだと思います。私の町も昔々に津波が来たという伝承がありますが、これから自分が生きている時代にまた来るかもと思っている人はほとんどいないです。風化させないことは本当に大切だと思います。
名無しさん
子供が亡くなっているのでその悲しみ、悔しさは理解できます。
ただ、その矛先を裁判に持っていったのは理解できません。
もし、白黒付けろと言うのであれば1円でよかったはず。
なぜあんな金額が出てきたのか・・・・。
悪く言えばわが子の命に値段をつけた様なもの。
自分の感覚からしたら?ですね。
もっと違う手段があったのでは?
まぁ弁護士のいいえさに成ってしまったのかもしれませんが・・。
自然災害です。予知する事は不可能です。もっと冷静になって考えれば誰がどんな対応をしようとも成るようにしかならなかった、それが現実だと思います。
自然相手に100%大丈夫はありえません。
名無しさん
これなら神戸の小学校の教師は間違いなく有罪。


名無しさん
東電幹部は想定外で無罪なんですよね。この裁判の賠償金が一人一万円とかなら、まだ応援する気持ちになったかもしれないけど。
名無しさん
教職員も亡くなっているのに、その職員にすら間接的に死の責任を押し付けるのかぁ…。
正直、よくこんな判決が通ったなと思います。
他の亡くなった方は天災で、この小学校に通っていた子は人災という判断ですよね。
本当にそうなのでしょうか。
名無しさん
ん?
被災者の方々の気持ちも理解できるが、あのレベルの災害を想定できただろうかが疑問に残る。
常に事態の想定をしなければならないのはわかるが、想像を超越した場合の被害まで想定できるだろうか。
今、台風19号が近づこうとしているさなかでどこまで想定しているだろうか?
名無しさん
未曾有の状況でも、教員に「正しい判断をしろ」と言うかのような判決だと思った。
教員は授業のプロであって、日々の雑務にさらにこんな重大な責任まで負わされるとなると、そりゃなり手は減るよなと思ってしまう。あらゆることを教員に投げすぎ。教員はスーパーマンじゃない。
名無しさん
大川小学校とは別の小学校は偶然にも大震災の数ヶ月前に専門家を招いて避難訓練をやっていた。
低学年は高学年と手を繋いで近くの山に避難するという訓練だった。
そして数ヶ月後の大震災。
津波の予報を聞くまでもなく彼らは全員近くの山に避難して助かる。
そして別の街では江戸時代に生じていた大津波の教訓を石碑に刻んでいた。「ここから上に逃げるべし」と。
この石碑を知る住民は素直に従ってことなきを得た。
同じ県の別の地域の人はこのことを知らなかった。
高台に保育園があった。地震後、園児たちを自宅に送り届けるために、事もあろうに送迎バスはいったん海側におりて再び山側に向かうコースを走った。海側を走っているときに運悪く津波に流されてしまった。
そのまま高台の保育園に数時間止まっていたら命を奪われることはなかった。
多くの子供達の命が奪われた。
日頃から確実な避難方法を決めておく事がいかに重要かを思い知る。
名無しさん
日本の司法は今回、社会として前向きな努力する決意と良心を求めたのだろうと思う。自治体、学校は子どもの生命保護にさらに真剣に向き合い、あらゆるアイデアと努力を払うことになる。安全技術も開発、活用が進み、安全意識の質も向上するだろう。何より守られる命は確実に増える。これが一番大事だ。教職員の避難ルートの認識不足や訓練不足、経済性と地元地権者の都合で生徒安全確保が後回しの地域がある、なんて事があちこちで常態化している方が、本来はおかしい。
ネットでよく見られる一見良心的であるかのような過失側擁護論は、結果として互助努力社会を否定する悪意や理不尽な僻みを肥大化させているけれど、日本の社会と司法はそんな者には抗い続けてほしい。子を持つ親が、愛する我が子の理不尽な死に向き合うために事実を知りたいと願い、二度と起きて欲しく無いと社会訴求力のある訴訟に努力してくれるからこそ、社会の安全は向上するのだから。


名無しさん
現地を見たが、地震が連続で起きているときに上るのは危険だと思った。
震災前に親御さんたちは「裏山は危険だから上るな」と言っていたのではないか?
仮に、裏山に避難したとする。余震で木が倒れました、土砂崩れが起きました、児童が亡くなりました、でも津波は来ませんでした、となった場合でも、今度は「なぜ裏山に避難したんだ」と訴えるわけです。
今回の裁判は意味がないので、最高裁に「原判決を破棄し、原告の請求を棄却する」という判決を期待していたのですが、残念です。
名無しさん
この件は、単純に先生の現場で判断が分かれただけじゃなく、早く逃げようという先生たちの判断や考えに対し、校長など地域、そして校内で高圧的な立場をしていたボスキャラが「それで責任が取れるのか」と渋って現場をまぜっかえしたことで動けなくなり被害に遭った、と生き残った人の話で分かっています。
そうしたことに対して校長や地域の権力側が「私たちは悪くない」と、当時の状況をごまかしきちんと話さなかったこと、認めずに今も知らんふりでいることに 遺族は納得がいかないようなのです。
大川小で被害に遭った職員の息子さんは、そんな現場で亡くなった父の気持ちや考えを少しでも知りたいと一度は教員を目指しましたが、結局あきらめたようです。それにも地域の「空気」や圧力があったのか、ド深夜のドキュメンタリーだけでは知る由もありませんが、報道の「事実」だけから受け取る印象だけではわからない実像があります。
名無しさん
なんと愚かな判決でしょう。一部被害児童保護者のやり場のない怒りの矛先が現場に向かったことは止むを得ないかもしれない。だが、どう考えても全責任を負うことが不可能であった現場に、あろううことか最高裁の裁判官全員が全責任を現場に負わせる判決をするとは。これは、遺族感情や世間の強い批判に迎合し、児童を死なせてしまった負い目で反論もできない弱い現場を犠牲にした、裁判官の保身の判決でしかないと思う。誰も死なない方法はなかったの追及はとても大切なことと思うが、その方法は誰の責任か犯人探しだけしか方法はなかったのだろうか。児童と共に死んでなお批判されることなってしまった教師たちも含め、現場批判で決着させていいことではなかったはずなのに。残念である。未曽有の大災害の後、様々な状況で、同様の裁判を起こす理由を持つたくさんの遺族がいらっしゃると思いますが、どうして他にはなかったのか。この判決は本当に信じがたい。
名無しさん
>裁判官5人の全員一致の結論だった。
これは意外でした
名無しさん
>ただ、グラウンドに約50分間も待機し続け、裏山に逃げられなかった理由は分かっていない。
河北新報のスタッフが取材した「止まった刻」という本を読んだ。関係者への丁寧な取材から「空白の50分」に迫った力作。それによると、
・当初は大川小学校が避難所に指定されたこともあり津波の危険の認識は薄かった。市職員が体育館を避難場所にできないかと尋ねてきたことも危機意識を薄める結果にもなったと思われる。
・津波の危険を察知した後、教頭は裏山への避難を主張したが、地元の区長(自治会長)が強硬に反対。周囲からは口論と見えるほどの緊張感のある議論だったが、結局教頭が折れて、堤防に避難することになった。
・二審の高裁の判断では、裏山は地滑りの危険等の為、避難場所としてふさわしいとしていない。少し離れた、「バットの山」と呼ばれる場所を避難場所としてマニュアルで決めておくべきだった、としている。


名無しさん
批判覚悟で書くが、これで今後新たな想定外の大災害が起きた場合、命を失う子供が増える。
マニュアルや避難計画の不備など想定外の事が起きれば関係ない。総じて役に立たない事が多い。
マニュアルや縦割り組織のために現場が動けなくなっている事が根本的原因。
それらを元に正論ぶる管理者や保護者が元凶。
災害現場では生徒の命を守る事を最終目的とし、やり方は現場の裁量で行わせるべきだ。
責任など問うべきではない。例え生徒を置いて逃げてもあの場合は許されると思う。自分の命を最優先する事は非難できない。
たとえ失敗したとしてもその時点での最善の判断だったら仕方ない。
今回の判例で自治体は守りに入る事は間違いない。
責任逃れも拍車がかかりそうだ。もはや学校は当てにならない。自分の子供を助けるのは自分以外はいなくなる。結局自分に帰ってくる。
急病人を医師が助けようとして死んでしまったら訴えられるのと同じ。
名無しさん
>震災前の防災体制の不備による賠償
ということはあなたたちは津波に関して予知できていたんですよね。震災前の防災体制の不備って震災はなにが起きるのかわからないのだから全てに完璧な体制を敷くのは不可能で、何かしら不備は出てくる。それがダメだというなら完璧な予知ができるあなたたちが子供たちを助ければよかったでしょ。
名無しさん
1年生から6年生まで体力的にも精神面でも差があるとおもいます。多くの小学生を前にどうしたら良いか?
1ヶ所に集めておくとか、学校から整列行進して避難するとか、どうしても集団行動の選択となると思います。とにかく裏山へ一目散に避難となると先生は生徒全てに目が行き届かなくなります。大きな余震が起こったらどうやって子供達を守るか?先ずは考えるでしょう。大津波など誰も予想してませんでした。
そして津波が襲いかかってしまいました。
集団行動が基本の日本人の悲劇としか言いようがありません。自分の命は自分で守らないといけない非常時に、多くの小学生にそれを求めるのは難しいと思います。先生方は必死で子供達を守ろうと考えていたはず。責めるのは酷だと思います。
どうかご遺族の方々には、亡くなられた子供達と共に、先生方のご冥福もお祈りして頂きたく思います。そしていつの日か心が穏やかになられることをお祈りいたします。
名無しさん
子を失う悲しみは察するに余りあることだ。同じく子を持つ身としては想像さえしたくない。
しかし、未曾有の大震災、これを想定した訓練などしていなかっただろう。訓練していないことをミスなく出来るはずもない。
責任を問うのであれば、「このような地震がきて、津波になる可能性があるため、それに備えた訓練をすべきだ。」と震災前から訴えていたのだろうか?
結果論で責任を問うのは余りにお粗末だと私は思う。だが、今回このような決定になった事が、より高い防災意識と対応策の議論へと繋がることを期待したい。
名無しさん
ご遺族の悲しみや苦しみには同情するのだが、それをぶつける「敵」をムリヤリ作りだす事で苦しみから逃れようとする姿勢にはやはり違和感を感じずにはいられない。行政には危険予見性があった「はず」だと断定する事にはかなり無理があるし、そうであるならば、危険が想定される地域で生活し続けていた親の責任はどうなのでしょう?


名無しさん
私は震災があった日に仙台港にある会社の最上階から津波を見ました。当時、周辺にいた一般の人達にも声をかけて津波が来る前に最上階へ避難するように言いましたが避難せず、あっという間に波に飲まれました。あの高さとスピードで津波が来たら仮に大川小にマニュアルがあったとしても全員が助かったかどうかは分かりません。それぐらい想定外の災害だったと思います。沢山の子供が亡くなったとは言え、県や市に全ての責任があるのなら他の学校や幼稚園、企業の中でマニュアル通りに避難して亡くなった方の遺族はどうなるのか。この震災に関しては誰が良いとか悪いとか、そういう次元の話ではないと思う。亡くなった人の中には子供を迎えに行って亡くなった人だっています。遺族の方を批判する訳ではありませんが結果論の部分もあると思うので私は県や市に責任があったとしても全責任があるとは思いません。そこだけは分かって欲しいなと思います。
名無しさん
この悲劇は、先生たちの悪意や怠慢によって起きたのではない。みんな分かっている。
しかし、あのとき多くの学校が震災にあったが、教員の指導下でこれだけの犠牲者をだしたのはこの学校だけだ。やっぱり、判断をいくつも間違えたのだと思う。
僕は現地に何度か足を運んだし、関係者の話も聞いた。レポートとかも読んだ。裏の山に登るという決断も簡単ではなかったと思う。
ただ、県や市の対応などから、その行間に「しかたなかった」で済まそうと読み取れて、そこに違和感を感じた。
今後に生かすには、現場がなぜ間違った判断をしてしまったのか、そこをちゃんと考えなければいけないと思う。特に責任ある立場の人が「仕方ない」で済ましては良くない、と僕は思う。
名無しさん
亡くなった教員の方のご遺族…自分達も震災で家族を亡くしているのに、その亡くなった家族がまるで加害者のように言われるなんて、どれだけ辛いだろう。
誰も予想できなかった災害。
その場にいた教員すべてが、子供達を守ろうとしていたと思う。誰も子供の生命に対して無責任な事なんてしていないはず。
亡くなった子供を思う遺族の気持ちもわかるけど…亡くなった教員の方々を責めるのは、違う気がします。
名無しさん
子供を喪った哀しみは、その立場になった人にしか分からない。
「守れたはずの命」と思えばこそ、哀しみは怒りになるのも無理はないと思う。
でも、人間は自然災害の前に無力であり、どうしても、どうしようもなかった事もあるのだと思う。
神戸の教員同士による暴行事件も然り、教師は万能ではなく、自分すら守れなくなる場合もあるのだ。
ただ、ただ、亡くなったお子さんの命が、宙に還って平安であるようにと、祈ります。
名無しさん
例え善意だとしても、許される過失とそうでないものがある。ましてや、小学生が約80名も亡くなる過失は到底許されるものではない。
津波が川を遡上することは過去に事例があるのだし、念には念を入れていればここまでの被害にはならなかったのではないか。
亡くなられた教員、生徒、その御遺族だけではなく、私達全員に備えがいかに重要かを示す判例だと思う。
罪を憎んで人を憎まず。それは遺族の方々が1番分かっていながらも、それでも何故こうなってしまったのか納得できない想いが裁判につながったのではないか。
日本全体があの大震災で大きな傷を負った。
日本ではもう二度と津波による犠牲者は出さない。
それこそが残された私達にできる真の弔いではないか。災害は防げずとも、対策をとることはできるのだから。


名無しさん
学校の先生に責任があるという判決でしたが、あの地域で何人の人が亡くなったのか?
ほとんどの住民は「津波は来ない」と言って逃げなかったそうだ。
そんな地元住民が思っていたことをよそから来た先生方が分かるはずもない。
また判決で「7分前に津波襲来は予見できた。裏山に逃げる余裕はあった。」とあるがあの急な裏山を低学年の小学生が登れるはずはない。
地域の大人たちは何もしなかったのではないか?
名無しさん
校庭に50分待機して、避難先に選んだのが川沿いの三角地帯。
運よく助かった子供は避難隊列の最後方。逃げてるときに後ろから津波に飲まれたのではなく、先頭から津波に飲まれています。おかしいですね。避難タイミングに加えて、避難方向の選択が根本的に間違ってます。学校側の過失だと思います。
学校も最初から正直に説明していけば裁判にはならなかったのに。後から説明が二転三転するのでは遺族は納得しないでしょう。せめて生き残った教員が何があったかを全て話してくれれば、遺族も心の整理ができただろうに、それもしてもらえず。生き残った教員も秘密を抱えたままで生きていくのは辛いと思う。
名無しさん
訴訟を起こされたご家族の方々が裁判に勝訴されても、帰らぬ、お子供さんへの無念のお気持ちと、あの時以来、恐らく、心の時計が止まって、夢であってほしいとのお気持ちではと察しており、心より寄り添いたいと思う一人です。片田群馬大学教授のご指導を受けて徹底した防災教育と訓練を実施したこともあって、登校していた小中学生全員が生き延びた釜石の事例と、逆に、校庭が危険な場合の二次避難場所を決めていなかった防災計画の不十分さから、校庭で約45分も小田原評定の末、結果として、急な裏山ではなく北上川沿いの高台に向かう途中で津波に巻き込まれ児童を犠牲にしてしまった事例を比較すると、今回の最高裁の仙台高裁の判決を支持した判断は、的を得ていると思います。どうか、全国の小中学校の教職員は、この判決の意味するものに真摯に向かい合って自然災害等から児童・生徒を守る事前の対策と訓練をしっかり行って頂きたいと思います。
名無しさん
TVや新聞の報道だけを見ると、ここでの大半の方と同じく誰があれほどの災害を予見できたのかという意見になってしまいますが、この件を深く取材したジャーナリストの方々の著作などを読んだ上であれば違う意見になるのでは。
津波の危険性がある時には校庭などではなく高台に避難しなければならない、と認識していた人間が大川小には少なくとも1人おり、その1人は他でもない教員唯一の生き残りの男性です。
災害後のその男性による証言は後に虚偽だらけだったと判明しており(男性の証言の嘘を指摘した1人である工場経営者の方は、その後お役所からの仕事を次々と切られたそうです)、行方をくらませたその男性を法廷に引きずり出す事が裁判の目的だと遺族の方が取材に答えておられます。
この記事を見る限り、結局真相の解明には至らなかったようですが。
私には、真実が暴露するよりはお金払って終わらせた方がいい、という結果に見えます。
名無しさん
被災者の皆さまにご冥福をお祈りします。また、ご親族ご関係者様の心中をお察しします。
私は、被災後何度か大川小を訪れました。当時の光景を思うと、毎回涙が込み上げます。
被災者のご遺族がお金をもらっても心が癒えることはないと想うのです。そんなことは原告も分かっていることでしょうけど、ただ、どこかに心の刃を向けなければ耐えられなかった心境を少しでも理解してあげたいとおもうのです。
この度の結果については賛否があるかもしれませんが、私たちに出来ることは、今も苦しんでいる方々がいることを忘れないでいる事ではないかな。
今後、災害は避けては通れないかもしれないですが、国民全体が人を思いやる気持ちをもって、優しい繋がりをもちたいものです。


名無しさん
否定的な意見も多いが、あの時の教師達の判断と行動は何故と思えることが多い。地元では当初から詳しく報道されているが、裏山に逃げようという子供達の意見もありながら長時間校庭に留まったあげく標高の低い橋の方に向かって多数の犠牲者を出した。予想外の災害とはいえ、学校は避難場所ぐらいは決めておくべきだったと思う。亡くなった多くの子供達や先生の犠牲を無駄にしないためにも、災害に備えることの学校の責任をうやむやにしなかったのは良かったと思う。
名無しさん
まずお子さん達のご冥福をお祈り致します。
ただ、あの災害をどれだけの人が予見できただろう。
今回防げたはずのとしたが、本当だろうか?
結果論としてあの時にとか後だしならなんとでも言えるが、税金で防波堤を作る。果たして何人が賛成しただろうか。
避難マニュアル策定もタダではない。
しかも策定して配ったからと言って、どれだけ真面目にやっただろうか?
そもそも配られたものを熟読しただろうか?
災害への意識が変わった今ならやるだろう。
大切なものを失った今なら。
失った辛さを誰かにあたらなければやるせない気持ちは分かるが、訴えをおこし金銭を得ても晴れはしないだろう。
金銭以上の誰かの処罰を求めるだろうか?
この件で処罰がされたら驚きだが。
名無しさん
グラウンドに50分間も待機して、裏山に逃げられなかった理由…
岩手では一人も犠牲者を出さなかった小学校がある。
ことは単純だ。津波があったらみんなで高台に逃げようという意識が初めから共有されていた。逃げるだけだった。だからグラウンドに集まって対応を話し合うようなこともなかった。
裏山は地震の後で地盤や倒木が心配だとか、そういう賛否を問うような議論を50分もしていたなら結果はこうなる。
あれだけの揺れで、しかも津波の情報も知らされていながらだ。
はじめからどうするかの答えはそう難しいことではない。
津波の注意報が出たら、直ちに高いところに避難する。
それを徹底しておけばよかった。
名無しさん
河口から大川小学校に行った事がある。
平らな地区だが、川幅も広く、距離もあり、まさかここまで津波が来るとは思えない場所にある。
あの震災は未曾有の事であり、誰にも予想できないものであった。
それを誰が裁くのか、誰にも裁く事などできはしない。
名無しさん
現地に行くと思うんですが、逃げろって何処に逃げるのよ?が第一印象です。
高学年や中学生なら裏山に走れ!と言えたんでしょうが、全員無事を考えれば葛藤があったはずです。
点呼の最中にテレビで津波を見た親が次々に迎えに来たのも妨げになりました。
そういう事は抜きにして、現地を見ると中学校ならまだしも何故よりによって小学校を建てたのか。建てたのなら何故裏山を整備しなかったのか、そう思うはずです。
北上川河口近く、堤防が切れたら直ぐに水が来る低地に学校はありました。
そういう面で妥当な判決で自分のモヤモヤは取れたけれど、遺族の方はそんな事で子供を失ったのかとやるせないでしょうね…


名無しさん
校長不在のなか、副校長が責任者として裏山へ避難する話も出ていたそうですが、反副校長派の先生達が裏山に登って子供達が怪我をしたら責任とれるのか、などと批判したことで避難先の決定に時間がかかり、長時間のグラウンド待機となったらしいです。
当時、保護者達や校長は、当然子供達は学校の裏山に避難して安全だと思っていたらしいです。裏山は、普段から子供達が何度も登っていたところらしいです。
当時の情報番組の情報より。
名無しさん
>ただ、グラウンドに約50分間も待機し続け、裏山に逃げられなかった理由は分かっていない。
怒りは分かる。
私の意見は、教師がいつも正しいと思うことが間違いだ。
恐らく、教師自体がパニックになった。また、そのような事態でグラウンドに居ればよいと考えたと私は推測する。
原因を推測してみる。グラウンドに居るという判断をしたのは津波の事を考慮していなかったからだと思われる。津波が来ると分かっていれば、山に逃げるだろう。そうしなかった。それは津波が来ないという前提で、地震による建物倒壊による二次被害を避けるという意味だろう。
どのみち、理由は当該判断をした教師に聞くしかあるまい。その教師が既に亡くなっているならなぜその判断を下したのかは知る方法があるまい。
できることは災害時の避難の手続きが組織として適切であったかどうかは検証できるだろう。
名無しさん
私は小さい頃から、学校はもちろん町ぐるみでも避難訓練をしてきた。
それでも、まさかここまでは津波は来ない。そう思いながらの訓練。
東日本大震災では、小さい頃に住んでいた住宅も津波に流されてしまった。
みんなの予想をはるかに上回る津波だった。
大川小の先生方も同じだったと思う。
あの小学校から海は見えない。
それでも助けられたはずと言うのは、犠牲者にも失礼だと思う。
きっと恐怖心とたたかいながら、必死に逃げたはず。
間に合わなかっただけ。
それは、遺族の方も同じでは?
あんなに大きな津波が来るとは思わなかった。
学校なら安全だと思った。
そう思ったはず。
助けられたはずと本当に思うなら、なぜ自分が助けに行かなかったのか。
渋滞や混乱で学校に辿りつけなかったのかもしれないけど、学校まで津波がくると想定できたのなら私なら自転車盗んででも向かった。
そう言われてるのと同じだと思う。
名無しさん
「あの災害は予測不可能だった」「当時の教師たちはベストを尽くしたから許してあげて欲しい」…これらは論点から大きく外れている。実際に教師達の指示を無視して児童が独自判断、独自行動に及び助かったケースがある。そして教師の指示に従った児童は皆亡くなった。学校や教師の支配が子供にどのような影響を与えるのか、それが問われている事に気付くべきである。
災害の問題を超えて、教師と児童の間の主従関係について考えるべきなのだ。子供はいずれ自立する。18歳になったその瞬間に自立することは有り得ない。だとしたらいつか?それを考えるべきなのである。
名無しさん
東京大空襲を経験した母の話ですが、熱さに耐えきれずに焼夷弾で油まみれになった川へ飛び込む人や、火の手から逃げ惑う群衆の中にあって、祖父は敢えて燃え盛る火の中に幼い家族を導いたそうです。
その理由は、火の向こう側が風上だったからと言う事でした。そして小学生の身でありながら、疎開先の仙台空襲を経験し、敵機からの機銃掃射を田畑で交わし生き延びたと聞きます。
危機的な状況の中で、過った判断或いは恐怖や指揮系統で身動きが取れなくなる状況を作ったとしたら、やはりそれは責任者の資質にあると思います。


名無しさん
こんなに悲しい裁判は無いと思う。
預かる方は本当に徹底して欲しい。
保護者や被害にあわれた方からのそういう願いがあるのでしょう。よくわかる。
だけど先生は一生懸命対し、自分の家族やお子さんを心配しながらも、仕事だから必死で色々悩んで対応していたのだろうな。まさかここまで来ないと思って・・・・
名無しさん
うーん…これって遺族も先生個人を責めてるわけではないと思うんだよね。先生も必死の行動の結果亡くなったわけで。ただ津波に対する訓練をしてなかったり、低い海抜にある学校なのに高台避難をやらずに川の方向に逃げてたり、学校や市がやるべきことをやってなかったことは少なからず影響してると思う。想定外で逃げるのは簡単だけど、原発事故にしたって想定外で逃げてるわけで最終的に誰も責任取ってないじゃない?個人に押し付けることではなく、ちゃんと原因があるのだから検証は大事だと思います。
名無しさん
このような悲劇を繰り返してはならないという判決だと思います。この学校が一度も避難訓練を行ったことがない!と聞いて驚きました。子どもを預かっている学校が避難場所を決めておらず、市が作った近くの公園(それはどこ?)というマニュアルをそのまま適用していたということには学校長の責任を問われても仕方ないことでしょう。亡くなられた先生方にしても校長教頭がしっかりと危機管理をしていたら救われた命だと思うので、妥当な判決だと思います。
それにしても、亡くなられた命は戻らないので、今後二度と、このようなことで命が失われないことを切に願います。
名無しさん
石巻で、直接遺族の話を聞きました。
「決して先生たちを責めているわけではない。最後まで救おうとしてくださってたと思う。自分たちは、なぜ子供たちが50分も校庭に留まり続ける結果になったのか、なぜすぐそばの山(シイタケ栽培とかで登り慣れてるそうです)に避難しなかったのか、命を落とすことになったいきさつ、それを知りたい。でも、そこをいくら聞いても答えてもらえない。はぐらかされて誤魔化されている感じ。なので、そこを透明にするために、最後の手段として裁判を起こすことにした」
と言われていました。
これを聞くまで、
「そんなん想定外の災害なのに、学校が責められてもねぇ…。」
と思っていたのですが、話を聞いて、納得しました。
「被災して命を落としたことそのものではなく、その後の委員会や県の対応に私たちは怒っているし、納得ができないんだ」
とおっしゃってました。
名無しさん
なんか苦しくなる裁判ですね。先生方も必死だったと思いますし最後まで子供たちの事を考えた行動をしたと思います。ただ、それは他人が言ってることであり遺族の方には納得出来ない部分もあると思う。


名無しさん
訴えを起こした遺族とそうでない遺族。同じ悲しみを持つ人達だけど、前者には多額の賠償金。今後、同じ地域でこれまでのように生活できるのでしょうか。あれだけの災害で誰が悪いなどと法的に決着を付ける必要があったのでしょうか。被災地の人間ではないので、コメントすることもとても難しいのですが、何とも言えない気持ちです。
名無しさん
当時校長は出張中でした。校長は連絡は携帯に連絡はなかったと言って居ますが津波の恐れがある中50分間ただ待っていたわけではないと思います。私は校長へ連絡を入れて避難開始の指示を待っていたのではと当時から勝手に推測しています。連絡が来ずやむを得ず指示ないまま避難を始めて避難が遅れたのと思っています。助かった彼は津波のてんでこですぐ避難するよう家族から言われていて待っている時もすぐ避難するよう先生に訴えていたとも当時話してました。どんどん自分で山に登った彼は助かりました。
名無しさん
心痛は察するに余りある。
私もあの時海辺の学校に居て津波を体験した身。子どもがパニックにならないように、ということをまず初めに考えたこと、火災と津波を同時に見たが恐怖すら感じられなかったこと、雪の舞う中寒さを全く感じなかったこと、など断片的に記憶はあるのだが、スライドがパッと浮かぶような方法でしか思い出せない。ただ、正しい判断などは出来なかった。正直に言って無理だった。
「先生を糾弾する」の横断幕は辛い。
名無しさん
勝訴しても虚しいだけじゃないかな。
未曾有の震災、的確な判断は難しいよ。
最善を尽くしてくれたと思う方が気が休まる気がするな。
名無しさん
情緒的な反応ばかりだね。
すぐに遺族の心境が記事に出てるから?
防げた事故に対して、再発防止と責任の所在を明らかにするのは当然だと思うが?
未曾有の災害だからと言うけどハザードマップや災害速報に応じて、どう行動するかはマネージメントとして事前に決定して見直していくべき。
ちゃんと国の責任を明らかにした判決は妥当と思える。
今後に活かして貰えれば、教員の方々に無用の責任を負わす必要はなくなる。
名無しさん
これはとんでもない判決が出たなと、、、
この判例は今後の学校防災教育に大きな影響が出ると思われますね。
教員は未曽有の災害が起きた場合であっても、子供に万が一のことがあれば責任を問われるのが当然になってしまうのでしょうか、、?
何か違うような気がします。
当時の大川小学校の教員達の中に、一体誰が子供を犠牲にしたいと思った人がいたでしょう、、、
きっと、そんな教員はいなかったはずです。


名無しさん
後付けで責任追及をするのは、無くなった教員に鞭打つようで耐え難く感じる。教育者にそこまで要求するのは酷だと思う。それなら保護者だって同等なのではないのか。学校にあずけたら、あとは何の責任もないのか。だれも予測できなかったから1万五千人以上が亡くなったのでしょう。
名無しさん
亡くなった先生方の責任を問うべきではないと思う。あれほどの津波が押し寄せてくると誰が予想出来たというのか。何でも裁判でカネを取ろうというような社会になりすぎだと感じている。
名無しさん
その時の先生方の判断が悪かった、という裁判所の判断ではありません。「事前防災の不備認定」です。事前に避難場所を決めていなかったこと、津波避難訓練をしていなかったことが、悪いということなのです。
さらに、東日本大震災への備えでなく、宮城沖地震への備えの不備がいわれているのです。誤解なきように。宮城沖地震は、30年以内に99%の確率と言われていました。当然しておくべきなのに、教育委員会もチェックせず、指導もしていなかったことを悪いと言われているのです。
名無しさん
結局、誰も満足しないし、誰も幸せにはしない判決なんですよね。
後から検出すれば過失となるのかもしれませんが、あの時、あの現場で、冷戦な判断を下せる方は少ないと思います。
ならば一層の事、教師全てをAIにしてしまえばよ。
体罰なんてしないし、生徒や児童に猥褻行為も致しませんよ!
凡ゆるパターンの避難方法をインプットし、いざとなったら身を呈してでも、児童や生徒を助ける様にでも設定していれば良いのでは?
名無しさん
震災で、子供さん亡くされ悔しい気持ちがあるのは分かるけど、14億ものお金を県と市に払わせるのはと思う。まだ復興も完全に終わって無いのに、一部の方々にそれだけ支払いすると、復興に影響しませんか?他に被災され家族を亡くされた方々が多くいるのに。14億は復興の為に使ってと裁判起こされた方々か、言うならわかるけど。


名無しさん
どんなに訓練しようが予想をはるかに上回る地震津波が起き必死に子供達を守ろうとしたけど大人でもパニックになり冷静な判断は難しいと思う。
児童23人以外にも亡くなった児童、亡くなった先生方遺族にも支払われるべきとは思うが
名無しさん
こうゆう記事を見るたびに思う。
裁判官や被害者の親は想定できて、できなくても、避難が彼らだったらできたとの判断なんですかね。予期せぬことなどたくさんあります。こんなのまかり通っていたらプールは、水死の可能性があるから、禁止とかってなりますよね。嫌なら学校通わせないで自宅学習してればよい。学校は生徒を預からなくなります。私も子を持つ親ですが、常にそういう意識持っていますよ。実際、授業で怪我して病院に運ばれた時も、仕方ないとうけいれていました。
名無しさん
地元の方も相当亡くなってます。
数年で転勤する教師に想定するのは不可能でしょ。
この判例は今後にかなり影響を与える。
名無しさん
あれだけの災害を予想するのは無理だったと思います。おそらく全員が生き残るために最善の判断をしたはず。ただそれ以上のレベルだったのでしょう。命を無くした方が安心して安らかに、そして二度と同じ事のおきない防災に着手してもらえる事を陰ながらお祈りします。
名無しさん
完全に精神を病んでる。貴方達がするべき事は訴訟ではなく、心療内科に通院する事だ。受け入れなければ、いつまで経っても解決はしない。また誰かを次責めるだけだ。
名無しさん
賠償は確定した。
国のお金ということはつまり、、、。
賠償金を遺族がどう取り扱うかだと思う。
私が遺族なら学校の防災創設のための基金にするかな。
それぐらいしか今は思い浮かばない。
守ることが出来た命だったが守ることができなかった。
個人レベルでいけば医療従事者はそんな葛藤の連続だとも思う。
明らかな過失でもない限り訴えられたりとかない。
残された人がこれからどうするかに尽きると私は思う。


名無しさん
あのとき、他人の命どころか、自分の命さえ、どう守っていいのか分からなかった人が沢山いる。
未曾有の大災害にみまわれてなお、懸命に先生であり続けようとした人が、名誉を失い追及を受けるのを見ると、教員とその遺族が哀れでならない。>グラウンドに約50分間も待機し続け、裏山に逃げられなかった理由は分かっていない。
裏山に逃げて万が一にも何かあれば、名誉を失い追及を受けると思ったからなんじゃないかって気がしている。
名無しさん
学校が災害マニュアルを作ってなかったのは、裁判では不利でしょう。
特に当日校長は不在だったんですよね、そんな時こそのマニュアルですから。
マニュアルがあれば同じ結果でも判決は違っていたのかも。
一人だけ助かった教師はずっとダンマリだしね。
助かった教師は他校でマニュアル作ったことがあり、その学校は今回被災はごく軽度だったんですよね。
名無しさん
現地を知らないのですが、裏山にとありますが、裏山が土砂崩れする可能性はなかったのでしょうか?山が崩れるかもしれないのでその場にいたとか…
名無しさん
これで、天に召された方々は報われるでしょう。
未曾有の災害についても、本当の最良と思える行動をしないと行けないんでしょう。
先生の中にもっと高い所へ避難しないとと言う人がいれば助かったかもしれない。結果だけで判断するのはどうかとも思うけど、これで報われるのであればそれで良いのでは。
これからの、そう遠くに起こらない地震についても早期に完全に安全な所への避難をするようになるでしょう。
ただ、亡くなった人は戻りません。
ただ、本当に不幸としか言いようがない。
まだ見つけることの出来ない骸も、安らかに極楽浄土に行けることを願って止みません。
名無しさん
被災地の中には避難所として体育館を使ったところが多かったと思いますが、校舎には鍵を掛けて解放しなかったところがあったのも事実です。
結果、体育館は浸水し死者が出ました。校舎に逃げていれば助かった事案です。
報道はされませんがちょっとの判断ミスで亡くなった命が多かったということはそれだけ想定外の災害であったということ。
先生方が自己判断で動けない程、普段からマニュアルに縛られていたのかもしれませんね。


名無しさん
被害児童が74人で訴えを起こした児童遺族が23人。
大多数の遺族は訴えを起こさなかったんですよね。
どこかの地方記事で訴えを起こさなかった遺族の記事が載っていたけど、「訴えるのではなく今後、この様な事が起こらない様な対策を自治体と進めて行きたい。」という事を言われていたのを覚えてる。
訴えを起こした遺族のやりきれない気持ちは判るが、地裁か高裁の判決が出たときに酒飲みながらのインタビューは無いかなと思った。
名無しさん
大川小のことはよーく聞いているし小学校にも訪れました。娘さん、息子さん、お友達大勢と先生方、沢山の命が亡くなってしまいました。本当に本当に無念です。
ですが、石巻市のどこにそんな大金が!?石巻市自体も未曾有の被害を受けています。宮城県全体も何箇所も被害を受けました。亡くなった方々は市と県からそんなに大金を受け取ることで喜ぶのでしょうか…。市と県の責任ももちろんありますが、空白の50分間など、人為的なミスの可能性も高いと思います。誰も想像できなかった自然災害の中で、責任の擦り付け合いをすることはどうなのでしょうか…。
名無しさん
実際行ってみたけど低学年の子ではそうそう登れるような裏山ではなかった
逆に橋の付近は学校に比べたらなかなかの高台
海から4キロも離れてるし
結果は最悪だけど、この判断は難しいと感じた
名無しさん
今回の災害は誰も予期することができなかった・・・
児童が賠償されるのであれば、他命を落とした親族にも全て賠償しなくてはならないと思う。
この23人の親族たちのみ賠償されるのはオカシイと思うのだが・・・
支払われるお金の半分以上は市の復興のために使っていただきたいものだが・・・
名無しさん
誰も悪くない。自然にはかなわないだけ。
先生だって死にたくてあんなことしたわけじゃない。
危ないとおもっていたら、親だったら仕事捨てて助けにいくでしょ、いかなかったんだから、想像できてなかったんだよ。学校だから大丈夫っておもってたんでしょ、だから先生もそう、誰が悪いとかそういうもんだいじゃない。
誰かに責任を負わせないと自分自身がもたないほどの悲しみなのはわかるけど。。子供に胸はって報告できますか?
この件にかんしては、なにがどうなっても悲しさしか残らない。
なくなったお子さんが先生を攻めてほしいと思っているのか、許してあげてと思っているのか、親の心しだいだとおもいます。
お子さんが悲しむことだけはしてほしくない、生き残った方には少しでも前を向いて生きてほしいな。


名無しさん
大川小の場合、津波の大きさを予測できず、避難方法を間違えた学校の対応は、不十分であるという判決が下った。
一方東京電力の方は、津波を予測することも対策することもできないのは妥当、という判決が下った。
あまりに隔たりがある、と考えるのは自分だけだろうか。
裁判官によって判決は違うもの、と聞いてはいるが、どの裁判官に担当させるかで、判決を誘導することができるということになる。
自分としてはむしろ、東京電力の方に厳しい判決が必要だと思う。
名無しさん
未曽有の災害に接し、不幸を共有するという意見もわかる、いろんな意見があると思う。
私は思う、子弟を預かるという学校の責任の重さ!
決して子供たちに不幸があってはならない
その一点だけで判決は正しい!
子供たちは人類共通の宝、これが失われることの責任を市民と国が共有するという考えには賛同できない。
名無しさん
この裁判ほど切なく虚しい裁判は中々無いのではないでしょうか。
被災者が被災者を訴える裁判。
名無しさん
小学生を(事実上、強制下とも言える)監督下において、結果的に多数を死なせたのだから賠償は当然の事だ。この当然の事を、賠償金は公費で償うという面はあるにしても、ここまで引っ張った県と市の対応は非常に不誠実な対応だったと思う。
また、公務員がこう言う非常識・不適切な判断をして損害が出た場合に、賠償責任が生じるという判例が確定した事は、不幸な出来事ではあるが、まともな動きだとは言える。それは別として、改めて(教員も含めて)亡くなった人たちのご冥福をお祈りしたい。
名無しさん
御遺族の気持ちを思うと心が張り裂けそうになります。
しかし、あの未曾有の出来事を回想すると誰も責めてはいけないかもしれない。
名無しさん
良かったなと言い切れない。
見つかっていない子供がいる。
我が子の墓に手を合わせることも出来ない親。
思い出すらもほとんど残っていない。
その希のなさと消失感は人の親なら誰でも想像するにも耐えられないだろうと思う。


名無しさん
たまたま校長が不在で、決定権のある人がいなかったために教員間で意見の違いが埋まらず50分動けなかった、そこに津波が来たと報道されていたと思うな。
いかにも公務員らしい対応で、事後の二転三転した説明も遺族を怒らせた。
遺族と学校の関係がうまくいっていればここまでの裁判にはならなかっただろう。
災害が起きたからの裁判というより、事後の対応で被害者を怒らせたからの裁判でしょ。
災害の対応のまずさが裁判につながったのではなく、事後の対応がまずかったから裁判が起こされたって感じ。
判決が悪いとは思わないな。
名無しさん
学校等が災害時の避難対策をどこまでしなくてはならないのか
そこが大事なのではないでしょうか
学校や教師だけにその責任を押し付けるのはどうなのかと思う
この裁判は何を問う裁判なのか
私はまだわからない
名無しさん
先生も頑張ってたのに人を責めすぎ。私なら大事な我が子を迎えに行かなかった事を自分で責めます。誰かのせいにしないと気持ちが整理がつかないのかもしれないけど、これはちょっと。。と思ってしまう。
名無しさん
本当は高台に行った方がいいと思っていたけど校長の指示待ちで動けなかったのか、本当に高台に行く必要がないと思っていて、ルール通りにグラウンドで待機だったのか。前者はアウトだけど、後者なら…うーん。
勝手な判断してそこで亡くなったらどうするの?逃げる必要もなかったのに勝手に動いてって言われるんでしょ?だからやっぱりいくら考えても、結果論な気がするんだよね。
亡くなった教員を相手に裁判かぁ。子どもは大切で大事で本当にかけがえのない存在だからね。そうなっちゃうのかな。死んでしまったらなんて恐ろしくて想像しないようにするけど、生きていけないって思うし。
でもこれはなんか辛いなぁ。
名無しさん
教員たちも命をかけた選択をしたということを裁判所にはひとこと触れて欲しかった。
名無しさん
結局、払われるのは被災した地域の税金でしょ。
裁判は勝ったけど、お金はいりませんってせめて言ってほしい。


名無しさん
誰も悪くないんだと思います。
ただ、遺族の方々も、訴えなければ、気持ちの持って行き方もなかったのではないのでしょうか。
どんな判決がでても、正解は、無かったのではないでしょうか。
名無しさん
今回の裁判では和解にして欲しかった️
子供さんを亡くされた親御さんの気持ち理解は出来ますが県や市を訴える事は当時の先生達を訴える事になります。
ちょっと先生達が可哀想に感じます。
名無しさん
4年前、大川小学校を訪れたことがあります。震災から4年が経っていましたが、2時46分で止まり動かない時計や、津波が到達したあとが残っており、確かな傷跡が残っていました。遺族の方々はさぞ辛い思いをされているでしょうが、どうか前を向いて立ち直ってください。きっと亡くなられたお子さんも、それをのぞんでいるはずです。
名無しさん
よかったですね・・・子供さんがお金になってかえってきましたよ
こんな事やってると災害時にだれも裁判意識して指示ださなくなりますね。
未曽有の災害に対してベストな判断が瞬時にできなくては教員の資格が無いんでしょうね
そんなの誰も教員になりませんよ
名無しさん
司法は学校には厳しく、東京電力には甘いね。あんな大きい津波がくるのは予見できないということで東京電力経営者は起訴されなかったのでは?刑事と民事の差はあってもどうだろうねぇ。
名無しさん
やりきれない気持はあるでしょうが、天災で人を裁くのは無理があると思います。


名無しさん
大川小学校は、150m先に山があり、当時雪が積もっていたとはいえ、高学年児童が手を繋いで、低学年児童と一緒に小高い山に登っていれば、そこ迄津波は登って来なかったから助かっていたのに。
高学年男子児童が、慌てて、その小山に登って逃げようとしたのを先生に勝手な行動をするなと連れ戻され、その男子児童は津波で亡くなった。
津波で流され、助かった生徒が、そう証言していたからね。
当時は、子供の卒業式出席のために校長不在で、指揮系統が無い状態に東日本大震災で、児童を引き取りに来た親とで、児童の人数確認や点呼で混乱して、もたもた50分ロス。
マニュアルに沿って、川沿いの道路のコースに児童を引率し避難途中に、海岸から遠い場所に小学校が位置していたが。川を何㎞も昇ってきた津波に、先生も一緒に飲み込まれた。
先生の児童への避難引率は不手際だったが、こんな未曾有の災害を誰も予測出来ないと思う。
名無しさん
昔マクドナルドでコーヒー熱かったからやけどしたと言って何億もの訴訟起こした人いたが、それと同じと思う。あんな災害誰が予想出来たのだろうか?誰かの責任にしなければ納得出来なかったのかもしれないが、違和感しかない。
名無しさん
地震時の避難は昔から高台に避難は当然です
私も幼い頃から聞かされていますが災害は想定外な事が起こるから犠牲者が出る
先生を責められないとコメントが多いが、私は違うと思う
川の側に避難させたと記憶しているが、川はその地域で一番低い場所に有る
津波が想定できなくても、上流のダムとか、土石流が発生することも想定外ですか?
この判決を支持します
名無しさん
批判もあると思いますが、お子様を亡くされた親御さんの悲しみは如何許りかと思います。でもこの時子供達を救おうと必死だったであろう先生達と、そのご遺族の心中を思うと悲しくなります。未曾有の大災害、この親御さん達は、全てを投げ打って、地震直後一目散に我が子の元へ足を運ぼうとしたのでしょうか?
名無しさん
俺も叔母を始めとする多くの親戚をあの大震災で亡くした
だがこの判決は支持できない
先生たちだって必死に子供を守ろうとしたけど、守り切れず死んでいった
その先生たちにも家族がいたはずだろう
子供たちがいなければ、多くの先生は助かったかもしれない
その先生たちの家族は何を思うだろう?
もし亡くなった先生たちの子供だったら、訴えた遺族に激しい憎悪しか抱かない
そこまで言うなら、何で自分たちで迎えに行かなかった?
結局人に責任押し付けているだけ
多くの家族は訴えていない
訴えている家族は普段から、そういう人たちなんだろう


名無しさん
もし、自分の子供が被害者だったらどうしただろうか?
怒り、憎しみ、悲しみ。その大きさはとても想像できない。
でも、わからないけど何年も何年も津波、地震に囚われて生きるのも辛い。
誰かを怨むのも辛い。
どうしただろうか?でも、何となく静かに子供を弔いたい気もする。
辛い事は忘れたい気もする。
わからないけど。
名無しさん
>最高裁が『守れた命』と判断した。
勝訴したことが原告にとって本当に幸せなことだったのか、もしかしたら敗訴して『守れない命だった、仕方が無い』と判決してくれたほうがましだったのかもしれない。判断が難しいですね。
名無しさん
この判決はさ、子供達を守ろうとして自らも命を失った諸先生方を有罪としたということです。
この判決で子供達の命の値段がついた訳です。
一生懸命に頑張った先生達があまりに可哀想。あの震災では一つ一つの状況判断が生死をわけた。この判決はあまりに酷すぎる。
残念ながら今回の台風で怪我をされる方もいらっしゃるでしょう。この判決をした人達は台風に対して確実な正しい判断で全ての人の安全を保障してください。
名無しさん
東日本大震災に宮城にいた防災関係者です。
「学校側は最大限努力した」「津波は予測できない」という意見が多いですが、大川小学校の件については明らかに学校側の過失です。宮城に在住してあの震災を経験している人はなぜ控訴上告までするのか意味がわからない人が多かったと思います。
大川小学校にもいきましたが、立地的に津波が来るのは普通に予測できます。
当時の状況でも避難用バスがグラウンドに待機し、避難できる態勢であり、かつ、津波到達まで50分の時間の猶予もありました。さらにその間沿岸沿いから避難する住民に「津波がくるから逃げなさい」と注意喚起までされています。にもかかわらず無為に児童をグラウンドに留め置き避難させなかったのは現場にいた大人の責任です。避けられるはずの悲劇として宮城では語り草になってます。原告の意見が聞き届けられたのは宮城県民としてはよかったとしか思えないです。
名無しさん
もし、自分の子供が被害者だったらどうしただろうか?
怒り、憎しみ、悲しみ。その大きさはとても想像できない。
でも、わからないけど何年も何年も津波、地震に囚われて生きるのも辛い。
誰かを怨むのも辛い。
どうしただろうか?でも、何となく静かに子供を弔いたい気もする。
辛い事は忘れたい気もする。
わからないけど。


名無しさん
M9.0なんてまさに未曾有の大地震・・・誰が予測できただろうか
遺族の方の悲しみや怒りはわからなくもないが、途方もない
大きな天災を、ちっぽけな人間のせいにするこの判決は違和感がある
東電の件も大川小の件も、みんな一生懸命やったのだから
名無しさん
多分大丈夫だろう…
誰もがそう思うけど、それが一番危ない。
常に最悪の事態を想定した行動をして、何もなければそれでよし。
お子さんを探し続けるのは、気力、体力もしんどいと思いますがどうか見つけてあげて下さい。
なんの力にもなれませんが、お祈りしています
名無しさん
裁判の結果は結果としてとらえるけど、なんかちょっと納得できないところはある。
こんな未曽有の大災害の被害の結果に対して「あの時こうしておけば、ああしておけばよかったのに、それが許せない」というのはあまりに酷なんじゃないかと思う。それは相手が例え自治体や国であったとしても。そこまで自治体や国に属する人たちは結果的に間違ったと思われる判断をすることが許されないのでしょうか??自分たちだって死んでしまっているのに。
訴えた人たちの気持ちはわからないでもないけど、それは同じ被災者同士としてやっちゃいけないタブーのような気もするんですが・・。なんかすごく悲しい判決結果に思えます。
「しかたない」「お互いさまだったね」という厳しい自然に暮らしてきた日本人の相手を思いやる美徳はもうなくなったんでしょうかね。
名無しさん
教師は判断を誤った。生徒達は教師の指示に従うしかなかったのだから、教師は最悪の状況を考慮し避難指示を出さなければならなかった。過去に津波被害があった土地なのだから想定できたはずだ。判断ミスをした学校側の過失はあまりにも大きすぎる。未来があった子供達が本当にかわいそうだ。
名無しさん
共に亡くなった先生方は最後まで必死に子供達を助けようとしたはず。
誰1人と見捨てようとした先生はいなかったはず。
なのにまるで殺人犯のように責められるなんて…
亡くなった子供さんの親の気持ちもわかる。
だけど…本当にやり切れない。切ない。
共に亡くなった先生方にも親はいるはず。
その親御さんの気持ちを考えると。
本当に切なくなる悲しくなる裁判だ。


名無しさん
ご遺族の気持ちも分からないわけではないけれど、私は、「もし私が、あの学校の教師だったら」と考えてしまう。
「まさか、あんなことになるとは・・」と後悔する側の人間だったと思うから、心の中で「どうして・・・してくれなかったのだろう。」とは思っても、裁判してまで責める気持ちにはなれない。
名無しさん
そうだね。今なら守れる命だね。
だが、当時はどうだっただろうか、もしこのような被害を予測できるのなら、皆は未曾有の大災害とは言わないと思うけどな。
名無しさん
ここで遺族や裁判官を批判してる人、実際に現地に行ってみてほしい。
私も以前は津波で訴えるなんて遺族がおかしいと思ってたけど、現地をみて考えが変わった。
避難できたはずの山は、学校の目と鼻の先。斜面も急じゃないし、だれでも登れる。正直あの環境で避難しなかった理由がわからないと思った。遺族が勝つのは当然だと思う。
名無しさん
子供をなくした遺族の気持ちは分かるが、地震発生後に、すぐに避難しなかった住民がたくさんいたことを考慮にいれていない判決ですね。要するに地元では、津波が来るなんて誰も考えていなかったってことです。思いもつかないことに対策が打てますか?結果論からの判決ですよ。東電の経営者が無罪判決を受けたのと比べると公平ではないと思いますね。
名無しさん
これが認められるなら、当時の東電の会長とかの責任も認められそうなのにな。
担当裁判官が違うとはいえ、最高裁判所のタブルスタンダートといえるのではないか?


名無しさん
子供の中には、地震が起きたら山へ逃げろと教えられていた人もいたはず。しかし、何でも集団で待機、集団で避難という学校のために逃げたくても逃げられず、犠牲になった子もいるんだろうな。学校側に子供の安全を守る義務はあると思うが、緊急事態の行動を制限されての犠牲はやるせない。
名無しさん
論点が違うかもしれないけど、災害時のトリアージで助かったかもしれない人を黒判定してしまっても同じ事が言えるであろうか?
しかもいくら教師とはいえ、避難訓練していても災害救助隊のようなプロではない。
この場合は誰が悪いと判断するより、見舞金を増額してあげるのが適切だと思います。
名無しさん
震災の2年後、三陸の海を見に行きました。
報道で見た海と違って、穏やかで透き通る美しい海でした。
親御さんの苦しみを理解できるのは周りの方達だけだと思うので判決に関しては何もコメントできませんが、皆様の気持ちが穏やかになる日が来ることを祈ります。
名無しさん
賠償金を貰ってもお子さんが亡くなったことには何の慰めにもならないと思いますが、裁判によってこの出来事が広く世の中に広まったことによって後世で助かる命があるかもしれません。そしてこの悲劇を私は忘れずにいようと思います。
名無しさん
結局最高裁の判事なんて法律論に長けているだけで、極限の状況を経験したこともなければ、それを想像することもできない人達なんだろうな、と思いました。
名無しさん
過去の震災があってこの辺に住むなって言われてたのに住んだ人が悪いのでは?なぜ学校だけに責任があるのか、そういう心境で他責的になるのはよくない。


名無しさん
市の広報車が学校のグランドに二回も来て避難を促したのにもかかわらず避難しようとしなかったんだからな。
名無しさん
あの揺れで津波は想定外は無いでしょう。と思う人も多いと思いますが。人それぞれの想定だとは思いますが安全第一の企業に居る私は避難しましたけど。
名無しさん
金じゃなく謝罪を要求していたら・・・。
あの時先生方も亡くなっている。あの想定外の出来事は親御さんにも予測できなかった結果だろう。もしも親御さんから事前に忠告があったのに学校側が聞き入れなかったのなら責めたくなるのもわかるけど、悔しいけどみんな必死であの結果だったんじゃないかな。
名無しさん
確か、教員1人と児童4人が、山に逃げて助かったんじゃなかったけかな。
保護者は、真実を知りたいと思う。どういう状況だったかを、匿名でいいので、明らかにしてほしい。
名無しさん
くだらん判決。
対応は完ぺきではなかったかもしれない、でもできることはしたはずだ。
賠償額が多すぎる。過失責任が2割だったとして、せいぜい一人3000万がいいところ。この賠償額から判断すると、学校側に重過失があったことになる。
こういう親がこれから何をするか目に浮かぶわ。
やったぜ!家を新築!海外旅行!レクサス!
儲かってよかったね。


名無しさん
なにかの、誰かのせいにしたい気持ちは痛い程分かる。仕方がないことだったと納得するにはあまりに犠牲にしたものを愛してたから。
分かるが、この判決は正しいのかな、と思ってしまう。
その場にいた全員が子供を守るために一生懸命だったのだろうから。
名無しさん
義務教育なんだから争うまでもなく国が最終的に賠償するべき。
しかも義務教育の場は先生だけに任せるのは無理。
危機管理などは警備員が常駐しないとダメだと思う!
民間企業からの警備員ではなくちゃんと教育訓練した小中学校の専門警備員公務員として。
きよ
過失があったというなら、原告側はこうなるかもしれないって想像できたんだよね?
それならなぜその地域に住んでいたの?
震災のことは誰かが責任を負うようなものではない
名無しさん
で、亡くなった教師達にはいくら払われるの?
即時下校させて親元に返した方がよかったの?
亡くなられた親達はその場で判断できるの?
下流から4km、その距離を津波が来ると想定できた人は?
亡くなられた方の冥福をお祈りいたします。
ただ、裁判で勝った人達は極一部。他の人達との線引きはどこに?


管理人の率直な感想

自分が小学校の時にやった防災訓練を考えてみました。

校庭に生徒一同を集めて待機させるというのはマニュアル通りの行動だったのでしょう。

大きな地震が来て、先生たちが誘導し校庭へ。
点呼を取る。そのまま校庭の真ん中で待機。

校庭の真ん中というのは大きな落下物の危険性も無いですし、生徒を集めて待機させるというのは地震だけなら間違ってはいません。

教師たちは津波についてどう考えていたのか。
未曽有の震災ですが、津波が来ることは分かっていて然るべき。

実際に津波が来ることを呼びかけて避難した教員1人は助かっている。

当然、待機中も津波警報は町中に鳴り響いていた。
それでも待機させたままというのはおかしい。

情報収集の不足。
危機察知能力の欠如。
震災の対策に対する柔軟性の欠落。

「防災体制の不備」というのは、これらの集約ではないでしょうか。

宮城県は東日本大震災の中でも一番早く津波が到達したと記憶しています。

待機時間50分間。
尋常じゃない長さです。

裏山があるんです。
山にそのまま生徒たちを移動させて待機させることもできた。

賠償訴訟は確定しましたが、遺族はお金が欲しいわけじゃない。

みなさんの声の中に非常に闇が深い情報があります。
敢えて繰り返し書くようなことはしませんが。

行方不明の長女を探す母親。
「出ておいでよ」と骨を探す。

その心境は筆舌に尽くしがたい。

絶対に風化させてはいけない。

相次ぐ台風も、予測されている首都直下型地震や南海トラフ地震も、東日本大震災を教訓にし、少しでも犠牲者や遺族を出してほしくないという思いでいっぱいです。

「自然災害は仕方ないよ」じゃ悔しいですよ。





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