東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は11日までに市と県の上告を退ける決定をした。10日付。防災体制の不備により児童を安全な高台に避難させることができなかった過失を認め、計約14億3600万円の支払いを命じた2審高裁判決が確定した。津波被害を巡り、震災前の防災体制の不備による賠償を命じた判決が最高裁で確定するのは初。裁判官5人の全員一致の結論だった。
幸せな地域を襲った地震と津波…犠牲になった子供たち
まだ会えない娘を、判決が確定したこの日も捜していた。8年7カ月の月命日。大川小周辺を重機で掘削した土に目を凝らし、鈴木実穂さん(51)は小4だった長女巴那(はな)さん(当時9)の骨を見つけようと必死だった。
緑と人々の笑顔あふれる幸せな地域だった。今は茶色だけの世界。小6だった長男堅登(けんと)くん(当時12)も失った。
捜索合間の昼休憩。自家用車の中で一息ついていると同じ原告団の仲間から、最高裁上告棄却の一報が入った。「(14年3月の)提訴の時から最高裁まで戦う覚悟だったけど、判事の皆さんが分かってくれたのかな。でも私は巴那を捜さなくちゃいけない。冷静でいなきゃ」。
車を出て大川小にある祭壇に向かい、手を合わせた。「巴那、出ておいでよ」。
原告団の今野浩行団長(57)は弁護士から一報を聞き、小6だった長男大輔くん(当時12)の祭壇に淡々と結果だけを報告した。
「最高裁が『守れた命』と判断した。助かる命だったんだと。だから大輔はね、『なぜ僕は死ななければならなかったの』と思っていると思う。胸張って報告なんてできないよ」
遺族としても長かった。「8年7カ月、苦しかった」。この判決で学校防災体制の一層の充実が急務となった。ただ、グラウンドに約50分間も待機し続け、裏山に逃げられなかった理由は分かっていない。今野団長は「原告団は解散するかもしれないが、真実を知るための検証は続けていくつもりです」と話した。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191011-10110741-nksports-soci
ネットの声
遺族の思いは確かにわかるが、誰が想定できただろうかあの津波、揺れを
私の親戚も、岩手県の山田町に沢山いたので、当時、連絡が付かず、混乱状態だったことを覚えています。
遺族の皆さんには申し訳ないと思いますが、「あの時、こうすればよかった、ああすればよかった」は、言うべきではないと思います。
大川小だけはなく、当時の三陸の人たちは、過去の経験から、最良だと思われる選択をしたはずです。チリ地震の津波も知っている人たちです。
しかし、残念ながら、多くの犠牲者が出てしまいました。
想定外だったと思います。
残念、と言う言葉がふさわしくないことはわかります。
人間は、100%ではないのです。
最良と考えて、判断し、行動したのに、最悪の結末を迎えてしまった・・・
学校に責任転嫁したい気持ちもわかりますが、当時の教員達は、最良だと思った選択をしたのです。許してあげて欲しいです。
訴えるなら、過失があると言うなら地震が起きた時点で何故全てを投げ出して子供を救いに行かなかったのか?
いや、分かります。ここまでの被害は想定してなかったのでしょう。それは教員の方々も同じでは無いでしょうか。
被災者の気持ちが分からない訳ではありません。自分は石巻から命からがら生き延びた身ですから。
それは結果論であって、先生達も子供を守ろうと必死だっただろうに。
実際、あの日のあの場所で的確な判断なんて誰が出来ただろう。
裁判がどっちに転がろうと、なんか胸が苦しくなる。
亡くなった子供も先生も気の毒です。
学校はどんな未曾有の災害があろうと予測不能な事態になろうと必ず児童の安全を守らねばならない。児童に危険が及んだ場合は全て学校の責任という判例が出来た。
これによって学校防災は大きく変わると思う。
悪い方に。
もちろん、彼らにその力があるからこそ、この判決が出来た訳なんですから、無理難題でないはず。
遅い昼飯食べていたそうで、津波が家に入り、驚きようやく2階に避難したと。
1000年に一度の人知を超える津波災害で、予見可能って言えるのかな?被害者には先生もいるし、子供達がかわいそうは当然ですが、釈然としない部分があります。ならば、東電も有罪にすべきですね
起こした遺族と起こさなかった遺族の違いはなんなんだろうね?
初めは同情できたけれど、ね
教員も亡くなっているというのに、それが置いていかれているよね
死者が生者の邪魔をしてはいけないし、死者を使って儲けてはいけない
ただ、その矛先を裁判に持っていったのは理解できません。
もし、白黒付けろと言うのであれば1円でよかったはず。
なぜあんな金額が出てきたのか・・・・。
悪く言えばわが子の命に値段をつけた様なもの。
自分の感覚からしたら?ですね。
もっと違う手段があったのでは?
まぁ弁護士のいいえさに成ってしまったのかもしれませんが・・。
自然災害です。予知する事は不可能です。もっと冷静になって考えれば誰がどんな対応をしようとも成るようにしかならなかった、それが現実だと思います。
自然相手に100%大丈夫はありえません。
正直、よくこんな判決が通ったなと思います。
他の亡くなった方は天災で、この小学校に通っていた子は人災という判断ですよね。
本当にそうなのでしょうか。
被災者の方々の気持ちも理解できるが、あのレベルの災害を想定できただろうかが疑問に残る。
常に事態の想定をしなければならないのはわかるが、想像を超越した場合の被害まで想定できるだろうか。
今、台風19号が近づこうとしているさなかでどこまで想定しているだろうか?
教員は授業のプロであって、日々の雑務にさらにこんな重大な責任まで負わされるとなると、そりゃなり手は減るよなと思ってしまう。あらゆることを教員に投げすぎ。教員はスーパーマンじゃない。
低学年は高学年と手を繋いで近くの山に避難するという訓練だった。
そして数ヶ月後の大震災。
津波の予報を聞くまでもなく彼らは全員近くの山に避難して助かる。
そして別の街では江戸時代に生じていた大津波の教訓を石碑に刻んでいた。「ここから上に逃げるべし」と。
この石碑を知る住民は素直に従ってことなきを得た。
同じ県の別の地域の人はこのことを知らなかった。
高台に保育園があった。地震後、園児たちを自宅に送り届けるために、事もあろうに送迎バスはいったん海側におりて再び山側に向かうコースを走った。海側を走っているときに運悪く津波に流されてしまった。
そのまま高台の保育園に数時間止まっていたら命を奪われることはなかった。
多くの子供達の命が奪われた。
日頃から確実な避難方法を決めておく事がいかに重要かを思い知る。
ネットでよく見られる一見良心的であるかのような過失側擁護論は、結果として互助努力社会を否定する悪意や理不尽な僻みを肥大化させているけれど、日本の社会と司法はそんな者には抗い続けてほしい。子を持つ親が、愛する我が子の理不尽な死に向き合うために事実を知りたいと願い、二度と起きて欲しく無いと社会訴求力のある訴訟に努力してくれるからこそ、社会の安全は向上するのだから。
震災前に親御さんたちは「裏山は危険だから上るな」と言っていたのではないか?
仮に、裏山に避難したとする。余震で木が倒れました、土砂崩れが起きました、児童が亡くなりました、でも津波は来ませんでした、となった場合でも、今度は「なぜ裏山に避難したんだ」と訴えるわけです。
今回の裁判は意味がないので、最高裁に「原判決を破棄し、原告の請求を棄却する」という判決を期待していたのですが、残念です。
そうしたことに対して校長や地域の権力側が「私たちは悪くない」と、当時の状況をごまかしきちんと話さなかったこと、認めずに今も知らんふりでいることに 遺族は納得がいかないようなのです。
大川小で被害に遭った職員の息子さんは、そんな現場で亡くなった父の気持ちや考えを少しでも知りたいと一度は教員を目指しましたが、結局あきらめたようです。それにも地域の「空気」や圧力があったのか、ド深夜のドキュメンタリーだけでは知る由もありませんが、報道の「事実」だけから受け取る印象だけではわからない実像があります。
これは意外でした
河北新報のスタッフが取材した「止まった刻」という本を読んだ。関係者への丁寧な取材から「空白の50分」に迫った力作。それによると、
・当初は大川小学校が避難所に指定されたこともあり津波の危険の認識は薄かった。市職員が体育館を避難場所にできないかと尋ねてきたことも危機意識を薄める結果にもなったと思われる。
・津波の危険を察知した後、教頭は裏山への避難を主張したが、地元の区長(自治会長)が強硬に反対。周囲からは口論と見えるほどの緊張感のある議論だったが、結局教頭が折れて、堤防に避難することになった。
・二審の高裁の判断では、裏山は地滑りの危険等の為、避難場所としてふさわしいとしていない。少し離れた、「バットの山」と呼ばれる場所を避難場所としてマニュアルで決めておくべきだった、としている。
マニュアルや避難計画の不備など想定外の事が起きれば関係ない。総じて役に立たない事が多い。
マニュアルや縦割り組織のために現場が動けなくなっている事が根本的原因。
それらを元に正論ぶる管理者や保護者が元凶。
災害現場では生徒の命を守る事を最終目的とし、やり方は現場の裁量で行わせるべきだ。
責任など問うべきではない。例え生徒を置いて逃げてもあの場合は許されると思う。自分の命を最優先する事は非難できない。
たとえ失敗したとしてもその時点での最善の判断だったら仕方ない。
今回の判例で自治体は守りに入る事は間違いない。
責任逃れも拍車がかかりそうだ。もはや学校は当てにならない。自分の子供を助けるのは自分以外はいなくなる。結局自分に帰ってくる。
急病人を医師が助けようとして死んでしまったら訴えられるのと同じ。
ということはあなたたちは津波に関して予知できていたんですよね。震災前の防災体制の不備って震災はなにが起きるのかわからないのだから全てに完璧な体制を敷くのは不可能で、何かしら不備は出てくる。それがダメだというなら完璧な予知ができるあなたたちが子供たちを助ければよかったでしょ。
1ヶ所に集めておくとか、学校から整列行進して避難するとか、どうしても集団行動の選択となると思います。とにかく裏山へ一目散に避難となると先生は生徒全てに目が行き届かなくなります。大きな余震が起こったらどうやって子供達を守るか?先ずは考えるでしょう。大津波など誰も予想してませんでした。
そして津波が襲いかかってしまいました。
集団行動が基本の日本人の悲劇としか言いようがありません。自分の命は自分で守らないといけない非常時に、多くの小学生にそれを求めるのは難しいと思います。先生方は必死で子供達を守ろうと考えていたはず。責めるのは酷だと思います。
どうかご遺族の方々には、亡くなられた子供達と共に、先生方のご冥福もお祈りして頂きたく思います。そしていつの日か心が穏やかになられることをお祈りいたします。
しかし、未曾有の大震災、これを想定した訓練などしていなかっただろう。訓練していないことをミスなく出来るはずもない。
責任を問うのであれば、「このような地震がきて、津波になる可能性があるため、それに備えた訓練をすべきだ。」と震災前から訴えていたのだろうか?
結果論で責任を問うのは余りにお粗末だと私は思う。だが、今回このような決定になった事が、より高い防災意識と対応策の議論へと繋がることを期待したい。
しかし、あのとき多くの学校が震災にあったが、教員の指導下でこれだけの犠牲者をだしたのはこの学校だけだ。やっぱり、判断をいくつも間違えたのだと思う。
僕は現地に何度か足を運んだし、関係者の話も聞いた。レポートとかも読んだ。裏の山に登るという決断も簡単ではなかったと思う。
ただ、県や市の対応などから、その行間に「しかたなかった」で済まそうと読み取れて、そこに違和感を感じた。
今後に生かすには、現場がなぜ間違った判断をしてしまったのか、そこをちゃんと考えなければいけないと思う。特に責任ある立場の人が「仕方ない」で済ましては良くない、と僕は思う。
誰も予想できなかった災害。
その場にいた教員すべてが、子供達を守ろうとしていたと思う。誰も子供の生命に対して無責任な事なんてしていないはず。
亡くなった子供を思う遺族の気持ちもわかるけど…亡くなった教員の方々を責めるのは、違う気がします。
「守れたはずの命」と思えばこそ、哀しみは怒りになるのも無理はないと思う。
でも、人間は自然災害の前に無力であり、どうしても、どうしようもなかった事もあるのだと思う。
神戸の教員同士による暴行事件も然り、教師は万能ではなく、自分すら守れなくなる場合もあるのだ。
ただ、ただ、亡くなったお子さんの命が、宙に還って平安であるようにと、祈ります。
津波が川を遡上することは過去に事例があるのだし、念には念を入れていればここまでの被害にはならなかったのではないか。
亡くなられた教員、生徒、その御遺族だけではなく、私達全員に備えがいかに重要かを示す判例だと思う。
罪を憎んで人を憎まず。それは遺族の方々が1番分かっていながらも、それでも何故こうなってしまったのか納得できない想いが裁判につながったのではないか。
日本全体があの大震災で大きな傷を負った。
日本ではもう二度と津波による犠牲者は出さない。
それこそが残された私達にできる真の弔いではないか。災害は防げずとも、対策をとることはできるのだから。
ほとんどの住民は「津波は来ない」と言って逃げなかったそうだ。
そんな地元住民が思っていたことをよそから来た先生方が分かるはずもない。
また判決で「7分前に津波襲来は予見できた。裏山に逃げる余裕はあった。」とあるがあの急な裏山を低学年の小学生が登れるはずはない。
地域の大人たちは何もしなかったのではないか?
運よく助かった子供は避難隊列の最後方。逃げてるときに後ろから津波に飲まれたのではなく、先頭から津波に飲まれています。おかしいですね。避難タイミングに加えて、避難方向の選択が根本的に間違ってます。学校側の過失だと思います。
学校も最初から正直に説明していけば裁判にはならなかったのに。後から説明が二転三転するのでは遺族は納得しないでしょう。せめて生き残った教員が何があったかを全て話してくれれば、遺族も心の整理ができただろうに、それもしてもらえず。生き残った教員も秘密を抱えたままで生きていくのは辛いと思う。
津波の危険性がある時には校庭などではなく高台に避難しなければならない、と認識していた人間が大川小には少なくとも1人おり、その1人は他でもない教員唯一の生き残りの男性です。
災害後のその男性による証言は後に虚偽だらけだったと判明しており(男性の証言の嘘を指摘した1人である工場経営者の方は、その後お役所からの仕事を次々と切られたそうです)、行方をくらませたその男性を法廷に引きずり出す事が裁判の目的だと遺族の方が取材に答えておられます。
この記事を見る限り、結局真相の解明には至らなかったようですが。
私には、真実が暴露するよりはお金払って終わらせた方がいい、という結果に見えます。
私は、被災後何度か大川小を訪れました。当時の光景を思うと、毎回涙が込み上げます。
被災者のご遺族がお金をもらっても心が癒えることはないと想うのです。そんなことは原告も分かっていることでしょうけど、ただ、どこかに心の刃を向けなければ耐えられなかった心境を少しでも理解してあげたいとおもうのです。
この度の結果については賛否があるかもしれませんが、私たちに出来ることは、今も苦しんでいる方々がいることを忘れないでいる事ではないかな。
今後、災害は避けては通れないかもしれないですが、国民全体が人を思いやる気持ちをもって、優しい繋がりをもちたいものです。
ただ、あの災害をどれだけの人が予見できただろう。
今回防げたはずのとしたが、本当だろうか?
結果論としてあの時にとか後だしならなんとでも言えるが、税金で防波堤を作る。果たして何人が賛成しただろうか。
避難マニュアル策定もタダではない。
しかも策定して配ったからと言って、どれだけ真面目にやっただろうか?
そもそも配られたものを熟読しただろうか?
災害への意識が変わった今ならやるだろう。
大切なものを失った今なら。
失った辛さを誰かにあたらなければやるせない気持ちは分かるが、訴えをおこし金銭を得ても晴れはしないだろう。
金銭以上の誰かの処罰を求めるだろうか?
この件で処罰がされたら驚きだが。
岩手では一人も犠牲者を出さなかった小学校がある。
ことは単純だ。津波があったらみんなで高台に逃げようという意識が初めから共有されていた。逃げるだけだった。だからグラウンドに集まって対応を話し合うようなこともなかった。
裏山は地震の後で地盤や倒木が心配だとか、そういう賛否を問うような議論を50分もしていたなら結果はこうなる。
あれだけの揺れで、しかも津波の情報も知らされていながらだ。
はじめからどうするかの答えはそう難しいことではない。
津波の注意報が出たら、直ちに高いところに避難する。
それを徹底しておけばよかった。
平らな地区だが、川幅も広く、距離もあり、まさかここまで津波が来るとは思えない場所にある。
あの震災は未曾有の事であり、誰にも予想できないものであった。
それを誰が裁くのか、誰にも裁く事などできはしない。
高学年や中学生なら裏山に走れ!と言えたんでしょうが、全員無事を考えれば葛藤があったはずです。
点呼の最中にテレビで津波を見た親が次々に迎えに来たのも妨げになりました。
そういう事は抜きにして、現地を見ると中学校ならまだしも何故よりによって小学校を建てたのか。建てたのなら何故裏山を整備しなかったのか、そう思うはずです。
北上川河口近く、堤防が切れたら直ぐに水が来る低地に学校はありました。
そういう面で妥当な判決で自分のモヤモヤは取れたけれど、遺族の方はそんな事で子供を失ったのかとやるせないでしょうね…
当時、保護者達や校長は、当然子供達は学校の裏山に避難して安全だと思っていたらしいです。裏山は、普段から子供達が何度も登っていたところらしいです。
当時の情報番組の情報より。
怒りは分かる。
私の意見は、教師がいつも正しいと思うことが間違いだ。
恐らく、教師自体がパニックになった。また、そのような事態でグラウンドに居ればよいと考えたと私は推測する。
原因を推測してみる。グラウンドに居るという判断をしたのは津波の事を考慮していなかったからだと思われる。津波が来ると分かっていれば、山に逃げるだろう。そうしなかった。それは津波が来ないという前提で、地震による建物倒壊による二次被害を避けるという意味だろう。
どのみち、理由は当該判断をした教師に聞くしかあるまい。その教師が既に亡くなっているならなぜその判断を下したのかは知る方法があるまい。
できることは災害時の避難の手続きが組織として適切であったかどうかは検証できるだろう。
それでも、まさかここまでは津波は来ない。そう思いながらの訓練。
東日本大震災では、小さい頃に住んでいた住宅も津波に流されてしまった。
みんなの予想をはるかに上回る津波だった。
大川小の先生方も同じだったと思う。
あの小学校から海は見えない。
それでも助けられたはずと言うのは、犠牲者にも失礼だと思う。
きっと恐怖心とたたかいながら、必死に逃げたはず。
間に合わなかっただけ。
それは、遺族の方も同じでは?
あんなに大きな津波が来るとは思わなかった。
学校なら安全だと思った。
そう思ったはず。
助けられたはずと本当に思うなら、なぜ自分が助けに行かなかったのか。
渋滞や混乱で学校に辿りつけなかったのかもしれないけど、学校まで津波がくると想定できたのなら私なら自転車盗んででも向かった。
そう言われてるのと同じだと思う。
災害の問題を超えて、教師と児童の間の主従関係について考えるべきなのだ。子供はいずれ自立する。18歳になったその瞬間に自立することは有り得ない。だとしたらいつか?それを考えるべきなのである。
その理由は、火の向こう側が風上だったからと言う事でした。そして小学生の身でありながら、疎開先の仙台空襲を経験し、敵機からの機銃掃射を田畑で交わし生き延びたと聞きます。
危機的な状況の中で、過った判断或いは恐怖や指揮系統で身動きが取れなくなる状況を作ったとしたら、やはりそれは責任者の資質にあると思います。
預かる方は本当に徹底して欲しい。
保護者や被害にあわれた方からのそういう願いがあるのでしょう。よくわかる。
だけど先生は一生懸命対し、自分の家族やお子さんを心配しながらも、仕事だから必死で色々悩んで対応していたのだろうな。まさかここまで来ないと思って・・・・
それにしても、亡くなられた命は戻らないので、今後二度と、このようなことで命が失われないことを切に願います。
「決して先生たちを責めているわけではない。最後まで救おうとしてくださってたと思う。自分たちは、なぜ子供たちが50分も校庭に留まり続ける結果になったのか、なぜすぐそばの山(シイタケ栽培とかで登り慣れてるそうです)に避難しなかったのか、命を落とすことになったいきさつ、それを知りたい。でも、そこをいくら聞いても答えてもらえない。はぐらかされて誤魔化されている感じ。なので、そこを透明にするために、最後の手段として裁判を起こすことにした」
と言われていました。
これを聞くまで、
「そんなん想定外の災害なのに、学校が責められてもねぇ…。」
と思っていたのですが、話を聞いて、納得しました。
「被災して命を落としたことそのものではなく、その後の委員会や県の対応に私たちは怒っているし、納得ができないんだ」
とおっしゃってました。
私もあの時海辺の学校に居て津波を体験した身。子どもがパニックにならないように、ということをまず初めに考えたこと、火災と津波を同時に見たが恐怖すら感じられなかったこと、雪の舞う中寒さを全く感じなかったこと、など断片的に記憶はあるのだが、スライドがパッと浮かぶような方法でしか思い出せない。ただ、正しい判断などは出来なかった。正直に言って無理だった。
「先生を糾弾する」の横断幕は辛い。
未曾有の震災、的確な判断は難しいよ。
最善を尽くしてくれたと思う方が気が休まる気がするな。
すぐに遺族の心境が記事に出てるから?
防げた事故に対して、再発防止と責任の所在を明らかにするのは当然だと思うが?
未曾有の災害だからと言うけどハザードマップや災害速報に応じて、どう行動するかはマネージメントとして事前に決定して見直していくべき。
ちゃんと国の責任を明らかにした判決は妥当と思える。
今後に活かして貰えれば、教員の方々に無用の責任を負わす必要はなくなる。
この判例は今後の学校防災教育に大きな影響が出ると思われますね。
教員は未曽有の災害が起きた場合であっても、子供に万が一のことがあれば責任を問われるのが当然になってしまうのでしょうか、、?
何か違うような気がします。
当時の大川小学校の教員達の中に、一体誰が子供を犠牲にしたいと思った人がいたでしょう、、、
きっと、そんな教員はいなかったはずです。
さらに、東日本大震災への備えでなく、宮城沖地震への備えの不備がいわれているのです。誤解なきように。宮城沖地震は、30年以内に99%の確率と言われていました。当然しておくべきなのに、教育委員会もチェックせず、指導もしていなかったことを悪いと言われているのです。
後から検出すれば過失となるのかもしれませんが、あの時、あの現場で、冷戦な判断を下せる方は少ないと思います。
ならば一層の事、教師全てをAIにしてしまえばよ。
体罰なんてしないし、生徒や児童に猥褻行為も致しませんよ!
凡ゆるパターンの避難方法をインプットし、いざとなったら身を呈してでも、児童や生徒を助ける様にでも設定していれば良いのでは?
児童23人以外にも亡くなった児童、亡くなった先生方遺族にも支払われるべきとは思うが
裁判官や被害者の親は想定できて、できなくても、避難が彼らだったらできたとの判断なんですかね。予期せぬことなどたくさんあります。こんなのまかり通っていたらプールは、水死の可能性があるから、禁止とかってなりますよね。嫌なら学校通わせないで自宅学習してればよい。学校は生徒を預からなくなります。私も子を持つ親ですが、常にそういう意識持っていますよ。実際、授業で怪我して病院に運ばれた時も、仕方ないとうけいれていました。
数年で転勤する教師に想定するのは不可能でしょ。
この判例は今後にかなり影響を与える。
国のお金ということはつまり、、、。
賠償金を遺族がどう取り扱うかだと思う。
私が遺族なら学校の防災創設のための基金にするかな。
それぐらいしか今は思い浮かばない。
守ることが出来た命だったが守ることができなかった。
個人レベルでいけば医療従事者はそんな葛藤の連続だとも思う。
明らかな過失でもない限り訴えられたりとかない。
残された人がこれからどうするかに尽きると私は思う。
未曾有の大災害にみまわれてなお、懸命に先生であり続けようとした人が、名誉を失い追及を受けるのを見ると、教員とその遺族が哀れでならない。>グラウンドに約50分間も待機し続け、裏山に逃げられなかった理由は分かっていない。
裏山に逃げて万が一にも何かあれば、名誉を失い追及を受けると思ったからなんじゃないかって気がしている。
特に当日校長は不在だったんですよね、そんな時こそのマニュアルですから。
マニュアルがあれば同じ結果でも判決は違っていたのかも。
一人だけ助かった教師はずっとダンマリだしね。
助かった教師は他校でマニュアル作ったことがあり、その学校は今回被災はごく軽度だったんですよね。
未曾有の災害についても、本当の最良と思える行動をしないと行けないんでしょう。
先生の中にもっと高い所へ避難しないとと言う人がいれば助かったかもしれない。結果だけで判断するのはどうかとも思うけど、これで報われるのであればそれで良いのでは。
これからの、そう遠くに起こらない地震についても早期に完全に安全な所への避難をするようになるでしょう。
ただ、亡くなった人は戻りません。
ただ、本当に不幸としか言いようがない。
まだ見つけることの出来ない骸も、安らかに極楽浄土に行けることを願って止みません。
結果、体育館は浸水し死者が出ました。校舎に逃げていれば助かった事案です。
報道はされませんがちょっとの判断ミスで亡くなった命が多かったということはそれだけ想定外の災害であったということ。
先生方が自己判断で動けない程、普段からマニュアルに縛られていたのかもしれませんね。
大多数の遺族は訴えを起こさなかったんですよね。
どこかの地方記事で訴えを起こさなかった遺族の記事が載っていたけど、「訴えるのではなく今後、この様な事が起こらない様な対策を自治体と進めて行きたい。」という事を言われていたのを覚えてる。
訴えを起こした遺族のやりきれない気持ちは判るが、地裁か高裁の判決が出たときに酒飲みながらのインタビューは無いかなと思った。
ですが、石巻市のどこにそんな大金が!?石巻市自体も未曾有の被害を受けています。宮城県全体も何箇所も被害を受けました。亡くなった方々は市と県からそんなに大金を受け取ることで喜ぶのでしょうか…。市と県の責任ももちろんありますが、空白の50分間など、人為的なミスの可能性も高いと思います。誰も想像できなかった自然災害の中で、責任の擦り付け合いをすることはどうなのでしょうか…。
逆に橋の付近は学校に比べたらなかなかの高台
海から4キロも離れてるし
結果は最悪だけど、この判断は難しいと感じた
児童が賠償されるのであれば、他命を落とした親族にも全て賠償しなくてはならないと思う。
この23人の親族たちのみ賠償されるのはオカシイと思うのだが・・・
支払われるお金の半分以上は市の復興のために使っていただきたいものだが・・・
先生だって死にたくてあんなことしたわけじゃない。
危ないとおもっていたら、親だったら仕事捨てて助けにいくでしょ、いかなかったんだから、想像できてなかったんだよ。学校だから大丈夫っておもってたんでしょ、だから先生もそう、誰が悪いとかそういうもんだいじゃない。
誰かに責任を負わせないと自分自身がもたないほどの悲しみなのはわかるけど。。子供に胸はって報告できますか?
この件にかんしては、なにがどうなっても悲しさしか残らない。
なくなったお子さんが先生を攻めてほしいと思っているのか、許してあげてと思っているのか、親の心しだいだとおもいます。
お子さんが悲しむことだけはしてほしくない、生き残った方には少しでも前を向いて生きてほしいな。
一方東京電力の方は、津波を予測することも対策することもできないのは妥当、という判決が下った。
あまりに隔たりがある、と考えるのは自分だけだろうか。
裁判官によって判決は違うもの、と聞いてはいるが、どの裁判官に担当させるかで、判決を誘導することができるということになる。
自分としてはむしろ、東京電力の方に厳しい判決が必要だと思う。
私は思う、子弟を預かるという学校の責任の重さ!
決して子供たちに不幸があってはならない
その一点だけで判決は正しい!
子供たちは人類共通の宝、これが失われることの責任を市民と国が共有するという考えには賛同できない。
被災者が被災者を訴える裁判。
また、公務員がこう言う非常識・不適切な判断をして損害が出た場合に、賠償責任が生じるという判例が確定した事は、不幸な出来事ではあるが、まともな動きだとは言える。それは別として、改めて(教員も含めて)亡くなった人たちのご冥福をお祈りしたい。
しかし、あの未曾有の出来事を回想すると誰も責めてはいけないかもしれない。
見つかっていない子供がいる。
我が子の墓に手を合わせることも出来ない親。
思い出すらもほとんど残っていない。
その希のなさと消失感は人の親なら誰でも想像するにも耐えられないだろうと思う。
いかにも公務員らしい対応で、事後の二転三転した説明も遺族を怒らせた。
遺族と学校の関係がうまくいっていればここまでの裁判にはならなかっただろう。
災害が起きたからの裁判というより、事後の対応で被害者を怒らせたからの裁判でしょ。
災害の対応のまずさが裁判につながったのではなく、事後の対応がまずかったから裁判が起こされたって感じ。
判決が悪いとは思わないな。
そこが大事なのではないでしょうか
学校や教師だけにその責任を押し付けるのはどうなのかと思う
この裁判は何を問う裁判なのか
私はまだわからない
勝手な判断してそこで亡くなったらどうするの?逃げる必要もなかったのに勝手に動いてって言われるんでしょ?だからやっぱりいくら考えても、結果論な気がするんだよね。
亡くなった教員を相手に裁判かぁ。子どもは大切で大事で本当にかけがえのない存在だからね。そうなっちゃうのかな。死んでしまったらなんて恐ろしくて想像しないようにするけど、生きていけないって思うし。
でもこれはなんか辛いなぁ。
裁判は勝ったけど、お金はいりませんってせめて言ってほしい。
ただ、遺族の方々も、訴えなければ、気持ちの持って行き方もなかったのではないのでしょうか。
どんな判決がでても、正解は、無かったのではないでしょうか。
子供さんを亡くされた親御さんの気持ち理解は出来ますが県や市を訴える事は当時の先生達を訴える事になります。
ちょっと先生達が可哀想に感じます。
こんな事やってると災害時にだれも裁判意識して指示ださなくなりますね。
未曽有の災害に対してベストな判断が瞬時にできなくては教員の資格が無いんでしょうね
そんなの誰も教員になりませんよ
高学年男子児童が、慌てて、その小山に登って逃げようとしたのを先生に勝手な行動をするなと連れ戻され、その男子児童は津波で亡くなった。
津波で流され、助かった生徒が、そう証言していたからね。
当時は、子供の卒業式出席のために校長不在で、指揮系統が無い状態に東日本大震災で、児童を引き取りに来た親とで、児童の人数確認や点呼で混乱して、もたもた50分ロス。
マニュアルに沿って、川沿いの道路のコースに児童を引率し避難途中に、海岸から遠い場所に小学校が位置していたが。川を何㎞も昇ってきた津波に、先生も一緒に飲み込まれた。
先生の児童への避難引率は不手際だったが、こんな未曾有の災害を誰も予測出来ないと思う。
私も幼い頃から聞かされていますが災害は想定外な事が起こるから犠牲者が出る
先生を責められないとコメントが多いが、私は違うと思う
川の側に避難させたと記憶しているが、川はその地域で一番低い場所に有る
津波が想定できなくても、上流のダムとか、土石流が発生することも想定外ですか?
この判決を支持します
だがこの判決は支持できない
先生たちだって必死に子供を守ろうとしたけど、守り切れず死んでいった
その先生たちにも家族がいたはずだろう
子供たちがいなければ、多くの先生は助かったかもしれない
その先生たちの家族は何を思うだろう?
もし亡くなった先生たちの子供だったら、訴えた遺族に激しい憎悪しか抱かない
そこまで言うなら、何で自分たちで迎えに行かなかった?
結局人に責任押し付けているだけ
多くの家族は訴えていない
訴えている家族は普段から、そういう人たちなんだろう
怒り、憎しみ、悲しみ。その大きさはとても想像できない。
でも、わからないけど何年も何年も津波、地震に囚われて生きるのも辛い。
誰かを怨むのも辛い。
どうしただろうか?でも、何となく静かに子供を弔いたい気もする。
辛い事は忘れたい気もする。
わからないけど。
勝訴したことが原告にとって本当に幸せなことだったのか、もしかしたら敗訴して『守れない命だった、仕方が無い』と判決してくれたほうがましだったのかもしれない。判断が難しいですね。
この判決で子供達の命の値段がついた訳です。
一生懸命に頑張った先生達があまりに可哀想。あの震災では一つ一つの状況判断が生死をわけた。この判決はあまりに酷すぎる。
残念ながら今回の台風で怪我をされる方もいらっしゃるでしょう。この判決をした人達は台風に対して確実な正しい判断で全ての人の安全を保障してください。
「学校側は最大限努力した」「津波は予測できない」という意見が多いですが、大川小学校の件については明らかに学校側の過失です。宮城に在住してあの震災を経験している人はなぜ控訴上告までするのか意味がわからない人が多かったと思います。
大川小学校にもいきましたが、立地的に津波が来るのは普通に予測できます。
当時の状況でも避難用バスがグラウンドに待機し、避難できる態勢であり、かつ、津波到達まで50分の時間の猶予もありました。さらにその間沿岸沿いから避難する住民に「津波がくるから逃げなさい」と注意喚起までされています。にもかかわらず無為に児童をグラウンドに留め置き避難させなかったのは現場にいた大人の責任です。避けられるはずの悲劇として宮城では語り草になってます。原告の意見が聞き届けられたのは宮城県民としてはよかったとしか思えないです。
怒り、憎しみ、悲しみ。その大きさはとても想像できない。
でも、わからないけど何年も何年も津波、地震に囚われて生きるのも辛い。
誰かを怨むのも辛い。
どうしただろうか?でも、何となく静かに子供を弔いたい気もする。
辛い事は忘れたい気もする。
わからないけど。
遺族の方の悲しみや怒りはわからなくもないが、途方もない
大きな天災を、ちっぽけな人間のせいにするこの判決は違和感がある
東電の件も大川小の件も、みんな一生懸命やったのだから
誰もがそう思うけど、それが一番危ない。
常に最悪の事態を想定した行動をして、何もなければそれでよし。
お子さんを探し続けるのは、気力、体力もしんどいと思いますがどうか見つけてあげて下さい。
なんの力にもなれませんが、お祈りしています
こんな未曽有の大災害の被害の結果に対して「あの時こうしておけば、ああしておけばよかったのに、それが許せない」というのはあまりに酷なんじゃないかと思う。それは相手が例え自治体や国であったとしても。そこまで自治体や国に属する人たちは結果的に間違ったと思われる判断をすることが許されないのでしょうか??自分たちだって死んでしまっているのに。
訴えた人たちの気持ちはわからないでもないけど、それは同じ被災者同士としてやっちゃいけないタブーのような気もするんですが・・。なんかすごく悲しい判決結果に思えます。
「しかたない」「お互いさまだったね」という厳しい自然に暮らしてきた日本人の相手を思いやる美徳はもうなくなったんでしょうかね。
誰1人と見捨てようとした先生はいなかったはず。
なのにまるで殺人犯のように責められるなんて…
亡くなった子供さんの親の気持ちもわかる。
だけど…本当にやり切れない。切ない。
共に亡くなった先生方にも親はいるはず。
その親御さんの気持ちを考えると。
本当に切なくなる悲しくなる裁判だ。
「まさか、あんなことになるとは・・」と後悔する側の人間だったと思うから、心の中で「どうして・・・してくれなかったのだろう。」とは思っても、裁判してまで責める気持ちにはなれない。
だが、当時はどうだっただろうか、もしこのような被害を予測できるのなら、皆は未曾有の大災害とは言わないと思うけどな。
私も以前は津波で訴えるなんて遺族がおかしいと思ってたけど、現地をみて考えが変わった。
避難できたはずの山は、学校の目と鼻の先。斜面も急じゃないし、だれでも登れる。正直あの環境で避難しなかった理由がわからないと思った。遺族が勝つのは当然だと思う。
担当裁判官が違うとはいえ、最高裁判所のタブルスタンダートといえるのではないか?
しかもいくら教師とはいえ、避難訓練していても災害救助隊のようなプロではない。
この場合は誰が悪いと判断するより、見舞金を増額してあげるのが適切だと思います。
報道で見た海と違って、穏やかで透き通る美しい海でした。
親御さんの苦しみを理解できるのは周りの方達だけだと思うので判決に関しては何もコメントできませんが、皆様の気持ちが穏やかになる日が来ることを祈ります。
あの時先生方も亡くなっている。あの想定外の出来事は親御さんにも予測できなかった結果だろう。もしも親御さんから事前に忠告があったのに学校側が聞き入れなかったのなら責めたくなるのもわかるけど、悔しいけどみんな必死であの結果だったんじゃないかな。
保護者は、真実を知りたいと思う。どういう状況だったかを、匿名でいいので、明らかにしてほしい。
対応は完ぺきではなかったかもしれない、でもできることはしたはずだ。
賠償額が多すぎる。過失責任が2割だったとして、せいぜい一人3000万がいいところ。この賠償額から判断すると、学校側に重過失があったことになる。
こういう親がこれから何をするか目に浮かぶわ。
やったぜ!家を新築!海外旅行!レクサス!
儲かってよかったね。
分かるが、この判決は正しいのかな、と思ってしまう。
その場にいた全員が子供を守るために一生懸命だったのだろうから。
しかも義務教育の場は先生だけに任せるのは無理。
危機管理などは警備員が常駐しないとダメだと思う!
民間企業からの警備員ではなくちゃんと教育訓練した小中学校の専門警備員公務員として。
それならなぜその地域に住んでいたの?
震災のことは誰かが責任を負うようなものではない
即時下校させて親元に返した方がよかったの?
亡くなられた親達はその場で判断できるの?
下流から4km、その距離を津波が来ると想定できた人は?
亡くなられた方の冥福をお祈りいたします。
ただ、裁判で勝った人達は極一部。他の人達との線引きはどこに?
管理人の率直な感想
自分が小学校の時にやった防災訓練を考えてみました。
校庭に生徒一同を集めて待機させるというのはマニュアル通りの行動だったのでしょう。
大きな地震が来て、先生たちが誘導し校庭へ。
点呼を取る。そのまま校庭の真ん中で待機。
校庭の真ん中というのは大きな落下物の危険性も無いですし、生徒を集めて待機させるというのは地震だけなら間違ってはいません。
教師たちは津波についてどう考えていたのか。
未曽有の震災ですが、津波が来ることは分かっていて然るべき。
実際に津波が来ることを呼びかけて避難した教員1人は助かっている。
当然、待機中も津波警報は町中に鳴り響いていた。
それでも待機させたままというのはおかしい。
情報収集の不足。
危機察知能力の欠如。
震災の対策に対する柔軟性の欠落。
「防災体制の不備」というのは、これらの集約ではないでしょうか。
宮城県は東日本大震災の中でも一番早く津波が到達したと記憶しています。
待機時間50分間。
尋常じゃない長さです。
裏山があるんです。
山にそのまま生徒たちを移動させて待機させることもできた。
賠償訴訟は確定しましたが、遺族はお金が欲しいわけじゃない。
みなさんの声の中に非常に闇が深い情報があります。
敢えて繰り返し書くようなことはしませんが。
行方不明の長女を探す母親。
「出ておいでよ」と骨を探す。
その心境は筆舌に尽くしがたい。
絶対に風化させてはいけない。
相次ぐ台風も、予測されている首都直下型地震や南海トラフ地震も、東日本大震災を教訓にし、少しでも犠牲者や遺族を出してほしくないという思いでいっぱいです。
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