『週刊SPA!』の12月4日号で特集された「(裏)流行語大賞」のサラリーマン編第2位に「おじさんの孤独」が選ばれた。
今年2月、筆者は『世界一孤独な日本のおじさん』という本を出版し、以来、この連載などで、「孤独」の健康影響などについて発信し続けてきた。
一人の時間を楽しむ「ソリチュード」はいいけれど、誰にも頼ることができず、一人、不安で寂しい気持ちを指す「ロンリネス」の孤独は心身に大きな負荷を与える、ということは無数の科学的研究によって実証されている。
特に男性は、退職後、長期的な孤独に陥りやすいので注意が必要だというメッセージに対し、多かったのが、「孤独の何が悪い」「孤独上等」というご意見だった。
書店には、「孤独万歳本」があふれかえり、ものすごい売れ行きだが、この現象は、多くの人が「孤独に対する漠然とした、もしくは鮮明な不安」を抱えていることの裏返しではないだろうか。
というわけで、にわかに注目を集める(? )「おじさんの孤独」だが、最近の中高年男性たちはそれ以外にも、いろいろと「生きづらさ」を抱えているように見える。
書籍『世界一孤独な日本のおじさん』
世界一孤独な日本のオジサン (角川新書) [ 岡本 純子 ] 価格:885円 |
日本のオジサンは世界で一番孤独――。
人々の精神や肉体を蝕む「孤独」はこの国の最も深刻な病の一つとなった。現状やその背景を探りつつ、大きな原因である「コミュ力の“貧困”」への対策を紹介する。
生きづらさの根っこにある「プライド」
人材難時代に若者たちは引く手あまたの一方で、テクノロジーの変化の速い現代に、「進化」に対応できない一部の男性たちに向けられる視線は極めて厳しい。パワハラ職場で必死に働き、少ないお小遣いで家族を支えるために頑張ってきても、なかなか報われない。そんな彼らへの深い愛情から、筆者は「余計なお世話」「放っておいてくれ」と批判を受けながらも、日々、皆さんの「幸せ」のカタチを探るというお節介を焼いている。
長らくおじさんウォッチングを続けてきて、彼らの「生きづらさ」の根っこに何があるのかを考えた結果、最終的に、4つの要因にたどり着いた。それは「プライド」と「恥」と「承認欲求」そして、「男らしさの縛り」である。今回は、まずその1つ目、「プライド」について考えてみたいと思う。
都内の製薬会社に勤める50代後半の男性は、定年後の人生を模索する中で、尊敬する先輩にこう言われた。「定年を迎えたら、プライドと肩書を徹底的に捨て去りなさい」。日本のおじさんの最大の呪縛はこの「プライド」という何とも厄介な代物だ。特に終身雇用、年功序列制度という「タテ社会」の中で、会社勤めの男性は係長、課長、部長……と役職が上がるにつれ、上から目線で話し、敬語で「かしずかれる」ことに慣れていく。
「権力」という空気が、「プライド」という風船を膨らませていくようなものだ。上司らしく振る舞わねばという責任感がいつの間にか、プライドやおごりになり代わっていたりする。
友人の選挙を手伝っていた女性は、中高年のボランティアの人たちと一緒に仕事をするうちにあることに気づいた。女性たちは、おしゃべりを楽しみながら、自然に共同作業を楽しむが、男性は時々、声がけや感謝の意を伝えないと「すねてしまう」ところがあったというのだ。
「『すねる』『ひがむ』『うらむ』という言葉の裏には『甘え』がある」と精神科医の土居健郎は著書『「甘え」の構造』で指摘したが、「無償の奉仕」に慣れない男性は、知らないうちに、自らの「奉仕」に対し、「働きを認め、プライドをくすぐる」という「対価」を求めているところがある。
定年後の男性は、その知見と経験を生かして、ボランティアなど社会貢献に携われば、きっと尊敬され、自らの幸福感につながるのではとも思うのだが、「なぜ、タダで働くのか、その意味がわからない」という人が非常に多い。ここでも「ある種のプライド」が邪魔をしている。
「歩み寄り」を阻む「プライド」
仕事という戦場で、盾と剣で戦い続けているうちに、「プライド」という分厚い鎧をまといやすく、そうして肥大化したプライドは、人とつながりを作ることを非常に難しくする。相手の気持ちに寄り添い、共感し合い、理解し合うことで、関係性は深化していくが、強すぎる「エゴ」(自我)に対するプライドは、胸襟を開いた「歩み寄り」を阻むからだ。会社という狭い社会の中で、どちらかが上でどちらかが下という力関係に基づくコミュニケーションを続けているうちに、バリバリと働く女性も「プライド」を背負いやすく、「孤独」は今やおじさんだけの問題でもない。
プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。
元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。「Pride goes before a fall(プライドはつまずきに先立つ)」ということわざもあるが、まさにプライドとは「おごれる者は久しからず」の「おごり」にあたる。
一方で、「誇り」に当たるプライドは、ポジティブな効果をもたらすことが実証されている。サウスウェールズ大学の研究では、プライドが忍耐力ややり抜く力につながり、勤勉さと献身に結び付くと結論づけられた。つまり、プライドには「良いプライド」と「悪いプライド」の2種類が存在するということになる。実際、英語では、良いプライドはAuthentic pride (正真正銘のプライド)、悪いプライドはHubristic pride(高慢なプライド)といったように区別される。
「正真正銘のプライド」とは、自分の持つ能力に対する誇りの感覚だ。自分の作り出す作品に対する誇り、仕事に対する献身やその成果に対する満足感など、自分の内面から湧き上がってくる「絶対的な感覚」。こうしたプライドは周囲から共感も得やすく、また、自分のノウハウや技を共有し、他者をサポートしようとする行動につながりやすい。脳科学的にも、他者とのつながりを促進するセロトニンの分泌と関連付けられている。
一方で、「高慢なプライド」は、自分の有能性や支配力を過度に誇示しようとするために、脆弱な自我と不安、攻撃性を伴う。こうしたプライドは男性ホルモンの分泌と密接に関わっており、他者との関係性を阻むと考えられている。
「相対的な自信」は百害あって一利なし
つまり、「誇り」とは、他者からの評価とはまったく関係がない「絶対的な自信」であり、「傲慢」は肩書や身分を根拠に、自分を誇大表示して見せようとすることである。結局のところ、他者からの承認や評価に依存して得られるものであり、他人と比較したときの優位性に基づく「相対的な自信」ということになる。こちらのほうは百害あって一利なしということなのだ。
「良いプライド」は謙虚さを伴う。職人が、現状に満足せずに、つねに高みを目指し、より良いものを作り続けようとする姿はこの典型だろう。一方で、自分を進化させていく努力をやめ、他者との競争や、他者からの承認によって自己の存在意義を求めようとすれば、そこには最終的に、空虚さと孤独しか残らない。
人は案外、まがい物のプライドにとらわれやすいものである。人を解放し進化させるプライドか、人を閉じ込め退化させるプライドか――。そのプライドの真贋を見極めておく必要があるだろう。
岡本 純子 :コミュニケーション・ストラテジスト
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181211-00254044-toyo-bus_all&p=1
世界一孤独な日本のオジサン。孤独は寂しい?自由?ネットの声
思ったら以上に、他人は自分のことなどみていない。
なぜなら、自分は他人のことなどほとんど気にしてないから。
そう確信的に思った時、有休も取りやすくなり、ファッションも気にならなくなり、乗る車も気にならなくなりました。
経済的にも時間的にも余裕ができ、私にとって家族と過ごす時間が1番重要だとわかりました。
評価されるのを恐れて人と接しないのと、1人の方が楽なので1人でいるのとは真逆。
1人の方が景色や時間を楽しめる時があるから。
自分がある人は群れないと不安だと感じる事はない。
群れていても、1人でも自信のある人は幸せで、反対の人は群れていても周りを気にして、1人でも1人である事を気にしている。
復職後は会社も労災を怖がり腫れ物に触る扱いになった。最初は寂しさもあったが、少し早いがこれから始まる老後数十年のスタートだと割り切ったら違う世界が見えてきたのも事実。もちろん、それまでの自分のやってきたことに誇りはあるが、それは人としての誇り。肩書きや取り巻きがいないと示せないものは所詮ハリボテ。でも、それに気づかない奴も多いと思う。
人生100年時代と言われる。まあ、100までは生きられないだろうが、役にも立たない傲慢さは自分を苦しめるだけ。
彼は以前サラリーマンだったのだが、体を壊し退職し自営になった。しかしサラリーマンだった自分が忘れられず会えばその話しかしない。その間いろんな人生があっただろうがその景色は見えていないのか、過去を美化し、そこにウソを盛り込んでくるから家族も手に負えず家族内であれば言わせてあげてるようだ。それだけならいいのだが、自分を肯定するために他人を、他人の家族をけなす…馬鹿にする。
そういった思考だから、彼に良くしてくれていた人も匙を投げて本当に孤独な老人だ。
自分がみてもコンプレックスの塊なんだなと思うとかわいそうに思うがもう変われないんだろうなと思う。何がその人にとっての幸せかはわからないが、彼がもっと無駄なプライドを捨てた人生なら少なくても奥さんはもっと違った世の中を見れたんじゃないかと思ってしまう。
自分に与えられた仕事を権限の範囲内で確実にこなすプロとしてのプライドを持つということだよ。
あくまでも自分の中だけに持っておくもの。
他人に見せたりするものではない。
もちろんいつまでも謙虚な方はいます。そういう方に人は寄ってくるのかなと思う。
肩書きや地位で生きる人間ほど苦しんでいるものはない。また肩書きや地位を得たときにその人の本質は見えるものです。謙虚に生きたいですね。
ただ自分を良くみせるだけの為に
人を意味無く批判したり。
ただめんどくさい人間に多い。
ただし、日本の場合は他の資本主義の先進国に比べて雇用の流動性が低いので、肩書きに執着してプライドが高くなるのは自然だと思う。
今の中高年男性は終身雇用、右肩上がりを経験した最後の世代だから、特にその傾向が強いのだろう。
私は近所付き合いをあまりしてこなかったので、自治会の活動に積極的に参加するようにしました。
また、妻の友達がよく遊びに来るので、おもてなしの心を忘れないように気をつけております。
一番大事なことは、男性の場合だと会社を離れたら「会社名と肩書きを忘れる」ことでしょうね。
女性の場合だと、働いていようがいまいが集まりの場においてどこで働いているか(働いていたか)が出ることはまずありません。
男女の違いがあるとしたらそこですかね。
一度、全てリセットした方が良いのに、生まれ変わるようにゼロから始めたらいいのに。でも出来ない、怖いんだよ。
仕事や会社関係以外の人間関係を築いていれば、「会社と同じ人付き合いの仕方は通用しない」ことに気づける筈ですし、その中で変なプライドは捨てられると思うのですけどね。
会社で得た地位や権力など、会社を離れれば屁のツッパリにもならない砂上の楼閣だと気づけるかどうか、でしょうね。
組織で長い事生きてると、他人を使うというスタンスで物事にアプローチしがち。これは会社以外では通用しないどころか嫌われる要因になってる。
考えてみれば当たり前なんだが、会社でもないのに周りの人はその人の面倒見ないからねw
高齢になっても趣味をはじめ自分で動くことをいとわない人は、意外に人生楽しんでると思う。
彼にとっては、一緒に歩く女性も、外見重視で、いかに他人の女よりも綺麗かということに重きをおく。
それが彼の中での「勝ち」であり、「価値」になっている。
でも、冷静に考えてみればそれはむなしい。
嫁にする女性だって、本来、他人に見せつけるものでもないし、自慢のネタにするべきものでもない。それで「あいつの嫁より綺麗から俺は勝った」と言っている精神性。なさけない。
本来、それら全ては他人と比較して優位性を確認するものでもないし、選んだ女性にしても、自身が納得してそれで満足していればそれが一番幸せではないだろうか?
これは、大卒にこだわる人でもそう。
いつまでたっても大学名にこだわる人もね。
それがプライオリティならかなり虚しい人生だよ
むしろ、身近な人のほうが、接する機会も多いし長所も短所も知られている。なにより心の距離が近いから、意図せず若しくは意図的に嫌なことを言ってきたりします。
あと、傷付くのは「良いプライド」と自負している点を批判されたときですよね。「悪いプライド」には多少なりとも自覚はあるから、批判されても「やべぇ」とか「マズイ」とか「しまった」とか素直に思うけど、傷付くというのとは、また違う気がする。
人と比較されやすい環境にいるとおのずとそうなってきますよ、そりゃあ。人との比較をやめることは難しいかもしれないが、できるだけそういう考えをしないこと、人と比較されやすい環境にいなくてもいいよう日頃から努力することが重要だと思います。
私が知っているのは高齢の女性だが、自分が楽しいと思っている趣味を否定されたことが原因で、ご近所の人達を低俗呼ばわりしたり、近所には何も面白いものはないし、暮らすのに不便と言っている人がいる。
でも、自分の趣味と第三者の趣味は違って当たり前。ここで相手を全否定するのではなく、相手の楽しんでいることを少し理解してあげれば話の輪が広まるし、時間はかかるかもしれないが、自分を理解する人も出ると思う。
面白いか面白くないか、便利か不便かは、その人の気の持ちようなのだ。
人と話し笑うのが健康に良いのでは?個人差は勿論有ります。1人が好きて方も居ます。
私もタチの悪いおっさん→なぜかじじいに多い。と関わって生きねばならないけど、ちっせーヤツとしか感じられずにいます。
そんな人が中々に居ない理由は、群れの中でのパワーゲームやら、自己を保つ為に他者弱者を下に見る事で保っているプライドが強いからなんだろうね。
退職後に放り出された社会では、元会社の仲間くらいにしか共感は得られないだろうから、普段から趣味なり違う環境で仲間を作る事で、会社の役職や立場、マウンティングは無効になるから、そう言ったプライドが必要ない事を実感出来るのかも知れないよ。
非常に同意できる部分。自分の上司がまさにこんな感じでした。
会議では簡単な話をわざわざ難しい言い回しで説明したり、部下の説明が理解できないと「何言ってるか分からない」「お前の説明が悪い」と怒り出したり、かといって「では、どの様にすればよいでしょうか」「最終目標はどのような形ですか」と聞くと「それを考えるのがお前の仕事だろ」と逃げる。そして自分の機嫌が良くないときは、それを隠そうともせずに横柄な態度で周囲に接する。
女子社員からは嫌われていた、というか憎まれていました。
結局はパワハラが原因で会社から追放されましたけどね。
また趣味で将棋をやっていますが、そこには誇りといういいプライドがあることに気付きました。純粋に読みを競い合う世界であり楽しい。さらに打ち込みたいと思います。
ためになる。
しかし、これは会社のことばかり
ではなく、記事にも、コメントにも
言える。
時々すごい記事、コメントあるが、
さっぱりわからないときがある。
おそらく、頭がいいのだろうが、
難しい言葉を並べただけで
プライドが高いだけというのがわかる。
よく、車の運転を見ると、
その人の性格がわかるというが、
文章も同じであろう。
人を攻撃してくる文章を書く人は、
やはり攻撃的な性格だ。
よく、恋愛の話の記事があるが、
恋人を探すときは、何回かライン
したほうがよい。
そのラインの文章で短気か、
頭がいいだけか、攻撃的かが、
わかると思うよ。
ある程度の信念とかプライドも大事ですけど、負けるが勝ちって社会では結構ありますよね。
しょうもないプライド捨てて、誰からも嫌われたくないと言う考え方を捨てたら大分楽になりました。
人からよく見られたいとも思いますが、結局人は人、自分は自分でしかないのですから。
良いプライドを持ってる人は、自分の能力や立場・仕事や成果が、第三者の役に立つことにプライドを持ってる。だから責任感も客観性もある。
悪いプライドを持ってる人は、第三者より自分にベクトルが向いているので、自分を守る事や自分の利益が最優先。責任感も客観性もないので、本人も周りも辛い。
しかしそれを遂行するために、時には自尊心や虚栄心を犠牲にしなきゃならない。そっち側のプライドは捨てなきゃならない。
要するに邪魔なのはそっち側。
これを捨てるのはなかなか難しいけど、難なく出来るようになりたいものです。
年功序列や体育会系もてはやしてたときの名残である程度上に居座ってるから、こいつらが作る社内政治優先の文化が蔓延してたり、感情的なやりとりによって現場の人間が苦労する。
本人たちは自分を有能だと思いこんでて、問題提起するだけで何もせずに下にぶん投げるだけ。その癖細かいところまでケチをつける。
もちろんその手のは出世レースで有能な人たちに水をあけられているわけだけど、社内政治に命かけてる人はそれでもごますりと中身のない問題提起だけで出世していくからタチが悪い。
エコーチェンバー作りたがるから、そういう人の下につくと人は絶対成長しないしワークライフバランスも崩壊する。しかもそういう奴は自分が上手くいかないのは部下が無能だと思ってるから部下の評価も下げる。
逆にみんなの利益に目を向けて良い選択続ければ性格が良くなり、自然と愛され幸せになれる。
性格が悪い人に迎合する者もまた罪深い。
この手の記事があがると兎に角、中高年=無能・用無し論を語るコメントも多いけど狭い社会で見聞きしただけの方かなぁと感じる。
若い世代を成長させてくれる中高年先輩は多くの企業で未だ活躍中です。巷の中高年は記事にあるような情けない者ばかりではない!
多いような気がしますね・・。あと、無趣味の方も非常に多いですよ。
60年以上生きてきて、まったく趣味の一つも無いって言うのは
自分の人生振り返った時に自己嫌悪に陥りやすいと思うので
私が良く耳にする、酒とタバコが趣味とか言ってる人は何か生きがいになる事を少しでも探した方が良いと思うんですがね・・・。
私の主人も、とてもプライドが高いです…いい人ですが。
私の場合だけかもですが…いい人だけど無駄にプライドが高い人に共通しているのは…
絶対に自分が悪くても謝らないという事です。
「ごめんなさい」が言えない人多いです。次いで「ありがとう」も…
基本良い人なので心の中で思っているんでしょうけど、それは伝わる相手と伝わらない相手がいるので、ちゃんと言葉にした方がいいと思います(これを言うと喧嘩です(笑)
女性の場合は威張るひとは男性より少ないが、かわりに、周囲の人に過剰に同情による気遣いを要求する、おかわいそうさま気質が多い。
どっちも老害なんだが、弱者に擬態するタイプは批判しにくいのでタチが悪いよね。
と、高校生のバイトのとき、同僚の六十代女性に、在庫量を確認する仕事をお願いしたら、老眼で数なんて数えられないし重いものなんて持てない!と泣かれて、パートや社員にお年寄りを苛めないように怒られたことを思い出す。
厨房で使うカレー皿を150枚数えてテーブルに乗せるという、小学生でもできる仕事だったんだけどなぁ。
ナースコールはメイドを呼ぶベルだとしか思ってない。動けるのにリモコン落としたから拾えとかね。まあそれでも私たちはお仕事ですからいいですけど、奥様に対してもそう。面会に来て当たり前、自分の世話して当たり前。そしてそれに黙って耐えている奥様のなんと多いことか。
あれは昭和の奥様だから耐えているのであって、もう少ししたらこんな旦那あっという間に捨てられて、病院でもひたすら孤独なんだろーなーと思う日々。
プライド捨てるのは良いとしても無気力になってもいけない。
会社に拘束される時間が長過ぎると思う。
朝早く起きて、スーツを着て、会社に着けば上司と部下の中にいる自分、という役割を演じる。
夜は遅く帰って来て、時にはご飯も忘れ疲れて寝る。土日も拘束があれば呼び出される。
もし退職したりして会社から解き放たれたらどうなるんだろう、と心配になる。
病院で働いている時、女性の患者さんは集まって賑やかにお喋りをしている一方、
ワシは社長だったんだ、とか、何かあればすぐに、病院長を出せ、と言う年配の男性によく会った。
勿論紳士的で尊敬出来る程穏やかだったりユーモラスな方もいる。
普段から休みの日に、
会社の肩書き抜きで他者と交流する機会を持っておくと良いのではないのでしょうか。
趣味でも何でも良いかと思います。
聞いてもいない過去の栄光を自慢げに話したり、武勇伝きかされたり。
仕事ができる(た)人は、プライドなんて感じさせない。
きっと、仕事できること、評価されることが、当然のことだったから、自慢するようなことではないと思っているのでしょう。
昔の仕事話も、自から進んで話すことは、ほとんどないし、たまに話題にしても、内容は面白話しだけ。
うちは高齢者が多いので、うなずきながら読ませていただきました。
社内に掲示してあげたい。
当の本人に、性別の「こうあるべき」の呪縛をかけるような環境がなかったら、彼らの孤独感やプライドの高さは今とどう変わっていたんだろう。
それがあったから記事にあるようなステレオタイプなおじさん(こうあるべきを守ってきた)像がみんなの頭にもプリントされたのかもしれない。
要求が通らないと「わたしは○○会社で○長までやっててお宅らのサービスは昔から利用している」「お宅のサービスレベルも落ちたな」
というやり取り、何度も見てきました
それはきっと現役時代は個人ではなく後ろにいる会社に対しての特別対応を存分に享受しただけで会社辞めたらただの人になった
それだけでしょう
そういうところは女性のほうが結婚出産で振り回される過程で早々に気づかざるを得ないのでコミュニティの形成という面では長けてますね
上から目線で正論を言われてもプライドの高い人はますます意固地になるだけだよ。
いくら指摘していることが正しくても。
レストランではお客さんだし犬の散歩してれば飼い主さん
周りから見てどんな自分なのかを想像してみるとよいです
おじさんは会社での自分のまま違う場所で立ち振る舞うのでうまくいかないのです
キリスト教でもないんで良くはわからんが、
変なプライドは要らないが、プライド捨てる必要もない
自由に生きれば良いと思うよ
そしてそういう人物ほど、実力の有る無しに関わらず実は非常に弱かったりする。
逆に下の者の話にも耳を傾け、面倒がらずに身体も頭も動かす人は社内外からも信頼されていた。
自分で自分をすごい人物であると誇示・演出する人ほど、結局は愚かである事に気付いていない。
老後は病院や介護士さん、家族にさえも疎ましがられるんだろうな。
男性に限らず、マウント取りたがる女性も一緒。
プライド保つのも大変だね。
ホルモンの影響だとすると可哀想ですね…切り替えが早く出来れば、その後の人生も明るくなりそう。
自分の思う様な、状況ではないと退職をしてしまう。
会社を、経営していたが良く考えたら、彼らの人生に責任を持てるか?
自分は、経営者に向いてなかった。
今は、様々な仕事をしながら、生きている。
こんな、人間が生きていて良いのか、自問自答を繰り返しています。
仕事の精度を高め、説得力のある行動をする。
じゃね?
若僧には分かるまい。
それと、記事文中にあるプライド云々。それは、日本のサラリーマン
の多くは会社では総合職だったことによる、と思ってる。
総合職と言うのは、自信の仕事や関連市場を上から見ていた。
そんな者が退職し老後生活をするのに、そんな視点では周りから
煙たがれるのは当然。精神的に野に下る、発想に転換すべし。無理か。
プライドは自分を奮い立たせるもので、
他人との比較や優劣を測る物差しではない。
あおり運転などがいい例だと思う。
こういう記事はすごく納得感あるけど、時として極端にとらえて、そんなに働か無くていいんだと思い込みすぎる人がいるので、職場でもしわ寄せがあるんですよね。
承認欲求をこじらせた安いプライドは自分にも周囲にも害を及ぼすが、承認欲求が全く不要か?と言えば極論「周囲からどう見られようと自分さえ良ければそれで良い」事になってしまうのでこれもまた周囲に害を及ぼす恐れがある。
男性に限らず自分はこういう人間でありたいというビジョンが必要だ。
肩書きもその会社でなければただの人
一度転職すればよくわかるんですよね
時にはプライドを捨てると客観視出来るようになると思う。
プライド高いエリートの頑張りは分かるけどプライドだけで人脈拡大やお金稼げる訳でも無いからね。
ただ、いくら会社で高い地位を確立していても、退職したらただの無職のおじさんと変わりないから、周りが頭下げたり何かしてくれて当たり前はもう通用しないってことを頭に入れておかなきゃ煙たがられる存在になってしまう。
なるほど、本当に為になります。
プライド、誇り、評価されることじゃなく、自分の為したことに誇りを持つかぁ…。
頑張ろう。
時代の変化に追い付いていないのに、昔の感覚のまま振る舞う。
注意しても自分を省みない。残念なオトコがいる。
原因がプライドの問題と見極める術を持ち合わせるのは専門の医師だけだ。
傷付く事が怖いと言う人にこの言い分は溝を深めるだけ。
変わる必要の前に変われる強さを養わせないと一般論なんて上から土を被せる行為、この記事を書いた人は問題を理解していない。
意外な程に他人て自分を見ていないし興味がない。自意識過剰な人が陥りやすいパターン。
生きてた時代だったからね
今は金が無くてひっそり暮らし
てても惨めな姿は見られたくない
のが本音だと思う
自信を持つこと自体は悪い事じゃない。
成功体験を繰り返すことで自信を持ち過ぎてしまうのが問題。
プライド捨てればという事だけど、それは自分らしさや
よく言われる個性と密接過ぎてストレス抱えることになる。
プライドを捨てるよりは持ったほうが人間らしい。
プライドを捨てたら見下す人、ナメる人も出てくる。
結局はポジションで対応、言葉使いを変えるのではなく
最低でも年齢で言葉使いに敬意を払えば問題ないと思う。
ご隠居になれば次世代の子供たちが老人を守っている事を理解し行動すべきですね。
いまの45才〜55才あたりはそんなんが多い気するわ
会話に関しては誰とでも真面目な会話や深い会話はとことん出来るタイプだけど
土足で踏み込まれたくない領域があるから誤解されやすい所はあるだろうなと思う。毎日自分てしんどいなって思う時はある。
プライドって人との壁を作ってしまうからそういう人って友人は
深く狭くなりやすい気がする。
どんなに偉い肩書きがあるのか知りませんが、自分より一回り以上下の女性に対し高圧的な態度で驚くと同時に、自分が年を重ねてもああいう風にはなりたく無いと心に誓いました。笑
プライドは人を操る為に教育によって植え付けられるアプリです(^-^;
男が孤独になりやすいのはリーダー資質によるものです。女は寄り添う資質だから孤独になりにくい。
群れを率いるリーダーは孤独なのです!
何故なら、的確な判断をする為。
七つの大罪はキリスト教が自ら植え付け、それを指摘してるに過ぎない。自作自演です。そうすることで教徒を囲い込む為です。
物事には理由がある。それを見ずに結果のみで分析するととんでもない結果が出ます(^-^;
人間として生きる為には全てのプライドを捨てる事だと思います!
人間は神を目指してはいけない!全ての悲劇はそこから始まるのです(^-^;
ステータスにこだわらない方が良い。
2千人規模の会社で役員までいったが、
退任しました。
一般求人募集で他業種、兵隊営業マンに。
いつでも、イチ営業マンとして
やれる自信とプライドがありましたが
最初は未経験者のリストラおやじが
入ってきたなという扱い。年下タメ口。
ここが踏ん張りどころ。
入社2年たち、ほぼフル込で
年収は2千万円を超え、
100人中10位まで来ました。
早期に結果がついてくると
扱いが全く違ってきますね。(笑)
小学生並みと思うことがあります。
一人で勝手に競い合ってる。一緒にやりづらい。
できる人はやっぱり謙虚だ。人間がてきている。
外に発するものではなく、内部で消化吸収燃焼するものではないかな。
正直線引きが難しいというか境界が無いんだよな。
あくまで程度の問題って感じ。
かと言ってプライドを一切持たないってのも
それはそれで価値が無いと思うし。
周りをみてても一部の人にしか当てはまらないの
ではないかと考えます。
中高年男性と限定する根拠を示していただきたい。
自分の「道」を極めようとする人は、人からどう思われようが、気にしないものだ。
良いところもあると思うけど、
損してるなと思うところも多々ある。
妻側もそのプライドを崩さないよう気を遣うのも面倒。。
でも自分さえも騙せてしまう思い込みの強いプライドの高い人はある意味強くて羨ましい気もする。
そもそもビジネスでは肩書きしか相手にされない。
いずれ肩書きは捨てるんだから、肩書きの無い、個人的実力・魅力の世界で過ごす時間をもつべきだろうね。
もちろん謙虚でいい人もいるが、若者に「最近の中年はこれだからダメだ」と言われていますよ。
とも思う。本当は傷つきやすいから
自分の間違いを認めるのは死に値するとか
思ってそうな…
そういうタイプは若い人でも結構いるけどね。
自分も今の内に気をつけなきゃ思ったが、なかなか自分で気づくのも難しいですね。
感性とか気配りとかがどんどん薄れていくのは良い事なんだろうか?
そういう意味ではプライドを持って活きて行く方が好きだよ。
若いときから関わってきた年下の役員に、それまで距離を置いてきた人がひょいと参入してもかなうわけない。
そこで立場をわきまえられるか、プライドに拘るか、それで地域での生き方が左右されることもある。
自分には甘いのに、他人に対してだけは厳しい、そう言う人ってプライド高いんだろうね…
聞きもしないのに、一方的に延々と自分のことばかり話すもんだから、言葉のキャッチボールができない人なのだとわかって、だんだん聞くのを控えるようになっただけなのに、注目されないとわかると途端にすねる人って面倒くさい…
老いては子に従えってことが、わからないのか?できないのか…
小学1年生でも末恐ろしく敵わないちびは腐るほどいるわけで
自分が羽生ゆずるを越えたら少しはブライドを持とうかな一生ないな
分かっていても抜けられない怖さを自分でも感じています笑笑
一般企業でも、おっさんが多いけど男女関係なく、プライドプライド言ってる会社や人間程、不祥事だのパワハラだの隠蔽だのが出てきている印象がある。リーディングイノベーションしてた某家電会社とか、やっちゃえしてた某車会社とか、おじさん労組がイキっている某JRとか、みんなそうだ。基本的に自分のことしか考えてないので、会社のガバナンスは落ちるわ、統率出来ないわ、何にもいいことはない。
何か勘違いし続けてるな、と。
呼べず、退職も在職とも無関係にただ人迷惑なものだと思う。
どんな時でも、プライドが見え隠れする同年代は会話するのも窮屈。常に仲間が傍にいる環境より適度に距離を置いた関係の方が何かと楽。
今の日本は、男性をいたわらないで、厳しく冷たい国なんですよ。まあ、そんなこと言うと、男のくせにとか、色々と言うんでしょうね。
就職難で少数入社で後の大量入社の後輩に突き上げられ、プライドも意地も捨てて会社にしがみつけた人だけが残れた。若い頃車や服に拘ったのもつかの間、バブル崩壊、やっと買った家がその後暴落の一途。子供の教育費がうなぎのぼりで恥を捨ててアルバイトして日がな生活費を稼いで家庭に持って帰って。捨てるプライドももう持ってもいない人しか生存できていないのでは?
管理人の率直な感想
プライドを捨てる必要は無いと思いますけど。
「プライド」と「人を不快にさせる意地」は違いますからね。
人として最低限のプライドと尊厳は持っていたい。
がしかし!
現実としてそれでも孤独に繋がるならば・・・どうしましょう。
僕は独身ですけど、今はいいですよ。
友人たちにどんどん孫なんか出来ちゃったりして、孫が可愛くて可愛くて、そのとき自分が独身だったら・・・どうしましょう。
それは完全な孤独だ。
シェアハウスにでも住もうかな。
でも、シェアハウスに住んでる友人が言うには、男の方が気を遣うんですって。
例えばお風呂とか。
自分が早く出かけたい時に誰かがお風呂を使っている。
それが男だったら外から「早くしてくれー」って言えるんですけど、女性だったら言えないと。
しかも、こっちはお爺さんですからね。(そのときには)
女性は、女性のみのシェアハウスがあるからいい。
男女が平等に暮らせるシェアハウスはないのかな。
うん、老人ホームだなそれは。
早く結婚しないと!
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