岩手県大槌町の高台に、洋風の電話ボックスがぽつんとたたずむ。
ボックスの中にあるのは黒電話と1冊のノート。電話線はつながっていない。
だが、東日本大震災で失った大切な人に最後の別れを言おうと各地から遺族が訪れる。
家屋の倒壊で両親を失った男の子、娘を津波で亡くした母親。
行き場のない悲しみを電話口にぶつけ、天国に話し掛ける。気持ちのつながりを求めて。
家族へ、友へ…言えなかった「ありがとう」庭園を開放し設置した佐々木さん
電話ボックスを設置したのは、花きや野菜を栽培する同町の佐々木格さん(75)。
約70アールの庭を整備し、2011年4月に「メモリアルガーデン」として開放した。
電話ボックスの周りを100種類以上の草花が囲む。
亡くなった親友はいつも突然電話をかけてきた。「おい、飲もうよ」。朝まで語り明かしたことも一度や二度ではない。「“いつも急だな”と怒ってみせたが、本当は電話があるとうれしくて」と振り返る。
突然20メートルの津波が襲い親友は死んだ
9年前のあの日、最大20メートルの津波が大槌町を襲った。
親友は海沿いに住んでいた。連絡が取れなくなった。
だが願いはかなわず、遺体で発見された。変わり果てた姿に、本人かどうかさえ分からなかった。
胸ポケットにメモが入っていた。佐々木さんの電話番号だった。
突然の別れに絶望と虚無感に襲われ、体が震えた。
電話ボックスに込めた思い
その思いが電話ボックスに込められている。佐々木さんはつながらないとは知りつつも親友の電話番号をゆっくり回したという。
少しだけ心が軽くなるのが分かった。
電話ボックス設置後はメディアや口コミで広がった。これまで訪れた人は4万人を超える。
訪れた人々はノートに様々な思いを綴る
佐々木さんは訪れた人に「お茶でもどうぞ」と声を掛ける。
最初は沈黙しても、そのうちぽつりぽつりと話し始め、涙を流す。
「自分が覚えている限り、故人は自分の中で生き続ける。だから、精いっぱい生きろ」と助言する。
ノートには訪れた人がメッセージを残す。
「もう一度だけでいい。あなたの声を聞きたい。話がしたいよ」「お姉ちゃん、会いたい」と手紙を書く人、「自分の気持ちに向き合えた」と感謝のメッセージを書く人もいる。
「心の傷が癒えることは一生ない」と佐々木さん。だが「気持ちとうまく付き合っていくことはできる」という。
震災から丸9年。自らの庭を開放し、遺族の心を癒やす佐々木さん。
これからも高台に訪れる人に声を掛け続ける。電話はつながらない。
だが、故人を思う気持ちは、いつもつながっている。
参照元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200311-00010000-agrinews-l03
ネットの声
日本人なら誰しも知る話で
ずっと話つがれていかなくてはならない
絵本はうちの子供達に読んで上げ、本当にあるお話なんだよと教えてあげました。
最近はいろいろ災害があるけど、東日本のは永遠に語り継ぐべきだと思います。
子供達には「助かった人はどう行動したのか」「どうすれば命を守れるのか」を教えるべきだと思う。
こういう記事をちゃんと読んでしっかり考えてほしいものだ。
コロナの件も同じではないでしょうか。いろんな立場の人がいます。
皆がそれぞれの立場で考えることができれば不必要に人を叩いたり攻撃したりすることはなくなるはずです。
その時の自分の感情も覚えています。
家族で見ていて、家族それぞれが言葉を失いました。
津波はあらゆる大切な人や物をさらって行ったけど
この電話ボックス、心の内を話す事ができる拠り所として有り続けて欲しい
そして被災者の方々には自責の念などの囚われることなく平穏な心や日々が訪れて欲しい
一人一人に生きたかった今日があり大切な人がいて大切な人生のストーリーがあった。
そういうことを想いながら、私たちは生ある限り日々大切に生きていかなければ。
震災でご家族を亡くされた方々は、どうやって自分自身を保っておられるのだろう?
この電話が、少しでもご遺族の救いになりますように。
良くない
以前、風の電話のドキュメンタリーを夜中に偶然見ましたが、また放送して頂きたいです。
津波が来た事がマーキングされていました。
行って見ないと分からない事は沢山あると思います。コロナが終息したら、是非一度足を運んで下さい。
そして、小学校高学年と中学生の子供と去年、東北に旅行に行き被災地を案内人さんのお話を聞きながら回りました。
自分たちが生きていることのありがたさ
何が起こるかわからない怖さ
自分を支えてくれている人達の大切さを改めて考えて、子供たちも感じたものがあったようです。
先日、本屋さんで手に取りました。
優しい絵とともにお話が描かれています。
これは受け継がれるべき一冊だと思いました。
あの日の記憶は経験、体験した人にしか分からない恐怖と悲しみがあるかと思います。
私の家族も、何度も被災地へ足を運び、支援物資を運び届けました。
助け合いの大切さ、命の尊さを改めて考えさせられた出来事でした。
電車ボックスも庭も、佐々木さんご夫婦も…
あるがままをそっと受け止めてくれる…そんな場所。
今は、飼い犬に主人や、父親、先犬の魂が入るように願ってその犬を可愛がる事で、傷をいやしている状況かな?
何年経ったって、心の穴が埋まる事はない。時間が解決してくれてる部分も勿論あるけど、穴を埋める訳ではない。ただ、ひたすら涙が流れ落ちるのが無くなっただけ。亡くなった人たちの気持ちを心に込めて前に進んで行くだけ。
でも、やっぱりたまには喋りたい。そういう時に、こういう電話は大切な存在だと思うな。
大切にしないといけないな。
亡き家族や友人、恋人、、
かけてもかからない電話、、それでも、受話器に向かって語りかけずにはいられない。
返事はこないけれど、語りかけるうちに、故人の声が本当に聞こえてくるのかも知れない。
こうした場所のあることが、ご遺族にとって、どれだけ支えになり、生きる力になるか。
改めて、身近な人々や家族を大切にしながら生きていきたいと思う。
普通に顔を合わせていた家族、友人、知人。
津波に飲まれて、奪われる。お別れも言えない、本当につらい…。
熊本地震で被災したけれど、関連死で一名がなくなったが私の周りで亡くなった方は少なかった。
でも、周りから人がいなくなったらどうしよう、また地震が起きたらと、ふと思い出す夜は身震いする…。
自然災害を完全に防ぐことは不可能だ…。
だから、日々感謝とかそういう気持ちは伝えないといけないなと再認識できる3月11日を大切にしたい。
涙出てきました
本当の辛さって当事者じゃないとわからないと思うので
なんと声を掛けてあげたらいいのか言葉が見つかりませんが
何かしてあげられないのかな?とか
実際は何もできないとは思うんだけど
今はそんな気持ちだけはあります
被害にも遭わず家族全員で今を過ごせている事がどれだけ幸せな事なのかという事を改めて感じました
災害で亡くしたわけではないけれど、時々亡くなった祖父母と話したいな…今の自分を見て何て言ってくれるだろう、生まれた子どもを見て何て声をかけてくれるだろう。と思う時はあります。
突如、災害で大切な人を亡くした人は余計にそう思うと思います。だから、テレビでこの電話ボックスを知り、大事な事だと思いました。
あの授業は必要だと思う。
これは本当に涙が溢れる。
誰でも少なからず大切な人は居る。
この電話ボックスを訪れなければどうにもならない様な事が自分の身に起きたらと想像するだけで気絶しそうだ。この電話ボックスがどれだけの人の気持ちを癒し慰めて来たのか、この電話ボックスを国が表彰しても良いのでわないかと思う。
日々街の整備は進んでも、大切な方々を失った人々の心は、生涯癒えることはないのかな…と、どことなく寒々とした街を見てそう感じました。
勤め先は記事の大槌町で復興事業に携わってましたが、本年度で完了し派遣された社員も戻って来ました。
まだまだ真の復興には程遠いとは思いますし、個人的に何も出来ないですけど、あと約2時間後の14時46分、黙祷したいと思います。
政府は何をすべきか、今一度考えるべき。
危険予知や災害対策がきちんと対応できる仕組みを各自治体と連携して構築してほしい。
若い世代に安心感を与えられる国であって欲しいものです
誰かを支えまた誰かに支えられ。
あの人にもうもう一度会って話したい。
声が聴きたい。
でもあの時間には戻れない。
これからもっといろんな人と関わる事があるだろう。
あの時感謝の気持ちを伝えられなかった分これから誰かに日々感謝することが一番の供養じゃないかな~。
決して忘れてはいけない。
日々の感謝の言葉とそれを伝える事。
震災で失った方々の気持ちを聞いて自分が今常に行っている事です。
自分の3年前に父親を亡くした。急性心筋梗塞。
前日まで普段と全く変わりがなかった。
亡くした直後も今も変わらないのは、もう一度話しがしたい。
前の日につまらないことでケンカをし、その日も口をきかずに家を出て、そのまま会えなくなってしまって、それからずっと後悔している。
そういう方が出ていらした気がします。
うちの母が、私の反抗期の頃に口を酸っぱくして言っていたことを今でも覚えています。
どんなことがあっても、朝は笑顔で挨拶をしなさい。と。
主人にも伝えましたがピンと来ておらず、喧嘩して何日も口をきいてくれないことがあったのですが、テレビを見たあと「こういうことか」と理解してくれて、それ以来、ケンカを翌日に持ち越すことはなくなりました。
朝は毎日、姿が見えなくなるまで見送っています。
ここに訪れる方々の悲しみを、理解しきることや、癒すことが出来ないのは分かっていますが、共に悲しみ、後世に伝え、今を大事にしようと思います。
急に亡くなった人の最後の留守電を消せなかった経験があるからか、ここを訪れる人の心境が分かる気がする。
泣けてくる。
命のつながり、もっともっと語り継がなくてはいけないと思う。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
ちゃんと魂は生きているから。すぐ近くで聞いているはず。
震災で大切な人を亡くした全ての人の心が、穏やかに癒えますように。
こういう電話、良いですね。
私も、使ってない携帯でやってみようかな。
人間は慣れる生き物だっていうけど、当たり前に毎日が続く幸せは時々思い出して生きたいなぁ
幸いなことに、震災のようなとても辛い経験がありませんが、読んでいたら自分もそこで話したいことが… 普段は何も感じなかったけど、こういう奥底のものって、時折向き合う必要があるんだと思った
ここに行こうと思えたら、それで一歩が踏み出せたって感じるから。
天国にいるご家族に電話で思いのたけをぶつける
あやまったり、今の気持ちを話したりって、日常ではなかなかできませんから。
この電話ボックス設置してくれた方の優しさが身に染みますね
遺族の方々の心が少しでも楽になったらいいなと思います
分かるお話です。
私は、、、家族を津波で事故で亡くしたりはしていません。
しかしながら、、、気持ちがよく分かります。
今が当たり前では無い気持ちが、です。
大切に生きていこう。
そう思います。
中に否定的な意見も見られるが、それこそ当事者にならないと理解出来ない事に他人が文句言うのはお門違いだろ。
そして転職を考え、止める際にこの考えを言ったら『震災を理由にするなど、亡くなった方への冒涜だ』と言われました。
『転職活動をコソコソやるのは卑怯だ』とも言われました。
未だに理解できません。
「2万人が死んだ一つの事件」ではなく「1人が死んだ事件が2万件あった」んだ。
ひとつひとつを癒せる電話、素敵です。
こちらからも深い感謝を申し上げたい。どうも、ありがとう。
どんなにつらいか、、、想像を絶します。
少しでも癒やされる日が来ますようにと祈っています。
自分がいかに震災に向き合っていなかったのかと思った
他人事ではない、誰しもが向き合う現実なのだ
こどもたちにしっかりと教えてあげたい
おこがましいですが、震災でなくなられた遺族の方々の気持ちはすごくわかるような気がします。
これらの人々を勇気付ることは、政府としても考えねば!
ああ、自分は恵まれてるんだといつも気付かされます。
この人たちがそういう事を私に気付かせてくれるだけでこの電話ボックスは意味があるしつながってるんだと思います。
こんな電話の沈黙が、その人の心の底にある言葉を救い上げて何かしらの癒しになるってコトもあるんだな…
この電話のコトは前々から知ってるけど、ずっと残してほしい。
地震は「特別なもの」じゃなくて「フツーに起こるもの」と構えることだと思います。
もちろんと言うか、“発明王”をもってしても、それは完成しなかった。
あっという間の9年間
辛くても前を向いて生きてきたことは事実です
皆さんの心の傷が少しずつでも柔らいでいくことを願っております
でも、生まれてきたことに意味はありません
ただ生まれてきただけなので、「死ぬまでの間、ただ生きる」それだけです
話すって大事だ
出来れば電話相談を開設して欲しい
被災者は2011年で時間が止まっている
その象徴がこの電話機
自分の気持ちと向き合える空間。
そしてそっと背中を押してあげる。
読んでて心が熱くなりました。
子ども達に教えてあげたいですね。
それまで、その時に笑われないように精いっぱい今を生きる
自分は、そう信じています
みんなしっかりその人のぶんまで
最近、ますます涙がもろくなったなぁ。
ずっと忘れません。
普通に赤電話にして電話線につなげばいいのに。
特に子供ができてから感情移入して駄目だなあ。
風の電話の話はもっと多くの人に知って貰いたいですね。
久々に親に電話しようかなぁ…
涙が止まらなかった、あの日から9年・・・・合掌。
それがまたいいのかもしれない
映像で津波の、怖さを知りました。
祈りが届きますよう お祈りしております。
なんて言葉にしたら分からないけど
ありがとう
涙が溢れてしまいました。
職場で読んでいたら涙でてきた。
早く傷が癒える事を祈ります。
管理人の率直な感想
家族、友人、恋人・・・大切な人を突然亡くした時の悲しみは計り知れない。
突然襲ってきた津波。
東北の3月は寒い。
雪が降っている地域もありました。
極寒の中、波にのまれ亡くなるというのは、物凄く苦しく残酷な最期です。
しかも、遺体が見つかれば、その遺体の損傷を遺族や友人たちは目の当たりにしなければならない。
だけど、本当の悲しさは大切な人が突然この世を去ったという事実。
こんな話がありました。
夫と妻と子供の3人家族。
妻は自分の誕生日を前に、優しいけど寡黙な夫に「あ~あ、指輪の一つでも買ってほしいもんだわ」というような言葉を投げかけた。
夫は黙ってそのまま仕事に行った。
数日後、東日本大震災の津波により夫は突然この世を去った。
妻が押入れを整理していると、中から包装されたプレゼントが見つかった。
「誕生日おめでとう」とメッセージが添えられた指輪だった。
後悔や感謝。様々な感情が怒涛のように押し寄せてくる。
そんな話がありました。
この風の電話には、そんな人たちが訪れるのでしょう。
今ある当たり前の生活がいかに幸せなことなのか、僕もそうですし、みなさんが自覚し、それを忘れずにお互いを大切にしあえる世の中になればいいな。
危惧されている南海トラフ。
多くの犠牲者が出ることにより、西日本に風の電話ができることがないように願うばかりです。
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