ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者への嘱託殺人事件で、起訴された医師らが別の難病患者に対して海外での安楽死に必要な書類を偽名で作成した疑いがあることが分かりました。
医師の大久保愉一被告(42)と山本直樹被告(43)は去年11月、難病「ALS」を患っていた女性から依頼を受けて薬物を投与して殺害したとして今月13日に嘱託殺人の罪で起訴されました。その後の捜査関係者への取材で、被告らが別の難病患者ともSNSでやり取りし、海外での安楽死に必要な書類を偽名で作成していた私文書偽造の疑いで京都府警が関係先を家宅捜索していたことが分かりました。被告らは、ALS患者の女性の家を訪れた時にも訪問記録に偽名を記載していました。警察は私文書偽造容疑での立件についても慎重に調べています。
出典:テレ朝NEWS
大久保愉一被告(42)山本直樹被告(43)、海外の自殺幇助団体に安楽死を依頼するため私文書偽造…ネットの声
意思表示することすらできなくなる。
それでも自分が生きていることで、子供達には大きな経済的負担や介護の負担をかけて、人生を変えてしまう。
そういう状況になったら、死を選びたいと私も考えると思う。
難病・延命治療には莫大な医療費が掛かるから
この話はもっと取り上げて議論しなくてはいけません。
むしろなぜ安楽死を認めないのか、その答えが出ないのなら話を進められる様にするべき。
確かに本人の意思は尊重されるべきですが
患者本人への同調圧力で書類にサインさせる
周囲の悪意あるケースも出てくると思います
もう大切な人が苦しむ姿をみたくもないしなにもできない自分を恨みたくない。
このような思いをしないようにしない世の中になってほしい。
両方、認められる時代がきて欲しい。
とりあえず、いずれ、意思確認の出来る成人には、認められるべき時代が来ると思う。
その頃までに死ぬ自由も認められていて欲しい
もちろん金は自分で出すから
オムツとか口腔内は舌苔の為ガーゼで拭かれる
両手骨折で死にたいと思うのだから
ALSとか分かったら発狂しそう
大して治療もせず、放置するだけで儲かる輩がいる。
本当に「生きているだけで丸儲け」というやつだ。
ひどい話です。
不治の病みたいなもんですからね。
姥捨山の文化があった日本…その闇歴史と過ちを、忘れてはいけないと思います。
人命に関して、生産性や合理性を当てはめて考えることは
なんだかなあ
もらって当たり前。
何でわざわざ医師が無償で沢山の尊厳死のお手伝いをするのか?
それと安楽死、尊厳死が認められてないのが自殺が多い一因じゃないかと思ってる。
たしか日本か韓国が世界で一番自殺者が多かったはず。
ちなみに韓国では数年前から条件付きで尊厳死が認められるようになったね。
医者なのかな。家族なのかな。
何のために医者になるのかな。
それに安楽死を選択する自由と共にそれを選択しない強制されない自由も必要であろうし、社会全体としてもう少し考えなければならんだろう。
日本の場合、コロナでも分かる通り社会全体の不利益になるようなことであると、下手すりゃ安楽死でさえしなきゃいけない空気感が作り出されても不思議じゃないし。
苦しむだけでまもなく死ぬことが分かっている状態の自然死だと、まもなくお迎えが来るとわかっていても、いつ死ぬか分からない状態で、自分も周りも不安で苦しいだけ。
私は、出来れば人生最期の日は、大好きな人達に囲まれて、それぞれに御礼を言って、自分のタイミングで幕引きしたいです。
その頃には、日本でもそういう選択が出来る時代になっていて欲しい。
また過剰な「尊厳」の重視は、自殺者を増やす結果になります。
死は最終手段であって、その選択肢に到達するまでにあらゆる努力をすべきと思います。
緩和医療技術の開発と規制緩和も必要です。オピオイドすらも、厳しい使用制限のために適切に使われていません。
実際どうだかわからないにせよ、殺人欲求を満たすために安楽死させたかもしれない事件のトップコメントが安楽死を推進するようなニュアンスでの議論を進めよという内容なのが、むしろ恐ろしく思える
尊厳死の問題とは別であり、一緒に議論すべきではない。
犯人の思想と行動は、一般化され得ない異常なものです。
言葉遊びだよね。
「絶望自死」とかに名前変えた方がいいんじゃないかな?
あるいは「関係者安楽死」とか。
どちらにしても法で認めるようなことではない。
植松被告みたいに重度障害だからといってむやみに殺害してしまうのはどうかと思う。
治療法がある難病でさえも苦痛を見ている親は当事者の苦しみが気が気でなりませんし、第一に考えて当事者の気持ちを優先に行動します
治療法が明確に無い難病に限っては、当事者が希望しているのであれば、安楽死の選択を可能にしてもいいように思えます
苦しんで亡くなるのは辛いし怖い、人間は皆共通なのではないでしょうか
そんなの当事者にならなくても自分がなったら辛いってわかる。
最後に安楽死という逃げ場があれば、症状が進行するまでの人生を死の恐怖からやわらげることができて生活の質も上がると思うんだけど。
人間にはいろんな考えがあるはずなのに、なぜ安楽死だけは日本では検討することすら非難されるのか。
全てお金が目的ならば救いようないですが、根本に、安楽死、尊厳死を深く考え、この国の法にジレンマを受け続けていた上の行為であって欲しいと、ささやかな願いはあります。
それを先に認めてしまえば生きたい人の権利が周囲の意思で踏みにじられることになるし、悪用して殺す人も出て来るだろう
誰にも踏みにじられることなく生きられる権利を得た上でなら安楽死は認められても良いと思う
闘ってる人は本当に凄いと尊敬します、私がもし…と考えたら逃げ出したくなるような気がします。ただ他の方が仰るように回りが安楽死に追い込むような事になってはならないから難しいのかもしれませんね。
誰かが書いていた犯罪に巻き込まれ他人の意思でそうなる人が出ることが阻止できないことも出てくるから出来ないなんて、辛すぎるな。認知症の生活も私にとっては地獄だな。
治療法があろうがなかろうが、その人が苦痛に耐えられないと思ったのなら選択肢の一つとしてあってもいいのではないでしょうか。
安楽死云々より、それが先です。
症状が緩和されるならば生きていたい人はたくさんいます。
目の前で病状が悪化していき亡くなったお母上を見ていたのも、大きかったんだと思う。
じゃあ手足を動かせなくなっても、瞬きとか声で意志表明出来る内に呼べよ。その時本当に死んだ方がマシだったら殺してやる。だから発症するかしないかも確定しないのに、まだその時どう感じるか分からないのに、未来を恐れて今死ぬなんてアホな事抜かすなって、そう言ってしまった。
願わくば【その時】が来るまでに法整備して欲しい。安楽死が約束されているからこそ、ギリギリまで前向きに生きられる人が居ることを、もっとちゃんと考えるべきだと思う。
お荷物になってしまった病人が「ねえいつ死ぬの?」って責められて安楽死に同意してしまうことがないと良いんですが。
今後、生死に関し、やむを得ない状況に対する法整備も必要です。
私の場合は免許証の裏に記入と、別にも意思表示のカードを記入し持っていますので私の意思は明確です。
治らない病気により苦痛と恐怖で生きたくないと考える本人とお迎えが来るまで生きてほしいと考える家族の関係も大変複雑です。
難しい問題です。
とにかく命を繋ぐだけの発想はそろそろやめるべきではないのか?
自分が良いと思う行為をルールを無視して個々人の判断で行っていくと社会は滅茶苦茶になってしまう。
ただ、今回の事件を契機に安楽死の議論が進んでほしいと思う。
子どもの頃の教科書で取り上げられていた記憶はあるがそこから数十年経ってもあまり進んでないように見受けられる。
勿論、すべてのALSの方が、、という訳ではないのはわかります。
ぼくもアルバイトでALSの方と関わる機会がありました。いつも、いつも日記に昨日できたこと、今日出来なくなったことを書いては泣いていました。
死にたい。という言葉も何度も聞きました。
自分の死ぐらいは自分で決められる世界になりたいなぁっと日々思いながら接していました。
このような件に携わった医師は現状は逮捕されたりするけれども、その実、誰がそんなにその罪を問うているのでしょうか?
表に出てこない国民の大半は、1度くらいは考えたことがあるはず…自分にそういう時が来たら、終わりの見えている戦いに常に前向きで最後まで向き合っていけるのかな?って。その時、もし、生きるとは別の選択肢があったなら…って。
議論されるべき問題だと思います。
しかし、現行法で認められていない以上、自分の思想や金銭を優先させ、医師がその手助けをするのは間違っていると思います…。
余命宣告を受けて、どうにも手の施しようがないのならば、選択肢のひとつとして安楽死があれば、本人も家族も準備をし受け入れ、穏やかな最期を迎えられるのではないかと思います。
本人だってそうだと思う。
ただ、苦しみは本人にしかわからないし本人の意思が明白なら尊厳死には賛成です。
自分の意思がしっかり誇示できて大病で完治もできず苦しい最期が予想されるかたにで、それを望む人に対しては賛成なほう
死ぬのやっぱり怖いからやめるとドタキャンする人にも寛容な心であってほしいけど
安楽死、嘱託殺人がなぜダメなのかは「本人が本当にそれを望んでいるのか」の証明が難しいからなの?ならば警察でもなんでも行政関係に立ち会ってもらい事件性がないことを証明しながら行えばいいじゃないかと思う。
まぁ一番いいのは不治の病なんてものが無くなるよう医療が発展することだと思うから、今後も医療関係の方々には頑張っていただきたい。
癌治療の苦痛(抗がん剤)に付け加えて治療で治らなくて痛みを生きている限り受けなくてはならないのであれば、親や家族や本人の同意を基にして許可を出しても良いのではないかと思います。
今回の件は遺族や親族間で誰かが異議を持っていた為に表に出た問題だと私は考えます、なので家族や親族の全てに同意があれば選択肢の一つとしてありって事を認める法律が出来ても良いと私は思います。
また本人の意思だけではなく家族の意思での安楽死にも賛成します。
本人も生き地獄、介護する側も精神的肉体的金銭的にも大変苦労します。しかもその苦労を長く続けても終わりは「死」のみ。
義理の母が実母を介護しているのを見てて痛々しく思いました。
結局義母に残ったものは、喪失感と自身の酷使し続けて壊れた身体の痛みと借金だけ。
ある意味、この医師はそんな患者さんと患者さんのご家族を見てきて法に背いても助けてあげたいと思う優しい方なのかもしれないと思います。
国家として一度考えるべきだと思います。
悪用の可能性は怖いし、重病の人への風当たりを危惧…懸念はたしかにあるかもしれない。けれどそれは悪用されない制度を整備し、モラルや福祉について予算を割き、教育、啓蒙を行うべきこと。
それらの政府の施策問題と、尊厳死という選択を許さないことの問題を一つの問題にすること自体が間違っている気がする。
自分の力で生活ができず、未来を描くことができないくらいの絶望にぶち当たった人にしかわからない苦しみはあると思います。
もちろん議論すべき課題はたくさんあるけれど、もう少し生と死を選択する意味、選択できる権利について考える必要はあるのではないかな。
それらを踏まえて「尊厳死」と呼ばれて然るべきな気がします。
私的な意見としては、その方の病気、進行度、治療法の有無などの状況を考慮して安楽死という選択肢があってもいいんじゃないかと思う。
この医者もすごい覚悟と患者の為を思ってやった事だと思うし、おそらく患者本人が望んだのだろう。
法の改正も少しは視野に入れるべき問題ではないだろうか?
各種報道から彼らの素性を知れば知るほどおよそ安楽死などというものに関わっていい人物ではないと感じる。
安楽死制度は真剣に議論されるべきと考える立場だが、だからといって彼らのような人間に人生の最後を委ねると考えるとゾッとする。
それでも彼らに救いを求めてしまうほど依頼者の苦悩は強かったわけで、現行制度がその苦悩に寄り添えていないことは大いに問題ありだと思う。
父親をガンで亡くしましたが、その際に医師から説明があり、本人と家族同時に誓約書にサインしました。
「人工呼吸器の装着」「心臓マッサージ」等の一時的な延命は不要という内容です。
コロナ禍で思い出しました。
50代後半、心臓に持病あり、30年喫煙し10年前に禁煙しました。
コロナ感染すると重症化する可能性があります。
しかし、会社はテレワーク導入せずに、都内通勤を続けてます。
もしも、コロナに感染し重症化したら、「人口呼吸器」の装着は不要であり、そのまま逝かせてほしいという内容の「要望書」を作成し、家族にもサインしてもらおうと考えてます。
コロナから回復しても後遺症で重篤になり、介護が必要になるならば、
もう、十分に生きたので、人工呼吸器は必要としている人に使用してほしい。
母親は要介護5での認知症で8年間施設にいます。要介護になるのは嫌です
難病の方の置かれた環境や現状等が詰め込まれた内容なのではないかと思います。
壊れた機械とは違い、心があります。
自分も同じ立場なら、安楽死を選ぶと思います。
殺人事件で片付けてはいけない事件だと思います。
それを良い、と言い切ってしまってよい人がいるかもわからないのではあるが。
自分も死ぬ存在である人間にとってはそこに絶対的な正当性の理由を見い出すことができそうにはないからだ。
生き続けるか死を選ぶか、の選択の自由は認められてもよいのでは、と個人的には考えるが、ただそれは真に個人的なものであるべきで、他者を巻き込むことにはやはり解決が困難な倫理的な問題が残ると思う。
ましてそこに金銭の授受が生じる場合は疑問でもある。
望みが無いのならば、せめてその苦痛から解放させてあげる事も大切なのでは?
けれど本人の意思とは違うのにこれを悪用しようとする人は必ずいると思います。必ず。
なので、例えば本人から裁判所に申し立てて、それについて公的に可否を判断する、等のクッションが絶対に必要な案件なのではと感じます。
しかし、ALS患者に賛成派がいるという現実やもし自分が不治の病に罹り生きる事が辛くなった時、自ら死を選ぶという選択肢はあって欲しい。
生きることこそが希望なのではなく、これ以上苦しみたくない、周りの負担をなくしたいという思いを尊重してくれたらと思う。
ただし、誰でもというわけではなく不治の病であることや相続などの生前整理をした者に限るなど条件は必要だと思う。
個人の安楽死に関する法律が無いから、嘱託殺人とか自殺ほう助とかになる。
盲腸の手術で患者の腹を切る医者が傷害罪で逮捕され、犯罪者になるか?
ならない。
今回の安楽死をした女性にも
①何もせずに窒息死
②安楽死
③人口呼吸器装着
という選択肢があれば、こんな事にはならなかった。
「個人の安楽死の自由」を定めた法律を整備し、患者の自由意識で選択できるようにしてほしい。
この事件で医療のあり方が変わる事を願う。
ダメと言う人に安楽死をさせる訳ではないのでサッサと認めてあげればと思う。
自分がそういう状況になったらこのような医師を探したと思うしダメならスイスへ渡ると思う。
日本は永遠に法整備しなそうだから万が一の時の為に渡航費貯めておこう、そう思った。
絶望しかない中、この医師に出会った患者さんはどれだけ安心した事か。
不可避な難病の方が、苦痛と共に生の道を歩み続けることを強いられるのは、心苦しく思いますし、尊厳死という選択肢はあってもいいのかと思います。
しかしながら、「自らの最期を自らで決める尊厳」の下で、安易に自殺を容認するような社会風潮は作りたくありません。
別に安楽死、尊厳死の問題がある。俺の身内に看護師が居るが、普段「俺は延命治療など希望しない。そのときは、バタバタしないで・・。」と言っている患者も、いざその時が来ると「出来る限りの治療」を望む人が殆どだそうだ。
自分が健康な時にこそ、配偶者にだけでも「その時が来たら、自然にまかせて」と残しておくべきだね。ドクターが「どう言う治療を望みますか?」と問われたら、「自然に任せます」と答えることが出来ます。
令和の今の人間を守る法改正に力を入れてほしいです。
ただ医師が患者を殺さなければならないのはどうなのか。医師は患者を治療し治すことが業務なのにこれに矛盾する業務を増やし、医師の負担を増やすのは反対である。
安楽死を合法化するならそれ専門の職業を設ける、もしくは医師がこれ以上の業務、負担を強いられないような仕組みが必要かと思う。
ではもし、安楽死を法的に正当としたときに、安楽死と嘱託殺人の線引きはどうなる
という問題は必ず起きるような気がします。
法整備が整っていないから、闇に頼むしかない。ALSだけでなく、悲しい苦しい最後を迎える病気はたくさんある。体が動かなければ自殺も出来ず、しかも自殺は怖い。薬で死ねるなら、と思って普通だろう。法整備ができれば、「もう一日頑張ってみよう。最悪、楽に死なせてくれる」と、死を選ぶのも後へ後へ延ばせると思う。
呼吸困難で何ヶ月とか。癌で全身に絶え間なく襲う痛みに何ヶ月とか。ただ死を待つのみ。いざなってみると恐怖と絶望感しかない。
しかし、私達は法の下で秩序が守られており特法は認めらない。
寂しいかな、悲しいかな。
それが日本の今の現状です。
みんなで立ち上がり法律を国民の手に戻そう。
今はあまり聞きませんね。
医療が進歩してるのでしょうか。
このお医者さんがやらなきゃ、よく聞く話が増えたんですかね。
人道的な行いって何でしょうか。
でも、それでも生きたいと思っている方もいますよね。そんな方が、追い詰められないといいなと思います。治らない不知の病になった時に、死も選択肢にあるということが、安易な尊厳死に繋がらないように。
管理人の率直な感想
治る見込みがあるのであれば、どんなに苦しんでいても「もう少しの我慢だ、お願いだ」という気持ちになりますが、絶対に助からない病気がこの世には沢山あるわけです。
周囲に醜態(本人が思う)を晒しながら苦しみもがいて、ただただ死を待つしかない地獄の日々。
家族にそのような状況が起きて、「お願いだ、もう耐えられない、安楽死を」と懇願されても、ただただ下を向いて歯を食いしばって泣くしかないのが今の日本です。
それが正しいとは僕も微塵も思いません。
誰だって本当は生きたい。大切な人と生き続けたい。
その絶対的な意志を凌駕するほどの苦しみと絶望。
安楽死は必要だと思います。
ただし、こんな2人に手を下してほしくはない。
自分はいいとしても家族は絶対にダメです。
まあ違法だからこんな2人が出てくるわけですが・・・。
生きる権利と死ぬ権利を同時に持ち出すのは僕は間違っていると思っていて、別々に考えるのが普通でしょう。
それと「不細工も不治の病だから自殺してもいいのか」という内容の意見がありましたが、それは普通に駄目です。整形しましょう。
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