さいたま市内の病院で、入院中の母親の首を絞めて殺害しようとしたとして、50歳の息子が逮捕されました。「楽にしてあげようと思った」などと話しているということです。
殺人未遂の疑いで逮捕されたさいたま市の会社員、新屋陽容疑者(50)は、5日午前4時半ごろ、さいたま市内の病院に入院していた母親の陽子さん(76)の首を絞めて殺害しようとした疑いが持たれています。
警察によりますと、陽子さんは4日から持病が悪化して危篤状態となり、新屋容疑者は病室で付き添っていました。医師や看護師が制止したため、新屋容疑者が首を絞めていたのは数秒間とのことですが、陽子さんはおよそ9時間半後に死亡しました。
新屋容疑者は容疑を認め、「見ているのが耐えられず、楽にしてあげようと思った」などと話しているということです。
参照元:TBS NEWS
ネットの声
『奇跡的に回復してまだまだ生きられたのではないか?可能性0ではなかったかも』と、後悔の心が出る可能性もある
その母親は50歳一人のものではないでしょうし
苦しみ続ける母親が不敏でたまらなかったのかも。
安楽死や尊厳死を実行して後から後悔する人もいるでしょうし
身内が反対する可能性もあるし
スピリチュアルの世界では人間が亡くなる時の苦痛は必要だと聞く、人間はこの世に修行に出されているから、それも修行の1つらしい。
みている人は居なかったのでしょうか。
意識が全く無いわけではなく、朦朧としながらも痛みや苦しさで、、、というなら息子の気持ちも理解はできる。でも、医療機器に囲まれながらも意識なく静かに横になっているだけの状態なら、結局、自分が辛かっただけで、母親の気持ちなんて取って付けて言い訳にしか聞こえない。
息子だからって母親の気持ち全てわかるわけがない。
けど死ぬのがラクなんてのは妄想じゃん
苦しくても生きたい人もいるし
一緒に耐えて欲しかったわ
逝ってしまった母親はラクになったのだろうか
ラクになりたかったのは自分だったんじゃなかろうか
もちろん、無罪になんてなり得っこないけど、数秒首を絞めたことが母親の死にどれだけの影響を与えたのか、与えなかったのか…。
首を絞めた後9時間後に死亡だから、記事だけの情報だとどっちとも考えられる。
更に膵臓がんな母親持ちな自分は明日は我が身、しかもコロナでイベント関係会社廃業した身。親孝行どころか自分が山手線に熱烈キスして果てるかなだよ。
日本がサボって安楽死制度をつくらないから。
安楽死制度をつくらない限り、今後も同じことを繰り返すだけ。
死んだ人から聞いたのでしょうか。
死んだ人にしか分かりません。
同じ境遇になった方以外、共感できないことです。
危篤と言われて父は死ぬまでの3日間ものすごく辛い、苦しい思いをした。
目の前でもがき苦しむ人を見ていると悲しくて苦しくて。
いっそほんの数十秒の苦しみだけで穏やかに亡くなってほしいと願わずにはいられなかった。
何をしてても緊張状態で過ごしています。
昼夜問わずの呼び出し、弱っていく母の状態。
お風呂も入れず、ほぼ寝たきり。
意識がはっきりしているので長生きしてほしい気持ちもありますが、好き物も食べれず、お風呂にも入れず、楽になってほしい気持ちもあります。
その境遇に遭わなければ理解出来ないと思う。
私も身内が末期がんを宣告された時、一分一秒でも長く生きて欲しい思いと苦しみから解放されてほしい気持ちと、毎日葛藤する日々だった。
なんでもない時なら長生きしてねと言えるけど、親が闘病生活をするということは長く生きてほしいと単純に願えるような簡単な事柄ではない。
この人に寄り添い悲しみを共有したり、心のケアをしてくれる人がいたら違った結果であったかもしれない。この事件で語ることがあるならそういうことではないのかな。
病気になって、いつもどこか調子が悪くて、どうして生かされているのか不思議なくらいで、周りの人には気を遣わせて、家族に迷惑をかけて…そんな中で生きていくのは、辛い。
そういう人を目の当たりにするのも、辛い。
人それぞれ価値観は違うけど、この件もある種の愛情故なんだと思うと、簡単には責められない。
今の医療なら、鎮痛剤もかなり強力なものがあって、延命を希望しない終末期には、それん使ってもらえるものだと思っていたんだけど…。
2人きりでいて、苦しい殺して!なんて言われたら、確かに切ないよね。
でも、首に手を回す前に、ナースコールを押そう。
延命の治療費
だから亡くなった時、悲しいし泣いたけれど、みんなで「頑張ったね、お疲れさまだね」って声をかけました。
この男性も、見ていられなかったのかもしれない、と私は思います。もちろんいけないことですけれど。
そんな理想的なことほとんどない
多かれ少なかれ死ぬ直前は皆もがきます
だとしたら相当な自己中野郎だな。
そんな事できないよ普通は。
一秒でも長く生きて欲しいと思う。
理解できない。
私も家族が亡くなる間際の数時間、あまりの苦しみに喘いで痙攣を起こしているのを見て、いっそ今すぐ死なせてあげられたらどんなに楽だろかと考えました
何か薬で楽に眠るように亡くなれたらいいんですけど
この方の事情はわかりませんが、家族の苦しむ姿を見るのは本当につらいです
一分一秒でも長生きしてほしいとは思えないこともあります
親が苦しむ姿を見たくなかった、介護に疲れて危篤から持ち直すことに絶望した、恨みがあった、遺産狙い等々どうとでも解釈出来る
何があったのかもう少し情報が欲しい、想像だけでは責められない
愛してるからこそ、苦しむ時間を減らしたかったのでは。
辛いね、入院も金掛かるし、金持ちならOKやけど、貧乏人には辛いよ。
最後まで看病をすれば良かったのに。
なんで、首しめちゃうの?
危篤だから、家の人が呼ばれたのに・・
最後には、きっとね。お母さん・・涙・・してる。
管理人の率直な感想
物凄く悲しい事件です。
母親の病名が不明ですが、見ているのが耐えられなかったと語っています。
相当苦しんでいたと推測します。
見るに堪えず、母親のためにも考察を図るが周囲にいた医師や看護師に止められ失敗。
結局、母親はそのまま9時間半後に死亡。
つまり容疑者が行ったことは、無駄に罪を背負っただけということになるのです。
そして母親は、息子に首を絞められ、その記憶を最後に亡くなっていったことになる。
こんな悲劇があるでしょうか。
常々思うんですよ。
人は、なぜ亡くなるときに痛かったり苦しい思いをするように出来ているんだろうと。
人だけではなく動物も同じですが、なぜ命が潰えるときに苦痛を味わうように作られているのか。
こと人間に関しては、「家族」という一種の群れで生活するので、病に関する苦悩は時にこういった悲しい物語を作り出す。
そこに愛があるからこそ生まれてしまう悲劇なのですが・・・。
僕は無神論者ですが、有神論者の方々に「これも神の思し召しなの?何の意味があるの?」と聞いてみたい。
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