2011年3月11日、国内観測史上最大規模の巨大地震は、東北を中心に甚大な津波の被害をもたらしました。
宮城県石巻市もまた、巨大な津波が町を襲いました。
娘を亡くした西城江津子さんは、「忘れられない記憶。春音を失ったことも、どん底に落とされたような記憶しか残らない」と話します。
西城さんの次女、春音ちゃんを乗せた幼稚園の送迎バスは地震後、子どもたちを送るため高台にあった幼稚園から海側に出発しました。
バスは津波に巻き込まれ、春音ちゃんを含む園児5人と女性職員1人が犠牲になりました。
「発見した時は、変わり果てた姿で真っ黒焦げだった。触れることはできたけど、抱きしめると壊れてしまう。焦げているので少し触るだけではがれてくる。だから大事に大事に毛布にくるんだ」と、西城さんは振り返ります。
将来は幼稚園の先生になりたかったという春音ちゃん。夢に向かって歩むことも、家族が春音ちゃんの成長を見守ることもかないませんでした。
それでも、家族にとって春音ちゃんと共に歩んできた10年でした。
西城さんは「自分が思い描くのは、亡くなった時の春音。写真の中の春音。一緒に成長したいし、年を重ねていくから誕生会もやる。中学校に上がる時にも、学校に頼んで名札を作ってもらった。春音と一緒に生きていく、一緒に年をとって生きていくと思っている」
人災だとされる日和山幼稚園バス。
我々は大震災の後に被災地や被災者の前向きさや美談に目を向けがちだが、その裏で人災による残酷な亡くなり方をした犠牲者がいたことを忘れてはならない。
10年前のあの日・・・。
ネット上では日和山幼稚園バス送迎事故について物議を醸している。
宮城県石巻市・3.11日和幼稚園バス送迎事故【ネットの声】
津波にのまれて園バスから流されたドライバーは意識が戻ってすぐに園長にバスの場所知らせたのによく調べもせず親にも場所を報告せず“どうせ助かってないだろう”と放置。その後、火が回ってきて…。
園児は溺死でなく焼死。つまり適切に救助してたら助かってた。
園の災害マニュアルには、津波発生時は園に留まると書いてあったのに帰したのも園長の判断。
判断ミスで津波に飲まれただけならまだしも、その後がれきに埋もれたバスの中で生きて助けを求めていたらしい子どもたちが、救助されることなく焼かれたんですね…。
あまりに酷い…。
がれきで助けられなかったにしても、親御さん達はせめて救助活動を行いたかっただろうに。
結局謝りもしてないし
毎日、いや週に一回でもいざというときのことをほんの少しでも思い描くことができていたなら、こんなことにはならなかった。
人の命を預かる者は、この心構えを忘れないで。
普通じゃないからこういう結果になったのか。
例え最悪な結果になっていたとしても、真っ先に行ってあげたいと思うでしょ。
我が子でも同じ対応をしたのかな?ふざけるなって言葉しか出てこない…。
遺体をちょっと触っただけで崩れ落ちてしまうなんて、親御さんにしてみれば本当にたまらなく辛いですよね。
園のマニュアルも幼稚園の先生誰一人見たことないというのも驚きました。
謝ったら負けなんて思うのは、子供より何より自分が可愛くて大切だから。
その園長はいまどこで何を思ってるのでしょうか。地獄に落ちろ…と思う。
運転手も子供達を見捨てて一人だけ…。
誰か止められる人が数人いれば状況は間違いなく変わっていたでしょう。
津波から火災までは10時間も猶予があったのに
この報道がその通りなら酷過ぎる。
回答は高台の園にとどまるの一つしか無い。
複数も回答がある事案じゃない。
まさか?そんなことも忘れてしまって悠々自適の生活を送っているんじゃないだろうな!
12人以上いれば別のバスだったのに、その日は11人。
園長の判断も含めて最悪が重なってしまった結果でした。娘さんや親御さんの気持ちを思うと辛すぎます。
何の慰めにもならないけれど、せめて犠牲になった子どもたちのことを忘れないでいようと思う。子どもたちのご冥福と、ご遺族が少しでも心安らかに過ごせることを祈る。
水が多かったから断念したとのことで、当時の状況はわからないけど、親に知らせたら大挙して助けに行くわなあ。
火災が来たのは夜にかけてだからあるいは助かった命もあるかもしれないと思うと。
当時、本気で正解だと思っていたのなら、それは「あれは間違ってたよねぇー」で済む話じゃないし、じさつ行為を推奨していたようなもの。
それがわからないのは痛すぎる。
しかし状況の読みが悪すぎる。
無念すぎる。
皆年月と共に忘れてしまうって、石巻の人が言っていました。
私達は若い世代に、忘れられない位何っ回も伝えていかなきゃですね。
謝ったところで生き返るわけじゃないし
でも、もっとまともに対応できてればと…
黒焦げは避けられたと思う。
そもそも高台にあるのに大地震の後海側へ子供を帰しに行くってあり得ないとは思って見てました
親が何と言っても親ごと園にとどまってもらうのが常識
結局子供を預かるという責任が嫌だったんだろうね、さっさと親へ渡してしまえば自分の責任はなくなると
悪いのは園長ですね。
当然、当時の園長たちは今はいないよね?
よくも、しゃあしゃあと災害訓練してますなんて記事出せんな
よく読まないと駄目ですね
恐怖や絶望は計り知れない
何が許せないかって園の責任者が非を認めず未だに遺族に謝罪してないんだよ
バスの運転手は、流されたバスの場所を園側に伝えたのに、園長はもう助からないと諦め保護者にも連絡しなかった。この子たちは津波による溺死で亡くなってない。火が回って来て焼死してるんです。震災時のマニュアルも保育士含め全員確認した事が無かったと。高台にあった保育園が、地震後に海側に車を走らせるなんて狂気の沙汰です。
最後のひとりの迎えの保護者が到着するまで園は責任を持って保護する。
これ、基本的では?
我が子が通った幼稚園も小学校も同じ説明をしていたよ。
結果論ではなく、誤った判断による人災だと思うけどな。
問題は海に向かって勝手にバス走らせたことだけじゃない。運転手がきちんと被災を報告していれば、後から見に来た園長がきちんと誰かに助けを求めていれば、助かった命だったかもしれない。津波後の対応が、人としておかしかった。そんな人だからこそ、遺族に謝りもしないのだろう。
少なくとも、ベストを尽くした上で、駄目だったなら、親御さんもまだ納得は出来るだろう。でも、これに関しては、未曾有の災害だったから、とか、結果論とかのレベルの話ではない。
当時は情報が行き渡ってなくて、「裁判起こすなんてクレーマーだ、カネ目当てか」みたいな、心無いコメントが溢れ返っていて、全然関係ない自分でも悔しさのあまり泣いたことを覚えてる。ましてや身内の方々の想いはいかばかりか。時間が、少しでも心を癒やしてくれることを、祈っています。
そもそも震災の際は親御さんが迎えに来るまで高台にある園に待機って定められていたんですよ
結果論ではなく防げた事故を人為的に引き起こした単なるミスです
仕事でも、マニュアルにない事態ならこれから気をつけようねで済みますが、マニュアルに明記してあるのに独自判断して損失出したら処分は免れないですよ
屋上に避難したのにそれを上回る津波に襲われたケースとは訳が違います。地震で道路が寸断されている可能性、帰宅先の家屋が倒壊している可能性、帰宅しても家族がいない可能性、家族が園に子供を迎えに来たら入れ違いになる可能性、擁護できませんよ。
リンチは良くないですが、人災として教訓とすべきものだと思います。
責任の追及とかもう別の話でただ悲しくて辛い。
辛すぎて途中で読むの止めました…
バスからは深夜まで子供が助けを呼ぶ声が聞こえていたが、近隣住民は見つけられず、震災による周辺の火事に巻き込まれて亡くなったお子さんですね。
当時同じ年頃の子がいて、本当に胸が痛んだニュースです。
まず、ラジオネットなどでも情報収集をしない、しかし、立地は高台で、園前の道路は避難者で溢れていた。
避難を呼びかける有線放送はガンガン流されていた。
にも拘らず、海抜0m地帯へ園児を送り出すと言う行動に出る。
結果として、津波到来時にバスに乗車していた園児らは亡くなり
出立後早めに降りた園児らは親と共に園のある高台へ避難したと記憶している。
園は高台なので無事である。
一方で高台から園児らの乗ったバスは目撃されており、子供らの鳴く声が夜まで聞こえたと証言されている。
非常事態とはいえいくらなんでもこの対応はあるの?ってレベル
未曾有の事態だからしょうがなかったで済ませていいわけでは無いと思う・・・
適切な避難をせずに海側に行って園児を送迎って…責任者の許されないミスだと思います。
遺族が裁判起こした当時はネットでは遺族側がモンペ扱いされて叩かれてましたね、かわいそうに。
10年経ち、知らなかったことや、被災されたかたの苦しみを改めて思いました。
バスの運行をするに当たっての責任者であるのに自分だけ逃げるとは…
自分が犠牲になろうとも子供達を助けるのがつとめだろう。
阪神大震災もあったのでその時の影響でも対応見直しはかかってますよね
しかしだな。この件は確実に人災。ドライバーはなぜ自分だけ逃げて、助けない?助けを求めない?確か理由が茫然自失だったから、とかありえない感じだった記憶が…。
よくこの時期に家族や知り合いを目の前で助けられず罪の意識を背負った人の記事を目にするが、この人こそ誰か取材して当時の本心を語ってほしい。
検証から得られる知見は多いのだから。
検証と非難を一緒くたにすると、おかしな感情論になってしまう。
タイミングよく駅にいても、もし出口が瓦礫で塞がれたら・・・。
もし地下鉄が走行中に停まって、停電したら・・・。
もたもたしてるうちに、津波がきたら・・・。
地下にいて水没したら・・・。
助かる気がしない。
それでも「もし、あの時」と、親なら思ってしまいますよね。
亡くなった子達と娘が同年代なので、心が痛みます。
この時点で園児らは生存しており、日が暮れて暗くなってから「子供の泣き声が海の方から聞こえる」と証言もあり
バス運転手らが脱出したルートを使えば、園児らの乗車したバスへはたどり着くことが可能であり
直ぐに救助を求めれば、その時点で生存していた園児らは助ける事が可能であったと考えられるが
園は園児らの遭難届けも出さずに勝手に死んだと決めつけ何もしなかった
結果、園児らはその後夜に発生した火事にて死亡したとの検死結果である
もちろんネット情報も確認しない、さらに、周囲には避難する人々で溢れており、避難情報も警報も出ているのに一切無視
園児の命を預かっている立場にあって、大地震だしさっさと園児を帰せとバスを出させる。
降園させてしまえば後はどうなっても関係ないと考えたのでしょう。
一部をいうとバスに乗っていたのは本来違うコースの園児達
進めなくなり、助けを呼ぶといって運転手だけバスの鍵をかけて園長に伝えにいく。
運転手逃亡。
園長、有志の捜索隊に伝えずに1人でみにいき瓦礫で通れず無理と判断し、帰る。
この時点では園児達は生きていた。
その後、火事に巻き込まれて死亡。
2日後?事情を知っていたメディアが運転手を隣町で発見。事実が発覚する
亡くなった園児達は園の対応の不味さによって見殺しにされたんですね
これは訴えられて当たり前だし見ていて本当に悲しくなった
災害時に同じ悲劇を繰り返さないように企業や学校や幼稚園等の施設での訓練はもちろん
一人一人が住んでいる地域に起こり得る災害リスクを把握し適切に対処できるようにしなければいけないのかなと思いました
コメント欄にもありましたが
バスの運転手みたいに個人の質が低いと救える命も救えないですね
災害大国だからこそ個々の質も大事になると思います
園児たちは溺死ではなく焼死なんです
津波では死なず、その後の津波火災で火が回るまで生きていたということ
いろんな住民が場所まではわからずとも夜までバスが見つかったあたりで子供達の泣き声を聞いています
なんの罪もない幼い子達が、寒くて暗い中待ち続けた末に、火に焼かれて死ぬなんて…。
こんなむごいことあっていいのか。
やっぱりこの世に神も仏もないわ。
考えただけで胸が痛い…記事読んで子どもの前で泣いてしまった。
自分が同じ親の立場なら絶対に許せない。
津波の高さは予測できなくとも、目の前に海がある立地なのに山から降りていったらダメだ。
法律的には人災です。
あの日裏山に雪は大して積もってなかった。
それは当時避難してた生存者の証言で判明している。では誰が雪で登れないといったのか?
実はそれを言ったのは、一人だけ生き残った教師です。
一回だけ行った市教委の説明会で一人生存した教師は裏山に倒木、積雪で避難断念と言ったが、参加してた生存者市民がそんなものなかったと反論。
教師と市は虚偽説明について一切説明せず、説明会そのものを全て中止して一切隠匿した。市教委は教師を休職させ、裁判にも出廷させず嘘をついて責任逃れを図った事実を未だに隠蔽している。
大川小は訓練怠りの人災でした。本当に地元の人なら全て知ってるはずですが。
外出して助かった校長も行方不明児童の捜索を完全無視して当時のPTA会長もこいつらのせいだったかと激怒してたというのに、大嘘吐きめ。
自分がその輪の中にいたとして、皆の反対を押し切って「裏山に逃げなければ死ぬぞ!」と全員を移動させられたかどうか。たぶん、成り行きをハラハラ見守りつつ、「津波が来ないといいな。来ないよ、うん」と正常化バイアスを心に張ったんじゃないかな。
あれだけの大きな揺れですから、山崩れの可能性を先生方が危惧していたとしてもおかしくはありませんし、その判断も責められるものではないともいます。
まあ、なぜあの避難経路を取ったのか、今となっては誰もわからないことですが…。
誰も責められない…という意見だけならまだしも、訴訟を起こした遺族を心無い言葉で揶揄したり罵倒する人間の思考が理解出来ない。
校長が裁判で認めてますから、人災じゃないと書き込んでる連中は嘘を書き込んでるってことです。
誰かを責められるような状況ではなかったと思うが、人間というものは誰かに責任を押し付けないと現実を飲み込めないものなのでしょうね。
釜石の奇跡では「てんでんこ」に逃げたことを賛美していたけれど、もしも釜石で避難した先に大津波が来ていたら、訓練どおりに避難させなかったことは学校の責任として大いに責められたことでしょう。仕方ないことですが、結果ありきの部分は否めません。
ちなみに釜石では、誰かが発した「津波が来る、逃げろ!」という声に促されて逃げた人を見て、半信半疑の人もとりあえず逃げたとか。大川小でも、何かのトリガーで半数が裏山に逃げ始めたら、もう誰にも止めることはできなかったはず。パニックが起こらなかったのも不幸な要因だったと思います。
子供が津波が来るから山へ逃げようとしたのに無理やり戻らせて結局は死なせた
自由にさせていた方が何人かでも助かった可能性があったのに
崖が危険だからと言ってとどめたんだよね
権力を持った無知な人間が一番怖い
私は関東大震災の時のことを経験した祖母から話を聞きました。
私の母校の小学校はあちこちで地震の後に起きた火災があつまり火災旋風になりせっかく避難されてきた人々がたくさん死んだこと聞いています。今でもこの話は忘れていませんから、後世に伝えることは1大事ですね。
それだけ高い場所にあるのです
判断ミスと言われてもしょうがない
結果は重大です
やはりどんなに石に刻んでもそうした記憶というのは、50年、100年という単位になると薄れてしまうものなのだろうか。
今度こそは残せるといいが。
抱きしめる時の思い、、、涙が出ます
なぜ、地震後に高台から海側に移動したんだろう?
この体験記は、今後の教訓に必ず活かしていかねばならない。
想像を絶する体験です。
どれほど辛かったか。
もう読むのも辛かったけど、今後の災害でこのような人を一人でも出さないように、教訓として多くの人が記憶に留めてほしい。
地震時は高台の園で待機のマニュアルを無視して、バスの運行予定も無視して運行、津波に。
津波では助かったが、助けを呼ぶとバスに鍵をかけ、運転手だけ園に戻る。
園長は、有志の捜索隊に伝えずに1人で見に行き、無理と判断、帰る。
バスからは、深夜まで子供が助けを呼ぶ声が聞こえていたが、近隣住民は見つけられず、火災に巻き込まれて亡くなった…
そして未だに遺族への謝罪はなし。
未曾有の災害だったからとか、結果論とかのレベルの話ではない。
当時は情報が行き渡ってなくて、ご遺族に対して「裁判起こすなんてクレーマーだ、カネ目当てか」みたいな、心無いコメントがヤフコメに溢れ返っていて、全然関係ない自分でも悔しさのあまり泣いたことを覚えている。
ましてや身内の方々の想いはいかばかりか。時間が、少しでも心を癒やしてくれることを、祈っています。
それを目の当たりにした衝撃と、その後の心の傷を一生抱えて生活していかなければならない重責がどれほど人を苦しめるか・・・。
人の命を預かるすべての人間は、その苦しみを今一度理解してほしい。
本当にかわいそうです。10年前と違って子供を持つ身になって初めて身につまされました。
自分のこどもがそんな状況になったと仮定しただけで頭がおかしくなりそう。
天災で起こる被害の大きさは誰にも想像できないから、せめて一番安全な行動や最大級の備えをするべきだと、改めて思います。
幼稚園の経営方針や、園長の考えや、バスの運転手すべてに責任があり、原因があります。
当事者の人達は、あれから普通に生活してるのでしょうか?
一歩間違えれば、殺人事件です。
幼稚園を経営する事を、もっと前にやめる事もできたはずです。
子供を預かるきびしさも、本当に考えていたのでしょうか?
当時の先生達も、なぜバスを出すことに反対しなかったのでしょうか?
いつか、証言をするべきだと思います。
誰も、日和幼稚園の事は、納得していないはずです。
これからは避難も大事だけど、行政や政治家、役人が、津波から守る街づくりをしていかないといけないのね。
管理人の率直な感想
3.11。
「もし、あの日に戻ることが出来たなら」と、多くの人が何度も考える。
でも戻れない。
ならば語り継ごう。
東日本大震災から丸10年。
今までも節々にテレビなどで東日本大震災の特集が組まれ、そのたびに被災地や被災者の当時と今を観てきました。
当時の津波の映像が流れ、そして今こうして頑張っているという姿を映した番組が多いです。
しかし、報道されない悲惨な現実が存在するんです。
これを語り継がなくてどうするんですか。
過去の悲惨な映像と今の綺麗な現状を切り取った特集なんてハリボテです。
想像を絶する恐怖と苦しみの中、亡くなっていった子供たちがいる。
根本は震災でも、原因は大人。
綺麗な部分だけではなく、そういった現実があったことを忘れてはならない。
日和山幼稚園の件は顕著な例です。
酷すぎる。
ほぼ全てコメントで書かれていますが・・・。
大川小学校の件も同様。
大川小の件は、地元の爺さんが裏山に避難するのを反対したとの証言もありますが、もみ消されてしまった。
その爺さんたちも子供と一緒に亡くなったので死人に口なし。
市長が大川小の慰霊碑の前で謝罪したときには「市長が謝ることではない」「市長が謝るのは酷だ」との声があったほどです。市長は『謝罪役』に過ぎなかったし、全員がそれを分かっていた。
日和山幼稚園で「どうせ死んだろ」と判断し知らんぷりした園長や、助けることができたのにトンズラした運転手は今何を思っているのでしょう。
10年を境に「これからも復興頑張ろう!」も当然ですし応援しますが、人災により非業の死を遂げた悲しき子供達への弔いも忘れてはなりません。
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