福岡県宗像市を発着点として10月21日に開催された全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、レース中に脚を故障した選手が四つんばいで進んだ一件は、今後の駅伝の大会運営に問題点を突きつけた。大学、実業団のランナーが主力の大半を占める日本長距離界において、駅伝が東京五輪の選手強化の軸の一つであることに変わりはない。賛否の議論が巻き起こったこの一件を考える。
アクシデントが起こったのは2区(3.6キロ)だった。岩谷産業(大阪市)の選手が終盤に転倒。選手は立てなくなり、残り約200メートルの距離を四つんばいで進んだ。
選手はたすきをつないだ後の診断で右すね骨折の大けがを負っていたことが分かった。
この件についてのネット上での議論を考える。
参照元:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181030-00010011-nishispo-spo
みなさんの声
しかし何度も指摘してるのですが、今回の件でなぜ三井住友海上の脱水症状がより問題視されないのでしょうか?
こんなこと書くとまた批判されそうだけど骨折は痛いだけです。
何か所も同時に骨折して痛みによるショック死はあるかもしれませんが、骨折が直接の原因で死に至るなんてことはほぼありません。
ちなみに僕は3回骨折したことありますから、骨折の痛みは人より弁えている方だと思います。
一方の脱水症状。
これは選手生命どころか生命そのものを失いかねない危険なものです。
折り返し点でもなんでもない所でUターンしちゃうなんて意識が混濁してなきゃ絶対ありえない。
たまたま沿道に草地があって本能的にそこに倒れこんでくれたから良かったけど、あのまま続けてたら最悪の事態になってた可能性だってあったと思う。
あの場面で棄権させることができなかった係員には猛省を促したい。
情緒の面と機能の面を混同している人がかなりいる。
今回の件で言えば「止めるべき」という意見に対し
「選手の意思に対する批判」という反応をすること。
これらは本来、別個のものとして考えなくてはいけない。
この選手の姿を見て頑張ってるなり
感動したなり等の印象を受けるのは情緒の部分の話。
一方で重大な事故を回避するため
競技を中断するかの判断を誰がするのか、
その基準はどのようにするのかというのは機能の話。
つまりこの選手は根性があるし感動したけど
止めなきゃ駄目だよねという意見に矛盾はないということ。
先にも述べた通りこの件に限らず
或いはヤフコメに限らずこういった類の混同が溢れていて
判断を誤らせる大きな要因になっているように思う。
これだけであれば簡単に解決できる。なぜなら運営管理車が沢山散らかっているんだが、全車大会運営側の指示が一斉に伝わるようにすればいいこと、無線機能を使い本部の指示が伝わるようにすることなんて可能だ。倒れてからタスキがつながる手前20メートルということは5分以上ガタガタしていたということになる。であれば三井の岡本さんはもっと時間がかかっていた、こちらはどうよ、となるよ。岡本さんは三井の関係者がすぐそばに来て棄権とした。岩谷の選手はいうなれば協会側の不手際なんだから謝罪の必要がある。この大会は問題になるトラブルは2通りあるということを忘れている。もう一点、岩谷は選手が少ないんではないかな、中継点でも補佐が不足していたんではないかな、もし補佐がいれば、監督の指示が出れば200メートルなんて1分で行き着くよ。大人の責任逃れは見苦しい。
あの状況なら私も這いつくばってでもゴールに向かったでしょう。
競技者というものは、そういうものなのです。責任感というより、悔しさが先にたつのです。あのレベルの競技者は、本当にたいへんな練習と、全てを競技のためにという日常生活を経て、あの場にいるのです。
ああなると、辛かった練習の事が脳裏に浮かびます。やりたかった事を我慢して毎日を過ごしてきたのに何でこうなるの、と思います。
そして最後は競技者が持つ闘争本能とアドレナリンが身体を理性を感覚をも超えていきます。
自分を壊してでもです。
ゴールしたけど途中の記憶がなかったという事はよくありました。
彼女も自分の状況を把握できていなかったのではないでしょうか?
監督に言われる前に止めてあげる仕組みを作ってあげるべきです。明らかにそういう場面でした。
長距離を目的地まで届けるのが本来。
とある報道ゲストが、競技者が続行不能、困難になったとき、後続がその場からスタートすれば?という提案が『目に鱗』だった。
確かにこれなら本来の姿が保たれる。
もちろん、チームの結果にとっては、マイナスとなるけど、繋ごうとする、受け取ろうとする選手にとってはプラスになると思うんだけどな。
これがアスリート(魂)ファーストじゃないかな?
これなら各チーム平等だしチームとしての新たな戦略も生まれると思う。
現に今回のは骨折の件もあったし、トップを走る選手の脱水症もあったしね。
スタメンじゃない選手が各パートを帆走するのも有りかも。
もちろん、それを総指揮する監督の手腕も必要。
失格ではなく、+時間なら無理しなくて済むから選手生命も守れる結果に繋がると思う。
ただ、一律に○分じゃなくて、残りの距離から算出した時間にすれば誰からも文句が出ないのでは?
走る距離からも変わるだろうから設定は難しいかもしれないけど、選手を守る為ならやるべきだと思う。
あとは、監督の方に要望として、体調不良の選手は出さないでほしいってこと。無理して走らせて棄権してるケースを何度も見てきてる。
陸連も監督ももっと選手の事を大事にして欲しい。
いたずらに選手や、そこにいた審判員により重圧をかけてしまうだけ。
あれは、競技に携わったことのある人にしかわからない心情が働いたと思うし、そういうことを含めた上で、ルール改訂を真剣に協議する機会としてほしい。
確かにタスキをつなぐことは大事だろうけど、
間違っても選手に障害が残ったり、命の危険に晒されるようなことは絶対避けなければいけない。
だからこそ、より明確なルール整備が必要。
選手は責任を感じながら走ってるからそう簡単には棄権はしないと思うので無理をするだろう、だから監督やチームスタッフなりが棄権の時は選手に駆け寄り止めるのが一番明確だと思う。
今回の件を教訓に次の大会では今回の様な状況を想定した運営をして欲しい。
選手は走りたい、ゴールしたい。監督は心配して止めるかどうか選手に問う。審判は状況を見て判断するが、選手の気持ちを考えて判断する場面もある。
もういい加減、叩くのやめたらって思う。
100%違うだろって事なら納得するが、今回の件のようなことで叩きすぎだと思う。
選手の気持ちわかるのか?監督、審判の気持ちわかるのか?
と、声を大きくして言いたい。
四つんばいでタスキを繋いだ事を、黙って見守ってやれないものだろうか。感動するも、反論するも良いが、本人達に伝わらないように、心の中で留めておけないものだろうか。
批判の書き込みで、一生懸命やっている人が傷ついているのがわからないのでしょうか。とても悲しい世の中になったもんだな・・・。
今回のように選手にアクシデントが起きたりすると、口では悲壮感いっぱいに煽りまくり、でも内心ではオイシイ見せ場だ!と興奮しまくっているのが分かる気がして本当に嫌だ。
九州一周方式は、とてもよい考えだと思う。
まず、駅伝の中でも特に注目度の高い箱根駅伝で、来年からでもぜひ採用してもらいたい。
箱根で採用されれば、他の駅伝でも採用しやすくなるのではないかと思うので。
選手にとって一生のトラウマになるかもしれないということを考えると
あれでよかったとも、止めるべきだったとも言えない。
アスリートが怪我をしているにも関わらず
試合に強行出場するというケースは、過去に何度もある。
それで金メダルを取った人もいる。
それが美談になるのか、それとも批判炎上するのか、
その境界線がはっきりしないことには、
何を言っても「自分はこう思う」というただの感想になってしまう。
心から尊敬したいし感動した。
高校野球でもそうだが、出場選手たちが否定していない物を
外野が否定するのは如何か。
本人たちが人生を賭して挑んでいる勝負を見守りたい。
ただ、今回の事例で言うと監督が棄権を申し出ているのに
それが審判や選手に伝わらなかったのは運営上の問題。
決定権や責任者が誰かを明確にし
選手の生命を確実に守る仕組みを形成しないといけない。
もうかれこれ25年も前にこういうルールが設定されてた訳でしょ?
ちゃんと何か考えないと。
長距離走という競技は誰しも経験があると思うけど、基本、他のスポーツの様に途中休憩ができない。できない訳じゃないが、高レベルの大会ではそんな事してたら即OUT。
アクシデントでスピードダウンすれば、もはや優勝云々の話にはならないにせよ、チームとして、あと個人の区間記録は残るような仕組みは作るべき。
問題点はこの一点だと思うが。
選手に意思確認したら、百人居れば百人全員が競技続行を望むに決まっている。
それを止めるのが監督と審判の役目であって、監督が棄権と言っているのだから審判はその場ですぐに棄権させるべき。
本来ならスポーツは選手の自己判断によるものです。球技などのチームスポーツにおいても、自己中心的なプレーをするか、献身的なプレーをするかは選手の判断です。
しかし駅伝ではチームのつながりがたった一本のタスキであり、それがなければ他の選手、ひいてはチーム全体の競技続行ができなくなるという連帯責任の仕組みとなっている極めて特殊なスポーツです。
それ故に日本でこれだけの人気があるのでしょうが、そうした魅力と今回のような問題が表裏一体ということなのでしょう。
これはあらゆる場面において完全に淘汰するという事はなかなかできないだろう。それが日本人だから。
せめて、負傷したらその場で運営側が中止させると厳格化して、もし情に絆されて躊躇したら厳罰を科す、ぐらい決めた方がいいかもしれない。
いずれにしても今回こういう形で顕在化したが、次はどういう形で現れるか予想はつかない。一つ一つ潰してゆくしかない。
今回の怪我が、今後の選手生命を脅かすことにならなければ良いですが。
団体競技の中でも、駅伝って一人ひとりの背中に責任が乗っかってくる。とてもプレッシャーだと思います。故に誰かの判断ではなく、きちっとしたルール作りが必要なのだと思います。
足を骨折したまま走って、選手生命が絶たれようと命はとられないけど、脱水状態の選手は死ぬんだよ。
しかも、今回の駅伝は学生じゃなくて実業団の言わばプロなんだから、19歳で選手生命が無くなろうと本人が判断するべきだろう。
ボクシングの試合でも命の危険があれば、審判が即座に止めに入るのに駅伝のルールが整備されてないことが一番悪い。
あまり無理してしまうと、足を化膿したり、大事にいたってしまう結果だったかもしれません。
選手生命を脅かす事になってたかもしれません。
これを美談としたり、迷惑かけてはいけないんだと選手たちの心に刻むようなことが起これば、足をくじいても無理に走り続けたり、歩き続けたりして、神経に支障を来したりもこの先もあるのかもしれません。
棄権とならないよう、人間は具合が悪くなることだってありますし、団体戦の場合は補欠を許可したらいいのに。
「伝統」なのはわかるけど、でもヤル気がある人ほど故障でも他の選手に迷惑かけないように無理しようとするし、だからといって競技自体は日本国内のローカルなものの上にそこで活躍した選手が他の国際競技で良い成果を出してるかというとそういうこともないし、これは場合によっては「もっと長距離や短距離の国際ルールで可能性があった人も、駅伝に出たいからで駅伝の一区間に特化した選手で終わってしまっている」ことが多数なのでは。
「一人欠けると全てが終わり」なんて「団体の中の一人が負ける」とは全ての点で違いすぎる。現代で今後も競技として続けて行くにはあまりにも「一人の責任が大きすぎる」のではないだろうか。
「『棄権になるから』という理由で判断が鈍ってしまうより、生き残る可能性を残しておけば、早い段階で決断できる。審判も答えを出しやすい」
は、重要な指摘ですよ。
箱根駅伝で途中棄権をしたチームを率いていた指導者が異口同音に口にしたのは、
当該選手の心の傷と選手生命、そして、チームへ与える有形無形の影響などを考慮することで生じる、
棄権という決断を下すまでの葛藤でしたからね。
アクシデントや怪我が条件であれば残りの距離×適度な秒数で待機時間を設定して次走者がスタートできるルールを決めたら選手も無茶をしないし役員も無理をさせないで止める環境が生まれると思うのですが
一番の問題は、繋がなくては他者に迷惑をかけるっていう自己犠牲の精神からくるものだと思うのですよ
骨折が悪化して二度と走れないとかヒザの傷から黴菌が入って切断とか将来の生活に影響する事態にならなかったから良かったけど、もしそうなってたら批難はこんなものじゃすまない。
”もし”って飲酒運転とかと同じで事故らなければ良いってもんじゃなく最悪な事態を考えて安全に競技をするべきですね。
走れなくなった時点で次のランナーが逆走してタスキを受け取るという規定でもいいと思います。
たとえ、タスキ受け渡ししてすぐ走れなくなったとしても。
アンカーだとそうはいかないと思いますが、控えランナーがゴール地点から逆走して、タスキを受け取ってもいいのではないでしょうか。
残業せざるを得ない空気を出すのは職場のパワハラです。
ならば、一生治らない傷害の可能性が有ってもタスキを繋げなければならない空気を出すなら、それは「スポハラ」です。
スポハラが当たり前のスポーツであるなら、駅伝は禁止すべきだと思います。
例え、大人が自分の意思で参加するのは許容したとしても、未成年の学生は禁止すべきでしょう。
選手の責任感はもちろん、早めに決断したらしたで、
なんでもっと頑張らなかったのとか、そういう悔しさや罪悪感もああるだろうし。
当事者は無我夢中で、冷静な状態ではないと思うから、
周りが止める制度を作るのが必要だと思う。
選手が死んでも走りたいと願っても、怪我や危険な症状で命に関わる場合、周りは止め切る、無理させないシステムを作らないと。それこそが、将来に渡ってアスリートを守る行為でもある。
具体的に何もせず、無責任に応援だけして眺めてるのは、見殺しと言う。もしくは責任逃れ。
襷が繋がらなかったらその場でレースが終わる。
この大会の為にチームは練習してきたのだから…。
襷が渡らなかったら選手としたら申し訳なかったでは済まないだろう。
選手個人として、選ばれた自負と自責を果たしたいというプライドはどうなの?と
選手をやっていない人間からは「プライドより命、健康」という言葉が簡単に出るんだろうけど(苦労を知らない人は気が楽でいい)
こういった時の失敗が後々の性格に影響することだってあるだろうと考えると、外野がどうこう言う問題じゃない
皆の思いは、タスキ同様に重いが、意外にも、結果は軽い。
個人的には、即中止 が正しいと思っています。
しかし、四つんばいはこの子が選んだ道・・・涙無くしては見れなかったが、本当にこの子の将来のためになってほしい・・・
一流選手は距離で調整しているから厳しいとは思いますが。助け合えるような意味で、失格と完走では多少気持ちも違うのでは?
そりゃ本人は続けると言うでしょう
そもそもの転んだ地点が残り数メートルならいざ知らず
監督からの情報伝達の遅さもお粗末だけど、タイムラグがあるならDRストップが必要でしょう
なぜ伴走車に医師なりが乗ってないのか?脱水の選手もそうだけど直ぐにCPRが必要な状態になったら手遅れになるでしょ
脱水症状のほうはすぐ止めるべきだが。
それよりも甲子園の決勝戦での吉田の球数のほうがだれか止めるべきだったろう。
選手生命より本当の命が危険かどうかを判断するのが医者の仕事だから医者に丸投げしないで指導者も考えるべき。
ルール上どうなってるのかわからないけど、他のスポーツからすると監督の扱いがどうなっているのだろうかと思う。
例)以下の行為をした場合、棄権若しくは失格とする。
1.走者は2足での移動が○○秒以上できない場合
2.2足での移動ができるが、蛇行等により他の競技者の妨害を行う危険性がある場合
時間等は議論すべきではあるけど、こういったルールを設けるだけで少しは改善されると思う。
これを全ての駅伝において取り入れてほしい(棄権という選択肢もあり)。例えば箱根の1区残り2キロで棄権するようなチームが出ても逆に2区で面白い展開が見られるかも。
(もちろん1人で30キロ走るような厳しい展開にもなるだろうが)
記載の方法のような、選手団決断しやすいルールも一案でしょうし、監督の指示がすぐに現場に伝わり、それが絶対(大会役員、係員の判断は不要)というルールも必要だと思います。
女子の場合は距離が短いので、2分プラスでいいでしょう。
この方法もいいと思うが、
二足歩行ができず前進できない状態になったら、審判は途中棄権を勧告するというのも1つの方法ではないかと思う。
本人がたすきをつなげたいとしてるのを係員が無理に止められないし止めるべきではないと思う。
四つんばいの選手を止める止めないの議論をするなら、どうして脱水で逆方向に走ってしまうまで誰も止めなかったのか。私には脱水症状の選手の方がヤバいと思った。
手だけで這って味方の陣に戻る。
そうできなれば死ぬだけだ。
この選手がそういう覚悟で駅伝に出たなら
誰が何を言おうが、この選手はどうしても
たすきを次に渡したかった。
組織的にどうのこうのと…TVで駅伝を
観て楽しんでいるだけの人が解ったような
事を言っても、まったく含蓄はない。
医者に確認されても本人は棄権しなかった。
何が何でもたすきを次に渡したかったんだ。
その気持ちには組織もルールも関係ない。
純粋な彼女の気持ちなのだ。
それを讃えて上げるだけにしておこう。
だとしたら、はってたすきを繋ぐ以前にレースに出るべきじゃなかった。はってでも完走しなきゃならない大事なレースなら、コンディションが整わない時点で自ら辞退するのが選手の責任感だよ。その点からも、本件は断じて美談ではない。
まとめ
僕はこの件に関して凄く憤りを感じていて、今回のみなさんのコメントの中にも共感できるものが少なからずあった。
監督は棄権するように促したんですよね。
でも選手は棄権しなかった。
出来なかったのかもしれないし、「棄権」という選択肢も当然分かっていての行動だったのかもしれない。
監督が言ってましたね。
「これは美談ではない」
はあ??
いいか?美談かどうか決めるのはテメーじゃねーし
本人だって美談にしたくてあんな四つん這いで血を流したわけじゃねーだろうが。
社会人駅伝だろ。
ガキの遊びじゃねーんだ、本人だっていろいろ抱えてるものがあんだろ。
あの子の人生はテメーのもんじゃねーの!
目の前で言ってやりたい。
自分の言うことを聞かなかったから、そんなウンコが屁こいたようなこと言ってんのか?
僕が最後にやったスポーツは格闘技でした。
マラソンとは畑違いになりますが、まあ監督の怒号が試合中に飛んでくるんですよね。
「もっと自分から動け!その攻め方じゃ勝てねえぞ!立て早く!!」
そんなの戦ってる自分が一番わかってるよ!ってお話です。
それに「わかってっから!言っとくけど、こいつアンタより全然強いよ?」とは言えないじゃないですか。
何様ですか、監督様だよとでも言いますか?
今この記事を見ている人の中にも、何かしらの競技を教える立場にある方がいらっしゃるかもしれない。
自分のために教えているのですか。
選手のためを思って接していますか。
是非とも聞いてみたい。
多くの方が注目しているように、ルールの見直しの必要性は大きいと思います。
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