「売春島」と呼ばれた三重県志摩市の渡鹿野島『実際に行ったことがある人たちの話』

スポンサーリンク
スポンサーリンク


伊勢志摩国立公園内に浮かぶ三重県志摩市の渡鹿野島(わたかのじま)。漁業と観光業が主な産業で、周囲約7キロ、約180人余りが暮らす小さな島はかつて「売春島」と呼ばれた。長年、風評に苦しめられてきた島だが、10月に初めて修学旅行生が島内に宿泊した。住民らは対岸と結ぶ渡り船から下船する修学旅行生を歓迎。「島の歴史が変わる一日」。そんな声が聞こえるなど、島のイメージを変えたいという思いが伝わる。

10月13日夕、同市内での真珠加工、滋賀県内での信楽焼づくり、シーカヤックなどを体験するため4グループに分かれていた大阪府立長吉高校(大阪市平野区)の2年生約120人が分乗した渡し船が渡鹿野島の港桟橋に到着した。生徒たちが下船すると、地元の観光関係者、志摩市のPRキャラクター「しまこさん」の着ぐるみなどが拍手と笑顔で出迎えた。

宿泊したのは桟橋近くの温泉観光旅館「福寿荘」。修学旅行生が島に宿泊したのは初めてのことだ。同校を含め12月までに大阪や三重県内、福岡などの小中学校、高校で計10校の修学旅行の宿泊の予約が入っているという。

コロナ禍の中で

長吉高校と島を結び付けたのは新型コロナウイルス禍。感染拡大の影響で修学旅行の中止・延期が相次ぐ中、同校も昨年は修学旅行を取りやめた。今年は、コロナ関係で不測の事態が生じた場合、保護者が車で迎えにいける範囲内で旅行先を探していた。沖縄など定番スポットへの修学旅行が困難な状況の中、体験学習や伊勢神宮など周辺の観光施設を取り入れ、大阪の営業拠点を中心に修学旅行誘致に力を入れていた福寿荘を宿泊先に選んだという。

同校の上本雅也校長(59)は「生徒たちは地元のおもてなしの気持ちを本当に感じていた。宿泊先に選んで成功だった」と話した。

負のイメージ根強く

渡鹿野島は江戸時代に船が立ち寄る「風待ちの島」として船乗り相手の遊郭が栄えた。昭和の終わりから平成の初めにかけては週刊誌などで「売春島」として取り上げられ、今もSNS(会員制交流サイト)での書き込みが目につく。

実際、女性を紹介したとされる飲食店宿泊施設、女性たちが暮らしていたマンションやアパートなどの建物が廃虚のように島内に残っている。

島で暮らし続けているという男性(72)は「数十年前は桟橋裏側の通りが夜になると男性であふれていた」と振り返る。

閉店後も看板が残る飲食店跡近くに住む女性も「(5年前の)伊勢志摩サミット前までは店を訪れる客を見かけた」という。

「売春島」と呼ばれたころのイメージが根強く残っているが、上本校長は「インターネットなどで島のこうした一面を知ったが、生徒を宿泊させることに校内で異論はなかった」と話す。

「ハートアイランド」

上空から見ると、渡鹿野島はハートの形に見える。地元は「ハートアイランド」と名付け、対岸から渡し船で約5分と手軽な伊勢志摩観光の島にと力を入れている。

修学旅行生が宿泊した福寿荘によると、今は男性よりも女性の宿泊が多く、近くにテーマパーク「志摩スペイン村」があることから家族連れも増えているという。

ただ、観光の島として認知されるにはまだまだ時間がかかりそうだ。市や市観光協会によると、島を訪れる観光客は昭和50年代から平成の初めまでは11万~14万人で推移。その後は、改元効果で伊勢神宮周辺が注目された令和元年こそ8万人を超えたが、4万~7万人台にとどまる。コロナ禍の影響を受けた昨年は3万6千人だった。

観光関係の仕事に就く男性は「料理や温泉も含め、島にはこれといった目玉がない。一度島に来てそれで終わりでは長続きしない」という。

とはいえ、負のイメージから脱却するための模索は続いている。地元は島内に放置されている廃虚となった建物の撤去について、他の自治体の事例も踏まえ、公的支援を受けられないか探っている。

修学旅行の誘致もその一環になる。福寿荘の担当者は「コロナ禍で修学旅行先が見直されている。定番の旅行先以外の選択肢も広がってきた」と話す。

木村圭仁朗社長(79)は「初めての修学旅行生が宿泊した日は島の歴史が変わる一日になった」と期待を膨らませる。

参照元:https://www.iza.ne.jp/article/20211101-CRFTIG3FFNJFNGPHFQ7SAIQUSU/

渡鹿野島に実際に行ったことがある人たちの体験談&見解【ネットの声】

名無しさん
20年以上前ですが、そんな島とは知らずにスペイン村観光のあとに連れ合いと宿泊した事があります。
渡し船は不定期で往来しており何と風情豊かな小島なんだろと感じたのですが、狭い街を歩けば何かそれらしい古びたスナックとかホテル夕食会場にはミニスカの茶髪のお姉さんが行き来してピンクコンパニオンにしては‘おやっ‘と思ったね。
風俗ネタを知ったのはそれからだいぶあとでした。
名無しさん
島ってのは歴史を遡れば、暗部があるものなんだよ。
島に限らず、村社会って暗部はあるし、日本は島や村以外に地方単位でも暗部を抱えている。
それは文化だ。
否定せずに、掘り起こさずに、ゆっくり馴染んでいけば良い。
名無しさん
先月、女友達3人で行ってきました。
ちょうどその日も大阪から修学旅行生が来ていました。港には、ハート型のイルミネーションがあり夜はとても綺麗でした。
ホテルの従業員の方たちもとてもフレンドリーで、若い外国人のスタッフも一生懸命に心のこもった対応をしてくださいました。
島にはホントに何もないですが、ゆっくり時間が流れているように感じて癒されて帰ってきました。
是非、また行きたいと思っています。


名無しさん
都会の忙しい人には癒されていいんですね
名無しさん
潮待ち港で遊郭があった町で昔の街並みが残る観光地となっていてその中に花魁にまつわる悲しい話も観光案内に出る場所もありますがそれは江戸時代の遠い過去の出来事だからに対して渡野鹿島の場合は現代、令和間近までそういう売春が当たり前の様に行われていたからです。内容の詳しい事はぼかしてますが、有名な紀行作家が平成の時代に普通に島を観光に訪れた話を書いた紀行文でもそういう事がある島だと匂わす話が出るくらい常態化してました。
名無しさん
ここの場合は古くから連綿と続いていた商売というよりは、戦後のある時によそから乗り込んできた人がそういう役割の島として定義した。
風待ちの島の遊郭ではなく、戦後勃興した風俗街みたいなもんです。
名無しさん
大分前に行った事があるが、宴会のコンパニオンが、宴会終了が近づくと、それなりの交渉を始める。そして、交渉成立した者が宴会場から消えていく感じだった。
名無しさん
実際に、この島が売春島である時の事を知っています。
船でしか渡れ無い事から、警察の手入れも無く(船で警察が来ても、直ぐばれて行為を中止してしまうので検挙不可能)、売春の聖地となっていました。
島内に居る女性であれば、スナック店員でも旅館の踊り子でも、誰でも売春OKとして有名でした。
なので売春島と言われ、売春関係者とその家族以外は住んでいない状況でした。
これからは、何か観光の目玉を作って、観光で生きて行けたら良いですね。


名無しさん
ちょっと前に一泊で泊まりに行きました。
とても良い島でしたよ?過去がどうのこうの言うよりも今が大事ではないでしょうか?
渡船で渡って非日常の一泊の体験。
素敵でした。
過去は過去として尊重して今を大事にすれば良いと思います。
名無しさん
30年位前に仕事で渡鹿野島に行った時、そういう島だと初めて知ったし、実際にそういう島だった。
でも今は違うのなら、別に批判される事は無いと思いますが。
名無しさん
これからは普通に観光業が栄えると良いな
名無しさん
去年の夏に家族で福寿荘にいったけど、とても良かった。
船で渡るのも非日常で子供は喜ぶし、宿は港の目の前で島の中に入る感じではないから昔の建物とかも見ることはないかな。
宿も料理もとてもよくて、この料理でこの値段はリーズナブルだと思うほど。
温泉もスーパー銭湯みたいな感じで色々あり、子供は喜んでた。
海水浴もできるし、子連れにはとてもよかったです。
翌日はスペイン村へいきました。
スペイン村も小さな子供にはめちゃくちゃオススメ。
名無しさん
これこそ温故知新でいいのでは?
過去を隠蔽しようとすればするほどその記憶は怪物のように膨張するものだしね。
海外の観光地でも、過去の遊郭の歴史とかを織り込んで積極的にPRしているのが普通だよ。
『昔はこうだったんだよね、で、今はこう。』でOK。
むしろ、20年後にはそんな過去も忘れ去られて「昔は売春島っていわれていたのに、今や観光地。これで良かったのかな。なんとなく寂しいし、負の歴史も大切にするべきでは?」などとコメ欄で言われてそう。
過去を抱きしめて、これからを生きましょうよ。


名無しさん
20年ほど前に何も知らず、当時付き合ってた方と宿泊したことがあります。
渡し船で直接ホテルに横付けしそのまま館内へ案内され、広いお部屋で海を眺めながらゆっくり過ごしました。何より海の幸が美味かったこと!
そして一番に記憶に残っているのが、翌朝帰る時桟橋で渡し船を待ってた時、太陽が燦々と輝く青く透き通った海を覗くと魚がいっぱい泳いでいて眺めていると、船待ちの私たちのお見送りで来ていたホテル従業員さんが魚の種類を説明してくれて、船に乗った後も手を振ってお見送りしてくれたことでした。おもてなしってこういうことをいうんだろうなと感じた瞬間で、また行きたいって思いました。
帰った後、まさかの売春島だったことに驚いたが、言われてみれば船で直接ホテルに入ってホテルから見える景色は海だけだったので、当時から決別しようと苦労してたんだなと思いました。何もないけどあの景色とおもてなしは忘れられない思い出です。
名無しさん
もう20年程前から、件の商売は成り立ってないし、ネットの情報では、想像や又聞きで書いてるから手順等誤ったものが多い。
私の経験なので15年程前になるが、まず直で旅館を予約し、そのプランにコンパニオン宴会がある。4人コンパニオンが来て、2人島外(比較的若い)2人が島内。島内の2人が宴会後の提案をしてくる。それを受けると、宴会後に近くの喫茶店に行き、島内の二人を含めた複数の女から選ぶ(外国人の年齢高め多い)。その後、その女性が普段生活しているアパートや戸建てに行き、サービスを受ける という流れ。
自由恋愛を前提とした、極めて現代的な風俗で。そもそも歴史ある色街という感じではない。
名無しさん
去年から普段学生の受け入れをしない旅館が積極的に学生を受け入れするようになったのは、単純に客がいないからで、いかにも歓迎して受け入れをしているという旅館の方のコメントはちょっと違うと思う。
名無しさん
福寿荘だけが島の観光を引っ張ってるイメージ。
漁師以外の住民は何をしているのだろう。島民の努力が足りない。
みんな本土に置いてあるマイカーで鵜方に買い物に出かけ、渡し船で戻ってくる。
スペイン村やマリンランドがあった賢島も含めて、志摩観光としての魅力が弱すぎるのは残念に思う。
伊勢や鳥羽は観光客で溢れてるのに。
下田や三浦も先端で遠いけど観光客いっぱいです。
名無しさん
名古屋に転勤で住んでいた時に、そうとは知らずに何年か空けて2回泊まりに行った。
1回目は年末年始に宿が取れず、旅行代理店の人が紹介してくれた。高かったので残っていたんだなぁ〜と思っていた。
2回目は妊娠中のこれまた年末年始。前に行ってお風呂も料理も良かったし、伊勢神宮にも行きたかったのでそこにした。小さい船も楽しかった。
そんな歴史があったとはね。


名無しさん
三重県伊勢志摩では有名。
売春島……とは言葉が悪いけど確かに少し異様な雰囲気ではあった。
しかし、この先
学生だけでなく皆が気軽に訪れることの出来る街になっていくことを強く希望する。
名無しさん
そもそも日本も戦前までは吉原とか売春合法だったし(戦後数年も貧困により赤線など半ば公然だったわけだし、確か政府が一般婦女子を守るために米兵相手の売春宿を運営してた時期もあったくらいだし)日本中いろんなところで昔遊郭だったなんて場所はいくらでもあるでしょう
今現在も風俗街ならともかく、普通の町なのに、なぜこの島だけがいまだにイメージ悪いのか
名無しさん
長吉高校、地元では長高と呼ばれ、自分は別の高校でしたが隣にある中学に通ってたので、長高の生徒が修学旅行に行けたのは良かった!
渡鹿野島のピンクな歴史があるのは知ってましたがその島に修学旅行に行ったのは驚いたし、攻めたなぁと感心しました。
コロナで修学旅行に行けないのは辛いし、旅行者完全ウエルカムな島の観光業の人達からしたらお互いwin-winで言う事なしです。
また今でもピンク系の建物などが廃墟として残ってるのでこの島の歴史を学ぶ観点でも色々見て回ってくれたのかな?
名無しさん
国立公園内の島なので釣りなどは規制されているのだろうか。人工的なレジャー施設を作っても他の巨額投資されているレジャー施設に勝てるハズも無いから、自然と触れあえるような事を魅力として発信できたら素晴らしいのではないか。
名無しさん
若い時慰安旅行で行ったことがある。
料理がすごく豪華で感激したが、そういった島ということは帰りに知った。
社長さんよ、今だからいうが、女性半分以上いる会社が慰安旅行に選ぶところではないよね。
でも料理が忘れられないぐらい豪華で美味しかった。若き日の思い出です。


名無しさん
子供が修学旅行で泊まりました。団体だからか、お料理はイマイチだったようです。
サミットのときにも週刊誌に面白おかしく書かれていましたね。
個人客も団体も、大切におもてなしすれば数年後には大きく変わっていくと思います。
名無しさん
昔は港や宿場町なら多かれ少なかれそんな話があったのだから、「かつてそういう事もありましたが今は長閑で良い島です。観光に来てください」でいいんじゃないの。
名無しさん
今はどうだか知らないが昔一度訪れたことがあるが、当時は昼間は渡し船の値段が50円だったが夕方16時頃から値段が少しづつ上がり始め、夜19時を過ぎると渡船料が500円にまで跳ね上がっていてびっくりしたのを覚えている。
名無しさん
せっかく行ったなら、そう言った時代背景や人権問題などについて学ぶ機会だと思います。小学生には難しいかも知れませんが、中高生ぐらいなら小説の中に遊郭とかでてきますし。
まあ、島の方にも今の生活があるから難しいかも知れませんが。
いつか行ってみたいです。
名無しさん
新しい島の今の記事で、良いこと。
一方で、渡鹿野島の売春問題を追っていた、辻出記者の失踪から20年以上。
時は経ったが、こちらは風化させないでほしい。


名無しさん
古い廃墟のような建物を改修したりで官民協同で宿やレストランなどを呼び寄せ、島が活性化すれば過去の負のイメージなど遠い彼方となるであろう。
ニューヨーク市長のジュリアーニ氏が暗く、危険なニューヨーク市のイメージを一新させた。
やり方でどうにでもなるとおもう。
名無しさん
以前何も知らずに家族旅行で行きました。
お料理も美味しくて良かったのでリピートしたくらい。
ホテル内のラウンジ前で客引きしてるホステスさんと宿泊客の男性のやり取りが変な雰囲気で子供に見せたくなかったな〜という位です。
そういう歴史があることを知ったのはここ数年。
名無しさん
当時はそれでよしとしていたわけで昔からの住民が否定するのはおかしいと思った。けど今の時代には合わないからイメージ変えていく必要はある。
名無しさん
ただ単に大人が決めたからと島に行くだけではなく、過去を学んだ上で若い人たちが島を体験してイメージを変えてくれたらいいですね。
名無しさん
私も半世紀以上前に、まだ知る人も殆どいなかった大久野島に家族旅行で行った事がある。戦前は地図からも消されていた毒ガス製造島だったが、そんな歴史勉強も含めて、思い出に残る夏休みだったと思う。


名無しさん
コロナ前に家族で福寿荘さんを利用しましたがとても穏やかなところで良い時間を過ごさせてもらいました。
過去をいつまでも穿り返して何度も記事にするのは営業妨害だと思います。
名無しさん
旅館の窓から見れるロケーションは最高
海の無い県からの客でしたら、きっとオアシスに思える事でしょうね。
名無しさん
自分も若かった30年以上前にこの島に2回ほど行ったがいまだにその時のイメージが消えないぐらいだからイメージ回復はたいへんだと思う
特に当時を知らない今の若い人たちは都市伝説みたいな形で語り継ぐと思うし
記事にあるように渡船で5分ほど渡る小さな島だが当時の船頭さんたちはみんな手の指が欠損していたのはよく覚えている
また置屋のようなところがあるわけでもなく宴会のコンパニオンから食事店みたいなところでも昼夜関わらず相手してくれる女性がいたのも今考えれば異世界ですね
値段は島内で統一されていてショートで2万、泊まりで4万だったはず
ただ自分が行った頃は日本人女性は2割ぐらいしかいなかったんじゃないのかなぁ
名無しさん
私は団体で、45年程の大昔、5、6人の和船で管理売春。九州出身の女性が多いと寝泊りしてる4.5か6畳部屋
棚にソラ色のスーツケースが・なんともいえない想いが・
名無しさん
20年くらい前にゼミの卒業旅行として女子だけで行きました。当時60歳の母でも全く反対なく、昔売春島って言われてたんだよー!程度で、それよりも金額の安さ、料理、温泉の内容が素晴らしく、母からもいいなー!と言われたくらいです。風評被害が逆に安く美味しく泊まれて学生だった私達には最高でした。1泊1万円で舟盛りと飲み放題つきましたからね(笑)


名無しさん
島がそう呼ばれているのは知っていましたが、福寿荘に宿泊しとても良いところだと思いました。静かな環境で温泉と伊勢料理が楽しめました。修学旅行で行けるなんて羨ましい限りです。
名無しさん
廃墟をつぶしてなくしてこぎれいなペンション建てたりして過去を消そうとするのではなく、いかなる過去も受け入れて前に進もうとするべきだね。
名無しさん
日本はどこに行ったって何かしらある
江戸時代、処刑場だった交差点とか普通に車が走ってる。昔は昔、今は今
名無しさん
連絡船は、出港時間が決まってなく、桟橋に人がいれば、対岸から来てくれます。つまり対岸の桟橋に人がいるか、肉眼で見えるほど近い所にある島です。
名無しさん
安全で清潔な島が広まれば、一般観光客も入るだろうけど、そうすると水商売も復活するだろうね…


名無しさん
渡鹿野島の歴史が変わったのは、『伊勢志摩サミット』があってから!
これで止めを刺されました・・・
名無しさん
三重県民ではありませんが三重県っていいところです
鳥羽市相差の石神さんには嫁と良く行きます
名無しさん
一昨年、船で渡り1泊しましたが、本当に静かで素敵な場所でした。夜になると満天の星空。おすすめスポットです。
名無しさん
この島を取材していた女記者が行方不明になったことは伏せたまま?
島の権力者と警察が無かったことにしているあの件は?
このまま観光地にして島の住民たちは心が病まないの?今も昔もお金のためなら風紀治安は気にしない因習のある
島で、修学旅行とかやっていいの?
しかも未成年の男女でこの島に泊まるんでしょ?
何が起きるんだろうね?
祟を甘く見てはいけないよ。
名無しさん
20年くらい前に行きました。女衒に引っ張って来られたような悲壮感はなく、目的を持って稼ぎに来てた明るい女性が多かったですよ。しかしもうそんな時代ではないのですね。食べ物と景色で充分訪れる価値ありです。


名無しさん
何回か温泉目的で行ったけど、普通の島だった
子供向けの釣り遊びや海水浴とかファミリー客も多かった
名無しさん
日間賀島とか篠島みたいに、忘年会島みたいにしたり、家族でちょっとお出かけみたいに、県内のちょっとお出かけ島みたいにしたらいいし、フェスとかやったらいい。
名無しさん
逆に廃墟をもっとオープンな施設にして、誰でも入れるクリーンな記念館や料亭にしたらと思ったけど、多分そういう商売をしてる吉原などの店ほど凝ってないんだろうな。
名無しさん
今の風俗とは違って扱いとしては遊郭に近く、女の子達は借金で売られてきて島からは逃げれなかった。それは島ぐるみで人身売買を黙認してたから成り立ってた。その過去を総括せずまるで風評被害のように被害者ヅラなのはどうなの?
名無しさん
色街は全国どこでもあるけど、この島は、女性雑誌記者が失踪してる関係でやっぱり闇だと思う。


名無しさん
一体どのような人がどのような生活を行って来たか、この渡鹿野島に限らずですがタイムスリップした気分で色々探るとワクワクします。こうしたことを先の時代にもどんどん伝えていきたいと思います。
名無しさん
“そういう島”だったのは外人女性が客の相手をするようになっていた2000年代冒頭の頃までだろう。負の歴史を掘り返しても将来にはつながらない。
名無しさん
過去に散々甘い汁を吸っていたのに、時代の流れやサミットを境に取締りがきつくなってからの、黒歴史扱い。
人間って勝手だね。
名無しさん
バブルの時期に社員旅行で行きました
何も知らずに行ったので驚きの連続、つたや旅館に泊まってスナック青い鳥へ行き
その後は想像にまかせます。
名無しさん
過去は過去として、今は未来の事について考えよう


名無しさん
ここの島にある「はいふう」という旅館、すごい良かったですよ!
名無しさん
島一周したけど、何もなかったな。海はあるけど、釣り場はあるのかな?
名無しさん
忘れなあかん歴史もあるね。
明るい希望が見えるわたかの島やと思う。
名無しさん
数年前に何も知らずに家族で宿泊したけど、とても良い所でしたよ。
名無しさん
横道に逸れますが、鬼滅で遊郭編とかやってるのにこっちは批判されるのって変ですよね。


名無しさん
せっかくスイムの伝統があるんだから、トライアスロンをすればいいと思うw
名無しさん
今の軍艦島のように、観光地になってほしい。
今はフツーの島です。
名無しさん
昨年行って来た釣り仲間が言うには、今は若い女はいなくて婆さんか外人しかいないと言ってました、しかし釣りには最高の島だったらしいです。
名無しさん
その事実を知らず旅行にいきました。とても良かったイメージしかありません。
名無しさん
負の歴史だろうがそれは歴史の事実
隠す必要もない


名無しさん
15年ぐらい前はお〇こ島と呼ばれていましたね。
名無しさん
無事に修学旅行終わって全員帰られること祈ります!
名無しさん
20年以上前、旅行会社に勤めていたころ、本当に渡鹿野島のことなにも知らずに、福寿草とか勧めてよく売っていました。(笑)
名無しさん
気をつけろ。すでなスカウトは始まっているぞ。
名無しさん
お一人様歓迎の宿があるのなら行ってみたい。


名無しさん
根本敬がM県W島って書いてたところやね
名無しさん
負のイメージってお前らそれで潤ったじゃねーか。今更何ゆってんだ
名無しさん
あの辺りの海は、夜には夜光虫が青く光って綺麗に見えたなぁ〜
名無しさん
こんな何も無い所で何を修学すると言うんだ?
名無しさん
なにもないっていいけどなぁ。


名無しさん
これは、逆手に取りましょう。女性の人権問題を考える、良い教育材料になりますよ。
名無しさん
この島は素晴らしいく姿を変えました。しかし、この世には性を売りにする商売が沢山ある。その全てを排除出来る事を心から願う。
名無しさん
実際、この島の現状はめちゃくちゃだと、生還した記者に聞きました。現在でも取材に行った方が帰ってきてないと聞きます。だるま女性もいてるとも。
もっとこの辺りは調べた方がいいです。にょうが島。
名無しさん
売春島は売春島やで…それで村全体が潤ったんやから受け入れて認めてからじゃないと発展しないよね!
名無しさん
今は信じられないですが、裸の女性がお客さんを外で勧誘してました。無法地帯。懐かしい思い出です。


名無しさん
夏でも混雑する事無くゆっくりと過ごせる廃墟マニアには良い島です。
名無しさん
消防団御一行様がよく行っていました。
名無しさん
素晴らしい島ですね!
名無しさん
元愛知県民だが、売春島なんて大昔の話だろ。
名無しさん
昔は慰安旅行で人気だったな。


管理人の率直な感想

一日あれば周れそうな島です。
正直、自分が高校生の時にこの島が修学旅行先だったら落胆します。
しかし、大人になった今なら歴史を学習するのもいいし、のんびりするのにもいいし、是非とも行ってみたいと思っています。

この島の話ではありませんが、だいぶ前に遊郭だった建造物を取り壊すという記事で、地元の人は「イメージが悪い」と言い、地元民以外の人は「残すべきだ」と賛否があったのを覚えています。
僕としては、趣のある建物だし、そういった歴史も含め価値のあるものだと感じました。

この島の場合は、土地に根付いた歴史の問題ですから、そこから脱却するには難儀すると思います。
都会に住む僕としては「何もない島ですが」「今は普通ですよ」だけでいいと思います。
実際に行った人のコメントで「ゆっくり時間が流れているように感じて癒されて帰ってきました」というものがありますが、僕が求めているのもまさにそれです。
何事も自然体がいい。


コメント