「プロポーズの手紙を全国放送するなんてありえない」「遺族はそっとしておくべきだ」
北海道・知床半島沖で観光船「KAZU 1(カズワン)」が沈没した事故から5月23日で1か月。犠牲者や行方不明者に関する報道と家族への取材が過熱し、ネット上では「家族取材の是非」を問う声が広がっている。
被害者遺族の立場から見て、どんな報道が必要なのか。取材のあり方はどう有るべきか。BuzzFeed Newsは、2006年に突然の事件で愛娘を失った中谷加代子さんを取材。深い悲しみに暮れながらも、記者やカメラの前に立ってきた経緯を聞いた。
事件を振り返る
中谷さんの長女・歩さん(当時20歳)は2006年8月、通学先の高専(山口県)で同級生の少年(当時19歳)に殺害された。少年は逃走。山口県警は逮捕状を取り、全国に指名手配して行方を追っていた。中谷さんと夫は少年の一刻も早い逮捕を望み、事件直後から記者会見という形で報道陣の取材に応じた。しかし、公開捜査の申し入れを予定していた日、少年は遺体で発見された。県警は自殺と判断。捜査は、「被疑者死亡による不起訴」というかたちで終わった。
山口県警は少年の逮捕状を取った時点から、当時の少年法の観点から氏名や服装を公開せず、「周南市内に住む少年(19)」と発表した(読売新聞、2006年9月8日)。一方、週刊新潮は「凶悪事件」として少年が逃走中の段階で実名と顔写真を報道。自殺が判明した時点で読売新聞、日本テレビ、テレビ朝日が「少年法の対象外となった」などの理由で実名報道に踏み切った(同、10月30日)。校内での殺人という事件の衝撃性に加え、少年法と報道を巡る議論も過熱した。
中谷さんは勤めていた市役所を事件から6年後の2012年に退職し、山口被害者支援センターの養成講座を受講。「同じ悲しみをうまないように」と、講演活動を続けるほか、刑務所を訪問して受刑者と向き合う活動を行っている。
ほっぺたの感触
ーー事件が起きたことをどのように知ったのでしょうか?
その日、いつもと違ったことがありました。職場の席に夫からのメモが置かれていたんです。「歩が学校で倒れた。迎えに行ってくる」と書いてありました。あれ?今朝、歩を送った時は元気だったのに、と不思議に思いました。夫に電話をしても「保健室で待たされちょってわからん」ということでした。私も帰宅して病院に行く支度をしていました。その後、何度か夫に電話して、やっと通じたと思ったら、今度は夫がずっと黙っているんです。「どうしたんかね」と聞くと、夫は「歩が死んだ」と言いました。
「何を言いよるんじゃろうか。ちゃんと確かめたんかね」と話していました。その後、友人から「テレビに出とる」と電話がかかってきました。電源をつけると、ニュース速報が出ていました。「高専5年、死亡」ーー。呆然としていると、夫が刑事さんと自宅に帰ってきました。警察署に行くことになり、自宅を出ると記者が2人ほどいましたが、「何もわからない」と伝えて車に乗り込みました。
ーー警察署に到着した後、事件の内容を聞かされたのですか?
まずは事情聴取でした。何を食べたか、何を着ていたか、何を持っていたか、友人関係などです。その時、私は歩が死んだとは思っていませんでした。でも、なぜか涙が落ちてね。「警察署が騒然としているから誰かが亡くなったのかもしれん。でも、歩のはずがない」。そんな思いの中、夜中に警察署の小屋に連れていかれました。
ドラマで見たことあるような袋が置かれてあって、顔に布がかけてありました。それが取られる瞬間まで「違う人であってほしい」と思っていましたが、そこにいたのは歩でした。眠っているようだったので、私は起こそうとしたんです。「歩!起きんにゃいけん。起きて」。何回も呼びかけ、ほっぺたを触りました。あごの付近に何かついていたのでそれを取ろうとしたんですが、捜査中なので触ってはいけないと止められました。
私はそのほっぺたの感触を忘れたくないと、今日まで自分の二の腕とか柔らかい部分をずっと触ってきたんです。「歩のほっぺた、こんな感じだったよね」って。でも、10年、15年と時間が経過していくにつれて薄れていくんです。ものすごく情けない。
名誉を守りたい
ーーそんな悲しみの渦の中、自宅に帰ることになったんですね。しかし、報道陣は集まっていたと思います。
警察署から自宅までは夫が運転しました。その途中で雨が降ってきたんです。前が見えなくなるくらい土砂降りで、「絶対、歩の怒りの雨だ」と思いました。あの時、もし加害者が目の前にいたら何をしていたかわかりません。家に着くと、すごい人だかりができていて、タクシーがずらっと並んでいました。何か声をかけられたと思うんですけど、ひとまず人を分けて自宅に入りました。その後、夫が「どんな娘さんでしたか?」と聞かれ、「親想いの優し子です」と答えたそうです。あとはもう思い出せません。
ーー翌朝も報道は自宅前にいましたか?
夜中2、3時くらいまで自宅のチャイムを鳴らす人もいました。しかし、翌朝に私たちの職場の関係者が報道各社に呼びかけを行ってくれていたんです。「通夜や葬儀の後といった区切りには記者会見をする」と話をつけてくれていました。地元の記者もそれを踏襲しようと頑張ってくれたそうです。だから、葬儀までの時間は比較的静かに過ごせました。そして、私たちは夫婦で報道対応をすることにしたんです。
ーー想像を絶する悲しみに暮れているご遺族が、事件後に報道対応するケースは珍しいと思います。
「歩の名誉を守りたい」と思ったんです。「あんな親だからこんな子になったんだろう」と世間に思われたくなかった。多分、私の中にも「事件に巻き込まれるのは被害者にも一部責任があるのではないか」という意識があったのかもしれませんね。だから、「歩に落ち度がある」と思われたくなくて、取材を受けることにしました。警察も「歩さんが悪いことはひとつもない」と言ってくれていたので。
ーーでも、気持ちは穏やかではなかったと思うのですが。
もちろん穏やかではありませんでした。事件から1か月後、初めて買い物に出た時、ベビーカーに乗った赤ちゃんを見かけました。「この子も将来何するかわからん」。私はそんなことを思っていました。あの夏は暑かったという記憶が全くありません。それでも、記者会見をする時は「しっかりしちょかんといけん」「歩の名誉を守りたい」という思いで立っていました。
報道の影響
ーーどの程度、記者会見に応じたのですか?
節目には応じていましたが、コメントを出すこともありました。一番長かった会見は、9月7日に加害者の遺体が発見された時ですかね。実はその日の午後、一刻も早い逮捕に向けた公開捜査の申入書を出そうとしていたんです。加害者の情報を公開してもらえれば、どこかで見つかるかもしれない。それまでカメラの前で顔は出していなかったのですが、その日の会見は「顔出し」で応じることにしました。
しかし、いざ申入書を出しに行こうとした時、「加害者が首をつった状態で発見された」と連絡が入ったんです。取材にも「早く犯人が捕まってほしい」と思って協力してきました。これで、なぜ歩が事件に巻き込まれたのかが加害者本人の口から聞けなくなってしまった。悲しかったです。
ーー記者会見に応じてこられた経験から、報道はどのような影響をうみましたか?
まず、記者会見で対応してきたので記者がばらばらに訪れることがなく、歩と最後の時間を静かに過ごすことができたと思います。報道の影響かわかりませんが、20歳の女の子が亡くなった葬儀としては本当にたくさんの方に弔問して頂きました。800人くらいと聞きました。別の事件で同じような思いをされたご遺族からも電話があり、「2人で頑張っているのでよかった」と言われました。残された遺族のなかには、悲しみのあまり自分を傷つける人もいるみたいで、2人なら相談し合えるということでした。
ーー中谷さんは歩さんの顔写真も報道に提供しています。報道が被害者の顔写真を出すことにネット上では批判も多いのですが、なぜ提供しようと思ったのですか?
単純に出るものなのだろうと思っていたんです。よくわかっていなかったのかもしれませんが、卒業アルバムや幼い頃の写真を使われるくらいなら、歩の良い写真を使ってほしいと探しました。しかし、当時は(今のようにSNSが発達した)ネット社会ではありませんでした。今は拡散されることに不安を覚える人も多いと思います。
勘違いしてほしくないのは、報道側の理念を理解した上で顔写真を出したわけではないということです。風化させないためといった理念も違う。「皆が忘れてもいい。私が忘れないから」と思っています。ただ、遺族が取材に応じたことで発信できる「悲しみを伝える報道」は必要だと思っています。名前がない。顔がわからない。そんなことではなく、歩はちゃんと生きていた。そのような報道から再犯防止といった社会的な話につながっていくのであれば、意味があると思っています。
ーー悲しみを伝える報道でいえば、北海道・知床で起きた観光船沈没事故で、あるご遺族が、事故に巻き込まれた息子さんが一緒に船に乗っていた恋人にあてたプロポーズの手紙を公開しました。
あくまで報道を見て思ったことですが、非常に仲の良い家族だったというのが伝わってきました。どうして手紙を公開しようと思われたのか想像したのですが、息子さんがプロポーズ直前で渡せなかった無念の思いを何とか届けたいと思われたのではないでしょうか。それだけご家族も悔しかったんだという思いが伝わってきました。
ただ、気をつけたいポイントは、報道側が無理やり写真を出させたのではなく、ご遺族が自分たちの意思で報道に提供していたかどうかだと思います。遺族は今まで経験したことのないような渦の中にいます。冷静さを失っていることもあります。報道側はその心境をまず想像してもらい、自分が同じ立場だったらと考えてほしい。あの時、取材に応じなければよかったーー。こんなことを思わせないような報道を今後もしてほしいです。
「命」について真剣に向き合ってほしい
ーー事件の度に「ご遺族はそっとしておくべきだ」という議論がネット上で巻き起こっています。改めて取材を受けてきた経緯を振り返ると、どのようなお気持ちですか。
私たちの場合は記者会見という形でしたので、最小限の傷で済んだのかもしれません。ただ、取材を全て拒否しなくてよかったなと思っています。それは外とのパイプができ、今の活動につながったことにあります。別に、このような活動をすることを目指してきたわけではありませんが、結果的に「命」について考えることを伝え続けることができています。
ーー今の活動とのお話がありました。この10年間、中谷さんは同じような悲惨な事件をうまないために、子どもに命について考えてもらったり、受刑者の方とお話しされたりしています。
子どもや受刑者が命のことを考え、きちんと生きていこうと思ってほしい。そんな願いで活動しています。暴力ではなく、人と人とが寄り添い合って生きていく社会になってほしいという気持ちを伝えたいと思った時、事件後から取材を受けてきたことで外と繋がりました。子どもたちは学校の先生がびっくりするくらい耳を傾けてくれます。
「命を大切にしよう」とは言わないのですが、子どもたちは自分なりに意味を理解しようとしてくれます。「家族を大切にしようと思います」。そのような反応を聞いた時は嬉しいです。
ーー受刑者にも自らの事件のお話をされています。この活動を始めたのは、やはり悲惨な事件を繰り返したくないということが根底にあるのでしょうか。
加害者が命のことを真剣に考えていたら歩は死ぬことはなかった。そして、事件は起きなかったと思っています。だから、受刑者には「命」のことを考えてほしい。受刑者と話をする際、前半に私の話をして、後半にグループワークをします。
最初は「どんな怖い人がいるんだろう」と思っていたんですが、会ってみると普通の人なんです。何でこんなことをしたのだろうと不思議に思うくらい。罪は犯してはならないですが、生い立ちや環境、貧困、いじめなど各々に背景がある。受刑者のなかには「生きていてはならない」「青い空を見ては行けない」「幸せになってはいけない」という人もいると感じています。
私はそれが良い状態ではないと思っています。幸せにふたをすると、相手の幸せを認めることができなくなる。自分が幸せを感じることができて相手の幸せが願える。私の場合、歩が事件に巻き込まれた理由を加害者本人から聞くことができませんでした。
加害者には生きるということをもっと真剣に考えてもらいたかった。周りの人のことを大切に思って欲しかった。子どもに命の大切さを伝えていることも同様です。そのために自分ができることをやりたいと思っています。
ーー事件報道に注文をつけたいと思ったことはありますか?
誤報は絶対にやめていただきたいです。歩の事件でも、「DNAが出ました」と報じていたのに出ていないことがありました。ネット社会では誤報を拭い去るのは大変です。いい加減な報道で遺族が翻弄されるのはあってはならないことだと思っています。あと、被害者を理解しようとしてくれる記者ももちろんいるのですが、視聴率や実績のために仕事をしている人がいます。自分が事件に巻き込まれたことを想像して接してほしいです。
ーー最初は取材を拒否していたご遺族が「事件が忘れ去られている」といった理由で後々取材に応じていただけるケースがあります。これはどのようなお気持ちからなのでしょうか。
遺族同士でも、新聞の扱いの大きさを比較される方もいらっしゃいます。私は気にしたことはないですが、なかには関心を持たれなかったことに対して憤りの感情を持つ人もいます。
私は、事件直後は冷静に対応することは不可能だと思っていますが、何年かたって信頼できる記者に思いを伝えるのもいいかなと思っています。それが正確に報じられ、改めて事件や事故を考えるきっかけになり、次の被害をうまないことにつながるかもしれません。
参照元:https://www.buzzfeed.com/jp/keitaaimoto/puropozunoonimarumasukomideottagarunoaritoha
もし自分だったら?プロポーズ手紙全国放送について【ネットの声】
婚姻届提出しようとしたりしてたし
私には無理。
この事故で犠牲になった人それぞれに人生があった訳で、これから結婚を考えていた人の悲劇を殊更強調する事が真実の報道に資するものでしょうか??
涙ながらにプロポーズ文章を読み上げた女子アナの気持ちは個人的に痛いほど分かりますが、マスコミの本来の責務とはかけ離れたものと言う気がしてなりません・・・
例えば自分が死んだ後(見られる状態であったとしても)スマホ覗かれるのはゴメンだ。
でもその時にはそんな判断できる意思もないからね。変な言い方だけど「覗く権利がある人が
」その辺配慮できる人間であればありがたい。
ロックやパスワードもあるけどね。スマホや手紙は「心」人の心の中をまるで美談の如く、軽々しく発信はしてほしくはない。
TVは放映されている以上、見る側はスイッチをオフにするしかない。
人によるのかもしれないが、一つの意見として。
発生間も無くで、悲しすぎてどうしようも無く、平常心ではなかったとは思うんだけど、こういったものは、両家だけで分かち合うでよかったとは思った。
遺族は止められる。
公表したいってのが遺族の意志では?
幸せになるはずでの無念さを故人からのモノで表現させたかったのでは?
それをアカの他人が否定するほうが違和感がある。
すごく不可解に思った。男性の父親は気の毒ではあるが、そのプロポーズ予定の事実や手紙をせっせと美談のようにマスコミに流した。
そして行方知れずの女性より先に息子さんのご遺体が見つかると、プロポーズ相手置き去りに、せっせと息子の葬儀をしていたような気がする。
遊覧船に女性を誘ったのも息子さんだし、彼女とそのご家族の気持ちを考えてないのか、了解はあるのか、と気味が悪かった。
遺族が「必ず報道してください」と言ったならともかく。
少なくとも、そういう判断をせず、我先にと報道したマスコミが、社会的意義を天秤にかけているとは思えなかった。
マスコミもどうかと思いますが、これをマスコミに公開して、許可をだしているご遺族も、あまりのショックで、正常な判断ができていないんだなぁと思いました。
それを流してもらうことで遺族の方も救われるなら全然流して何が悪いんでしょう。
少しでも生きた形跡を残してあげたいと伝えたいと思う方もいるはずです。
なんでもマスコミを叩くのはどうなんでしょ。
法律上は死者のプライバシーはなくとも現代の倫理観に沿った報道をお願いしたい。
これを喜ぶ世代なんて居ないんじゃないかな?
それにしても、こういうのが許されるなら、
例えば、故人のPCの中身を公開しても許される理屈になっちゃうかもね。
本人もどう思ってんだろうか、、もうこの世にはいないけどまさか全国民まで発信するとは
望んでもないだろう
相手の女性も生存し、相手の女性も望んで公開したなら美談にはなるかもしれへんけど
最悪と言っていいとすら思う。何勝手な事してんねんあほと。
遺族の想いに報道機関が答えただけじゃん。
もちろん、今回のこれは違和感どころの話しでは無い。
「マスコミも良識を働かせろ」
って話でいいと思うんだよね。
でも、今回の「手紙」は遺族しかもってない物なんだよね。その遺族が公開するって事は、遺族からの「公開してほしい」って強い意志なわけだから無視できなくなると思うのよ。
今回の手紙公開の件については、公開した遺族の方が理解できないよ……
被害者や送った相手とは別の人だからなぁ
正直許可出した遺族の方も余り理解できない
自分なら読まれたくないし、拡散されたくもないからなぁ
放置されてきたけど、好き勝手が目に余るからいい加減声が上がってきてるだけだと思う
なら、親族やら友達のコメントは全てピー入れないといけない。良い人だったとかも本人が言ってほしかったと言えないだろ。
あんなにも、プロポーズ、結婚前…と訴えられたら、マスコミも伝えるの演出したくなるんじゃないの。
私は親の方に、それいいの?と思ったよ。
それ以降の手紙を読む読まないは個人次第。
OK出しているものにまで文句つけるのは独りよがり。
OK出していないものを公表するのは報道の暴力。
そんなことよりも、ワイドショーであるならば”一般的な感覚”による良心を優先すべき
アンネだってまさか自分の死後に世界中で自分の日記がさらされてるなんて考えてなかっただろうに。
でも、この手紙は遭難した女性に書かれたもの。
自分だったら、
ラブレターなんて相手以外、特に親になんてに見られたくないよ。
それを親に見られた上に勝手に公開されたら自分ならすごくいやだなとおもう。
ついでに中二ぐらいに書いた詩とか小説とかも絶対に嫌だなww
処分したけど。
マスコミが非常識。
愛も性も人にこんな気持ちでしたなどと公表するのは、観てる方も疑問が湧き、誰かのためになったかな。プロポーズがサプライズだったというような劇場型の話題に飛び付き、提供したけれど、反応は良くなかった。秘密ではなく、個人の気持ちを考えたからだと思う。
事件の被害者になるだけでも散々なのに、自分の死後、顔写真もプライベートなことまでも好き勝手報道されて、こういうの見ると、何の事件事故の被害者にも絶対なりたくないと思う。
某芸能人の自殺でも、現場から見つかったという超プライベートなメモが公開されてますよね。
何が言いたいかというと、結局のところ故人のプライベートな点に踏み込んで良いかどうかは、世間が決めてるんだなぁって。
世間が「ひどーい」と思ったらダメ。「へぇー!(野次馬根性)」ならOK。
プロポーズなんて、当事者同士だけが知っていればいいことを、なんで?と思う。
どうしても、マスコミが御涙頂戴作戦による視聴率稼ぎ、売上げ増を狙ったとしか思えない。
というか親が故人名義で婚姻届を提出しに行ってるレベル。
公開するにしても、相手の身内にとどめるべきだ...とか思慮は働かなかったのかなぁ。
仮に死者の尊厳 を遺族が訴えても法律の場ですら勝てるかどうか・・
手紙の内容は身内だけの心に留めておくべきでしょうね。
死ぬ前に身の回りの物を一切処分しとくか
生前に、身内の方にお願いしとくしかない。
ましてラブレターなんて…
そんなもんを全国に晒されるなら死んだ方がマシだ。。
…もう死んどるがな、
ってツッコミは要らんから。。
恥ずかしい
今は、そうすべきだったか悩まれているかもしれない。こうしてこの話題が取り上げられるとますます悲しくなるのではないかと思うのでもうその件については記事にすべきでないと思う。
あの状況では、亡くなった息子さんの気持ちや、まだ見つかっていないお相手の女性の気持ちとそのご遺族の気持ちまで思いが行き届かなったのかなと思う。
親だったらそんな冷静ではいないからマスコミから内容出した方がいいとか言われたらはいって言っちゃった気がするなぁ
今こんな記事見たら一生後悔しそう
まあ、個人情報にデリケート、シビアな昨今は不慮の事故で亡くなった恋人に送るラブレター公開は時代にそぐわないのかも知れない…
でも公開されるのは嫌だ〜。日記を公開されるよりキツいかも。
までは良いけど、手紙の内容までは嫌だ。
私なら。
私が男性の遺族だったら申し訳ない気持ちで居ても立ってもいられず「でも本気で彼女を愛していたんだ!」とわかって欲しくて公開するかもなと思った。
でも自分なら絶対嫌。親を恨むな。
自分が公開決めた親族だったら死にたくなるなって、すごく辛かったです。そのアカウントの正義マンは大満足なんでしょうが…
悪いけど、被害者家族という立場を利用して、手紙も葬儀も提供したとしか思えなかった。
男性の遺族ご本人もすごいしゃべってたし。
私にはその神経が理解できなかった。
いつ死んでもいいように恥ずかしい物は処分しとかなきゃなぁ。
あんなDVDとか、あんな玩具とか……
死者のプライバシーの権利が生前と同程度とするならば、プロポーズの言葉など伝えたい相手は1人であり、それを本人の了承無しに公開するのは家族であってもプライバシーの侵害だと思う。
今回の問題は「亡くなったのが愛し合う2人」であって、その2人だけでのやり取りされるはずだったプロポーズの手紙が“本人達の意思”とは別に公開された事。
だけど被害者の夢だったり希望だったりを放送すればより事件を忘れないとか、どんな夢を持っていたかを知れば痛ましさがより伝わるというのは少し半信半疑です。ものを話せない幼児が虐待で亡くなっても十分に痛ましく、被害者の夢があるからとかないからとかで被害者の命の価値が変わるわけではないと思う。夢を知ったから痛ましいというか、こんなに頑張って生きていたのに痛ましいというのは思う。遺族が公表したいと望むなら、わかって欲しいならいうのは仕方ないのかも知れない。この手紙は渡されたのか女性が読んだかわからないし、暴いてると思う。普通なら恋愛の手紙を見られたら恥ずかしいと思う。それに女性の遺族は後に、もしかしたら船に乗らなければ良かったのにと思うのではないか、朗読は気持ちに寄り添っていないと思う。
自分が取材される立場になったことがあります。「事件の真相や問題」に迫る取材&記事は、下調べや記者個人の社会への見識を問われるのに対し、個人の情実記事は時々の社会的心情に合致する方向に個人的な情報を取材して記事にすればイイと言う感じで、多くの記者がそのスタンスでした。従って一過性の話題でおしまいです。
一方で、少数ですが「ことの本質」に迫ろうという記者さんもいて丹念な取材、且つ記者さんの方から関連資料調べをしてくださったこともありました=幾つかのテーマを自己研鑽のために勉強されている記者さんでした=
こういう記者さんは個人的な情実にはあまり関心を示さないし取材もなかったです。
あれは見ていてなんとも変な空気を感じました。
お涙頂戴の演出にするため、故人の大切な人生の一部を、無関係の他人がいいように利用しているようにさえ思いました。
なんで、未来ある青年が、愛する女性にあてた大事な大事な手紙を、お茶の間全国ネットで音読されないといけないのでしょうかね。
こんな時代遅れの感性が若者世代のテレビ離れを加速させてるのかも。
物凄く個人的な心の中であって、捧げる人も決まってて、2人だけの思い出にするはずが、
自分の知らない所で公開されてるなんて、変な意味での死人に口なし状態ですよ
何も訴えなれない
勝手にプライバシー晒されて、必死に考えた一生に一度の気持ちを赤の他人に読まれて、赤の他人に分析されて、勝手な感想言われて
自分の死後に、心のうちを勝手に晒されたらと思うと…
非常識にも程がある
事件・事故進行中に報道すべき内容では無いと思います。
出すにしても、数年経ってドキュメンタリー番組等(エンタメ要素多め)で、乗っていた方たちの物語を紹介するのに使う程度なら、まだ理解できるけど、沈没した次の日の昼には流れていたので、呆れた。
一日中テレビ見てる人間に合わせて作られている。
実際に祖母が亡くなった時に日記が出てきたが誰も見ることなく焼かれました。
私自身もそうして欲しい。
スマホなんかの情報も死んだら勝手にリセットされればいいのになと思う。
マスコミが一方的に垂れ流したものへの反応が誰の目にも明らかになるようになっただけ。
いつまでも昔のような殿様商売ではいられないことを自覚して変わってほしいですね。
自分が死んだ後に自分のプロポーズの手紙を白日の下にさらされてアナウンサーに感情たっぷりに読み上げられる、とか
もう悪趣味でしかない
本人の立場を想像すれば全国に公開されたくない可能性が高いことは容易にわかること。
親族であるからプライバシーを侵害しても良いと言う人は、自分が突然事故で亡くなった時にスマホやPC、日記などを全部親族に見られた上、親族の裁量で全国に公開されてもいいのだろうか。
世代の問題じゃないと思う。
若者からすれば、もし自分が当事者だったら晒してほしくないだろうし、親世代であれば我が子の手紙なんて、そっと隠しておく。
これ、最近思うんだけど、世代の問題というより人間の共感力が低下してきているのかなあ、、と。
葬儀の場で読み上げる位ならともかく、親族はどういった思いで了承したのでしょうか?
しかも、まだ彼女さんの方って、見つかってませんよね?
可能性は薄いが、もしかしたら、彼女さんの方は、生還されるかもしれない。
そして、戻って来たときに、自分への手紙が自分より先に、全国で報道されている…納得出来ないと思う。
死者への尊厳もそうだが、それ以前に、まるで彼女さんの方まで確実戻って来ない前提のような扱いに、個人的には納得いかなかった。
泣いてつまらすくらいなら読まない方がいい。
読むなら冷静に淀みなく読むべきだ。勝手に公開して、アナウンサーもやらされたのかもしれないけど、勝手に悲しんで、涙を流して、なんだか茶番みたいで、冒涜だと思う。
せめて男性アナウンサーだと思う。読まなきゃいいけど。
そして何分か後次には明るい声で違うニュースを読んだらなんだか被害者に寄り添ってない気がする。
という者は老若問わず多いのではないか?
本人が亡くなっているから、内容まで公表して良いと言う事は、報道した側が悪いと思います。
内容を出さず、プロポーズの手紙が見つかりましたと言う報道だけで良いでしょう。
この手紙が相手に伝えられたかどうかは分かりませんが、公表しないで女性が見つかったらその傍に置いてあげるだけで良いでしょう。
プロポーズの手紙なんて誰も人前で、読んで欲しいとは思わないし、相手だけに伝えた内容。
報道で読んだのを見ましたが、正直違和感しかなかったです。
息子やその彼女さんには未来があったって事を伝えたかったんだろうけど、故人が真剣に考えたであろうプロポーズ文を、他人の声で読んだり、掲載したりして、全国に放送.報道のネタとして扱われてるのが不憫で仕方ない。
『法律的に問題がない。』と言ってたけど、故人だからと何してもいい訳ではないし、報道の義務を優先し過ぎて、故人にもプライバシーは存在する事を忘れないで欲しいです。
ご遺族は家族が不慮の事故で命を落としたという現実を受け入れられず、幸せだった家族が理不尽に命を失うことになったことを多くの人に知ってもらいたいという思いで公表を了承したのではないかと思います。
が、私なら実の親にも見られたくないプロポーズの手紙の公表はやめてほしいかな。
先祖と呼ばれるくらい時間が経過して「過去にこんなことがありました」的な状況での公表ならいいけど、亡くなってすぐだと生々しすぎる。
プロポーズの手紙を残していましたぐらいの状況報告に留めておいてほしい。
管理人の率直な感想
知床観光船事故が起きてから、プロポーズの手紙公開の是非について物議を醸していることは知っていたのですが、今まで触れずにいました。
故人のプライバシーとご遺族の意向とマスコミの報道の在り方。
この三つの対立構造を紐解くのは個人的に難儀です。
単純に「もし自分が鈴木さんの立場だったら」と考えると個人的な答えはすぐに出てきます。
公開されるのはイヤです。
「彼女が同じ船に乗っていてプロポーズをする予定だった」という事実だけなら全然かまわないのですが、手紙の内容まで全国のみなさんに知られるのはイヤです。
それでも親父やお袋の意思だというなら仕方ないかなと考えたりもしますが、それは僕が生きているから考えられることであって、鈴木さんは既に亡くなられています。
ネット上の声を見ても「自分だったら嫌だ」という人が多数です。
また、ご遺族も冷静な判断が出来なかったんだろうとの声も多いです。
そうなると結局はマスコミか?ということになりますが、尊厳を求めることは期待できないし、実際に違和感を覚えている人が多い。
冒頭記事の中谷さんは「息子さんがプロポーズ直前で渡せなかった無念の思いを何とか届けたいと思われたのではないでしょうか。それだけご家族も悔しかったんだという思いが伝わってきました。」と語っています。
この一文が一番納得させられるのですが、それでも故人の意思とは離れたところにあるわけです。
何かあったときのために、あらかじめ遺書を書いておかなければいけないのかな・・・と考えたりもします。
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