旭川女子高生殺人事件、江別男子大学生集団暴行死事件…北海道では去年、未成年や若者による凶悪事件が相次いだ。少年による刑法犯数が戦後ピークを迎えた1980年代。「史上最悪の少年犯罪」といわれるのが1989年に起きた東京都足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件だ。
事件の加害者のひとりである準主犯格のBが、3年前に孤独死していたことが今回新たに判明した。2000年から加害者や親、関係者に行ってきた独自取材や裁判・捜査資料から、知られざる加害者の「その後」をリポートし、矯正教育や社会での処遇について考える。(HBC報道部 山﨑裕侍 ※3回シリーズの2回目 肩書や年齢は取材当時)
■「被害妄想の塊…普通ではない」義兄が感じたBの素性
不安になるほど長く暗い廊下を私は歩いていた。2004年7月、東京拘置所に勾留されている男に会うためだった。
男とは、1989年に足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の準主犯格B。Bは出所後の2004年5月、知人の男性に対して「お前、女、とっただろう」「殺すぞ、俺は人を殺したことがあるんだぞ」などと脅迫。顔面を殴打するなど暴行を加え、埼玉県三郷市の母親が経営していたスナックに監禁し、けがをさせた疑いで逮捕された。私がBと面会したのは、初公判を2日後に控えた日のことだった。
アクリル板の向こう側のドアが開き、Bはひょっこり現れた。身長180センチあまりの長身で、茶髪を短く刈り上げ、白いTシャツに短パン姿。事件の凶暴さとは裏腹に、どこにでもいるような人間に見えた。Bは再犯にいたる経緯を語り始めた。
B「自分はF組の構成員になりました。5月8日にS氏と殴り合いのけんかとなり、組をやめました」
記者「なぜ暴力団組員になったのか?」
B「話すと長くなるので手紙で書きます」
なぜ事件を起こしたのか私の質問には饒舌に答えるものの、内面に深く立ち入ることは許さず、取材者である私を警戒しているようだった。
Bはなぜ再び転落したのか。
「私は彼が被害妄想の塊だなと思っています。普通ではないです」
こう話すのは、Bの姉の夫である義兄(その後離婚)だ。義兄はBとBの母親を支援していた。
女子高生コンクリート詰め殺人事件で実刑判決を受けたBは、3つの刑務所で計8年間服役した。1999年8月4日、28歳のときに満期で出所。その後、コンピューター関連の派遣仕事に就いた。髪の毛を黒く染め、スーツとネクタイ姿で職場に通う日々。更生に向けたスタートは順調かに見えた。
だが、仕事は4年ほどで辞めてしまう。職場の同僚が、コンクリ詰め事件のことを噂したり、自分の名前を囁いたりしているというのだ。だが派遣元の会社は、そのような事実はなかったと取材に答えた。真偽は定かではない。
■再犯は「拘禁反応の中で形成された被害妄想の影響」と専門家指摘
Bには10年に及ぶ獄中生活で、拘禁反応による妄想が現れていたとみられる。刑務所など刑事施設に長い間拘束されると、もともと精神障害がなくても、神経症や妄想、幻覚などの症状が現れることがわかっている。
300件もの精神鑑定を経験した犯罪精神医学の小田晋氏は、Bの再犯は妄想の影響があったと分析した。
精神科医・小田晋氏
「職場でコンクリ詰め事件の噂をされたとか、彼の前科や実名も知られているというのはBの思い過ごしです。一種の逆恨みですね。なぜ逆恨みが生じたか。拘禁反応の中で形成された被害妄想的な態度が矯正されないまま社会に出てしまったためです。これが今回の犯行に直結するさまざまな被害者とのトラブル、それから被害者に対するBの恐怖心や誤解は被害妄想的な態度から出ている。Bの状態は『妄想性障害』の傾向。あるいは刑務所の中で彼がもともと持っていた『妄想性人格障害』の傾向が発展してきたということが考えられる」(2005年取材)
ある日、Bは母親を次のように疑ったという。
義兄
「『自宅に隠しカメラとかマイクがあって、俺のことを監視してる』だとか。今回の事件のきっかけになる相手に『情報を送ってる』だとか、話がもう支離滅裂ですよね」
Bが幼いころに家を出ていった父親も、刑務所には何度か会いに行ったと話す。
記者
「刑務所で会ったときのBはどんな様子だったか?」
父親
「おとなしかったよ。だけど刑務所でもだいぶ暴れたみたいだね。『(刑務官に)殴られた』と言っていた。頭がおかしくなっちゃったんだよね、多分」
■勤務先の給料未払いトラブルをきっかけに、暴力団との関係を深め…
ある人物との出会いをきっかけに、Bはさらに転落していく。
Bは働いていた会社との間で給料が未払いとなるトラブルを抱えた。すると母親が知り合いのH氏に相談。そのH氏が連れてきたのが山口組系暴力団組長のS氏だった。Bは次第にS氏と付き合いを深めていく。息子が更生の道から外れていく姿を、母親は黙って見ているしかなかった。
記者
「息子さんを止めようとはしなかったんですか?」
母親
「私が止めても難しいので、本人の判断に任せようと思いました」
記者
「コンクリート詰め殺人事件のことをS氏は知ってた?」
母親
「息子が自分で言ったみたいです。S氏が息子を連れ歩いているときに『こいつは、コンクリの人殺した奴だよ』ってみんなに言いふらしていたらしいです。それは本人が言っていました。どこに飲みに行っても、そういう言い方をすると」
記者
「本人は嫌そうでしたか?」
母親「はい。でも誰も友達がいないから、誘われると行っていたみたいです」
私宛の手紙の中で、再犯事件の被害者も暴力団関係者であり、被害者の言動がきっかけで思わず暴力をふるってしまい、監禁するつもりはなかったとBは主張した。
事件の動機について、判決では、Bが好意を寄せていたジムのインストラクターの女性と被害者の男性が交際していると思い込んだためとしている。
Bが好意を寄せていた女性は、取材にきっぱりと語った。
ジムの女性インストラクター
「私がBと交際していた事実はありませんし、被害者の男性については名前すら知りません。しかしBは、私に、知らない人の名前を挙げて、『この人間と付き合うな、遊ぶな』などと意味不明なことを言っていました」
■Bの再犯に弁護団の一人「世間に申し訳ない。結局、救えなかった」
一方、Bが再犯した背景を別の角度から見る人物がいる。コンクリ詰めの裁判でBの弁護団のひとりだった伊藤芳朗弁護士だ。
伊藤芳朗弁護士
「Bはもともととても優しい子だったですね。だけれども親とのすれ違いが重なっているという不幸がありました」
Bはコンクリ詰め事件を起こす前から親子関係で問題を抱えていたと指摘する。
伊藤芳朗弁護士
「Bはすごくお母さん思いだったのに、お母さんが彼のそういう気持ちに気づけてあげられなくて、すれ違いが生じる中で、どんどんどんどん親子での諍いが大きくなっていった。Bの父親は家族を置いて出ていってしまっていますから、母親が父親の分も自分が役割を果たさなきゃという考えがあった。母親としての優しい部分で接するのではなく、厳しい接し方をする方がいいんだと勘違いした面はあったと思います」
コンクリ詰め事件での服役後も、親子関係は改善しないまま、もとの環境に戻ってしまった。
伊藤芳朗弁護士
「Bは出所後、とても反省するとともに、二度と過ちを犯さないように頑張るんだっていうことは言ってはいました。出所後また母親のもとに帰ったんですが、すぐに親子の間でうまくいってないという話もあった。それがとっても気がかりでした」
Bは満期出所したため、仮出所が受けられる生活や医療などの公的サポートは得られず、いわば社会に放り出された格好だった。
伊藤弁護士は担当弁護士がもっとBに関わることができたはずだとして、再犯したことについて「世間に申し訳ないと思います。結局、救えなかったという。残念な気持ちです」と悔やんだ。
再犯事件での判決で東京地裁の菊池則明裁判長は、「今度こそ本当の意味での再出発、人生のやり直しを期待しています」とBに語りかけた。だがBの更生をさまたげた妄想については、最後まで裁判で議論されることはなかった。Bは府中刑務所を出所した後、自宅に引きこもり、社会から隔絶した日々を送った。被害者遺族への償いも、人生のやり直しも果たせないまま、生涯を閉じた。
参照元https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1649176?display=1
メディアでは語られないコンクリート事件の裏側【ネットの声】
近所の噂で人○したって聞いて目合わさんようにしとった
この事件を絶対風化させるものかと強く思います。
同様の気持ちの人が多く、今でもあの事件についてのスレを立てる人が複数います。
女子高生コンクリート詰め殺人事件
裁判長 柳瀬 隆次
裁判官 宮嶋 英世
裁判官 中野 保昭
(以上、高裁の裁判官)
横山 裕史の弁護人 近藤 文子 神谷 信行
神作 譲の弁護人 羽賀 千栄子 伊藤 芳朗 大沼 和子 菅野 庄一
湊 伸治の弁護人 荒木 雅晃。岡 慎一 吉村 清人 黒岩 哲彦
渡邊 恭史の弁護人 清水 勉 田中 裕之
一人寂しい孤独死だろうが早すぎる死だろうが、そんな連中が真の制裁を受けることなくシレっと人生全うしていることに強い憤りを禁じえません。
家庭環境が全てだと思いました
唯一再犯してない一人は引き篭もり状態らしい。
更生云々言って甘い刑にしてもこれが現実。
司法は甘すぎる。
Dは脳がスポンジ状になって呼吸困難でさようならだったそうで。
どちらもまるで見えざる手に息止められたかのような終わりだね。
溺死とか首吊りなんかもとても苦しいと聞くから、
息ができなくてそれなりに苦しんだと思う。
生き残ってるCと行方知れずのAも、死因が呼吸器絡みだったら……
残りの二人が今どうしてるのか凄く知りたい
いい死に方は絶対しないと思うよ。
当時一番衝撃的だったのは監禁・殺害場所が犯人の家族も住んでる家だったってこと。両親も共犯で逮捕するべきだったと今でも思う。
逆恨みで
だからまともじゃ無いのです
被害者は亡くなった後にも加害者の親から暴行をされたようなもので到底許せない
Bは再犯もしているわけで、あの時点で死刑になるべき存在だったとしか思いません
事件現場となったあの家の近所や隣人。
誰一人として警察に通報する事もなかった。
そして逮捕された加害者以外にもあの家に出入りして加担した若者が多かった。
その人たちは逮捕すらされず、今も普通に生活している。
事件現場になった家には普通に家族が生活していたにも関わらず、その親や兄の顔なんて一度も公表された事ない。
逮捕されるべき人はもっといたはずなのにね。
確か母親は看護師で共産党員だったかな?
監禁されていた女の子を目撃していたのに何もしなかったんだよね。
衝撃的な事件なだけに色々な問題が巻き起こったんだよ。
まあ事件の背景をみて、庇いたくなったのでしょ
でもあんな悲惨な事をされて亡くなった人に更にその仕打ちはあんまりだと思います
亡くなられた娘は、後輩と一時期付き合っていたよ。
そいつは松戸の暴走族で、その娘はちょっとおしゃれな普通の女子高生だったみたい。バイトした金で、めし食ってないようなやつらも誘って野菊野のファミレスで、奢ってあげたりしてたらしい。
加害者のやつらを当時は、もの凄い不良連中みたいな報道してたけど
先にも記したけど、当時のhierarchyは暴走族で、足立区の暴走族はどこも硬派で筋金入りだったよ。
まぁ、有名とか強いとかは別にして、綾瀬 青井 花畑 神明 大谷田の暴走族は足立区で規模は一番大きかった。
そいつらに、犯人らのことを聞いたら大したことないダサい連中と言ってたね。何が言いたいかというと、こんなことするやつらは不良の風上にも置けないやつらだということ。
そりゃ、世間一般の人らからしたら、みんな同じに見えるだろうけどね。
犯人の親酷すぎ、被害者バッシングも異常だった
親なら花添えてお線香あげてお詫びするのが人の道でしょう。
血は争えないな
外国だったら、国民が立ち上がるくらいの軽い処罰ではないのか。
少年の更生に対する日本の司法の考え方もおかしい。
年端も行かぬ未成年のうちから、このような非道極まりない事件を起こして、更生なんか出来る筈もない。
被害者の脳は「これ以上肉体的にも精神的にも痛みを受けるべきではない」と脳が自己防衛の為に勝手に判断し、死で現実から回避するという機能が働いた結果という。解剖結果では脳が以上に委縮ししわも消え、熔化していた。
そんなことをした者が自分勝手にトイレで死ねる事がかわいそうだと?
51歳の早死にで不幸だと?
親でもそのような戯言を口にすべきではない。
この期に及んで親も子もふざけている。
被害者は恐怖とストレスで脳が萎縮していた。
コメントにはとても書けない犯行内容。
家庭環境が複雑な人は沢山いる。だからってこんな事件起こさない。
本当に恐ろしい事件。
この記事に暴力団の記述があるけど、暴力団員もリンチに加わったんじゃ?
可愛いから以前から目をつけられていたとどこかで見た。
かわいそうな最期だなんてまったく思わない。
むしろもっと早く〇んでも良かったくらいだと思う。
ザマァねーな。
そしてお母さん、本来明るくていい子ではなく事件起こした姿が本来なんだよ、育て方間違えて人無惨な殺し方した事オメーも忘れんなよ。
そもそも年齢関係なしにこんな事件起こした奴らに更生の機会なんていらんし俺の子がこんな事したら俺の手で始末するわ。
自分の近くで生存してたら成敗してやりたい。
鬼畜どもが笑ってたら日常生活を送ってることに怒りしかない。
日本の司法は狂ってる。
この方には相応しい最期かと思います。
コーナータンクって知らない?
よく安アパートなんかで、右か左の角に三角タンクがあって、ちょっと太いパイプで便器と繋がってるやつ見たことない?
で、そのタンクと便器の隙間に転けた勢いで頭が挟まったんじゃないかな。
知らんけど。
その加害者が生活保護とは。
死刑は、人としてすべての権利を奪う刑罰。
それができないなら、生活保護など、いくらかの人権は制限されてもいいと思う。
被害者が亡くなっているため、加害者の弁しかないので、親は少女に帰れと言ったのに帰らなかったと証言してますが、本当にそんなやりとりがあったのでしょうかね。真実はCの共犯者だったのでは、と思います。
なにしろ、共産党お抱えの弁護士を用意して、捜査員に家宅捜索させないよう抵抗してましたし、事件後、共産党の機関誌では被害者への誹謗中傷記事が掲載されました。
私はこの事件はCの親というのが一番の原因だと思います。
当時一番衝撃的だったのは監禁・殺害場所が犯人の家族も住んでる家だったってこと。両親も共犯で逮捕するべきだったと今でも思う。
その元少年も事件に関わった事を奥様に結婚前に話して、それでも受け入れてくれたと言ってた。当然相手の両親には大反対され最後には勘当されたようですが。
その人には当時幼い娘がいた。いつか娘が大きくなったらこの事件のこと、自分の事を正直に話そうと思うとも言っていた。
数十年経ってもあのインタビューを思い起こす事がある。本当に娘には話したのか、娘は受け止める事ができたのかと。
こんな事件起こした犯人と結婚するなんて、何かしら目的でもなくちゃ理解不能。
当時こどもだったので、女の子がドラム缶でコンクリートと一緒にとか性被害とか、話がよく分からなかったのですが、大人になり内容を正しく知った時、脳内で情報の処理が上手く出来なかったことを覚えています。
B(小倉(神作)譲):記事のとおり。
C(湊伸治):5年くらい前に殺人未遂で逮捕・起訴されるも、執行猶予つきの有罪。
D(渡邊恭史):出所後消息不明。
やはり親の子だね。
なんの反省もせず再犯繰り返して、好きなことをやってきて50代まで生きたのが許せない。地獄ならず無限地獄に行ったのだろうか
他の3匹もどこかでのうのうと暮らしてるだろう。生きてるなら今からでも過去の過ちを反省し、世の為人の為に生涯をそそいでほしい。
神様はここだけには手を貸してくれたみたいですね
当時の赤旗は、被害者が不良で仲間割れとかと、めちゃくちゃな記事を書いていた。
自分達の責任を少しでも割り引こうと無関係の被害者を愚弄したのだ。
共産党がよくも人権重視などと言えたものだ。
中国や北朝鮮と全く同じです
(義兄だけがマトモ)
で犯人を「本当は優しくて良い子」
殺人前科を誇り暴力団準構成員になる「良い子」とはね(笑)
うち2人は組織関係だったかな。おおもとの事件の残忍性を裁判所は見誤ったのではないのか。
再犯がなかったひとりは精神疾患ののち自ら命を絶ったとか。それぞれ別件に違いないが、ひとまとまりの犯罪群と見ることもできると思う。
人間とは思えない、10代の少年がなぜここまで残酷なことが出来たのか、本当にショックな事件だった。何年経っても時々思い出してしまう。
今、高校生の娘を持つ親となって、被害者の親御さんの気持ちを考えるとまた本当に辛い。
娘が自転車で駅から帰るとき、今でも時々この事件を思いだし、本当に心配になる。
他の加害者は今どうしてるのか
主犯ではないにしろ、この輩が51年も生きていたことに憤りを感じるほどです。当時少年というだけで、その後何年も「生きて」いけるんですね。被害者の女の子は何の罪もないのに17年で命を奪われた。それも…。もし知らない方はこいつらが何をしたか読んで欲しい、知って欲しい。
こんな輩がいる世界は作ってはいけない、
本気でそう思います。
孤独な最期…それまで生きながらえていたことをありがたく思え、と思うだけです。
ニュースが出た時日曜日で、前日土曜の夜中に走ってたり、ギャラリーしてたりして、そのドラム缶に座ったり、立ち上がったりしてた。 知らなかったとはいえ今でも本当申し訳ない気持ちです。
発見現場に2年ほど前に行き「ごめんなさい」と謝罪してきましたが、車の通りもほとんどなく寂しい場所でした。
もちろん親族同士の中での話だと思うが「Bは可哀そうな最期だった」と言ったと。それに異を唱えて義理の兄がB家族には反省の色がないと言ったとか。
百歩譲って加害者とはいえ自分の子だから愛情はあるでしょう。
けどこの事件に関しては親族内でも本音は隠して生き続けなければならないと思う。それで全員再犯時に「俺は足立のコンクリ事件の加害者だ」と言って脅していたとか。少なくとも不特定多数の人間がかかわっているとか、これによる濡れ衣で未だに戦っている人や名誉を傷つけられた人とかが多い。
決して風化させてはいけない事件だと思う。申し訳ないが社会で生き抜いてい行くチャンスを自ら棒に振った人達だから同情はできない。
極悪非道を尽くした挙句人の命を奪ったのだから、本来は死刑になるべきで内容なのに、最後は働きもせず生活保護を受けて暮らしていたというのは余りに納得できない。
義兄のコメントの通り、哀れみなど全く感じない。
身勝手な欲求の為に故意をもって殺人を犯した人は、やはり極刑を基本にしても良いと思う。
刑務所を出所した後、生活保護を受けていたと聞く。しかも生活保護費のほとんどがこいつのタバコ代に消えたらしい。何で俺らが汗水流して働いて納めた税金が、こんなクズの為に使われなければならないのか納得がいかない。
まぁこいつが死んでくれたお陰で、ほんの少しだけ税金が浮いたんだ。
管理人の率直な感想
日本の犯罪史に残る凶悪事件。
他に例を見ないくらいの残虐性と関与した人物の多さ、加害者とその親の異常性、背景にある漆黒の闇・・・どんなに時が経とうがその犯行内容はとてつもなくおぞましく、事件として風化することはない。
各加害者の再犯、準主犯格Bの母親による被害者の墓荒らし、共産党絡みの犯行現場など、一通りの情報は把握しているつもりでしたが当時の被害者へのバッシングは知りませんでした。
51歳で孤独死したBと、49歳で病死したD。
奇妙な死に様を遂げたBですが、被害者の人生と比べれば長すぎるし被害者の苦しみに比べればぬるすぎる。
因果応報と言う人もいますが、遅すぎると感じます。
その間に別の被害者が出ていますからね。
この事件を例に取っても、未成年の犯罪者の更生プログラムが如何に無駄なものか分かります。
そして凶悪犯罪者の家族もまたサイコパスだという例があることをこの事件は教えてくれる。
残る加害者たちの最期も見届けたい。
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