自身の体験を通じて生徒たちに伝えるのは、「命の大切さ」です。集団暴行で18歳の息子の命を奪われた犯罪被害者の遺族の講演会が、岡山県新見市の高校で行われました。
■集団暴行受け18歳で亡くなった次男「温かいのに息をしてくれない、どうして?」
(市原千代子さん)
「これが23年前になりますけれども、平成11年に18歳で亡くなりました。次男・圭司(けいじ)の写真です。生きていれば、11月2日に43歳の誕生日を迎えて向かえていたはずです」
新見市の共生高校で行われた「命の授業」です。講師を務めるのは、岡山県備前市の市原千代子さん。1999年、少年3人による集団暴行で当時18歳だった二男・圭司さんの命を奪われました。
(市原千代子さん)
「そのつらさ悲しさは、想像を絶するものがありました。圭司の体に触れました。まだぬくもりが残っていました。おかしいね、こんなに温かいのに息をしていない、どうしてなんだろう、こんなに温かいのに目を開けてくれない、喋ってくれない、どうしてなんだろう」
「気が狂えるものなら狂いたいと、どれほど思ったかしれません」
■失意の底にいた母親を救ってくれたのは
我が子を失い、失意のどん底に突き落とされた市原さん。そんな市原さんを救ってくれたのは、同じような境遇に立たされていた犯罪被害者たちとの交流でした。
(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「同じような問題を抱えていますから、そういうことを語ることは凄い大切」
「自助グループと言ったりするんですけど、何年か先を歩いている被害者の仲間の方たちが少し良くなっている、そういうのを見ることが凄い大切だと感じたし、そういうことを、他の方には理解してもらえないことを、被害者同士だとすぐに理解してもらえることは大きかったと思います」
犯罪被害者のすぐそばに、誰か支えてくれる人がいれば…。
市原さんは、2007年に仲間たちと「犯罪被害者を支援するNPO」を設立しました。
■いま辛くても…生き続けることで見えて来るもの
一方で「被害者をこれ以上増やしたくない」との思いから、亡くなった息子と同じ若い世代に命の大切さを訴え、講演して回っているのです。
(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「皆さん、手を合わせてもらってもいいですか?どうですか、温かくないですか」
「じゃあ右手と左手を握ってもらってもいいですか。こういうふうに、温かかったり、握ったり、握り返したりできること、それが生きていることだと私は思います」
自身の体験を通じて伝え続けているのは、深い絶望や、加害者への怒りではありません。
(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「生きてさえいれば、きっと少し先には必ずいいこと、嬉しいこと楽しいことがあると思います」
「私は圭司が亡くなった時、どれほど圭司のもとに行ってやりたかったかしれません。でもそれができないまま、23年あまり生きてきました。あれほど辛く悲しかったのに23年生きていれば、やはり、いいこと嬉しいこと楽しいことがありました」
「たとえ死にたくなるようなことがあっても、懸命に生き続けてほしい」市原さんの願いです。
(高校3年生)
「これからは、そのような人の気持ちに気づけたり、寄り添える人になりたいと思った」
(高校2年生)
「加害者にならないことを意識して、自分の行動や発言に責任を持って、これから生活していきたい」
■やがて息子の元へ…「頑張ってきたよねお母さん」と言えるようになった
そして市川さん自身も、生き続けることで一筋の光を見出していました。
(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「事件に向き合うことが嫌で、嫌で。でも向き合わざるを得なかったから向き合ってきたつもりなんですけど、がんばった自分がやっと理解できた、認められたというか」
「私も亡くなって息子のところへ行ったときに、『頑張ってきたよねお母さん』って言えることが、約20年たってできるようになったと思っています」
市原さんだからこそ伝えることができる、メッセージ「命の授業」です。
参照元:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/837603?display=1
犯人の元少年3人の現在は?【ネットの声】
想像ですが、被害者以上に悲しんでいるとは思えません。
如何に重い刑を科されても、被害者の苦しみや悲しみが癒えることは無いでしょう。軽すぎる刑法の改正を切に望みます。
確か、もうすぐ出所してくるんじゃないのか?無期懲役だったっけ?
Aは少年刑務所で4年間の服役後出所をしてきて、現在は親の家に同居をし、結婚をして、子供も生まれているようで、車を運転中に道ですれ違うこともたまにあります。Bは刑事裁判中に直接謝罪をしたいと保釈を申請し、1999年12月にそれが認められ、拘置所を出所してきて、その一ヵ月半後には仕事に就きました。執行猶予の付いた2000年8月の刑事裁判の判決後、しばらくは実家にて暮らしていたようですが、現在は親元を離れ、多分結婚もして、新たな生活をしているようです。Cは中等少年院での1年半の処遇を終えた後、実家に戻り、現在も実家で生活をしています。
奪った側の方が幸せを当たり前の様に感じられている訳ですね。
自分の子供にはいじめは駄目だとか良いお父さんしてるんでしょうね。
その親たちも、我が子を集団で人を殴り殺すような男に育てても、何も苦しむことなく
自分が老いたらその元犯罪者に老後をみてもらえる。
殺された側の親は、我が子を奪われた上に、何も国からもどこからもしてもらえないのに。
被害者は眼球が飛び出るほどの暴行を三人から受け亡くなっているのに成人だった主犯Aは求刑6年に対し、懲役4年の実刑。Bは求刑5年に対し、懲役3年、執行猶予5年、保護観察付、18歳だったCは少年審判で中等少年院送致。
そして主犯のAは既に出所し結婚して子供もおりお母様の住む所から数百メートルの所で親と同居とか。
Aもだが、親の図々しさが理解できないし裁判官の判断と法に大きな疑問を感じる。
アフリカや中国は被害者や遺族の方の人道的な配慮があるみたいです。
日本も見習ってもらいたいですね。
主犯が懲役4年って・・・お母さんの苦痛はずっと続きますよね。人を殺してこの量刑は軽すぎます。
しかし、結婚して子供までいるとは、、相手の女性は旦那が殺人者と知っているのか?
私も半世紀ぐらい生きてるけど、弱いものイジメして優越感に浸ってる人間って口は上手いから女性にモテたりするんだよな
私も中学生の頃にイジメにあい、自殺未遂したがイジメをした奴の名前と顔はハッキリと覚えている。社会人になって弱そうな人間を馬鹿にしたり、他人にマウント取るのが大好きな人間がいるがだいたい顔つきに共通点がある。
自分のすぐ身近にいるかもしれないし、ゾっとする。
殺人に関しては犯罪者リスト顔と名前をタウンページみたいに全部のせて全国に配って欲しいです。
母親なら息子の最後に思いを馳せた時に本当に辛く悲しいと思う。
加害者を許せるはずもなく、彼らの今を想像するとはらわたは煮え繰り返るだろう。
神様はいるのかな。
いじめって ほんとに最低な犯罪
いじめも
23年経ち、家族もって幸せに暮らしてたらムカつきますね。川崎のや旭川で凍死させたいじめ加害者達も。許せないよ本当に。
いじめという言葉をなくせばいいのに。すべて犯罪で対応できるのだから。
とにかく、加害者はもう忘れながら生活してると思うと憎いですね。未成年だからと刑を甘くする
日本においてはこういった事件は無くならないし、被害者が馬鹿を見る。
未成年ならやったもん勝ちな制度をどうにかしてほしい。
息子も平成12年の年も明けたばかりの1月5日にみんなを残して逝ってしまいました。17歳でした。
子供が先に逝くってテレビのニュースでしか思ってもいなかった…
息子の場合は結果的には自爆って片付けられましたが、先輩方に追いかけられて冷たい用水路に落ちて首の骨を折ってしまったらしい。
こんな事ってある??
救急の方からの電話から葬式終わって何日かまで私の記憶は消えてます。
警察曰く少年法に守られてるから何も出来ない…と
しかしその後先輩方は町から消えてしまいました。私が狂ったのを知ったからです。
どこでどう暮らしているのかは知るすべも、知りたくもありません。
日々の行ってきます。ただいま。が1番の幸せなんですよね。
記事を見て私だけじゃ無かった…と、久しぶりに泣けました。
損害賠償は破産しても免責されないので、一生犯人に苦しみを与える事ができる。
一発で無期懲役、悪質な場合は即最高刑にしないと同等の犯罪は無くならないし、遺族の無念も晴れない。
人の命を奪っている者に生きる権利を与えるのは絶対におかしいです。
少なくでも加害者はネットで常に何処に居て何をしたか国民が把握出来るシステム作って欲しい
普通の人生なんて絶対許されない
死亡後、家族の悔しさは永久に消えないだろう。この暴行に加わった人間は、いつか体罰が有るだろう。
親もそうだけど育った環境が悪いと逃れない悪循環に嵌まってたりする。
この言葉が全てだと思うし、想像は出来ても実際は当事者でなければ分からない気持ちだと思います。
このような気持ちになる人が一人でも減りますように。
死んだら戻って来れないそこで年も取れないから何十年経ってもその時の歳のまましか顔も浮かばない。
悪い事した奴は罰が当たるんじゃ無いのか?
それとも、元々そういう人間的な気持ちを持って生まれて来なかったか。
少年犯罪だから加害者の親もしっかり賠償させないと。
腎〇売ってでも被害者に賠償させるべき。
よくないんだろうけど、必ず復讐するわ
意味がわからない。完全に狂ってると思うけど、同じ人間なんだよな。
そいつらがその辺にいると思うと怖くてたまらない
この世は因果応報、悪い行いをしたら必ずどこかでそのまま自分に返ってくるよ。
母親にも虐められてたけど私が死んだら悲しんだのかな?なんて思った。
集団暴行加害は、殺人でなくても犯罪にしてほしい。
宝塚の自殺も集団暴行で間接的に殺したようなもの。
被害者無視なんか
補償もわずかなんだよね
裁判で賠償命令でても払えない
そろそろ改正すべきだよ。
「ウチの子にそんな事したら殺してやる」と
で実際加害者を殺した被害者遺族がどれだけ居ますかね
殺したい気持ちでも実際殺す事は出来ませんよね。
被害者側だけがかなりの苦しみや辛さを味わう。
このお母さんにももちろんに憎悪があるはずですが、このように亡くなってから嬉しいことも楽しいこともあったよと思える程の境地に達していたのは驚きでした。おそらく想像を絶する感情の整理で、乗り越えられたのだなと…
命がとても大事、という授業はこれからの未来を生きる人達にはとても大事ですね。
不適切ななのかもしれないけど、ありがとうございます、そう言いたいです。
管理人の率直な感想
あまり大きく取り上げられることがなかった事件ですが、あまりにも非情で残酷な事件です。
高校2年生で友人から暴行を受けるようになった圭司さん。
そのことがきっかけで休学。
「資格を取れる学校に行ってやり直したい」と具体的な目標を掲げた矢先の事件。
犯人は同級生や先輩ら3人。
「電話に出ず態度が生意気」という理不尽極まりない動機。
不幸にも暴力に付き纏われてしまった。
それでも何とかそこから脱出しようと連絡を絶っていたんだと思うんです。
生きる上での目標を見つけて前向きに生活を送ろうをしていたのに、それを気に入らない犯人たちによって一方的に命を奪われてしまった。
お母さんの講演は圭司さんが亡くなった年齢と同じくらいの年頃の少年少女の心に深く残る内容だと思います。
犯罪被害者遺族を目の前にして事件の現実を知るのと、ニュースで事件の経緯を知るのとでは全く違う。
あまりにも軽い判決。
犯人が今幸せに暮らしているという現実をあなたはどう考えますか。
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