あっという間に過ぎ去っていく時間。
特に20代はそれが顕著のような気がする。
「20代のうちに〇〇」と焦ってしまう「29歳問題」について考えています。
男女問わずですが、今回は女性のお話。
何者かになれると、ずっと思っていた
幼い頃から、なんとなく、自分は何者かになれる、と思っていた。
特別何か秀でたものがあったわけじゃないけど、夏休みの自由研究が先生から褒められたり、作文が文集に載ったり、絵が市民文化会館に飾られたり、ちょっとしたことが私の未来につながっていると思っていた。
そんな田舎の少女が、大人になり、東京でそこそこ名の通った会社に就職した20代。
私は何者にもなっていなかった。
憧れていた仕事には就けなかったけど、それなりにOLしていた自分。
上司にも仲間にも恵まれていたと思う。
でも、営業で実績が出ても、新しい資格を取っても、自分が満ち足りることはなかった。いつも焦ってばかり。
世界に革命を起こせない私 is 価値ない
自分以外はみんなちゃんとしていて、世界とつながっている。
自分だけが何もできない。
「ちゃんとしなきゃ」という思いは強いけど、何をどうしたらいいのかわからない。
何かを頑張らなきゃと思いつつ、目の前の仕事に精一杯打ち込めない。
仕事以外に何か夢中になれるものがあるかというと、なんにもない。
寝てばかりの休日に、また焦る。
浅田真央にも、宇多田ヒカルにも、渡辺直美にも、蜷川実花にも、はあちゅうにも、スプツニ子にもなれない自分を責めていた。
大人になったら自動的に世界に革命を起こせる何者かになれるはず、と思っていた過去の自分に対して負い目を感じていた。
自分の価値はゼロだと絶望していたけど、どうしていいかわからなかった。
20代はずっとそんな思いを抱えていたので、気分が晴れることなどほとんどなかった。
がむしゃらに藻掻いて、己を知る
そんな私が、問題から開放され始めたのは、歳を重ねたから…ではなく、人生追い詰められたからだ。
31歳で、当時同棲していた彼氏にこっぴどい振られ方をした。
夜も眠れず、ごはんも食べられず、でも、なんとか仕事だけでもちゃんとしなくてはという思いだけで、手と頭を動かしていた。
がむしゃらに藻掻く日々の中で、上司がフィードバックをくれ、お客さんから反応が返ってくる。
そこで気づいたのは「こんだけ必死にやっても、失敗するし、いい方向に進んでもほんのちょっとだけなんだ!」ということ。
世の中は、私の力なんかじゃ変えられない。
今までの自分は何にも挑戦できていなかったし、妄想だけで自分を過大評価していたことに気づいて、軽く絶望した。正直、自分で自分が恥ずかしかった。
そんな日々の中で、いい意味で諦めを知り、何者にもなれない自分を責める気持ちが薄れていった。
マイペースに、何者かになればいい
では、私は、何者かになることを諦めたのか、というと決してそうではない。
テリングでインタビューを受けてくださるような著名人からもこんな声を聞く。
「世の中は一気には変わらないんです。だから私は自分ができることをやって、少しずつでも良い方に向かえばいいと思っています」
有名な方でさえ、そう感じているのだ。私なんかの影響力は、言うまでもないだろう。
今の私は、20代の時に夢想していた、「他人から評価される何者か」は、もう目指していない。
自分のできる範囲で、自分のできるペースで、「自分が納得できる何者か」になればいいんだと、今は心から思っている。
革命を起こせないけど、仕事で関わっている人たちや家族・友人に、少しずつでもいい影響を与えることはできる。
自分が「こうしたい」という意志や「こうなったらいいな」という願望を、ひとつずつ叶えていけるように、マイペースに動くことがとても尊い。そう気づけることで、29歳問題(私にとっては20代問題かも)は解消していったように思う。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181226-00010000-telling-life&p=1
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自分がなりたい「何者」、なりたかった「何者」とは何か。ネットの声
なんだろう、冷静に見ると10年前の自分よりもスキルは上がってるし、収入も上がってるのに、何故だか自信が無い。
かと言って、第三者と触れる機会があると自分を大きく見せちゃったり。
そんなこんなであっという間に定年迎えそうだけどね。
人に迷惑かけずにひたむきに頑張っていれば良いんじゃないかな?
有名になる事、大きな仕事する事、人生それだけじゃないですよ。
今となっては二番目で良かったと思っています。二番目だから見えた景色がある。二番目だから平凡な人生と夢のような人生どちらも味わうことが出来た。二番目だから夢をすっぱり諦めて結婚して子宝に恵まれた。一番になっていたら今だに夢を追い続けて結婚もしておらず子供もいなかっただろう。
不思議と今の人生で良かったな、と思える。歳をとったからなのか諦めかはたまた負け犬の遠吠えかもしれないが、自分は幸せな負け犬だと胸を張って言える!
そういえば、通信簿を思い返しても担任の通信欄には決まってどの先生も「マイペース」と記入されていたな。あんまり、見栄とか出世欲も我ながら無い。。
ただ、若い時はそんな自分でも色々な事に関心をもってチャレンジしていたな。楽器とか語学とか、若いからこその反骨心とか、向上心が強かったと思う。まあ、当時それはそれで肩肘張りすぎてたな。と思うが充実感はあった。
中年の今はそういう気持ちも沈黙してしまったな。無為に過ごす事の拒絶感はある。若い頃のような情熱感は、たしかに取り戻したいな。他方で、一通り経験してしまったんだろうな
時間の流れが加速度増して、わけわからんなってきた。
三十代になると、ある程度もう自分の領域、注ぐべき力量など、決まってくると思うので、選択肢がおのずと減っていきますから。
でも選択肢が減ってくるのは腰を据えられている、と捉えることもできますし、良いことではないでしょうか。
四、五十代になっても自分の可能性を試す云々言っているより、堅実だと思います。
地方出身者なら、東京で”一旗上げたい”という思いはあるだろうし、男でも女でも”人生で一花咲かせたい”という気持ちはわかります。
でもさ、自分が有名になったり、自分が作ったものがヒットしたりすると、それはそれで大変なもんです。
アンチも増えるし、いちゃもんも付けられるし、周囲の妬みも生まれるし、今まで味方だと思っていた人達からの嫉妬も受けます。利権狙いであやしい人達も近寄ってくるし、有名になったりヒットを飛ばせば、ストレスから解放されるわけじゃないんです。
”ストレスの質”が変わるだけで、大変さは変わらないよ。
大事なのは、”足るを知る”ってことだ。
でも、がむしゃらに藻掻かない奴は沈むだけだし、がむしゃらに藻掻いてる奴は、確実に上に上がります。
こんな大人になりたいとも、子供のままでいたいとも思わず、ただただ毎日が幸せに過ごせたらそれで良いやって考え。30超えておっさんの年になったけど、今でもそんな感じ。
なるようにしかならんけど、とりあえず人様にあまり迷惑かけないように、自分と自分の家族が幸せであれば良いやってぐらい。
それだけを叶える為にでも結構必死なのに、それ以上何かを望む余裕なんてないや。
芸術を楽しみたければ、芸術の修行を積んだ人間でなければならない。人びとに影響を及ぼしたいと思うなら、実際に他の人びとを本当に刺激し、影響を与えられるような人物でなければならない。
人間や自然に対する君の関わり方はすべて、自分の意志の対象にふさわしいような、君の現実の、個人としての生の明確な表出でなければならない。
もし人を愛してもその人の心に愛が生まれなかったとしたら、つまり、自分の愛が愛を生まないようなものだったら、また愛する者としての生の表出によっても、愛される人間になれなかったとしたら、その愛は無力であり不幸である。」
by カール・マルクス
「願いはかなう」という言葉は頻繁に聞かれるが、これは間違いだから。
・・・蟻は決して象を持ち上げられない。
適切に判断し適切に努力するから成果が上がる。が、多くの人は出来もしない幻想に向かって格闘する。
科学でも芸能でも商売でもメディアに出てくるのは華やかな面だけだから、裏に隠れてる苦労や努力のことは全く知られない。
野球では清原クラスでも簡単にお払い箱にされるように、TOP選手になっても毎日毎日苦労は絶えない。
それに耐える覚悟はあるか?
各自自分にあった場所があるはずなので、それを見つけるように考えることが本当に大切なこと。それが人生設計というもの。
昔はどの国も身分のある封建社会で、それぞれ役割を決められていて平等ではなかった。けど、それはそれで楽な社会だったのかもしれない。
そういう世の中なら「自分は何であるか」「何になるべきか」「なぜなれないのか」とか余計にぐちゃぐちゃと考える必要がないんですから。
今の働き盛り世代は、幼い頃から、学校でも家庭でも、何かをなせば評価されるという功利主義的な中で暮らしてきたから。
ピアノが上手になれば親が喜ぶ、給食の完食大会でクラスが優勝すれば先生はみんなを褒める(うちの子の小学生時代の実話)、何かができること、成果が出ること、それが素晴らしいという価値観。
人間の心はそんなんばっかりじゃ冷え切るよね。
自分が今ここで生きている、それだけで万歳な人生をホントは大人が教えてあげなきゃいけないんだけどね。
最高の幸せであり、成長ですよ
それが挑戦するエネルギーになって、自分を支えてくれてるのではないかと思ってます。家庭ができたらきっと挑戦はできなくなるので、とにかく今はがむしゃらで、孤独と不安との戦いです。
条件付けもしなくていい
ネット言語に惑わされなくていい
生きたいように生きればいい
年齢も性別も
情報に惑わされず
思ったことをすればいい
比べたって仕方ない
そんな記事が読みたい
>はあちゅうにも、スプツニ子にもなれない自分を責めていた。
最近の言動からして「はあちゅう」にはなれなくて良かったと思いますよ。
わたしは40代半ばで大病をして奇跡的に助かり、色々な間違いに気づくことが出来ました。
人生はいつからでもやり直すことができる。
それを痛感している今日この頃です。
妄想は無料だし、心を癒やす場合もあるよ。
何者かになるというのは裏を返せば何者でも無いということでもあります。
常に現在の自分がその「何者か」の姿でもあるのだから気負わなくても良いという風にも考えられますけどね。
東洋経済のはこの40という時点を見てのコメしてきたが、こっちでは反対に焦点当てて言うわ。
というのは、これあるから。
>何者かになれると、ずっと思っていた
今もポカリスエットのCMとかであったけど、なんか過剰に君はなんでもやれる、と言い過ぎやろと思ってた。それに何かあれば事ある毎に夢やろ。別に否定する気はないが、わかって欲しい点はそれしか言わないし、無理矢理夢を持たせる語らせる次元まで来て、だから違うやろと思うのだ。とかくここ数十年の文化的全般において映画でも漫画でもそこ一本に方向づけるのが個人的に気になる。
それを触れてきた世代がまさに30、40で、一方で社会的冷遇を受けてきてごく当然のチャンスも取り上げられながら来てる。
マクロとして見たら無茶苦茶やった。
本当ですね。
ないもなのを数えてばかりだから、
何も得られない人生なんじゃないかな?
私は、あるものを数えています。
お金じゃ買えない、家族や友人がいること、
家があること、健康であることなど、、。
だからか、たくさん得てる人生で
本当に毎日が有り難いです。
重要なことは望んだり生きたいと思うことに飽きないこと、だそうです。
昔みたいに適齢期で結婚して子供を産めば母親になれる。
そんなのいくらでもいるじゃん!と思うかもしれないが、
母親とはその子供にとって絶対的存在なのだ。
こんな素晴らしいことをなぜわざわざ目を背けるのだろう。
いくら頑張ったって世界を変えられた利できない・・・なんて、
やってみなくてもだいたい想像つくでしょ。
会社なんてあなた一人がいなくたってちゃんと回っていくから。
でも、母親が倒れたら家庭内は回らなくなる。
そのくらい重要ポストなんだぞ!
仕事ばかり頭にある人は、よ~く考え直した方がよい。
自分は奢った人間だったと、ずっと恥に思ってたのですが、こういう悩みはよくある悩みだったのですね。少し安心しました。
んで就活〜就職2〜3年目で社会のちっぽけな歯車のピースに過ぎないことに気付かされ、自己客観視出来るようになってくって健全な成長の過程ではないかな。
こういう人にとっての「何者か」って、可能性のかたまりなんだろうね。だから、出来ないことがあるという事実がほかの人よりも重く感じるんでしょう。
実際には、どんな人間にも限界はあるし、それを知ってなお、その先を目指す・目指した人たちが高く評価されてるんだけどね。
そこには、舗装された綺麗な道なんてない。
血反吐を吐きながら、はいずりながらでも前進出来なきゃ、到達できない世界。
だのに、多くの人は楽にランランとスキップしながらたどり着いたとか思ってるんだよなあ。
私はそういうわけで、特段に「何者か」を目指したことはないですけど、でもこの女性の場合「何者か」になりたいのなら、まだ35なんだし、決して目指すのに遅くはないと思いますよ。失恋したところで、
別に体の支障もないのであれば、それでよいのでは? まだあきらめないでほしいですね。
あるのか、反省分析して自分を変えて行った方が
良い未来があるはず
喜びも悩みも共有できる相手が現れたら、この女性
の考え方も随分変わってくるでしょう
「何者か」?とかナルシストぶって考えるのが良くない、何者でもない、全部自分自身が生きてきた結果と
事実ですよ。
人並みの生活したいとしか思わなかったな。
就職氷河期に就職失敗。
何とか小さな会社入って、もう少し給料いい会社にと転職決意。
リーマンショックで転職に苦労しながら、少しマシな会社に。
それでもいつ潰れるかわからない会社。
それでも何とか食ってけて、結婚出来て、子ども出来て。
あとはもう少し安心できる会社ならベストなんだけれど、家族とたまに旨いもの食べる程度の平凡な生活には大満足してる。
男に生まれようが、女に生まれようが、1日24時間なのは平等です。お金持ちだろうが貧乏だろうが1日は24時間です。
ようは、この約30000日をどう生きるか?がその人の人生観となります。
でも、約30000日も生きられず、震災などの自然災害や病気や事故で亡くなる人、自殺などを選ぶ人もいます。
今、生かされている人達は、自分のこの約30000日の有限の人生の中で、成し遂げたいことや、かなえたい夢や、自己実現のために人生の時間を使うのも立派な人生観です。
人と比べて劣等感やコンプレックスで凹んでる時間は、あなたの人生にとって、もったいない時間です。
大事なのは、”足るを知る”ということですし、何物かになるとしたら、もっと”自分になる”ということです。
現状維持だって立派な選択だ。
人生は短いし悔いの無いようには生きたいですね。20年前の教育は「個性を伸ばせ」でしたね〜個性なんてそれ以上でも以下でもないのに普通で良いのに。無責任なタレントみのもんた とかテリー伊藤とか久米宏とか個性的なクズが煽ってそれが教育にまで浸透していた。
普通の人が無理やり個性的になる強迫観念が生まれて変な髪型したり本当の自分探し等が流行りました。あれは害悪でした普通で良いのです。
そこそこ幸せに行きてこれた人はこういう思考になる人が多そうですね。
子供の頃から親に暴力を振るわれ行きてきた身としては、独り暮らしをして好きなことして行きていける今の世界が30になっても輝いて見えますし毎日楽しいですよ。
世界に影響て、、、
普通でいる事が一番難しくて、普通な事は幸せなんだと思うよ
成功するような人はもっとがむしゃらに目標持って突き進んでる
もうちょい生き生きしてて、それでいて現実的
多分この世代には多いのかも
でもさ、もう少しリスクをとって書いてほしい
これは難しい
自分で決めることではなく
世間が決めることではないのか?
どう生きるかは自分で決めるのであるが
何をして何を残したか?
それを意識して生き抜くのだ。
そりゃ、リア充、大金持ち、成功した青年実業家とか憧れはあるけどそんなのなれるわけ無いって自分の実力がわかったのは30代に入る前。
30代を過ごして、アラフォーに手が届く今…人生を楽しみ、楽しむために仕事をしてお金を稼ぐことが大事かな。この方は、誰かに認められること、誰かとそばにいることで安心したいだけじゃない?なんか、35歳にしては少し幼い印象を受けました。
勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
ただ、気を付けるべきは、この「何者かになるにちがいない」という感覚と、実際にあるかどうかは分からない例ですが、例えば「教育学部出て単位全部取得して、教員採用試験にまで受かったのに、先生になれなかった」ということを結びつけて問題視すること。
ならなくてもいい像に執着することと、レールに乗れなかったことの深刻さをごっちゃにして考えると精神衛生上良くないです。整理しよう。
まさかこの歳になっていまだに彼女の一人居たことがないので、
何者になる以前に人間になりたい
私は目の前の問題で頭がいっぱい。
無駄に意識が高すぎて、自分ができることからやるより、はるか遠い山のてっぺんばっか見てる。
だからこの女は結婚相手にも求めるものが高すぎて、この女の条件に合う男はとっくに結婚してるか、何かくせがあって結婚してないかなのに、高望みし続けて30代40代と過ごしていくのだろうなあ。
有名な方でさえ、そう感じているのだ。私なんかの影響力は、言うまでもないだろう。
↑
「私なんか」、今でもこのような考えが残っているのなら、まだ解放されたとは言えないだろう。
話には概ね理解できるが。
老後を考える年でも、、、、
明日死ぬとわかっても、今日種をまく
人生でありたいと思い続けてるから
10うん年前に出た、私が大好きなゲームのキャッチコピーです。
でも、その頃から知っていました。
「私は私でしかない」
私は所詮私。それが悲しくて仕方がなかったけれど、今は、
「私は私になれた」
と思っています。
この世でたった一人の私。
人の親、妻、契約社員という役割や肩書きを取っ払った、ただの私。
私はただここにいる。それは素晴らしいことだ。
人生で、一瞬でもそう感じることができれば、役割や肩書きを背負って、あるいはそれを求めて生きる普段の生活を、より大事にできるのではないかと思います。
羨む気持ちは捨てた方が楽
自分は自分
大多数の人間が何者にもなれないまま死ぬまで生きていく
残酷な現実に疲れ果てました
『世界を変えた』
いやいや。自分の意思とは関係なく世界は勝手に回っている。
何者かって何???
誰もが知ってる偉人とかになりたいの?
なれないと存在価値がないの???
大坂城建てさせた秀吉は価値があるけど石垣積んだ職人は価値がないとかそういうこと?
でも大半は何者にもなれずフツーの会社員やりますよね。
上に媚びへつらう連中が出世していく現実。
でも闘うしかない。だってそれが人生という闘争なので。
意識ばっかり高くて勘違いしてる若者多すぎる
何か今の立場がいいと思う
ヤフコメ民に羨ましがられるわけでないけど自分は誰かに一本のネギを与え与えられ
遅くても高校卒業段階で気づくべき
ご飯美味しい、とかでいいんだよw
残念です
でも女性は若い時に限っては性でちょい革命くらいは起こせるかな。
YoutubeやTwitter見てても感じるけど
女の子がちょっとエロ表現しただけで凄い反響だもん。
おばさんになってからでは至難です。
男性には到底無理です。
こういうことを言うと、向上心がないとかそんなのは逃げだとかって言われるけど、有名になったり偉くなる=幸せだとは思えない。
たとえどんなにその業界で一旗あげても、そこに関心ない人からしたらただのオジサンオバサンだからね。
今やれるかどうか
99%はそんな人生だ
急に出てくるもの。
良い漫画です。
褒められて、そこで終わるから浅田真央にも宇多田ヒカルにもなれなかったんだよ。
職に就けない人だっているんだぜ
そういうのが好きなんでしょうね。
或いは…危険な薬がキマってる人の話とか。
生まれてからもこれからもずっとコジコジだよ
さくらももこの漫画より肩書きや他人との比較ばかりで、
己と真摯に向き合ってこなかった報いだ
そうか。
少しずつ前進しよう。
ほんと、、何にもないよ、からっぽ
国民の義務果たしてるだけ
家族はいるけど子供も旦那も私とは別人格
自分だけの何かってないなぁ、、、
そんな女は面倒くさそう
「私」じゃだめなんですかね。
要は20代半ばまでにちゃんと結婚できなかった売れ残りの負け犬の戯れ言ということですね
・人様に迷惑をかけず
・自力で生きて
・死んだ時周りから惜しまれたら上等
って思ってた自分はダメかな
何者かになりたいって思ってなるもんじゃなくて、小さな目標を1個ずつ達成していって、日々努力を積み重ねて、何かに情熱を注ぎ続けて、、そして気づいたらいつの間にか何者かになってるんだよね。
でも自分の場合、所謂努力不足、やる気不足だっただけだ。
本当に何かを残す人は何者かになりたいなんていうところに意識は置かないだろうな。もっと高い志で目的意識をもって歩み続けている人なのだろう。
永遠に自分を探し続けて下さいね。
後の個人的な問題や自己啓発に意味は求めてない
いつの時代も、名前を売るより小世界を謳歌する方が余程の価値がある
後は観念の話だよ
30代でやっと、周りの人の存在に感謝できるようになりました。
その気持ちに折り合いつけて、健康なら幸せなんだとかさ、誰かよりはマシと生きている。
突き刺さる言葉だなあ。
何者でもない自分。
よく考えると普通のOL/サラリーマンの仕事の一コマなんてわざわざ公開しない訳で、
派手な世界ばかり目に入り、そこに及んでいないとか自分は地味で何も成し遂げてないとか考える人も多いのでは無いでしょうか。
ちゃんと仕事して自分を食べさせる事が出来ていれば十分立派と言えると思っています。
自分は自分でいいし、特別になる必要もないし、世界に革命を起こす必要もないですよね?
幸せになるには、人から愛し愛されたり、役に立って感謝されたり、笑顔を作れたりするときで、別に何者かになる必要は全くないですよね。
なんのために何ものかになりたいのか?要は自己否定でしょ?
自分も独身時代は自意識過剰だったけれど、子どもを産んだらそれがスッと消えた。
子どものために毎日が忙しいけれど、スクスク育ってくれる喜びがある。
子どもを産むと楽になるタイプの人もいるよ。
その上に、新しい時代を築いてくれ。
結局、失敗して言い訳したってそれはすべて自分の責任だからね。僕はいつも自分自身に対して、正直であると感じていたいし、生きている限りは人生を大いに楽しみたいんだ。
ほら、ちゃんとテープに録って使ってくれよ。こんなに熱の入ったインタビューはないんだから。あとどれくらいだい?そろそろ飽きてきちゃったよ」
byフレディ・マーキュリー
何を言ってるのかさっぱり分からんが。
感謝感謝w
ケセラセラ。
そこは地方とかでしょ。
両親がいなくなっちまえば娑婆で暮らす理由もない。
どうせどこに行っても厄介者、邪魔者扱いされるだけだからな。
軽い知的障害があるものでね。お前らも心底差別しているよな?
自分より下の存在がいると思うだけで安心できるものな。
管理人の率直な感想
少しでも今の自分に疑問を持っているなら即行動ですよ。
こう言われて「そんな簡単にはいかない」と考える人は、結局何も変わらずっとそのまま。
僕は仕事も環境も全て捨てて、180度違う世界に飛び込んだ事がある人間なので言えます。
ある日「このままじゃ爺さんになったときに絶対に後悔する」と決定的に思ったんです。
何が決定的だったかというと、これといったものはありませんでした。
毎日の日々の積み重ねですね。
「日和ってるな」って思ったんです。
仕事をして友達と遊んで女の子と遊んで。満たされているはずなのに空虚。
何か違うな。
自分は何をしたかったんだっけ?
親父は若い頃、何になりたかったんだろ?
そんなこんなで、生活を180度変えました。
苦労はしましたよ。
それまでの生活では味わったことのない屈辱とか理不尽さも堪能しましたし。
けど、これでいい。
苦労をしなければ何かを得られないような気がしていました。
苦労よ、どんどん来い!とさえ思ってました。
今回のお話は「35歳が考える29歳問題」ですが、何歳だっていいんですよ。
50才だろうが60才だろうが。
死ぬ間際に「自分の人生は何だったんだ」と思わなければいい。
死に際ってのは人生の大エンディングなわけですから、疑問を持ったままじゃ・・・ちょっとどうなんかな。
「普通でいいんだ」という人は、それが既にその人の指標になっているので充分だと考えます。
羨ましいとさえ感じます。
普通じゃつまらないと思ってしまう性格は自分でも厄介だなと思ったりしますし、同様の考えの方もいらっしゃるのでは?
なんだかなっ!ですよね。
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