「災害はこちらから呼んで来るものではなく、向こうから突然来るもの。被災者と接するうちに、死者との関係性を置き去りにしたままでは震災を記録できないのではないかと考えるようになった」。関西学院大の金菱清教授(45)はそう説明する。
1995年に阪神・淡路大震災を経験し、「強い印象が残っていたが、個人の身の丈にあった体験の記録が少ない」と感じていた。2011年の東日本大震災では、東北学院大の准教授(14年から教授)として、「震災をしっかり記録におさめよう」と調査・研究に取り組んだ。
ゼミの学生とともにまとめた『呼び覚まされる霊性の震災学』は、幽霊の目撃談で注目を集めた。
学生が宮城県石巻市のタクシー運転手に幽霊現象について聞き取りを繰り返すと、こんな話があった。
東日本大震災後の心霊現象
震災から3カ月ほどたった初夏の深夜、石巻駅周辺で真冬のコートを着た30代ぐらいの女性が乗車してきた。目的地をたずねると「南浜まで」と答えたので、「あそこはほとんど更地ですけど、かまいませんか」と聞くと、「私は死んだのですか」と震える声で話した。驚いて後部座席を見ると、誰も座っていなかった。
他にも、8月なのに厚手のコートを着た20代ぐらいの男性客が、目的地に着いたときには姿がなかった話。8月の深夜にコートにマフラーをした小学生の女の子が手を挙げて乗車、運転手は迷子だと思い、女の子が答えた家の場所まで送りとどけると、「ありがとう」と言って降りたとたんに姿を消した話。そんな体験談が記されている。
こうした体験談には「思い込み」や「勘違い」とは言いきれない面がある。タクシーは人を乗せて走り出した時点でメーターを「実車」や「割増」に切りかえるため、乗せた「幽霊」は無賃乗車扱いになって運転手自ら肩代わりしており、記録が残っているという。
「幽霊が出ない街」もある
東日本大震災後、さまざまな幽霊の目撃談が出た。死者・行方不明者が1700人を超える岩手県陸前高田市では、「何十人もの幽霊が道をふさいで車が渋滞した」という話もあった。そうした目撃談が相次いだ背景には、東北には「イタコ」や「オガミサマ」などの「口寄せ」信仰があり、「霊的なものに親和性がある」と分析されることもある。
しかし、金菱さんは「そうした考えもあるかもしれないが、私は懐疑的にとらえている」と話す。関東大震災や東京大空襲、広島・長崎の原爆、阪神・淡路大震災でも幽霊の目撃談はほとんどないとされているが、「調査が少なく記録として残っていないだけかもしれず、東北だけ幽霊が出るとは断定できない」という。
金菱さんはゼミの学生が調査した「幽霊が出ない街」、宮城県気仙沼市の唐桑半島を例に挙げる。遠洋漁業が盛んな地域で、津波だけでなく海難事故による死者・行方不明者が多い。行方不明者を1週間程度捜索して、見つからなかった場合、漁場で指示を出すトップの漁労長が「死」を決め、家族に宣告する。津波の場合でも、のこされた人たちが「死」を社会的に受けいれ納得する文化があることで、「幽霊が出ない」のだという。
参照元:GLOBE
『心霊現象について&みなさんの心霊体験』ネットの声
夜、大きな病院近くでお客を拾った。
とある住所に向かってくださいと言うので、タクシーはそのまま言われた場所に車を走らす。ある一軒家の前に着き、お客は金を持っていないので家に取りに行ってくると言って家に戻ったが、待っていても戻ってこない、これはどうしたことかと夜遅い時間だったが、その客の家のインターホンを鳴らしそのお客とは違う家人が出てきて事情を話すと驚いたような顔をしていたが、その客はもう故人で客を拾った側の病院で亡くなったそうだ。家族は魂が戻って来たんだと喜んでくれて運転手さんに料金の支払いをしてたて話し。
これ聞いた時怖くもなかったし、良かったなとか思った迷わないで家に戻れてて。
怖くすればいいってもんじゃないよなて思う、いい話も沢山あるはずだよね。
魂になっても帰りたいて思うのは当たり前なんじゃないかな。
逢いたいなあ
同じような話が何件もあった。とのこと。
その後その近くの貯水槽で目撃されていた女性のご遺体がみつかる。
交際男性とのトラブルにより、殺害されていたらしい。
ご遺体から亡くなった時期を鑑定したところ、目撃情報よりずっと前であることがわかったとのこと。
目撃は複数の全然つながりがない人たちからであり、いまだに科学的説明がつかないということでした。
電話と女性が家に入った時間がほぼ同じで運転手呆然…というもの。
いろんなパターンがあるのね。
自分も若い頃は古着屋で働いてたが、それ系の話はほんとよく聞いた
故人の思い入れが強い商品なんかを扱ってる業界ではアルアルなんだと思う
縁がないから知らんけど、骨董屋とかスゴそう
そこは信号の前で何人もタクシー待ちしてる場所だった。
思いっきり車道に出ていて、轢かれそうなのに微動だにしない。
そして手を上げてない。
いつも黒っぽい服を着てて、髪の毛も真っ黒、おかっぱで顔色も真っ白、周りのサラリーマン達とあまりにも違っててなんか気持ち悪い、不気味。
「あんなの引いたら洒落にならんな」と思っていた。
「そういやあの人毎朝必ず見るな」と思いはじめ、もしかして・・・と思い始めたらある日こちらをジッと睨んでた。
それきり見なくなり「何か変だな・・」と思いよくよく見てみると車道からは見えなかったのだがその信号の奥の道に寺があり墓地もあった。
何となく納得した。
多分寂しくて毎朝通勤の人に混じって出てくるのね、と。
生前楽しかった日々、笑って過ごした幸せな日々。
それらがその瞬間からなくなってしまった。
大切な人、毎日そこにいるのが当たり前だった人がいなくなってしまった。
その境遇になった時人はその人を思い悲しみもう一度会いたいと思うのだと思います。
もしそうなった時、夢でまた会えたらどんなにいいかと思うことでしょう。
タクシーの運転手さんはきっと亡くなった方のお気持ちを運んできてくれたんでしょう。あの日、あの時から彼らの時間は止まってしまっている。それを少しでも先に進めてくれたタクシーの運転手さん達に感謝したい気持ちです。
タクシードライバーさんは縁もゆかりもない人物だから
見間違いだけでは説明がつかない。
家にかえりたかったんだろうな
実際に生死の境で測定重量が変化したらしい。
今の科学で説明がつかない、見えないものは実在しますよ。
だって人類は、肉塊に意志をもたせることも出来てないし、宇宙の重さの源が何であるかも証明出来てない。
その程度の科学で魂の存在を否定出来る訳がない。
皆んな、深い喪失感をしまい込んで、日常に戻ろうと努めてますが、霊の人も生きてる!これは確かだといえると思います。どうか、死んじゃった!もう会えない!なんて絶望しないで、死者と会話を続けて下さい。きっと変化が起こりますよ。
うちの防犯カメラにはどのように写るのかな。
死を受け入れる習慣が関係しているとすると、先の大戦で戦死した240万の英霊が、人数の割に幽霊目撃談が少ないのも納得できる。
戦死を受け入れていた人達だったから。
靖国神社も幽霊目撃談は少ない。
住所言えるくらいなら家帰れそう。
それにお盆に帰ってくるんじゃなかったっけ?
とか、病院に入院してる身内や、遠い親戚や祖父母が今際の際に枕元に立ったりするんじゃなかったっけ?
生きている人間は生身で空を飛びませんからねえ。
勿論、数ある諸説のうちの一つです。
死んで火葬され、その司令塔の脳が無くなってしまったら、心配も苦痛も恨みも何もかも無くなってしまうはず。
だから脳がイカれてしまうと、認知症や統合失調症になる。
脳が病気になると性格が変わってしまう。
こころが優しい、冷たい、ハートがあったかい、これらは胸じゃなく脳。
すべては脳・・・、その脳が無くなってしまえば・・・。
そう思ってたんだけど、今でも理屈ではそう思ってるんだけど。
でも、さすがに2、3度不思議な体験をすると混乱してしまう。
親戚の死の後、どうしても自分の思い違い、偶然、錯覚では説明できない経験をしてしまうと・・・。
タクシー運転手が墓地の前で不気味な女性客を乗せて自宅まで送るが、実は女はすでに死んでいて、そのこと知ったタクシー運転手は這う這うの体で逃げだす…というのはお馴染みの展開。
ここでネタ晴らしがあって、実は女は幽霊の振りしてタクシー運転手をからかうのが趣味。まんまとタクシー運転手を騙して料金も踏み倒しご満悦な女だったが、何とタクシーの中に免許証を忘れていたことが発覚。「幽霊が忘れ物しちゃ不味い…」と、仕方なく運転手に謝って許して貰おうとタクシー会社に連絡をとることに。
すると電話口で応対したタクシー会社の担当者は衝撃の事実を口にする
「そのタクシー№のドライバーなら、随分前に事故で亡くなりましたが?お客さん、からかってます?」
「え…」
とその時チャイムが鳴る。玄関前に人影。そして
「先ほどのドライバーですが。奥様の忘れ物を届けにまいりました…」
本人の魂はタクシーで家に帰ってきて極楽浄土に旅立つってないってどんだけ搾取されてんだよ
というエピソードに泣いた。
年月が経ち自分は歳を重ねるけれど、幼かった子供はそのままの姿なのか、それともどこか違う世界にいて立派にしあわせに成長しているのか、
願望や寂しさが渦巻く親心が理解できる気がする。
もう16年前。
お仏壇には赤ちゃん用の帽子やラトルを置いていますが、天国で成長しているのならもう高校生…
毎朝お茶を替えお線香をあげて手を合わせるときも、心の中でどのように話しかけたらいいのか迷うときがあります。。
記事のお母さんの気持ちが私と重なり涙が出ました。
自分の老親の弟も六歳で疫痢という病気で一晩で亡くなってしまった時の話も不思議で、この弟は凄く賢い子だったというが、病気になる前に親が一から十まで数えを教えてもどうしても六まで数えるけれど、七を言わなかったとか。
何度教えても「七がない」と泣きじゃくったそうです。
だから亡くなった後に、自分からみれば祖母になるが「六歳までしか寿命を神様からもらってこなかったのだから、いくら教えても七が出てこなかったのだろうね…」と言ったという話を親から聞いたことがある。
世の中には科学では解明できないことが、まだまだ沢山あるということだと思う。
うちの主人は弟を亡くしてるけど
舅達は亡くした弟ばかりを褒めるから嫌になるって言ってました。
その親が認知症になって弟を忘れてくれて良かった
舅は亡くなり姑も、あと少しですが、弟を忘れてくれてるので良かった
主人は寂しかったみたいです。
心の目で見る感覚。
この場合、多分子どもの姿をしていますが、心で手紙も読むので、漢字や平仮名かは関係ありません。
6歳の~ちゃんへの手紙はほとんど平仮名。
7歳の~ちゃんへのは少しだけ漢字を増やす。8歳、9歳とそうやって毎年少しずつ漢字を増やして手紙を書いていくのはどうだろうか。
この、6歳で亡くなったお嬢さんも、お母さんにおぶさりに、時々帰ったこともあるのではないだろうか。
一年に一度だけ1分だけでもいいから亡くなった人と会話ができたらいいのに。
姿は見えなくても、声がききたい。
そうしたら、すぐ引き戸を開けて、母が現れたので、そちらの方にびっくりしてしまい、目が覚めました。
母は私の事を心配して、今でもすぐ助けに来れる所にいようと、がんばっているのだろうか、と考えると、とてと切なくなりました。仲の良かった伯父や伯母もあちらに逝ったから、母を待っているんじゃないかな。私は、もう大丈夫だよ、お母さん。
自分が聞いた時も眉唾だと・んなアホな!って思ったんですが
方法ってのは・・怖い夢を見始めた時に「またこれかょ!」
「またこんな夢みせられるんかょ!」って思う事です
自分は全く信じてなかったんですが
若い頃仕事で2階の屋根の上から落ちた事がありまして
悪夢の際にはその落ちてる瞬間の風圧さえ感じるくらいに明確で
飛び起きる様に目が覚める事がしばしばあったんですが・・
夢の中で落下寸前の時に「またこれかょ!」って思う事ができ
それ以来落下する夢は見なくなりましたw
信じるも信じないもあなた次第ですが・・・
そんな不思議な体験をしました
百箇日法要の際、家族で撮った写真のお堂の鐘に母の顔が現れました。
驚きましたが父と私、小一の娘はその時はまだ悲しみから立ち直れておらず、幼い娘までも鐘に写る母をはっきりと認識し、3人で『お母さんが来てくれた』とホッとする気持ちになりました。
百箇日は悲しみから立ち直っていく区切りの法要でもあるので、突然の別れになった母と本当のお別れが出来たように感じ、感慨深い思いがしました。
夢に出てきてくれるということは、近くにいてくれているということですよ。
日本で最初に都が置かれた土地で色々話は聞いても「爺さんが枕元に」とか「落ち武者が出た」って話は聞いても聖徳太子や蘇我入鹿的な見た目の霊、夢の話はほぼ聞いたことがない。
結局、自分がイメージできるかどうかの違いかと?
であるならば、父母、祖父母、きょうだい、子と自分に近く、強烈に思慕が残る人を見がちなのは人として仕方がない事かと思います。
それから10年経った頃整体師さんにお世話になまた際に、身近な方で亡くなられた方にいつも何か訴えたりしていない?と。
その亡くなられた方が次に行けないからと言ってるよと。
母だ!とすぐにわかりました。母が近くに来ているんだとじんわりと不思議な感覚で涙が出ました。
それ以来、助けを求めるのではなく感謝の気持ちを言うようになりました。すると遠くから無言で私を見つめる悲しい母の夢を見なくなりました。
きっといつでもあなたを守っていてくれる存在なんですょ
これって親族・・人間だけじゃなくペットも同じなんですょ
生前可愛がってたペットに守られてる事もあるんですょ
ペットも家族なんですょね^^
心当たりのある方・・
たまにそのペットを思い浮かべながら胸の前で頭を撫でる様にすると・・掌が暖かく感じる事があります。
ペットにも感情はありますし繋がりはペットも人間も同じなんだと思います。
いきている人と死者との関係性って言ってるけど、そういうものは人間にはあるよね。
夜間走行の貨物列車がすれ違う時に、一人しか乗っていないはずなのに二人で乗っているように見えたとか見られたって話もある。
単なる光の加減など見間違いかもしれないけど、もしかしたら・・・とか、解らないことがあるのは悪い事ではない。
世の中には、科学で説明できないこともあるのでしょうね。
私より母が可愛がっていたのですが、母には出ず、なぜか私に出ました。
日曜の昼過ぎ、「にゃあ」と言う声に顔をあげると戸の開きっぱなしの私の部屋を覗いていました。
ああこれが幽霊かと思い、「◯◯様?(うちは猫に様付けしてました)」と呼び掛けながら立ち上がると、階段を下りていく軽快な足音がしました。踊場から下を見ると、下りきったところで尾を立ててこっちを見ていました。
とりあえず私も階段を下りましたがもういませんでした。
その後も何度か台所や家の前で見ましたが、いつの間にか現れなくなりました。
ちゃんと「なおー」とか鳴くし、ものすごく実体あるので不思議でした。
でも、母に言っても一笑に付されてしまい、あれー?だったなあ。
暗がりをみんなで歩いていて、自分は先頭の誰かについて歩いていたのですが、廊下の角を曲がったところでその人を見失いました。後ろを見ると全員が居て、その人たちは先頭の自分についてきていたとのこと。怖くなってそこで中断となりました。
ちなみに、角を曲がった先には下り階段があるのですが、翌日明るいときに確認に行くと、階段の途中に不自然に立っている釘が・・・。もう少し進んでいたら踏み抜いて転げ落ちていたかもと思うとぞ~っとしました。
やっぱり「10年前に震災があった場所」って言われると、「その時亡くなった人が帰りたかったのかな」とか「家族を探してるのかな」とか、怖いよりも理解や共感が勝つのかも。身近だから。
「ここは合戦があって沢山の兵士が死んだ」とか「江戸時代に色恋沙汰で女が殺された」とか言われても、今ひとつピンと来ないもんね。
でもそっちのほうが身近に感じる人もいるかもしれないけどね。それはそれで、人それぞれ。
帰りたい思いがタクシーを呼び止めるんでしょうか。
真実に紛れて作り話、勘違いも一定数あるでしょうね。
今ならタクシーの話だとドライブレコーダー、車内カメラがあるのでウソつけなくなりますね。
霊魂が本当に存在するなら、広島市民球場(当時)でバースがホームラン打てるわけない。
何万という霊魂が全力で阻止するはずやと。
その殆どの石碑には
「これより下に建物を建てるべからず」
ご先祖様の言いつけを守らず、陸地に建てた結果だ。
昼間にされる事もあるけど、真夜中の2時に聞こえるのが困る。
だから、『誰が死ぬんだよ!』と聞くと亡くなる人を教えてくれるけど
夜中は辞めてくれ!
最近は舅が夢枕にたったりするから旦那の方に行け!と怒ってます。
息子と喧嘩になるからと嫁に来るな!
ついでに塩撒きます。
存在しては困る様な生き方をしている人が多い。
2歳なので人の死もよく分からず子供同士で遊んでましたが、お婆ちゃんの遺体の置いてある部屋に子供達が入ってきて、その2歳の子が不思議そうに空中を見て指さし「いる」と。
「誰かいるの?」と聞くと「うん」と頷きました。
「誰がいるの?」と聞くと、お婆ちゃんの写真を指差し「あの人」と。
「あの写真の人がいるの?」と聞くと「うん」と言ってました。
私には見えませんでしたが。
夜中に冷蔵庫開けて何か飲むくせがあったのですが、その時間になると必ずミシッとかガタ、とか音がしてました。
誰もいない廊下のすりガラスの向こうを白いのが通り過ぎたりして犬が吠えてました。
仕事が終わって部屋に入ると階段を登ってくる音が聞こえるんです。
毎晩必ず。
親族の家にも深夜2時なのに親父の話をしてたらどこからか蝶がひらひら入って来たりなど不思議な話がたくさん出ました。
『カンカン…カラカラ…』。
あら?と思いつつも気のせいだと雑談をし始めると又…『カンカン…カラカラ…カラカラ…』。
気のせいではない!ハッキリと聞こえた洗面器を使う(叩く)音にビビった母と妹たち。
『お父ちゃんや!寝たきりになってからお風呂入れんかったしなぁ。
どうしても入りたいから今、風呂場にいるかもよ…』
その日の晩は母娘は身体を寄せあって寝たそうです。
49日過ぎるまで家の中に留まっていたらしい『気配?』を感じていた母。ある日『もう、天国に逝って!こっちは大丈夫やから心配するな』と言った瞬間、気配は無くなりその後、不思議な音は聞こえなくなったそうです。
長々と書いてスミマセンでした。
もう10年以上も前ですが、私も、叔母の初盆の時、その叔母の娘夫婦が子供を連れて遊びに来たのですが、その子が精霊棚が置いてある部屋に向かって、亡き叔母の名を何度も呼んでいたのを覚えています。お盆だから帰ってきているんだねと皆口々に語っていました。
認知症の症状もひどくてそれまでは祖父の話なんかしたことがなく、祖父が先に亡くなっていることすら知らないぐらいだったのに『突然なぜ??』とみんなで話していました。
母親は祖父の仏壇に向かって『まだお迎えきちゃダメだよ』と念じてましたが、それから1ヵ月もしないうちに祖母が亡くなりました。
それもよくいるとのこと。
これって、我が子を見守る親族なのか、それともこの部屋の住人なのか…。
誰も見てないけど、自分には見えた。
あれが何だったのかは分からないけど、特別な心理状態だと見えるのかもしれない。
そういった類の話は信じてなかったんだけど。
母は誰もいないよ。と答えると娘は
ほら!1、2、3、4…
と数えたそうです。
幽霊なんて全く信じないし普段からそんな存在すら話さない父ですが、母が亡くなって3~4日経ち、玄関近くの部屋で寝ている父が「毎日夜中2時頃にドアをノックする人がいるけど、あれ何だろうなぁ?」と言うんです。
「変な人かもしれないからノックしても絶対ドアを開けないでね」と言いましたが、母なしでは何も出来なかった父を心配して母が様子を見に来たんだろうなぁ・・・と思いました。
同い年のいとこも同じく見てて、おばあちゃんが来てたんだね、って話した。
直後くらいに、親族何人かが祖父の家に集まっていた時の話です。
みんながそれぞれの家に帰る際、私の従弟(男。当時まだ幼稚園に行くか行かないかぐらいの年)に叔母が「おじいちゃんに挨拶して帰ろうか?」と言ったら、誰も教えていないのに一人ですたすたと仏間へ歩いて行ったそうです。
死というものもまだよくわからないのに、その行動に「見えるのかしら。」と、叔母たちの間で話題になったのを思い出しました。
残念ながら、私は霊感が無いようで、まったく見えませんでしたし、声も聞こえませんでした。
車を運転中、前の車が急にバックして軽くAさん車に追突してしまったようです、
前の方が現れた時、亡くなったご主人に似ていてAさんはポカンと
していたらその方『今忙しく明日もここに居ない・・・』
これですみませんと現金を渡されAさんも『はい・・・』と言って
事故処理をしたようです。
その方が去って我に返って車をみたらぶつかっても傷ひとつなく現金は
亡きご主人がいつも渡してくれた生活費と同じだったというのです。
その日は49日だったそうです。
すべて読みましたがトイレに行けなくなりました。
伯母の葬儀の時伯父の幽霊が、棺の横に立ってるのが見えました。礼装着て立ってました。他の親族の幽霊も礼服着て空いてる席に座ってました。一つの椅子に何人も重なってたり幽霊て便利ですね。
怖いのが正月明けの1月4日の義理叔母の葬儀で、会場のガラス戸に無縁仏達が群がって
怖すぎて見ないようにしてました。
中には入って来なかったけど凄く怖かった
しかも49日とか関係ないみたい。
話もできるみたいです。
誰なんだろう、大人には見えないみたいですよ。
5分ぐらいして下駄箱の扉が閉まる音が。。。
家族一同、思わず「お帰りなさい」と唱和してしまった。
娘の「じぃじ、あそこにいるよ」の一言に大人全員涙腺崩壊。娘が指差した場所は父が晩酌のときに坐っていた所でした。
「想い」が還ってくる場所なんですね。。。
編集されてない実体験だから、リアルで怖いです…!
正直、記事のタクシーの運ちゃんに「海岸に行ってください」、「私は死んでるんですか?」という女性の話ももの凄い怖かったです…。
自分は霊的な体験はないが、姉の体験で、母が病院に入院中、夢に出てきて
『旅行に行く予定のバスに乗り遅れちゃった』とはっきり話したそうです
その朝、病院から母が心肺停止していた連絡が入り、数分後に蘇生したそうです
結局、その3ヶ月後に亡くなってしましたが、夢でバスに乗っていたらその日に亡くなってしまっていたのかもと思いました
一番、近くにいた姉に知らせたかったのかなと思いました
定刻に発車だと、富士川鉄橋が濁流で流される時間に通過。
第2子妊娠中には、実家に帰っていた時、たまたま居合た4歳の甥っ子が私のお腹を撫でながら、「この赤ちゃんは産まれてすぐ死んでまうねん」と言ったんです。勿論甥っ子に悪気などありません。でも第2子は重度の心臓疾患をもって産まれ、8ヶ月で亡くなりました。医師も出産当日まで分からなかった事でした。
この2件はずっと不思議のまま頭の中にあります。
本当に大切な事・物は目には見えない。そんな風に感じる。
今も無事に過ごしております。
うちの夫婦には中々子供が出来ず、お互いに色々な検査をしたりお宮参りしたりしましたが、それでも出来ず。3年以上授からなかったと思います。
もう子供を授かるのは無理かもしれないとも思い始めていました。
そんな時私の祖父が他界し、その1ヶ月後急に妻に妊娠が発覚。
そして臨月を経て、生まれてきた我が子を見た時…本当に驚きました。祖父の顔に物凄くそっくりだったのです。
生まれてきてくれた喜びと同時に、私には「あれ?爺ちゃん?」という衝撃が走りました。
その時思いました。あぁこれが輪廻転生というやつなのかもしれないと。
経験した身としては事実に間違いないが、体験したことが無い人が信じられないのも自分もそうだったので理解できるんですけど、大槻教授のように頭ごなしに否定されるとちょっとムッとしてしまう(笑)
まだ未発見の物理事象も絶対にある、と自分の体験で想う。
UFOも三度見ている。
一度目は銀色やオレンジに変化する楕円で下側が回転しているもの。
二度目は真っ赤な血の色に近い横長楕円のもの。
三度めは透明で西洋の盾みたいな形の真ん中に十字の模様が入っていたものが並んで二機。
実際に経験した人でないと中々信用してもらえないということはあるかもしれない。
ちなみに自分も少し霊感がありますが、霊感がある人はどちらも見やすいとか聞きました。
その翌朝ばあちゃんが亡くなったって連絡が来た。直前まで元気だったのに心筋梗塞だったらしい。
どう考えてもばあちゃんが知らせに来たとしか考えられん
この話を友人に言ったらドン引きされました。
親戚の子と2人でしたが、オレンジ色の物体がすごいスピードで空から近づいて来て、さらわれると思って必死で逃げました。
信じてくれる人は誰もいませんでしたが。
子供達と庭で遊んでいた時に撮ったそうだ。
晴天の青空の中に浮かぶ銀色の物体で、底が正方形か菱形のようだった。
かなり上空にあって、位置はほとんど動いていないようだった。
10分ほど後、いきなりサッと消えてように動き、また止まった。
その後しばらくして、再びサッと動いて、今度はそのまま消えてしまった。
この物体の映像はもちろん、それを撮っている友人のお姉さんやお子さん達の反応がリアルで、これは本物だと感じた。
2年前くらいかな、テレビでこの時の物体と酷似したUFOの映像が流れて、ビックリした。
もしや同じ時に同じものを見ていた人がいたのかと思ったけど、撮影場所も時期も全く違っていた。
あれはやっぱり本物だったと確信した。
みんな怖いから黙っているだけで、世の中には、けっこうUFO見ている人がいるんじゃないかな。
真っ昼間、仕事帰りのこと。
道行く人達が、数人上を見ていたので、つられて上を見ると、空に白いものが2つ、円を描いて飛んでいた。
最初は、スーパーの白いレジ袋が風に舞っているのかと思った。
それにしては、きれいに円を描いて飛んでいるので「なんだろう?」と眺めていた。
すると、その2つが道路に急降下してきた。
見ていた人達の足元をかすめるように地面スレスレで一回りし、急上昇していった。
その時見た物体は、レジ袋ではなく、白い靄のようなものだった。
怖かった。
空を見ると、さらに上空に飛んでいた。
周りを見ると、みんなキョトンとして一瞬顔を見合わせたが、みんな無言で、なにごともなかったかのように、再び歩きだした。
あの物体が何だったのか、今でもわからない。
人は本当に怖いと、見なかったことにしたくなるのかもしれない。
せめてUFOは見たいな。
パジャマ姿で花壇に水やりしてるって。
細かく確認したら、その時はまだ生きていて自宅療養に帰った来てたんです。
そっから急変してすぐ亡くなったんですが。
たまたまその時見たらしいんですが後から亡くなったと聞いて、幽霊を見たと思い込んでたらしいです。
予知夢もよくみた。
幽霊と話した事も1回ある。
工場で働いてた時に製品に機械の部品が入ったかもと出荷どめになり丸2日分を解体する事になり違和感あった時間を報告してぴったり見つかった、とかの経験も数多い。
今はただのおばあさんです。
数日後に都内でも撮影された方がいてYouTubeにアップしてました。まさに同じ物体でした。
彼は寝相が悪いのですが、ある日寝ている時に仏壇に足をかけてしまったそうで、その時急に金縛りがして亡くなった祖父が怒った顔で立っていたとか。
だけど「あれは錯覚、そんな気がしただけ」と言い張っています(笑)
私は逆に見たことないのに信じていますね。
それとのっぺらぼうも見ましたが幽霊は見た事がありません。
ご遺体と一緒に真っ白な折り紙の鶴も焼いたのだけど鶴だけ綺麗に燃えず残ってる写真を見た。
科学で説明つくんだろか。
こういう心霊現象のウワサがあるということは、たとえそれが体験者の創作だとしても、11年前、悲劇の現場となったこの地に住む人々の心の中に亡くなった人々への思いが今も鮮明に生きている証しだと思う。
だから信じられなくてもまともに受け止めている。
実際には居ないとしても、自分が感じた何かに「幽霊」と名付けているわけで、その感覚自体は否定されない。
犬が病気にかかって、父と兄と私で病院に連れて行きました。
母は家で待ってましたが、ベランダのガラスに犬が映ったらしくもうダメだったんだと悟ったみたいです。
初めてのお盆になると家の中から「くぅーん、、」と犬の鳴き声が聞こえました。
夜中に兄と二人でゲームをしている時に聞いたので、犬が帰って来てくれたんやっ!!と二人で喜びました。
3年ぐらいは毎年お盆に鳴き声が聞こえました。
今では夢の中に出てきてくれるぐらいですが、やっぱり科学では解明出来ない事があると思います。
科学的に解釈できるケースはある程度あるのかな.亡くなった家族や知人の場合については,その人についての記憶や(個人的,社会的)習慣が偶発的な感覚と共に脳内で説明的なストーリーを構成することがありそうだと思う.例えるなら腕や脚を切断した後で,失った部分に痛みやかゆみを感じるケース.
ただ,記事のタクシーのケースのように,災害や事故があったことを運転手さんが知っていても個人的な繋がりが無い場合で,それでも遺族と話してみると辻褄の合ってしまうケースは本当に不思議.
研究,調査している方には脳科学や心理学,土地の文化や風習など幅広い視点で研究して欲しい.
特に年寄り
2人で捜索活動中に落盤で胸まで埋まり、救助待ちの時に、暗闇でずっと励まされました。
てっきり相方だと思ってましたが、救助後に、相方から「励ましてくれて心強かったです。」と言われた時、……そういう事か!と気付きました。
私と相方を励ましてくれた誰かが、ずっとそこに居てくれてたんです。
ありがたくて、救われた気がして、涙が止まらなかった事がありました。
梅酒が好きだったから、お供え物として 梅酒を置いておいたんだけど、 ある日線香あげようと思って部屋に入ったら、鼻にフーフーと息を吹きかけられた感じでめちゃくちゃ梅酒臭かった。笑え?と思って梅酒嗅いでも、全然瓶からは匂わなくて、本当あれは側で梅酒呑んでるぞ!フーフー!!って息を吹きかけてきた感じの匂いの強さだった。あとは寝る時に、頭の上でフローリングを指でコツンコツンと叩くような音がしたりね。
なにせアピールのクセが強くてお母さんらしいんだよね。
誰もいませんでした。磯の強い香りが残ってました。怖くは無かっですが、何だか寂しくて悲しくなり涙がでました。
死者とのつながりってあると思います。
今まで心霊的なものを信じていなかった人だって、信じざるをえなかったり、信じたくなったり、藁をも掴む思いで誰かを見つけたい、見つけなくてはと、そういう行動に出る気持ちも、わかるような気がしますね。
そのイベントの関係で一泊二日で大船渡港近くのホテルに滞在した。
角部屋のツインルームで、カーテンを開けると破壊尽くされた港や市場が一望できた。
雨も降っており、陰鬱な感じがしたのでさすがにカーテンを閉めた。
その日の夜、深夜を回るか回らないかくらいだったと思う。
金縛りにあい、疲れているからかなーとも思ったが、部屋の中に複数人の歩く気配がした。
が、不思議と恐怖心はなく、震災で亡くなった方たちだろうなー、な気持ちでいたら気配もなくなり金縛りも解けた。
勘違いかもしれない、夢かもしれない。
けど、自分は事実と受け止めたい。
東日本大震災の後に災害派遣部隊の広報官としてメディアの取材対応を担当していました。
赴任して直ぐに石巻市内の震災現場に行き、その悲惨な状況に言葉もありませんでした。
住居跡と思える所で拾った数枚の写真を道路端に集めて置いていたときに、背後から「ありがとうございます」と言う年輩らしい女性の声が聞こえたので、すぐに振り返りましたが誰もいませんでした。
同行していたカメラマンの隊員に確認しましたが、周囲には私とその隊員以外はいませんでした。
空耳かと思いましたが、庁舎に戻ってその話をすると似たような話を何度も聞いているとのことでした。
あれから10年近く経ちますが、今でもあの声ははっきりと記憶に残っています。
色々と体験していますが特に印象的な事は‥‥‥
父が懇意にしていた友人と『死んだら知らせてくれよ』と冗談混じりで話していました。その後、知人は長い闘病生活を送りました。ある日、就寝中であった我家の全室の照明が突然点きました。間も無く電話が鳴り、その知人の親族から亡くなったと連絡がありました。
知らせに来たんですね。
仕事終わりに、普段なら見ないメールを見たら、母から父が入院中の病院から総合病院に運ばれたと。慌てて病院へ。すぐに弟に連絡。弟曰く、普段ならその時間に休憩しないし、メールも見ないと。虫の知らせというのか、父が2人を呼んでくれたのか。父の死に目にあえて、良かったです。
母は自分が亡くなったことが理解できていない様子だったが、私は例え夢の中でも、幽霊でさえも会えたことが嬉しかった。
震災で亡くなった方の中には、あまりに突然の出来事に自分が死んだことを理解できずさまよっている人がいてもなんら不思議ではない。
被災者の手記を以前読んだことがあるが、1度も夢に出てきてくれない。
幽霊でもなんでもいいから、もう一度会いたいと書かれていた。
胸が痛くなり涙が出た。
離れて暮らしていたので、事故の時車を運転して病院に駆けつける途中突然耳元でおおっ、と言う声のような音を聞きました。
その直後、母親が亡くなったと言う電話がかかってきて、あれは母親の声だったのだと直感しました。
突然に亡くなられる事は本当に辛くて悲しい体験ですね。
10年たっても思い出すと涙が出て悲しくなります。夢でもいいのでほんとに会いたいといつも思います。
仲良し母娘だったので、いつも夢や霊として現れてくれると思っていたのに出てきてくれません
私も、霊でも何でもいいから会いたい
ほかにも仕事場で(映画館や作業場)でよく白いものが立ってるのを見ました
見間違いや夢と思いたいけどそうとも言い切れないことが多々ある
亡くなった方はどうなってしまうかは誰も知らないし幽霊が存在するのも証明されてない
ただ生きてる人間に何かメッセージがあるなら聞いてみたい
死んだらどうなるか聞いてみたい
自分も余命宣告受けてる身なので霊を怖いとか思わなくなっているこの頃
死んだらどうなるか?
そこで終了か?
心だけ続くのか?
興味は尽きない
亡くなると魂は光りの粒となり、空へ行きそこでほかの光の粒の経験を色々聴いたり、自己の経験を話すそうです。そして次、産まれ変わりたいもの・経験したいものを決め、産まれ変わるのだと。
信じるか信じないかは、全く個人の自由だと思います。
でも気にかけている人達がいた私は、この話を知り、とても心が救われました。
「もう会えない」のではなく
「またどこかでいつか会える」
という、前向きな考えになりました。
元いたところに戻るだけですね。
肉体はモビルスーツのようなものです。
魂の本来の居場所はあの世ですが、あの世は精神世界なので、なんでも望みが叶ってしまい、魂を磨くことが難しいのです。
この世は学校のようなものです。
学ぶべき課題があると魂が肉体に入って、この世に入学(誕生)します。
課題をクリアしたり、肉体に限界がくると、卒業(死亡)して肉体から抜け、あの世に帰ります。
無事クリアしたら帰る場所がランクアップしますが、クリアしなくても全うに生きていれば、元居た場所に帰れます。
肉体が壊れるときに苦痛を伴う場合もありますが、死の間際には脳内麻薬が出てそれらの苦痛もなくなり、至福の時がきます。
経験したことがないような多幸感に包まれ、あまりに心地よくて猛烈な睡魔がきます。
あとは、そのまま眠るだけ。
だから、死や死後の世界を恐れることはありません。
その時がくるまで、精一杯生きていればいいのです。
何も残らないし全くの無
魂とか心とかは、残された者の都合のいい拠り所ですよ
管理人の率直な感想
コメントの中にある「当時6歳だった娘に書く手紙。ひらがなで書くか、漢字で書くか迷って書けない」というエピソードが泣けました。
僕は無神論者ですが、不思議な現象は存在すると思っています。
上記のエピソードを考えると、亡くなった人はその年齢のままなのか、成長するのか。
以前、病死した人は自身が元気だった頃(エネルギーがあるれているときの年齢)の姿で現れると聞いたことがあるのですが。
心霊現象・・・考えれば考えるほど不思議ですが、絶対的な答えは出ない。自身が体験するまでは。
全知全能の神は存在しないと考えていますが、科学で説明できないエネルギーによる作用のような現象はあると思うんですよね。
当然、人間には脳があり、脳で考え行動するのですが、幽体には脳がない。
所謂「残留思念」で説明がつくものがあれば、そうでないものもある。
人間以外で言えば、猫や犬、キツネやヘビが霊を語る上で挙げられます。
何故だと思いますか?
僕にもわかりません。
しかし、タヌキでもなければ熊でもトカゲでもない理由が存在すると思うんです。
興味深い。
東日本大震災の心霊現象はデリケートな問題なので、単純な興味本位で考えるのはどうかと思いますが、そこに悼む気持ちがあればいいとも思う今日この頃です。
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