「私はアスペルガーとADHDです!」。関東地方に住む彩乃さん(29)は1年ほど前、こんなタイトルの動画をYouTubeに投稿しました。発達障害のことを伝えたいと、SNSでも発信しています。子どもの頃から友達付き合いが苦手だった彩乃さん。でも、いまはSNSを通して出会った人たちと、ほどよい距離感で付き合えています。(withnews編集部・河原夏季)
「開き直り」の顔出し発信
2017年9月9日、彩乃さんはYouTubeで発達障害について語りました。「これから発達障害の発信とか、コミュニティーを作ったり、いろんな活動をしたいと思っています」
初めは「顔を出して発信するなんて考えられなかった」といいます。でも、ブログや動画で発信する発達障害の当事者に勇気づけられ、自身も発信したいと思うようになりました。
家族や友達との関係がうまくいかず、社会に適応できていなかったという彩乃さん。仕事も長続きしませんでした。「失うものがなくなって、1人で生きていくぞという気持ちでした。良くも悪くも開き直った」。表現者として生きることを決め、同じ時期にツイッターやインスタグラムも始めました。
<自閉症スペクトラムの主な特性>
・言葉のコミュニケーションが苦手
言葉の裏にある意味をくみとるのが難しい など
・人と関わるのが苦手(対人関係や社会性の障害)
目を合わせない、空気を読むのが苦手 など
・こだわりや興味に偏りがある
予定が変わるとパニックになってしまう、同じ動きを繰り返す など
診断基準によっては広汎性発達障害・自閉症・アスペルガー障害などの名前で呼ばれることもあります。
<ADHD(注意欠陥・多動性障害)の主な特性>
・不注意
忘れっぽい、注意力が散漫 など
・多動性
じっとしていられない、おしゃべりが止まらない など
・衝動性
思いつきで衝動的に動いてしまう など
もし自分が発達障害と診断されたら。
もし家族や友人、恋人が発達障害と診断されたら。
あなたならどう向き合っていきますか?
みなさんの声
本人に指摘できないけど、
多分アスペルガーかなんかだろうと
思っていたら、やはりそうでした。
本人は、友人から指摘され受診した結果、
アスペルガーと診断されたと言っていましたが、指摘したご友人は身内にアスペルガーがいる為、そっくりだ。という指摘をしたそうです。
知ったからと言って、自分も周りも何も変わらないと言っていましたが、
それはいい事もあり
悪い事もあり…
難しい問題だと思いました。
本人も大変なんだろうけど、ルーチンワークが出来ない、同じ失敗を繰り返す、不注意(自動車事故を立て続けに3回)落ち着きがない 思い付きで物事を言う等々
これをフォローする現場の人間はくたくた 取引先が絡むと本当に迷惑してます。今の時代、こういう発言をするとすぐ差別だとか、わかってほしいとか理解して欲しいとかあれこれあるんでしょうけど、
正直、理解の範疇を超えての行動や言動は難しいものがあります。
本人が生きづらさを感じていなくて生活していても結婚相手がADHDで結婚後分かるケースだと本人は良くても結婚相手が本当にツラくて苦しい
結婚相手や会社の同僚にしてみたら障害なんです。開き直られても。結婚しなきゃよかっただろって言う人絶対に出てくるけど結婚して共に生活して初めて気がつく事のほうが多いと思うし。理解してっていうけどでは、こちら側の苦しみは理解してくれるのでしょうか。
正直、ひどいなと思いました。
障害のない人だって相手の言動に傷ついたり不快に感じたりもします。たとえ障害が原因であったとしても。それを理解がないというのは違うんじゃない?
受診のチャンスをくれた友達にさえ、それなのね。
私の友人もアスペルガーですが、自分の障害が原因だというのをちゃんと理解して、トラブルにならないように工夫しています。
自分の障害を知って心が解放されるのは良いことですが、そこで止まってる人って多い気がする。自分が社会に溶け込んで生き辛さを解消したくて受診したはずなのに、いつの間にか相手に理解を押し付けるようになってる。
事務職なのに長く座っていられない、1度のトイレで20分程席を外すのですが、それが1日約15回。。何度教えてもミスは減らず、その他例を挙げだしたらキリがありません。そして誰も関わりたく無いのでしょう、見て見ぬ振りでした。
私は毎日尻拭い担当のようになりストレスで仕事辞めるしか選択無くなりました。。
(異動とか希望できるような会社では無かったので)
※あくまでも出会った方は一例であり、今後出会う人には偏見の目で見てはいけないとは思っています。
「学生の時、生きづらかったのは発達障害が理由だったと大人になってから知り安心した」等、最近よく目にするけど、障碍の有無関係なく思春期や成長する道程では誰もがたくさん悩んだりしてると思うけどね。
「障碍に偏見を持たないで!」も至極ごもっともなんだけど、発達障碍のある人自らが「自分は発達障碍である」ということに心の拠り所を作り、過剰に寄りかかっちゃって「むしろ発達障碍は武器である」みたいに誇示されてる印象はある。
小島慶子さん(元女性アナウンサー)もエッセイで、みんなが感じているだろうと思うことをさも「発達障碍がなせる発想を私はしていたのです!」というニュアンスで書かれていて、読みながら困惑してしまった。
障碍を過剰に考えすぎてる人が自他ともに多いんじゃないかな。障碍なくたって大変だしね。
困ってる人がいたらお互い助けあいましょう。だけでいい。卑下や誇示しなくてもまともな人はわかってる。
障害があるから仕方ないと開き直るのか、自分で意識していい方向になるよう努力するのかの違いは大きい。
周りに受け入れられるかどうかも、その違いだと思うよ。
でも自分の特性を理解して、工夫して、周りに嫌な思いをさせないよう努力してくれる人と、私はこういう障害で特性があるから嫌な思いしても理解してねと一方的に押し付ける人がいる。
こちらも理解しようと努めてはいるが、前者ならその頑張りは続くし、後者なら関わることをやめたくなる。
顔出しで発信することはすごいことなんだけど、この方はどちらかというと後者に近い感じがするから、記事を読んでもあまり共感できないんだな。
親は自分の子供に障害があると、自分のせいだと思ってしまうからね。これは保身というよりも、子供の今後を悲観することによる、愛情が根源にある罪悪感から来るものだろうね。
だから子供の立場からすると、自立の第一歩と思って、自分の意思で検査を受ける勇気を持ってほしい。
障害があった、とかではなく、本当の自分を知った方が対処も出来るし、違和感もなくなって生きやすいよ。
ただ、実際発達障害の人と深く長く付き合った事が有ると無いとでは、その感覚は雲泥の差だろうし、障害の重度・軽度によっても感じ方は違って来ると思う。
それと、発達障害者自身の『診断されてホッとした・性格のせいじゃ無かったんだ・今の自分のままで良いと思った』等の何の解決にもならないような記事は意味が無いように思える。
子供の頃からそれがトラブルの素になっている事が判明したのなら、変わらないままで居て良い訳無いし、人から疎ましがられるのは性格だって起因していると感じるべきだと思う。(現に性格の良いアスペルガーの知り合いが居るけど、失敗を性格でカバー出来ている部分があると思うし、性格の悪いADHDの知り合いはミス以前の問題もはらんでいるように感じる)
最近、こうやって顔出ししての告白が多いですし、それはそれで人それぞれの考えと生き方なんですが。
それを隠したくて必死の人もいるからね。
「遺伝、、、じゃないけど
うーん、その可能性も、、、無いとは、、、」という医師も実際にはいるので、
付き合うことから結婚となるとそりゃあ心配して当たり前だと思う。
でも、KYだと思われないように10数えてから話す、とか、こっそり通院を続けて医師おススメの小学生が読む本を読んだり、本当に色々と努力している人もいるので、カミングアウトが褒められるものになるのはどうかと。
「まわりが障害という言葉に過剰反応しすぎ」だと言うわりには、自分は障害だからこんなかんじでも仕方ないでしょと言ってるようにしか見えなかった。
その反面、何でもかんでも発達障害だからと免罪符を打つのはちょっと過度に思う時もあります。
例えば、この彩乃さんの場合は確かに病気の部分で人付き合いが難しいところがあるのは理解できます。
しかし、その症状を治そうという意思をお持ちなのかちょっと疑問に思います。
それは障害を「障害と思ってない」という点です。
これ、障害と診断された当事者が言ってるから綺麗に聞こえたりカッコ良く聞こえますが、見方を変えたらとんでもないエゴを主張されていて危険に思います。
発達障害の人を健常者が理解することが必要であると同時に、その中で生きて行く覚悟があるのなら、友達いなくても良いとか一人でも良いとか滅茶苦茶なことは言わないで欲しいです。
旦那様を紹介してくれた友達はもう友達ではないのでしょうか?
というのも、ちょうど息子が診断を受ける時に、医師からもうすぐ区分や名称が変わるとあったので。
アスペルガーも区分に含まれるか否かも判断が難しいとありました。
もちろん名称が大事ではなく、その人その人達個人のなのですが、NHKや保険関係も自閉症のカナータイプと一緒にしたりされたり、きちんとした認識を周りだけでなく、まずは当事者の親もしっかりと知らないとダメだなと実感した記憶があります。
誰しもが自分の思う『発達障害』について自分だけの経験と生半可な知識で語るので、話しがチグハグになって余計に実態がつかめないのでは…とも思いましたが>凸凹の障害と言われていますが、出ている部分とへこんでいる部分は一人一人違いますということなので、それでいいのかもなとも思います。
自分が理解できない人にもなんらかの『理由』がある場合があるということが分かるだけでもいいかなぁと思いますね。
一緒にいると気を使うし、
一方的に細かいルールを言い出したり癇癪を起こされる。
周りに合わせられないというか、え?と思う事もある。
自分を上げて他者を下げる発言の数々にとにかく傷つけられる。
何かイベントがあるとワーワー興奮して喋り出す…しんどい。
そんな親と長年いて影響を受けたのか、遺伝なのかイジメによる対人恐怖か、自分も生きにくいというか人が多い空間が怖くて落ち着かない。
ただ、人と違う、というのは良い面もある気がする。皆が同じ方向に向く時に、多数と違う意見や行動をとれる事によるメリットもある気がする。ハリネズミなタイプの場合は、距離感を保って
お互い尊重し時々接するのが良いと思う。
発達障害は特別なのか、特別じゃないのか。
特別なので健常者側が常に我慢するべきなのか。
特別じゃないので発達障害側も同じく我慢すべきなのか。
相手に嫌なことを言われたらこちらは悲しさや歯がゆさやいらだちを感じる。
悪意がありそうならそれとなく分かるのでまだ対処しやすい。そう、相手にしないか徹底的に相手をするか。
逆に悪意がなさそうな場合、一言伝えてそのリアクションで改めて判断する。そのリアクションの候補に新しく「私は発達障害です。そういう発言をするのが私なんです」が加わってくる。
たとえばそこで口喧嘩になった場合、発達障害者を差別しているとか理解がないとか優しさがない、となるのか。もしくは発達障害とか関係なく単に気が合わないもの同士の口喧嘩なのか。
う~~ん。。
最後に、私自身診察を受けたわけではないので、発達障害でないといい切れない現実がある。境界も曖昧らしいし。
診断を認めたくないという人もいますが、私は判明して安心できました。自分の努力不足ではないのだと。
そこで仕事にしても人間関係にしても、開きなおって全員に好かれなくても良いと思って仕事すると、逆に周りから好かれるようになりました。
恐らくよそよそしかったり、発達障害に多い、自己肯定の無さが、周りに自ら壁を作っていたようです。
診断をするのに、メリット・デメリットそれぞれ思うことはあると思いますが、自分にあった生き方をするのが、自分にも周りにも必要なんだと感じました。
広く知られるようになったのは良いと思いますが、知っていて当たり前でしょとか周りが理解して当たり前となるのは違うと思うのでその点だけ注意が必要だと思いますが。←筆者は違いますが。
(発達障害を持つ保護者やアレルギーの子供もつ保護者にたまにいる)
また、女子の集団に違和感を覚えるからアスペルガーというのも違いますからね。
烏合の衆が嫌いな人もたくさんいます。
そしてこれは他人に理解してもらおうと思っちゃダメです。
たとえ身内でも無理だと思います。基本的にはアスペルガーなどの発達障害は、感じが悪く嫌われるものだから。
自分は自分しか守れないし、そーゆー無理だと思う事は自発的に避けるしかない。
仕事では接客や電話対応ばかりの事務など。
学生はそーゆー意味では避けづらいから本当大変だけどさ…
とにかく今は色々調べれば分かるから、自分に当てはまると思った物を参考にして対応するしかないと思う。
ただ学習面は全くダメ。
記憶力がない。
漢字も書けない、計算も出来ない。
毎回同じ事を教えてるけど、次の日には忘れてる。
生活面もやって欲しい事をお願いしても忘れてる事がある。
はじめは悩んだけど、それもその子の良さだと思って接してます。
楽しく生活して欲しいから、上から押さえつけるんじゃなくて、笑いを入れながら教えるようにしてます。
友達にもいまは恵まれてるけど、これからどうなるか。
この記事を読んでもっと世間に広まって欲しいと思いました。
理解してくれる人がひとりでも多くなる事が大事だと思います。
自分に特化したものはスイスイと出来るけど、そうじゃ無いものはどれだけやっても何も変わらないと言うか。(年配者なのに語る言葉は軽く行動が伴っていなかったり、経験値による言葉の重みが全然感じられ無かったり)
見極めと適材適所が重要で、発達障害者は環境によって大きく人生が変わると思う。
そして、それは環境を整えてくれた周囲の定型発達者のお陰だと言う事を忘れてはいけないんだけど、たいていの発達障害者はそんな風には思ってくれないのが悲しいところ。
経験上、発達障害者は独特の自己中心的な考え方をしがちだと思うので、当事者の言葉を丸まる全部は信用しないようにしている。
卑屈で被害者意識が強いように感じるし、自分の都合で絶妙に(無意識に)嘘を織り交ぜたりするけど、本人は嘘じゃ無いと思い込んでるところがまた問題だったり…。
診断されたらそれで終わりなのだろうか。何らかの訓練を受けて改善されたりするなら診断に意味はあると思うが。
知り合いに、何らかの障害があるかもと感じるお子さんを持つ親がいる。
学校で自慢話や失言を友達にするから、孤立している。人が周りに近寄らないようで、それを本人が辛く感じてるかまでは私は知らないのですが…。
でも私は知り合いには、お子さんの診断を促したりなんて出来ないです。
ここでは正直に書きますが、子供には自己愛性人格障害という診断は出来ないそうなんですね。
でも調べたら、その障害に物凄く当てはまります。
自己愛性人格障害という障害は、自ら診断に行く人が少ないらしいです。
でも周囲には多大なる被害の及ぶ障害な気がします。
上記の障害は子供のうちから医師を受診した方が本人が生きやすくなるのでは。
そして親も、この障害に当てはまり子を持ったらしっかり話を聞いてあげて認めてあげないと成人したら大変です。
開き直って心が軽くなっているのは本人だけでは?
本人が生きづらさを感じないように周囲が配慮してくれていることや
理解・我慢していることもたくさんあると思います。
まぁそういった考えが及ばない特性なんだろうけど、私は称賛はしない。
今のように全てを効率重視で考える世の中になって悪目立ちしているに過ぎない。そもそも障害で無かったものを現在において障害扱いしているだけだ。
それも厳しくなった社会規範から外れるというこの一点だけで。
技術は進歩しても人間の中身は、中世から変わらず攻撃的だ。
で発達障害者は現在攻撃対象になっている。そしていくら訴えようと攻撃的で無理解な人はいる。
彼らに伝えたいのは発達障害者を淘汰したところで、次は自分達が無理解に苦しむ番だ、だから自分が次被害に遭わないように障害者には優しくしよう。
明日は我が身にならぬように。
こうやって言えば無理解な人間も理解する気持ちになる気がするね。
結婚しても子供作る前に今後どうするか考えることも必要かも。みていたら仕事もしながら子供達の療育も行ったり大変そう。
知り合ったのが小学校の役員で他の人より早口で良く話すし、話は脱線したり着地点が見えない話し方など不思議ちゃんでしたが、彼女は自分からカミングアウトしたので私も納得をし接し方は変わらないけど、委員会の時だけはなるだけ一緒にいたりしました。
女性はたわいも無い事を話すのが好きだから沢山話してましたが委員会の時は別なんで。
今でも付き合いはありますが、今でも沢山喋りますし今は気にならなくなりました。
でも、自分は生活の為に仕方なく働いているだけです。楽しくありません。状況が許されるなら一人だけになりたいです。症状は軽いかもしれないですけどやはり適合できない障害かもです。特に日本は一人の個性で生きにくいシステムや暗黙の集団文化が多いですね。クラスのグループやら社内の派閥なんかの存在も自分には不得意な分野です。時々派閥やグループに物凄く入れ込む人達がいますけど、命がけなんですかねぇ。空気はまあまあ読めるけど面倒くさいのであえて発言せずに出来るだけスルーする方ですかね。貴重な一人の時間が減るから。笑
発信って相手が分かるように、伝わるように発信する必要がある訳だけど…自閉症スペクトラムは、コミュニケーションの障害が大きいから、その肝心なところが障害されている以上、まともに伝わるとは限らないのでは?
まぁ、発信しちゃえば、本人は楽になるかもしれないけど、発信を受けた人のことまで考えるという機能が欠けていたり、足りなかったりするのが、まさに自閉症スペクトラム。
普通じゃない所が面白い。
もちろん失礼な所もあるし、一緒に仕事をする人は苦労する点もあるだろうけど、普通じゃない発想から何かが生まれる事もある。
なので社会にはこんな人達が少しいる事でバランスが取れているのかなと思う。
ただ家族の方は大変かもしれないけど。
言っていることに違和感を感じました。
「障害があるが普通に生活してる人もいる」。
確かにいるかもしれませんが「発達障害」の人は
『自分が周りに迷惑をかけている』ことに気がついていません。
友人が勇気を出して駄目出しをしてくれたのに、
「理解がなかった」や「友人はいらない」と言ってしまう所が
『発達障害の特徴』があからさまに出ていると思います。
私も職場の同僚が「発達障害濃厚」な方で大変でした。
「周りに迷惑をかけている」という認識がないので
周りの同僚にストレスが溜まってしまい2人が退職、
私もストレス性の心不全になっていまいました。
「障害」を『個性』ととらえるのもありですが
その場合は「発達障害」を理解した周りの人が
言うことであって本人が言うことでは
ないと思います。
>1人でも信頼できる人がいれば、たくさん友達がいなくてもいい
わかる
診断されたわけじゃないし、何でもかんでも障害の所為にするなという声があるのも知っているが
自分も自閉症スペクトラムかも、という自覚があって
言葉の裏にある意味をくみとるのが難しい
人と関わるのが苦手(対人関係や社会性の障害)
目を合わせない
空気を読むのが苦手
こだわりや興味に偏りがある
…って箇所に、すごく共感できる
【↓↓人と関わるのが苦手/空気を読むのが苦手例↓↓】
年下に対して寄って集ってとか…年上のくせに大人気ない、と嗜めれば逆ギレされるし、
だからと機嫌を損ねないように気を使えば、嘘をついてる事になるし…
大人の対応って何? できてないのはそっちでしょ?
人間関係本当煩わしい面倒臭い
この方の顔つきにも少し独特なものを感じたので、面と向かったら違和感がかなりありそう。
この方のご主人もおそらく同様の障害もしくはグレーな当事者さんだろうから、結局同類同士でコミュニティ作って固まっちゃってるんだよね。
いわゆる階層を自分達で作ってるようなものだと思うんだよなぁ。
・信頼してもない人と目を合わせる
・人に執着しすぎる
・他人の意見に無意識に賛同する
・子供の頃から明確な趣味嗜好が見えない
・夢中になれるものを持たない
…と、色々な障害を抱えているように見えるんだけどね。いま健常者と言われてる人達は、単に多数派というだけだと思う。
つまり、非定型発達(発達障害)が多数派なら今の健常者は「障害者」になり得るんだよね。
「自分は多数派だから」という傲慢さを捨てて、もう一度目の前の個人を見て欲しい。
その人は本当に悪い事してますか?
不愉快に思うのは何故ですか?
言葉にしていないのに「自分の事わかってくれない」は正しい思考ですか?
少数派に合わせてくれとは言わないから、わかりやすいようにはして欲しい。
盲人が点字ブロックがない駅構内を歩いているようなものなんだよ、今。
迷走するし、怖いのよ。
コミュニケーションの障害なので日々大変だとは思うが
そういう人に付き合わないといけない人は結構疲れる。
「理解してくれない…」「障害だから…」
って言いたいのもわかるんだけど
トラブルのフォローをしていることや
余計な仕事が増えていることには全く気がつかないよね。
指摘すると「理解が…」「障害が…」感謝の言葉もない。
せめて謝罪や感謝の言葉があれば感じ方が違うのに。
手伝ってもらったらお礼を言わないと…
「障害だから…」ではなくて人間性の問題だよ。
発達障害を理解してほしいのなら周りの人の苦労も理解してほしい。
本当に大変なので。
コミュニケーションが苦手な人が発達障害なら、
コミュ力がものすごい人も発達障害に診断されるはず。
それで標準な人など誰もいない。
基準を作っているのも精神科医であり、
この領域は臨床経験が物を言う世界で、
科学的根拠の裏付けに乏しい。
昔と同じように、人それぞれの個性で世の中が
回っていることで整理すればいいのに、
受診に繋げて、人によっては抗不安薬処方がなされるけど、
長期的には認知機能に悪影響が出るなどの薬害の恐れがあるから勧めれない。
特性は特性として、病院すすめた人にも理解がないとかじゃなくて、「絶対言ってはならない言葉、状況集」つくるとかお互い歩み寄れないのかなって思う。
正直、傷つける発言をして特性だからと開き直るのさえなければ、ほかはどうとでもお互い工夫する余地があると思う。
(知的障害と区別がついてない方がいるので)
自分の障害の苦手な部分を補えたり得意な事を伸ばしたら良いんだけど難しいですよね。
誰しもどれかの発達障害に分類されるとも言われています。振り幅が大きいか小さいかだけ。自分はどのタイプか考えてみるのも理解に繋がると思います。
私自身は、ADHDタイプだと思ってます。
アスペだって発信しても、誰も助けてくれません。
お金をもらっている以上、その価値にみあわなければ首切りは仕方ないです。
でも、上の二点さえ気を付けていると、大丈夫です。
アスペだからこそ、一人の仕事より小売などの仕事がいいこともあります。
つきあって、同棲した後に障害があると判ったのだけど、自分もそのときはPTSDだったので、まぁいいかなぁと思った。
しかし、理解していたつもりでも、ついついとか、あると思うし、相手の方も結局は自分が一番理解できておらず、いつも、落ち込んでいたりした。
が、こちらがPTSDを完治してしまったら、彼女に貸していた年金の立替えを返してもらわずに、とんずらしちゃったんだけどね。
やっぱり、金は貸すもんじゃない。
分かってもらえなくても大丈夫、その上で発信するものがある。強いですね!
発達障害の特徴も様々ですが、息子や周囲の発達障害の方は、自らが努力して道を開こうとしている人が多いです。自覚してるのでしょう。自覚出来てない人は、やはり迷惑かけるよねと息子も話してました。
彼女目線だから、それがわからない記事なのか、彼女がそれをわかっていれば、ADHDには該当しなくなってしまうのか。
過去に仲良くしてた人に去られたとき「私何かいけないことした?」って聞いた?聞けない状況だったとして、反省した?
それを何度も繰り返したそうだけど「またやってしまった」「次は気をつけよう」ってならないの?
今回友達に注意されたときは、謝った?お礼言った?次から気をつけた?
障害だからできないとか元々しないとかは言い訳にもならないよ。過去に去っていった人達はずっと我慢してたんだよ。もしかしたら指摘しても聞いてなかった、わかってなかったのかもしれないね。
今回注意してくれた友達だって、本当はそんなこと言いたくなかったと思うよ。勿論「じゃあ言わなきゃいいじゃん」は無しね。
親に障害かもと話したとき相手にされなかったことから考えても親に問題大有りな気がする。
今まで迷惑かけられた人がネットや動画を見たらムッとするだろうな。
自分の感覚でやれてる/やれてないの評価と、周りの評価は必ずしも一致しない。
さらけ出して、やりきって、周りの評価に一喜一憂せず、できることを一生懸命にやる。
アスペもそうじゃない人も結局は同じだと思う。
発達障がいの人は症状は似ていますが性格は違います。中には障がいを盾に言い訳する人だって大勢いますよ。
発達障がいに理解を!では障がいを盾にする人も増えてしまう。ズルい考えの持ち主もいる。
しかし、やらなくていいことにはならない。
発達障害者はそこを勘違いしないで欲しい。
おそらく、人を傷つけたとしても空気をぶち壊しても「許して」くれたかどうかなのでは。
教えてほしい、発達障害の理解とは何なのか、どうしたら理解してくれたと思うのか。
発達障害の難しいところだと思います。
周りに配慮してもらう必要がでてくる時はどうしてもあるけど、配慮してもらって当たり前ではなく、感謝の気持ちは忘れないようにしないといけないですね。
離れていく多くの人は、理解していないんじゃなくて、ちゃんと自衛しただけ。
自衛は悪いことじゃない。
伴侶ができるのはなぜだろう。
良い友達をもったね
「障害」だと重すぎるし、「個性」だと軽すぎる。何かもっとピッタリの名称があれば良いね。
って思う事はありますね(^^;
普通である事が求められ、そのラインから逸脱した存在は全て“変”と一括りに断罪してしまう。
もっと色々な種類の人がいるという事を尊重しても良いと思います。
とはいえ、ちょっとチャランポラン、とかその程度でなんとか暮らしている。
祖母は定型発達の見本のような人間でコミュ力の化け物。誰とも打ち解けるし計画的で約束事も守り誠実、そして謎のカリスマ性があった。
とは言え、致命的なほどの方向音痴で何もないところで転ぶ、絵は描けないし、機械も道具もほぼ扱えない。
恐らく原始時代では祖母のようなタイプこそ障害児だったのではないかと思う。
近視だって眼鏡がない時代は盲目扱いだったことだろう。
私は自覚がある人なら助けてあげたいと思うし、
出来ないものは出来ないししょうがないよね!
って思ってあげれる。
開き直ってでかい顔されるのは困るけど。自覚がない人が一番困る。
社会人になって同僚レベルだと言ってあげれないし。
ものの程度って人それぞれなので、そうだと決めつけられると、しんどくなります。
この方のように宣言するのもアリだと思いますが、
別に宣言しなくても良いと思います。
人って、そこまで他人を重視しているわけではないから。
それでも、気を遣い、試行錯誤し、上手くやっていこうと努力する。
それでも駄目な人とは距離を置く。
厳しいことだけど、みんな辛苦な思いをしているから。
こういった人々が、他の多数の人々と違う行動をすることによって、進化の淘汰を生き抜けるかもしれない。
人類全体という意味においては、こう言った人々は進化のために必要なのです。
どこからが障がいで、どこまでは大丈夫なのか、よく分からない。
やはり人の輪から外れてしまう事が境界線なのでしょうか?
人とのやり取りが苦手でプライベートでは疲れてしまいますが、仕事となれば淡々とそつなくこなすことが出来る、というのは障がいなのでしょう?
とても難しい。
あと、喋りすぎると言うのはどういうことなのでしょうか?思春期の子供達は永遠におしゃべり出来るのとは違うんですよね?
一方的に話し続けるということなのでしょうけれど、そのシチュエーションなど想像がつきません。
判断材料は、精神科で心理検査を受けられるのでそこが判断材料になります。
発達障害だから仕方ないでしょと傲慢な態度もとる方もいます。発達障害だから説明しても全く理解できないの?と疑問に感じることが多々あります。。。
きちんと向き合ってあげるべきだと思いますが、
発達障害に対して否定的な意見をされている方の
気持ちもよく分かります。
しかし、注意欠陥がひどいから
発達障害だと決めつけるのもおかしなことですね。
単なるおっちょこちょいの人もいますからね。。
やんわり注意しても逆ギレされる。
例えば、廊下を掃除機かけてから天井の埃を落としてまた掃除機かけて…って二度手間になってたから注意したら、じゃあ私は掃除するなって事ですか!?って。
絶対に人の意見を聞き入れない人は直していただきたい。
の障害は複数が併合することが多いかな?
と今まで出会った人達を見て感じます。
顕著に出ている人ほど、家庭環境がよくない。
というより家族が子どもを見放している結果、
とも思える。
障害の内容にもよるけど、
ADHDなどは両親が一般社会の中でも生活
できるように愛情注いで育てることで、
軽度になるでしょうね。
確かに直接的な指示をしないと理解して動かない、思い付きで行動する、
空気は読みません。
接客業でしたが、幸いお客さんとのトラブルは起きませんでした。
それよりもスタッフ間で浮いてましたね。
決して悪い人間でも怠惰な人間でも無いのですが。
自分はちょっと不思議ちゃんだなあ、と思っていたらアスペだと本人から教えられました。そしたら全て納得できた。
周囲がまず認知して理解できれば随分変わると思います。
隠してると双方上手く行かない気がするなあ。
仕事のこなし方が極めてマニュアル回路故に、応用が効かずにテンパり具合が常軌を逸するし、注意力欠落及び多動的症状は自ら危険を引き寄せる。それにより、当人若しくは相手が危険な状態になりえる。
同僚のサンプルは割りと頑固で、失敗を人に押し付け、上記のヘマをし、年中注意されている。おまけにネジが飛んでるので打たれ強い(鈍感力)。4回受験して入ってきてしまった人材。
事務においても何をしてもミスが目立つことから、単純作業におさめるべき。
私は40代ですが、同世代で、自覚ある無いは別としてこの障害を持たれている方々はどうやって克服してきたのでしょうか…。
思った事をそのまま口に出す。
もっとマイルドに言えないの?傷付けてどうしたいの?
関係が深い人程キツくなる。相手の為だから。と言って変えようとしなかった。
お互い本音ばっかだと喧嘩になる。国家なら戦争になると教えたけど理解してくれず喧嘩ばっかの毎日。
こちらも些細な事でまた傷付けられると、自己防衛で過剰反応するようになり破綻
本当に理解するのは難しい
カミングアウトと相談が必要、何も言わずに記事通りの仕事ぶりだと指導する側がノイローゼになってしまう。本人も解雇や雇い止めの可能性が出てくる。
開き直りでも何でもいいからとにかく勇気を出してカミングアウトするべき
仕事場でも一人になってしまったり
今まで生きてきてそういうことか”ツキモノ”のようにあり 何か自分って他人より劣っているんだなと思ってきた。
気にしなければそれで生きていけるけど、たまに疎外感を感じたりすることがある。
日常がすごく気を遣い疲れてるのが最近わかるような気がします。
自分は自分らしくなんて何時も思えるのだろうかと不安になります。
疑いがあったら積極的に診断を受けるといいと思った。
特に、集中しだすと周りが見えなかったり、対人関係で結構失敗したり、言葉の裏の意味をくみ取れない時があったり、聴くより話す方がよかったりね。でも、考えてみると、殆どの人間が何かのアスペルガーなんだけどね。なんでもかんでも、アスペルガーです、ADHDですとか言いうよりは、社会で生きていく訓練だと思って自分を変えていく努力をすればよいと思うけどね。心持次第だろうこんなの。社会的地位を得ている人でもアスペはいると思うけど問題なくやってるから地位を得ているわけで。
発達障害などは、大人になっていく過程である程度は克服できるんだよ。そのかわりそれなりの苦しみは伴うけど。最近は甘い言葉でそれを避ける傾向にあるんじゃないかと思うけどね。そして大人になって苦しむ結果に。もちろん発達障害を放置することでうまくいくこともある。普通以上に能力を発揮できるから。ただし、ピンポイントであるため、なかなかフィットしない。昔は情報が限られていたから、難しかっただろうが、今は情報があふれている。うまくフィットできればいいね。
まあ、発信することがほとんどであれば相手とのやりとりは少なくできるからぶつかることも少なくなるのかもしれない
けど世の中一方的に発信するだけでは生きていけないから大変だよ
正直言って彼らと障害と見分けが付かないな
前の職場に絶対そうだと思うのに、本人が知ってるのかどうかわからないって人がいて、それがものすごくきつかった。毎日ストレスが半端なく。けど本人はあっけらかんと言いたい事言って…。
その人とはもう二度と会いたくないので、この方とも仲良くなれる自信はないが…
…やっぱり教えてあげた方がよかったのかなぁとよく思いだします。
あれはきつかった…
付き合いのある友人はいますが、子どもの頃から人付き合いが苦手で、人見知りだったので納得です。
医者によるとかなり軽度で一般就労可能なレベルだそうですが、学生時代のバイトも含めてダメでしたね。
話が変わりますが、高校時代今思い返すと重度の発達障害だったんだなって子がいました。
コミュ力低くて担任からもクラスメートからも疎まれていました。
本人は友人作るの諦められなかったみたいで、積極的にいろんな子に声かけてた。
でも、コミュニケーションの取り方がおかしいから、「アイツなんなの?キモいんだけど。」とか、散々な言われ様でした。
高校時代の同級生のように、後から離れていくのではなく、最初から友人作れない人こそ友人作るの諦めてほしいです。
私も彼女に不快な想いをさせられたので、長々と書いてしまいました。
私もこういうところがアスぺですね。
結局会社は感情労働の部分のフォローはしてくれないですから。周り任せになりますよね。
周りも辛いです。経験しないと
分かりにくい辛さです。
個人差もありますしね。
基本的に相手のことを
考えない言動をするので
平気で心無い言葉を放ちます。
病気だから、悪気がないから
では済まされない。恨みになります。
ぜひ云々はこの際一旦脇に置くとして、
自分の理解できない相手に
レッテルを貼って
安心したいというのは
人間の一般的な心理だろうからね。
あいつはADHDだとレッテル貼りするひとは
結構他人のことを判った心算になっていて
そのくせ、自分のことは何もわかっていない、
こういう人が結構多いという現実が存在するんだよね。
若しかしたら、というよりも確実に
他人にレッテル貼りする人のほうが何か問題を抱えている、
その可能性が高いような気がするなぁ。
皆、自分は特別だというスペシャルな特性に憧れてるのでしょう
精神科医が「去年はADHDが流行ったよねー」と苦笑いしていました
しかし、アスペルガーという言葉が人口に膾炙してより、意味がデフォルメされてしまい、「空気が読めない」人に対する単なる侮辱の言葉として機能してしまっていると日々感じます。
理由はどうであれ理解はするが共感や賛同は
難しい…この厳しい世間を生きる為に私自身も一生懸命なのですww
これが発達障害の代表みたいに思われると、発達障害なんてたいしたことないと印象付けられて迷惑だな・・・。
周りに何人かいるけど、悪いが本当に迷惑!
夏休み明けの保護者会、夏休みのお子さんの様子をお一人2分以内に順にお話しくださいと担任の先生
ある母親の番になり、誰もが思った通り、喋り出したら止まらない
夏休みの様子どころか、自分の夫と息子がどれだけ優秀で自分はどれだけ幸せか、という内容を口から泡を飛ばしまくし立てる
困った担任が止めても止まらず、20分以上話し続けて、呆れた何人かの母親は、私は誰誰さんの話を聞きに来た訳ではありませんと席を立った
私もその一人だったが、後から何人かの人に、あの人は病気で、同じクラスになったらその時点でアウトだと言われた
他にもエピソードは多々ある
誰しもが何かしら心当たりあるチェック項目かと、、、、
大人になって、発達障害だって認知したところで、「だから仕方ない」って自己暗示してるだけでは?これまでの人生はやり直せないし、健常者として偏りある性格ってことで位置付けだったのでは?
直していこうとか、もう思ってないじゃん?意味なくない?
私は、性格の大きな幅の中の一つと考えればいいと思っている。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181106-00000001-withnews-soci
まとめ
僕の周囲に発達障害の人はいません。
もしいたとしたら・・・はっきり言ってイライラすると思うし嫌いになると思う。
発達障害だと分かるまでは。
大義名分と言ったら大変失礼だと思うし、分かってはいるが、他に言葉が思いつかないので敢えてこの言葉を使わせていただく。
『発達障害と診断された』という名分が無ければ、言われなければ、ただの変な奴だと思ってしまうというのが正直なところです。
「発達障害なんだ」と言われて初めて発達障害を理解しようと勉強し、向き合い始めると思う。
その間も分かっていながらイライラはするだろう。
けど最大限の努力は僕もする。
この記事を取り上げておいて言うのもなんだが、周囲にいないのに発達障害を理解しようと努力する心の余裕も時間的な余裕も今の僕には無い。
なんだかんだ言って、言葉や表現の仕方は置いといて、発達障害についてこれだけの議論が展開されているのは良い事だと思うし、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思う。
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