無私の人である。
自分のために稼ぎたいと思ったことがない。
趣味はないと断言もする。
何が楽しいのかを聞くと、「人の笑顔」と即答する。この稀有な成功者はいったい何者か。
電気代も払えなかった
『カレーハウスCoCo壱番屋』を創業し、日本一のカレー専門店チェーンに育て上げた宗次德二氏(70歳)は、自分の生まれた場所を知らない。
「私は1948年、石川県で生まれたらしいんです。戸籍上ではそうなっています。しかし、物心がついたのは、兵庫県尼崎の孤児院。今も実の両親は知りません。
私が3歳のときに、尼崎で雑貨屋をしていた宗次夫婦が引き取ってくれました。資産家とはいかないまでも、当時は貸家を持っていましたし、施設のほうもいいところだと思って、送り出したのだと思います。
実際、引き取られた直後に写真館で撮った家族写真が残っています。私はスーツを着せられ、和服を着た母の膝の上に乗り、その横には格好いい帽子をかぶった父が寄り添うように立っている。
しかし、それっきり、そういう家族写真はありません。写真とは無縁の生活になりましたから」(以下、「 」内は宗次氏の発言)
原因は、養父のギャンブル依存症だった。競輪にどっぷりとハマった養父は、レース開催日になると、養母の財布や店からおカネを抜き取って出かける。転落はあっという間だった。
夜逃げ同然に岡山県に転居した。養母は夫の暴力と借金に愛想を尽かして出ていった。
「父もたまに働くことはあったんです。岡山では近くに造船所があり、日雇い労働に出かけていきました。その給料のほとんどを競輪に使ってしまう。そんな人でした。
タバコを買うおカネもありませんから、パチンコ屋に連れられ、落ちている吸い殻を拾うように言われました。ポケットいっぱいに拾い集めると喜んでくれましてね。
それを唯一の家具だったリンゴ箱の上に置いておくのです。リンゴ箱はフタを閉めれば食卓にも勉強机にもなりますし、中には荷物も入れられるので便利に使っていました。夜になると、そこに父がロウソクを灯して明かりにしていました。
いくら昔の話だと言っても、もちろん当時の岡山には電気は通っていますよ。しかし、電気代を払っていませんでしたから電灯はつきません。明かりはロウソクだけ。
そこで父は、私が拾ってきた吸い殻から笑顔で葉っぱを取り出し、キセルで吸っていました」
8歳の頃、養母が愛知県・名古屋にいることがわかり、父子は夜行列車で名古屋に移った。だが、養父の競輪狂いがおさまっておらず、養母は再び夜逃げをした。
「父には父なりに私への愛情があったのだと思います。怒ることはあっても、出て行けとは一度も言いませんでしたから。
だから、父への恨みは一切ありません。自分が不幸だとも思いませんでした。当時は日本全体が裕福ではありませんでしたし、他の家庭がどうなっているのかも知りませんでしたから。ただ、父が喜ぶ顔を見るのが、とても幸せな時間でした」
奇特な人である。幼い頃、貧しい暮らしを送った人の多くは、豪奢で楽な暮らしを夢見るが、宗次氏はそんなことを考えもしなかった。
高校生で出生の秘密を知る
そんな宗次氏の父子二人暮らしは、中学3年生の卒業間際、突然終わりを告げた。養父に胃がんが発覚し、闘病3ヵ月で急死。葬式の出席者は宗次氏と養母だけの寂しいものだった。
その後、母子二人暮らしが始まる。
「ようやく、電気と食事のある生活が始まりました。母は会社の賄い婦をしていたので、毎日、私のために余ったご飯とおかずを持って帰ってきてくれました。高校に入ると同時に食が満たされるようになり、本当にありがたかったです。
私がもらわれた子だと知ったのは、その頃ですね。高校入学に戸籍謄本が必要で、役所に行ったら、戸籍には育ての親と実の親の名前が書かれていた。
高校生になって、宗次氏は「宝物」を手に入れる。アルバイトで貯めたカネで友人から購入したナショナル製のポータブルテープレコーダーだ。
「早く録音をしたくて、家に帰ってテレビをつけて、録音しようとしたんです。テレビは母親が職場の同僚から譲り受けた14インチの白黒テレビ。
たまたまNHK交響楽団が演奏していた。それがメンデルスゾーン作曲のバイオリン協奏曲。この出会いがなかったら、クラシック音楽には縁がなかったと思います」
「ここのカレーが一番や」
これが現在の音楽ホールの運営につながるのだが、それは先の話。宗次氏は高校を卒業すると不動産会社に勤め、後に独立する。
田中角栄の列島改造論に沸いた時代のこと、家は飛ぶように売れた。稼ぎも同年代の2~3倍はあったという。
「職場で出会った妻、直美と結婚。社交的な妻に喫茶店をさせて、私は不動産業を続けようと思っていました。
ところが、喫茶店オープンの当日、喜ぶお客さまの笑顔を見て、飲食店経営に心を奪われた。その日の夕方には不動産業を廃業して、喫茶店を手伝うと決めてしまいました」
開店当初こそ客で埋まった喫茶店だったが、商売は甘くない。
厚切りパンやゆで卵などが出る「モーニングサービス」をはじめ独特の喫茶店文化が根付く名古屋で、新参者はすぐには受け入れられなかった。
しかも、宗次夫妻は独特のスタイルを貫いたから、成功は容易ではない。
「私たちは『モーニングサービス』は一切しませんと宣言したんです。だから、なかなかお客さまが来ない。自転車操業でパンの耳を食べる生活でした。
でも、私たちはお客さまの笑顔があふれる店にしたいという信念がありました。若い夫婦が一生懸命に頑張っていると評判になり始め、1年が経った頃には2号店をオープンしました。
場末の喫茶店の店主だった私が、最初に作った標語が、『お客さま/笑顔で迎えて/心で拍手』です。これは私にとって日本一の標語ですね」
3号店はカレー専門店だった。妻の作るカレーが喫茶店で好評だったのが始まりだ。
宗次氏はカレー専門店を出すにあたって、東京の有名カレー屋を食べて歩いたが、結論は妻の作るカレーが一番おいしい。
「ここのカレーが一番や」
『CoCo壱番屋』が誕生した。
最初はフランチャイズ制で展開し、後に社員が独立する形で店舗を増やし、開店から41年経った現在では全世界に1500店舗近くを展開する。
「25歳から53歳で引退するまで、まじめにコツコツやっていたら、知らない間に大きくなっていたというのが実感です。毎期の目標を必達でいくために、まずは誰より自分が一生懸命になろう、と思ってやってきました。
失敗する経営者は、途中でよそ見をしたり、油断したりしたのではないかとしか考えられないのです。だって、私みたいな人間でも、やり続けたらこうなったのですから。
ただ、その代わり、大変ですよ。365日出社、年間5500時間の労働をしたこともあります。何が何でも増収増益をやりましょう、というシンプルなことなんですけどね。
でも経営者だって遊びたい、休みたいって、みなさん、そう思います。それはそれでいいんですけどね。能力がある人が地道にやれば、私の出番なんかなかったでしょうから」
稼いだおカネはすべて寄付
宗次氏の引退は53歳。創業者としては異例の早さだった。ハウス食品に持ち株を譲って得た私財を元に、困っている人たちを助ける活動を続ける。
’07年には二十数億円を投じて、クラシック音楽のコンサートホール、宗次ホールを建設した。
「経営から身を引いたとき、することは何も考えていませんでした。クラシックに関わるとは思ってもみなかった。
ただ、妻と稼がせていただいたおカネは、自分たちのものではなく、一時預かりという形にして、世の中に返していこうと決めていました。そこで、NPO法人『イエロー・エンジェル』を立ち上げたんです。
貧困問題の解決に奔走する市民団体、学費に困る子供への奨学金などに寄付をするなかで、クラシック音楽に携わる人たちの困窮も見えてきた。
有望な演奏家たちが高価な楽器を使えなくて困っている。学校の吹奏楽部も楽器が古くて、数も足りない。
結局、何に困っているかというと、おカネなんです。一生懸命頑張っているけど、先立つものがないために何かを諦めざるを得ないという話を聞くと、黙っていられませんよね。
これらを助ける原資はすべて、ココイチで稼がせていただいた私のおカネです。何歳まで生きるかわかりませんが、私名義の資産はすべて、そういうことに使おうと決めています」
宗次氏の生き方は、リンゴ箱越しに養父の笑顔を見た幼少時代から変わらない。だから、今日もコンサートホールの前に立ち、笑顔で人を迎える。心の中で盛大な拍手を打ち鳴らしながら―。
宗次德二氏の著書はこちら>>>CoCo壱番屋答えはすべてお客様の声にあり
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190215-00059865-gendaibiz-bus_all&p=1
壮絶な生い立ちからココイチを完全に成功させるまでの半生。それでも慎ましやかな生活を送り、私財は人助けのために寄付をする宗次德二氏。ネットの声
素晴らしい。
それを、恵まれないところに還元して、恩返しと考える。
血の繋がりが無くとも、養父、養母は、愛情を持って育てた証でもあるのでしょう。
実の親子でも、今は殺してしまう時代。
養父が病に倒れても、夜逃げした養母が、看取る。
涙が出ます。
そして、奥さまとの出会いも素晴らしい。その人生に従い付いてきた。
出会うべくして、素晴らしい人に出会えたんですね。
今度、カレー食べに行ってみます。
道行くサラリーマンは誰もが創業者の宗次さんであることは知らないだろう。素晴らしい方です。
人生を曲がらず、純粋に真面目な方だと、文面で伝わる良い記事でした。
創業者の思いが受け継がれているのでしょうし、ちゃんと創業者の想いが受け継がれた、社長や幹部もいるのも凄いと思う。
昔外国の方が言っていました
私の国にはこんな言葉がある
「困難は徳の母なり」
本当の成功を納めるのなら、困難がなければ徳はないと。
やっぱりトップがこういう方だと組織も違ってくるんだね。
こんな会社がドンドン増えればいいのに。
脚色なし、本当にこのままの人でした。
24時間店舗の深夜4時頃に颯爽と現れ従業員にねぎらいの言葉をかけ颯爽と去っていく。
何が起こったかびっくりして後からスーパーバイザーに聞いた話では、早朝見ていたアンケートハガキで気になる事が書いてあって当該店舗まで直ぐ飛んできたとの事。
お客様、更に現場従業員の事を常にお気遣いされる方でした。
20年前なので今ならブラックと言われる部分もありましたが色々学ばせていただき楽しく勤める事が出来る良い会社でした。
今でも当時学んだことが生きています、誠にありがとうございました。
他で食べるよりここで食べたらその売り上げが世の中のためになるのかもって気がした。
感謝の心と謙虚な気持ちを忘れない、とても大切なことを教えていただきました。
こういう方なんですね。
貧しくても心満たされれば、
人は幸せなんですね。
ある日、ココイチオタクの人がいて、とにかくメニューもスプーンの形、なんか色々と話してくれて全国のココイチを回るのが目標と言っていた。
私も食べてみたくなり野菜カレー、これなら肉も入ってない。お持ち帰りで食べてみた。
美味しい。すっごい美味しい。でも普通で辛かったので、次に行った時は甘口にチーズトッピング。めちゃうまい。
おかげでココイチのカレーとお蕎麦やさんのカレーは食べられるようになりました。
社長さんがこんな苦労してたなんてびっくりしました。勉強になります。
本当にこんな方が国を動かしてくれたら少しは日本も良くなる気がします。
食べたくなりました。野菜カレーチーズトッピング!
赤ちゃんポストや、虐待で親と決別する子がいる中で、保護施設という存在は、場所にもよりますが、あくまで待機を目的としている場所。
ならば全寮として預かり、そこから人生を歩んで、育児、教育、啓発を一括して施せる場所を組織した方がいい。
自治体予算では、被災が頻発する昨今、防災面からも予算の遣り繰りは厳しくなる一方でしょう。
基本国営とし、東西2拠点のみ設立。地方からも援助名目で募るのが良いのでは。
待機ではなく、入った瞬間から生活と勉学が始まる。集中すべきことは山積する。
高校生からは奨学金とし、国策に沿った人材育成とするべきですが、血縁に拘らない、人徳のある人生を送られた方に学長に就いて貰い、多くの子供達を導いて貰いたいものです。
虐待の現場なんぞ見たら、彼は憤激するでしょうね…。
従業員さんの雰囲気が優しい感じでいいのも、創業者のポリシーかもと感じた。
私欲が、無くて、心の美しい人なんでしょう、、
利益を、独り占めするわけでも無く、一時預かりとは
感動した!
我が子を虐待する親のニュースが連日報道されているだけに余計にそう感じました。
でも日々通勤などで通っている人の多くはその事を知らない・気付いていないと思います。
最近は派手な事を仕掛けて注目される経営者もいますが、宗次さんのように地道な社会貢献活動をされている方をもっとメディアは取り上げるべきでは。
人間として本当に立派な方だと思います。
20年以上前、妻のつわりがひどくて食べられるものが減った時、CoCo壱のカレーなら食べられるかも言ったのでカレー弁当を買いました。
おいしいと言って久しぶりの完食でした。
ホッとする味だと思います。
創業者にこんな人生があったとは知りませんでした。
早くに引退した決断力もすごい。
寄付した事業でも多くの方が笑顔になると思います。
お金は笑顔のために
私財を全て投じるなんて生き方が徹底してる。
ぜひ長生きしてください。
素晴らしい。記事を読んで涙が出ました。
自分の生い立ちを恨む事なく、グレる事なく、その時その時を懸命に生きてこられた。
成功しても、私腹を肥やさず、社会に還元する。
経営者の鏡です。頭が下がります。
自分も今、苦しい中におりますが、甘えているだけのことでした。心を入れ替えます。
そして、以前から貧困家庭の進学問題が気になっておりましたので、僅かばかりですが、寄付をさせて頂きます。これからも、お元気でお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。
たとえこの方が後に成功者にならなくとも、自分の生まれや生育環境を卑下したり人を責めたり努力を怠ったりなどはしないような気がします。
信念と強い心と優しい心と持っていらっしゃる。
こういう人が日本のトップになっていただきたい。
決して悪い人間では、なかったのが読んでて分かります
子供って意外にそう言う破天荒な生活が好きだったりします
いくら金が無く食べる物が無くても
決して出て行けとは、言わず
そばにおいてたのも義父なりの愛情だったと思います!
近年の虐待死させる実の親より
何百倍もいい親だと思います!
自分も両親は、早いうちに亡くなりましたが
正直いい親では、ありませんでした
特に母親は、気性が激しく
機嫌が悪いと
よく蹴られたり
殴られたりしました
理由もなく夜外に放り出されたりもしました
そんな時は、家に帰るとまた殴られるので
夜の街をあても無くあるいたりしました
その当時自分が6歳くらいで
二つ下の妹が当時まだ4歳くらいでしたが
外にいる自分を探しに泣きながら来たりしてました親の腹の虫がおさまるまでよく二人で時間を潰したもんです
親の行動に毒されず、不幸とも思わず、全うに歩んで来られた点、頭が下がります。
闇雲に結果だけを求めるだけではなく、
地道な努力(これがなかなか…)見習いたいものです。
こういう方こそ、影響力があり、長く繁栄されるのでしょうね。
今時のうじゃうじゃ現れる胡散臭い成金とは訳が違います。
真の成功者の生い立ちや苦労話が一番心に響きます。
夫婦仲が悪くても、必ず親としてどちらかが寄り添っている。
幸せな人だと思う。
本当に立派な方です。
愛知県の誇りだと思います!
中でも良い意味で本当に変わった人だと思う。
幼少期の体験も、若い時期を仕事一筋できたのも、
引退後も福祉活動してるのも普通の人ではできない。
普通なら苦労したらラクしたいと思うし
お金があったら働かないし、早期リタイアしたら
海外でのんびり暮らすとか、そう考えるのに
常にお客さんや従業員や人のことを思ってる。
そこが凄い。
養父は駄目な所のある人だったかも知れないけれど、自分に愛情があるのだと感じさせてくれた。養母もまた、時に離れながらも戻って一緒にいてくれた。
実の親でなくても、貧乏であろうとも、自分は愛され、必要とされているのだと感じられた環境であった事が、豊かな心を育んだのだと思います。
と思う。この養父のかたは、とにかく働かない人でした。と書いて有るのですが
暴力とかもふるうような素振りも書いて無いみたいだし、悪い人ではないのかも。
(今は、そういう事件が沢山だから)
でも、創業者の人からしたら、幼い頃は
仕事もしないで競艇ばかりしてる父親だと
思ってたけど、今は、年齢も重ねてきて
少しお父さんの事も理解出来ない所も有るけれど、昔のお父さんの歳と同じ歳になると
こうだったかも、大変だったかもな、と
思うかも。
子育てを見直そうと思いました。
日本も捨てたものではない。
養父のための吸い殻拾いから、演奏家のための私財投資まで、
ただ「笑顔」を見るために。
シンプルで、崇高な人生だと思う。
壮絶な人生でした。
立派な経営者は志が高くビジョンがあります。
ヤマト運輸の小倉社長、京セラの稲盛さん、
みんな、人間的にも立派です
何処かのフォロワーをお金で集める、宇宙旅行の予約をする、芸能人を付き合う、何処かの経営者とは月とスッポン。いやそれ以上の差があります
虐待されるより、施設で育った方が安全ですね。
そして、生活苦でも子供を捨てなかった養父母も愛のある方だったと思います。
ぜひ、国政にでて日本を変えてください!
お金持ちだからといって100万円バラまくようなやり方をしない所は本当に素晴らしいと思います。
ありがとうございます。
逆に世間体はものすごくいいが、家庭内で毒親のような状態だったら最悪で今の成功もなかったかも。
養父の笑顔ってとても大きな財産だったと思う。
そういう里親に出会ったことがこの人の人生を変えたんだろうね。
一般的には成金だが、生きたお金の使い方をしている。
お客様の喜ぶ顔も楽しみにしている、
儲けが一番ではなく、人を豊かにすることで自分も満たされる経営は成功するでしょう。
それにつけても他人を攻撃するばかりのいまの時代は不幸だと思う。
しみじみ読んでしまいました。
スーツ姿は上品で苦労の生い立ちは感じさせん。
こんな立派な方もいらっしゃるんですね。
創業者の話は初めて知ったけどなんとなく納得する。
ここが肝だと思う、現在は検索すれば映像や写真で見えてしまうから人と同じかそれ以上の生活を求めて自己中心的でカネが欲しい人が増えてる気がする
上の立場となっても自らが働く。
やっぱりこういう会社は繁栄していくものなんだと思います。
世の中捨てたもんじゃないと光が見えた。
カレー大好きなのでCoCo壱にこれからも通うと思う。
御金儲けの原点、それは三方よし。
御金の使い方も綺麗ですし見習って生きていきたい。
利益追求だけでなく、社会に還元するなんて素晴らしい。
私も幼くして父を亡くし、経済的には大変な思いをしましたが、比較にならりません。
アルバイトからの叩き上げの現社長に
引き継ぎ、完全に一線から身を引いたのも素敵。
TOBでハウス食品のカレー屋になってもーたけど
宗次さんの信念はこれからも引き継いで欲しいもんやね。
365日働くことはなかなかできない。
ZOZOやフルーツ青汁やマダムシンコの経営者達と。
自分の金だけが目的か、自分だけでなく他人も含めての幸せが目的か。
>結局、何に困っているかというと、おカネなんです。
ほんとにそうだと思う。
でも本当は篤志家を当てにした社会ではなく、為政者が貧困をなくそうと立ち上がるべきなんですよね。
お昼は、久しぶりにココイチのカレー食べようかな?
野菜カレーがおいしいです。
CoCo壱のカレーは、いわゆる家で食べるカレーだ。
私は外食でほとんどカレーを食べた事が無かった。お店で食べるカレーはレトルトと同じ味だから。
でも、CoCo壱は違った。特に野菜のカレーはお母さんが作るカレーだ。
今も時々CoCo壱に行く。変わり無い安心する味だ。
ただ、一つ、トッピングに、うずら卵のフライを復活希望です。
そこに愛があれば、どれほど不遇でも怒られようとも、子どもは歪んだりしない。
感動で涙が出ました。
きっと社風にも現れている事だろうと思います。
今の日本のトップにいらっしゃる方に爪の垢でも……と思いましたがもったいない!
周囲の人に気配りする
方だったんだろうな。
読んでいてそれが伝わってくる。
才能というより精神力の強さを鍛えたというか。
行動力と物事への精神的なすばらしさに感服しました。
明らかにこちらの注文間違いに恐縮するのと同時に、なんて素敵な店員さんなんだと感動した覚えがあります。
この記事読んで納得致しました。
が、タイミング悪いですね。値上げのニュースと同時期に…って。たまたまなのか、広報担当の愚策なのか…。
子どもに落ちたタバコを拾わせるって最悪じゃんと感じるけどタバコをいっぱい拾ったときの養父の笑顔がこの人の基礎になってるのかぁと何か考えさせられた
自分も夫婦で商売してるけど、改めて根本的な事を考えさせられました。
いつの日か自分が同じような立場になったら若い人に奢ってあげてね。
そうやってみんな助け合いが続いていくんだよ。
と言われてましたね。
昭和の時代からいつのまにか…。
子供の頃の話は聞いたことなかったので、ビックリしました。
社会貢献、見習いたいです。
宗次ホールのこともその時に詳しく知りました。
ひととして経営者として、とても素晴らしい方だと思います。
今は私もひとりの客として、宗次ホールに足を運ばせていただいております。
氏と同様にとてもあたたかい気持ちの良いホールですね。
どこぞの国会議員や傲慢経営者に、この方のことを少しでも見習ってもらえたらと思ってしまいます。
若い時は犯罪犯して、今は立派ですという記事とは大違い。
しかし値上げはしないで欲しい。
ココイチのカレーの見方が変わるし、改めて食べに行きたいな。
消費者に向けたメディアの戦略がすごいな。
奥さんも立派な方のようだ。そうでなくてはこんな生き方・お金の使い方はできないだろう。やはり、「それなり」の人間が寄ってきてくっつくものなのだなぁ・・・。
壮絶な人生なのに、恨み節もなく。
両親も知らない生い立ちで、ギャンブルと暴力の養父で、普通だったら恨んだり自分の不幸に文句を言いそうなのに。。
こんな環境だから俺はこうなった!って、人のせいにして投げやりになったり、悪い方へ走る人もいるだろう。
この人は、それでも人の笑顔を見るのが純粋に好きで、その気持ちでここまで成功して。
困っている人に尽くして。
本当に心の綺麗な成功者なんだな。
ただ、「孤児院の子=かわいそうな子」でもないでしょう。
血のつながった親に虐待される子が本当に多くいるのですから。
事件で知るのは氷山の一角で。
朝ドラにならないかなあ。
いつも接客がよくて、不思議に思っていたのですが、創業者の方の人柄からだったんですね。
経営者は替わっても、こういうとこは、変わらないでほしい。
この人たちのエライのは、影の部分もたくさんありながら、ヒナタの部分を少しでも実行したこと。
小さな会社の経営者ですが、私も見習わないとダメだ。
ついつい今巷で話題の、Twitterで訳のわからないパッと出の経営者が羨ましいと思ったりしたが、そんなものには成りたくないと深く心に刻まれました。
虐待は遺伝するというけど、暴力がなければしなく突然変異もあるのだ。
その節はお世話になりました。
読みながら目頭が熱くなりました。
CoCo壱番屋の名前の由来にも感動しました
ひどい店も多々ある。
売上に貢献しよう。
あと、商売をやる時代が良かった。(団塊世代特有の成功っぷり)
今の時代では到底無理なサクセスストーリーだ。
それに他人のためて本人が言ってるなら終わってる
なぜココイチカレーは、不味くて高いのか。
管理人の率直な感想
とりあえず、ココイチのカレーを食べたくなったのは僕だけじゃないはず。
いや~素晴らしいお話です。
普段から事故や事件、日韓関係の記事を扱っていると少し心が荒みそうなので、最近ちょっと雑学というか世間話などを扱いたいなと思っていたところなのですが、そこで出会ったのがこの話でした。
経営者として成功する人っていうのは、主にお金への執念というか執着が原動力になっている例が多い。
『銭ゲバ』ってやつですね。
とにかく金金金。
その上ケチ。
そうじゃないと成功しない。と聞いたことがあります。
そして「だから僕の家は代々お金持ちにはなれなかったんだな」と納得したものです。
ココイチの創業者である宗次德二氏は希有の人ですね。
『お客様の笑顔があふれる店にしたい』
一見すると綺麗事にも聞こえますが、本心なんですよね。
そしてこれが宗次氏にとっての原動力だった。
「タバコの落ちている吸い殻を拾うように言われ、ポケットいっぱいに拾い集めると父は喜んでくれた」
この思い出。
この頃には既にその心が芽生えていたんじゃないでしょうか。
だって普通だったら覚えていないですし、覚えていたとしても「拾わされた」とイヤな思い出として残るはず。
少なくとも良い思い出としては残らないでしょう。
ココイチのカレーが値上げするというニュースも拝見しましたが、そんなもんは一蹴するくらいの美談でした。
ったく、青汁王子ならぬ脱税王子に1000回ほど読んで聞かせたい話ですよ!
ちなみに脱税王子の記事はこちらの記事になります。
彼の場合は何万回聞かせても心には響かないかな。
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