東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で生まれ故郷の福島県浪江町を離れた1人のシングルマザーが11日、望郷と復興への思いを込めた歌で、大手レコード会社からデビューする。避難生活を続けている牛来(ごらい)美佳さん(36)だ。「震災のことを歌で伝え続けたい」と語る牛来さんに話を聞いた。
牛来さんは、避難先の群馬県太田市を拠点に平成24年から音楽活動を続けている。
27年3月11日に動画投稿サイトで発表して反響を呼んだ自主制作の歌「いつかまた浪江の空を」にキングレコード(東京)が注目し、11日から各種音楽サービスに配信する。
避難指示が出たふるさとへの思い、帰郷を信じて前進を誓う気持ちなどが歌われている。
11年前の3月11日。関連会社に勤務していた牛来さんは、福島第1原発の敷地内にあったオフィスで被災した。両親らとともに浪江町の自宅を離れ、福島県郡山市や新潟県内の親類宅を頼った後、その年の5月から5歳の娘と2人で太田市に避難している。
避難者のための借り上げアパートに入居した牛来さんは、台所の窓の外の景色を見て、「なぜ、ここにいるのだろう。なぜ、故郷から出ないといけないのだろう」と悔しさや悲しさが募った。
牛来さんは8歳の頃から歌手に憧れ、作詞のまねごとなども始めた。ノートの端に思いついた言葉を書き留め、破いて靴箱にためていた。震災から3日後の夜も避難先で、携帯電話に「散り散りになっても心はつながっている」などと思いを書きつづった。
高校時代は郡山市で過ごした。その際、市内のライブハウスに出入りするなど、歌手になる夢は膨らんだが、19歳で妊娠。20歳で浪江町に帰り、シングルマザーになった。
知り合いのライブハウスの店長が、安否確認の電話をくれたのは親類宅に避難していた頃だった。「こういうときだからこそ、音楽をやらないか?」。そのときは何も答えられなかった。だが、太田市に落ち着いて心が決まった。
「震災の経験を、歌で伝えよう。いや、伝えなくてはならない」
作曲の経験はほとんどなかったが、店長らの協力で6月から曲づくりなどに着手。震災から1年後の翌24年3月、自主制作の4曲入りミニアルバム「浪江町で生まれ育った。」が完成した。表題曲は、震災の3日後に携帯に書き留めた言葉を歌詞にした。
このミニアルバムをきっかけに〝被災者シンガー〟の存在は福島や群馬のメディアに知られ、各種音楽イベントに招かれるようになった。800枚作ったミニアルバムも完売した。
その年の5月、牛来さんは一時帰宅で訪れた浪江町の姿を写真に収めると、西野カナらのヒット曲を手がける作曲家、山本加津彦(かつひこ)さんに送った。浪江町を思って作曲してほしいと書いた手紙を添えた。
山本さんとは21年に浪江町の音楽イベントで知り合った。震災後、安否確認のメールもくれていた。
「浪江町は、青空がとてもきれいだった。あの空の下でまた人々が再会し、住めるようになることを願い、未来に希望を持てる歌を作ろう」と山本さんは太田市まで駆けつけてくれたが、曲作りは難航した。
「私は荒れたままの町の様子など現状を、そのまま伝えたかった。私の歌詞は、感情むき出しで荒々しかった」
共作した歌は25年に完成したが、山本さんがいう「希望」に、「心がついていけなかった」と明かす。歌う決心がついたのは26年の暮れだった。27年3月、福島県二本松市の仮校舎に通う浪江町出身の小学生たちの合唱を加えて録音は完成。それが、「いつかまた浪江の空を」だ。
浪江町は29年に一部を除いて避難解除になったが、牛来さんは、「まだ、帰るとも帰らないとも決めていません。音楽を通して培ってきたものを、町のために生かせるようになって帰れたらいい」と話している。(石井健)
牛来さんは「いつかまた浪江の空を」の配信に伴い、「NAMIENOSORA PROJECT」を立ち上げた。合唱用の楽譜をインターネット上で無料配布。子供たちが合唱する動画を募集して紹介する。「震災の記憶が薄れる中、当時を知らない子供たちに、この歌を歌ってほしい」としている。
参照元:https://www.iza.ne.jp/article/20220310-344MYMLADZNYNP6Z7STKM2YAZM/
物議を醸す被災者シンガー牛来美佳さんのデビュー【ネットの声】
共感は出来ないかな、むしろ残念。
トラウマになるから桑田さんは歌を自粛したのに震災経験者は歌うんだ。
ヘェ〜
こういう人も避難者なのだろうか?
残念だが引っ張ったレコード会社の社員は、始末書の準備が必要かも。
この歌手に何か恨みでもあるのでしょうか?
もう転居でよくね?
流石にこの売り込み方が通用するのは震災後、2〜3年じゃないですか?
地方で人口が少ないほうが補償も手厚い実情・・・・もうええは
うまくて人の心が動く本物なら。
そうじゃないなら大して浮きもせず消え行くだけ。
傍観しましょうや。
歌手なんだったらっ純粋に歌で勝負して
見出しで興味を引く人は要らんのです
この方の記事で「いつか浪江に帰りたい」とのことだったので、まだ浪江町全てが住めない場所なのだと思っていたのですが、そうではないのですね。(一部放射線量が多く、入れない場所はあるようですが)
この記事と、テレビの内容を見て「ふーん…」となんだか釈然としない気持ちになりました。
うまく言えませんが。
私自身も東北に住んでおり被災しましたが、11年経ってますし、被災者という言葉は注目を集めるために使って欲しくないなと思います。
災害を語り継ぐことは必要かも知れないが、
それをネタにするには無理があると思います。
その後も大なり小なりの震災は発生しています。
前を向いて、ご自身の実力で頑張って下さい。
沢山人が亡くなって大惨事だったのは否定しませんが、シングルマザーで避難生活して歌手だったからってなんなんですか?
東京電力の対応がっていうけど、地震起こしたの自体は地球であって、震災がなければこの人だって原発で働いて就職先としての恩恵受けてたろって話。
避難と言うことは、今でも賠償金生活していること?だとしたら、何時迄たっても避難の一言で貫き通すよね。
少なくても、同じ考え、思っている人はいると思う。 いい加減に。
これだけの実力派なら、大成してほしいよ。
出来れば「被災者シンガー」の肩書が消えるように。。。
この記事やこの方の考え方に共感するかどうかはもちろん読んだ側の自由ですし
それぞれの感想があっていいと思うんですが
生き方について否定するコメをわざわざ残す人ってなんなんですか?
売れもしないのにとかなんでも震災を美談にしてとか
ほんとに1回周囲の人に自分のコメント読んでもらったらどうですか?
そしたら恥ずかしさに気づけるんじゃないですか
青春のメインを郡山で過ごしてるのに浪江にそこまで愛着湧くのかね?
>「歌手になる夢は膨らんだが、19歳で妊娠。」
郡山にいる頃に後先考えず妊娠してシングルマザーになって、泣きつく形で戻った故郷への愛を歌われてもねえ…
本人がどう思っているかは別として、故郷を愛しているなら「震災を利用して有名になろう」というふうに見えてしまう行為は控えるべきだと思いますけどねえ。
キャラ付けで周りのスタッフがやってるのかもしれないが、同情票だけでどうにかなるほど甘くないよ。
昨日NHKBSでも、津波で娘さんを亡くした人がギター出して来たからチャンネル変えた
まぁ避難民を前面に出してこのタイトルって、こういう売り方もあるんだなぁって感じだけどあんまり印象は良くないかな。
今、自分は避難してるって言うのなら戻って「浪江は今こんなに頑張ってますよ~」って全国に発信する方が地元のためのように思うのだが。
え?
「いつかまた浪江の空を」って歌うなら帰るって言って欲しいところのような
なんでもかんでも災害のせいにしてはいけない
・19歳で妊娠、シングルマザー
・福島原発で被災
・避難生活
・そして歌手デビュー
私は県民じゃないのであくまでイメージだけど。
歌手デビューが決まりこれからのご活躍を応援しています
医療費もタダ
月々の補償金も1人当たり10万円
オマケの桁違いの補償金もある
世の中には、それ以上に苦労してる人沢山います
あれから11年だよ11年!
こじつけ
便乗になるよ
同じ福島県として逆に恥ずかしいかも?
地元だけど、この人の話を始めてきいたよ!
コンセプトからしてデビューからそれを背負うとなると、2、3年ってところかな…
という疑問はあるが、実力があれば、そんなことは言われなくなるだろう。
「今」、浪江にいる方はこれをどう聴くんだろうか。
数十~数百億円の対応策をケチってしまったために、その何百~何千倍の未曾有の損害をだしてしまった。11年も経ったのに東電の責任のある人が処罰されていない。
本当に伝えたいのであればそっちの方がよいのでは?
それに今時CD買わないよ。
「タダで見る」を売れると勘違いしてませんかね。
まぁ100枚売れればいいくらいのご当地演歌歌手扱いだな。
ライブハウスに出入りするなど、歌手になる夢は膨らんだが、19歳で妊娠。20歳で浪江町に帰り、シングルマザーになった。
避難者なのであまり着飾ったらダメなんでしょう。
これに限らず阪神大震災や熊本の災害、雲仙普賢岳の噴火など日本各地で起こっている事象の一つと言えるでしょう。
語り継ぐ事の大切さは第二次世界大戦や原爆に代表される様にとても大事です。
現実問題として、話題性や唱力等総合的に検討して歌手としていけると判断されたのでしょうが、震災を歌で続ける事はなかなか難しいと思います。
30代半ばという年齢を考えても先は長いので、デビューからある程度の時間を経て自身の立ち位置を確率されてから聴衆に忘れて欲しくないと言える状況を作られた方が思いが届く気がします。
何しろ音楽やテレビ、芸能の世界はドライですから、売れないと判断したら出さないでしょう。
地方回りも大事ですが、やはりテレビの力は凄いと思います。
頑張って下さい
悲惨な過去の記憶を忘れないようにするのは大事。但し、人は時々、自分の苦しい過去を忘れたいと思う、もう一つの心があるものです。
私だったら、苦しかった過去を直撃するコンサートだとしたら足は向かいません。希望をテーマに頑張って下さい。
震災を風化させないのが目的なら、YouTubeに任せて、震災でなく自分の歌を歌った方がいいと思います。
理由は違えど、住めなくなった土地を捨てて移住したという話はいくらでもある。
辛いとは思うが、新たな場所で気持ちを切り替えて生活したほうが精神衛生上良いのでは?
と親が転勤族だった私は思います。
故郷はいくつあってもいいもんですよ。
今日東日本大震災11年目のこの日にデビュー素晴らしい話だと思う。
これも命有ってのこと。
避難してみんなその地を離れてバラバラになるのはいたしないこと。生活していく生きていく上には欠かせない。
3.11を決して忘れない。何年経ってもこうして歌に綴りこの日にデビューする。
きっとこの歌声は地元の被災された方さらにこれを応援し続けている日本全国民の胸にきっと響く事でしょう。
震災から11年がすぎ、戻る気も固まってないいで、他の地で生活できているならば避難ではなく転居だと思います。
震災はとっても辛い出来事だったけれど、何でもかんでも結びつけてしまうのはちょっとな、、、と思います。
話がそれますけど、東電の賠償金で県内他市に引っ越して被災前の生活よりとても裕福に暮らしてる人達、沢山いるの事実ですし。
現金を寄付する余裕はなく、その時にあるポイントだけです。何の役にも立たない程度ですが、一人1円が、全員で1億になるからと思い、せめて被災地の誰かの学費にでもなればいいなという気持ちです。
原発近くのキャンプ場にバイクで行っていました。大好きな場所が早く元に戻りますように。
こういった記事の避難生活者の数はもう殆どあてにならないように思います。0歳だった赤ちゃんはもう10歳です。その子にとっての家は今の住処でしかありません。
無情に思う方がいるかもしれませんが、帰郷を諦めていない人の数をしっかりと調べる必要もあるように思います。
人生いつでもスタートが切れるってこと。
震災でやりたいことが止まったままの人に大丈夫だよって力をくれたと思います。
でも、メジャーと契約したといっても、更新されるのも難しいらしいです。
管理人の率直な感想
応援している人もいますが、辛辣な声が多いです。
群馬県太田市で復興支援チャリティーコンサートをしていて、浪江町長に義援金を寄付している記事を見ました。
多くの人がそうだと思いますが、生まれ育った場所は特別だし、牛来さんもの復興に対する気持ちは本物のはず。
その力になれる手段が夢でもあった歌手の道であり、復興と夢の二つを同時に叶えることができるなら乗らない手段はないと僕は考えます。
もちろん「もう11年だぞ」と言う人がいるのも分かりますが、11年経っても遺体が発見されていない人が沢山いて、波をかぶって更地になった場所は震災前のような町の形を取り戻せていません。
何をもって復興が完了したのかという定義は僕に判断できるものではありませんが、元の場所に震災前の街並みを取り戻すのは今後また来るであろう津波のことを考えると無理でしょう。
でも、その場所で必死に生きている人たちがいる。
3月11日メジャーデビューが偶然だとは僕も思っていません。
でもいいじゃないですか。
歌手に限らず、あらゆる要素を含めてビジネスが成り立つんですから。
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