宮城県教育委員会は20日、県立名取支援学校高等部(名取市)の生徒が通学バス内で心肺停止になり、死亡したと発表した。生徒は難病「先天性筋ジストロフィー」患者で、たんがのどにつまったことによる窒息死とみられる。
県教委によると17日午前8時21分、通学バスに同乗する保安員が、生徒の顔色が優れないことに気付いた。呼びかけても反応が悪いため学校に連絡したが、学校の指示で保安員が119番通報したのは16分後。救急車が到着した8時50分には心肺停止状態だった。
生徒は学校で1日3回ほどたんの吸引の医療的ケアを受けている。通報までの時間について、県教委は「生徒は約10年バス通学しており、窒息を想像できなかった。校内の連絡にも時間がかかった」と釈明。保護者に謝罪したという。
学校の通学バスの緊急時マニュアルでは同乗のバス会社社員が学校に連絡し、指示を受けるよう定めている。当日、学校側は担任と養護教諭の2人を現場に向かわせ、生徒の様子を見ることを優先。校内で救急車要請を判断。
県庁で記者会見した遠藤浩一校長は「教員の力量不足。救急車を迅速に要請する力量がなかった。学校管理下で起こった事案で責任を感じている。緊急時の連絡体制を見直したい。もっと短い時間で通報できるよう取り組みたい」と述べた。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190520-00000071-asahi-soci
ネットの声
黒電話時代は消防への通報すら時間もかかり、到着するまではやたら時間がかかった。
今回はバスから直接通報すればとも思うけど、マスコミの報道しか内容がわからないのでなんとも言えない。
保護者はリスクを予想出来たでしょうし、子どもの命を預けるのだから、こういうことが起こり得る、こういう場合はこうしてほしいというような要望や打ち合わせを、担当教諭や学校に対して密にコミュニケーションをとってほしいと思います。運転手さんがどれほど緊急なのかの判断をするのは、大変難しいことです。しょっちゅう、顔色が悪くなる生徒もいるかもしれませんし。救急車を呼ぶべきか否かわからないでしょう。保護者が、事前に学校の危機対応マニュアルについて確認していたら、自分の子の緊急時のケースでは、救急車手配までが遅いことに気づけたかもしれません。
そして最悪のケースが起こったりしても、故意や悪質な過失が無い以上、学校を訴えたりしないでほしいと思います。
現場の判断で直接救急車を呼んで一命を取り止めたとしたら業務違反になる?
一刻を争う状況の時は、現場に選択できる余地がある柔軟なガイドラインが欲しい。
一刻を争う事態に法律という壁が邪魔になって、手遅れになるケースが度々ある。
よかれと思ってとった行動が不幸を招くこともあるからどうしてもマニュアルに縛られてしまう。
うまくいってもお咎め無し
失敗すれば袋叩き
そんなリスク背負うくらいなら指示を待つのが妥当なのもわかる気がする。
誰も責められないような気がする。
吸引が必要なお子さんだったら、吸引が看護師でしか出来ない範囲より奥でつまってしまったのか…どちらにせよお悔やみ申し上げます。
そしてきっと教員の方も必死に対応したはず…教員の心のケアも必要だと思います。
いろんな意味で端的に限界なんだと思う
安らかにお眠りください。
その場にいる人の対応が大切なんじゃないのかなぁ。
「細かなケアがないと16分で死ぬほどの病人」を医師でも看護師でもなく教師に任せるという発想がすでに何かもう間違ってると思う
窒息だったのなら、数分で通報出来たとしても救急車が到着するまでの間にほぼ難しい状態になっていた事が考えられる
専属でもなくただの同乗の保安員として乗ってたのなら他の子だって見なきゃいけないし、この人に責任を負わせるのは酷かな
残念だけど100%のケアを望むならそれ相応の環境が必要、一般校には難しい
なんでもかんでも責任を追及するのであれば、受け入れ先はなくなる。
残念だが、こういった天命もある。
こういうケースはあり得るから、今後どうするか、しっかり周りが学ばないといけない。
最近難病の方を普通学校に受け入れる取り組みが増えているが、大いに結構なんだが、
何かあると先生・受け入れ側に責任を問いがち。
今回の件もそうだけど、責任を周りに問わないで欲しい。
あくまで、難病の子で、介助も一人一人に濃いケアが必要で、それは完璧ではないと理解していただきたい。
一般にスクールバスの保安員さんは教員ではなくて特に資格などはないパートの方だと思います。専門的な個別の判断は責任上できないことも多く、学校の指示を仰ぐしかありません。スクールバスもどこでも停車できるわけでもないし安全な所を考え移動しなければなりません。救急車を呼ぶのには移動してたら場所を伝えられないです。訓練通りに確実に対応しても時間はかかってしまいます。そして、他のお子さんたちもいつもと違う事態にとても動揺し二次被害も考えられます。スクールバス内緊急事態は本当に対応が難しいのです。
教員の方々の負担が重過ぎるのではないだろうか?
しかしながら、このような命に関わる判断を学校がいかに多く背負わされているか。食物アレルギーによる、アナフィラキシーショックなど、食べさせてはいけないものを本人に食べさせないために、個別に作った給食を何人もの教師が確認をして慎重に慎重を重ねて食べさせています。このような児童が、学校や学級に複数いて、毎日行われます。以前神奈川で給食の事故がありましたが、それ以来大きな事故が、報道されないのは、全国の教員が本当に頑張っているからです。
働き方改革なら、まずこういう専門外の仕事を専門家に任せることからしなければ。事故が起きてからでは遅いし、結局頑張ってるところは全く評価されず、責任ばかり責められます。
そして、また、研修が増えるばかり…。
日々、一生懸命やられてると思います。
バスでこういう事があったからと、送迎がなくなれば負担が増えるのは家族だし
預かってもらってる以上は、故意の事件でない限りあまり言うのは良くないと思う。
亡くなってしまったのは残念ですが、保安員の方の心のケアもしてあげてほしい。
教員は、無論医療行為ができないので、命を救うためにできるのは一刻も早く助けを呼ぶこと。
組織として万全の体制を取っていたのであれば個人に責任を問えるのかもしれないが、その個人を採用したのは教育委員会でしょうし、その分掌を決めたのは現場のトップでしょうし、上の責任がゼロになるわけはない。
なのに「力量不足」という表現をしてしまっては、やはり組織から個人への責任転嫁に聞こえてしまう。
わたしの職場では、スクールバスは近隣のバス会社が運行しているごく普通のバスです。添乗員さんは原則バス一台につき一人です。また、介護や医療について特別な資格はなく、あくまでもバスの運行に関わる仕事(保護者からの引き渡し、荷物預かり、ルートの観察、有事の際学校への連絡等)を委託しているので、バスの中で体調に異変があってもその場では対応できないこともあるかと思います。また、児童生徒の状態によりバスの運行が不可能となった場合などはその場にバスを停めてもらい、学校から教員が駆けつけることもあります。今回も、添乗員さんは原則である学校への連絡というところで自分のできることをしていたのではないでしょうか。しかしこのような明らかに命に関わる事案では学校側もバス会社も柔軟に対応できるようなガイドラインがあるといいです。添乗員さんが一人という状況も限界だと思います。
経験がない限り、教員は窒息の処置出来ないよ。
機材もないだろうし。
それもだが、同乗してた他の生徒さんがいたなら、苦しんでる姿を見てると思う。そっちのケアもお願いしたいわ。
自由度を上げることで増えるリスクを想定してなかった。
進行性の病気で、いつも通り通っていたとしても日に日に容態は悪くなる。
同じ時を永遠にっていう心はみんなあるけど、正直生みの親しかあてにならない。
学校側も特別扱いしろっていう話なら、親も通学に付き合うべき。
みんな平等で、助け合いも大事だけど、自分だけで精一杯の人がたくさんいます。
ご冥福をお祈りします。
(公務員は待遇がいいといっても現実は給料は民間のせいぜい中の上、年金はとっくの昔に民間と一元化している)
現に教員だけでなく警察官や自衛官も同様の働かせ放題で残業代が払われず過労死や自殺が多発している以上、国家公務員全体で同様の問題が起きている。
少なくとも今の公務員を甘えていると非難する人間はブラック企業の経営者と同じ発想だという自覚を持つべきではないでしょうか?
リスク承知で、みんなと同じ学校に行かせたかったのだろう。特殊性と親の容認によって解決されると思う
どんな子供達にも教育を受ける権利があります。障害を持つ子供達の受け皿となっているのが特別支援学校です。ですが圧倒的に数が少なく感じます。我が子の学区の特別支援学校には通学バスが10台以上あり、遠い子だと片道一時間以上バスに乗車しているそうです。すべてのバスに看護要員を乗せることはできず、医療ケアがこまめに必要な子は自家用車かタクシー利用を指示されています。
この子は10年もバス通学をしていたことをふまえると、憶測ですが、容態は安定していたのでしょう。
と考えると今回は即座に救急車を呼んでほしかったなと思います。学校への連絡はその後でも良かったのではないでしょうか?心肺停止なり呼吸困難なり、いつ誰でも起こりうることです。もし対応マニュアルが学校に連絡し指示を受けてから緊急通報なら、現場から緊急通報ができるよう見直すべきだと思います。
そもそも今回の件は不幸な事故には違いないが、現場に責任を負わせるのは筋違い。責任というなら、非常時に万全でないと知りつつバス通学を認めた校長の責任、ということだけ。
これで責任を問われるのなら、学校としては保護者による送迎以外認められなくなるのでは。
そんなの、全てが調査済みの今なら何とでも言えるさ。
いきなり生徒がうずくまって苦しみだした。
この時点で誰が正確な診断を下し、適切な医療行為を行えるのさ?
医者しかいないじゃん!
(看護士や救命救急士には最低限の医療行為しか行えないし、もちろん診断も出来ない)
教師に医者の役割まで果たせって、そりゃ無茶にも程がありますよ。
だから今後の事故の解決策も、医者をバスに同乗させる以外に無いし、
それが無理ならバスに乗せるべきでは無かったという事だ。
何でもかんでも現場に丸投げすればいいというものではありません。
最後に、亡くなられた生徒さんのご冥福をお祈り申し上げます。
受け入れても、突発的な事故に対応しきれず、こういったケースも起こりうる。
学校も未知の事に懸命に模索を繰り返しながら対応している。それでもこのような結果になってしまったら、もう誰も責められません。
受け入れたくない学校が沢山あるのも致し方ないと思う。
それでも一般校に通いたいと思われるなら、極端な言い方ですが、親御さんが常に付き添えば問題ないのでは。
健康に深刻な問題のある生徒の死の他人が負わなければならないのはおかしい。
例えそれが法的でなくとも、携わった人間の心に計り知れない負荷を残してしまうと言う意味で。
病と戦いながら学ぼうとした生徒が
結果、バスの中で亡くなった。
学校側も難しい病気の人をよくぞ受け入れて
学ぶ場所を提供したと思います。
校長先生が教員の力不足を考えるのであれば、どこかには親の力量不足だったという考え方だってあるはず。教員側だけに会見をして対応方法について問うのはいじわるだと思います。
登校のバスということは、当日の児童にはまだ先生は出会っていない。
しかも8時21分という時刻。先生がまだ勤務時間でないのなら、そこの対応を先生に任せるのは無責任ではないでしょうか。先生は対応するでしょうけども、このことで先生に責任があるとは思えません。
私が死んだ時に、周りの方が病まないようにしておきたいと思った。
それと同じように、この保安員さんも本来なら学校に電話をする前に救急車を呼ぶべきだったのかもしれませんが、突然なことでどうしたらいいのか分からずにパニックだったのかもしれませんね。
それか、学校でわざわざそういう流れにしていたのか。
どちらにしても、全国の学校でこういう想定もしておく必要はあると思います。
例えば、前屈みの姿勢で胆がのどに流れず口元で受けられるようなマスク状のものを装着するなど、聴けを極力回避しつつ通常時間を過ごせる体制というのは疾患状態によって夫々で考えられるべきだと思うのだが、車椅子等へ座る体制というのは当事者の為というより、介護し易さを求めた結果でしかない気がしてならない。
言い換えるなら教員等の対処者の対応の是非でなく、起きうるべき事故への医療的ケアの回避思考や施策の想定自体が介護者に頼ったものでしかなく、当事者を基準にした対処の術や装備という考え方が不足していると思えてならない。
ただ、親も預ければ安心とバスに乗せ続け、その安心が日常になっていたろうし、預かった側もまさか今日のこの時間にとは想像できなかったろう。
通報までの16分間、どんな対応をしたのか、タンの吸引を試みながら、学校や親と連絡していて遅くなったのか。16分なんて、あっという間。
学校側の対応としてはよくやったとは思うが、一応なりともう少し早い対応が必要かも知れない、その点は親もよく理解しているだろう。
ただここで問題になってくるのはその生徒の周囲にいた、支援学校高等部の生徒達である。自分の事以外に関心を示さないのは発達障害児の特徴ではある。記事になっていないため言及は避けるが、周囲の者が気付いた時に声を上げる位はできたであろうに、それが悔しい。
権利だけは主張できるのに。
この辺りを今後明確にしていかないと、せっかくの支援学校が生きないです。難病でも障害があろうとなかろうと、全ての人間は教育を受ける権利があります。まして子どもなら、たくさんの友だちの中で生きる権利があります。
「教員の力量不足」を他の理由では同意の事もあるけれど、今回の件については違うと思う。
医療行為を必要とする生徒の世話は教師の仕事では無い。
支援学校として採っているシステムが不十分だったのであれば見直す必要はあるけれど。
(こういう生徒がいる場合は看護師が付いたりしませんか?)
あとは生徒に異変が起きた時には学校に連絡して指示を仰ぐよりも直で救急車に連絡できるシステムにした方が良いと思う。
あと、受け入れたくて受け入れたのではなく、受け入れろと上から来てるだけ。
医療者ではない普通の職員は、そこそこできても、緊急時の対応は遅れるでしょ。
学校とは違う形態の教育機関を国が立ち上げていかないと、学校の職員も、生徒も悲しい時代が続いてしまう。
「バス通学で問題がない」ってことで介護者が常時付いてるようなことはせずに教室は特学だけど学校は普通に通えてたってのは本人的に良かったことと思ってるだろうし、ちょっとでも様子がおかしかったら10分おきだろうと親に電話して呼び出してたら「ボクだけ特別扱いされてる」「せっかく特学にしてるのにこの程度のことで呼び出されるなんて!特学免状を持ってる教師なんでしょう!?(持ってなくてもいい)」とかなるだろうし。
これで教師や学校の問題になって、今後は重篤な事態になった前例がある障害・難病の生徒は特学でも受け入れできないって方針になるのも不幸な話だろう。
亡くなられた生徒さんには気の毒だが、喉が詰まる可能性はある程度、予想できたことであり、先生もその可能性のことは、頭に入っていたはず。
ただ、いざその状況に実際なれば、訓練されていない人であれば、テンパって、対応が遅れてしまうことも、予想できたことなのでは。
そこは、校長の指示で未然に防げたものを、教員の力量不足って。。。
それを言うなら、私【校長】の管理不足、認識不足でしょ?
二度と同じ事故が起きないよう、全国の学校も、いまいちど今回のような事が発生した場合のフローを確認をしてほしい。
この様な障害がある子に接する者達は、
保安員も含めて共通の認識・対処を共有するシステムを築くのが
優先に思う。
救急車を呼ぶのに16分時間を要するのは、
やはり少し長すぎる。
後、具合が悪い人を前に、学校に意見を仰ぐのではなく、
まず、救急に電話と言うあたり前の事ができなかった理由の改善が
急務だと思う。
ここまで学校生活が続けられた
学校側のサポートも素晴らしいと
思いました。
なんども話し合うなど、実際に通学許可
するにあたり色々とあったと思います。
安易にバス通学にしたわけではない
と思います。
教員の対応に不備はなかったと思う。
顔色の異常に気がついただけでも、対応していたと思う。
気がつかないまま、到着してから死亡していたことに気づくようであれば、大問題だったはず。
医師じゃないんだし、医療の知識があるわけでもないんだから無理です。
やっぱりこういう所には、医療の知識を持った人を配置すべきなのかなぁって思いますね。
まあでもそれを全国でしたら、国が潰れるほどの予算がかかってしまいますが。
かといって、生徒さんを死なせるわけにもいかないし。
どうしたらいいものかねぇ。
自分にはこの解決策、わかりかねる。
そして、支援学校の教員や保安員の方々においても、自らを責め苛まれることなく、ただ静かに哀悼の時間をお過ごしされることを願います。
さて、今回の悲しい事故ですが、支援学校という障害を持った方でも教育を受けられるように配慮を重ねられた場所で起こりました。
一方で今回と同じような障害を持つお子さんを支援学校ではなく、障害を持った方が教育を受ける前提になっていない普通学校に通わせようとする親がいます。支援学校ですら、事故が起こりうるほどに大変な状況を普通学校に押し付ける。この親たちは子どもの命をなんと思っているんだろうかと改めて思ってしまいました。
よく10年も頑張ったと思う
うちの養護学校は、乗車中医療ケアが必要だったり、常時見守りの必要な児童生徒においてはバスに乗れません。
1日三回の吸引であればグレーゾーンだったようですが…
登校便ということで、乗車前の体調の変化とかはどうだったのか…そこも気になります。
今回のことはとても残念ですが、保護者間との連携、協力をしっかりと…
次がないように対策していただきたいですね。
また、どういう場合に呼ぶかとなれば、気象予報などによる避難呼びかけと同じで、最悪を想定して即座に、で良いと思う。もし大騒ぎして何事もなければ、それはそれで良かったね、でよい。
この生徒に限らず、体調不良を訴えた場合近くにそれなりの資格を持った人間が不在なら直ぐにでも救急に連絡すべきだったのでは無いかと思います。
なぜ学校にお伺いをしなければいけなかったのかその対応自体に問題がある様に感じます。
細かなケアがないと16分で死ぬ人を、との意見も見たが、どんな人間でも窒息すりゃ16分あれば死ぬ。
10年問題なく、通学出来ていたからある程度、安心しちゃって対応が抜けてしまうのは心情として理解出来るが、それでも、擁護されるべき症例ではないと思う。
例えば命に関わらないまでも救急車を呼ぶようなケースを想定しても、(例えば両脚骨折とか)激痛の中で救急車を呼ぶ手続きに16分もかけられたら、辛いよ。
そして、痰の吸引を学校でやる時代という事に驚いた。学校に看護師がいるのだろうか?痰の吸引が必要な子なのだから、急変は想定内。看護師か家族が吸引瓶持参で付き添っていなければならないのだろうけど…
障害者の権利が主張されて、社会全体で障害者を受け入れなきゃいけない圧力がある。
でも実際、環境や人員が追いついていないから、こういう事故は増えるだろうな。
医療的ケア児への緊急時の対応方法など、研修補助とかを行政でも強化してあげて欲しい。
筋ジスの兄が一時危なくなって家族が病院に呼ばれた時、危ない状態になった時に連絡しても100%間に合わないと言われた。
心臓マッサージすると骨がもろいから折れてしまうからと。
まぁ、通報するのが遅かったとは思いますけどね。
まあ法律が十分ではないのでしょうが
むしろ吸引が必要なのによく簡単にバスに乗せていたなぁという疑問です。
通常学級ではなく、支援学校。当然特別な支援の必要な生徒達が通っており、その通学バスであれば送迎中の変化も想定されてしかるべき。
生徒は筋ジスで、自力で痰の排出も困難な状態。
それが、顔色悪く反応が無い、となれば緊急性が高い事は素人でも解ると思うけど・・・
適切な対応を出来なかった事は学校側も認めてるし、責められても仕方ないと思うんだが。
単純な窒息が原因なら助かった本来可能性も高いし。
学校の「以後気を付けます」みたいな冷たいコメントも気になるし。ま、字面だからわからないだけかもだけど。
いずれにしろ悲しい事故です。
日常痰の吸引が必要→窒息の可能性がある、ということは情報共有されていたはず。
もちろん、窒息したらすぐに通報しても間に合わなかったかもしれないけど、即座に救急車を呼ぶ判断は、組織としてできないといけないと思います。
だけど学校まかせでは負担が大きすぎる。子供の命が関わることはもっと国や自治体が協力して一緒に考えていくべき。
高等部の子?
痰吸引してほしい合図は送ってたんだろうけど、同乗職員が気づかなかったってとこかな。
そこがスクールバスのデメリットでもある。
保護者が送るにしても、運転中でもいちいち吸引しないといけないから時間もかかって大変なのはわかるけど、保護者が送迎した方がいいのかも。
デイサービスだと放課後も含めて、看護師さんいるんだけどな。
スクールバスにも看護師さん同乗した方がいいのでは。
見世物的な意味じゃなくてさ、誰が見てもその子がどんな状況になり得るのか瞬時に判断が出来るように。
危険度別に人目で分かればマニュアルも作成しやすいし、そのトリアージを周知すれば学校関係者以外の人の協力だって得られるかもしれない。
こういう持病で命に関わるようなケースは周りが積極的にサポートすべき。
医療者もいないバス内で、窒息を診断できて、救命措置をとれるというのは期待できないし、それでも16分はかなりがんばったほうだと思いますよ。
今回のケースは仕方なかったのでは。。。
ご冥福をお祈りいたします。
痰が詰まるだけで死に至ってしまうほどの病状を抱えているのならこの生徒の親が通学または添乗させれば済むだけのことではないのか?
本当にわが子が心配ならそのくらいはできるのではないだろうか?
県教委は「生徒は約10年バス通学しており、窒息を想像できなかった。校内の連絡にも時間がかかった」と釈明。保護者に謝罪したという。遠藤浩一校長は「教員の力量不足だった。もっと短い時間で通報できるよう取り組みたい」と話す。(井上充昌)
これで「力量不足」は教師が気の毒過ぎますよ
大学の教職課程のカリキュラムには筋ジストロフィー患者の介護は含まれていませんよ
「もっと短い時間で通報できるよう取り組みたい」とは、「筋ジストロフィーの患者にたんがからんだら短時間で通報する」とマニュアル化でもするつもりなのでしょうか
こんな時の責任まで負わされたら
たまらない
遺族は辛いと思うけど、素人であろう
付き添いの人に責任問題を負わさないで欲しい
連絡が遅れた事には、問題あるかもだけど
どんな場所でも吸引出来る人が付いていないといけないですよ
でもこんな当たり前の事が出来てなかったと言うのは、今まで何事もなかったからと言う理由では済まされない問題だと思います
学校を責める事も難しいですが、やはり一番には親が教員と
どういう話し合いで登校させてたかですね
ご冥福をお祈りいたします
もしこれで学校側の責任を追及するような状態になるようであればこれからの同じような学校の受け入れ体制や負担がより厳しくなってしまう。
近年人権の尊重の元人類平等みたいな世の中にどんどんなっていってますが
おかしいものはおかしい、ダメなものはダメ、無理な無理
16分で死んでしまう生徒を一般のかたと同じ道に通わせるには1000年くらい足りないと思います。
何を言ってるんだと思われるでしょうがこの方を学校に通わせたことで当人だけでなく親、学校側で不幸になる人が出てしまっている。
この時点でおかしい。
少なくとも確認をとるのに5分10分かかるし、このような事故に
対して常日頃言われているのは、勝手な判断はするなと口やかましく
言われている。
バスの添乗員が医ケアの講習を受けているとも思えませんし。
筋ジスならば、このような状況以外にも不測の事態が考えられるはず。
親御さんはどういった考えだったのでしょうか。
通報にいちいち指示を仰がないとダメって言うのは
意味が分からない。
そもそもその生徒にそう言う疾患があるって分かってるんなら
独断で通報なりしてもいいと思う
支援学校であって病院じゃないからね。
高齢者のディサービスで働いたことがあります。
勿論送迎の添乗もしましたが、車内には救急キット一つも乗っていません。
あるのは電話機とタオル位。急変に気づいたら上長に電話して対応仰ぐのがマニュアルです。
支援学校のバスと言えど似た様な感じだったのでは?
気付くのが遅れたのは問題かもしれませんが、狭い椅子のある車内で医療職でない人間にどこまで出来たのか?
それを教員の力量不足って書いて煽る朝日に嫌悪。
周りや社会がもっと障害者に興味を持てるようになれば、少しでも暮らしやすい世の中になるんじゃないかな。
いろんな事情をもった人たちとの関わりというのは、学校で学ぶ学問よりも価値があると感じることが時にはある。
でも見てくれているのは医者や看護師じゃないもんな…。
この人はちゃんと顔色が優れないことには気がついて、学校にも連絡を入れてる。
それだけ生徒のことをちゃんと見ていたと思うよ。
管理人の率直な感想
筋ジストロフィー・・・難病です。
『学校に確認しなければバス同乗の教員だけの判断で救急車が呼べないというシステムの問題』ですか。
大問題ですね。
同乗していた教員は、医師でもなければ看護師でもない。救急救命士でもない。
痰が詰まるという可能性の認識は持っていて然るべきかと思いますが、教師に難病に対する救命措置の専門的な知識を正確かつ的確に求め、いついかなる時でも実行させるのは難しい。
それに加えて上記のルールです。
酷だと考えます。
校長は責任を感じ、会見で学校側の責任だと認める発言をしていますが、多くの方が言っているように学校側を責めることなんて誰ができるでしょうか。
筋ジストロフィーの病状の進行具合は定かではありませんが、支援学校といえど学び舎であることに変わりありません。
通学バスで通学させるのは如何なものでしょう。
亡くなった生徒の親御さんにとって物凄く辛い現実ですし、このニュースを知った僕も凄くもどかしく悲しい気持ちでいます。
学校に通わせるのは「病気であっても同年代と同じように教育を」とお考えだったのかと推測します。
学校というのは勉強だけでなく、いろいろな思い出を作れる場所でもあります。
命が最優先。
これは綺麗事でしょうか。
学校に通わずただただ病気と向き合っている毎日と、学校に通い大切でかけがえのない思い出を作った短い人生のどちらが幸せなのか。
命が最優先と思いながらも、もし僕だったら後者の人生を選ぶだろうと考えている。
学校に通わせてくれてありがとうと親に感謝するでしょう。
矛盾していますが。
非常に難しい問題です。
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