「おたく評論家」宅八郎さん(本名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。
ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。
「また兄のことを悪く書かれるんじゃないか」
兄が亡くなってから4か月近くたってみなさんにお知らせしたのは、家族としては兄が最後にテレビなどに出ていた頃からもう10年以上たつし、お騒がせもいろいろしたので、亡くなったことをお知らせしたら、また兄のことを悪く書かれるんじゃないか、とか、そもそもお知らせするほどのことなのか、分からなかったからです。
でも、兄が10年ほど前から一緒に暮らしてきた内縁の妻の嘆きが大きく、せめて兄の付き合いが深かった方にお知らせすることにしました。世間にどう思われても、妻にとっては兄は大事な人ですから。一部のお知らせした方から、もしかしたらマスコミに知られニュースに取り上げられるかもな、と考えていましたが、こんなに多くの方が嘆いてくださるとは思っていなかったので、驚きでもあります。
兄はとにかく子どもの頃から普通と違っていましたね。僕たち兄弟は男3人で、兄は長男、僕は6歳下の末っ子。兄が高校を卒業し大学入学のために上京するまでの12年間しか一緒に暮らしていなかったんですけど、兄は高校生のときに特撮映画を8ミリで作って、僕はそれを手伝わされたりしていました。運動が苦手で長髪で。上京してからあか抜けて髪を短く切っていましたけど、それまではテレビに出たときのように髪は長かったんですよ。子どもの頃はそれがちょっと恥ずかしくて、「自分の友達にはあまり会わせたくないな」なんて思っていました。
テレビでは気持ち悪いオタクを演出、素顔は…
兄が毎週、テレビに出ていたときは、「あれ以上気持ちが悪い人を見たことがない」と思いましたね。友達と飲み屋で飲んでいて、友達が僕の隣にいる若くてキレイな女性に「この人、宅八郎の弟なんだよ」と言うと、「えー!」なんて言われて、急に離れられちゃったりして、「やっぱり、そんなに気持ち悪いのか」とガックリしたこともありました。でも、兄はテレビではオタクを演じていたんですよ。「オタクっていったい、何ものなんだ?」という時代に、それを演じて見せていたのだと思います。歌手・森高千里さんのファンというのも、本当のところではなかったと思いますよ。
素顔の兄は朝鮮語をしゃべることができ、音楽を作るミュージシャンの顔ももっていました。本当にありとあらゆることに詳しくて、特に興味を持ったことには徹底的に調べるので、「そこまで調べるのかよ」と、よく思っていました。優しい一面もありました。僕がヒップホップ好きで、日本のヒップホップのパイオニア的存在のECDさん(故人)のファンだと知ると会わせてくれたり、僕が頼む前にサインをもらってきてくれて嬉しかったですね。
よく一緒に釣りを楽しんだ
兄が上京してからはそれほど交流していなくて、僕が30歳を過ぎた頃から、ちょくちょく会うようになっていたんです。兄のライブを見に行ったりもしましたよ。ネットを検索すると、野性的でカッコイイ姿の写真が出てきますけど、あれは雑誌の企画ですよ。普段のライブの時は、“いつもよりちょっとおしゃれした姿”で出てはいましたけど。兄と接しているうち、僕は兄の影響を受けたからなのか、兄弟だからなのか分かりませんけど、モノの考え方とか人との接し方、しゃべり方に似ていると思いますね。
兄は毎年、浜松の実家に帰ってきていたので、浜松で暮らす僕は一緒に魚釣りに行ったり、地元で有名なハンバーグ屋さんやラーメン屋さんに行ったりするのが、お決まりのコースになっていました。初めてアジ釣りをしたときは面白いように釣れちゃって、僕が「もうそろそろ帰ろうよ」と促すのに、兄が「まだ釣れるよ」と言って帰ろうとせず、結局、夕方から翌日の早朝まで13時間も釣っていました。凝り出すと、本当にトコトンなんですよね。
最晩年の宅八郎さんは…
ここ数年、兄がどうやって生計を立てていたのか、詳しくは聞いていません。“宅八郎”の名前を出さずにライターの仕事をしていたのではないかと思います。モノを書くことにとてもこだわっていたので。でも、「最近の世の中は、ネットで何でも情報が得られるから、お金を払って文章を読んでくれる人が減った。商売あがったり、だよ」とこぼしていました。
体調は特に悪かったわけではなかったと思います。5月に小脳出血で入院したとき、医者から肥満を指摘され、塩分を摂りすぎないように、と言われたと聞いていますが、それぐらいで。57歳で亡くなるなんて、あまりにも早い。自分のやりたいことしかやらず、お騒がせもありましたけど、もっと長生きしていれば、何か成し遂げることができる人だったんじゃないかと思いますね。
参照元:ENCOUNT
『知られざる宅八郎の生涯』ネットの声
当時のテレビをではキワモノとしか取り上げられませんでしたし、今のテレビでは出演させること自体あのキャラでは無理かもしれません。
奥様もいて家族とも仲良く、それを聞いてとても嬉しく思う自分がいます。
おたくを世間に認知・定着させた第一人者ですから。
時代が早すぎた感もあります。
時代が時代なら宮﨑哲弥や勝谷誠彦と並ぶ論客になりえたかもしれませんが。
それくらい才気にあふれる方でした。
ちょっと相容れない考えでしたが。
オタクという言葉のマイナスイメージがだいぶ薄れたのは、その後の時代からだし。
まぁ、流石に誇張がひどかったし演出の類ではあったから、宅八郎氏がとやかく言われることもないとは思うけど。
奥様がいても「宅八郎」という嫌われキャラを生涯貫いたのは素直に凄い。
執筆の才能もあったようだし何だかんだで勝ち組でしょ。
しかもガチヲタではなくやらせっていう。
近年、企画だろうけど、エグザイルのHIROっぽいというルックスで、また笑わせてもらったが、あまりにあっけなく逝ってしまった。
話し上手で、結構御指名があったと聞いてます。
意外。
小学生ながらに本当はイケてんじゃないかと思った。
自分は「元気が出るテレビ」を見ていた世代なので、同じ高校の一番有名な出身者がこの人か・・・、という気持ちがあり、あまり先輩だと思いたくない先輩というか、なんだったら恥ずかしいとさえ思っていました。それが亡くなってから、ライターの方が実は宅さんから文章の書き方を親身に教えてもらっていただとか、反骨の人だったと書いていたり、この弟さんのように本当はこういう人だったという記事を読んで、はじめてイメージが変わってきました。ただ、亡くなって初めてそういうことがわかるとは・・・。
先輩、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。
いまだとネットなどがあるので「そういうキャラ」と認識してもらえますし、オタクであっても特に問題視はされませんが。
出てくる時代が早すぎたのでしょうね。
エンタメやサブカルのことを熟知してらして、演出力に長けていらした。
この業界、こういう人がいていいよなぁ、こういう人どんどんいなくなっちゃうなぁと妙に納得させてくれる人でした。
合掌
その動画の中で宅さんが「もう、後戻りはできないんです・・・」と、やや自嘲気味に言われるシーンがあり
「ああ、少し本音めいた感じだなぁ」なんて聞いていました
オタクのイメージって当時は分からないから、宮崎勤死刑囚みたいな人を演じていたんだと思いますよ。とにかく情報はTVか雑誌しかない時代だから。
今は何でもネットで出てくるから、ライター稼業はきつかったと思います。
もう一花咲かせてもらいたかった。
良い弟を持てて幸せだなあ。
多分、殆どの普通の人が未婚で好きなことし続けるのは危険ですよ。
しかしあの頃は本当にライターが掘り起こさないと日の目を見ない物だった
功績は偉大
ご冥福をお祈りします
受け手が「面白い、可愛い」と捉えるか、「気持ち悪い」と捉えるかの違いだけだと思う。
オタクは、興味あることへ集中する。
興味がないことは、おろそかになりやすい。
当時のオタクの人からは「宅八郎がオタクの標準のように思われるのはイヤ」という意見もありましたが。
いずれにせよ当時のサブカルの一部を象徴した人が去ったのは寂しいことです。
宅八郎さんは今にして世間に愛されてたと思うし、彼の作ったキャラだとしても救われた人多いと思う。
そして奥さんがいたというのは、短い人生でも寄り添える人がいてくれたことがうれしく思う。
森高千里ファンはウソだったというのは、森高本人がガッカリしてるかもしれない。
80年代後半から90年代の日本が浮ついた時代に「オタク」を職業として演じていらっしゃったのですね。
エンターテイナーとしては成功したのかもしれませんが、恐らく本人も疲れながら演じていたのではないでしょうか。
故郷の浜松で弟と釣りをしたり、内縁の奥様がいらっしゃったり普通の暮らしをしてことを知って何だかホッとしました。
天国では無理して演じることなく自分らしく楽しく暮らして欲しいですね。
しかし、それは営業用だったのですね。
弟さんのお話からとても頭が良く、物事に精通したとても博識な人だったということがよくわかりました。
確かに今はネットでなんでも情報は得られるようになりましたが、まだまだ活躍の場はあったのではないかと思います。
57才なんて若すぎます。ご冥福をお祈りします。
何でも有りのバブル期に大金を使うことなく宅さんの手腕だけでテレビを騒がせたのは凄い才能。
また昭和が遠くなりました。ありがとうございました。
個人的には、ナンシー関さんのように、文筆一本でいったほうがよかったのではないかと思ったりします。面白い文が書ける方でした。テレビにいじられすぎてしまったような気がしています。
確かに、オタクをキワモノ的にしたのはあるけど、今やオタクが市民権を得る切っ掛けを作った人だったのじゃないかと思った。
その生き方が災いして、逮捕されたりお騒がせもしたけど、弟さんには優しい兄としての一面もあったんだなぁと思った。
もしも…という言葉はないけれど、コラムニストとしての才能もあったし、特異なキャラじゃなければ…と想像してしまった。
宅八郎を追う若者の人だかりは凄かった。
今、YouTubeで動画を出していたら軽く生活するくらいの収入は得ていたと思います。
この記事で初めて知りましたが宅八郎を演じていたのですね。いろいろ弄られながらもそういうことが出来る人というのはやはり才能があったのですね。
おたくが認知された今の時代だからこそ、また出てきてほしかったなぁ。良くも悪くもおたくの存在を有名にした人。お疲れさまでした。
当日は、と言うよりあの頃からの世代にはオタクは異種独特の生物的な扱いイメージで、今ほどのオープンに明るく、その筋の情報家と言う事もなかったからね。
今も異種独特の人が多いがw
世に出た時代が早すぎたのかも。
お若い頃は立花ハジメさんの様なお洒落な方でしたので。
きっとご本人なりに考えてそのスタイルにされたのだと思っていました。
研究者だったのでしょうね。サブカルチャーに対する思いの深さがそうさせたのではと今なら納得できます。
ご冥福をお祈りいたします。
それ以外にも民族派の右翼大物や新左翼の鈴木邦男と揉めたりとイメージとは裏腹に、非常に武闘派だった
当時小峯などは民事で訴えていたが、現在なら間違いなくストーカー規制法違反だったろう
そういう方を晩年はきちんと評価してあげられる風土をメディアも構築しないとダメなんじゃないですかね。
テレビでやってる姿が素顔でないのは我々にもわかっていましたよ。あえて、その世界に挑戦した宅さんのは文化でした。人間は好かれたいけど、容姿や性格・学歴・収入・自我の欠如やらが障害となってそれがかなわない人もいます。ならば、思いっきり嫌われてやれって心理がどこかにあります。ツッパリやヤンキーでそれを表現できる人はいいけど、それができないオタクたちの代弁者だったと思います。私も、彼に救われた者です。
おとうとさん、宅さんにありがとうとお伝えください。ご冥福をお祈りいたします。
当時、高校生だったけれど知らない人はいなかったんじゃないかな。
あの時代のテレビを代表するひとりだったと思います。
きっと宅八郎さんもそうだったのだと思います。
ご冥福をお祈り致します。
最近メディアに出てなかったのでどうしてるのかなぁ〜?とふと思う時はありましたが‥‥。
たけしの元気が出るテレビで初めて見ましたが、当時はまだオタクが珍しかったですからね
逆に言えばオタクに市民権を得るきっかけになったのも間違いなく宅さんですよ!
昔なんかのクイズ番組で回答者として出演してた時、かなりマトモな回答や説明してて「この人ワザとこういうキャラしてるけど、かなり頭良い人だな」と思いましたね
もっと色んなテレビ番組に出て欲しかったです
本当に残念です
宅さんを今も思う内縁の奥さんに見送られて晩年は穏やかな人生だった様で何よりでした。
森高千里のフィギュア持って髪を振り乱している印象が強いだけに、暴露してほしく無かったな…
晩年の宅さんはインテリっぽくて素敵な表情をしてますね。穏やかな表情はやはり内縁の妻が居たからでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします
密かに知的なんだよねー。
ご冥福をお祈りします。
合掌。
気持ち悪いと言われるキャラを全うするなんて、すごい方だったんだなぁ。
ビートたけしさんのコメントも聞きたいな。
キャラを作っている人は苦労するみたいですよね?
横山やすしさんなんか、キャラを止めたくても出来ないから悩んでいたみたいですよね?
その苦労を息子さんも引き継いでいるところもありますし・・・。
どんな形であれ世間に出るきっかけになればと思ってやった面もあるのでしょうね。
凄く勉強家なんだなとは、当時テレビ超しに見て思いましたね。
どうぞ、安らかにおねむりください。
合掌。
オタク文化というのを一般に認知させた第一人者だった思います。
それにしても57歳は若すぎるお別れですね・・・。
10年くらい前までかな、なんとなくでもそこそこのオファーがありそれなりの収入にできてたのは。
このままでは先細りしていくばかりやと思い、今年の2月から飲み屋を始めたんやけど、それから10ヵ月、今度はまさかコロナに追い詰められるとは。
これだけは予測つかんかったわ。
笑うしかない。
でも最近は好感度ばかり意識して悪いやつがいいふりなんて…で本性だして…が多い
昔みたいに芸能人は私生活はシークレットでもかまわんけどな
宅さんの審美眼が正確だった事を年々強く思う様になりました。
流石オタク。もちろん褒め言葉ですよ。
本人が望んだことなのかは分かりませんが、色々楽しませてもらいました。
ご冥福をお祈りします
今で言う設定キャラをセルフプロデュースしていたような。
57歳は早すぎる。合掌。
でも、本当は頭良い人なのかな?って思っていました。
でも、気持ち悪かったですよね(笑)。
昔のテレビは面白かったなぁ。
優しい弟さん、内縁の奥様にも愛されてそれだけでも宅さんは幸せだったと
どうか安らかに
テレビやyuotubeじゃ好感持てるけど、本当は作ってるとか…
とにかく宅八郎さん、ご苦労様でした。合掌
宅さん、日本中の(元)おたく族に夢と希望を与えてくださり、有り難う御座いました!
テレビでは色々と笑わせて貰いました。お宅キャラと言えばこの人の顔が浮かぶ世代でした。
若くして亡くられてご家族も残念だと思います。
安らかに。
ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りいたします。
そんな人柄だったんだ・・・
キャラを演じていたのを初めて知りました
良い人柄だったんですね
ご冥福をお祈り致します
色んなことに詳しくてわかりやすくて、俺は好きだったからとても残念。
元気が出るテレビ、お笑いウルトラクイズをリアルタイムで見てた世代には、あのメーター振り切れたキャラは忘れられない。
才能ありすぎたのかな。
元気が出るテレビ、いつも楽しく見てました。
今でも印象に残っています。
あの時はお茶の間に笑いを届けてくださってありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。
どんな物でも好きな事にとことんのめり込めるなんて、素晴らしいことです。
宅さんがテレビに出ていた頃、結構好きで見てました。
まだお若いのに、残念ですね。
ご冥福をお祈りします。
本当はミュージシャン系の長髪でファッションの勉強をされていたので、逆張りの典型的オタクもやれたのでしょう。
眉毛なので八郎でしたし、マジックハンドのような指差し棒が仕事場にあります。
でも宅さんの弟思いの一面を知れて良かったです。
たくさん楽しませていただきました。ゆっくりお休みください。
歴史は繰り返すものです。
パイオニアだったと思っています!!
その後発生したヴォタ芸とかの走りを行ってた、もぅそんなには出てこない逸材
ご冥福をお祈りします。
オタク文化のパイオニア的存在だったのは間違いない。
管理人の率直な感想
初めて宅八郎を見た時の衝撃は、貞子を見た時のそれに近かった。
あの頃の僕にはフィクションやノンフィクションという概念がなく、観たものこそが真実だった。
「何だか凄く怖い人」
それが宅八郎だった。
でも、僕が子供の頃に見た怖い宅八郎はキャラであって、本当のオタクではない。
オタク評論家だというからビックリ。
しかも、そのオタク評論家という肩書も彼の一部にしかすぎず、才能は多方面にわたる。
「何だか凄い人」
それが今の印象。
多くの人が宅八郎に関する思い出を語っています。
弟さんが危惧していた悪口はない。
幸せな人だったと思う。
早すぎる死。悔やまれます。
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