実弟が語る素顔の宅八郎、その晩年「オタクを演じていた」「朝鮮語をしゃべる」「体調は悪かったわけではない」

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「おたく評論家」宅八郎さん(本名:矢野守啓さん)が8月11日に亡くなっていたことが、12月4日に明らかになり驚いたファンも多かった。
ENCOUNT編集部では実弟の雄康(たけやす)さんに緊急取材。お兄さんの思い出や知られざる素顔を語ってもらった。

「また兄のことを悪く書かれるんじゃないか」

兄が亡くなってから4か月近くたってみなさんにお知らせしたのは、家族としては兄が最後にテレビなどに出ていた頃からもう10年以上たつし、お騒がせもいろいろしたので、亡くなったことをお知らせしたら、また兄のことを悪く書かれるんじゃないか、とか、そもそもお知らせするほどのことなのか、分からなかったからです。

でも、兄が10年ほど前から一緒に暮らしてきた内縁の妻の嘆きが大きく、せめて兄の付き合いが深かった方にお知らせすることにしました。世間にどう思われても、妻にとっては兄は大事な人ですから。一部のお知らせした方から、もしかしたらマスコミに知られニュースに取り上げられるかもな、と考えていましたが、こんなに多くの方が嘆いてくださるとは思っていなかったので、驚きでもあります。

兄はとにかく子どもの頃から普通と違っていましたね。僕たち兄弟は男3人で、兄は長男、僕は6歳下の末っ子。兄が高校を卒業し大学入学のために上京するまでの12年間しか一緒に暮らしていなかったんですけど、兄は高校生のときに特撮映画を8ミリで作って、僕はそれを手伝わされたりしていました。運動が苦手で長髪で。上京してからあか抜けて髪を短く切っていましたけど、それまではテレビに出たときのように髪は長かったんですよ。子どもの頃はそれがちょっと恥ずかしくて、「自分の友達にはあまり会わせたくないな」なんて思っていました。


テレビでは気持ち悪いオタクを演出、素顔は…

兄が毎週、テレビに出ていたときは、「あれ以上気持ちが悪い人を見たことがない」と思いましたね。友達と飲み屋で飲んでいて、友達が僕の隣にいる若くてキレイな女性に「この人、宅八郎の弟なんだよ」と言うと、「えー!」なんて言われて、急に離れられちゃったりして、「やっぱり、そんなに気持ち悪いのか」とガックリしたこともありました。でも、兄はテレビではオタクを演じていたんですよ。「オタクっていったい、何ものなんだ?」という時代に、それを演じて見せていたのだと思います。歌手・森高千里さんのファンというのも、本当のところではなかったと思いますよ。

素顔の兄は朝鮮語をしゃべることができ、音楽を作るミュージシャンの顔ももっていました。本当にありとあらゆることに詳しくて、特に興味を持ったことには徹底的に調べるので、「そこまで調べるのかよ」と、よく思っていました。優しい一面もありました。僕がヒップホップ好きで、日本のヒップホップのパイオニア的存在のECDさん(故人)のファンだと知ると会わせてくれたり、僕が頼む前にサインをもらってきてくれて嬉しかったですね。


よく一緒に釣りを楽しんだ

兄が上京してからはそれほど交流していなくて、僕が30歳を過ぎた頃から、ちょくちょく会うようになっていたんです。兄のライブを見に行ったりもしましたよ。ネットを検索すると、野性的でカッコイイ姿の写真が出てきますけど、あれは雑誌の企画ですよ。普段のライブの時は、“いつもよりちょっとおしゃれした姿”で出てはいましたけど。兄と接しているうち、僕は兄の影響を受けたからなのか、兄弟だからなのか分かりませんけど、モノの考え方とか人との接し方、しゃべり方に似ていると思いますね。

兄は毎年、浜松の実家に帰ってきていたので、浜松で暮らす僕は一緒に魚釣りに行ったり、地元で有名なハンバーグ屋さんやラーメン屋さんに行ったりするのが、お決まりのコースになっていました。初めてアジ釣りをしたときは面白いように釣れちゃって、僕が「もうそろそろ帰ろうよ」と促すのに、兄が「まだ釣れるよ」と言って帰ろうとせず、結局、夕方から翌日の早朝まで13時間も釣っていました。凝り出すと、本当にトコトンなんですよね。


最晩年の宅八郎さんは…

ここ数年、兄がどうやって生計を立てていたのか、詳しくは聞いていません。“宅八郎”の名前を出さずにライターの仕事をしていたのではないかと思います。モノを書くことにとてもこだわっていたので。でも、「最近の世の中は、ネットで何でも情報が得られるから、お金を払って文章を読んでくれる人が減った。商売あがったり、だよ」とこぼしていました。

体調は特に悪かったわけではなかったと思います。5月に小脳出血で入院したとき、医者から肥満を指摘され、塩分を摂りすぎないように、と言われたと聞いていますが、それぐらいで。57歳で亡くなるなんて、あまりにも早い。自分のやりたいことしかやらず、お騒がせもありましたけど、もっと長生きしていれば、何か成し遂げることができる人だったんじゃないかと思いますね。

参照元:ENCOUNT

『知られざる宅八郎の生涯』ネットの声

名無しさん
今の時代であればYouTubeでその特異なキャラと知識量で大人気だったでしょうね。
当時のテレビをではキワモノとしか取り上げられませんでしたし、今のテレビでは出演させること自体あのキャラでは無理かもしれません。
奥様もいて家族とも仲良く、それを聞いてとても嬉しく思う自分がいます。
おたくを世間に認知・定着させた第一人者ですから。
名無しさん
案外文筆業では闘志溢れる文章を書いていたんですよね。
時代が早すぎた感もあります。
時代が時代なら宮﨑哲弥や勝谷誠彦と並ぶ論客になりえたかもしれませんが。
それくらい才気にあふれる方でした。
ちょっと相容れない考えでしたが。
名無しさん
悪いイメージで定着させてくれたから、当時、オタクと認定された人たちは周囲からいじめられていたけどな。
オタクという言葉のマイナスイメージがだいぶ薄れたのは、その後の時代からだし。
まぁ、流石に誇張がひどかったし演出の類ではあったから、宅八郎氏がとやかく言われることもないとは思うけど。


名無しさん
細い長髪が顔に張り付く具合なんかは最早ホラーに近いものがあったが演出だったんだろうな。晩年の写真なんかは全くイメージと違い小洒落た感じでびっくりした。
名無しさん
SNSで素顔を発信することもなかった。
奥様がいても「宅八郎」という嫌われキャラを生涯貫いたのは素直に凄い。
名無しさん
やっと時代が追い付いたって感じですね
名無しさん
YouTuberやってたら登録者もかなり多かったと思うな
名無しさん
今のオタクはファッションに気を使うオシャレなオタクもいるけど、あの当時のオタクはネルシャツ、バンダナ、黒の革手袋が基本スタイルだったろ。


名無しさん
ニュースキャスターで取り上げられ、たけしのコメントが聴けると思ったが・・
名無しさん
大罪人は宮崎勤一人だろう。文字通りの犯罪者なんだし。この人は世間の風潮に潰されなかった訳だから社会のせい、人のせいにする奴なんかより何倍もメンタルは強い。
執筆の才能もあったようだし何だかんだで勝ち組でしょ。
名無しさん
宮崎勤と宅八郎はオタクは気持ち悪い者というイメージが定着させた二大巨頭だと思う
名無しさん
ヲタクがキモいってイメージを一般に植え付けた存在。
しかもガチヲタではなくやらせっていう。
名無しさん
最初TVで見た時はインパクトあり過ぎだったけど、死後もこうやってちゃんと取り上げてもらえるなんて、意外と業界では好感度高かったのかなと思う、合掌


名無しさん
俺が高校生の頃かな、元気が出るテレビで有名になり、画面に出る度に、キャーというスタジオの客の悲鳴がすごくてw自分はそれで爆笑してた。
近年、企画だろうけど、エグザイルのHIROっぽいというルックスで、また笑わせてもらったが、あまりにあっけなく逝ってしまった。
名無しさん
企画か何かで、短期間だけ冗談半分にホストをやったりしたらしいのですが、
話し上手で、結構御指名があったと聞いてます。
名無しさん
標準よりも痩せ型のイメージが強かったので、晩年に医者から太り過ぎを注意されていたのは
意外。
名無しさん
私も宅八郎さんはガリガリなイメージでした。
名無しさん
二十数年も経ってるんだから、あの頃は若かったけど、中年化して身体も変わってるなんてあり得ること。


名無しさん
元気が出るテレビで宅八郎にDCブランドの服を着せて街を歩かせるとどうなるのかという企画があった。意外とカッコよくスーツを着こなしていて、街がパニックになっていた。
小学生ながらに本当はイケてんじゃないかと思った。
名無しさん
宅さんの高校の後輩になるものです。
自分は「元気が出るテレビ」を見ていた世代なので、同じ高校の一番有名な出身者がこの人か・・・、という気持ちがあり、あまり先輩だと思いたくない先輩というか、なんだったら恥ずかしいとさえ思っていました。それが亡くなってから、ライターの方が実は宅さんから文章の書き方を親身に教えてもらっていただとか、反骨の人だったと書いていたり、この弟さんのように本当はこういう人だったという記事を読んで、はじめてイメージが変わってきました。ただ、亡くなって初めてそういうことがわかるとは・・・。
先輩、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。
名無しさん
南高だっけ?
名無しさん
浜松南から法政大学だから、頭良い。面白い人だったな。皆気持ち悪いと思っていたけど、繊細そうだったな。
名無しさん
オタクを誇張したキャラであると理解できずに気持ち悪がってた人はいましたね。
いまだとネットなどがあるので「そういうキャラ」と認識してもらえますし、オタクであっても特に問題視はされませんが。
出てくる時代が早すぎたのでしょうね。


名無しさん
普段はスタイリッシュな方だった。
エンタメやサブカルのことを熟知してらして、演出力に長けていらした。
この業界、こういう人がいていいよなぁ、こういう人どんどんいなくなっちゃうなぁと妙に納得させてくれる人でした。
合掌
名無しさん
宅さんが出てるユーチューブの「元気が出るテレビ」の動画があり、懐かしい思いで閲覧しておりました
その動画の中で宅さんが「もう、後戻りはできないんです・・・」と、やや自嘲気味に言われるシーンがあり
「ああ、少し本音めいた感じだなぁ」なんて聞いていました
名無しさん
今考えれば、テリーさんなんかのアドバイスをもらって誇張して演じていたんじゃないかな?
オタクのイメージって当時は分からないから、宮崎勤死刑囚みたいな人を演じていたんだと思いますよ。とにかく情報はTVか雑誌しかない時代だから。
今は何でもネットで出てくるから、ライター稼業はきつかったと思います。
もう一花咲かせてもらいたかった。
名無しさん
なんて優しい弟なんだろう。弟さんの温かな眼差しから感じられる兄宅八郎さん。
良い弟を持てて幸せだなあ。
名無しさん
私はアラフィフだけどちょっと前のサブカル人の近況を聞くと寂しくなるね。頭も良いし表現力もあるし、でも好きなことだけだと行き詰るのかなって。普通の人より「中年の危機」のダメージが甚大な気がする。
多分、殆どの普通の人が未婚で好きなことし続けるのは危険ですよ。


名無しさん
今ならサブカルもアングラもネットに載せりゃそれなりに広がる
しかしあの頃は本当にライターが掘り起こさないと日の目を見ない物だった
功績は偉大
ご冥福をお祈りします
名無しさん
宅さんの晩年の写真、特に一番最後の台所で笑顔を浮かべている宅さんはとても優しい表情をしている。根はすごく良い人だった。こんなに早く亡くなってしまって本当に残念。
saltwater
昔ハチロックのライヴを観にいったのが縁で何度かSkypeで話した事があります。90年代の渋谷系の音楽について話し、めっちゃ詳しかった記憶があります。そうか、亡くなってしまったのですね。寂しいですね。
名無しさん
今だと、さかなくんなんかも宅さんと同じ頭の構造してそうだよね。
受け手が「面白い、可愛い」と捉えるか、「気持ち悪い」と捉えるかの違いだけだと思う。
名無しさん
確か噂の眞相に連載コラムがあり、いつもボクは怒った、絶対許さない、みたいな戦闘的な文章だった記憶がある。根は生真面目かつ不器用な人なのかな、とも思った。一括りにして申し訳ないが、この人や根本敬さんとか、鬼畜を偽装した村崎百郎(確か殺害された)、メジャーだがナンシー関とか、ネット前夜にネット的アングラ性を先取りした先駆者の人たちにとって、厳しい季節があったように思います。


名無しさん
一言で言うなら、人は見た目で判断しちゃいけない。見た目悪くても実はすごい人だったりする。見た目が変な格好でも、仕事が出来る人は本当に出来る。顔は二の次だ
名無しさん
宅八郎は、やはり晩年は肥満だったんだな。塩分も摂り過ぎらしいし、健康に気をつけるタイプには見えなかったが、やはり・・・。
オタクは、興味あることへ集中する。
興味がないことは、おろそかになりやすい。
名無しさん
宅さんが活躍されていた時代はまだLGBTもそんなには容認されない時だっただけに残念だったけど、今なら面白い「芸風」として受け入れてもらえたと思います。
名無しさん
昭和のオタクのシンボルのような人でしたね。
当時のオタクの人からは「宅八郎がオタクの標準のように思われるのはイヤ」という意見もありましたが。
いずれにせよ当時のサブカルの一部を象徴した人が去ったのは寂しいことです。
名無しさん
風貌はキワモノ的だが、評論家を自認するだけあって知識量は流石だと思った。個性が強いが、当時はオタクなんてそれこそ今みたいに社会的地位を得ていない。今のオタク社会を宅さんはどう見ていたのか。恐らく根や心はピュアなんだろうと思う


名無しさん
弟さんの「叩かれるのでは」との心配は杞憂だと思う。
宅八郎さんは今にして世間に愛されてたと思うし、彼の作ったキャラだとしても救われた人多いと思う。
そして奥さんがいたというのは、短い人生でも寄り添える人がいてくれたことがうれしく思う。
森高千里ファンはウソだったというのは、森高本人がガッカリしてるかもしれない。
名無しさん
弟さんの話を伺うと宅さんが普通の人だということがわかります。
80年代後半から90年代の日本が浮ついた時代に「オタク」を職業として演じていらっしゃったのですね。
エンターテイナーとしては成功したのかもしれませんが、恐らく本人も疲れながら演じていたのではないでしょうか。
故郷の浜松で弟と釣りをしたり、内縁の奥様がいらっしゃったり普通の暮らしをしてことを知って何だかホッとしました。
天国では無理して演じることなく自分らしく楽しく暮らして欲しいですね。
名無しさん
私もたまに思い出し、どうしてるかなーとふと思っていた1人です。小、中学生の時に見た姿が印象的過ぎて。最近、記事に接していて才能ある人だったんだなーと思いました。また今では、オタク気質って必ずしもあかんイメージではないけど、当時はバブル全盛でジュリアとか、、それに対するアンチだったのかな、と。うちにも息子が2人居ますが、接していると、大なり小なりオタク気質。今はキャラが立っている、と、認められるようになった。宅さんは前衛的、先進的過ぎたんだなーと思います。でも切り拓いてくれた、ある意味パイオニア。生きてるうちにもっと認められてたら良かったのに。
名無しさん
おたく評論家としてブレイクした頃、よくテレビに出ていてなんだかよくわからない人だなぁという印象でした。世間では、オタク=キモい、変人という風潮があった気がします。
しかし、それは営業用だったのですね。
弟さんのお話からとても頭が良く、物事に精通したとても博識な人だったということがよくわかりました。
確かに今はネットでなんでも情報は得られるようになりましたが、まだまだ活躍の場はあったのではないかと思います。
57才なんて若すぎます。ご冥福をお祈りします。


名無しさん
宅八郎さん、自分より上の世代の方で詳しく知らずにただただ不気味に感じて怖がっていました。ただタモリさんとマニアックな話をしていても五分に渡りあう姿や芸能史に関してご自身が物心が付く前の古い話を学者の様に解説されていたのを思い出すと弟さんの言われるようにかなりの知識人だったのだろうと今は思います。彼の事を後のヲタクと言われる人たちがどのように受け止めているのかわかりませんが凄い方だったのは間違いないでしょう。
名無しさん
バブルなどの時代に埋もれないように、エグい際立ったキャラを演じていたんですね。知識や分析力があるからこそ相手を本気でキモがらせることができたんでしょう。
何でも有りのバブル期に大金を使うことなく宅さんの手腕だけでテレビを騒がせたのは凄い才能。
また昭和が遠くなりました。ありがとうございました。
名無しさん
弟さんの愛情と優しさが伝わってくるような文章で、こんなご兄弟がいた宅さんは幸せだったと思いました。内縁の奥様からも愛されて、幸せな晩年だったと思うとほっとします。(波乱万丈な人だっただけに)
個人的には、ナンシー関さんのように、文筆一本でいったほうがよかったのではないかと思ったりします。面白い文が書ける方でした。テレビにいじられすぎてしまったような気がしています。
名無しさん
彼の生き方に関して、賛否はあるけど、ご冥福をお祈りいたします。
確かに、オタクをキワモノ的にしたのはあるけど、今やオタクが市民権を得る切っ掛けを作った人だったのじゃないかと思った。
その生き方が災いして、逮捕されたりお騒がせもしたけど、弟さんには優しい兄としての一面もあったんだなぁと思った。
もしも…という言葉はないけれど、コラムニストとしての才能もあったし、特異なキャラじゃなければ…と想像してしまった。


名無しさん
一番最初にテレビで見たのはお笑いウルトラクイズでした。宮崎死刑囚のあの事件があってヲタクに拒否反応が強かった時期でしたから凄いインパクトを受けました。野沢直子にも「ワーッ犯罪の臭いがする!」と恐れられてました。今思うとかなりヤラされていた部分が多いようですね。当時流行ったジュリアナ東京にも来ててビックリしました。忘れられないキャラでした。ご冥福をお祈りします。
名無しさん
一時期アイドル並みに人気がありましたね。
宅八郎を追う若者の人だかりは凄かった。
今、YouTubeで動画を出していたら軽く生活するくらいの収入は得ていたと思います。
この記事で初めて知りましたが宅八郎を演じていたのですね。いろいろ弄られながらもそういうことが出来る人というのはやはり才能があったのですね。
名無しさん
最初EXテレビなんかに出てた時は、普通に受け答えしてたのに、途中からは、明らかに演じてたよね。コラムとか読むと凄く知的な人なんだけど、当時は、みんなTVの情報とかそのまま鵜呑みにしてたからねぇ。
名無しさん
当時はオタク=キモイ、ヤバいとかでイメージはよろしくなかった時代でしたが今では真逆に。紙袋とマジックハンドで追っかけてるシーンが目に焼き付いてますが私個人的には楽しく観てました。時代の流れでそのまま忘れてしまってライターなどの職業が厳しくなってしまいました。実弟さんの話を拝見して宅さんは楽しく過ごしていたのではないでしょうか。まだ57歳だったのに。御冥福をお祈りします。


名無しさん
確かおたくを「おたく」と名付けた人ですよね。そういう種類の人同士の会話では、そう呼び合うということで。当時は誇張とは伝わらず、ゲームやアニメが好きな大人は気持ち悪いという印象にされて、学生だった私もアニメージュをレジに出したらレジの方にクスクス笑われて嫌な思いをしました。
おたくが認知された今の時代だからこそ、また出てきてほしかったなぁ。良くも悪くもおたくの存在を有名にした人。お疲れさまでした。
名無しさん
あのキャラは作り上げた演出演技は有名でしたよね。
当日は、と言うよりあの頃からの世代にはオタクは異種独特の生物的な扱いイメージで、今ほどのオープンに明るく、その筋の情報家と言う事もなかったからね。
今も異種独特の人が多いがw
世に出た時代が早すぎたのかも。
名無しさん
作られたキャラクターだと存じていました。
お若い頃は立花ハジメさんの様なお洒落な方でしたので。
きっとご本人なりに考えてそのスタイルにされたのだと思っていました。
研究者だったのでしょうね。サブカルチャーに対する思いの深さがそうさせたのではと今なら納得できます。
ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
週プレ宮崎、小峯、TBS小島一慶、噂の真相では田中康夫と全面対決で自宅の高級車まで破壊。安部譲二まで仲介に入る事態となり岡留編集長は胃潰瘍で入院まで追い込まれた。
それ以外にも民族派の右翼大物や新左翼の鈴木邦男と揉めたりとイメージとは裏腹に、非常に武闘派だった
当時小峯などは民事で訴えていたが、現在なら間違いなくストーカー規制法違反だったろう


名無しさん
当時、実は朝鮮語も話せたり云々だって知っていたらこれほどまでにあの方は売れなかった。自分の役割を理解し演じていた、そしてオタクという場所を設けたそれは偉大でありその使命感を持っての行動に尊敬をいたします。
そういう方を晩年はきちんと評価してあげられる風土をメディアも構築しないとダメなんじゃないですかね。
名無しさん
おとうとさん、宅さんは私たちのヒーローでしたよ。
テレビでやってる姿が素顔でないのは我々にもわかっていましたよ。あえて、その世界に挑戦した宅さんのは文化でした。人間は好かれたいけど、容姿や性格・学歴・収入・自我の欠如やらが障害となってそれがかなわない人もいます。ならば、思いっきり嫌われてやれって心理がどこかにあります。ツッパリやヤンキーでそれを表現できる人はいいけど、それができないオタクたちの代弁者だったと思います。私も、彼に救われた者です。
おとうとさん、宅さんにありがとうとお伝えください。ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
30年近く経っても、宅八郎という名前を聞くと姿が思い出されます。
当時、高校生だったけれど知らない人はいなかったんじゃないかな。
あの時代のテレビを代表するひとりだったと思います。
名無しさん
おたくって何だか悪い意味で使われる事が多い言葉だけど、本当は「好きなことを突き詰める」素晴らしい人が多いのですよ。ひとつの事を突き詰めるが故に他の事に気が回らなかったりするだけで。
きっと宅八郎さんもそうだったのだと思います。
ご冥福をお祈り致します。


名無しさん
80、90年代にオタクという言葉を世間に認知させたことは周知の通り。実は努力家でもあった方だったようですね。「元気が出るテレビ」などのバラエティー番組に多数出演されていましたが、本職の俳優さんや芸人さんに劣らないだけの演技力があったと思う。オタクを演じたら、彼の右に出る人はいないだろう。本当のプロだった。ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
ラジオのニュース聞いてびっくりしました!
最近メディアに出てなかったのでどうしてるのかなぁ〜?とふと思う時はありましたが‥‥。
たけしの元気が出るテレビで初めて見ましたが、当時はまだオタクが珍しかったですからね
逆に言えばオタクに市民権を得るきっかけになったのも間違いなく宅さんですよ!
昔なんかのクイズ番組で回答者として出演してた時、かなりマトモな回答や説明してて「この人ワザとこういうキャラしてるけど、かなり頭良い人だな」と思いましたね
もっと色んなテレビ番組に出て欲しかったです
本当に残念です
名無しさん
確かにあの時代にユーチューブがあれば強烈な個性で人気者になっていた気がする! 他人の嫌悪感を一身に受ける芸風はなかなか出来ないと思う! 惜しいと思う!
名無しさん
当時は見た目と行動から良くも悪くも注目を浴びた人でしたが宅さんのおかげで今やオタク=好きな事に一途な人達と同じ意味になるくらいに今や世界にまでオタク文化を浸透させたサブカルチャーの先駆けとなった立役者だと思います。
宅さんを今も思う内縁の奥さんに見送られて晩年は穏やかな人生だった様で何よりでした。


名無しさん
歌手・森高千里さんのファンというのも、本当のところではなかったと思いますよ。
森高千里のフィギュア持って髪を振り乱している印象が強いだけに、暴露してほしく無かったな…
晩年の宅さんはインテリっぽくて素敵な表情をしてますね。穏やかな表情はやはり内縁の妻が居たからでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします
名無しさん
宅八郎氏、ナンシー関氏、中島らも氏、池田貴族氏などなど、昭和の時代、ちょっとアングラで、しかしちょっと先を行く面白い人達たくさんいたなぁ。皆何故か早くに逝去されている。
密かに知的なんだよねー。
ご冥福をお祈りします。
合掌。
名無しさん
演技であれをしていたのは、ある意味普通の人の何十歩も先を進んでいるし、エネルギーを感じる。
気持ち悪いと言われるキャラを全うするなんて、すごい方だったんだなぁ。
ビートたけしさんのコメントも聞きたいな。
名無しさん
人に歴史あり。一世を風靡したあの宅八郎の訃報や後半生を聞く日が来るなんて。。渋谷区議選にでるなど変わってたところもあったけど悪いことをやった訳ではないしましてや人に迷惑をかけた訳でもない。謹んでご冥福をお祈りします。


名無しさん
キャラを作ってましたよね?
キャラを作っている人は苦労するみたいですよね?
横山やすしさんなんか、キャラを止めたくても出来ないから悩んでいたみたいですよね?
その苦労を息子さんも引き継いでいるところもありますし・・・。
名無しさん
見た目は、演出だったのですよね。
どんな形であれ世間に出るきっかけになればと思ってやった面もあるのでしょうね。
凄く勉強家なんだなとは、当時テレビ超しに見て思いましたね。
どうぞ、安らかにおねむりください。
合掌。
名無しさん
当時は時代が追い付いて来てなかったように思います。
オタク文化というのを一般に認知させた第一人者だった思います。
それにしても57歳は若すぎるお別れですね・・・。
名無しさん
うん、文章書いて飯食うのはいまは大変やわ。
10年くらい前までかな、なんとなくでもそこそこのオファーがありそれなりの収入にできてたのは。
このままでは先細りしていくばかりやと思い、今年の2月から飲み屋を始めたんやけど、それから10ヵ月、今度はまさかコロナに追い詰められるとは。
これだけは予測つかんかったわ。
笑うしかない。


名無しさん
宅八郎さんが活動したおかげでオタク気質の人たちが色々と発言はっしたり行動を起こしてもそんなに世間から拒否反応をされなくなったりと(もちろんあからさまに嫌な対応されることもあるでしょうが)好きなことを大っぴらに活動しやすくなったのかと思います
名無しさん
テレビ時代の時しか知らないけど、今思うと懐かしいなぁ。演出かもしれないが、そのキャラで一時代を彩った人。知ることができてよかった。ご冥福をお祈りします。
名無しさん
人のモノマネしか出来ない女の子は気持ち悪いだなんて言ってた。今でもそういう一定層はいそうだ。前髪を垂らし流し、○○坂のモノマネは個性がない。宅さんは新たな価値観の発信をTVの力を持って創り上げた立派な方。家族に愛され過ごしていたことを知り心温まる反面、あまりに短い生涯にとても哀しくなる。
名無しさん
宅八郎さんがオタクを演じていたというより、世間が宅さんの姿を見て、エピトームとしてオタク像を造り上げていったんだと思う。そういう意味では、時代を作った人ななのかもしれない。


名無しさん
テレビはあくまでも演出ありきで昔の人は出ていたかと悪役でもテレビに出ていないところはとても良い人が
でも最近は好感度ばかり意識して悪いやつがいいふりなんて…で本性だして…が多い
昔みたいに芸能人は私生活はシークレットでもかまわんけどな
名無しさん
今思うと当時のオタクカルチャーを正しく理解してたと思うし、誇張もあるけどどう言うものか正しく認知させたと思う。
名無しさん
優しい弟さんですね。そして写真の宅さんも穏やかな顔をしてらっしゃいますね。
名無しさん
当初は森高千里なんて特別良くもないと思ってましたが、何年経っても劣化しなくて美しい。
宅さんの審美眼が正確だった事を年々強く思う様になりました。
流石オタク。もちろん褒め言葉ですよ。
名無しさん
『オタク』と言う言葉、『オタク』という存在、『オタク』という生き方、を最初にメディアにオープンされたのは宅さんだと思います。本当に当時は異色な存在で、マジックハンドと紙袋をもって「宅っくで~す」と登場した姿は強烈なインパクトを残し、幼い私の脳裏に焼き付いております。宅さん…まだ若いよ、若すぎるよ…。ご冥福をお祈り致します。合掌。


名無しさん
知ってる人が亡くなるのは寂しいことです。
本人が望んだことなのかは分かりませんが、色々楽しませてもらいました。
ご冥福をお祈りします
名無しさん
あの当時の世間がイメージする「オタクという記号」を演じていたように思う。
今で言う設定キャラをセルフプロデュースしていたような。
57歳は早すぎる。合掌。
名無しさん
本当に気持ち悪かったですよね。
でも、本当は頭良い人なのかな?って思っていました。
でも、気持ち悪かったですよね(笑)。
昔のテレビは面白かったなぁ。
名無しさん
宅さんは勿論なんですけど弟さんが素敵ですね
優しい弟さん、内縁の奥様にも愛されてそれだけでも宅さんは幸せだったと
どうか安らかに
名無しさん
今も昔も見えているイメージだけで人を判断している世の中なのかなぁ。
テレビやyuotubeじゃ好感持てるけど、本当は作ってるとか…
とにかく宅八郎さん、ご苦労様でした。合掌


名無しさん
「おたく」っていう言葉を世間一般に広めた人じゃないかな。25年以上前になるけど、もうテレビに出てる自虐的な姿をゲラゲラ笑って観てたし、彼が書いた本も面白かった。彼がいなかったら当時の時勢から言っておたくイコール犯罪者と同類。ひいては日本のおたくカルチャーの隆盛は無かったかもなぁ。
名無しさん
本当に時の人でしたね。オタクという言葉の先駆け的な存在です。今だからこそ、もっと活躍してしてもらいたかったです。
名無しさん
あれだけ探求心が強く、粘着質で執念深かった宅八郎さんがまさか赤いチャンチャンコ(還暦)も着ずに亡くなるなんて、夢にもってもみませんでした。
宅さん、日本中の(元)おたく族に夢と希望を与えてくださり、有り難う御座いました!
名無しさん
謹んでお悔やみ申し上げます。
テレビでは色々と笑わせて貰いました。お宅キャラと言えばこの人の顔が浮かぶ世代でした。
若くして亡くられてご家族も残念だと思います。
安らかに。
名無しさん
世の中にかくも外見だけで人を判断する人間が多いことかと知らしめてくれた貴重な存在。
ご冥福をお祈りします。


名無しさん
えぇーっ!宅八郎さんが亡くなられていたことをこの記事で初めて知りました…。2週間ぐらい前にふと思い出して、昔の元気が出るテレビのビデオを観たり、最近は何してんのかな?と検索したりしたばかりだったので………。
ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
宅さん、
そんな人柄だったんだ・・・
キャラを演じていたのを初めて知りました
良い人柄だったんですね
ご冥福をお祈り致します
名無しさん
出たばかりの時は気持ち悪いと思ったけど、トーク番組など出てるのを見ると頭の良さが際立ってたし変な人では全くなかったので、この人はテレビ的にオタクを演じてるんだなとわかった。
色んなことに詳しくてわかりやすくて、俺は好きだったからとても残念。
名無しさん
そんな才能溢れた人財だったとは。知らなかった。
元気が出るテレビ、お笑いウルトラクイズをリアルタイムで見てた世代には、あのメーター振り切れたキャラは忘れられない。
才能ありすぎたのかな。
名無しさん
宅八郎さんの訃報とても驚きました。
元気が出るテレビ、いつも楽しく見てました。
今でも印象に残っています。
あの時はお茶の間に笑いを届けてくださってありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。


名無しさん
宅八郎さんと言えば、長髪にマジックハンドと森高千里の人形の印象があります。これからもっと宅さんには活躍して貰いたかった。残念です。
名無しさん
宅さんのイメージを固めたテレビって、「天才・たけしの元気が出るテレビ」、「お笑いウルトラクイズ」、「とんねるずの生でダラダラいかせて」、「浅草橋ヤング洋品店」と全部テリー伊藤なんですよね。
名無しさん
オタクって今も馬鹿にしてる人いますが、一つの事を追求するスペシャリストはある意味皆オタクですよね。
どんな物でも好きな事にとことんのめり込めるなんて、素晴らしいことです。
宅さんがテレビに出ていた頃、結構好きで見てました。
まだお若いのに、残念ですね。
ご冥福をお祈りします。
名無しさん
かなり誇張してオタクを演じていたって感じですね。
本当はミュージシャン系の長髪でファッションの勉強をされていたので、逆張りの典型的オタクもやれたのでしょう。
名無しさん
芸名がエイトマンの主人公から名前を付けたそうですが、生前のテレビに出てくる頃はタコ八郎のパロディか何かだと思っていました。自分の子供の頃のあだ名が八の字
眉毛なので八郎でしたし、マジックハンドのような指差し棒が仕事場にあります。


名無しさん
求められる「オタクのイメージ」を”この世界で食うため”に納得の上で演じていたのか、と今は感じている。実際のご本人は常識人だったのかもしれない。
名無しさん
宅さんと肥満とは、ちょっと結びつかないですね。
でも宅さんの弟思いの一面を知れて良かったです。
名無しさん
亡くなって改めて凄いインパクトな方だったんだなと思いました。
たくさん楽しませていただきました。ゆっくりお休みください。
名無しさん
今の時代ネットブームで、いずれまた、文章にお金を払う時代が必ずまた来ます。その証拠に誰も思っていなかった100年に一度のウイルスです。
歴史は繰り返すものです。
名無しさん
森高千里さんのフィギュアを持ちながら、ジージャン、紙袋のオタクイメージを体現してメディアにでまくり、オタクを確固たるイメージを作った方ですね。サブカルのアイドル追っかけや、アキバがサブカルから文化に昇華していく立役者さんです。ご冥福をお祈りいたします。


名無しさん
ヴォタクの草分け
パイオニアだったと思っています!!
その後発生したヴォタ芸とかの走りを行ってた、もぅそんなには出てこない逸材
ご冥福をお祈りします。
名無しさん
初見のインパクトは本当にすごかった
オタク文化のパイオニア的存在だったのは間違いない。
名無しさん
元気がでテレビ見てる世代なので。たまにたくさんはまったくでなくなったなとか、思ったりしたものです。なくなられてて。ショック。


管理人の率直な感想

初めて宅八郎を見た時の衝撃は、貞子を見た時のそれに近かった。
あの頃の僕にはフィクションやノンフィクションという概念がなく、観たものこそが真実だった。

「何だか凄く怖い人」
それが宅八郎だった。

でも、僕が子供の頃に見た怖い宅八郎はキャラであって、本当のオタクではない。
オタク評論家だというからビックリ。

しかも、そのオタク評論家という肩書も彼の一部にしかすぎず、才能は多方面にわたる。

「何だか凄い人」
それが今の印象。

多くの人が宅八郎に関する思い出を語っています。
弟さんが危惧していた悪口はない。

幸せな人だったと思う。
早すぎる死。悔やまれます。


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