2006年4月2日。全国屈指の進学校、私立開成中学3年の男子生徒(当時14歳)が東京都北区の自宅マンションから転落し、亡くなった。即死だった。なぜ――。警視庁の捜査でも解明できなかった。「原因が今も分からないのは本当につらい。心はずっと、中ぶらりんのままです」と母は言う。転落死から18年。母が初めて取材に応じた。
死亡したのは一柳亮さん。母富美子さんと2人暮らしをしていた。
母から見ても、早熟な子だった。小学生でカフカやカミュ、松本清張などの小説を乱読する一方、運動会では応援団長、学芸会では主役を務めた。親しい友人も多かった。
富美子さんはロシア音楽の研究者として大学に勤務しながら、亮さんを育てた。「息子は本の虫でしたが、目立ちたがり屋でもありました。高学年になると、私の仕事の相談も聞いてくれた。大人びたところがあったと思います」
中学受験に向けて小学4年から塾に通い始めた。トップクラスの成績を維持し、04年2月に第1志望だった開成中学に合格した。
入学直後の作文には将来の夢に「理科系の研究者」を挙げ、「役者にも興味がある」とも書いた。管弦楽部やバスケットボール部、ラグビー部に入り、充実した毎日を送った。
中3になったばかりの06年4月2日。亮さんは午後1時50分ごろに自宅を出て、小学校時代の同級生と荒川の土手で花見をした。夕方、みんなで地元の駅近くのファミレスに移動。亮さんは数人と別の公園に寄ったあと、帰宅の途に就いた。
午後8時29分、自宅マンションのエレベーターに亮さんが1人で乗る姿が防犯カメラに映っていた。ただ、自宅のある6階のボタンを押さず、最上階の14階のボタンを押し、その階で降りた。そして午後8時43分、亮さんの刻んできた時間はそこで止まった。
「飛び降りがありました」。午後9時過ぎ、6階の部屋の呼び鈴が鳴った。富美子さんはその時、自宅でテレビを見ていた。「少年が落ちました。命は助からない状況です」。署員に促されるまま、富美子さんは6階の非常階段の踊り場から、あおむけで倒れている息子の姿を見た。そこからの記憶はほとんどない。
警視庁赤羽署が死因を捜査した。当初は「自殺」としたが、その後に根拠が薄いとして、「転落死」に表現を変えた。転落理由は分からないまま、捜査は終了した。
亮さんが亡くなってから富美子さんの生活は一変した。母一人子一人のなか、息子の存在は心の支えだった。一人残されたと感じた。
何より苦しかったのは、転落した原因が分からないことだ。息子の性格から自殺はあり得ないと思った。ただ、そうでないとすれば何が原因だったのか。何度考えても分からず、堂々巡りが続いた。「亮がどんな思いで亡くなったのかを知りたい。その気持ちが分からなければ、きちんと供養もできないのです」
亮さんが亡くなり、子育て中にセーブしていた仕事に本格的に取り組むようになった。研究成果も出たが、我が子を思い出さない日はないと富美子さんは言う。
「息子が生まれた時、私はこの子の親になるために生まれてきたんだと思うくらい、とてもうれしかった。亮がいなくなってからは、以前にも増して仕事に取り組むようになった。でも、今もふとしたときに思うんです。私は何のために生きているんだろうって」
富美子さんが常に財布に入れて持ち歩いている写真がある。中学生になると亮さんは母がカメラを向けても素直に応じなくなっていたが、亡くなる5カ月ほど前、珍しくこちらを向いてくれた。写真の中の亮さんは今も、はにかむような笑顔を見せている。
参照元:https://mainichi.jp/articles/20240328/k00/00m/040/271000c
家族・友人・恋人…身近な人の自死【ネットの声】
答えの出ない問いを毎日毎日自分へ問いかける日々です。
小説になりそうな程の長文の遺書が残され、そこには世の中の不条理や生きる意味について書いてあったと友人に聞きました。
卒業文集には胸に突き刺さるようなメッセージが書き綴られ、亡くなった事実と併せて衝撃を受けたことを思い出しました。
人間関係、恋愛、性、社会状況など、他の人にとっては些細なこと、世の中そういうものだと受け入れていることでも深く考え悩んでいたりする
それでも最終的に何故、自死に至ったかは謎だった
親御さんも彼氏も友人たちも理由が分かりませんでした。鬱のような感じもなく、悩みに心当たりもありません。
彼女の葬儀は地元でしたから、私たちは彼女が1人で暮らしていた部屋に用意された小さな祭壇に線香をあげました。
彼女の本棚には読み込まれた「二十歳の原点」が置かれていて、みな「ああ…」と思ったものです。
私も読んだことはありますが「自殺って親不孝」という身も蓋もない感想でしたから、読み手の感性によって受け取り方が違うのでしょうね。
新居に引っ越す数日前でした。
どうして落ちてしまったのかいまだに謎です。
父が10年ほど前、
「○○くんは自死ではないんだよね?」
と私に聞いてきたので、恐らくご両親も原因がわからなかったと思います。
新聞には「転落死」として載ったようです。
一旦、学校に行ったの友達を待たせて戻ってきて、ベランダに出たそうです。
伯母が部屋にいたのに。
何故ベランダに出たのか。
虫の知らせか、1か月前から私から手紙を出し、少しやり取りをしたのですが、
中学校はこんなところ、楽しい(入学してすぐに書いてくれたよう)
夏休みに遊びに行くね
と書かれてあったので私は事故だと思っています。
が、真相がわからず40年が過ぎました。
伯父と伯母はもう高齢ですが、ずっと抱えて生きているのかもしれません。
私ですらいまだに涙が出ますから。
自分が勉強してきたから、子供にも同じように期待するのが辛い時もあるでしょう。
この家庭の事ではないが、教育者の子供に問題ある子供が多いのも良く見てきたし
教育者だから子育てのプロではないからね。
でも、夜中3時頃起きて涙を流して泣いているのを何度も目撃しました。 そして「死にたい」と言います。どうしたの?と聞いても、何でもない、気にしないで、放っておいて、と言います。 それでも気になって、ある日詰めて聞いてみると、
「怖いんだ。毎日死に向かってどんどん近づいていくのが怖いんだ。毎秒毎秒怖いんだ。」と言いました。
「皆そうだよ。人間は皆そうだけど、今を一生懸命生きるんだよ。」と私は言いましたが、その後も夜に泣くのは治りませんでしたね。
悲しい
私も一人息子が自死しました
親としてなんとか助けてあげられることがなかったのかと、何年経っても悔むばかりです
本当に辛い
〇〇の理由が原因だから、私は飛ぶ、みたいには思わなかったと。
酷い失恋で、その子にストレスがたまっていたのははたから見て確かなんだけれど、本人は麻痺して通常を保っている状態だと、体が勝手に動くことがあるのかもしれないとその時思いました。
自殺しないでね、なんて言ったところで無意識行動なら、本人も止めようがないのだろうと。
なので、過剰なストレス状態にあるけど、平常を保っている人には急に命を絶つ可能性があるのかもしれないと思っています。
頑張りすぎている時、心は麻痺していないかを感じ取り、本人が気づいていないなら、少し緩める一言を、本人がつらさに気づく一言をかけたいといつも思いながら、自分の子供には接しています。
もしかしたら、同じような状況だったのかもしれない、とこの文章見て思いました。
私には普段通りに接してくれてて、困り事とかも無さげだった。もしかして何か強いストレスを持ってたのに、頑張って普段通りにしてくれてたのかもしれない。
この話を読んで、少し救われました。
生徒会長でお葬式はたくさんの人が来たとか
ただ両親は警察沙汰になるほどの喧嘩をするし、弟も自由奔放で親に反抗するし家にも帰らないような人で、年の離れた姉は早々と一人暮らし
理由…なんだったんだろうなぁ
同じく小さい頃から本の虫で、学級委員や生徒会、クラブ活動、何もかもに全力だった。友達も多く親からも先生からも期待されていた。
陰と陽、光と影。思春期を迎え、私は常に死が纏わり付いていた。いつか死ぬのに何故生きるのかという哲学的思考、自分がいない世界への興味関心、最高な状況で死にたいという傲慢さ、見えてきた限界への恐れ、理由のない虚しさが渦巻いていた。何よりも大人になって汚れてしまうのが怖かった。今から思えばモラトリアムだったのだと思う。それは誰に相談できるものではなかった。
実行に原因はなく、理由をあえて挙げるとしたら思春期特有の心のアンバランス感と死への興味関心だった。
大学受験に失敗が原因と言われていた。
開成の様に超難関校ではなかったが、地元では1番の進学校だった。
当時は落ちた位でなぜ自殺したんだろうと疑問しかなかったけど、
今は家庭環境も理由の1つではないかなって思う。
運動も勉強も出来て、母親はさぞかし自慢の息子だったでしょう。
中学受験させる位だから、教育にも熱心だったはず。
母親本人は気付いてないかもしれないけど、息子はノンプレッシャーではなかったと思う。
これが自殺の原因だとは言わないが、可能性の1つとしてはあるんじゃないかな。
自分の両親は学がなく、1度も「勉強しろ」って言われず自由に育った。
自分には合っていたと思う。
文芸作品を好み、詩集や古典文学、哲学書を読み、頭の良い人でした。絵を描いたり手芸をしても上手でした。
友達も多くて、容姿もよく、何一つ欠点もないような人だった。
自死遺族のコミュニティで知り合った方から聞くにつけても、自死してしまう方の中にはこういうタイプが少なからずいる事を知った。頭が良すぎて色んなことを敏感に考えすぎるのでしょうか。
母親の教育がとても厳しくて、いい高校、大学に入る為の勉強が重かった。あと、この方には、父親も兄弟もいらっしゃらない事が気になります。そして思春期。。。友達と一緒は楽しいけど、毎日勉強、べんきょうで、家に帰るのが嫌だったのかと、自分と重ねてしまいます…
首を吊った縄がほどけて落ちたので、今も生きています
私が何を思い決行し、失敗したのかは誰も知りません
私も勉強が得意な早熟な子でした
友達はいましたが、とにかく本を読むのが大好きでした
自殺未遂の理由を簡単に言うと「生きる意味がわからないから」でした
生きる事はただ退屈で、これがずっと続くのかと思うとうんざりです
生きる事は召使いにでも任せておけとリラダンは言うけれど召使いはいない
どれだけ読み漁っても一生出逢えない面白い本が存在する
ならばこの行為に意味はあるのか
そんな風に思っていました
馬鹿ですね
私は、頭でっかちになっていたんでしょう
同じような理由だとは思いませんが、他の方のコメントにもあるように、やはり年齢にあった本を読む方がいいですね
未熟な精神は引き摺られやすいので
天真爛漫な息子を見ていると尚更そう思います
ゲートキーパーと言うけれど幸せの最中に要る人の苦しみに気がつくのはとても難しい。
頭の良さとか身体が丈夫でも心のことはわからないもの。
亡くなってから十年くらい経つけれど、きっと悲しみは深まるばかりなのだろう
もうひとり産んでおけばよかったと後悔してるとか
しかしすべては結果論だから…
二人とも仲の良い子ではなかったので、性格とかは良く知らなかったです。
でも、自分の行ってた高校は偏差値50くらいのごく一般の公立男子校です。
特別優秀な子だから、という訳でもないと思います。
その子も亡くなった。
とてもショックでした。
明るくて頑張り屋だったし、優しい子だったのに。
僕の中学時代の友達は、学年で1位とか2位の成績で、高校は県内のトップの高校へ入学。
文系と理系で分かれてから話す機会も減ったけど、高校入学後も相変わらず成績も良く、スポーツも得意。
だが、高校2年の時に自殺しました。
今でもどうして亡くなったのかわからない。
それは特殊な環境、本人だったり肉親だったりが高い場所にいると、何かの拍子にエネルギーを与えたり奪われたりするのかも、と。
もちろん本人も周囲も自覚なしなので誰のせいと言うことはないのですが。
最近、娘の友人(20代で自殺)の裁判が始まり、県と係争中です。見守りたいです。
その時、カフカの本を握りしめていたそうです。
7年間、思い出しては自分にできることがあったのでは?と後悔して泣いていたが、「家族や医師に助けられない鬱をあなたが助けられたかもと嘆く必要はない。無理だ」と言われて少しだけ心が軽くなったことを思い出した。
今年もまた友達の御命日がやってくる。
開成の男子中学生、死の真相は?
それか余程お小遣いが少ない家だったのか、本人がだらしないだけの可能性もあるけど…
神のみぞ知るってやつですね
1人でエレベーターに乗ってるわけだし、あえて自分の住んでる階のボタンを押さないで最上階のボタンを押してることからして、自殺以外には考えられないもんね。
ただ、自分の経験からすると、辛い時ほど辛い姿を親に見せないようにするために、必死に演じることはあります。
もしかしたらこの子も、そのタイプだったのかなと。
友達と花見に行くと言えば、普通の人からすれば楽しんで遊んでくると思うでしょうけど、もしかしたら本当は花見をしてない可能性もあるのでは?
いじめの被害者だったかもしれません。
楽しかったあとの一人になった時の一抹の侘しさみたいなものは、誰しも感じたことはあるのではないか。
この子がそれを感じたと断定するわけではないが。
逆にこの日の友人との交流が物凄く楽しくて幸せを感じていたのかも知れません。
楽しいこの気分のまま死にたいとかあるじゃない。
父親も息子を失ったのであるから、登場してこないには、何か理由があるのではないかと想像してしまう。
自宅までは帰ってきたのにね。
突き詰めていけば生きることの意味なんてないとさえ思うんだろうね…
とくになにかそういう要素がないはずであっても、心がゾワゾワしたり周囲にイライラした気持ちを抱いたり、本当に落ち着かない。
ただ、長年の経験上、4月下旬になればなんてことはないってわかってるからゾワゾワ、イライラしている自分に言い聞かせて乗り切っている。
10代の頃はこのゾワゾワイライラが学校の成績や受験への不安、人間関係なんかから来る…と絡めてたように思うが、それでゾワゾワイライラにさらに考えがグルグルしていたなぁ、と今咲き始めた桜を見ながら思う。
その少年はそういった「なんだかよくわからない不安」みたいなものに追われてしまったのかなぁ。
遺書も書いた。
私が死んだら大好きな祖母が自分も死にたいくらい悲しむだろうなと思って思いとどまった。
祖母がいなかったら死んでいたかも。
これを読むと印象が大きく変わるはず。
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一方、捜査をしていた署員は母富美子さんから、転落の2日前に富美子さんが亮さんを叱っていたと聞いた。財布から現金が抜かれていたためだった。赤羽署はこの事実を重視し、早い段階で母に叱られたことが原因で自殺したと判断した。
地方の進学校に在籍しましたが、授業中に問題を間違えて教員に殴られたことがありました。次の体育に行かず、ひとり三階の教室のベランダに出て地面を見ながら涙した記憶があります
このことは親も含め、誰も知りません
きっと亡くなられた方も、何か自分だけ抱える思いがあったのだと思います。誰かに気付いてもらえたり、相談できたりすると良いのですが、迷惑をかけてはいけないと思って本人は中々行動できない場合があるかもしれないので、本当に難しいと思います
御冥福をお祈り申し上げます
特段いじめなどもなく、生徒会や部活に励んでいた人が電車に飛び込んだだとか。
無理やりこじつければ部活は運動部なので
顧問に厳しく叱責される事もあったがそれは他の生徒も一緒で、理由は謎のまま。
しかし、そもそも死生観自体が人それぞれで
私の様に地べたを這いつくばってでも生きたい人もいる一方
仲良い友人は楽に死ねるならいつ死んでも良いと言っていた。
なので、必ずしも明確な理由がある訳でない場合もあると思う。
それか余程お小遣いが少ない家だったのか、本人がだらしないだけの可能性もあるけど…
神のみぞ知るってやつですね
①14階 ⇒ 確実な死
②カフカやカミュ ⇒ 非現実感、不条理(子供の場合は、精神の病の可能性も…)
③(中学ではなく)小学校時代の同級生と花見
⇒ 小学校時代が一番楽しかった。中学で成績不振の可能性。そして、お別れの儀式。
④遺書無し ⇒ 中学の同級生に本音を知られたくなかった? 遺書を残さなければ、カミュの「異邦人」の主人公のように、人々の理解を超えた存在でいられる…。
彼女は物心ついたころから生きていること自体に違和感があったらしい。
形のある物質に対して生理的な嫌悪感があり、嫌いなものに囲まれて生きているのがつらいのだと。
形を認識しなくて済むように、視力が悪いのにあえて眼鏡もコンタクトもつけずに生活していた。
今どうしているかは知らないが、最後に話したときは、「親に打ち明けたら泣いて止められたし、誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法がまだ見つからないからすぐには実行しない」と言っていた。
こんな辛い経験をなさっていたとは
頭良いと常人にはわからない何か大変な事があるのかね?
私は中の下くらいの人生だけど、結婚して子供いて家を買ってあくせく働くなかでも地味に幸せがあるだけ、ありがたいと思わなきゃいけないな。
死ぬ2日前、母親の財布からお金を抜き取って叱られたそうだが、別れた父、祖母、祖父、叔父、叔母など、他に可愛がってくれる人はいなかったのか。エレベータに乗り、自分の部屋の階のボタンを押せなくて上に行き、衝動的に飛び降りたのか、スリルを求めて手すりの上を歩いたのか。
今となってはわからないが、全ては運命と思うしかない。
普通の中2は、あ〜今日は楽しかった、で終わるかもしれませんが、息子さんくらい賢く、読書量も多く深い思索に至る道程を知ってしまっていると、いいしれぬ虚無感に襲われるのかもしれません。桜というものはただでさえ人を切ない気持ちにさせますし。
でも息子さんの14年の人生は充分に輝いて、とても価値あるものだったのではと思います。
本人にしかわからないからこそ、お母様はなかなか気持ちの整理がつきませんよね。周りの人達を頼りながら、穏やかに暮らしていけるよう祈ります。
振り返ってみるに、農業とか、逆に何か体を動かして違った方向の充実感を具体的に得られるようなことをさせたほうがバランスがとれていい気がする。
イジメが原因じゃないなら、それしかないんじゃないの?追い詰めすぎたのでは?
休むことは遅れをとることではなくて自分を整えるためです。
今やってることが自分に合っていない違和感を感じたら離れるのも大事。
頑張って頑張ってもう頑張れない、そうなると追い詰められる。
もう頑張れない、怠けてるわけじゃないパワー切れなんです。休んで下さい。
凡人おばさんの私でも、自身の存在意義とか考えて、生きている意味あるのかなとふと思うこともある。
あぁ、でも、この息子さん、とっても辛かったんだと思うけど、生きていて欲しかったな。
開成では何でも意欲的に思われたけど、小学時代が懐かしいと思われる、何かが有ったのかなぁとも思う。
自分も転校した学校が合わなくて、親も共働きで遅く、話を聞いてもらえる環境に無く、何で生きてるんだろうと思って、飛びたかった時期が有る。
何とか持ち堪えたが、親の、無言でも有言でも、プレッシャーってシンドイ事、大いに有ります。
話はあまり面白くないけど
こんなつらい目にあってたのか・・・
本当にいるなら未解決事件なんてないか!?
その子は頭の良い子で上に二人いるきょうだいも進学校 このままくだらないいじめでハブられるならやめたい、通信にしたい、と言って親に頼み退学 今は大学生 親は入学金、学費がもったえないけど、しなれたら困る、と言っていた
思春期は、子供と大人の境で心身共に揺らぐ様な時期でもありますよね。
衝動的というか、ふと魔が刺す事もあるかも知れないですよね。
お財布のお金を無断で持ち出したのを責められて、ちょっと苦にしたのかな…。
同じように娘を失った自分も、なぜ?どうしてと何かにすがるような思いで、その訳を探すことに無駄な時間と労力を費やしていました。
しかし、それは永遠にわからない・・・わかるくらいならこういう結果が生じてはいない。そう思うようにして、ただ生き長らえている日々をまっとうするためだけに生きている毎日。
多分、研究者の母親はいわゆる教育ママとは真反対で落ち着いて子供に対していただろうし、この子供も、開成だからと言って勉強についていけないレベルでは全くない、逆に知的な方の子供だったと思う。(自分が通っていたので、大体レベルは想像できます)
知性が高く早熟な子供ならではの、文学的というか哲学的というか、そういう悩み方があったのかと想像してしまう。
部活のエースで明るく活発な子も自殺することもあるので
人の心の中は精神科の医者でも親でも正直わからない。
文学少女の女子高生が「綺麗な時に死んでしまいたい」と大島の三原山火口へ投身自殺したと報道されたのがきっかけ。
貧困層だとかそういう子達じゃありません。親はどうしてわが子が死を選んだのかわからなかったはず。本人もよくわかっていないかも。
それくらい若い子は不安定なんだと思います。
この年齢で地元の友だちとのギャップがあるってのも結構大きいと思う。進学校いったら勉強漬けで他に何もないのがしんどかったりすることもある。
もちろん本当に何かしら事故の可能性もあるよね。
考えても分からないし現状が変わるわけでもないけど、残された人のためにも、またこれから同じことが起きないためにも少しでも何かしら理由が見つかることを願ってます。
1)早熟である
2)多くの部活に入る
3)中3である
まあ、青春の頃のホルモンバランスの急激な変化と、優秀な集団における感情の揺れだろうな。純粋な心には、大人になるための成長痛はキツい。
突発的な衝動で命を絶つ人は少なくありません。
少しでもいいから不満や愚痴を言える環境、機会を与えたかったですね…
警察を始めとした司法機関は、事件性が無いと判断されれば、それ以上は動きようがありません。それに代わって、遺族の無念に寄り添う仕組みが必要なのかもしれません。
一方で個人的には、「どんな真実でも明かされないよりはマシだ」なのか「真実を知ることが最良とは限らない」なのか、答えが出ない所ではあります。
その子の場合は、優秀すぎる故に、努力ではどうにも解決できない思春期の悩みに直面して、絶望して死んでしまった感じだった。
自分が思春期であることも自覚した上で、賢い子が考えた末の結論だった。
この子もきっとお母さんにはありがとうごめんねの気持ちはあったんじゃないかなと思うけど、やりきれないね…。
あまり早熟すぎるのも、親からすると心配ですね。
この時点で勝負あった、て感じだな。偏差値の高い学校に行く子はこうなのか。お母さんも研究者のようだし、鳶から鷹は生まれないんだな。
ただ、早熟がゆえに14歳であらゆることが見通せてしまい、今後の人生に希望が持てなかったのかもしれない。
都内の御三家クラスの進学校って、昔から割とある。
校舎から飛び降りたりの、生徒の自死。
ただ、ニュースには絶対ならないってだけ。
生徒の口に戸は建てられないから、口伝えには広がりますよ。
友達の姉も,都内の私立女子御三家に通ってたけど
それこそほぼ全員が、国内外の最難関大学を目指す環境で
成績を上げなきゃいけない、毎日気を抜けず、テストの点や順位に追われまくりで
最後、友達の姉は発狂してしまった。
受験戦争が一番熾烈だった時代の、昭和最後期の話。
友達から様子を聞いていたから、その様子も凄まじかった。
泣き叫ぶというより、昼夜問わずに動物が吠えるような声を上げながら、垂れ流しの生活だったと。
暫くしたら、表面上は少し回復したように
自宅の電話に出たりしていたけど(私が電話すると出たりした)
私も、そこまでしか知らない。さすがにその後を聞けなかった。
先生に「帰りに変なこと(自殺)考えちゃダメよ」みたいに言われたのも鮮明に覚えている。
その後は落ち着いたけども、本当にあの頃の自分は別人のように思う。
たとえ身内であっても自分以外の人の心は分からない。
死んだ人はその周りの人の心の中に生き続ける。呪文のように良くも悪くも。
自分にとって都合のいいように記憶の中で生き続ける。
我が家の娘も、今13歳。月が綺麗な日には、屋上に見に行ったりします。
その日は、とても月が綺麗な日ではなかったのかなと、思ってしまいました。
人は自分だってそういう少女少年であったことを忘れる
母親の期待、心の支えであり続け、上へ上へと、あなたはできると言われ続け、14階の最上階まで行って、疲れてしまったんだろうな。もうこれ以上上はないので、ジャンプしたのかもしれない。がんばれ、できるは、決して悪い言葉出ないが、円谷選手のように真面目な人は逃げ場を失う。母子2人がより逃げ場を失わせたのだろうな。
順風満帆な時でさえ、生と死を考えるものです。どんな悩みや葛藤があったのか、知る由もないです。残された家族は自問自答の辛い日々を送ることに。
皆さん、どうか思いとどまってください。
残されたお母さんは本当に苦しいと思う。自分が死ぬまで子供の事を悩み続けないといけない。
小学校の同級生たちに会って、人生を間違えたと思ったのかな?
芥川龍之介、三島由紀夫も最後は自殺していますし、先見の明があり、賢く繊細な人にとって、この世は生きにくい場所なのかもしれません。でもやっぱり生きていてほしかったです。親にとって、子は優秀でなくても良い、ただ元気に、笑顔で生きていてくれるだけで、十分幸せなのですから。
とても楽しい学校生活でしたが、お金持ちが多くまたずば抜けた秀才もいたやや偏った集団にどっぷり浸かっていた私は、地元の公立中学に進んだ友人との交流は何故か本能的に避けていました。
この方は、地元の同級生と遊んだ直後に逝ってしまった。開成は日本屈指の進学校。ほぼ全員が東大受験に向かって努力している。それに対して地元の人達は別のベクトルで生きている。勿論、一流大学行きたい人はいるだろうが、開成とは比べ物にならないだろう。
彼は余りにも違った生活を送る地元の同級生との交流で何かを感じ、吹っ切れてしまったのではないか。これ以上の事は述べられないが、いくつも部活を掛け持ちして何か楽しい事を求めていた事も、あの学校生活では珍しいことではないのか…
イジメだと思います
自分は公立中学で全員に無視されてて卒業後も無視
高校にも嫌がらせされて中退しました。
僕も同じ母子家庭です
後で中学のHP見たら、
気づいてもいないし、なかったことになってました
当然、まわりは隠そうとします
人が自殺するって相当なことがないとやらないし
わざわざ自分で最上階まで行って、事故は考えられない
最上階の構造見て下さい、誤まって転落できますか?
自分で手すりを乗り越えないと向こう側には行けない構造です
経験者だからわかります
恥ずかしくて情けなくて、誰にも言えないんです
教師にも親にも
だいぶ時間が経っているので真相は藪の中ですが
イジメ差別は、優秀な子ですら手すりを乗り越えさせるんです
この子を無駄死にさせないためにあえて書きました
君のお母さんと僕だけは君の味方です
僕にこの記事を読ませて書かせるために導いてくれてありがとう
管理人の率直な感想
僕の周囲にも死亡後に「自殺か事故か」とされている人が何人かいます。
個人的に事故だと思った人でも、「実はこんなことが」と自殺を示唆する人が出てくる。
情報をまとめようとしても、生前の印象とかけ離れ過ぎていて何が真実か見えなくなることがある。
『本人にしか分からない死』というものはあるんですよね。
一柳亮さんの死もその例だと思います。
「亮さんは午後1時50分ごろに自宅を出て、小学校時代の同級生と荒川の土手で花見をした。夕方、みんなで地元の駅近くのファミレスに移動。亮さんは数人と別の公園に寄ったあと、帰宅の途に就いた。」「午後8時29分、自宅マンションのエレベーターに亮さんが1人で乗る姿が防犯カメラに映っていた」という部分。
今思えばですけど、友人たちと楽しく過ごした後で一人になったときに急に虚無感のようなものが襲ってくることが僕にもありました。
友人には何も不満はない。本当に楽しかった。
その時間が楽しければ楽しいほど帰宅するときに一人になると心が空になったように空を見上げていた。
みなさんの周囲の自殺者の声をまとめましたが、なぜ自死をしたのか分からないというケースが多いのが分かります。
本人にしか分からない。いや、本人にも分からないケースもあるのかもしれない。
人の心は単純なようで複雑。複雑なようで単純。
「友人Kが知っている」とは何を意味するんだろう。
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