ここに一通のぞっとする手紙がある。
16年2月、大島理森衆議院議長の住む議長公邸に姿を現した若い男が、警備の警察官に手渡した3枚の手紙だ。
1枚目には、
〈この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。(中略)障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。(中略)
障害者は不幸を作ることしかできません。(中略)今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。(中略)何卒よろしくお願い致します。(中略)文責 植松聖〉
2枚目は得体の知れない自己紹介で、3枚目はあたかも犯行予告だった。
〈作戦内容 職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。見守り職員は結束バンドで見(ママ)動き、外部との連絡をとれなくします。(中略)2つの園260名を抹殺した後は自首します。(後略)〉
当然、所轄の麹町警察署はこの内容に驚き、植松の自宅を管轄する神奈川県警津久井警察署に事案を通知し、手紙をファクスで送付した。16年2月15日の話である。
この若い男、植松聖(26=当時)が黒のシビックで津久井署に現れたのは、5カ月以上が経過した7月26日未明、午前3時過ぎのことだった。彼の着衣や手元は血に染まっていた。
「奴をやりました」
こう告げる植松にただならぬ雰囲気を感じた警察官は、即座に彼の車を調査。後部座席には、血痕のような茶色に変色した複数の結束バンドがバラバラと落ちていた。助手席には血液が付着したポリ袋。バッグには、血糊がついたナイフと包丁が3本、入っていた。植松は、「やまゆり園の障害者を抹殺した。障害者がいなくなればいい、と思った。このナイフで刺したことに間違いない」と供述したのである。
すでに障害者福祉施設「津久井やまゆり園」職員からの通報があり、別の警察官たちが施設に急行していた。現場に臨場した捜査員は目を背けたくなるような光景に慄然としたという。
植松の供述通り、施設の複数の室内や廊下には、首から血を流して倒れている人間が数十人。刺創が頸動脈に達している被害者もいて、辺り一面、血の海と化していたのだ。
「やまゆり園」に続く通りは40~50台の救急車で埋め尽くされ、地鳴りのようにサイレンが響く中、次々と被害者を搬送していった。神奈川以外の他県からも多数の救急車が駆りだされたが、それでも車両が不足し、息のある重傷者が優先されたためか、施設内には明け方まで遺体が多数残されていたという。
リア充の裏に憎悪
19人死亡、26人が重軽傷となる戦後最悪の大殺りく劇。手紙を見る限り、前々から準備をしていた襲撃犯、植松はどういう人物なのか。
15年1月、25歳の誕生日に背中一面の刺青をツイッター上でさらし、
〈会社にバレました。笑顔で乗りきろうと思います〉
そうつづっていた植松は90年に東京・日野市で生を享け、間もなく現在の自宅に引っ越した。
父が小学校の図工教師という家庭の一人っ子。小中学校は地域の公立に通い、八王子市内にある私立高の調理科に進学し、バスケ部に所属した。
卒業後は現役で帝京大学へ。父親に倣ってか教職課程を選択し、周囲にも、
〈俺、子供が好きなんだ。将来は先生になりたい〉
と話していた。実際に母校の小学校で教育実習も行っており、近所に住む男性によれば、
「私の孫が実習中に教わったのですが、とても熱心で、みんなから好かれている評判のいい先生だと言っていました」
体育会ひとすじの高校時代を経て、大学ではもっぱら飲み会を行うサークルに所属。
別の住民も、
「友達は多かったし、よく自宅にガールフレンドも連れてきていました」
というのだ。
猟奇殺人や無差別大量殺人犯には、しばしばひきこもりなど社会性の欠如が見られる。が、頻繁に仲間が登場するツイッターと合わせ、社交性に富む植松は「リア充」の青春を送っていたのが見てとれるのだ。
一方で、すでに事件の“萌芽”は顔をのぞかせていた。
「教職免許を取るために学生時代に児童養護施設でボランティアをしていたのですが、そこにいる障害者の人たちを話題にして『キモい』『あいつら生きている意味がない』なんて言うのです。『お前、それやばいよ』と注意したのですが、度々口にしていました」(同級生)
しかし卒業後は教職に就かず、なぜか障害者福祉施設である「やまゆり園」に就職。相前後して、自宅でも“異変”が起きていた。
「ご両親が出て行ったのです。お父さんと折り合いが悪いと聞きましたが、夜中にお母さんが『ギャー』と泣き叫んでいたこともありました」(住民の一人)
もっとも隣の男性は、
「あいさつもきちんとできる好青年でした。お互いの家の間の雑草がひどかったので『除草剤をまいてもいいか』と尋ねたら、『僕がやりますよ』と、友人を呼んできれいにしてくれました」
が、心の奥底には邪念が渦巻き、恐るべき形での“発露”は時間の問題だった。その証拠に、
「彼の障害者に対する憎しみはエスカレートしていき、施設の職員でありながら“障害者なんか死んだ方がいい”などと口走るようになっていた。入居者に暴言を吐いたり、暴力を振るったこともありました」(相模原市役所の担当者)
措置入院で大麻
衆議院議長の公邸を訪問した4日後の2月19日、彼は「やまゆり園」を退職する。植松は、自分のツイッターにその日こう書いている。
〈会社は自主退職、このまま逮捕されるかも…〉
表向きは自己都合だったが、直接的な原因は、警察に手渡したあの異様な手紙だったに違いない。これがキッカケとなって、2月19日、病院の精神科に強制的に措置入院させられたからだ。
「入院期間中に検査を受けた植松の尿から大麻の陽性反応が出たのです。本人も吸引を認めましたが、大麻は所持していないと逮捕できない。結局、植松はここでカウンセリングを受け、3月2日に“危険はなくなった”と判断されて退院するのです」(社会部記者)
それから4カ月あまりの間、表向き植松の言動に危険な兆候は見られない。ツイッターにも餃子を手作りした話や友人と遊びに行った話題が続いている。
だが、その裏では古巣を襲うために周到な準備をしていたという。
1年ほど前から植松が通っていた美容院の店長は、
「3月上旬に店に来た時は、“最重度の障害者は安楽死させたほうがいいと思いませんか? 俺ね、神からお告げを受けたんで、革命を起こそうと思うんです”と捲し立てていました」
職員を縛るための結束バンド、そしてナイフや包丁の数々――。
ツイッターでは事件の3日前、友人とモデルガンに興じる写真を載せ、
〈同時刻にドイツで銃乱射。玩具なら楽しいのに〉
とつづっている。これが引き金となったのか、26日の午前2時すぎ、寝静まった「やまゆり園」の東棟1階にガシャーン! という音が響いた。
植松は窓をハンマーで破ると3本のナイフを手に持ち、当直の職員を縛り上げて居室の鍵を奪った。
そして、一部屋また一部屋と開けては寝ている障害者を襲っていったのだ。
犯行時間とほぼ同じ時刻、植松はツイッターにスーツにネクタイ姿の写真を載せ、こう書いている。
〈世界が平和になりますように。beautiful Japan!!! !!! 〉
自らが手を染めた凄惨な儀式を“祝う”ためだったのだろうか。
20年、植松被告の死刑判決が確定した。弁護側は控訴したものの本人が取り下げたのだ。いまだ執行はされておらず、本人は月刊誌「創」に自らの主張やイラストなどを送り、それらは同誌を通じて世に発信されている。
参照元:https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07260551/
植松聖の思想について【ネットの声】
で、実習時の障碍者施設で感じたんだろ
その子達の親や職員、社会システムの歪さに(ビジネスと割切れなかった)
それらを開放するには、この方法が最適と判断し行動した
ただそれだけ。
彼だけが特異な存在なのではない。
また被害者のご遺族の中には、我が子か亡くなったことで心の重荷が取れた方もいるだろう(慰霊碑に名前のない8名の被害者のご遺族など)。
決して綺麗事で済ませられない我々人間の悪感情と、福祉の倫理との間で、最前線の人々は常に揺れ動いているであろう現実から、我々は目を背けてはならないと思う。
障害者とかがいなかったら
そしたら税金だって違うことに使えるかもしれないし、皆さんの迷惑になことも無いしといろいろいい事尽くめだと思う
たまにほんとに生きて居て良いのかなと思います
出来たら居なくなれと言われる方が楽だと思います
逆に、そんなことがないと言われる方が辛い時もあります、今の日本は皆さんが本心でそう思って話してくれてると感じないことがしばしばあるから
もちろんこんな犯行はあってはならないが、一度でも介護職、それも重度障害者施設で働けば頭ごなしにこれを単なる障害者ヘイトとは言えない。
重度障害者施設の職員の多くは最低賃金で働いている。他害に巻き込まれ、地域からうとまれ、家族からの見舞いも労いもなく、コミュニケーションのとれない相手と日々向き合う。食事は職員が口にする物よりずっと上等だし、職員の家より清潔な室内を維持して、利用者の尊厳を守り敬意をもたねばならない。いったい社会から大切に扱われているのはどっちなんだろうと、真面目な人ほど悩むだろう。
障害当事者が悪いわけではない。多くのグループホームの設立が地域によって拒まれている現実がある。そうやって居場所の失った人を必至に支えている職員に対する賃金は正当な金額か、正当な待遇なのか。誰かが支えなければならないのだから。
実家は自営で、長兄、次兄、妻、妹の4人だったが、次兄は大学卒業後早々に家を出て関東で就職結婚。
家業を手伝っていた妹の交際相手は同業の料理人だったので、てっきり義父母の後を継ぐものだと思っていたのだが、相手の家庭が障がいのある長兄の存在を問題視し「将来、面倒をみないことを約束(お姉さんが見ると約束)してくれるなら」と申し入れがあり、妹は押し切って家を出て行った。
憔悴しきっていた義父母や妻を見ていて、当時、別業種で働いていた自分が一念発起して未知の世界に飛び込んだ。
悪戦苦闘、知人店で修業をさせてもらったりして20数年。なんとか義父の後を継ぎやっている。その間、義兄に関しては問題行動もあり苦労した。最終的には施設で世話になったが、家族だって手に負えない事多々。
他人に委ねるのであれば、家族もそれなりの配慮が必要だと常々思っている
私も精神科病棟で働いています。すごくわかる。実行はしないけど。
口には出さないけれど、「余計なことをしやがって」という態度を取られ、「家族すら障碍者の存在を疎ましがってるんだから、障碍者は存在しなくてもいい」という思考になっていったとか・・・
その時、ご家族から涙ながらに感謝の気持ちを伝えられてたら、こんなことにはならなかったのかも、と思いましたね。全てはタラレバの話ですが。
法律には反するけど、自分のしたことは今でも間違ってないと。
子どもを3人育てていますが、本当に幼いときから、それぞれ考え方や、ものの捉え方がそれぞれ全然違う。
家庭環境とか精神疾患ではなくて、生まれ持った特性とか、物の考え方が、こういう行動を起こさせてしまったんじゃないかと感じました。
直接関係無い人は「なんでこんな酷い事できるの?」と思うでしょうが関係ある人に取っては気持ちは良く分かります。
障害者を一律に判断するのは間違っていると思いますが、少なくとも障害を持つ可能性がある遺伝子を持つ者同士は子供を作るべきではないと思います。
正直、家族も内心、いなくなってくれれば、と、思ってるに違いないと思った。
この事件はあってはならない事件だし、被害者には同情するし、その家族にも同情するが、表立っては言わないだけで、結果的に良かったと思ってる遺族は、いると思う。
実際皆は口には出さないが、日本にも旧優性保護法みたいに障がい者を疎ましく思ってきた歴史があり、現代社会においても「いない方が社会を形成しやすい」と考えてしまう人がいても不思議ではない。
植松死刑囚の行動に尊厳があるとは思えないけど、一部は共感できて全否定することはできないんだよな。
手札みたいなもので、できた役によっては重度障害になるし、また、底抜けな善人とか、逆境に負けない素晴らしい人物などにもなるのだろう。
皆何処かしら濃淡あるが、特性・障害の萌芽みたいなものは抱えているので、排除なんてできるわけない。
という、大きな視点での理解はできるけど、身近に居たら綺麗事ばっかりじゃないよなぁ…
これが重度知的障害施設の実情。
この記事を読んだ方は是非、施設へ行ってみてほしい。
きれいごとでは無い現実がそこにはあります。
月という映画も観てほしいです。
なぜか日本では出生前診断はタブーみたいに扱われてるけど、諸外国と同じように全員に適用して産まれる数を減らす。医療費や介助にかかっていた費用を、診断できない障害のある人と介助者へ回すとか必要では。
ぶっちゃけどう思いますか、と。
これは実際にそういった現場でそういった方々を毎日、何年間も診てる、介護してる人らでしかわかり得ない、何かがある気がするんだよなぁ・・・
私自身はそんな上等な人間ではないので、心からそうは思えない。
一番腹立つのは「可哀想だ」と主張する癖に、何もしない人間ですね。
もちろん、犯罪を是認するつもりもない。
この被告の言いたいこともなんとなくわかる。極論に至った身勝手な犯行なのには変わりないです。優勢保護法なども揉めたように答えや感じかたは人それぞれでこれについては人権とか幸せとかは別に置いて非常に難しい問題なのだと思います。
植松のやった事は肯定はできないけど、考えるべき問題でもあると思う。
それほど介護はきついし報われない。であるなら職員への手厚い補助を国がするしかない。
国が老人への手厚い補助をしてるのに若者というか頑張ってる人を蔑ろにするからこういう事件に繋がる。
いくら凄惨な事実を述べられたところで、結局ここで思考が止まってしまう。途中までは社交的に順調に育てたのに、親が悪いというのも違うやろし。
「障害者は不幸しかもたらさない」という彼の考えも一つの考えとしてその存在は認められるべきです。
と心の底から思える人がどれくらいいるかが答えの一端だ
厳しい仕事に薄給でまともな思考でいろって方がおかしいからね
実行しないだけでそう思ってる人は多いのでは?
でもスタッフや家族の心身の疲弊は想像に難くない
ただただその憎悪を殺傷に移す、実行するに至るまでの度胸と覚悟、無敵の人になれてないだけ。
『障害者』と全ての障害者を一括りにしてしまうのは違うと思うけれど、人間として他人に対し極端に理性を制御出来ない系の障害者は生まれて来ないようにどうにか医療だか科学だか進歩する未来がくればと思います。
また1人の人間として言いたい
確かに障がいがあるだけで、人からは冷たい視線が付きまとう。
でも急に大人になって医療ミスや事故などにより障がいを持つこともある
人は誰しも完璧ではない
ご家族や職員さんの疲弊はよくわかります
が、だからと言って動けないひとをいきなりナイフで刺していいわけがない
死んでくれたらいいのにと思う家族はいるが、だからと言って人を殺すことは許されない行為である。
しかし、彼の考えも部分的には理解できる。
障碍者や高齢者の方々の中にはもう死にたいと考えている人もいるかもしれない。
だから望んだ人には安楽死を認めてあげた方が幸せなのかもしれない。
最大多数の最大幸福と考えたこともある。難しい。
そういう自分も精神障害を患っている。施設に入るほどではないが、
自分がこんなことされたらたまったものではない。
やっている事が法的に罪であることが理解できている。少なくとも報じられている内容を見れば自分のやったことに後悔はないようだ。
これはこの犯行の原因の一つに精神に障害があったからというのではなく、この行為に正当性があると言う確信を持っていたと言う方が正しいのではないか?
本人が施設勤務で直接目にした障害者とその家族の置かれている姿。面会に来る家族、来ないままの障害者。かかる費用でもめて喧嘩や騒動に発展する親族。
その状況をストレートに受け止めて、どうしようもできない現状に我慢ならなかったのかもしれない。
極めて冷静・冷徹に、本人の主張する考えを実行に移した「だけ」のことだと思います。
肉親の介護を実体験した時期に、
「あゝ、自分も植松氏と同じ考えになってきているなぁ。」
「自らを精神病院に入院させてもらおうか?」
と悩んだことがあります。
結果的には、ケアマネジャーさんの意見もあって(半強制的に)有料老人ホームに入ってもらい、天寿を全うしてくれたことに感謝している次第です。
「やまゆり園」に預かってもらった家族を殺された「被害者ご家族」の中には、もしかしたら(陰で)ホッとされている方もいらっしゃるかもしれませんね。まさか、とは思いますが…。
単に障碍者大量殺人ではなく、それに対する社会への恨みがあったのでは。
なくならない障碍者への虐待。
家族内殺人、経済的肉体的疲弊。
障碍者本人は幸せなのか?家族は?何のために生きているのか?というジレンマがおかしなサイコに結び付いた。
外国のように、自由な空間というのは日本はほぼなくて、職員も足りない、拘束するしかない、、
これは1人のサイコパスの犯行というよりきちんと考えないといけない問題では。
人間がこれほど少なくなってるのに、超高齢化、障碍者は今後どう生きるのか。
私も重度の障害者を養っているが死んで欲しいと思ったことは一度も無い。一緒に死んで楽になろうと思うことはあるが、少なくとも他人に殺されるなど苦痛でしか無い。
身内の幸せを願わない者などいるだろうか?
重度障碍者と接したことがないけど、自分が想像する以上の何かがあって、この死刑囚と同じような考えを持ってしまう人が自分も含めているのかもしれない(思うだけで行動に移すことはないが)。
植松死刑囚を「死刑で当然、こんな奴は社会に存在しないほうがみんなのためになる」と思っている人の感情に似たものがもしれない。
やまゆり園は重度障害者施設だ。
寝たきりで意思も表現できず食事と排泄を繰り返すだけのニンゲンたち。
子を預けて何年も会いに来ない親。
たまに会いに来るような親も70歳。その子は40歳だ。
彼はこれを歪だと考えただけだ。
生育環境とか関係ない。
あれを近くで何年も見てりゃ、こいつは存在しない方がみんな幸せなのではと一度でも考えたことがない人なんていないよ。親も含めて。
あれは日本でなければ生存できないニンゲンだ。
でも日本はあの人らを生かすというルールでやってる。
なぜそう決めたのか。
それをきちんと説明して誰もが納得してないからこういうことが起きる。
人の命は地球より重い的な戯れ言でごまかすだけだから、納得がないんだよ。
やまゆり園事件はその1つの結果でしかない。
責任能力のない障害者の犯罪が無罪なことも、正直納得してないだろ?
殺したくなることは無限にあって、職員たちは「おい、シジイ!」とか言いながら仕事してるらしい。
こういう施設で働いてるとそうなっちゃうのかも
そういう人らのためのケアも必要
また、省令(法律の具体的な解釈を定める法令)のより、心身の障害として「コミュニケーションの障害」が示されました。
これまでは、国家資格に心身の障害を理由とした欠格事由を設けることは、障害者の社会参加を妨げるとして一部の例外(自動車運転免許の視力など)を除いてはなくす方向でしたが、流れが明らかに変わったと思います。
追伸
一部の人権団体は反発したようですが、「相模原の事件」により障害者団体などが、その反発を押し返したとも言われています。
管理人の率直な感想
単なる優勢思想や障害者ヘイトではないと考えています。
大学時代の教職課程では評判がよく、その後に施設で入居者がお風呂で発作を起こして溺れそうになったときの家族の反応が事件のきっかけになったわけですよね。
彼に待ってたのは絶望に他ならなかったんだと思う。
僕は植松聖の犯行を肯定するつもりはないし、殺人はもってのほかだと考えています。
それは今後も変わりません。
だけど、この件に関してそれを説明しようとすると、多くの人が綺麗事だと捉えることでしょう。
だから自分が障害者になった場合を考えて答えたい。
言葉を選ばずに書くと、もし僕が障害者になって自分が自分だとも認識できず、他人に迷惑をかけまくって、家族に疎まれる存在だけになったとしたら、さっさと間引いてほしい。
即、手を下してほしい。
そういった意味では植松聖の思想を否定できない部分があるのが事実です。
物凄く複雑です。
植松聖のような人間が存在していい訳がないと考えると同時に、自分が病気や老化などにより自我を失った場合もまた存在していいなんて微塵も思っていない。
人間は誰にでも終わりが来る。
自殺じゃない限り人生の最期は自分では選べない。
日本も安楽死や尊厳死について確実に歩を進める時に来ている。
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