【相模原やまゆり園障害者殺傷事件】植松聖の手紙と思想「綺麗事ではない」共感する人々「殺人はいけないが」否定できない人々の声

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ここに一通のぞっとする手紙がある。

16年2月、大島理森衆議院議長の住む議長公邸に姿を現した若い男が、警備の警察官に手渡した3枚の手紙だ。

1枚目には、

〈この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。(中略)障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。(中略)

障害者は不幸を作ることしかできません。(中略)今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。(中略)何卒よろしくお願い致します。(中略)文責 植松聖〉

2枚目は得体の知れない自己紹介で、3枚目はあたかも犯行予告だった。

〈作戦内容 職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。見守り職員は結束バンドで見(ママ)動き、外部との連絡をとれなくします。(中略)2つの園260名を抹殺した後は自首します。(後略)〉

当然、所轄の麹町警察署はこの内容に驚き、植松の自宅を管轄する神奈川県警津久井警察署に事案を通知し、手紙をファクスで送付した。16年2月15日の話である。

この若い男、植松聖(26=当時)が黒のシビックで津久井署に現れたのは、5カ月以上が経過した7月26日未明、午前3時過ぎのことだった。彼の着衣や手元は血に染まっていた。

「奴をやりました」

こう告げる植松にただならぬ雰囲気を感じた警察官は、即座に彼の車を調査。後部座席には、血痕のような茶色に変色した複数の結束バンドがバラバラと落ちていた。助手席には血液が付着したポリ袋。バッグには、血糊がついたナイフと包丁が3本、入っていた。植松は、「やまゆり園の障害者を抹殺した。障害者がいなくなればいい、と思った。このナイフで刺したことに間違いない」と供述したのである。

すでに障害者福祉施設「津久井やまゆり園」職員からの通報があり、別の警察官たちが施設に急行していた。現場に臨場した捜査員は目を背けたくなるような光景に慄然としたという。

植松の供述通り、施設の複数の室内や廊下には、首から血を流して倒れている人間が数十人。刺創が頸動脈に達している被害者もいて、辺り一面、血の海と化していたのだ。

「やまゆり園」に続く通りは40~50台の救急車で埋め尽くされ、地鳴りのようにサイレンが響く中、次々と被害者を搬送していった。神奈川以外の他県からも多数の救急車が駆りだされたが、それでも車両が不足し、息のある重傷者が優先されたためか、施設内には明け方まで遺体が多数残されていたという。

リア充の裏に憎悪

19人死亡、26人が重軽傷となる戦後最悪の大殺りく劇。手紙を見る限り、前々から準備をしていた襲撃犯、植松はどういう人物なのか。

15年1月、25歳の誕生日に背中一面の刺青をツイッター上でさらし、

〈会社にバレました。笑顔で乗りきろうと思います〉

そうつづっていた植松は90年に東京・日野市で生を享け、間もなく現在の自宅に引っ越した。

父が小学校の図工教師という家庭の一人っ子。小中学校は地域の公立に通い、八王子市内にある私立高の調理科に進学し、バスケ部に所属した。

卒業後は現役で帝京大学へ。父親に倣ってか教職課程を選択し、周囲にも、

〈俺、子供が好きなんだ。将来は先生になりたい〉

と話していた。実際に母校の小学校で教育実習も行っており、近所に住む男性によれば、

「私の孫が実習中に教わったのですが、とても熱心で、みんなから好かれている評判のいい先生だと言っていました」

体育会ひとすじの高校時代を経て、大学ではもっぱら飲み会を行うサークルに所属。

別の住民も、

「友達は多かったし、よく自宅にガールフレンドも連れてきていました」

というのだ。

猟奇殺人や無差別大量殺人犯には、しばしばひきこもりなど社会性の欠如が見られる。が、頻繁に仲間が登場するツイッターと合わせ、社交性に富む植松は「リア充」の青春を送っていたのが見てとれるのだ。

一方で、すでに事件の“萌芽”は顔をのぞかせていた。

「教職免許を取るために学生時代に児童養護施設でボランティアをしていたのですが、そこにいる障害者の人たちを話題にして『キモい』『あいつら生きている意味がない』なんて言うのです。『お前、それやばいよ』と注意したのですが、度々口にしていました」(同級生)

しかし卒業後は教職に就かず、なぜか障害者福祉施設である「やまゆり園」に就職。相前後して、自宅でも“異変”が起きていた。

「ご両親が出て行ったのです。お父さんと折り合いが悪いと聞きましたが、夜中にお母さんが『ギャー』と泣き叫んでいたこともありました」(住民の一人)

もっとも隣の男性は、

「あいさつもきちんとできる好青年でした。お互いの家の間の雑草がひどかったので『除草剤をまいてもいいか』と尋ねたら、『僕がやりますよ』と、友人を呼んできれいにしてくれました」

が、心の奥底には邪念が渦巻き、恐るべき形での“発露”は時間の問題だった。その証拠に、

「彼の障害者に対する憎しみはエスカレートしていき、施設の職員でありながら“障害者なんか死んだ方がいい”などと口走るようになっていた。入居者に暴言を吐いたり、暴力を振るったこともありました」(相模原市役所の担当者)

措置入院で大麻

衆議院議長の公邸を訪問した4日後の2月19日、彼は「やまゆり園」を退職する。植松は、自分のツイッターにその日こう書いている。

〈会社は自主退職、このまま逮捕されるかも…〉

表向きは自己都合だったが、直接的な原因は、警察に手渡したあの異様な手紙だったに違いない。これがキッカケとなって、2月19日、病院の精神科に強制的に措置入院させられたからだ。

「入院期間中に検査を受けた植松の尿から大麻の陽性反応が出たのです。本人も吸引を認めましたが、大麻は所持していないと逮捕できない。結局、植松はここでカウンセリングを受け、3月2日に“危険はなくなった”と判断されて退院するのです」(社会部記者)

それから4カ月あまりの間、表向き植松の言動に危険な兆候は見られない。ツイッターにも餃子を手作りした話や友人と遊びに行った話題が続いている。

だが、その裏では古巣を襲うために周到な準備をしていたという。

1年ほど前から植松が通っていた美容院の店長は、

「3月上旬に店に来た時は、“最重度の障害者は安楽死させたほうがいいと思いませんか? 俺ね、神からお告げを受けたんで、革命を起こそうと思うんです”と捲し立てていました」

職員を縛るための結束バンド、そしてナイフや包丁の数々――。

ツイッターでは事件の3日前、友人とモデルガンに興じる写真を載せ、

〈同時刻にドイツで銃乱射。玩具なら楽しいのに〉

とつづっている。これが引き金となったのか、26日の午前2時すぎ、寝静まった「やまゆり園」の東棟1階にガシャーン! という音が響いた。

植松は窓をハンマーで破ると3本のナイフを手に持ち、当直の職員を縛り上げて居室の鍵を奪った。

そして、一部屋また一部屋と開けては寝ている障害者を襲っていったのだ。

犯行時間とほぼ同じ時刻、植松はツイッターにスーツにネクタイ姿の写真を載せ、こう書いている。

〈世界が平和になりますように。beautiful Japan!!! !!! 〉

自らが手を染めた凄惨な儀式を“祝う”ためだったのだろうか。

20年、植松被告の死刑判決が確定した。弁護側は控訴したものの本人が取り下げたのだ。いまだ執行はされておらず、本人は月刊誌「創」に自らの主張やイラストなどを送り、それらは同誌を通じて世に発信されている。

参照元:https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07260551/

植松聖の思想について【ネットの声】

名無しさん
この人の思想に共感出来る部分がある。
名無しさん
この植松、基本的には優しいヤツなんだろうと思う
で、実習時の障碍者施設で感じたんだろ
その子達の親や職員、社会システムの歪さに(ビジネスと割切れなかった)
それらを開放するには、この方法が最適と判断し行動した
ただそれだけ。
名無しさん
障がい者施設を訪問する仕事を14年前までしていたが、障がい者施設で働く人の中には、昔から同じ考え方を持つ人が僅かながらいる。
彼だけが特異な存在なのではない。
また被害者のご遺族の中には、我が子か亡くなったことで心の重荷が取れた方もいるだろう(慰霊碑に名前のない8名の被害者のご遺族など)。
決して綺麗事で済ませられない我々人間の悪感情と、福祉の倫理との間で、最前線の人々は常に揺れ動いているであろう現実から、我々は目を背けてはならないと思う。


名無しさん
自分は障害がありますが、綺麗事なく言えば障害者と居なければって思われることはあるでしょう
障害者とかがいなかったら
そしたら税金だって違うことに使えるかもしれないし、皆さんの迷惑になことも無いしといろいろいい事尽くめだと思う
たまにほんとに生きて居て良いのかなと思います
出来たら居なくなれと言われる方が楽だと思います
逆に、そんなことがないと言われる方が辛い時もあります、今の日本は皆さんが本心でそう思って話してくれてると感じないことがしばしばあるから
名無しさん
事件当初も思ったけど、介護職員としては手紙に部分的には共感する。
もちろんこんな犯行はあってはならないが、一度でも介護職、それも重度障害者施設で働けば頭ごなしにこれを単なる障害者ヘイトとは言えない。
重度障害者施設の職員の多くは最低賃金で働いている。他害に巻き込まれ、地域からうとまれ、家族からの見舞いも労いもなく、コミュニケーションのとれない相手と日々向き合う。食事は職員が口にする物よりずっと上等だし、職員の家より清潔な室内を維持して、利用者の尊厳を守り敬意をもたねばならない。いったい社会から大切に扱われているのはどっちなんだろうと、真面目な人ほど悩むだろう。
障害当事者が悪いわけではない。多くのグループホームの設立が地域によって拒まれている現実がある。そうやって居場所の失った人を必至に支えている職員に対する賃金は正当な金額か、正当な待遇なのか。誰かが支えなければならないのだから。
名無しさん
妻の長兄(故人)が重度の心身障がい者だった。
実家は自営で、長兄、次兄、妻、妹の4人だったが、次兄は大学卒業後早々に家を出て関東で就職結婚。
家業を手伝っていた妹の交際相手は同業の料理人だったので、てっきり義父母の後を継ぐものだと思っていたのだが、相手の家庭が障がいのある長兄の存在を問題視し「将来、面倒をみないことを約束(お姉さんが見ると約束)してくれるなら」と申し入れがあり、妹は押し切って家を出て行った。
憔悴しきっていた義父母や妻を見ていて、当時、別業種で働いていた自分が一念発起して未知の世界に飛び込んだ。
悪戦苦闘、知人店で修業をさせてもらったりして20数年。なんとか義父の後を継ぎやっている。その間、義兄に関しては問題行動もあり苦労した。最終的には施設で世話になったが、家族だって手に負えない事多々。
他人に委ねるのであれば、家族もそれなりの配慮が必要だと常々思っている
名無しさん
自分も介護職員ですが、同僚に山ゆり園の事件の事を何度か持論を話したことがありましたが、あまり理解されず、「俺がおかしいのか?」と思っていたら、本当に共感できるコメントに出会えて嬉しく思ってます。 自分の施設には要介護5で身寄りの居ない言葉も意思も表現できない高齢女性がいます。 定期的に痰吸引をしないと亡くなるかも知れない老人、「この人はなぜ生かされているのだろう」と思っても口にはしなかったが、とある時に上司がはっきりと「こういう人は儲かる」と言っていて、自分の仕事に愕然とした。 決して事実を言った上司が悪いわけでも、この老人が悪いわけでもない、ただこれが現代社会における現実なんだと痛感させられた。
名無しさん
わかる。
私も精神科病棟で働いています。すごくわかる。実行はしないけど。


名無しさん
確か、事件を起こすきっかけとなったのが、入居者がお風呂で発作を起こして溺れそうになったのを助けたところ、ご家族からの感謝の言葉がなかったからという風なことを言っていたようです。
口には出さないけれど、「余計なことをしやがって」という態度を取られ、「家族すら障碍者の存在を疎ましがってるんだから、障碍者は存在しなくてもいい」という思考になっていったとか・・・
その時、ご家族から涙ながらに感謝の気持ちを伝えられてたら、こんなことにはならなかったのかも、と思いましたね。全てはタラレバの話ですが。
名無しさん
この人は障害のある方達と関わる事で、障害者がいない方が世界が平和だと考え、自分が行動しなくてはいけない。自分はヒーローのような感覚でいる気がします。
法律には反するけど、自分のしたことは今でも間違ってないと。
子どもを3人育てていますが、本当に幼いときから、それぞれ考え方や、ものの捉え方がそれぞれ全然違う。
家庭環境とか精神疾患ではなくて、生まれ持った特性とか、物の考え方が、こういう行動を起こさせてしまったんじゃないかと感じました。
名無しさん
妹が障害のある子を連れて出戻ってきたため、実家が崩壊しました。
直接関係無い人は「なんでこんな酷い事できるの?」と思うでしょうが関係ある人に取っては気持ちは良く分かります。
名無しさん
福祉作業所でボランティアをしていた経験がありますが、身体に障害がある方でも、知能に問題が無く、意思疎通ができる方なら介護する側も問題は無いのですが、体に障害が無く、知能や精神に障害を抱えた方に対する介護は精神的に辛いですし、職員に暴力を振るうような入所者がいたこともあり、被告と同じ酷い感情を障碍者に対して持ってしまったことも過去ありました。
障害者を一律に判断するのは間違っていると思いますが、少なくとも障害を持つ可能性がある遺伝子を持つ者同士は子供を作るべきではないと思います。
名無しさん
不謹慎を承知で言うが、どうしようもない重度知的障がい者の身内を抱える、家族のドキュメンタリーを見たことがあるが、そこには疲れ果てた家族と、それでも面倒を見なくてはならないやるせなさしか感じなかった。
正直、家族も内心、いなくなってくれれば、と、思ってるに違いないと思った。
この事件はあってはならない事件だし、被害者には同情するし、その家族にも同情するが、表立っては言わないだけで、結果的に良かったと思ってる遺族は、いると思う。


名無しさん
自分は介護士ですが、例えば植松死刑囚が友達で、事件の前日に「事件を起こそうと思う」と相談され、必死に止めようとするが「なんでダメなの?」と言われる想像を何度もしたことがあるが、何度やっても脳内植松に論破される自分がいる。そして論破されるということは俺もその考えに帯同したのかと自己嫌悪に陥る。
実際皆は口には出さないが、日本にも旧優性保護法みたいに障がい者を疎ましく思ってきた歴史があり、現代社会においても「いない方が社会を形成しやすい」と考えてしまう人がいても不思議ではない。
植松死刑囚の行動に尊厳があるとは思えないけど、一部は共感できて全否定することはできないんだよな。
名無しさん
特性というのは、上手く作用すると強みになる。
手札みたいなもので、できた役によっては重度障害になるし、また、底抜けな善人とか、逆境に負けない素晴らしい人物などにもなるのだろう。
皆何処かしら濃淡あるが、特性・障害の萌芽みたいなものは抱えているので、排除なんてできるわけない。
という、大きな視点での理解はできるけど、身近に居たら綺麗事ばっかりじゃないよなぁ…
名無しさん
植松は犯行時に職員に「この人は喋れるのか」と1人1人問いただし、「喋れません」と言われた人だけ手にかけていったんですよね。彼にとっての線引きは「人としてのコミュニケーション(意思疎通)が出来るかどうか」だったので、そこにラインを引いて話すとまた難しい話ではあると思います。私の従兄弟が子供の頃に引いた風邪で重度障害を患い1歳程度の知能のまま現在40代、1歳ぐらいなのでもちろんご飯も風呂もトイレも全部1人では出来ません。ずーっと自宅で叔母とその子のお兄さんが介護をしていますがその様子を見てると、この手紙の内容を100%否定できない自分もいます。
名無しさん
大量殺人の犯人を擁護する訳では無いが、「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」
これが重度知的障害施設の実情。
この記事を読んだ方は是非、施設へ行ってみてほしい。
きれいごとでは無い現実がそこにはあります。
月という映画も観てほしいです。
名無しさん
実際、何かする訳では無いけれど、自分が何者か分からない状態で医療に生かされている人々をみると、どこかで寿命を受け入れないと不幸が連鎖していると思います。


名無しさん
彼は職員時代に音信不通になるような親を目の当たりにしたらしいね。実際に話しをしたら関わりたくないって親もいたらしい。おそらくその親は世間体を気にして。それで、この誰にも愛されない可哀想な障害者達は生きてる価値があるのか?税金も使われて?だったら処分したらいいのでは?って考えたらしいね。で、犯行に及んた時の話だけど、そこそこ意思疎通が出来る障害者には手をかけなかったらしいよ(メディアは触れなかったがここ重要)。 障害者を殺したと言うより、自分が生きてるかすらわからないくらいの重度の障害者を殺した。こいつは死刑で妥当だとは思うが、それで片付けちゃだめだと思うんだよね。一度みんなで考えなきゃいけないと思った
名無しさん
どうしようもなく暴れる障害のある子を親が介助とか介護者に暴力、みたいな記事には綺麗事じゃないってコメントが多くつく。だからって殺していいわけじゃないけど、現在のシステムは崩壊寸前。
なぜか日本では出生前診断はタブーみたいに扱われてるけど、諸外国と同じように全員に適用して産まれる数を減らす。医療費や介助にかかっていた費用を、診断できない障害のある人と介助者へ回すとか必要では。
名無しさん
現場で働く人たちの本音のアンケートというか、そういったものがあれば知りたい。
ぶっちゃけどう思いますか、と。
これは実際にそういった現場でそういった方々を毎日、何年間も診てる、介護してる人らでしかわかり得ない、何かがある気がするんだよなぁ・・・
名無しさん
この事件を、「可哀想だ、なんて酷いことをするんだ」と、心からそう思う人達はもっと個人的に支援するなり面倒見れば良いんじゃないかな??
私自身はそんな上等な人間ではないので、心からそうは思えない。
一番腹立つのは「可哀想だ」と主張する癖に、何もしない人間ですね。
もちろん、犯罪を是認するつもりもない。
名無しさん
難しいことですけれど、先天的な障害と後天的な障害では訳が違う。頭なのか身体なのか心なのかでも…。
この被告の言いたいこともなんとなくわかる。極論に至った身勝手な犯行なのには変わりないです。優勢保護法なども揉めたように答えや感じかたは人それぞれでこれについては人権とか幸せとかは別に置いて非常に難しい問題なのだと思います。


名無しさん
大阪で歩道橋でお婆さんから幼児を奪って投げ落としたのは軽度の知的障害でしたね。過去数回同じことを繰り返してるけど、毎回軽微な罰にしかなってなかったのよね。健常者なら再犯した時点で重くなってたと思うし、数回も犯罪繰り返してたら猶更の事。
植松のやった事は肯定はできないけど、考えるべき問題でもあると思う。
名無しさん
本能に従えば彼と同様の行動を皆が取る。
それほど介護はきついし報われない。であるなら職員への手厚い補助を国がするしかない。
国が老人への手厚い補助をしてるのに若者というか頑張ってる人を蔑ろにするからこういう事件に繋がる。
名無しさん
では、彼を事前に制し、上手く裁く方法はあったんだろうか?今現在、法的に何かできる方法はあるのだろうか。
いくら凄惨な事実を述べられたところで、結局ここで思考が止まってしまう。途中までは社交的に順調に育てたのに、親が悪いというのも違うやろし。
名無しさん
この事件で裁かれたのは犯罪行為であり思想ではありません。
「障害者は不幸しかもたらさない」という彼の考えも一つの考えとしてその存在は認められるべきです。
名無しさん
私も仕事柄長い間障害の子も見てきましたが、殺すなんてありえないが、逆ならどうなったのか?障害だからと許されるのもおかしいしもし?親であっても考えさせられる話だ。


名無しさん
綺麗事言う人は身内にそれがいる場合か、こういう仕事に従事したことがないやつだから無視。まずは一ヶ月世話してみて感想を述べて欲しい。それから、双方は共生できるのを体感してほしい。まあ、無理だと思うけど。
名無しさん
色んな体験を積み重ねた上でそれでもまだきれいごとを言える人がどれだけいるか分からんけど、そういう人には高給を出していいから今の仕事を辞めてもらってすぐにでも福祉施設で働いてほしいよ
名無しさん
障害者470名、保護者の疲れ切った表情、従業員の正気の無い瞳、発言も理解している。と書いてある。二度と事件が起きないように、犯人本人は罪と罰が必要であるが、その他にも問題があるのでは?と考えさせられる記事である。
名無しさん
このような記事は事件の風化を防ぐ為にも意義があると思います、しかし模倣犯が出てこないか心配にもなります。
名無しさん
精神科の長期入院を機能的にダメにした国にもおおいに責任あると思う。綺麗事じゃなく、世に出してはいけない状態ってあると思う。


名無しさん
重度の精神知的障害になっても自分を生かしてほしい
と心の底から思える人がどれくらいいるかが答えの一端だ
名無しさん
家庭環境ではなく社会環境だと思うよ
厳しい仕事に薄給でまともな思考でいろって方がおかしいからね
名無しさん
思う所があってこういう思想になったんだからしょうがないよね
実行しないだけでそう思ってる人は多いのでは?
名無しさん
間違ってるけど全否定出来ない自分もこの人と同じ何だろうか?と今でも考えてこんでしまう事がある
名無しさん
殺して良い訳はない
でもスタッフや家族の心身の疲弊は想像に難くない


名無しさん
実際は「可哀想で悲しいけど、内心ホッとした」と言う遺族も居ると思う。
名無しさん
家族の想いを叶えるだけなのか・・・
名無しさん
私がこの人になっていたかもしれないし、今後なるかも知れないくらいには、知的障害者に性的被害を受けた経験がある。
ただただその憎悪を殺傷に移す、実行するに至るまでの度胸と覚悟、無敵の人になれてないだけ。
『障害者』と全ての障害者を一括りにしてしまうのは違うと思うけれど、人間として他人に対し極端に理性を制御出来ない系の障害者は生まれて来ないようにどうにか医療だか科学だか進歩する未来がくればと思います。
名無しさん
仕事に携わった事のあるものとして。
また1人の人間として言いたい
確かに障がいがあるだけで、人からは冷たい視線が付きまとう。
でも急に大人になって医療ミスや事故などにより障がいを持つこともある
人は誰しも完璧ではない
ご家族や職員さんの疲弊はよくわかります
が、だからと言って動けないひとをいきなりナイフで刺していいわけがない
死んでくれたらいいのにと思う家族はいるが、だからと言って人を殺すことは許されない行為である。
名無しさん
当然こんな犯行を認める訳ではないし、あってはならない。
しかし、彼の考えも部分的には理解できる。
障碍者や高齢者の方々の中にはもう死にたいと考えている人もいるかもしれない。
だから望んだ人には安楽死を認めてあげた方が幸せなのかもしれない。
最大多数の最大幸福と考えたこともある。難しい。
そういう自分も精神障害を患っている。施設に入るほどではないが、
自分がこんなことされたらたまったものではない。


名無しさん
植松死刑囚が上告を自ら取り下げたと言う。
やっている事が法的に罪であることが理解できている。少なくとも報じられている内容を見れば自分のやったことに後悔はないようだ。
これはこの犯行の原因の一つに精神に障害があったからというのではなく、この行為に正当性があると言う確信を持っていたと言う方が正しいのではないか?
本人が施設勤務で直接目にした障害者とその家族の置かれている姿。面会に来る家族、来ないままの障害者。かかる費用でもめて喧嘩や騒動に発展する親族。
その状況をストレートに受け止めて、どうしようもできない現状に我慢ならなかったのかもしれない。
名無しさん
植松氏は「大量殺人犯」ではあるけれども、「猟奇殺人犯」だとは考えていません。
極めて冷静・冷徹に、本人の主張する考えを実行に移した「だけ」のことだと思います。
肉親の介護を実体験した時期に、
「あゝ、自分も植松氏と同じ考えになってきているなぁ。」
「自らを精神病院に入院させてもらおうか?」
と悩んだことがあります。
結果的には、ケアマネジャーさんの意見もあって(半強制的に)有料老人ホームに入ってもらい、天寿を全うしてくれたことに感謝している次第です。
「やまゆり園」に預かってもらった家族を殺された「被害者ご家族」の中には、もしかしたら(陰で)ホッとされている方もいらっしゃるかもしれませんね。まさか、とは思いますが…。
名無しさん
ここまで憎悪と差別を持つまでもっと根深いものがあったと聞いたけど・・
単に障碍者大量殺人ではなく、それに対する社会への恨みがあったのでは。
なくならない障碍者への虐待。
家族内殺人、経済的肉体的疲弊。
障碍者本人は幸せなのか?家族は?何のために生きているのか?というジレンマがおかしなサイコに結び付いた。
外国のように、自由な空間というのは日本はほぼなくて、職員も足りない、拘束するしかない、、
これは1人のサイコパスの犯行というよりきちんと考えないといけない問題では。
人間がこれほど少なくなってるのに、超高齢化、障碍者は今後どう生きるのか。
名無しさん
元や現役の介護職員がコメントしていて一部には理解を示すような内容が散見されている。中には遺族の中には内心ほっとしている人もいるはずなどと言う。
私も重度の障害者を養っているが死んで欲しいと思ったことは一度も無い。一緒に死んで楽になろうと思うことはあるが、少なくとも他人に殺されるなど苦痛でしか無い。
身内の幸せを願わない者などいるだろうか?
名無しさん
植松死刑囚は「自分のため」ではなく「障碍者自身のため、社会のため」と考え犯行に至ったのかと考えてしまう。
重度障碍者と接したことがないけど、自分が想像する以上の何かがあって、この死刑囚と同じような考えを持ってしまう人が自分も含めているのかもしれない(思うだけで行動に移すことはないが)。
植松死刑囚を「死刑で当然、こんな奴は社会に存在しないほうがみんなのためになる」と思っている人の感情に似たものがもしれない。


名無しさん
「彼が考える正義」を実行しただけなんだよ。
やまゆり園は重度障害者施設だ。
寝たきりで意思も表現できず食事と排泄を繰り返すだけのニンゲンたち。
子を預けて何年も会いに来ない親。
たまに会いに来るような親も70歳。その子は40歳だ。
彼はこれを歪だと考えただけだ。
生育環境とか関係ない。
あれを近くで何年も見てりゃ、こいつは存在しない方がみんな幸せなのではと一度でも考えたことがない人なんていないよ。親も含めて。
あれは日本でなければ生存できないニンゲンだ。
でも日本はあの人らを生かすというルールでやってる。
なぜそう決めたのか。
それをきちんと説明して誰もが納得してないからこういうことが起きる。
人の命は地球より重い的な戯れ言でごまかすだけだから、納得がないんだよ。
やまゆり園事件はその1つの結果でしかない。
責任能力のない障害者の犯罪が無罪なことも、正直納得してないだろ?
名無しさん
認知症の老人介護施設で働く知り合いが言うには
殺したくなることは無限にあって、職員たちは「おい、シジイ!」とか言いながら仕事してるらしい。
こういう施設で働いてるとそうなっちゃうのかも
名無しさん
重度障碍者のために犠牲になってる人がいるのは否定できない。
そういう人らのためのケアも必要
名無しさん
気持ちがわかる。本当に迷惑しかかけない。だけど殺すとは別。
名無しさん
嫌悪しているのに障がい者をお世話する職についているのは、逆に固執しているからなのかな。


名無しさん
まぁ正直綺麗事抜きにしたら・・・ねぇ?
名無しさん
殺された人の家族の記事も読みたいです
名無しさん
家族すら手に負えないから施設にお願いしているのだろうが、それを赤の他人が聖人君子よろしく対応できるわけがない
名無しさん
死刑反対派はあまりこの人のことを話題にしない
名無しさん
重度知的障害者施設に実習で行きました。殺してしまえと言う発想にはなりませんが、確かに生きている価値はないかなと思いました。いい年して尿便垂れ流しで、高い税金で生かされている。私がこの立場なら生きていたくないです。今後は出生前診断でダウン症等、減少するでしょうが、それでも産む人や反対する人は税金の世話にならず自己資金で育ってて下さい。自分が納付した税金が、この人達に使用されているかと思うと幻滅します。やまゆり園の事件は問題提起になっていると思います。


名無しさん
優生保護法と積極的安楽死制度
名無しさん
施設で働き始めた当初は入所者に親身になって寄り添っていたという。おそらく当時は「同じ人間、重度の知的障がい者でも心は通じるはず」という理想があったんじゃないだろうか。ところがそんな理想通りにはならず、自分は寄り添っているつもりなのに入所者からは受け入れられず それどころか叩かれたり罵声を浴びせられたりして 「こいつらは人間じゃない」という方向に針が振り切ってしまったのでは。
名無しさん
画像に沢山のオーブが・・・・
名無しさん
この事件が関係しているかどうかは分からないが、法律の改正により、介護福祉士などの国家資格の欠格事由(資格が取れない、資格があっても取り消される条件)に心身の障害により介護の仕事に支障をきたす者が追加されました。それまでは、犯罪や高齢者などの虐待を行った者等が欠格事由でした。
また、省令(法律の具体的な解釈を定める法令)のより、心身の障害として「コミュニケーションの障害」が示されました。
これまでは、国家資格に心身の障害を理由とした欠格事由を設けることは、障害者の社会参加を妨げるとして一部の例外(自動車運転免許の視力など)を除いてはなくす方向でしたが、流れが明らかに変わったと思います。
追伸
一部の人権団体は反発したようですが、「相模原の事件」により障害者団体などが、その反発を押し返したとも言われています。
名無しさん
彼を単なる異常者だと思う人は、彼よりもよほど残酷だと思いますよ。


管理人の率直な感想

単なる優勢思想や障害者ヘイトではないと考えています。

大学時代の教職課程では評判がよく、その後に施設で入居者がお風呂で発作を起こして溺れそうになったときの家族の反応が事件のきっかけになったわけですよね。
彼に待ってたのは絶望に他ならなかったんだと思う。

僕は植松聖の犯行を肯定するつもりはないし、殺人はもってのほかだと考えています。
それは今後も変わりません。
だけど、この件に関してそれを説明しようとすると、多くの人が綺麗事だと捉えることでしょう。
だから自分が障害者になった場合を考えて答えたい。

言葉を選ばずに書くと、もし僕が障害者になって自分が自分だとも認識できず、他人に迷惑をかけまくって、家族に疎まれる存在だけになったとしたら、さっさと間引いてほしい。
即、手を下してほしい。

そういった意味では植松聖の思想を否定できない部分があるのが事実です。
物凄く複雑です。
植松聖のような人間が存在していい訳がないと考えると同時に、自分が病気や老化などにより自我を失った場合もまた存在していいなんて微塵も思っていない。

人間は誰にでも終わりが来る。
自殺じゃない限り人生の最期は自分では選べない。
日本も安楽死や尊厳死について確実に歩を進める時に来ている。



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