津波で児童74人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校をめぐり、石巻市に賠償を命じた判決が確定したことを受け、亀山市長が遺族に謝罪しました。
東日本大震災の津波で、児童74人が死亡または行方不明となった大川小学校をめぐっては、遺族23人が訴えた裁判で、最高裁は今年10月、石巻市と宮城県の上告を退け14億3600万円あまりの賠償を命じた判決が確定しました。
これを受け亀山紘市長は1日、遺族およそ30人と面会し謝罪しました。
石巻市 亀山紘市長
「決して取り返しのつかない悲劇を引き起こしてしまったこと、愛するお子様との元通りの生活を願うご遺族の皆様には何の慰めにもならないと承知しておりますが、お亡くなりになられたお子様のご冥福を心よりお祈り申し上げ、謝罪の言葉とさせて頂きます。誠に申し訳ございませんでした」
このあと亀山市長は大川小学校を訪れ、慰霊碑の前で黙とうを捧げました。
亀山紘市長
「尊い命を守ることができなかったことに対して申し訳ない。このような悲劇が絶対二度とないように伝えていく必要がある」
次女を亡くした紫桃隆洋さん
「やっと子供たちにごめんねと話してくれたんだなと思った。子供たちに分かるような謝罪をして子供たちに分かるような防災の取り組みを実現してほしい」
大川小学校は今後、震災遺構として保存され、石巻市は保存のあり方などについて遺族と意見交換会を重ねることにしています。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191201-00000003-oxv-l04
みなさんの声
なんでも行政の責任とするのはどうだろうか。
結果責任を問われても。
それほど大変なこと
だから行政には責任がないと思う
大切な子供達を亡くした親の気持ちは痛いほど分かるけど。
それよりも、前を見てこの経験を確実に後世に伝えることが大切だと思います
ここまでして、学校側が謝罪しなければいけなかったのかと。
未曾有の自然災害でした。まして、前もって知る事の出来る台風ではなく、前触れもなく突然起こる地震です。
その時の学校教職員の方々は、生徒さんたちを守るべく、その時考えうる最適な手段で行動した結果の悲劇です。
誰もが冷静どころか、頭真っ白な状態で必死に動いたはずです。
後になって、ああすれば良かったのにとか、こうすれば、助かったはずなのにとか、机上論に過ぎません。
お子さんを亡くした保護者の方々の胸中は察するに余りありますが、一緒に亡くなられた教職員の方々のご遺族の事を思うと辛いです。
辛いのが自分たちだけだと思ったら大間違いだ。
訴えた方は誰かの責任にしたいのでしょうが、あなたなら救えたのかを問いたいです。
避難したがらなかった方々のことも、大きく取り上げられないし。
痛ましいことですが、私が謝罪側だとしたら、苦々しい思いを抱きます。
反省や再発防止は大いにやって欲しいが、誰が悪いみたいな話を続けても亡くなった方々は誰も生き返らない。
前向きな話をしてほしい。
しかし、この賠償金は税金であり私も納めている。皆、同じ震災の遺族と思っていたが、払う人ともらう人がいるのが釈然としない。
私は、未曽有の自然災害とのことで父の死に納得してきたはずだったが…。
この最高裁判決は後世に禍根を残すであろう。
最近の司法の劣化の最たるものと思われる。
少なくとも「先生を断罪」などという垂れ幕を掲げる時点でこの人たちは壊れていると思う。子供を失い壊れてしまったのか、それとも金に目がくらんだのか…申し訳ないがこの人たちは人間として終わっている。もなくなった先生方、そしてその御遺族に心安らかにすごしていただきたい。
要するに、判断してもしきれないほどの津波だったってこと。
ってか、一緒に逃げた先生だって犠牲になってんだし、「我が子だけは特別」みたいに扱うのは、違うとおもう。
でも、地元の老人が避難場所は大川小学校と主張したから、被災しただと思う。
津波の大きさは、誰も想像が出来ない、想定外の災害だったから、責任元は難しい問題だな。
これを教訓にして、二度と被害者が出ないようにして欲しい。
この津波の被害を教訓に来るべき大災害に我々がきちんと備えていくしかない
死にたい人なんていない。
非常時に正しい判断のできる人間がどれだけいるだろうか。
こう言っては残酷だけど、運だと思う。自然災害を守れる人なんていないと思うよ。
先生や行政の責任にするのは、どうなんだろうね。
この震災で被災にあった他の学校の先生方も正常な判断ができなかったはずだと思います。何せあの様な想像もつかないもの凄い高さの津波が来る事なんて・・
やるせない気持ちになりました。
誰かを悪者にしなければならない児童達の親御さんの気持ちもわかります。
でも同じ遺族なのに、そういう親御さんもいることを忘れないでほしいと思いました。
極限状態におかれて、教職員の皆様はパニック状態におかれていたはずです。
決して先生方が悪く言われる筋合いはないと思います。
児童の皆様もおなくなりになりましたが、
犠牲になったのは先生方も同じです。
先生方にも、守るべき人たちがいたと思いますが?
とにかく責任を押し付けあって裁判で血税で賠償金を支払えと言うのではなく、今後このような人災がおこらないように普段からの訓練や対策を十分に行うのが先決だ。
だけどさ、まさか来ないと思った人が皆巻き込まれたのよね。
実際先生も亡くなった訳だし。まさか来ないと思ったから。
津波が来る地域に住んでいる事は?親の責任ではないの?まさか自分の所、自分の子は大丈夫だと思ったから住んでいたのよね。
避難出来ないと言った老人が悪いのかな。まさか来ないんだからやめてくれと思った。
だけど役所は、過去の津波の歴史を調べてきっちり避難させるマニュアルを作る責任は一番あった様には思います。
だけど、それを考えるのは誰なのか?役所?校長?町内?各家庭?難しいし、どれか一つとは言えない気がする。まあ、一番は役所だろうが。
色々事情はあるとは思うが、教訓として、津波が来る所には住まないのが、、何より後世の為ではないのかな。
先生たちも未曾有の大災害の中で、当時の想定の中でできる限りのことをしたと思う・・・
自分が親の立場だったら?
自分が先生の立場だったら?
考えると、いろいろ複雑・・・
この裁判の結果を地元で肯定的に受け止めている人は少ないと思います
誰もこんな大津波がくるなんて想定もしてない
とんでもない威力と尋常ではない高さの津波
子供だけじゃなく大切な人を亡くした人はたくさんいます、そして皆そのことを受け止め支え会いながら生きています
誰かに責任をおしつけてもしょうがないし亡くなった家族を思い供養するとこが亡くなれた方の為だと思っているからです
自分の子供が亡くなったことを誰かのせいにするの勝手でその方が気が済むのだろうけど最後まで子供達を守ろうとした大人を悪者にするのはどうかと思う
この原告の中に元教師がいるがあなたなら子供達全員の命を守る行動ができたのか聞いてみたい
この震災で裁判して誰かのせいにするなんて愚の骨頂
災害は誰のせいでもないと思う、想定外の見たこともない状態だったら、そんな的確な判断は出来ないのではないのでしょうか?
ただ、災害の恐ろしさだけは忘れないよう、避難指示が出たら的確に避難すること。そういう事をきちんと語り継いでいかしていってほしいです
金銭的な補償は求めるべきではないと思うな。
生きる希望を無くした親御さんには気の毒だが、補償や訴訟が目的になっていたとしたら、これからもっと辛い現実にぶちあたることになるよ。
訴訟に勝っても子供は帰ってこないという現実に。
「津波、おだつなよ!」というしかないんじゃないのか。報道も正確になされてない。違和感しか残らない。
それを誰かの責任としてしてしまっていいのだろうか。
ご遺族の方達の心情を考えるとこのような形にせざるを得なかったと思うが、何とも辛い判断だったように思います。
本当だとして、こんなことをその後の責任追及の雰囲気の中で主張することはできなかったと思います。悲劇的な結果の責任を一方的に先生方に押し付けるのはやめていただきたい。
ただし、避難計画が策定されていなかったり、避難訓練がなされていなかったとしたら、行政は非難されるべきでしょう。
また、津波が来るのが解っているのに宅地開発を許した行政組織、そういう所で避難計画を作成しなかったり、避難訓練をしなかった行政組織も非難されるべきでしょう。まそういう場所では大きな津波がくれば人名・家屋に被害が出るのは容易に予想できます。
賠償金をもらったり教員を悪者にしたりするためではないはずだ。
そこはしっかり線引きしてほしい。
津波で亡くなった他の多くの人たちも、誰かの間違った判断や誘導で無くなっているかもしれない。その誰かを責めたくてもその人も亡くなっているならもう責めないでほしい。
大川小のことも、もう判決も出てるし謝罪もしてるんだから、もうこれ以上言わないでほしい。見ている側としてもやりきれない気持ちでいっぱいだ。
事前に避難マニュアルが無かったり、市の車が避難を呼びかけても校庭から動かなくて、親から裏山避難を教わって逃げようとした児童は連れ戻されて死んだ。
その後の検証で生き残った児童の証言メモは無かった事にされて、矛盾のある生存教員の証言もきちんと精査されず曖昧なまま。
裏山は普段から登っていたのに、使われていない危険な山にされていて、三角地帯に逃げるしか無かったような言われ方。
誰が悪いとかじゃなくて何が良くなかったのかを、当初から石巻市がちゃんと調査して明らかにしてくれてればこんなに揉めなくても良かったと思うのに。
普段はアットホームで良い学校だったみたいじゃない。児童も教員も亡くなって生き残った人達がいがみ合うとかやりきれないな。
ご冥福をお祈りします。
いくら事前に学校としての避難訓練してても、実際の災害時は教職員と小学生そして地域の避難者がその場にいる状況になってしまったのだろう。いずれ学校というか行政にある程度の責任があるのだろうけど、この悲劇が学校の教職員と小学生だけの出来事だった如く語られているのには違和感がある。
しかし地域性(津波が何度も来た)などがあれば落ち度も追及されるだろう。
それにしてももしそうなら市は普段から防災、避難などのプロ講師を呼んで各学校を廻り講演させるなどすべきだったのではないだろうか。
それがあれば先生も指示を誤ることはなかったであろう。
対応のまずさが次につながるよう、行政も遺族も同じ過ちを犯さないよう知恵を出して欲しいです。たぶん国民はこの震災で多くのことを学びました。子どもたちに合掌。
賠償金はぜひ防災や減災に繋がるようなものに使って下さい。子供を失うような同じ想いをさせないためにも。
周りは見ていますよ。
誰かに責任があるのか?
こんな事を常に備えるのも難しいだろう。また風化したころに恐ろしい災害が襲うだろう。
何百年に一回の災害を何十年しか生きてない先生が決断するんですから。結果だけ見て先生の責任にするのは酷だと思う。
イジメをやってた先生は名前を伏せて、教員免許も取り上げずに、復帰する場を探してるというのに。
せめて遺族側が受け取る14億3600万円あまりの賠償金は全て災害遺構としても残される大川小の維持管理費に充てるべきと思う。
自分がその立場なら、学校の先生よりまともな判断が出来ると言う絶対的自信があるのなら「罪なきもの、まず石を投げよ」との新約聖書のイエスが言われたようにやれば良い。
私だったら、まず石が投げられるほど、自分が罪なきものとは言いきることは出来ない。
けじめをつけたことは、お互いに感じるところはあるでしょう。
悲惨な出来事。自然の力の怖さ。
将来二度とこのような悲劇を繰り返さないことが供養になる。
あまりにも突然の事故に対する防御判断だろう。
亡くなった親が告訴するのは半分理解できるが先生方も必死でしたことだから私は半分は親の気持ちはわかるが半分?と思う。
だから市長が謝罪すると言うことは諸先生方が悪いと認めている。
ただ私としては今回の告訴は絶対にしない。お金で子供の命を弁償させるなんて理解は出来ない。もちろん反対の意見があるが私は絶対。理解できない。
しかし、震災当日余震が続く中、さらに大きな本震が来るかもというなかで、裏山に行くという判断ができただろうか。
地滑りが起きるのでは、山崩れが起きるのではという予測をした人も
いるだろう。
ひょっとしたらすでに崩れ始めていたかも。その山に、安全だから避難させようと判断できるだろうか。
大川小の先生は当初裏山に避難しようとしていたのに、地元の老人の避難場所が大川小学校になっていたため、老人たちが「自分たちには裏山にはいけない!」と主張したために、反対がわに避難しこのような結果になった。この事実は当初報道されたが、なぜかマスコミは言わなくなり、行政に責任を負わせてこの結果だ。老人たちがわがままをいわなければ子供たちは助かっていたのに
老人たちは寿命だった。小学生だけでも逃げるべきだった。
そうすれば14億は失わずに済んだわけだ。
またマニュアル化した避難方法の避難訓練を最低年に2回は実施して欲しいです。
しかし、国ですら予測できない災害に対して、教師や1つの自治体の責任を追及してもどうにもならないとは思う。
現場であの津波をみて正常な判断ができる人が、私を含めて果たしてどれだけいるだろうか?
時間もない、人数も多いなか一生懸命避難活動をして、被害がでたら責任を問われるのでは、全て自己責任で後は知りませんといった、薄情なことになってしまうのではないかと心配になる。
天災を誰かのせいにするなんて…たまたま先見の明があって助かった子ども、学校があったから、「助かって当然だった」と勘違いしているんじゃないの?
裁判所も含めて。
どうにもならない悲しみや悔しさを八つ当たりで晴らすなんて、身勝手というか、人間らしいというか。
それで気が済んだら、災害に強い街づくりに残りの生涯の全てを注ぎ込んでほしいものだ。
だけど、果たしてこうやって謝罪されて気が済むのだろうか?
皆、必死だった。
自分と同じく必死だった人に謝ってもらうなんて、私なら逆にとても後ろめたいよ。
日本列島に住む限り、災害とは隣り合わせだ。これをやり始めてしまったら、際限が無くなる気がする。
例えば、首都圏の人口密集地で同じ規模の地震、津波が発生したとしたら、遺族が訴えても日本の中枢がマヒして、行政が賠償できる限度額も遥かに越えてくるだろう。
私にも子供が居ます。だから、お子さんを亡くされた親御さんの気持ちは察するに余りある…。
ですが、これはなんだか釈然としない。
当時、ご近所のお年寄りも学校に避難していて、全ての人が避難出来る場所が山では難しいと判断した為に川に向かったという報道もあったようですね。
現場で決断を下した先生方も亡くなっている訳で…
親御さんが先生を悪いと思いたい気持ちが抑えられないのであればそれは仕方ないと思いますが…あの日、あの場所で、先生方は必死に考え悩んだ末に川に向かい、先生達も津波にのまれて命を落とした事は、私は頭の片隅に覚えていてあげたいです。親御さんの悲しみのぶつけようが無くて、こういう賠償の方向に向かってしまったように感じてしまいます。
保護者の気持ちは充分に解る…
しかし、教職員は児童を守る為に必死だったし、児童も教職員のお陰で多少は不安が安心となったはず……
この教訓は活かすべきではあるが、裁判で勝敗を論ずることが悲しい……
私自身も震災当時は津波被災地域に住んでいましたが、いままで経験したことがない津波が来ることを、私はその場で察しましたけどね。
津波が来るから山に逃げようと訴えた児童が何人もいたはずです。親に、普段からそう教えられていたのです。でも、先生たちは聞き入れませんでした。こらえきれず裏山に自主避難しようとした高学年男児数人は、先生たちに校庭に連れ戻されました。集団行動が優先されたのです。助かった児童が証言しています。連れ戻された子供達も亡くなっています。だから、保護者は最終的に訴えたのです。(ソースは当時の新聞報道です。直後から数年後の検証まで)
学校や市とここまでこじれる前に、なんとかならなかったのかとは思います。
そして、震災時の大川小の経過などの事があれほど報道されていたのに、今コメントされている方の多くが、大川小の事例ではない一般論でコメントされている事に、震災の記憶の風化を感じます。
もし、裏山へ避難するというマニュアルをあらかじめ整備しておいて、いざ震災でマニュアル通りに裏山へ逃げるという最善を尽くしたが、それでも、より大きな災難のせいで多くの児童が亡くなったのなら、これは天命として責任を問われなかったかもしれない。しかし実際は、最善は尽くされなかった。
裁判までする必要はあったのだろうか?
南三陸では、数十個あった避難所は2つしか残らず、2つ以外の避難所に逃げた方々は亡くなった。
でも、南三陸の方々は市のせいにはしなかった。
なんか、モヤモヤします。
当初は山に避難しようとしていたのに、地元老人のため多くが亡くなったと考えていいです。
この事実は報道されなくなっています。
なぜでしょうか?
普通に考えれば、老人たちの言う事もあっている。一刻を争う時に子供だけ山にいかせて自分たちはできるだけ高い所にいる事も判断される。人の命に幼いも年寄りも関係ないです。が、考えてみればわかる事彼ら若い子たちの足を止めた事、それで命がなくなった事。ハザードマップは、岡山真備町の時から気になっていました。問いかけもしました。津波の大きさで、逃げる範囲も違う事も、例えそこまで行かなくとも逃げることが大切だと思いました。ハザードマップが書いているからはもう遅いかもですが、その時の判断やら情報を得て行動することが必須ですね。
改めて、怖かったであろうあの日の君たちにご冥福をお祈り致します。
すでに裏山に逃げた子もいたのに大人が連れ戻した?
バスもあった?
助かる方法はたくさんあったのに。
あれこれ尽くして近隣の学校管理下での生徒は誰一人死亡してない。
裏山避難と前日?校長が言っていたことも無視。
報道がされてないから遺族が悪者にされているが
とにかく近隣の学校管理下で生徒の死者はいない。
日頃から「地震が来たら裏山」と家庭で教育されていた子供たちが逃げたがっていたのに。走って避難した子もいたのになぜ大人が連れ戻し、、
裏山に逃げて無事だろうと思っていた家族が多いと思う。
行政を訴えても、市長は形だけの謝罪で痛くも痒くもないもの
司法で解決するべきでは無かった
こんなに捻じ曲げた裁判へ担ぎ込まれた遺族もいるだろう
最悪の惨劇に便乗して、下世話な話 1番得をしたのは誰?
1人あたり数千万円
そこから経費を差し引いたら…
端金を貰っても虚しいだけ
当時現場の先生方は,児童の命を守ることを最優先に考え行動していたことは間違いのない事実である。
しかし,襲来した津波が想定以上のものだったこと等の不利な要素が重なり,その結果,児童74人と教職員が亡くなった。
この責任は現場にいた人ではなく,人の力が自然の猛威に及ばなかった結果と受け止めたい。
後世の人々は,この日起こったことを記憶に留め,何十,何百,千年先かわからないが,同じ災害が起こった時に同じ悲劇を繰り返さないようにしなくてはならない。
児童の命を守ろうと懸命な努力をした教職員の先生方に敬意を表するとともに,犠牲になられた児童,教職員全員が安らかに眠ることができるよう,ご冥福を祈ります。
親御さんの気持ちも痛いほどわかるが、自然の驚異に人間など無力。
とくに大震災の津波はもうだれかがどうこうできることではない。
親が納得したいだけの結末であり、死んだ子どもが喜ぶとは思えない。
被害が出たのは事実ではあるけど、結果論でしかない。
災害避難で賠償責任まで被せたらキリがなくなる。
それこそ責任回避で咄嗟の柔軟性もなくなるでしょう。
結論と言うかなんと言うか、先がある子供達に関しては100%に近い安全な場所に連れてくって言う取り決めで良いんじゃないかな?
年寄りは行けない、「ハイわかりました。子供達はより安全な場所に連れてきます。」
子供達の安全に関してはやり過ぎて良いんだよ。
そこに老人の意見はいらんよ
自己判断できない子供達には、そこまでするか?って言うぐらいの安全対策でよくて、そこに地域の意見はいらんよ。
ランドセルなどが校舎の裏にまとめられていた状態で、献花台に祈りを捧げる男性もいらっしゃいましたが声をかける事など出来ませんでした。「自分の子供がここで人生を終わらせざるを得なかった」そんな現実を背負って生きて行かざるを得ない親御さんの気持ちは容易に想像出来ます。判決はどうあれ、親御さんの気持ちが晴れる事は無い様な気がします。
1円でも裁判できて、判決で今後の対策などしてもらっても良かっただろうし、しっかり貰った分で後世に伝えていくんだろうね。
今度は、管理費や運営費かな?
あれだけ大きな災害で、誰かに責任を求めるのは違和感を感じる。
賠償請求となると、更に違和感。
誰も予期せぬ出来事に対して責任の所在はあるのか?
失くした(亡くした)物は金で解決できるのか?
賠償請求を認められた、自分達だけでも満足できればいいのか?
賠償請求すらできない(できずに亡くなった)人の事は?
その時にそこまで判断出来ない。
どうあがいても絶望。
その時に学校に変更を申し出たけど、聞いてくれなかった?
最終的には学校を選ぶのも親の責任だと思っていないと、我が子は護れないかもね。
イジメも同様。
我が子を護るために転校させる親もたくさんいる。
でも、語るのはつらすぎるんだろう。
事なかれ主義の先生たちに負けて多くの子どもたちが亡くなった。
自分はそれに逆らって生き残った。
ということだろう。
子供を失って、誰かに責任をおしつけたい気持ちもわからんでもないが。
したところで、元の生活はもどらん。
全てが想定外だったんだから。
津波が来なければこんな争いなんて起きなかったのに。
亡くなった方々はこんなこと望んでないよ。
すごいすごい。
大川小を取材した地元紙、それのウェブページ等を読んだが、5年生くらいの男の子だったかな。だいぶ前に読んだので曖昧だが、その子が「裏山に逃げよう。ここ(校庭)は低いから危ない」って大人に聞いた事を覚えていて先生進言したのに勝手な事はするなって怒られた、というのを読んだ。
その子は亡くなり、進言された教師は助かったと。
確かに災害時、パニックにならないように落ち着くのは大事だが、助かる可能性が少しでも高い方に行動するべきじゃないかと。
児童でも解る簡単な事が解らなかった????そんな教師について子供たちがかわいそうだとしか言いようがない。
今回やっとこのような結末に至ったようだけど、当初学校側、市側はは自分達には否がないと言っていたんだから、本当にもうどうしようもない。
子供たちのご冥福をお祈りします
少数の負傷者等に関する責任追及を過度に警戒して、重要性を見誤った過失といわざるを得ない。
子供達のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
遺族の方々は、転任した校長や精神を病んだ先生に今でも真実を聞きたいというのが本音だと思います。
その感覚で言えば、
確実に防げたことです。
あの状況で山に逃げずに学校にとどまって多くの命が失われたことは、はっきり言って「異常」です。
あまりの事態に動転して迷っていて逃げる時間がなかったわけじゃないんです。
この学校の場合には時間的に考えて「迷ってるうちに」というレベルではありません。数分のことじゃないんです。思考停止する時間の長さのレベルではなく、いろいろ後のことを考えて何も決断せず何も行動しなかっただけです。
しかも、三陸地方では小学校低学年でさえ徹底的に津波のことを教え込みます。私は釜石市の山奥で育ちましたが、そんな私たちですら大きな地震がきたらそのあとに津波が来るということは叩き込まれていました。
そういう三陸地方の常識は、日本全国の平均的なレベルとは全く違うんです。
断言します。あれは異常なことです。
誰かに責任を押しつけたい、っていう寂しい根性の持ち主がいて、そこを商売のチャンスにする弁護士がいて・・・。
いやな世の中だ。
我が子を亡くした親の気持ちは分かるが、何処かに責任の所在を求めないとならんもんかね。。
人災だったのこれは。
最悪、最低の市とは石巻市のこだ。
あの当時被災した住民全てが被害者なはず。
被害者同士で争わないでほしい。
災害で亡くなった方達もそんな事望んではいない。
津波は川を遡上し北上大橋に流木が引っ掛かり水流を大川小学校側に
巻き込んだのです水の勢いが無いので裏山の津波到達の水位が低かったのだと思います
三角地帯で亡くなられた方も居ますが
YouTube見れば全部ではないですが想像つきます!
何か言いたくて書きました!
仮に裏山に避難しました、土砂崩れで数十人なくなりました…
原告側は、どうして裏山に避難させたのか…
訴訟を起こすんだよね?
大災害で誰かの所為にして溜飲を下げたい気持ちは理解出来る
だがいくら頑張っても助けることが出来なかった命も多かっただろう
然し今件は無能な学校管理者の責任が大きいと思う
大地震で山に逃げずに海に向かって避難したこと
ダラダラと決断せずに避難するまで無駄な時間を過ごしたこと
決断力と判断力に欠ける人間が率いた集団の悲劇だ
大川小学校と何が違ったのか。
司法の判断はくだされました。
現市長にこれ以上求めるのは酷だと思います
直接悪くない人が謝っているのは違和感がある
明らかにわるいやつが逮捕されない世の中
謝罪は遅い
想定外、未曾有?高い所に逃げずに1時間近くも校庭に留まったことは重大な過失
高台に逃げて助かった人も大勢いる
あの立地で、校庭にいたのであれば、未曾有でもなれれば、予期できなかったでは済まない。
待たせた結果子供たちが亡くなった事実だけが残ってしまった。どう責任を取る。
数十年後に逆に勝手をいってすまぬということになるのかもしれないが。
やるせない気持ちを後世の為に生かす事が大事だと思う。
第一校庭に集めて点呼に数十分、それから低地の方に誘導し、こともあろうか橋の上に連れていく。
もうダメでしょう。
大きな地震の後は高地に移動は当たり前。
彼らには子供をあづかる責任があったはず。
彼らには落ち度はある。
亡くなった教師には申し訳ないが。
十分悪者。想像を絶する大災害だったとしても。
せめて教訓を生かして悲劇を繰り返さない対策を。
ただ、地元の有力者も、心底から津波がココまで来るとは思ってなかった。
悪意があった人はいない。
わざと死なせたわけじゃないでしょう?
話し聞いてるとお金が欲しくてごねたようにしか見えん
「やっとごめんねが聞けたね」お金がないとごめんが聞こえないんでしょうか?
子供を亡くされたことには同情するけど、判決には納得できない。
津波被害を予見できなかった学校側に非があると見なすのは、当然だと思いますよ 笑
自宅にいる時間帯だったとしても助からなかった地域でしょうに
銭金の問題じゃないといいながら、一部が一人当たり数千万円
受け取り、ほかは何もなしというのは何ともせつない話だ。
他の50余りの遺族の心境はどうなんだろう。
じゃあ親のあんたらが傍にいたら、あのこれまで誰も経験してない大津波から我が子を守れたんですかって話。
理不尽さを感じるが、それでも遺族に謝罪した市長は偉いよ。
確かにこの人の責任ではないが、賠償金も税金からで自腹が痛む訳じゃない。
の、いつもの感じ。
その反面ズル賢いし裏表を読む
人の嫌な部分が現れた結果かもしれない
それでも真実は一つ
管理人の率直な感想
裏山に逃げようとした児童たちに対してを老人たちが反対。連れ戻すことになった。
・当初メディアは事実を報じたものの今はタブー
・生き残った児童の証言メモは無かったことにされた
地元住民の方もコメントしています。
地元でこの裁判結果を肯定的に受け止めている人は少ないと。
これが本当なら物凄く問題ですよ。
以前この大川小学校の訴訟問題を取り上げた時に、僕はこの情報を知らず『校庭での待機時間50分』という事実に対してだけ憤りを覚えていました。
そりゃ死ぬぜ!と。
地元の老人たち。
これが本当ならば、老い先短いジジイババア連中が、多くの子供たちを道連れにしたと言っても過言ではない。
糾弾したいがソースがない。
消されたものは見つからない。
ネット上の証言しかない。
真相が分かったところで老人たちは死んでるので、糾弾するのはどうかという現実もある。
市長の謝罪に違和感を覚える人が多いですが、こういった判決が出た以上は、悪くなくても長が謝罪するのでしょう。
それが知事であったり市長の役目の一つ。
今回で言えば亀山市長です。
慰霊碑の前での黙祷は本当に思いのこもったものだと思います。
「なぜ市長が謝罪?」というのは別として、亡くなった児童たちを悼む気持ちは本当のはず。
僕はこの訴訟問題が遺族の賠償金目当てだとは思っていません。
思いたくないという気持ちもありますが・・・。
そんな大人の事情よりも、目を向けるべき先は亡くなった児童たちなんですよね。
浮かばれませんよ、大人たちが金で揉めていたら。
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