スタジオジブリの人気劇場アニメ『コクリコ坂から』(2011年)が、4年ぶりに地上波で全国放映。
宮崎吾朗監督のデビュー2作目となる本作は、興収44.6億円のヒットを記録。
宮崎吾朗監督の父親である宮崎駿氏は、企画・脚本を担当しています。
それまでのジブリにはなかった非ファンタジー作品
建設業界出身、アニメーター経験のなかった宮崎吾朗監督に対して、デビュー作『ゲド戦記』(2006年)では「二世監督」という厳しい声も出ましたが、興収76.9億円という結果を残しました。
『コクリコ坂から』はスタジオジブリらしさを感じさせつつ、それまでのジブリにはなかった新しさも吹き込まれた作品となっています。
宮崎駿作品はSFやファンタジーものが多かったのですが、『コクリコ坂から』は高校生の男女を主人公にした青春・恋愛ものです。
学生運動が華やかだった1960年代を舞台にしているため、現代から見れば一種のファンタジーのように思える世界ですが、ジャンル的には非ファンタジー作品となっています。
【あらすじ】少女マンガ原作ならではの驚きの展開
主人公となるのは、横浜で暮らす高校2年生の海(CV:長澤まさみ)。船乗りだった父親は、海が幼い頃に亡くなっています。
母親は大学助教授をしており、家にはほとんどいません。
海は下宿生たちのために朝ご飯の準備や洗濯をするなど、寮母のように忙しく働いています。いかにもスタジオジブリらしい、明るく健気なヒロインです。
そんな海は、高校に昔からある文化系の部室棟「カルチェラタン」の存続運動をめぐって、学生新聞を発行する高校3年生の俊(CV:岡田准一)と知り合い、お互いに惹かれるものを感じるのでした。海の自宅で開かれるパーティーに俊も参加し、いいムードになるふたりです。
ところが、海が亡くなった父親の写真を見せたところ、俊は顔をこわばらせるのでした。
急によそよそしくなった俊の態度に、海は戸惑います。
少女マンガ原作(原案:佐山哲郎、作画:高橋千鶴)ならではの驚きの展開に加え、海の自宅の下宿人たち、カルチェラタンを守ろうとする同級生たち、さらに出版社を経営する徳丸理事長(CV:香川照之)など、個性豊かなキャラクターたちがドヤドヤと登場する、賑やかなドラマとなっています。
宮崎駿氏が脚本に忍ばせた“歴史の闇”
デビュー作『ゲド戦記』は無我夢中で作った宮崎吾朗監督ですが、2作目となる『コクリコ坂から』は多彩な登場キャラクターたちをひとりずつ丁寧に造形していることが伝わってきます。
俊と海の恋物語を盛り上げるための脇役ではなく、それぞれが高度経済成長期に自分の夢やこだわりに向かって突き進んでいることが感じられます。
宮崎駿作品でおなじみの久石譲音楽ではなく、ジャズ音楽を多用している点も新鮮さを与えています。
一方、「さすが宮崎駿だな」と思わせたのは、脚本にこっそりと盛り込んだ“歴史の闇”です。
海の父親は、朝鮮戦争(1950年~1953年)で亡くなっています。米国とソ連との代理戦争として勃発した朝鮮戦争ですが、実は日本も朝鮮半島で起きたこの戦争に加担していたのです。
太平洋戦争に負けた日本は平和憲法で戦争の放棄を誓ったことから、朝鮮戦争の最前線での戦闘には関わっていなかったものの、海上の機雷撤去や物資の支援などで米軍側に協力していました。
少なくない日本人が、朝鮮戦争で亡くなっています。LST(揚陸艦)の船長をしていた海の父親も、そのひとりだったのです。
日本は表向き、朝鮮戦争には参加していないことになっていたので、この事実は一般的にはあまり知られていません。
でも、朝鮮戦争がきっかけで、敗戦から間もなかった日本は景気が上向きになり、高度経済成長を迎えることになったのです。
海や俊たちが青春を謳歌している影には、戦争という歴史の闇が大きく広がっていたのです。
宮崎吾朗監督の真面目で実直な性格は作品からも伝わってきますが、父・宮崎駿氏のような映画作家としての裏技、物語の重層性も体得できるようになれば、さらに成長するのではないでしょうか。
尊敬と嫌悪、という矛盾する複雑な感情
他の映画監督たちと違い、宮崎吾朗監督はデビューした時から否応なく明確なテーマを持つことになりました。
それは偉大な「父親」という存在をどう乗り越えるかという問題です。
これは宮崎吾朗監督が抱える永遠のテーマであり、宮崎駿氏が多くの作品のなかで触れてきた、逃れられない「呪い」だともいえるでしょう。
宮崎吾朗監督は、父・宮崎駿氏のことを「映画監督としては尊敬している」ものの、仕事漬けで自宅にほとんどいなかったことから「父親としては失格」と矛盾した感情を抱いているようです。
2011年に放映されたドキュメンタリー番組『ふたり コクリコ坂・父と子の300日戦争』(NHK総合)でも、宮崎吾朗監督は父・宮崎駿氏の存在を過剰に意識し、スタジオでもなるべく距離を置こうとしている姿をカメラは映し出していました。
でも、父性的存在に対する尊敬と嫌悪という矛盾する感情こそ、作家らしい重要なテーマのように思えます。
海と俊は自分たちではどうしようもない生い立ちの問題に悩みますが、やがてふたりはそんな難問にも真っ直ぐに向き合うことを決意します。
現時点では、『コクリコ坂から』は宮崎吾朗監督のベスト作品といえるでしょう。
参照元:マグミクス
ジブリ作品に何を見る?「コクリコ坂から」率直な感想は?…ネットの声
というか、大人になるほど好きになりました。子供のときはトトロとかラピュタばかりに目がいってたけど。
老若男女が楽しめる名作というのはどちらの視点でも楽しめる奥深さがある。
日常の中で非日常の扉が開く瞬間を経験するのがファンタジーの醍醐味でしょうね。
全部、大好きです!
それを声高に叫んだり
不幸自慢するのでもなく
淡々と受け入れ生きていく姿に
あの当時の若者の姿を想像します
お話自体は大したことないっちゃ大したことがないが…
当時の日本のまだ若者が自分を持って、しっかり生きていた空気感とか、街並みの様子とかね。
若者らしい夢見がちなところもありつつ、今の子供たちよりも格段に自立している様子とかね。
主人公2人がとても素敵だし、絵もいいんだけど、音楽も良かったんだよね。
ゲド戦記の時は、音楽はとても良かったが、やはり駿さんは天才なんだなぁ…と逆に再確認させられてしまった…
年代が全然違いますが、カルチェラタンの雰囲気が大学のサークル棟のようで「楽しかったなぁ」と思い出に浸ってます。
学生達がみんな活き活き描かれている。
あまりに父親が偉大だと葛藤も大きくなるものなのかねぇ…
二世と言われることに対する反発もあったろうし、有名人の子供って大変そう。
勝手に色々考察して感慨深くなります。
人も純粋で、観ていると気持ちがよかった感じ。
吾朗監督の作品は人の心の機微を描くというか、そういう心の琴線に触れるような描写が駿監督の作品より優れてる気がしますね。
岡田くんがボソボソ喋ってて聞き取りにくかった記憶が。普通に声優さんを起用して欲しかった。
最初の昭和初期の学生たちのドタバタ活劇みたいな感じと後半にかけての戦争による悲話を交えたシリアスな恋愛と非常に楽しめる映画でどの年代層も楽しめるのでおすすめです
最初から見逃さなず見てほしいです
いろんな描写が素晴らしい。
昔の日本はこんなだったなーって思うところが随所にある。例えばタイル張りな流しとか、、。
偏屈な親父様を上手に操縦できるのは吾郎氏だけと、ある本に書いてあった。
個人的にどうしても涙を抑えられないのは、海のお父さんが連れてきた赤ちゃんを、ひったくるように抱きかかえ、乳を含ませるシーン。
セリフはないけれど、お母さんの『帰ってきた…!』が聞こえてくる気がしてしまう
その話をする最後に、お前は俺の本当の息子だと、淡々と語るお父さんにも泣ける。
確かに分かる気がしますね。うちも父親が家庭を省みない人なので。
でも、やりがいのある仕事に出逢える事の羨ましさは、自分が社会人になってから知る事にもなりました。
運動会などに来なくて、回りの家族がどれだけ羨ましかったか。
彼の場合は、比較される人生を歩む事になるでしょうが、それは自分を成長させる1つの要素でもあると思います。評価は世間の目であって、自分の納得出来る作品を産み出していって欲しいと思います。
歴代のジブリ作品はもちろん素晴らしく、大好きですがそれは心血注いだ駿氏達のモノ。
時代が違うし、技術も変わっていく中で同じものを要求してしまうのは酷なのではとも思います。
吾郎氏が勝手に追加したシーンに駿氏も泣いてた作品だしね。
ドキュメンタリーを見るとまた思い入れが深くなるいい作品です。
高橋千鶴の作品は、ほとんどすべて見ました。
コミックも購入しました。
コクリコ坂からは大好きな作品の一つです。
この作品が映画化されると聞いたときは、驚きとともに大変うれしく、懐かしく思いました。
今夜、見たいと思います。
そうなんだよね。このアニメを見に行った後、調べた。
みんな黙っている時代だったよな。発信する方法もなかった。
けど、今は違うよね。
歌もいいし。
ただ声がな。声優さんのほうがいいんだけどなぁ。そこだけは監督に共感できず。
プロじゃないから、声と画がどうしても馴染まず、初見のときに映画に集中できないんだよね。もちろん何度かみれば馴染むし、もうその声でしかそのキャラじゃない、とはなるんだけどさ、それって視聴者の慣れに頼ってるわけで、映画としては失敗じゃない?っていつも思ってしまう。笑
さすがのDNAというか。
ゲド戦記は初監督、しかもそれまでアニメの経験一切無しっていう無謀な状況だったから仕方ない。
この人のインタビューとか記事を読めば分かるが、すごく頭が良いし知識も豊富なんだよね。
それでいて宮崎駿みたいなアクの強い性格じゃないから今の時代には合ってる。
これからの日本のアニメを担う一人になると思う。
CMや特集で本当に飽きるほど惹かれ合う海と俊が実は兄弟かも……って場面ばかり取り上げて、見に行ってもそれが念頭にあるから今一集中しきれなかったし、後半その場面がやってきても驚きはなく知ってたわってなる。で、最後は結局兄弟じゃなかった!って事実が分かっても、やっぱりなって感じで印象が薄くなっちゃった。
あと個人的にエンドロールが短すぎて、え?終わり?って面食らった。
もうちょい余韻が欲しかったので
ただやっぱり宮崎駿の方が、人生経験積んでいる分、同じような映画作ってもそこに差があるのは今の時点では仕方ない。
例えば耳を澄ませば、なんかコクリコに雰囲気はざっくりとは似ているけど、カントリロードを歌わせたり、ファンタジー要素を出すにしてもネコをかましてきたり、何かと時代と絡めた「小ネタ」を挟んでいるのはさすがだなと思う。
やっぱり書き溜めてきたスケッチやノートの厚みが違うんだよ(笑)
宮崎駿は文学小説家みたいな感じ。ひねくれててストレートに表現しないんだよ。
でももっともっと宮崎吾郎が、どんどん作品を作ればいい。
作品を作っていく中でしか、そういったアイデアは浮かばないし、別に似たようなものを作る必要もないだろうし。
女子高なので「色」がなかったですね。
通学路には県内有数の進学校もありましたし御三家の一つでありながら自由闊達な高校もありました。
コクリコ坂は私が高校時代に憧れた自由闊達な空気がありましたよね。
…多少は汚い「色」だったとしても暗黒よりはずっといい
そして何よりご飯が美味しそう!
そりゃ、宮崎駿作品と比べたら重厚さはないかもしれないけど、別に親子だからって父を越えなきゃいけないわけじゃないし、吾郎監督らしさが出てて良いと思う。
繰り返し聞いています。
ジブリの中では地味な扱い?かもしれないけど何故か何度も見てしまいます。普段はトトロばかりの子供も文句言わず観てます。
風景も曇りのフィルターをかけたようで、ジブリ独特のキラキラした感じがない。
初めて観た時にがっかりした。
吾朗氏は、本心ではアニメ製作が好きではないのでは?
ゲド戦記をその後に観て、なぜこの失敗があったのにまた監督を任されたのか?と疑問だった。
あれも原作の思慮深さ、テーマを自らの父親コンプレックスによって台無しにした作品だった。
父親と同じ土俵で、同じ仕事をする限り比較されるのは当然。
残念ながら足元にも及んでいないと思うが、プロデューサーがこの人を起用し続けるのはなぜだろう。
もっと才能溢れる若手、たくさんいると思いますよ。
遠回りのように見える駆け出しの頃の苦労を体験させてもらえなかったのが痛い。
作り手としての進化はNHKで今冬公開予定のフルCGのアニメ特番でハッキリすると思う。
吾朗は「山賊の娘〜」でも家族をテーマにしてたから、そこから離れることは出来ないんだろうな…。
音楽良かったから作業用BGMと化してた時期があったなぁ。
お父様の作品は見入っちゃって作業が逆にできなくなるというか、正座してテレビ前から動かないで見ないといけない感じの作品多いけど、何かしながら流すのにちょうど良い抜け感があってコクリコは日常で流せる映画って感じでなんか好き。
原作のコクリコ坂からは好きでKCなかよし持ってたなー懐かしい。
宮崎駿さんがバリバリの左翼闘士だったことは書かないの?
もしかしたらジブリじゃなかったら見なかったかもしれない。
でも見て良かったと思わせる作品でした。
宮崎駿は、好き嫌いは別にして、同じよーな人は居ない、唯一無二の才能であるのは誰もが認めざるを得ないのでは?
でもお父さんのコネや助力は利用するんだよね。
金メダリストの子という理由で、大会に出た事も無い素人をオリンピックに出すようなもの。
駿監督からだんだん無くなってきたフレッシュな感性というか。
元々、父の名前だけでいきなり監督になれる程、甘い世界ではないはずです。
鈴木さんの戦略で引き継ぎを行ったのでしょうが見事に失敗です。
ゲド戦記を含め本当につまらない作品でした。
父、宮崎駿さんは前作からの期待感から前評判を得て、実際の作品はその前評判の期待を上回るものばかりでした。
だからこそ監督として長年やり続けたのです。
親の名前だけで監督を引き受けるべきではないのです。
弟のハムエッグだけハムの枚数が多いという、現実の家庭はこうだろうという自然体を表現するはずのシーンを、わざとらしく台詞で説明してアピールしちゃうとことか。
池に落ちた男子生徒のシャツが緑に染まっていたのも監督がリアリティにこだわったんだろうけど、それよりもその男子に触れて濡れた手を拭きもせずにそのまま箸を掴んで弁当食べ始める海の行動こそ人間として不自然だったり。。
リアリティにこだわろうとしているのは伝わってくるけど、いちいち中途半端で筋が通ってなくて、かえって物語に集中出来ない。
「ゲド戦記」は、原作と作者を冒涜している。
評価したのは、原作を読んだことなくてジブリだから見た人ではないかね?
コクリコのストーリーとは関係無いが、韓国軍が朝鮮半島南端まで押された時は山口県に亡命政権が設置される話まで有ったんだよな。
中途半端なファンタジーは面白く感じられないし嫌いです。
コクリコ坂は日常風景が見てて楽しくてもう一度見たくなります。
決してコクリコ坂が悪いわけではないんだけど、そんなアニメにはなかなか出会えないから・・・
街並みも海ちゃんのお料理もカルチェラタンもみんな素敵。
カルチェラタンで考古学部?の部室の前にさりげなく国分寺の遺跡関係の箱が積んであるところなどが、小金井にスタジオがあるジブリっぽい。
永遠に残る名作を沢山作ったけどね。
他の監督が作った作品は駄作とは言わないがそこら辺によくあるレベルかそれ以下が多い。
わたし的にはアリエッティとか魔女の宅急便が好きだったなあ
息子さんにもファンタジー作品に是非挑戦してほしいです
しかし、なかなか次回作できないけど
なんかあるのかなあ
あの世界観が好きで、思い出すとキュンとしてしまう。
ジブリ作品の中でも特に好き。
ジブリはご飯を作るシーンもいいですが、おそうじのシーンも多くていいですねー。
コクリコ坂は映画としての最高傑作だけど、全体としてはローニャもいい作品だよね。
今回のコクリコ坂放送のCMでも、もっと宮崎吾朗氏を前面に出していいと思う。
2世にきつい時代なので仕方ないかもしれないが。
「コクリコ坂から」って「なかよし」だと思っていたら少女コミックだったのか。
あとコクリコかなんかで長澤まさみに演技のダメ出ししとる時は笑ったわ。お前みたいなズブの演技素人がベテランの長澤にダメ出しする暇あったらアニメーターの修行でもしてこいってね。
私には合わなかった。内容も声優も。
映画館と家でみたけどやっぱり合わなかった。
ガリ版削っただけで彼女ヅラして、突然タメ口になるとか、海っぽくないんじゃないかって。
人物像のケレン味がどうしてもどうしても気になってしまった。
美術も音楽もとても良かったけれども。
高畑勲好きだからかもしれん。
そんな中でコクリコ坂はわりと新しくて地味だけど、ジブリの中でも屈指の好きな作品だな。
未来の高畑宮崎を目指してジブリに入社したスタッフの胸中やいかに?
覚えてない。
三鷹スタジオ、まだタバコ吸えるのかなぁ…
「魔女の宅急便」「耳をすませば」が好きだとある人に言ったら「え~せめて風の谷のナウシカ」と露骨にバカにされたことがあった。
うる星やつらやAKIRAとかさ…
吾朗監督はいろいろ言われるけど見終わった後じんわり心にくるものがあって好きです
海はもっと元気で仕切り屋の下宿屋の女の子
ドタバタがなくて暗い
でも中途半端な三つ編み…
感極まって泣くシーンは宮崎駿さんお得意
原作どおりならしかたないけど
てかあれってファンタジー世界だと思ってました私も。
宮崎駿に替われる人なんていない
かつての日本人の実直さがよく描かれていると思う。絵もオシャレ
カルチェラタンって何
そんなの漫画に出てこないw
ガワだけ使った全く違う作品なのに「少女漫画らしいびっくり展開」とか言われても、は?としか思えない
長女の私は自分を見ているようで、見るたびに心が苦しくなる。
こんな見方してる人少ないと思うけど…
ノスタルジーだろうか
管理人の率直な感想
どうしても賛否はあるものです。
非ファンタジーだけど、現代から見るとファンタジー。
風景とか建物とか家具とか食べ物とか音楽とか、様々な描写に見入ってしまいます。
個人的に、映画のサウンドトラックを購入する人の神経が分からないのですが、ジブリ作品に関しては納得します。
本作に限らずですが、原作に思い入れがあったり、時代背景に何かしらの考えがある人には受け入れにくいのかもしれませんね。
そういった点で、題材としては難しいんだと思います。
宮崎吾朗監督。
映画監督としては尊敬しているが、仕事漬けで自宅にほとんどいなかったため、父親としては失格という感情を持っている。
いい大人がこんなこと考えてるようじゃダメだな。というのが率直な思いです。
僕の家庭もまさに同様でしたが、「父親として失格だった」とは父親が言うセリフであって息子が言うことではない。無法者とかだったならともかく仕事だったんですから。
いかんいかん。こんなことを思ってると今後また観るときに作品が楽しめなくなる。
『コクリコ坂から』僕は好きです。
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