今、ネットに広がる悪質な部落差別が問題になっている。情報が一人歩きし、どのような意味を持つか深く知らない人も多い「部落」。
「部落」とは、江戸時代以前の身分制度のもと「穢れている」など、排除されてきた人々が居住している場所(部落)をさす。「部落問題」は、その地域に居住する人々や、そこにルーツを持つ人々に対して、受けるべき権利を奪われてきた問題のことである。
云われなき部落差別
ネットに広がる悪質な部落差別について、部落解放同盟大阪府連合会の青年部長として活動している藤本真帆さんは「ネットでは『ここに引っ越そうと思っているけど部落地域ですか?』などの質問が絶えない。アンサー回答の中には『そこは女性がレイプされるところだからやめておきなさい』などの書き込みもある」という。
「そこで女性がすごくレイプされているっていう事実はある?」という質問に、部落で育った藤本さんは「まったくない。すくすく育ちました」とコメント。ネットの情報とは違い、実態は普通の地区と変わらないという。
部落出身者が就職の際に「部落出身」と明かすと、企業から断られることもある。NPO暮らしづくりネットワーク北芝の職員である埋橋美帆さんは「企業が部落の地域が載っている本を手に入れて照らし合わせている時代もあった」と説明。しかし、今はその行為が法律違反となり、企業連合で「人権を勉強していこう」という動きに変わっているという。
企業の意識が変わってきたとはいえ、絶版になった『部落地名総鑑』を復活させようと考えている人もいる。部落の情報発信サイト「BURAKU HERITAGE」のメンバーである上川多実さんも「親の名前や住所、電話番号が部落の関係者一覧リストに載せられた」という。一時期は無断で「家系図や写真までネットに掲載されていた」と胸の内を語った。現在も調べれば『部落地名総鑑』の内容はネットで見ることができてしまう。
法律で部落差別を取り締まれない理由
なぜ、法律で部落差別を取り締まれないのだろうか。教育コーディネーターとして活動する武田緑さんは「部落に限らず『差別をしてはいけない』っていう法律がない」と話す。2016年の「部落差別解消推進法」施行によって、人権擁護に関する法律が制定されたが、現在も差別が残っている。
ハフポスト日本版ニュースエディターの田中志乃さんも「憲法で法の下の平等と明記されていても、その平等が守られていなかったからといって、罰せられることはない」と説明。
前述の「部落差別解消推進法」も罰則はなく、あくまで「差別をなくす努力をしましょう」という法律だ。差別を取り締まることができず、ネット上で部落の個人情報を載せている人が「部落だから差別しろとは書いていない。情報を出しているだけ」と言い逃れしてしまえば、それ以上の追及はできない。
ネットが普及した今、YouTubeにも「部落探訪」の動画が投稿されている。武田さんは「お洒落なコミュニティカフェのある地域が、すごくおどろおどろしいBGMで撮影されている」と説明。武田さんの話を聞いた藤本さんも「(部落とは)全く違う地域を紹介してることもある。悪意がすごい」と同意した。
藤本さんによると、情報が一人歩きした結果、部落ではないゴミステーションのような場所を「部落です」と紹介している動画もあるという。藤本さんは、本来であれば、関係のない場所や人にまで部落差別が及ぶ可能性があると指摘。情報化社会の中で情報を正しく伝え、人権を守るための規則が、今求められている。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181224-00010002-abema-soci
消えない部落差別。ネット普及による顕著な部落へ向けられる悪意。ネットの声
逆に部落を優遇しすぎて、反感を覚えたわ。
未だに、その地域に住んでるだけで周りの保育所は両親が共働きじゃなくても、優先的に入所できるしね。
元々不利益を被った人が、優遇を受けるのは納得できるけど、働かなくても保育所に優先して入れられるって理由で引越して来た人に、なぜ優遇するのか?
でもこれを声高にいうと、差別だ!って言われるんでしょう?
だが、採用に関する部落枠などが利権というか逆差別的になっていることに対しては自己批判とかないし、自分たちは差別を受けている側だから、権利を人一倍主張してもいいというような考えの人間も少なからずいるってのも事実なんだよね。
ただ自分たちは差別を受ける被害者だと言ってるだけでは、共感は得られないと思うよ。
労働者運動や共産主義活動とも共闘して抗議集会や団体交渉を行った時代がある。
その結果、同和対策事業による住環境の改善や地方自治体の採用枠などプラス面もあったが、
「部落は怖い」という意識が生まれたり、「逆差別」「利権」と批判される原因にもなった。
東日本との「温度差」がある原因もそこにある。
「差別を無くす」のは当然として、そこに税金が使われたり、法令が定められたりすると、それらがきちんと使われているのか気になる人も出てくる。「同和対策事業」が既得権益化していたり、差別事件を自作自演する人がいたりしたので、より厳しい目で見られるのではないか。
ある転入生が部落地域の子に壮絶ないじめを受けていました。
内容はあえて書きませんが、普通に傷害罪が適用されるような事を日常的に受けていました。
転入生は根は明るくとても気の強い子だったのでいじめの主犯格に負けないように頑張っていましたし、私や他の友人達とはとても仲良く遊んでいました。
ある日担任が居ない時にいじめがエスカレートし、身の危険を感じたのか逃げるように学校を飛び出して行きました。
私と友人は学年主任に助けを求めに職員室に走りました。
その後の話し合いで、学年主任の放った言葉に小学生ながら絶句したのを覚えています。
「お前達はあの子が部落の子だからそうやって悪者扱いをするのか。それは立派な差別だ。くだらない人間だ。」
こんな状況で育ったいじめの被害者やその子を庇った私達が、部落差別をしないでこれから生きていくのは到底無理です。
それを生み出したのは、一部の利権で潤ったあなた方の先輩の責任
風貌・品格・言動が伴っていないから賛同を得られない。
もちろん差別はあってはならないが、部落・在日問題の根底は表向きなアピールでは変わらんよ。
みんながみんな悪いわけではないが、こうして女性を前面に出すパフォーマンスも薄気味悪い。
まじめに生きてる対象者の方々のためにも真摯に活動して欲しい。
東日本に住んでいて調べれば私の住む町の近くにもかつてあったと出てくるが今の時代にそんな話をする人を見聞きしたことがない。
また、記事中にあるレイプ云々も、そこで生まれ育った人は身内だからされないだけでは?と思われてしまうはず。身内意識はすごくあるって言われてるから。つまり、余所者ならどうなるのかわからない。
恐らく、そういう身内意識、村意識も今やほとんどないとは思う。けど、先にも書いた優遇を良しとしているのなら、何も変わってないと思われるのは確かだろうな。
それから関東に戻り色々知ってくると同和利権で逆差別の存在を知った。
今思うと関西で友人になった部落の人は裕福で、土地は購入してないから転売出来ないので引っ越せないと言ってた。税金も払ってない様だった。
こういう利権を無くして、まだ差別があるのなら声をあげて欲しい。
正直、甘い汁吸って何ぬかしとるんや思う!
同和と揉めたら分かるけど、大勢で押しかけてきて騒ぐんだよ~
だから同和=怖いというイメージしかない。
自分達は弱いから纏まるしかないと思ってるのだろ~けども、それが恐怖に成る。
怖いから避けるは当たり前だよね。
しかもヤクザが多いのも事実。
ヤクザでなくても、やってることは変わらないんだよ。
怖いから敬遠され、敬遠されるから団結し、団結から恐怖が生まれる。
此の負の連鎖を断ち切るのは、どちらからではなく双方からでないと無理。
でもその恐怖を利用して生活してる人もいるから~
うちの方では「部落」は普通に集落の意味で使っている言葉なので
「何で差別になるの??」と思ってました。
身内が働いていた会社(それなりの企業)では、関西への出店進出が決定した際、1番に設置されたのが
同和・部落対策室
だったそうです。
大人になってたいろんな県の出身者と知り合い、いろんな「実体験」も聞きました。
その結果が、少なくとも関西では、それくらい面倒で、恐れられている存在なのでしょう。
一方的に「差別されている!」「被害者だ!」
と言ってる内は何も変わらないと思います。
しかし、過剰な権利行使も撤廃するべきです。具体的に言って、神戸市の小学校で何校かは、他の小学校より授業数が多いや、過去に放課後にその地域の子ののみ、教師が学習補助する事例はありました。教師も対価として、教頭、校長のポストが用意されていますけど。
今の韓国と同じで、当事者は権利を主張していますが、無くなった時の覚悟は出来ているのか、不安になります。後であーだ、こーだと主張されても困ります。
住民税や固定資産税の減税
学校で放課後に塾に、行けないからと、先生が別に補習。
市営住宅の優先など。
今は若い人達は進学や就職で離れて行くけど、残っている人は野蛮なことをしてます。
昔、母に教わったのは赤色の橋が有るところは要注意。
声にできないけど、暗黙の事実
部落に対する優遇をなくさないと、人の気持ちだけ変えるのなんて到底ムリ。
小学生時代、被差別部落内にあった小学校が閉鎖され、地域外の小学校へその地域の子供が通ってくるようになっていたけど、クラスで問題を起こすのはその地域の子供たちばかりだった。殊更粗暴な子は当然のようにヤクザになっていったし、今でもその地域は存在している。
西日本で育った人たちにしてみれば、小学生の頃から独特の道徳授業も受けてただろうし、東日本の人たちとは肌感覚で部落に対する感情には温度差があるだろう。
日常的に関わり、その内部事情を知っているような西日本在住者にしてみれば、幾ら酷い差別のエピソード聞いたって同情の念は湧いて来ない。
本当に差別を無くしたいと感じているのなら、とっくに自治体が特別待遇を止めれば良いだけの単純な話なのに、そうならないのにはそれなりの理由があるんだろう。
1人、2人じゃないよ。
外部の人が当たり前に払っているお金を払わないのが当たり前と思ってるし、自分でやるべき事を行政にやらせるのが当たり前と思ってるし。
あれ?って人の比率は多いと思うよ。
税金や給食費や教習所代とか払わなくていいねんと自慢げに聞かされた記憶がある。
夏祭りはその町だけ最盛期で5百万円以上の補助金が降りてたぞ。
市から補助金の祭りなのに神輿なんかも担げるのは部落地区の子どこだけ。他にもクーラー付きの体育館や公民館、児童館など近隣には一切無い施設が集中している。
当然その事実は隣接する町の古くから居る住民は熟知しており、
「あの部落地区bばかり市から優遇されすぎ」と反感を買っている。
民生員なんかもおなじ町内の住民にやらせているから
「△△のところのOOさんに言えばすぐに(生活保護が)おりる」という話まで周知されていて、これで部落差別だの被害者ヅラする論調がでればかえって次の世代にまで「軽蔑の認識」が受け継がれることになる。
差別をなくしたいなら軽蔑される原因である行政の特別扱いも差別の一種として撤廃してから要求するべきだ。
問題の本質はここにあると思います。
だからみんな嫌がるのです。
確かに昔はただ部落出身者と言うだけで、迫害を受けてきたのは知ってますが、上記の人達を見ると「やっぱりな」となるのです。
部落出身者からすると、そんなのはほんの一部の人だけだと言うのですが、白インクにほんの一滴黒を入れるだけで、全部が黒に染まるのと同じように、そういう人たちの影響がそれだけあるという事です。
自浄努力という言葉は適切でないかもしれないですが、そういう人達をまずなんとかして下さい。
自分が生まれ育った地区ではそういったことはなかったのですが、大学である地方国立大学にいったら、その所在地の市や県ではそういった問題が色濃く残っているようでした。それにプラスして明治大正昭和の戦前に形成された半島からの労働者の居住地区などの問題も複雑に絡み合って良くわからない状態でした。
大学卒業後に金融機関にはいり、えせ同和行為にたいする対処法など教えられ、合わせて筋の人や右の団体への対応マニュアルも教えられましたね・・・・。実際にそういった事例を経験もしましたし・・
結局はその問題を利用して脅したりたかったり、利権を得たりする人が多く、かえって問題が大きくなってしまっていたようにも思います。
小学校に同和教育の専門の人がいて些細な喧嘩も差別、悪口言うのも差別、勝手に消しゴム使うのも差別
夏休み明けには部落に住む在校生が佐山事件等の巨大紙芝居を披露&解放運動の曲を熱唱・・・。治安は悪くなかった
ただ色んな意味で揉め事をお金に変えようとする人多数。他人の交通事故にも口は出す
自分の交通事故ならゴネる、汚れる、むしり取る。もちろん市役所の新卒採用には部落枠が存在。お袋が離婚して知らずに住んだ土地が部落だったのと子供会に入らなきゃ嫌がらせも凄いのもあって声高らかに小学一年~五年までどっぷり解放運動に参加
ある意味洗脳に近い教育だった
六年で引っ越しできたから良かったけど昔からそこに住んでた同級生はそのまま今もどっぷり
変な宗教より質が悪いよ
基本的に差別はダメだし無くせるならそれに越した事はないけど、利権化しちゃっている部分もあるし、ずっとその環境の中で育った人には見えない問題もあると思う。
部落出身者の中にも、それによって被害を受けてきた人もいれば、逆に力を得てきた人もいると思うし。
本人たちは当たり前の事と思っていても、外部者にとっては異様に感じられる事も。部落出身者と接した人の中でも感じ方や経験した事は人それぞれ違うんだろうけど。
今は時代が変わってきているかもしれないけど、少なくとも一世代位前までは、やっぱりどこか異質というか、見下しや差別というのとは違うけど同じ世界に生きていてもどこか違う人達な感じがあったと聞きます。例えるなら「アメリカ社会の中で暮らす華僑コミュニティやコリアンコミュニティ」のような、独自のルールを持ち強固に団結した組織のような。個人的にはやっぱり少し敬遠してしまう。
すくなくとも、あなたの時代には、うまい同和利権はあれど、差別によりつらい思いをしたことはないはず。優遇されたはず。
どう考えても知らなくて良い同和教育集会が多く、ほんまにへきえき。教科書で、さらっと触れたらよきこと。ほんとに差別をなくしたいなら、過去のものにすべきやで。
部落解放同盟のように
それで大金を取る輩がいる限り
無くならないと思う。
被差別部落のご先祖は、別の見方をすれば、絶対的な身分制度の中特殊技能を身につけて、堂々と社会と渡り合った人々とも言えると思います。実は彼らの技術なくては社会は回らなかったわけですから。
差別を煽る人たちは、自分で何かを掴み取ったことはあるんでしょうかね?生まれた頃から自由で平等に扱われてきたのは、誰かがそれを得るために努力してくれた過去があるからだとわかっているんですかね?記事に出ている人たちは、現代社会においてもその途上なわけです。おもしろおかしく扱うべきものじゃない。
京都なんかは、昔共産党が非常に力持ってた時代に
部落出身者を適正な試験無しに、地方公務員に
どんどん採用していった
自分の名前を漢字で書けない、掛け算できない、そんな事は
ごく普通に罷り通った
昭和後期には各部落の支部長が推薦すれば
採用が決まる、しかしそこには何百万と言うお金が動く
こう言った、利権がどんどん大きくなり、
長年、解放同盟の上層部に君臨していると、
御殿のような家が建った。
勤務先は京都市役所だったりするのに…
現在、かなり排除されてはきているが
そう言った逆差別を無くさないと
本当の意味の差別はなくならないんじゃないかな
その後、結婚して四国に移り住みましたが、娘が小学生で初めて被差別地域の授業を受けたときに「知らんかったらよかった、友達の住んでる所がそうかな?って思ってしまう。」と言いました。
同和対策にどこまでの優遇があるのか?詳細は分かりませんが、20年ほど前、被差別地域の30代女性がいて、無職なのに羽振りが良く、ある有名大学に籍を置き、年に数日学校に行けば、年間100万を超えるお金が入ると言いました。60代で毎日パチンコに行ってるようなおっちゃんもその制度を使ってると嬉しそうに言ってました。
自尊心をもって生きたいので、やっかむ気持ちはありませんが、こう言うのは逆差別と言えないのか?と思いました。国民を混乱させる制度ばかりですが、細かく見直して、頑張ってる若者たちが夢を見たり、豊かに暮らせるような社会にして欲しいです。
結婚や就職差別ではなく、他の地域の人との交流が無かったということで、自分の家業を継ぐことや、その地域の人との結婚はしていたので、絶えずに今日まで残っているという証左。
これは、差別されていると感じる側の意見が通る(結婚したいと思ったら結婚出来る。就職したいと思った会社に就職出来る、、等)ことが、当たり前と思う被差別部落出身者の偏見。
結婚も就職も、相手が要ること。相手が嫌だと思ったら、成立しないのが当たり前。
全員が結婚や就職ができているわけではない今の時代に、いつまでも、特別に扱う方がおかしい。
特に公共事業が旧地区内で行われる場合、役所担当者と工事会社担当者が自治会から地元説明会と称した自治会幹部への挨拶に呼ばれ、役所担当者が席を外した後工事会社へ寄付金の強要をしてます。また、同和利権で運営していた団体は時限立法が終了以降に別の差別問題を利用して公共事業を独占的に介入してます。これは旧地区に住んでる方が悪いのでは無く、糾弾を行っていた組織が悪いのではないでしょうか。昔は理不尽な差別に苦しみ嫌な思いをしたと思いますが、もうこの話題は止めませんか。30年前に小中学校で同和教育がありましたが、そこで始めて存在を知りました。今の子供達は知りません。それがこれからの世代の為だと思います。
一生の買い物、差別意識の有無に関わらず資産価値を確認するのは当たり前の話し。
怨憎の歴史だからこそ簡単には片付かないのだろう。
自分は関東生まれだが部落への差別というのはまったく感じなかった。たまに被差別地域はどこなのか聞いてくる人間もいたらしいが差別を肌で感じたことはない。若い人にとっては部落だからなんなの?と理解不能な差別であると思う。自分も理解できない。
利権があり、893とつながりやすいのも知っているがこれこそ部落を生んだ末の負の財産なのだと思う。差別にあってきた側の膿んでしまった気持ちの発露というか。なくなった方がいいものだとおもうが現実は難しい。
西日本に多いようだが、新しい感覚が簡単に浸透しない土地柄もあるのかもしれない。
現在においても住宅開発が全く進まないで、明らかに明治or昭和以前のままで放置されている地域が残っているのか、その為の人の流出入が無く特定の血筋しかいないと断言できるのか。
ネット上でここが部落地域と説明しなきゃ分からない位に周囲との境界線(城壁)などなく住宅地になっていて、そこに先祖代々数百年も暮らしてきました、部落の子孫と間違いなく言える人が存在しているのだろうか。
今の40~50代でそういう人達が明確に学業を受ける事や就職を妨げられたのだろうか。それなら在日問題よりもっと社会問題になっておかしくない。でも今は身なりの整った人達が部落問題を利用しているように感じる。
その頃から思っている事ですが、部落民と言われる人が欧米に行けば、そこには部落も何もありはしない。普通の人間として暮らせます。
日本から、部落の問題を本当になくそうと思うのなら、多額の税金を使う事ではなく、部落問題を風化させる事だと思います。お金で解決出来る物ではないと思います。
もし、差別をしている人が居るならば、それは法律で厳しく罰する事。その上で、差別した側も、された方側も、お互いに歩み寄り、記憶を風化させる事が大事だと思います。
もしかすると、風化しては困る人でも居るのでしょうか?何故、今頃になって、この問題に火をつけようとするのでしょうか?
一部の同和地区出身者が望む。
通らなければ公共の場で
「わしら、部落民を差別しとんのか」
と大声で叫び続ける。
私の母が、関西最大級の被差別地区がある保健所で働いていました。
普通、保健所は市に1つでしょう。その市には5個も6個もありました。支所の前では、
「わしら部落民を差別しとんのか」常だったそうです。
公務員の中にも、ろくに働かず、仕事中、スポーツ新聞読んで将棋うち帰宅する。それで母の1.5倍2倍の1.5-2倍だったそうな。
②一生懸命国立大学出て、同和解放のためその町の公務員りバリバリ頑張ってる人もいるが、彼の口癖は日々、情けない。恥ずかしい。悔しい。だったそうです。
①の人のように楽して生きる。②の人のように汗水流し生きる。
①がいなくならない限り、同和問題は絶対に根絶しません。
なので現時点では中庸としか言わざるを得ないです。
昔部落差別があった土地で、問題として取り上げなかった所は現在では何も問題となっていない、若しくは一部の人間が騒ぐのみとなっている。
しかし、問題解決だと意味不明な対応を浅知恵で行った結果、役所は被差別者にとっての金のなる木となってしまい度々暴力沙汰になっているのが現実。
逆差別というが、実質的に被差別者が優遇される口実となり罪無き一般市民が損をするという意味不明となっている今、私が思うに当り屋しすぎて悪評立っただけで結局自分の責任で差別(実際には区別ですが)されているだけだと断言します。
問題が起きてる事実よりも、起きていない事実に目を向ければ差別問題の原因は明らかです。
が、それを我々が身近に感じることはない。
採用試験でそんな話をすることもない。
買い物で困ることも家を借りたりしても
同じ。ゆえに社会的影響は非常に少ない。
それをを敢えて蒸し返して当事者団体が
既得権益欲しさに活動している状況に見える。
〉部落出身者が就職の際に「部落出身」と
〉明かすと、企業から断られることもある。
これ、盛ってるよね?こんな奴いない。
こうした手段で逆にイメージを悪くして
新たな差別を生み出したり、逆差別と
呼ばれるような利益を得るようなことは
あってはならないと思う。
私が部落差別を知ったのは狭山問題からです。
当時私は何もわからずに差別反対を訴えていました。
しかし、知れば知るほど国や地方自治体の対応、これは逆差別になっていないかと疑問に思うようになりました。
我々の税金でなぜ部落民に対してばかり優遇されるのか?
そもそもエセ同和問題、このことを利権化してお金儲けをしている人たち
今のままでは無くなりません。
全てにおいて平等にしていくことから自治体がしていかないとよくはならないですよ。
よく、黒人差別を問題にしますが外国のことより日本の国内が差別がひどいと思います。
国、地方自治体が部落保護をなくすことから始めないと平等は成り立たないと思う。
場所は関西なら結構あちこちにあるけど、怖いと思う場所ではなかったし、そこら辺の町と変わらないと思う。だって、大阪の梅田なんてほぼそういう地区だったし。丸ビルの周りなんて今じゃ微塵のカケラもないし、ほとんどの人が知らないと思う。今じゃ高級住宅街のイメージがしかない地域も昔は明らかにそういった地区って場所もあるし。
人は差別するのが好きみたいだし、特に日本人は異分子的なモノは排除するタイプだし。
ただ、日本人は魔女狩り的な事はしないよね。村八分はあるけど。そこがまだ良いところかもね。
銀行融資が簡単に受けらて、利息もビックリするくらい安くて、市営住宅県営住宅は優先的に入居できる。住む所がないと、そういう集団の為だけの市営住宅も存在します。
昔、知らないでその地区の知り合いを訪問したら、近所の人に穴があくほどじろじろ見られました。よくよく観察して「アッ」と気づいた。
なんだか違う、、。もしかしたら?と。
よそ者がその地区で何か一つ問題を起こそうモノなら、集団いじめに合うという伝説まであります。
部落差別をなくしたいなら、片方ばかりを非難するのではなく、その集団に産まれた方が我々に溶け込むことです。そちら側の方が一線を引いているように私は思いますよ。
やたらと人権と差別について熱心に教育する小学校があった。その地区の子どもがいない小学校から転校した息子は、不思議がっていました。雰囲気が全く違っていたのです。
情報を隠したり規制したりする方向では、利権を太らせる効用はあっても、差別意識の解消にはつながらないと思う。むしろ、雑多な情報があふれることによって、本当の部落をかぎまわること自体に意味がなくなっていくようにするのがいいんでないかな。
その地域に住んでいるからという理由で全員でないのもわかりますが、一般の感覚からひどく外れた考えや態度の人が多い傾向にあるのは感じます。
保育士をしていますが、地域の子ども達は保育士に向かって、「あほ」「ばか」「しね」など当たり前のように言います。親も同じような態度です。家庭訪問の際に部屋がひどくちらかっていてゴミ掃除をさせられた人もいます。
あくまで傾向ですが、割合は確実に高いです。
本当に被害を受けて、差別をなくそうとしている方はそうでない方が多いですが、利権としてなくされてはこまる人たちもいることは事実です。
そのほかにも保育士として感じることもまだまだありますが、この問題は反社会的な態度の人たちをどうにかしないと解決にはいたらないと思います。
部落が差別ということを敏感になってしまうと、部落という言葉すら知らなかった人までいらない知識をつけてしまい、間違った解釈をしてしまうことがある。
それよりも、いじめや差別の理由を部落だけにしてしまっているのが、根本的に誤りだと思う。部落という考えがない地域でもいじめは起こる。人間は自分は正義だと思いたいので、誰かを悪にして優越感に浸りたい人が存在する。その悪の理由がたまたま部落となってしまっているだけだと思う。
部落が浸透してしまったいる地域に関しては、大人はなかなか意識を変えることは難しいので、まだ偏見を持っていない子供に正しい知識(部落は悪ではなく、悪を勝手に作り出す人が悪である)を教育していってほしいと思います。
下記のコメントにもある通り教育者のレベルを高めていかなければ、決してなくなることはないでしょうね。
平等を徹底することが大事。「徹底できないから」という理由で
逆に優遇したりする面があるから「逆差別だ」と反感を持つ人もいたりしてなかなか問題が解決しない
慰安婦問題や徴用工問題のように、むしろ問題が解決しない事を望んでるひとたちもいるのではないかと勘ぐってしまう
あくまでも個人的意見です。
この人達は「解同」が今まで何をしてきたか分かってるんだろうか?
こちらは普通に付き合うスタンスだったとしても、「解同」はしてもない差別をでっちあげ脅迫し、利権をせまり、被害者を全面に押し出す連中もいる。十数年前の京都の公営駐車場の利権で逮捕された事件は世にでたのは衝撃的やったし、
実際に学校を脅迫し、逮捕された事件がありました。
こちらはふつうに接しようとしても、差別を逆手にする人間がいる限り、こちらも不信になり、なくなる差別もなくならない。
だが、そういう声が大きくなると逆に部落差別を周囲に意識させる事に繋がるのでは?
本当に治安が悪く犯罪件数が多いのなら注意勧告は必要だが、知らなければ知らないままで部落への意識は薄れていくだろう。
そういう意味では、知らなくても良い事も世の中にはある。
部落差別というのがある。→部落って何だろう。→怖い所だな。→犯罪に巻き込まれるかも。→行きたくない。近付きたくない。関わり合いたくない。
負の連鎖に繋がった結果ではないかな。と考えてしまう。
主張は最低限のコンパクトにまとめて主張すればいいのでは。
あくまでも差別をなくすことを主眼に活動すればいい。
ただ差別をダシにして無理な要求を通そうとすれば必ず反発する勢力ができる。
これは部落に限った話ではないけどね。
なんでもそうだけど、やりすぎた権利主張は反感を招きます。
ただ、問題は「部落を無くそう」という意識が
部落解放同盟側に本当にあるのか?ということ。
上位コメの人が書いているようにクーラーが完備されたり
担任が二人だったり、異常な「優遇」があった事もある。
「昔は部落で差別されたから、優遇もあってしかるべき」では
部落差別は無くならない。部落を無くすとか「過去を忘れる」事。
過去を忘れられない以上は部落への意識も残ったままになる。
京都は部落地域の人だけを優先雇用するシステムは公的に存在し
そこで雇用された人が今でもいるし、問題も度々起こす。
その問題に対して批判が起こった時に「差別だ」というのは違う。
もう21世紀だ。部落解放同盟は本当の意味で差別を無くしたいなら
優遇策も含めて部落に関する過去をすべて消そう。
まずはそこからだ。
はっきりいって、部落差別がなくならないのは、部落の人たちが優遇されまくっているからだと思う。
地域全体が貧しい家庭が多かった時代なのに、部落は豪邸高級車当たり前。市役所などの就職も優遇され、私は親に「うちはなぜ部落ではないのか?部落なら裕福だったろうに」と言ったことがあるほど、格差は歴然。
そのくせ、そんな実情を知らない他の土地の人からは「部落がある市内出身ということは、お前も部落の可能性がある」などと偏見の目でみられ、それが原因で婚約破棄された同級生や、就職が取り消された同級生もいた。
20年くらい前の話だから、流石に今はそんなことないと思いたいけどね。
部落差別を無くしたいなら、部落の優遇をやめるべき。それなのに優遇を止めようとすると差別だと騒ぎ出す。意味わかんない。
企業が少し問題があると糾弾会で吊し上げられる。「糾弾会」ってネーミングもどうかと思うが。
地位回復に向けて怒りで対応して良い時代じゃないし問題解決の方法を考え直した方が良いと思う。
町営住宅の家賃がめちゃめちゃ安かったり、車の免許を格安で取れるとか…地域でこういう不平等を先ずはなくさない限り差別は生まれるのではと思う。
部落問題を語るうえで既得権益の歴史は欠かせない。でもこの記事では一切触れられていない。
そういう姿勢が新たな不信感を生んでしまうのではないかと思います。
大変良いことで歓迎されるべき事だと思いますが、私が在住している地域のあるところに部落であった地区があり、そこで建築工事を始めようものならば難癖を付けて金品を要求する輩が出没します。いわゆるヨゴレというやつですが、そういう事をいまだにやっているのも差別が無くならない要因の一つになっていると思われます。
一部だろうけど昔は怖かった。
ヤクザが返り討ちに遭ったニュースもあったし
悪い噂はなかなか消えないし、怖い思いをした人が居なくなり一世代過ぎないと完全には無くならないと思う
「私がその地域の人を嫌っている」と
地域の人達に嘘の噂を流された事がありました。誤解が解消されるまでは、嫌われていました。
人権の専門の公共施設に相談しても責任者が今は若いし、若い人はわからないですよ。
何がって差別されてきた方々の辛さは解らないでしょう。頭では解らない。
冷やかし程度にしか扱われず全然だめでした。
差別を逆手に取る酷い行為だと思いましたが、
信頼してもらえるように誠心誠意の行動をとる事は自分にとっては成長になりました。
誤解が解消されてからは、以前よりさらに何倍も信頼関係が深まりました。
自ら助長して消えかけの火に風を送ってまた火を起こす集団が部落解放同盟である。創設時の水平社の時の理念は微塵もない。
893まがいの人達がいて地元の自治体に深く
食い込んで仕事をもらい、豪華な設備を学校につけ、
暴力と利権がすごいところが多いらしい。
自民党や旧社会党にはこういう人達の支援をうけて
国会議員をやった人達がいたそうで、中には
まだ多くの人が覚えている国政の影のドンのような
存在もそういう人だったとか。
差別は絶対にいけないし、一日もはやく無くなるように法律が必要ならつくるべきだと思う。
しかしだからといって暴力や利権で同和行政予算を
くいものにする連中が許されるべきではない。
部落差別自体は、本来個人の資質とかとはまったく関係のない、無意味で根拠のないものであることは明らかだ。
とにかくいかなる理由であれ、部落地域総覧を作ろうとする人間・団体や、家系図・写真を公表しようとする者、部落出身者であると聞いて求職拒否をする企業、また記事にあるようなYoutuberなど、わかりやすい差別の実行者がまず率直に非難されるべき。
一方で、えせ同和行為者と裏で組みつつ、表で差別の存在を誇張することで、えせ同和行為者の行動環境を与える者もある。
さまざまな形の差別が行われることで不当に誘導される財的・社会的利益に着目することも重要だ。
今はどこで差別があってるのかわからないくらいにはなってきたと思うが差別される側が集団で住んでいたり事あるごとに集まるのは逆にマイナスなんではないか?
歴史として学ぶことは良いけれど、現在も続く差別問題として取り上げるから、知らなかった人も知るようになるケースもあると思う。
部落の地域の友人もいるけど、普通の人だし、何でこんなに問題にするのかも正直わかりません。
個人的には過去の話として、早くお蔵入りにして廃っていってほしい文化だと思います。
一度や二度ではなかった、実際同和地区の人を何人か知ってるが、言動が普通の人とは明らかに違うし、実際に関わってみたらわかるよ。
良い奴とだけ付き合うことにしている。
きれいごとで済まされない大きな問題がある地域であることは間違いない。
行政は甘えを助長する援助はカットするべきだと思う。
常識の理解できないバカが多いことも間違いない。
ただ真面目で頑張っている人間までひとくくりにしてはいけないと思う。
しかし、今この現代社会において部落差別なんか聞いたことはない。あるとすれば世代でやってるだけ。今のたぶん、60以上の人達じゃない?それから下は恐らく差別とかしてないんじゃない?
そんな話になったこともない。
それから、差別とか言うけど、それなりの優遇も受けてない?ある地域が部落と聞いていたが、区画整理も兼ねてだろうけど、その辺一体が全部新築の立派な家に変わった。あれはどうなんだろう。
それから、この記事の若い人達、実害を被っているのだろうか。
その肩書きこそが、部落じゃない人から見たら恐くて、しかも、自分達で差別を逆に助長してないか?
レイプがどうのって言い出したら、福岡なんかネットでは、修羅の国、だぞ。
無法地帯とか。
そんなの真に受けるのもどうかと思うけど。
余りにもマスコミを通してアピールすると、知らなかった人までその意識が生まれてくるんじゃ?と心配になります。
余りにもマスコミを通してアピールすると、知らなかった人までその意識が生まれてくるんじゃ?と心配になります。
地区外だけど、特別なスタッフもいて看護師さんも常駐してる手厚い保育所だからということで少し遠い保育所に通うことになった。
後で知ったが、そこは部落地区の保育所だった。
保育所から集会があるから保護者の方は出席して下さいというので出かけたら、男性がこぶしを振り上げて「我々の同志が️」等アジっていた。びっくりして早々に退席した。
保育所の関係者の方々は、私たち親子にとても良くして下さって本当に感謝しています。
もちろん保護者の方々も、まったく普通の方々でした。
しかし、正直これは逆差別ではないか?ということは何度か感じたことはある。
差別はいけないが、逆差別もいけないと思う。
国民みんなでタブーなしにいろいろオープンに議論することが必要なのではと思う。
日本史で勉強するまではそのことを知らなかったが、学んでから知識として頭にはあったが、まだ続いていたとは…..
事情について知識不足だった自分がなさけない
これは解決というのは難しい問題だと思うけど、いい方向に持っていけたらいいですね
そう考えるとなにも意識することがない僕の住んでいるような地域は自由というのか、それともどこかでそう言う話が話されているのだろうか
一日本人として考えたい
自分の身近では差別どころか区別すらなくて
みんな「いったいなんのこと?本当に今の日本の話?外国か大昔の話じゃなくて?」って感じだった。
それが、平成も終わる今まで残っているとは。
全く意識もしていない外野から見ると
本当に不可解で、差別する人たちが滑稽にすら見える。
それだけ、差別される側にとっては理不尽なのだろう。
たた、コメントをみていると
「区別」が有る限り差別もなくならないのかもしれないと思った。
男と女、日本国籍保持者と外国人のような
明確な境目があるところでの、
その境目を理由に差別してはいけないのではなく、というのとは次元が違う。
そもそも線を引くこと自体がおかしい。
差別をしてはいけないのではなく、
区別することすら間違っていると感じる。
差別をして罰する法律がないというけど、
はっきり言って部落民ははれ物に触るような人なわけ。
余計なことを言うと、差別している、自分が部落出身だから、などと
因縁をつけるのが部落のやり方。
で、現在は一般人より優遇されていて逆差別の状態なわけ。
自分の所では、役所はコネで入るし、落札ものは部落出身者の会社が必ず請け負うし、落札できなかった時は市役所に殴り込んでいって警察沙汰になり新聞にも載ったことがある。
ここまで自由にやっていて何が差別なの?とこの人達に問いたいし、
彼女たちが知らない部落民の別の顔がある。
部落民であることを武器に金儲けをしている輩がいる限り、嫌われるの仕方ないと思う。
差別を取り締まる法律がなくてありがたいのは、部落民の方だと思うよ。
一部の人が部落という立場を利用しすぎて品位を落としてる事実はあると思う。
過剰反応してるのは当事者達なのではないですか?
周りはそんなに意識してないと思います。
利権を得て好き勝手やって税金で楽してる連中が
多数いてる。
差別を問題にするなら同時に利権も問題にしないと駄目だろ。
現在では利権の方が問題有りだと思ってる。
それって差別なのにお得な事は受け入れて差別するなって。。。
差別されるようにしているところも実際問題部落に住んでいる人達もあるのでは?
自分も一般地域から部落に嫁に嫁いだけど、まず部落の人のモラルが違う。。。
路駐は当たり前、道が駐車場になってるゴミはその辺に捨てる。
歩き煙草も平気でする
そーゆーモラルって学校教育を受けれなかった事とは又別問題ですよね。
そーゆー生活感が一般地域との温度差ができるのではないでしょうか?
首都圏では学校設置、区役所設置、
駅設置等、有無を言わさぬインフラ制御
による都市化、価値向上で
部落歴を都市伝説化する事に成功してる。
結論、歴史教養の無いプチセレブの導入
すら実現している。
まぁ、人が入れ替わった事実もあるが、
土地持ちはまんま、ネオセレブを
構成している事実もある。
力技を講じるか、否か、資本主義パラダイムではその必然性が全てを決める、
それだけのこと。
部落民という自覚が仮にあるなら、その
真贋問わず、その理解のもと自身と対話し
行動をら必然性ベースで決めれば良い。
くだらない価値観に踊らされる奴は、
自身も未熟と気づけば良い。
結論、くだらない。
かく言う自分も、暇なだけ。
力学を理解し、自身に必然性を見出すなら
それだけのこと。
くだらない差別、区別ということ。
そこを通ると、部落解放の新聞が各玄関ドアに挟まれていました。
また、道路まではみ出してバイク部品を解体していたり、わざと車が通るとぶつかってくる当たり屋がいます。郵便局員や配達の人達の間では、当たり屋が多いので嫌がられています。徐行なんてものじゃなく、本当にのんびり歩くくらいのスピードで走らないと、「車にはねられた」と言われかねないので超ノロノロ運転で通過しています。
「落ち葉がうちの庭のコンクリートに落ちてシミができたから弁償しろ」とか、かなり癖のある人が多くいると思います。
避けるは、部落の人間ではない私達にもそれなりの理由があります。
今の時代、「部落とは……???」ってなってる人も多いと思うので、風化させるのが手っ取り早い気がするけど
それじゃダメで、部落差別があるよ!って前提でいないと生きていけない人もいるってことかな
あと20年もすれば、日本は主にアジアからの移民を大量に受け入れざるを得なくなる。そうしないと日本の現在のシステムの殆どが滞る事態となる。AIなんかあんまり役に立たないしね。
島国ニッポン過去に経験したことのない、第2の鎖国からの開国。部落問題も少しずつ薄れことを期待します。
福岡空港利権は年間84億円。
童話だから貧しいとは限らない。
竹中平蔵も派遣労働による報酬10億円です。
これらは「七項目の確認事項」
(国税庁・高木文雄)によって所得は圧縮され、減免されています。童話脱税。
役所は採用枠が確保されています。
権利を収奪されているのは、その枠外の人々ですよ。
貧困は一元化し、個別に警察などで対応し、きちんと納税しましょう。>その地域に居住する人々や、そこにルーツを持つ人々に対して、受けるべき権利を奪われてきた問題のことである。
こんな経験をするまではそんな差別身近にあるとは思ってなかったし、家族も反対するような人間だとは思ってませんでした。
自分には関係ないと思ってる人もいつ自分がそういったことに巻き込まれかねないと言うことも十分有り得る。
そしてほとんどの人は捏造された情報であろうといとも簡単に信じ込んでしまうし、後は作り上げられた情報が勝手に、そして半永久的に独り歩きしてしまう。
ってことも多いんだろうな。子供の頃からあそこの地区は部落だからと大人たちが言ってたのを聞いてたことはあるけど、自分は全然そんなこと気にしたことはなかったけどね。
でもたしかにそういった地区に住んでる人の中には、ごく普通の日常会話をしていてもほんの少しでも自分たちの気に障ったことがあるとすぐに「差別だ差別だ!」と殊更に大騒ぎして苦情を入れるということはあったみたいだね。
自分の住む市内はかなり立派な市営住宅が建ってますし。
なのにまだまだ補助金が必要なのか…とむしろ一般の方の差別意識が助長されやしないかと心配。
これから増える外国人の方々が差別に苦しまないように経験を生かして助けになってあげるとか、未来志向で活動すればいいんじゃないかな。
例えばとある施設を借りる場合でも、普通なら2000円はかかるような会議室でも無料。
なぜなら大阪府から補助が出るから。なぜ出るのか?別に交通不毛地帯でもなく施設が著しく古いわけでもない。
答えは部落にあるから。部落以外の合理的説明ができない。これって差別ですよね?
古い差別を知らない私にとっては、故松本復興相の言動、最近の滋賀県が大津市職員がの右翼団体を伴って異動を迫って事件を隠蔽していたこと、京都の環境局、「同和は金になる」という有名な発言、BSE問題、最近のオセロ松嶋の差別発言などが記憶に新しい。
YouTubeの動画を鵜呑みにする人なんてごく一部だし、昔の職業を根拠に差別する人なんて関西でも皆無に等しいと思う。真面目に働いている人をバカにする人なんて本当に極一部。
「部落は怖い」と思われている本当の理由を彼女たちは知っているはず。
なぜいつもここから話を逸らすのか?
子供の頃から古い部落差別の歴史について学んできたのかもしれないけれど、もう少し踏み込んで発信してほしい。
もう平成は終わるのだし、部落代表として語るなら、部落の最近の黒歴史についても考えて発信してほしい。
でも今はそういう地域も開発されて住民も入れ替わり、
全く知らずに暮らしている人も多いのではないかと思う。
芸能人崩れの知人が「芸能界ではタブーだ」と言っていた。
ところがとある事情で奈良に数年住まなくてはいけなくなり差別はダメという考えは覆りましたね。この県は同和地区の発祥の地ということもあり本当にそこらじゅうがこのような地区でもう地獄のようでしたよ。
この県は皆さんあまり興味もなく知らないと思いますがまあ住んでみればどういうところか、住んでるのがどのような人たち身かをもって理解させられます。
こればっかりはそのような人たちと実際に接してみなければわからないと思います。
二度と住みたくないどころか足を踏み入れるのも嫌な県です。
今は地元に戻りこの県にいたことはいざという時には教訓にはするけど日々の生活では嫌なことしか思い出さないので忘れようと努めてますが、こういう記事が目につくとやっぱり思い出して吐き気がしてきます。
わからないんだが、産まれは選べないが、住む環境は変えられるじゃない。
高級住宅地を代表される様に、住宅に適さない地域ってのもあるじゃないですか。血族や氏名でってのもあるから、一概には言えないが、差別を回避する術もあるよね。
安いから居続けてるのかな?その地域に入りたくない人は高くても場所は選ぶよね。覚えの無い差別は駄目だけどね。
子孫を差別から本当に救いたければ、必死の思いで新天地を求めて引っ越すと思うけど
差別を盾においしい利権を手放せないからじゃないのかなと勘ぐってしまう
どうかをチェックしている実態はまずないのでは? むしろ、差別と
非難されないように注意していると思うが?
市役所などの採用に当たっての、いわゆる同和枠は関西にはあると
聞く。実際、京都市長が職員の度重なる不祥事(逮捕事案)に関して
謝罪した際に枠の存在を認めている。
これを「逆差別だ!」という声もあるが、民間企業への採用が困難
だった時代には一定の意義はあった。また、採用されているのは
清掃局など現業部門であり、ゴミ処分場などで汗を流している。
いずれにせよ、興味本位で騒ぐようなことではないし、歴史的な
経緯もあるのだから、そこらをすっとばして「部落利権」だなどと
騒ぎ立てるのはおかしなことだと思う。
…と、思ってたけど。利権やらなんやらにしがみついて美味しい思いしてる人もいるから、部落自体なくならないし差別もなくならないんだと思う。
問題は差別する側だけではないよね。もちろんされる側だけでもない。
まともな人が被害被るのが可哀想ではある。
嫌な事にはすぐ差別って言うけど部落だからって逆に優遇されてる事もあるでしょう。
そう言うところは一部の障害者様みたいだよね。
差別はダメだと思うけどなら優遇も辞退すればいいと思う。
こうやって出す事で知らない人も部落を知るんだよね。迷惑な人もいるはず。
現実問題として綺麗事を言っていても金融や保険業界等、採用時の調査項目にいわゆる部落とされている地域や、大阪で言えば下の方じゃないとかの確認は公然の秘密として行われている。
臨む側もそれを危惧して本籍や住所を洗ったりする。附表とって出生から遡ったりするケースもあるぐらいだから社会タブーとして何かがあるのは否定出来ない。難しい問題だ。
佐賀の人と仲良くなった時にも普通に部落出身ですか?とか聞かれたり自分は部落地域の出身なんですけど大丈夫ですか?とか会話の中に出てきて最初はなんで?そんなの気にしてるのかな?って思ってたけど根深い差別が残ってるんだなぁって思ったよ!
自分はずっと東京生まれの東京育ちだったからそういうのは気にしてなかったし部落の事とかは身近には感じたことが無かったしそういうのがあるんだよってくらいの知識と認識が無かったから佐賀でそれを身近に感じて余計驚いた!
必ず後日、地域の大人・先輩・後輩など複数人が一緒にやってきた。
部落に関してこういう時代・由来があったと学ぶ事は必要と思うが、
人間、やっかみ等あるものなので
それゆえ余計一括りでよからぬ印象を持ってしまう事も・・・
知り合いが部落の人と結婚し、いろいろ優遇があるけど
特別扱いされたくないから払うべきものは払いたいと言ってますが
払う必要はございません、と受け取り拒否されてる事が多々あります
結局は、部落の人、それ以外の人、行政、
それらすべての意識の問題かと。
努力せずに、何でもかんでもうまくいかなかったり、仕事での怠けを注意でもされると、差別という
今時の人は、部落とか関係なく知らずに育ってる人がいて、平等に接しているのに、部落の人たちが自ら『わたしは部落です。差別されてます。』若しくは、差別するなよという威嚇をして、自分たちで差別を作っているところがある
だから、部落の人とは距離置こうと思うし関わりたくないと思ってしまう
部落の人じゃなくても、ややこしい人とは面倒くさいもの
こうやって、剥きになって部落は普通って言う事もないでしょ
部落じゃなくても、差別はあるんやから
いちいち、いつまでも差別意識持つなよ
うっとうしい
残念だけど・・・もう時代が違うからさー少しは、一般人側に立って物事考えれるはずじゃよ。
優遇ではなく、不当に不利な状況に置かれているのを少しでも埋め合わせようとする試みの一つでしょう。
ズルい人、図々しい人なら、どんな集団にもいます。
仮に、差別を受けてきた人たちの中に、そういう人が多いとしても、差別されてきたために性格が歪んでしまったのかもしれないではありませんか。
まして、よそから入ってきて「優遇」されようとするちゃっかり者がいるからといって、差別されてきた人たちや何とかしようとする試みを叩くのはお門違いです。
ヤフコメはモグラ叩きゲームではないはず。脊髄反射的に叩くことなく、よく考えましょう。
同時に現在において言われている利権や逆差別的現象、
企業や個人に対する集団脅迫じみた行動について一切言及しないのは、
説得力に著しく欠けると思う。
否定でもやむを得ずそうなっている理由でもいいから、
被差別側からはどう思っているのかを示して欲しい。
そうでないとこの問題をいくら訴えても、
みんな表面的には彼女らに賛同しても、
その場限りの話にしかならないと思う。
管理人の率直な感想
ん~みなさん、結構な熱量をもってコメントをしてらっしゃる。
ハッキリ言って僕は部落差別に関心がありません。
じゃあ何故記事にしたのか。
これだけの人々が部落に対して様々な意見や見解を持っていて、ネットでの云われなき悪評を知っているからです。
何ですか「部落探訪」って。
くだらない。
僕は部落出身でも何でもないですし、学校でも部落の問題に関して触れる機会もありませんでした。
部落といえば西日本に多いイメージなのですが、僕は西日本の人間ではありませんし。
だから昔から無知だし関心もない。
部落だろうが何だろうが「良い奴とは仲良くする」し「嫌いな奴は嫌い」です。
分かってると思いますが人格者ぶってるわけじゃありません。
逆かも。
「部落というものをちゃんと理解した上で付き合い方を考えてくれ」という人間にとっては僕は『悪』なのかもしれない。
「部落出身でも普通に接してくれるのか」という人間にとっては『善』なのかもしれない。
分かりません。
単純な話なんですけどね。
良い奴か嫌な奴か。
部落とか関係ないってだけの話。
あれですよ、昔あった「団地の子とはあまり遊ばないように」っていうやつと同じじゃないですかね。
「いや、遊ぶし」ってなもんです。
小さいころから部落差別と向き合ってきた方々からすれば生ぬるいことを言っているのでしょう。
申し訳ありません。
でも、これが本音です。
何なんだ部落探訪って。
探訪してどうすんだ。
図書館にでも行った方がよほど有意義でしょうに。
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