話題を呼んだ衝撃的ノンフィクションコミック『酔うと化け物になる父がつらい』
最近、自身の衝撃的な体験を描くノンフィクションコミックが多く刊行されているが、中でも菊池真理子さんの『酔うと化け物になる父がつらい』は、アルコール依存症の父と新興宗教信者で自殺する母との生活を描いて話題を呼んだ。
作者、菊池真理子さんが語る「自分の家庭」
「私は子どものころ、自分の家がおかしいとか変だとかあまり感じなかったんです。父が酔っ払うのも、母が1日中、泣いているのも深刻に考えていませんでした。
母が自殺したときは中学生で、さすがに自分の家庭が“普通”からはずれていると気づいたのですが、その現実を見ないように人前では明るく元気なふりをして、仮面をかぶって生活していました」
■つらい体験を語るには勇気が必要だった
大人になった菊池さんは、人から優しくされるとどうすればいいかわからなくなったという。
「自分への評価が低いから、困ったり疑心暗鬼になったりしてしまいます。だから、優しい人よりも、大酒飲みや私を殴る人と付き合うほうが、私にとっては“わかる”世界で、むしろ居心地がよかったんです。自分の中のハードルが低いんですね。
というのも、父のことはただの酔っぱらいだと思っていたのですが、ある取材の際、父がアルコール依存症だったんだと知りました。以前は自分が生きづらいのは母のせいだと思っていたんです。しかし、前作(酔うと化け物になる父がつらい)を描くことで、父が問題だったんだと気づきました。遅いですよね(笑)。それと、読んだ人から“こんなにひどい親がいるんだ”という反響が多くて、自分もつらかったと言ってもいいんだとわかったんです」
【有名無名11人の赤裸々な体験談】新作ノンフィクションコミック『毒親サバイバル』
『毒親サバイバル』は、菊池さん自身を含む11人が親から受けたひどい仕打ちを告白するノンフィクションコミックだ。
「前作を出したあとで、ほかの人の話を聞いてみないかと出版社からお話をいただき、やってみようと思ったんです」
それで取材を始めたが、菊池さん以外の10人に登場してもらうまでに、何人にも断られたという。
「おそらく20人以上に断られました。理由はさまざまです。私自身もそうでしたが、“毒親”という言葉に抵抗があるのかもしれません。特に子育て中の女性で取材を受けてくれる方はなかなか見つかりませんでした。勇気をもってここに登場してくれた10人には、とても感謝しています」
■菊池真理子著「毒親サバイバル」はこちら
■苦しい体験を経たから人を思いやれる
本書に登場する10人は、親から虐待されたりネグレクトされたりして育った。
漫画化するにあたり、優しい絵を描くことを心がけたと菊池さんは言う。
「毒親」に苦しめられた過去を持つ彼らは、いまそれぞれの世界で頑張っている。
親という存在は手ごわくて、相手が亡くなってもつらい気持ちは残る。
私たちは、「毒親」に苦しめられている子どもに何ができるだろう。
菊池さんにとっての漫画は、親からの逃げ場所。いまはそれが仕事になっています。毒親をめぐるトークイベントでは、「自分と似た体験を持つ人がこんなにいるのか」と驚いたそうです。
親から暴力を振るわれたり満足な食事を与えられなかったり、虐待を受ける子供は増えている。
増えてはいるが、その事象は今に始まったことではない。
今のこの時代、メディアが取り上げるから表に出るだけであって昔からあるのだ。
いわゆる「毒親」のもとで子供時代を過ごしてきた人たちがネット上でも実体験を含め議論を交わしている。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181109-00013681-jprime-peo
酒、ギャンブル、暴力、宗教、ストーカー化する毒親たち。ネットの声
大学~社会人になり、周りが抵抗なく親の話する機会増えると違和感が。みんな普通に親に感謝、尊敬してると言う。びっくりしました。ドラマで親を思う子が出てきてもフィクションだと思ってましたから。なんで真剣な顔で親を良く言えるのか、不思議でしょうがなかった。
でも友達に言っても信じてもらえない、逆に許すべきだと説教されました。同じ思いをした毒親もちの人多いのでは?今はこうしてネットで同じ境遇の人と共感しあえるので助かります。初めて自分だけじゃないんだと思えました。
同じ境遇の人が少しでも救われたら幸いです。
小さい頃から酒を飲んで暴れ子供を訳もなく殴り家中の家電製品やカーテンレールを折るは壊すは。窓ガラスも割れ、とても毎日が辛かった。
70近くになり力も弱くなり昔のようにはいかなくなってはいるが、暴言がすごい。
夜中に酔っぱらって、お母さんが◯ックスさせてくれないとか呂律の回らない電話がかかってくる。70迎えるのに。生理的にも無理。
父親の実の姉から溺愛されていて、子供を訳もなく殴ったあとでも、あなたはいい子。あなたは何も悪くないのよ。と父親にいう。父親は自分を省みることができないだけでなく、自分ほど素晴らしい人間はいないと抜かす。
早くポックリ亡くなってほしいと切に願う。
結婚してからストーカー行為が止んだ思ってたら娘夫婦がわざわざ巣作りしたとこ見計らって破壊する為だったのねって感じでした
ある程度、予想してた気がしますが
まさか孫まで不幸になることはやらないだろうと思ってました
義母に「虐待されて育った子は子供を虐待する」と罵られ私もあの毒母見られたら仕方ないな‥と思い親権を取られそうになったのを機に離婚しました
ネットで、親の行動が理解できない!と書き込んだら「お母さんは娘が幸せになるのが許せないタイプだね」って返信をもらい、生まれてから今までの出来事が一気に腑に落ちました
父が家庭内のことは見て見ぬ振りだったので
昔から自分を大切にしてくれる人とは一緒にいて居心地悪く感じます
それはこれからも変わらないと思います
習い性って奴です
でも、すごくすごくすごく変わってる。
2人で出かけたこともないし、産後の面倒も見てもらわなかったです。母と心が通じたことが無いです。
今、私がして欲しかったことを子供達にしながら行き場のない思いを消化してます。
心身を傷つけられたわけでないから贅沢かもしれないですけど。
お母さんが好きって言える友達が羨ましかったな。
夫が「お前の母ちゃん変わってるよな。大変だな」と言ってくれる人だから結婚決めた。
親はどんな親でも大切にしなきゃとか綺麗事言う人は親に大切にされた幸せな人だと思う。
それこそ40代になっても50代になっても…何才になっても
憎みながらも、親からの承認を求めるという哀しい矛盾
虐待していた当時、親にも苦しかった事情があったのでしょうが
だからって今の自分も親を許すことも出来ない
自分は『血縁者ではあるけれど親と自分は別々の人間なんだ』と考え
極力親との接触を避けて
子どもとしての義務は果たすけれども、親は親。自分は自分。
離れていることでなんとか気持ちの平穏を保っています
親と顔を合わせる日は前日眠れません
自分をフリーズ=凍らせて、感情の無いロボットみたいな自分になって
親と対峙します
全く筋の通ってない事で怒られて、納得もいかないし少しでも口答えなどすると、もっと殴られ髪の毛を引っ張られ、包丁をお腹まで突きつけられた事まであります。殺されてもいいと思ったけど母がかばってはくれましたが。そんな父と離婚しない母も嫌でした。今は父は70半ばですが怖くて目見て喋れないです。死んでも涙でないと思う
ただ31歳の娘に厳しいだけ、妹もいるけど、やはり頭の良さが出たのか…
妹は20代半ばで家を出た。厳しいのが嫌で。やりたい事がいっぱいあって。
私も仕事で転勤したりして、20代前半の頃は知らない土地、知らないスタッフの中で何度か独り暮らししてた。親のありがたみが分からず、のびのび出来、家事も好きだった事もあり困らなかった。でも、親のありがたみが分かる~。って言うと、母に認められると思っていた。厳しいのも徐々になくなるだろう。若い内だけだと思っていた。そんな甘くはなく、30歳過ぎたらさすがに…と思っていたが、結婚も祝福はしてもらえず、不機嫌に勝手にすれば!と…。母と父は昔から不仲なので、母が不機嫌になるのが嫌で、いつも子供ながらに顔色を伺って育ってきた。不機嫌になるのがとにかく怖い。何を言うと不機嫌になるのか分からない。やっぱり毒親…。
もちろん誰かに相談したい、頼りたいと思うこともあったが、どうしてもできなかった。
というのも、やはりどこかで本当は親に愛されたい、寂しい、と思っている自分がいて、誰かに相談をすることで、親を完全な「悪者」として自分から切り離す勇気がなかったからだ。
でも苦しく思う時だって頻繁にある。正直どうして良いのか分からない。
私の両親は、微妙なラインで周囲に話をしても信じてもらえないこともあります。なぜなら、暴力やネグレクトはないけど、過干渉で支配的で、ヒステリックですぐ子どもの好きな物や大事な友達を奪い、子どもを責め続ける親でも、一歩外に出れば、それなりに計算して、自分が不利にならないように振る舞うので、どんなに日常的にいい争いや親のエゴ全開の家庭でも、側から見たら普通の家にしか見えなかったりします。中途半端に毒親というのも逆に色々な葛藤に苛まれて、まして何も知らない嫁(他人)とかが家の中に入って来た日には、全て過去の毒がなかったことになり、まさに毒親の思う壺。被害にあった子どもは、いつまでも毒親に対する嫌な感情が消え去ることがありません。
同じことをしても子どもの感性によって受け取り方は違う。
記事の方々のように誰が見ても毒親というものもあれば、ちょっとした言葉や何気無い行動の積み重ねですれ違ってしまうケースもある。
親から傷付けられたことがある人はたくさんいるだろう。
その事実は消えないし、克服の過程として親のせいだと思うことも必要かもしれない。
自分にとって良くない関係なのであれば親と縁を切ったって良いと思う。
でも、毒親問題の本当の解決は親のせいだと思うことではなく、親と自分を分けて考えられるようなることではないかと感じる。
真夜中に廊下に正座して泣きながら朝まで謝り続けたことが何度あったかな…
同じ思いを息子にはさせないように気をつけているけれど、彼が大人になった時に毒親って言われない自信も、まだ持てないなぁ。
母はいつも忙しそうにしていて、手をつないだ記憶も、目を見て笑いあった記憶も、授業参観に来てくれたことも、成績表を見てもらったこともないです。
たぶん私に興味がなかった。
幸せになろうと思ったら子供なんて産まないこと。とか言ってました。
中学生になると、彼氏という形の人ができて、週に2回くらいしか家に帰ってこなくなり。その後は私が成人するまでそんな調子でした。
ご飯も、子供のためではなく、彼のために作り、夜中に家の前に彼がバイクで来て、そのご飯を持って母は出て行ってました。笑
歳をとってそんな彼氏もいなくなり、友達もいない母は私にも妹にも好かれず孤独そうです。
私は結婚して子供もできて家を出ると、母からは
「昔は、風邪を引いても子供のために頑張って働いてたな。母は強しだね〜。」とあたかも自分はちゃんとした母親でした。みたいなことを言われます。普通なのでしょうか?
私は子どものいる母親だけど、子どもがママ大好きだよと一日に何度も言ってくれることが不思議でたまらなく思う。
私になかった感情なので。
自分以外の誰かのことを全く大切だと思えなかった自分の幼少期はやっぱりおかしかったんだと思う。母は私のことを「発達障害だから私のいうことが聞けないんだ」決めつけてました(実際は発達障害ではありません)。
自分の思い通りにいかなかったら納得できる答えを嘘でもいいから作り押し付けてくる。
そうやって否定され続けて育てられることがどれほど苦痛なことか、母はこの先も知る由もないんだろうな。
「何はともあれ産んでくれたんだから」女性の出産には苦痛も危険も伴いますが、男性が生物学的に父となるための生殖行為って、それだけで感謝に値するのでしょうか?
「口が悪かったりすぐに手が出る人は、でも心の中は人一倍暖かで優しいのよ」誰にも見えない伝わらない心の中の人一倍より、人に伝わる所が人並みであって欲しかったです。毒親を経験した事の無い人達の慰めや励ましの言葉が素直に受け取れない程、私の心も歪んでいます。
産んでくれたのは感謝していますが、結局ワタシのお金が目当てで、具合悪くて仕事休むと怒られるし、一度も体調を気遣ってくれることは無かったし、休んだら、お金が下がるじゃないかと言われた時悲しかったね。子供の心配よりお金の心配が勝ってる。
子供の体を心配してくれなかったので、家族でいる意味が無い。
あと、子供をATM扱い、道具として使う親がいますね。
しかも、言い訳うまく、嘘もうまい。自分に甘く他人に厳しいのが特徴。これが毒親と言われる所以です。もう縁を切ろうかな。
ただ、簡単に、忘れろとか許せとか、毒親持ちでもないのに言わないで欲しい。とにかく、気持ちがザワザワして、たまらなくなる。許すとか許さないとか、謝って欲しいとかじゃないんだって事。
ここで初めて、少しだけ吐き出したい。
自分の場合は、私、妹、弟だけど、弟だけを異様に可愛がってばかりで、私と妹は放棄でした。
幼児期に妹が育児放棄のせいで障害者になってしまった事を親戚から最近聞いて、尚更嫌いになりました。先天性だと親から聞かされていたのに。
新興宗教に狂っているのも嫌。
高校からずっとバイトをして学費を払って専門学校もしたくもないバイトしながら稼いで卒業したよ。弟には車まで買って上げていたのに差が酷かった。
今はもう結婚して、親と殆ど関わってないけどあっちも関わるつもりも無いと思う。殆ど連絡来たことがないし。
周りの友人達は皆親と仲良くて、感謝してたり尊敬してたり、それを普通の事のように言うから、友達には自分の親の悪口を言ってはいけないとずっと思ってた。
結婚式で、親へ感謝の手紙とかハグして泣いてるのを見ても???だし。
母親も長年、僕達兄弟や親父への罵倒、精神的虐待が続いたが、弟の独立を機に謝罪した。
今は少し建設的になっている。波風は立つが少しマシ。
僕は僕なりに今の関係が崩れないように2人をフォローしている。腐っても両親だからそれぐらいは努力する。
苦しい状況は何かのキッカケで抜け出せる。それは自分の行動だけでは無いかもしれないけど、同じ状況にいる人は勇気を持って行動してほしい。大丈夫、必ず方法はあるから。けど一番大事なのは、たとえ親が謝っても絶対に許さないこと。自分の決意が揺らぐから。
僕達は今でも両親を許す気は無い。
子供は知識が無いから、自分でどうして良いかわからないし、それは暴力と認識して、真面目に話を聞いて、相談所になんてこともできないと思う。しかも、一番理解しなければいけない教員にも駄目な人が紛れているトリプルパンチの状況が多いと思う。
自分が暴力を受けたり受けそうなときどうするか、友達にいて相談されたり、たまたまわかったらどうするか。大人でも難しい。だから、大人でも普段から考えたり、周囲の子供にわかりやすく言って聞かせるなどしないとだね。
反感持てたり気付けたりする人は幸せになれる人。今苦しいならそれは幸せになる前兆。加えて、人に話せるというのは才能だよね。どうしても隠してしまう人が多い。相手は選んだ方が良いだろうけど。
当たり前だと思い続けて、人との交流が薄い人だと情報が修正される機会がまるでなくなったりもするから大事なことだね。
壊れた家庭環境の中には、考える事、言葉にする事が与えられない程、当たり前の事が出来なくなります。家族と言えども、人として無意識の内で縛られる、、つらいものはないですからね。
まだ、この方が女性だったからこそ、切り拓けたのだと思います。アダルトチルドレンで育った男性の場合、ACの父親には、同じ同性として共感する部分も出て来て、結局は自分の母親を否定するようになります。そして蔑み、逆に父親を崇拝するようになります。マスコミも、どんどん、アダルトチルドレンをもっと報道して欲しいですね
両親共に子どもが生まれる前から自分たちの夢だった職業に就かせると決めていた。そのせいで私は子供らしく過ごしたことがない。父親は独裁者だった。自分が思ってることと違うと怒鳴りまくる。夜中でもそういうことがあったから子供の頃から安心して眠ったことがない。
それでも私は25才で家を出て自費で留学して結婚したから実家を離れたけど、結局母親の介護をしなければならなくなった。この母親はその昔、父方の祖母の介護をしていたけどそれが嫌で介護放棄して最悪の結末を迎えた。それを具に見ていたけど、私は子供だったからいつの間にか記憶の奥底に消していた。ところが母の介護が10年を超えた頃にそのことを思い出してしまった。4年半前に看取ったけど執拗に夢に出てきて、この3年は生きた心地がしなかった。やっと収まってきたけど、還暦過ぎてまで苦しむのはもう嫌だ!
目が離せず
一つ一つ読んでしまいました。
頑張って生きてこられたのですね。
胸にきました。
毒親にならないようにならないように、
生きていきたいと思います。
昔はそれが普通だと思っていたから。
自分だけじゃないと知ったときのホッとした気持ちと、これからどうしよう?と知恵が湧いてきたことは忘れないと思う。
早ければ早く気がついたほうがいいが、決して今でも遅くはないと思う。
ある程度の年齢になって毒親と気づいたら、親を捨てても構わないと思う。
本来家庭は温かい安心できる場所のはず。
子ども時代、学校などでしんどいことがあった時、家に帰ればお母さんがいてくれる。そんな安らぎの場所。
なかなかどんな親でも捨てる覚悟は出来にくいかも知れないが、一番に自分自身のしあわせを考えてください。
当たり前の事と思っていましたが、結婚して主人の母を見て、そうじゃない事もあると知りました。主人の父は主人が中学生の時に自殺。
主人の兄も若くして自殺。
母は自覚してないと思いますが、母に原因があります。
遠く離れて暮らしているので、日々の生活に被害を被る事はありませんが……
そんな家庭で育った主人は、結構当初は私とのズレがありよくケンカしました。
でも、自分がズレてると分かったようで、20年経った今では、常識的な人になりました。
それは、地域活動や子育てを通して気づいたようです。
主人は良いように変わってくれたので、よかったのですが、そんな人ばかりではないと思います。
だから、私は、仲良くしても、悪口を言うものと思っていた。だから、嫌だなと思う事があると、違う人にその人の嫌なとこを話していた。
ある時、自分には、親友と呼べる人がいない事に気付き、その時から友達の作り方がわからなくなった。
どんなに良い人でも、嫌なとこが見つかるとそれをまた誰かに言いたくなるから、深く付き合わないようになった。
大人になってもそれは続き、適当に聞いていたが、まさか孫にまで同じ事はしないだろうと思っていたら、小さな孫にも父や母である私の悪口を言ったことがわかった。
孫が傷ついているのにも気付かず。
注意しても、ダメだった。
そして、母は、孫に嫌われている。
その事実がさらに毒になって追い込まれる。
自分が毒じゃないと言い切れる自信がある人が私にとっては親と同じすごい毒持ってる。
この本に載せてある人達はもっと壮絶なのかもしれないが、自分も思い当たることがあり思うこともある
10代からずっと抱えてきた違和感が、なんとか死なずに生きて、親の事情も幾分か理解できるようになったが、それに費やされた時間は10年20年単位となってしまった
生きてきたことに今は失敗も含めて後悔は無いけれど、時間の流れを思うとタラレバではあるがいろいろ考えてしまう
いま行きづらさを抱えている人たちには、読んで参考になるような1冊であってほしい
さて、この思いをかかえて朝からサイクリングしてきます笑自転車の良さは乗ると様々な思いが勝手に消えてしまうので助かってますつまり、私も破壊的な家庭に育ちましたが今は自転車に救われてます、、体が動かない時は実は競輪を見たりして発散してます。あと、ここに体験談書いておられる皆さんは小さい時にキツイ思いをしてきたいわばサバイバーですよ。頑張って自分取り戻して幸せ味わおう!
母が急に算数の問題を出してきて
間違うとヒステリックに怒られた。
母が鬼に見えた程の恐怖体験で
勉強が嫌なもの苦痛なものと認識。
恐怖を植え付けて成績が良くなる筈はない。
どうやら母には、人に物を教える才が無かったようだ。
娘が自分と違うのが気に食わないのか、
今も事あるごとにディスってくるけれど
関係ないので全て雑音として処理しています。
娘の自己肯定感奪っていつまでも上にいたいんだろうな…私は貴女のコピーじゃないんだわ。
自分で自分を不幸にしている憐れな人だ。
うちは母の両親が毒親で過干渉だったらしく、反面教師で本当に食事等の最低限の事以外は放置されて育ちました。
何か相談したり、されたりということは人生で一度もなく、日々を淡々と過ごすだけ。
ネグレクトと放任主義も割と境界線が難しいですが、結果自分達3兄弟は大きく道は外れなかったものの、下の兄弟は中学から万引きやタバコで補導、プチ家出、夜遊び、無免許、飲酒運転。性格こそ悪く無いものの素行は悪かったです。
その後、大人になってから兄弟で気付いたのが、恋愛がうまく出来ないこと。
愛情を受けてないので基本湧いてこない。
好きって気持ちが無いわけではないですが、薄いので結婚までがとても難しいです。
いろんなハンデはありますが、それでもみんな自分を大事に今後は生きていって欲しいです。
大変な人生ですが、そんな親がいたから生きるってなんなんだろうとか考えてみたり、心が練磨されたような気がします。優しくされなくても優しくなれます。人間ですから。
「親が嫌い」と言うとみんなに変な目で見られた。誰も理解してくれる人はいなかった。40過ぎてやっと「親が嫌い」を理解してくれる、毒親に育てられた夫に出会えた。初めて「親の方が異常」だと言ってもらえた。大げさじゃなく、夫に命を救われたと思う。
もっとみんな「親が嫌い」って言っていい。親になるべきじゃなかったのに親になっちゃった人がたくさんいるんだから。
この記事を読んで彼女を思い出しました。
ここのコメントを読んでいると想像のつかない家族関係が沢山あるんだと気付かされます。今までは吐き出す場も少なかった事でしょう。大きな声で親のせいだと言って良いと思います。
このあたり前の事に思う理不尽さ。
親は子を選べないけど、作るか作らないかは選べるので子は親を選べない方が更に理不尽だと思う。
うちは父親が毒親でした。
あまり詳しくは語りませんが離婚調停にまでなりました。
それでも子供を持とうと思う人は本当に勇気があるなぁと感心します。
自分は子供を持つのが怖いですね。
ただ、弟は子供を持ちました。
兄弟でも感じ方は違うなと当たり前の事を実感させられました。
普通の反応は、
「親は子供を愛している。大人になったらわかるよ」だ。実情を知らなくても親の味方をして、親の愛を語り始める。親が子を愛さない筈がないからだ。そうして、子供は理解などされない孤独に突き落とされるのだと思う。
だが、世の中には子供など自分のアクセサリーか道具としか思っていない親もいる。ある人がそうだった。人前ではいい親を演じ、愛情を高らかにうたいあげる親と諦めきった冷めた瞳の子供。たまに会う自分は不思議な気分で見ていた。
月日が流れ、子供と二人きりで会い、初めてその事実を知った。親がいる前では自分の意見など言えなかったらしい。今、その子は駆け落ちに等しい手段で家を出た。今、家族を愛せるのが幸せだとか。
ただ、その親は子の嫁ぎ先の財産を狙ってるらしいのが不安だ。
高校を出たら(場合によっては高校進学を機に)
親元を離れるという道を選ぶこともできるだろう。
毒親に対して物理的に距離を置くのと置かないのとでは
影響を受ける度合いは大きく異なる。
私は大学進学を機に親元を離れた。
そして、私自身は家族を持たない人生を選んだ。
親が子どもの人生を歪める負の連鎖は私の代で終わりにする。
両親共自分の非を認めない人であり、我儘で自分の意見が通らないと暴力を振るう話の通じない私の弟にはヘコヘコ、気が弱い私には強く出て弟の理不尽に耐える事を強制してきます。
私は結婚して子供もおり、同じ市内に実家がありますが子供をなるべく近づけない様にしています。
先日、私は子供時代にアスペルガーだ発達だお前は猿と言われてきた事が辛かったよと伝えましたが(実際にはそんな事なく、通った精神科では適応障害の診断)そんな事言ってない勝手に妄想してあなたおかしいね…あなたの子供もそうなるのかなと言われました。
毒親につける薬はありません。
選べない親に受ける仕打ちは辛いですが、毒親の元から逃げる力(一人暮らしする能力や貯金と言いますか)を身に付けないとの一度きりの人生を無駄にすると思います、私は30代で脱出出来ました…
小さい頃から何でこの親から私は生まれてきたのだろうって思ってました。
そして何故人は子供を産むのだろうって思ってました。
子供て親を選べないから、かわいそうですよね。
毒母に育てられたせいで、昔から子供が欲しいと思ったことが一度もありません。
子供を産むなら、お母さん達の子供で良かったって言われる親になる覚悟がないと産んではいけないと思う。
社会に出ると色々な人と出会い話をする。出身地や家族の話など会話の流れであるが、私は今もそれが嫌いだし嘘もつく。自分の母親と兄弟の本当のことを話したらドン引きされるから。夫や子供にすら全てを話してはいない。恥ずかしい母親と兄弟。本人達はそれを理解してはくれない。世の中の普通が普通ではなく、理解しないのは世の中だと思ってる。自分に都合のいい考え方しかしない。
時間が解決してくれるとずっと思っていたが、未だに何も変わらない。関わらないのが一番なんだと思う。死んでやるとか殺してやるとすぐ騒ぐくせに死なない。さっさと死んで欲しいと今は心から思ってる。
今、日本人の8割がアダルトチルドレンという説もあるようです。
今は親とは連絡とっていません。
過干渉の親、世間体をきにする親で、楽しい思い出がおもいだせません。親の思い通りに生きなきゃ、という暗示にかかって、生き辛さがあり、早く死にたいと思ってました。
でも、今は、洗脳がとけてありのままの自分でよいと、自分を肯定できるようになりました。
私が精神的虐待をしてしまっていた子供が自殺未遂をし、そこから子供とも自分とも向き合うことができるようになりました。子供のおかげです。子供に与えてしまっていた毒を解毒しています。それは、ストレスと、子供に対する嫉妬との戦いです。親子で心中したほうがどれ程楽かと思ったことも何度もあります。まわりの方にたよって、言えなかった辛い思いを傾聴してもらい、なんとか乗り越えられたと思います。
いくら子どもの頃毎日お弁当を作ってくれても、毎日の暴言や暴力で差し引きゼロどころかマイナス。大変とはいえ、お弁当は扶養の義務のうちに入ってるし、恩を着せる場面ではないかも。
自分の子にはちょっとのことでも褒める、抱きしめる、これを日課にしてます。もちろんきつく叱ることも。毎日プラス100点じゃなくても、マイナスにならないようにすることはできる。
自分がして欲しかったちょっとのことをするように心がけてます。
親みたいになりたくない、というのが人生の目標です。
だから、毒親に育てられたと気づくかどうかは人それぞれ。うちは、長女の私だけ家を出たけど、妹弟は毒親持ちだと気づいていないと思う。
親の束縛(監視)が厳しくて、大学の友人には「門限が厳しい箱入り娘」扱いされてたけど、実際は実家は牢屋みたいだった。親の意向に沿わないと身の危険を感じたし。でも、周りにうまく説明できなかったからお嬢さん扱いされていて、もやもや。
子どもに関わる仕事について、始めは大人に従わない子どもに疑問をもった。でも、そのうち普通の子どもがいかに自己主張出来るか、感情豊かか、人懐っこいかなどを見て、また保護者の子に対する接し方に衝撃を受けた。
やっと実家が明らかに変だと気付いたのは、20代半ば。それから距離をおくまでも、干渉がひどくて苦労した。
気づいたら、景色が逆転した。
それくらい、洗脳はひどかった。
妹弟は未だにその中にいて、話を聞かない。
親にもいろんなタイプがあって、いろんな雰囲気の家庭があるというのを知るのは、だいぶ成長してからのこと。自分も「自分の家庭」を多少客観視できるようになったのは中学くらいのとき。夫婦仲の悪さや食事の違い、経済力の違いなど色々ショックを受けた記憶がある。
子育てに親の方針があっていいと思うが、子供にとっては「この家庭での経験がすべて」「逃げることもチェンジも出来ない世界」であることは常に頭においてバランスの取れた接し方をしてあげるのが無難と思う。
大いにあります。
かえって児童養護施設で育った
ほうが良い、または良かったと
思います。
気付きのきっかけを与えたり、柵を乗り越えるための手助けは出来ても、どこかで自身が疑いを持たなくてはどうしようもない。
難しい問題だけど、周りの人や家族を観察する意識を持つことは必須だと思う。
転職で、たまたま母の好きな職業になった時に初めて飛びきりの笑顔で褒められたのを覚えています。
認知症になった今も、「親の言うことを聞いてたら間違いありません!」と時々言うので笑けてきます。この人のようにはなるまいと学習できたことは良かったかな。
女として産まれた私をほぼ無視して
育てました。
最低限の衣食住は与えてもらってたけど、話しかけても無視、
日中は家に入れてもらえない、だっこされたこともない、家のなかで音を立てたら怒鳴られる、病院へ連れていってもらえない、大人になったら出ていけ、父に似てブサイクで頭が悪いと言われて育ちました。
存在を否定されて育ちました。
幼少気からなんで自分がいつも悲しいのか理解できず、親に認めてもらおうと勉強して従順ないいい子でいましたが、
成人してからうつ病になりました。
親のせいだとわかってからは、親と絶縁しました。現在は夫の協力もあってうつ病も治りました。
自分を苦しめる人からは、離れた方がいいです。
たとえ身内であったとしても。
自分の正気を保つことが最優先です。
「親も心配なのだから仕方ない」と自分なりに納得したつもりでしたが、無意識に抑圧されたストレスは色々な部分であったな…と、親元を離れてから思います。親に感謝ができない自分を責めていました。
分かりやすい毒親も大変だと思いますが、毒親を毒親と気付くことのできない子供も多いと思います。少しおかしいなと思ったら、勇気を出して距離を取り、程よい距離感をお互いに作って行ってみてください。
親子だから愛情が無条件で生まれるなんて嘘だよね。
たぶん双方の努力が必要なんだと思う。だからといって最初に努力するべきなのは子供であるはずがないと考えてしまう。
生まれてからいままで、一度も本物の自由を感じたことはなかった。
でも、ようやく解放された。
こんな晴れ晴れとした気持ちになったのも初めてや。
親の機嫌で怪我しない範囲で叩かれたり怒鳴られたり、暴言が日常茶飯事だった私は、誉められることが苦手。自己評価が異常に低いと周りから言われることがある。
暴言は嫌だし悲しく悔しいけど、誉められると逆に居心地が悪く、何を言われているのか分からなくなって混乱してしまう。
貯金も食い潰し、それを両親は互いのせいにし、顔を合わせる度に罵り合いで、それを見るのが本当に嫌だった。旅行にいっても喧嘩、上手くいかない鬱憤を母からぶつけられて、私はいつも弟と泣いていた。そんな私を母は罵り、父が母を怒るという無限ループ。
外から見たら、暴力の跡はないし身なりはちゃんとしていたから、我が家の精神的虐待に誰もが気付かないし見過ごせたんだよね。
こんな大人が、今の日本には結構いるんだよ。
高校を卒業後、逃げるように一人暮らしを始めたとき、それまでの家庭内の重圧から解き放たれたのか、うつ病を発症して人生の一番いいときを数年間寝て過ごした。
だが、まだ人生の半分だ。
今からでも、小さな夢でも叶うように毎日を大切に過ごしていきたい。
実家にはもう帰らない。
世の中には、まだ自分の親がそうだと知らずに苦しんでいる人が、まだまだ多いと思います。
気づいた後の自分のケアも、苦しいくて辛いですよね。
何年もかかりましたが、半分くらい楽になりました。まだまだ課題は多いですが。
集会に母に連れていかれて、人のスピーチ聞かされて、
中学の時には壇上に立てと作文を読まされ、
さすがに変だと逆らって高校卒業後家出みたいにして他県に出ました。
母は多額のお金を毎月生活費から寄付し、毎日お金が無いといい、しまいには、勝手に他人を会員にして自分でその人達の会費を払っていたようです。病気だったと思う。
色々あって最後は看取りましたが、母の病みは、多忙であまり家にいないのに楽しそうだった父なのかなぁと思う。
いつか、息子に金の無心でもするのでは?!と心配が耐えない。
どれだけ話しても、息子は理解出来ず…
悪夢は私の代で断ち切りたいのに。
第三者から見たら普通の親に見えるのね。
息子よ。朝ご飯、お弁当、晩御飯があるのは当たり前だよね?洗濯されてるのは当たり前だよね?学費払うのは当たり前だよね?小さい我が子を置いて旅行になんて行かないよね?当たり前だもんね?当たり前が無かった母の気持ちをどぉ説明したら分かってくれる?
まだまだあるょ。でもね、話しても君には良いばーちゃんに見えるんだよね。3人の孫が居て君だけ可愛がられてるの気付かない?
頻繁に男が出入りする家庭が普通だと思ってた自分を殴りたい。息子達に将来縁切りされても、自業自得だと諦めるから、ばーちゃんから逃げなさい。
母親は男と蒸発し行方不明
仕事嫌いの父と祖母の元、生活保護で過ごしました。
親が働かないのでイジメられました。
幼少期に仕事して欲しいと言っては父に殴られ
包丁で刺されそうになった事も何度もありました。
教育に関心も無くて高校は奨学金で通い大学は諦めましました。
結婚しても実家を理由に二回失敗しました。
子供が生まれてもお祝いは無いが金は要求され
妻や義理の両親に関わりたくないと言われ
自分の力で変えられない悔しさを味わいました。
現在、絶縁を言い渡し携帯番号も変え8年経ちましたが後悔は無いです。
40代で高卒で訪問販売などブラック企業でしか職は無く怪しい故に正社員になるも倒産ばかりで現在は派遣社員。生まれた場所を間違うと人生は終わりです。
出来たから産むと言う短絡的な親が1人でも減って欲しいです。
喜怒哀楽が激しく自分に良いことは喜び不都合なことはわめきます。たとえ子供や旦那(父親)、親、キョウダイが喜ぶことでも自分が嫌なことはしません。要するにワガママな人です。ただ世間体を極度に気にするので他人からイイ人!!と思われるようなことは我先に!と率先してする人で他人からは一見好かれます。
ただ私は子供の時から気付いてました。
「この人は人の為に親切にしてるんじゃなくて自分の評価を上げる為だけに行動してる人だ」と…。
こういう人間が一番私は嫌いです。
会社でいうと上司の前だけイイ顔する人いますよね?あんな感じです。
ただ母親は私よりも先が短い人…。
今は母親との関係は良好です。
幼稚園の時、引き算をできなくて、「こんなのもできないのか?」と叱責されて泣いてた記憶もあります。
小学校の時、母親が担任に「行動が遅い」と書いてから、担任に殴られるようになっても「お前が悪い」と言われ、亭主関白で全て母親まかせでした。
中学生の時は貯めてたお金を兄に盗まれ、父親にもとられ、鍵をかけたら殴られる。
お客さんがきて話かけられたら、両親言うことをちゃんと聞かなきゃだめだと説教されたり。
毒親って、第三者にはホントにわからない。
一般家庭がホントに羨ましかったな。
その分、母親は私達姉妹の私だけ標的にして小さい頃はよく殴る蹴るをしてました。
ですが母はその事を躾だと今でも思ってます。
今では父が亡くなり、母は自由に生きてますが、他の家と違うと思ったのは孫に対して表面上の扱いはしますがら他の家みたいに孫の面倒は見ません。孫のお泊まりも、3人中、1人喜びます。
その1人だけは激愛されてるので誰が見ても差がある愛情のかけ方です。
でも私はそれでもいいと思ってます。母は自分が大事なんだなと割り切って出来ることをお願いしてます。
でも一度ブチキレると、それまで口に出さずにいたことを全部ぶちまける。ほんとはあの時こう思ってたとか、やっぱり思ってたとおり失敗した、とか。
だから私は今この人は自分のことどう思ってるんだろうという事に敏感だったと思う。
引っ込み思案で、どうやったら正しい方法なのか、周りを見てからでないと始められない。
周りが自分のやり方を見て笑っているような気がしていた。
大人になっても、仕事で周囲の目線や表情に怯えて大変だったり。
結婚したら、旦那の両親は真逆のタイプ。まったく干渉してこないし自由なので目玉飛び出るほどびっくりした!
おかげさまではっきりと自分の両親がおかしい事がわかりました。
結婚して自分の実家とはほぼ関わらない生活を手にして、精神的にはかなり安定しました。
実は、やっぱり私自身が至らないから、親が私を嫌うんじゃないかって。
母は外面がいいタイプで、母のことを知る人には恐らく毒親だって言っても、否定されるでしょう。
でも、やっぱり娘に、気持ち悪いとか、可愛くない、消えろ、お前はいらない、なんて言えてしまう母はおかしい。
…でも、やっぱり、私が実際に気持ち悪いから、可愛くないから、そう言われるのかな。
高校生くらいから、ずーっと葛藤し続けています。
仕事では自信ありげに振る舞ってますが、母に否定され続けた人生なので、本当の自分には全く自信は持てません。
恋愛も、結婚も、怖くてできないです。
中学生まで実姉に虐待を受けて来ました。それを母親に相談しても自分が悪いからだと守ってはくれませんでした。小学生の間は、昼間姉と口ケンカをしたり、私の態度で気にくわない事がある
と親が寝静まった頃、起こされて説教されてその後朝方まで反省文をかかされていました。小さい頃からは、大好きだった姉も次第に嫌いになって行き…中学生になると、暴力が酷くなり何度も顔を腫らしアザをつくる日が増えましたが、それを見ても親は知らん顔…他の先輩達を使って呼び出されたり敵対するしている人達や、私の同級生が私の姉に嫌がらせをされたと私に仕返しをしてくるようになり家にも学校にも、居場所がなくなりました。その頃には、何の為に生まれて来てのかわからなくなっていました。少し大人になって姉とは関わらなくなって普通に生活しています。
ただ、いじめも放置はやめてほしかったな。どれも解決しないまま引っ越しで終わった。
運動靴にGの死骸は、上履きで帰ったからさすがに隠さず言ったのに犯人誰か知らないよ。おかげで姿を見ると心臓止まるかと思うくらいのトラウマになってる。
母が離婚後に出会ったやつと再婚したけど、再婚前には何の説明もなく家で暮らし始めて、私がセクハラとか殴られたりしてたのに後で再婚した意味がわからん。殴るのは止めようとしてたよね?やつに追い出されて帰らなかったのはちょうど良かったのか?
引き取ってくれた父は父で私の悩みはどうでもいい感じ。相談無駄な気がしてしまう。
いい年なんでそろそろどうにかしたい。発達疑って病院行きたい。
「学校のテストで100点は当たり前」
「テレビゲームしたいだ?
御三家は余裕なんだろうな?」
→成績振るわなければ、辞書で子供の頭を殴る、
食器を窓から外に投げる、子供を夜の外に追い出す。
「中学の5科目でオール5は当たり前」
「東京なら地元の国公立大学の進学が当たり前」
これが片方ではなく、両親ともに同じ考えでした。
よその暖かい家庭が羨ましかったし、恨めしいくらいでした。
ここの記事では片方の親が毒親だった、というパターンが多いですが、両方が毒親なのは少ないのでしょうか。
これは、毒親、というより、虐待、ネグレクトな気がします。毒親は、なんか、愛情がネジ曲がった感じがして、哀しい。子供を大切に思うあまり、こうしなきゃ、とか、こうしたほうが失敗しないとか、自分の失敗をさせないよう考えたあげく、自分も、毒親になりうると感じるときがある。
子供は、自分のものではなく、一人の人間なんだと自覚しないと。中々、特に母親は自分が自立出来ない場合があるんだろうな、と……現在、自立心が芽生え、反抗期の娘と対峙する日々、感じている毎日です。毒親、にならないように。
色んな恨みつらみがあります。
ただ、最近考えるのは、
毒には毒をもって制すしかないのでは?
母は怖かったので、私の反抗期もなく、
チカラが弱くなって来た母に、、
積年の恨み辛みを爆発させる反抗期は
今なのではないかと、、、、
金絡みで、問題の多い親だったので、
母の死に目にで、ウチらの為になるような金は一銭もないのかね?
通帳は?印鑑は?いくらくらい入ってんの??てか、しぶとく生きたよね?
金の話をする為だけに死に目に逢いに行ければな、と、思ってます。そして
直葬で、無縁仏に置いて来て終わり。
遺灰さえ持ちたくないもの。
皆さま、酷い女と思うかしれませんが、
毒をもって毒を制すが一番良い気がします。死に目にあんなの産まなきゃ良かったと後悔させて、死なせたい。
ご飯もあったり、なかったり
ふりかけご飯が大好きだったなぁ
気がついたら、夜親が居ないとか
遊びに出てるんだよな
自由といえば自由だったから
気が付かなかったけど
孫が出来ても抱きもしないし
だからか親に何も相談しないし、頼らない
良かった点はなんでも自分でやろうとする点かな
外見上は、親は理想とする姿であることも多いことだ。
優しいお母さんに育てられたから、大事に育てられたから、それに報いないといけない、
そんなプレッシャーを子供の頃から与えられ続けてきた。
あのさあ、いつになったら、解放してくれるの?
子供の頃からずっと、真綿の首輪を閉められているようで、きつくて窮屈で仕方が無いのだけれど。
いつまで、私は“良い子”でなくてはいけないの?
ずっと自分のこと、親は嫌ってると思ってた。
やっと自分も親になり、産んで育てることの大切さは理解できたけど。
思春期の頃受けた暴言のトラウマが消えず、自分の子供が思春期になった今、毎日のようにフラッシュバックする。
赤ちゃんの頃は思い出さなかったのに、同じ思春期になったら一気にその頃の感情が溢れてきた。
それを愛情いっぱいに育てられたであろう、夫に言うと何も理解してくれない。
毎回、おんなじこと言うけどって。
やっぱり普通、で育った人には理解できないんだろうな。この辛さは。
私の場合は自分自身への身体的な虐待はなかったけど、父親から母親への暴力があった。
割と小さい時からそれを見て育った。
母親が顔に痣つくったり鼓膜破れたり血を流してるとこ見てた。
小学生の時、その事を作文に書いて提出したら、参観日に教室の壁に張り出されて、それ読んだ父親が引きつった顔でなんだこれ?って聞いてきたの覚えてる。
自覚はなかったけど、自分自身のSOS発信だったのかなぁと今は思う。
そんな父親だから、上からの押さえ付けは酷くて精神的にキツかったのを覚えてる。
今だからわかるけど、DVを近くで見ている事も虐待なんだよね。
当時はDV、虐待って言葉すら周知されてなかったし…
不思議だけど、あんまりその当時の記憶が無いんだ。
読んでくれた方、もし居たらありがとう。
子供はそれを当たり前としか思えなくなってしまう。
で、学校とかに行くようになると、どうしてか周囲から浮いてる自分にどうしようもなくなる。
多種多様な毒親がいるけど、発達障害との関係も少なくないと、最近思う。
異様に共感能力が低くて、自己中で独裁的な人間て、毒親になりやすいし、アスペ的な人が多いよね。
自分も、糞親育ちで、支配され続ける人生だったけど、ここ数年断絶して快適に暮らしてる。
暴力的なことは小学生の頃、部活動の送り迎えをしてほしいとお願いするタイミングが遅いと30分間鼻血が出る程度殴られたことくらいでしょうか。他のコメントされてる頑張ってきた方々に比べれば、なんということもないような気がしてきました。
毎日毎日怒られて、布団叩きや靴べらで叩かれて、ご飯抜きにされて、夜中まで外に放り出されて。
年頃になり、当時の彼氏から『親に挨拶したいから会わせて』と言われて、母に会って欲しい、父とのクッションにもなって欲しいと頼んだけれど…全く会ってもらえず。
結局、そこからこじれてその彼氏とはダメになってしまった。
のちに会ってくれなかった理由が判明。陰でコッソリ彼の事を調べたようで…ろくに働いてない奴だと思ったそうな。
…でも、それは彼ではなく、彼の弟のことでした。私の彼は真面目によく働く人だったから。
(コソコソ調べたことも嫌)
この時は本当に、心底『許さない』と思ったし、20年以上経つけど、いまだに許してない。
でもあの時、駆け落ちでもなんでもすればよかったんだ…親なんか、あの時捨てたらよかったのに…あの彼と一緒にならなかった自分も、いまだに許せない。
向けられたってレベルでなく、刃先は身体に密接してた。
最後は警察呼んで「お子さんと避難して」と言われて近くのビジネスホテルに宿泊してたら、音沙汰ないから、後日警察と一緒に入ったら、自室で倒れて亡くなってて、ワンシート空になった睡眠薬と缶チューハイが置いてあり、検死になったけど、結果は病死だった。
でも、気持ちは自殺だったんだと今でも思ってる。
結婚も自分の意見を押し付け、何度お見合いをさせられたことか。従っていた私もどうかしていたんだけど、気がついたのは結婚して、義両親と接するようになってからです。
とにかく自分の思い通りにさせたい、見栄を張るなどなど。思い起こすと、褒めてもらったことなんて一度もなく、学級委員やら、大会で表彰など他人から認められることでしか評価はされなかったなあ。
そんな母達から、自営業で不渡り出しそうだからって、お金の要求。必ず返すとしおらしく頼むから応じていたら、何百万にもなり、結局倒産。
お金も返さず、お詫びもありません。
今は年金暮らしですが、ギリギリの生活。
生活保護になっても、介護になっても、面倒を見る気になれません。むしろ今すぐ縁を切りたいです。お葬式すら出たくないです。
そんな大した理由ではなかったはず。
いまでも物差しをみると嫌悪感半端ない。
子どもの頃、なんの記念日でもないのにおもちゃを買ってくれたときは、本当に明日捨てられるんじゃないかと思ったことも。
そんな母親に抱っこされた記憶も、手を繋いだ記憶もない。
私一人すら普通に育てられなかったくせに、さもたくさんの子を立派に育てたような子育て論を語る…。
誕生日におめでとうなど言われた記憶もない。
今年の私の誕生日にかかってきた電話はお金絡みの内容…。もちろん誕生日おめでとうなどあるはずもない。
さすがに数日へこんだ。
誕生日にこの話題はないよ…。
もう一生会わなくてもいいかな。
きっとあの人の考え方は一生理解できないから。
↓
毒親である事を認める
↓
自分が歪んでいる事に気付く
↓
親への依存を認める
↓
依存からの脱出。大雑把にザックリ書きましたがこの段階を一つずつクリアするのが大変でケース毎にかかる時間も未知なのです。
両親に恵まれた人達には「何故もっと効率よくいかないの」等の疑問が多い話かと思います。
自分の価値観や自尊心を育めなかったせいか、大人になった今でも不安と緊張が強く、人と接するのも苦手で回避ばかりする人間になってしまった。自己否定も強い。
一度しかない人生、ものすごく焦ってます。
あんな母親には将来ならない!と思っていますが、やはりなってしまうのかと今から不安です。
されにくいのか…親権が強すぎるとでも
いうのか…。
今年も小さな子供達が、虐殺されるまで
親は不起訴のケースが多々あったし、子育ての
根本的な見直しが必須だと思う。
だから、学校や友人など家庭以外の世界を
体感するコトで、自分の親や家庭が
おかしいな、異常だなと気づく場合もある
そして、血縁とは言え見切りをつけるコト
コレが一番大事なのに、できない人が多い
親は子供を育てるのは当たり前だか
子が親の面倒を見る必要は無い
コレが理解出来ない人が多い
親子といえ、別人格で各々別一個人
別の人生を歩むのが、本来なら正しいのだ
成人した後のいい大人が親実家に依存したり
逆に子離れ出来ず入社式に付き添うなど
気持ちワリいし、反吐がでる
物心ついた時からそう思っていました。
明日生きてられるかな?
このまま寝たら朝は死んでないか?
明日この親達は離婚するのか?私はどっちに行こう。そんな事ばかり心配する日々。
母親に弁当作ってもらった記憶もない
サザエさんみたいな環境になったことなど一度もない。
でも毒親と言えなかった。ほんと辛かった。
自分に遺伝してないか子育てしながらまた不安になる。
子供は親を選べない。
子は親を選んで生まれてくるなんていう言い方している本を読んだこともあるけれど。
好きでそこに生まれたわけじゃない。
災害もそうだが、生命の営みも、自然というものは本当に理不尽だ。
10年ほど経って私が出産して実家に頼らず育児してたら、なんで親を頼ってくれないの?なんで嫌うの?と文句を言ってきた
本当に辛い時に助けてくれなかったのに都合が良すぎる
会うとエネルギー吸い取られる感じがするし、人として相性が悪いんだと思う
そのお陰で?地元のいい企業に就職し、30歳になっても実家暮らしで貯金も人よりたくさんできましたが自分が望んだ人生ではないので周りの自由にしている人がすごく羨ましくて仕方ない。
あと自分の意思を押し殺して生きてきたので両親の気にいる人かどうか気にし過ぎて結婚相手をどうやって決めていいのか正直わからなくなったり、若い頃に遊ばなかった反動で男に騙されセックスに依存していたのをバレた時は殺されそうになったけどお前らのせいでこうなったんだと恨んでしまった。
自分は裕福に育てられ、ずっと不平不満を言う父を受け入れるのは、いい時代に生まれた人間として当然受け入れなければいけないと思い込んで育った。
どんな暴言吐かれたって幸せなのは自分の方だから仕方ないって。
その上しっかり者の長女だったから親はどんどん私を頼るように、、結果、搾取子。
どんだけ親にお金使ったかわからない。嫁いだし、3人も子供いるのに本当大変だった。妹は海外に逃げちゃったし。私が見るしかない。
父は亡くなったけど母は93歳でまだ搾取されてる。
早く終わりたい。
なんとか今、人間不信と戦いながら寄り添いながら、また頑張る勇気が湧きました。
変な文になっていないか心配ですが、乱筆失礼致しました。皆さんの人生も、応援してます。
嫁とも恋愛結婚でしたが、今はほぼ他人です。シェアハウス同居人と言った感じでしょうか。夫婦関係も20年位ありません。父の虐待を受けて育った私に子供の教育に携わるなと言うのです。
嫁の諸々の態度や考え方もどうかとは思うますが、そう思われてしまう自分が悲しいですね。
そのあとは、後遺症も無く普通の生活をしていましたが、結婚して子供ができても、可愛い我が子と遊ぶ事が出来ませんでした。
自分が大人に遊んでもらったことがないので、子供との遊び方も分からなかったんですね。
私も弟のが可愛いんだってハッキリわかっていました。
ヒステリーで私は怒りの捌け口みたいに愚痴聴き役。機嫌とり。ちょっと愚痴るなら普通。違うんだよね、長々と鼻息荒くぶち撒けてるのを一生懸命なだめるの。
幼い頃は公園にも行ってくれなかったな。
色々してもらったけれど、弟と随分多大な差をつけられてます。弟には家も買ってね。
なのにいざとなると嫁に出た私ばかりを頼るのはいい加減やめて欲しい。ほら、私世話係だったから。
今は疲れるし、私も構いすぎだと反省したので疎遠にしています。
何より、一番感謝できるのは、母を反面教師にして育児してること。
孫には絶対に人の悪口を吹き込むなって、生まれた時に散々釘を差しました。これは一番大切な事だと思う。
子供には絶対こんな想いをさせたくないと、出産を機に宗教やめて、実家とも適度に距離を保っている。でもこういう環境で育ったせいかメンタル弱くて、今は安定剤飲んで、自分を騙しながら生活する日々。
普通の家庭で育ちたかった。
世間は自分の為にある
子供も自分のステイタスの1種
子供のせいで色々犠牲にしてきたくらいいってくる。
そして何より支配的で逃げても追ってくる
早く日本も戸籍上から独立出来る法律を作ってほしい。
うちは中卒の育児放棄のほぼほぼニートの妹がいて幸せを邪魔してくる。
そんなのも自分たちも血が繋がった家族を見捨てるなんてひどいことしないよね?って脅迫してくる。
結婚して離れて暮らしても
母親からのLINEにお腹が痛くなったり。
でも、私の子供たちが
ママ、ばぁばみたいな人に育てられてよくがんばったね、ママはばぁばみたいな母親にならなくて良かった
と言ってくれた時、子供の前だけどすごく泣いた。
少し気持ちが軽くなった。
でも今でも、
他人は私のことが嫌いだ
私は嫌われ者だ、何も出来ないクズだ…
と、自分でそう思い込むことは抜けられず、
対人関係、特に仕事では支障をきたしている…
でも、毒親と気付いたのは大人の、しかも最近になってから。
今更ながら恨んでますが面には出しません。
ただ、今後来るであろう老後の問題などもろもろご勝手にという感じです。
大事にしてきた兄と弟に看てもらってください(^-^)
うちもアル中DVの父親(元警察官)
鬱病の母親(自殺)に散々苦しんだ…多分ACだろうと思う。
この記事に出てくる毒親持ちの人達も、氷山の一角なんだろうな。
普通の親、普通の家庭ってなんだろう。
もしかしたら毒親の方が多くて、そっちの方が普通で、ドラマみたいな暖かい親とか家庭の方が少ないのかもしれない…。
毒親という存在。暴力を受ける子供たち。実体験を踏まえた管理人の感想
このコメントの数々。
結構なボリュームですが、これでもほんの一部を抜粋しただけです。
実は今回この記事を載せようか迷った部分がありました。
僕も子供のころに大人から暴力を受けて育ちました。
個人的な感情論を持ち出したくなかったのです。
気を付けながら書いていこうと思います。
まず、母親。
僕の母親は、学生時代に勉強もスポーツも出来た優等生だったらしいです。
息子の僕から見るとよくわかりませんが、周りの評判では「容姿端麗」だそうです。
全体的に優れている人間ってやつでしょうね。
でも息子である僕には違った。
暴力暴力、何かあればすぐ鬼のような暴力が待っていた。
勉強、スポーツはもちろん、少しはしゃいだだけで車で連れ出され、家から離れたところで暴力を振るわれた。
頭を撫でてもらった記憶なんて無い。
勉強もスポーツも中の上くらいでした。
家ではぬいぐるみのようにおとなしくしているのが正解だと思った。
学校では先生に目をつけられ、暴力を振るわれた。
高学年になるにつれて少しだけモテ始めたからだと思う。
担任はロリコンだったので。
次第に笑わなくなり、大人に憎しみを抱くようになった。
父親は優しいけど仕事人間だったので相談はしなかった。
「強くなればやられないんだ」と思い、格闘技を始めた。
やり返すために。
心が弱かったから暴力しかないと思ったんですね。
中学になって大人と同じくらいの身長になったとき母親を何発も殴った。
やり返してこなかった。
「やっぱりな」と思った。
2階の窓から庭にいる母親目掛けてポットを投げつけたこともある。
当たらなかったけど、母親は壊れたポットの残骸を泣きながら片付けていた。
心が痛んだ。
あんなに暴力を振るわれてきたのに、何故か悲しくなった。
今度は他の大人たち。
力をつけた僕の威嚇を周囲の大人や先輩たちはただ煙たがるだけだった。
あんなに威張ったり偉そうにしたりしてたのに逃げるとはズルい。
あのままだったら僕は今頃、刑務所にいるか反社会勢力の一員になっていたでしょう。
今の僕があるのは周りの友達のおかげです。
優しい幼馴染たち。
中学高校の友達。
友だちに恵まれていなかったらと思うとゾッとします。
大人になっても周囲の環境に恵まれずに憎悪をつのらせ無茶な暴挙に出た最もたる例が秋葉原通り魔事件の加藤でしょうね。
あの母親もなかなかのものでした。
僕は今、母親を憎んでなんかいませんし、むしろ感謝しています。
僕が変わったように母親も変わりましたから。
おじいちゃんが優しかったのも大きいですね。
だから結局は周りの環境だったわけです。
脇道に反れたのも、戻ったのも。
可能な限り人に優しくしたいと思っています。
筆は剣よりも強しと言いますが、優しさは身体的な力(暴力)より強いと思うんですよ今は。
もう一度書きますが、僕が暴力を覚えたのは心が弱かったからです。
あんな思いをする子供が少しでも減るように、人を慈しんで優しくしたいと思いながら生活しています。
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